店主ラスコル・ヨーロッパ紀行
2005年
イギリス、ベルギー、オランダ篇

 9月の18日から25日までヨーロッパに行ってきました。
 今回は国内最大手代理店のキング・インターナショナルが主催したツアーで、ヨーロッパのCDレーベルを探訪するという旅です。
 参加者はアリアCDを除けばみんな国内の主要なCDショップのバイヤー。タワー・レコード、HMV、山野、石丸、ラ・ヴォーチェの方々です。
 訪問先はイギリス、ベルギー、オランダ。
 ミーティングするのは、ロンドンではBBCとロンドン響自主製作レーベル、ブリュッセルでは仏HMとTALENT、アムステルダムではコンセルトヘボウ管自主製作レーベル。
 コンサートも豪華で、ロンドンではロンドン響とデイヴィスによるシベリウス「クレルヴォ交響曲」、ブリュッセルではマンゼとイギリス室内管、アムステルダムではハイティンクとコンセルトヘボウによる「エロイカ」。街のCD屋もできるかぎりまわれるはずです。
 7日間に及ぶクラシック音楽を巡るヨーロッパの旅。それでははじまりはじまり。


第1部:ロンドン

 ロンドンに着いたのは18日の夜。
 空港からホテルに向かい、部屋に荷物を放り込むとすぐに金融街シティの一角にあるバービカン・ホールに。
 ロンドン響はバービカン・センターが完成した1982年に、サウス・バンクのロイヤル・フェスティバル・ホールから、現在のバービカン・ホールへと本拠地を移した。
 コンサートは7時半から。日本よりちょっと遅め。
 この日のコンサートは
   シベリウス:ポヒョラの娘、クレルヴォ交響曲
    コリン・デイヴィス指揮、ロンドン響
    モニカ・グループ(メゾ)、ペーテル・マッティ(バリトン)
 「ポヒョラの娘」は、愛する娘に求婚した青年が、結婚の条件として出された3つの課題にチャレンジするが果たせず諦めて去っていく話。
 「クレルヴォ交響曲」は、森に迷い込んだ青年が美しい娘に出会い関係してしまうが、彼女が実の妹であったことが分かり、娘は自殺、苦悩の末みずからも命を絶つという話。
 どちらもシベリウス作品としてはあまりポピュラーではないが、奇しくも青年の愛と苦悩を描いたものである。とくに青年シベリウスが描いた青春交響曲ともいえる「クレルヴォ」は、民族的題材がちりばめられた大作。若干の緩慢さが欠点とはいえ、次々と現れる幻想的な主題、そして声楽によるストレートな情感の訴えは、聴くものの心を切なくさせる。
 デイヴィスは青年クレルヴォの悲劇を、ときにダイナミックにときに繊細に描ききる。いかにもデイヴィスらしい木目の細やかな演奏が印象的だった。おそらくこの9月、10月に収録された録音が、現在LSOレーベルで進行中のデイヴィス/シベリウス交響曲全集の最終巻となるのだろう。
 2時間のコンサートはあっという間に終演、店内の売店には残念ながら戦利品CDはなし。時差ぼけの頭にこの大曲はなかなか刺激的で、しばらくは頭がグラングランした。正直言うと演奏会途中ちょっと寝てしまったが、「クレルヴォ」は眠りと夢の神様だからきっと許してくれると思う。
 その後近くのイタリア・レストランでみんなで軽く晩御飯を食べてその日の予定は終了。
 ただホテルに着いてから、明日払うチップがないことに気づいて近所を徘徊。チャイニーズ・ファスト・フードがあるが閉店直後で入れず。その先に真っ暗な公園が見え、なんとなく惹かれそちらに向かうが、途中で怖くなって引き返す。
 風呂に入って11時には寝る。
 目が覚める。よく寝た。もう朝か?時計を見たら2時半。身体は完全に起きている。無理やり寝る。

 正真正銘の朝。19日。
 集合までに時間があるから、昨日行きそびれた公園に行ってみよう。
 ホテルを出ると結構寒い。近くのコンビニでビールを買って小銭を作る。アラブ系の巨人ふたりに挟まれてちょっと怖かった。
 そして昨日辿り着けなかった公園へ向かう。そこは一般人は入れない、おそらく個人の庭だった。
 しかしそこの向こうに素敵な教会が。
 いつの時代の建造物か定かではないが、煉瓦造りのなんとも趣きある教会。このあたり一体が見渡せそうな高い尖塔がひときわ目を引く。窓は現代的な作りだったりするので、今でも何かの用途で使われているのかもしれない。
 ホテルに戻り朝食。集合までに少し時間があるのでまたさっきの教会に行くことに。今度は山野の担当者の方もいっしょだったので、勇気を出して教会の敷地に入って入り口まで行ってみる。突然中から黒人が現れて怒られるかと思ったが、そのまま行ってしまった。ちらっと中が見えた。何かの機材があった。そういえば表の看板にはスタジオがどうとか書いてあった。そういう用途もあるのかも。

 10時半。ホテルでBBCとのミーティング。
 おなじみBBC LEGENDSについてのいろんな話が聞けると思ったが、一番驚いたのはやってきたのがIMGの人だったこと。IMGといえばイギリスのCD元締め。いま彼らはBBC LEGENDSを制作し、同時にイギリス圏においてはNAIVEを扱うディストゥリビューターでもあるのだという。なので単純に「BBCレーベル」という意識で動いている人ではなかった。最近ユニバーサルの敏腕女性スタッフも参加したらしく、さらに活発な活動を繰り広げていきそうである。
 なので彼らの最初の話題は、BBC LEGENDS の話ではなく、ANDANTEがNAIVE傘下となり今後1年間で10タイトル、来年は30タイトルをリリースするという話だった。ちなみに新生ANDANTEの1回目のリリースはすでに案内されたが、かつての超豪華パッケージから庶民的イメージの歴史的録音レーベルに移行するらしい。
 さて、それではミーティングの中身をこっそりお知らせします。

・バイエルン放送響には全録音リストというのがあり、その中からゼルキン、クーベリック、バイエルン放送響によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集のCD化を依頼したところ1年後に実現してくれ、日本ではベストセラーとなった。BBC響にはそういった音源リストはないか?すごい音源があればリクエストしたい。
 
 リストはない。
 またどの録音が残っていてどの録音が残っていないか、その量があまりにも膨大すぎて調査することは非常に困難である。

・新録音をリリースする気はないか?ブーレーズ生誕80周年コンサートとか。新任のビエロフラーヴェクや、ほかにもサラステ、A・デイヴィスなど面白そうな指揮者がいるが。

 LEGENDS というシリーズの意味するところからするとそれは適さないのでは?ちなみにブーレーズは放送録音のCD化は許可しない。ただ新録音のための別のシリーズは考えてみる価値はあるかもしれない。

・バーンスタインやヴァントはどうでしょう。

 バーンスタインは難しい。ヴァントは「エロイカ」の録音があったかもしれない。まだ未定だが、ムラヴィンスキーとチェコ・フィルの音源や、リヒテルの未発表メロディア音源によるベートーヴェン録音、マルケヴィチ、セル、ターリヒ、アンチェル、コンドラシン、クリュイタンス、クーベリックの録音のリリースも可能性がある。

・今後の大きな予定は?

 コヴェント・ガーデンのオペラ・ライヴ・シリーズを始める。1年で6タイトルほどリリースしていく予定である。これに関しては歴史的録音だけではなく、最新の録音までラインナップに含まれる。
 クーベリックのコヴェント・ガーデン・デビューの「オテロ」(1955年)、ショルティのコヴェント・ガーデンでの初めての「フィガロ」(1963年)、サザーランドのロンドン・デビューとなった「ルチア」(1959年)、などが予定されている。これ以降もマッケラスとベイカーの「アルチェステ」(1981年)、ジュリーニの「ドン・カルロ」(1958年)、ハイティンクの「マイスタージンガー」(1997年)などが候補に上がっている。とくにジャネット・ベイカーの「アルチェステ」はすごい。
 LEGENDS シリーズでは、リヒテルのシューマン、マデルナとBBCのマーラー9番、ショルティとLSOのエロイカ、ロストロポーヴィチ&オイストラフとコンドラシンのブラームスの二重協奏曲、ロストロポーヴィチ&ロジェストヴェンスキーのエルガーのチェロ協奏曲、テンシュテットのグレイト、マイラ・ヘスのシューマンとベートーヴェンの第2ピアノ協奏曲、ニコラーエワのゴールドベルク変奏曲(’86年)、アンセルメのベートーヴェンの4番、などのリリースはかなり具体化している。

 ということで若干の緊張の雰囲気の中、IMGとのミーティングは終了。まだまだこれからもその勢いは続きそう。

 続いてコヴェント・ガーデンの近くで食事を取ることに。
 コヴェント・ガーデンのロビーを通り抜けて工事中の裏広場に出る。正面側は数年前に来たときとずいぶん変わっていた。裏の広場から通じる売店通りや大道芸人がいる区画は昔と変わらない。大学のころ、ここで1日過ごしたことがある。
 2階にあるテラス風のところで食事。白身魚にしたが、ラ・ヴォーチェの永井さんが食べていた牛ステーキがおいしそうだった。狂牛病が怖くないのか聞いたら、発病するのは20年後だから死んだあとだといってた。
 食べ終わって早足でタクシーに乗り込みホテルへ。今度はロンドン響とのミーティング。ホテルの近くにロンドン響の事務所があるらしい。
 ホテルに着いた一行は、部屋で荷物を降ろすとすぐに集合。キング・インターナショナルの人について出発。そのLSOの事務所とやらは結構遠いのか?担当の女性スタッフによると近いらしい。よかった。
 ただ、彼女ももちろん初めてなのでその場所がどこかわかるはずもなく、LSOの人から伝えられたとおりの道を進んだ。
 ・・・なのだけれど、どうもその道が昨日から何度も通っているあのおなじみの散歩コ−ス・・・。その歩道の向こうに教会らしき建物があり、そこがLSOの本拠地だという。
 え?
 教会らしき建物?ひょっとして。
 「僕、ここ詳しいですから。その教会らしき建物も多分知ってます。」まだ道が完全にわからない彼女のために道案内を買って出た。きょとんとしている人たちをよそに、あの教会に向かった。
 やはりあの不思議な教会がLSOの本拠地だった。不思議な縁で、ここへ来るのはもう3回目である。
 迎えてくれたのは、LSOの自主製作レーベルの責任者(ハンサム)ともうひとりのスタッフと、LSO事務局で働く日本女性(美人)。
 そして通された空間は不思議なところだった。
 何百年も前に建てられた煉瓦作りの教会。聖ルーク教会。長く野ざらしになっていたらしく、部屋の中の柱、そして壁にもコケがこびりついている。そんな廃墟となっていた聖ルーク教会をLSOが14億円かけて改築。教会の雰囲気・音場を壊さないよう現代建築で補修し、窓には1センチ近い防音ガラス、地下にも音楽設備を整え、最高級の音響空間を作り上げたという。
 現在LSOがリハーサルで使うらしいが、ユニバーサルやEMI、ジャズの大御所までもレコーディングによく使うという。キンキンした現代建築では出せない、奥の深い不可思議な音響が生み出されるというのである。一種異様とも偉容ともいえる、世界でも珍しいレコーディング・スタジオである。
 地下に案内された。
 改築時にはこの地下から150体近い遺体が出てきたという。彼らは丁寧に別の場所に埋葬された。スタッフに、「夜仕事してて怖くないですか?幽霊とか出ないですか?」と尋ねたら、「そんなことはない」、と笑いながら答えていた。本当に怖くないらしい。
 地下には広い作業部屋、コンピュータ音楽のための設備を整えた部屋と、ガムランの楽器が演奏できる部屋があった。そのガムラン部屋は、LSOの教育活動のための場として設けられたもので、LSOのスタッフが空きを利用して子供たちに楽器を演奏する喜びを教えるのだそうだ。なぜクラシックの楽器ではなくて、ガムランなのか、と聞くと、クラシックの楽器だとどうしても身構えてしまうが、ガムランだとおもちゃのような感覚で子供たちが遊べるからだと言っていた。・・・だがひょっとしたら地下に今も眠る霊を鎮めるために、知らず知らずのうちにガムランを選んだんじゃないか、とふと思った。

 さて、聖ルーク教会の案内が終わって、ミーティング・ルームに通された。部屋でかかっていたのは発売されたばかりのデイヴィスの「我が祖国」。その演奏はちょっと疲れた体に染み入るように響いた。誰かが「祖国に連れて行って」とささやいているようにも聴こえた。
 それではまたまたミーティングの内容をこっそりお知らせします。

・ジャケットが地味なのはいただけない。ロゴやデザインなどについて再考を促したい。

 検討してみる。

・現在は最新録音を中心にCD化しているが、過去の音源をリリースする気はないか?

 「今」の演奏を聴かせることに専念したい。LSOレーベルの目的は、最高の音質で多くの聴衆に聴いてもらうことだから。

・ハイティンクは、ブラームスが終わって次はベートーヴェン全集か?

 さっそく来年の春には「エロイカ」が出るだろう。もちろん全集になる。

・デイヴィスはドヴォルザークの後期、ベルリオーズ、エルガー、シベリウスと来て、次は誰にいくのでしょう?

 ウォルトンが出る。
 実はハイティンクはベートーヴェンの全集を出すが、ミサ・ソレムニスとフィデリオはデイヴィスになるかもしれない。始めはその予定はなかったのだが、すごく評判がいいので。本人はワグナーをいつかやりたいといっている。また来年年末には「メサイア」をやるかもしれない。

・ロストロポーヴィチのショスタコーヴィチの録音の続編は?

 来年第10番が出る予定。

・プレヴィンは続編が出ないのか?

 彼は最近腰を痛めてあまり指揮をしていない。今のところ予定はない。

・これまでシンフォニー録音が中心だがコンチェルト録音は出さないのか?内田光子、ペライア、フェルツマン、ヴェンゲロフ、ユンディ・リ、アンデルジェフスキ、グリモー、と大演奏家がたくさん共演するようだが。契約上無理か?

 そのとおり。残念ながらリリースはできない。ベートーヴェンのトリプル・コンチェルトはLSOのメンバーによる演奏だったのでリリースできる。

・デイヴィス、ロストロポーヴィチ、ハイティンクときて、次に新しいひとは出てきますか?2006年首席指揮者のハーディング、2007年首席指揮者のゲルギエフ、そしてチョン・ミュン・フン、それぞれ面白そうな作品を指揮するようだが、ぜひCDを出してほしい。契約上無理か?
 
 ゲルギエフは同じ曲を1日しか演奏しないのでCDをリリースするのは難しい(修正などができないから、という意味)。2006年3月にはチョン・ミュン・フンによる日本公演が行なわれ、レコーディングもされるが、スポンサーが東芝なのでLSOから発売することはできないだろう。

 スタッフは若い人ばかりだが、これからもがんばっていこう!という気概にあふれたLSOレーベル。批判っぽい発言にも真摯に耳を傾けて、真剣に意見を述べる熱心さに心打たれた。

 5時。街へ。観光・ショッピング組とCDショップ漁り組とに分かれる。店主はもちろんCDショップ組へ。
 まずはオックスフォード・ストリート近くのハロルド・ムーア。ロンドン老舗のクラシック専門店。レコ芸の「月間ベストセラー」でイギリス代表になっている店なので名前は有名。20年前に来たときはあまりの小ささにびっくりして何も買わずに帰ったたが、今回は掘り出し物を探す野心がある。
 店の小ささは相変わらず。新譜も取り立てて珍しいものはなさそうだった。閉店時間を聞いたら、あと10分!うわ。これでは珍しいものは探せそうにない・・・けど意地になっていろいろ見ていたら、見つけました。
 ちょっと高いけどLYRITA。
 確かLYRITAはイギリスの個人店で売られていて、全然輸出とかに熱心でなく、だから日本にもあまり入らず入ってきても高かった。イギリス演奏家によるイギリス音楽という狭いレパートリーに限定し、そのおかげで熱心なファンがたくさんいた。そのLYRITA。倒産してもう何年にもなるのに、棚の片隅に15,6タイトルあるではないか。なんとま。
 とにかく中から面白そうなものだけを抜き出して即カウンターへ。「在庫はないですよね、もっとほしいんだけど」、というと「ある」、という。上を見ると確かにLYRITAがたくさん並んでいる。どういう因縁か知らないが、LYRITAだけ在庫をたくさん確保している。
 ・・・しかし価格的に高い。この価格にアリアの利益をつけたら、はっきり言って無茶高くなる。いかに人気のあるレーベルとはいえ、そう売れるとは思えない。・・・うーん・・・とりあえず3枚から5枚ずつ揃えてもらった。さあ、ということでLYRITA特集、いきます。


LYRITA特集 1CD¥3500
終了


 そのあとラ・ヴォーチェの永井さんに連れられて中古LP屋に。ロンドン名物赤いダブル・デッカー(二階建てバス)に乗る。正直テロがあったばかりなので怖かった。けど大丈夫だった。中古LP屋では、手に入らなかったHUNTのカタログを2冊ゲット。再びダブル・デッカーに乗ってオックスフォード・ストリートにもどる。まだ少し時間があるのでHMVに。ここは20年前、18年前、そして10年前のHMVの研修でも来たことがあるおなじみの場所。ただ残念ながらここでの収穫はなし。ある意味日本のショップも完全にグローバルになっているという証拠か。
 ただ店内でかかっているブラームスがとてつもない演奏で、激情的で熱いのに、絶対に音程がぶれない、はずさない。こんな新譜あったか?こんなチェリストいたか?と思って店員に聞いたら・・・「デュ・プレ」と答えた。
 さあ、そのあとチャイナ・タウンで夕食。北京ダックとふかひれスープなどという、日本にいては絶対に食べられない高級料理を食べる。おいしかった!!
 ホテルに着いたのが10:30。ばたんきゅー。今夜はゆっくり寝られそう。
 よく寝た。もう朝か?
 時計を見たら1時半。目が壊れたかと思った。ただ妙に目が冴えて寝られない。聖ルーク教会、ガムラン、我が祖国・・・。
 時差ぼけで夜中に荷造りとかするやつがいるんだよね、と誰かが言ってたが、・・・しました。夜中の荷造り。

 20日。快晴。こちらへ来てから一度も雨が降らない。寒いと言っていたのに、昨日も半袖で十分。
 朝もう一度聖ルーク教会に散歩。可愛い猫がいる。
 ベルギー料理に腹を空けとくために朝食は抜く。
 8時15分ロビー集合。空港に向かう。空港まで1時間以上。こんなに遠かったか。寝不足だがまだ緊張して寝られない。
 空港でお土産買う。飛行機はブリティッシュ・エアライン。
 ブリュッセルに着く頃にはなぜか体調戻る。元気。さあ、初めての国ベルギー!



第2部:ブリュッセル

 ブリュッセルに着く。時差が違うので1時間時計を進める。
 空港ではベルギーTALENTの社長と、今回のマンゼのコンサートに同行して我々とミーティングをする仏HMのスタッフが出迎えてくれていた。
 どんな街かさっぱり見当もつかなかったが、ブリュッセルはとてもきれいで整然とした街。
 ・・・だがホテルに行くバスがこない。40分くらい待つ。
 ようやくホテルのバスが来て、30分くらいかけて郊外のホテルへ。田舎のモーテルのようなホテルだが逆に新鮮。部屋が1階というのも不思議な感じ。
 少し落ち着いた後、ブリュッセルの中心部へ向かう。
 昼食の時間がないので中央駅のファストフードで軽食。夕食の世界最高のベルギ−料理に向けて軽く済ます。トマト・スープ、おいしかった。
 それから観光バスに乗ってブリュッセルの市内観光。東京のはとバスみたいなもの。びっくりしたのは日本語の解説が聞けること。そしてもっとびっくりしたのはブリュッセルがとんでもない観光地だってこと。たかだか1時間足らずのバス市内観光で、おそるべき観光名所をいくつ見たことか。まったく存在すら知らない巨大な建造物、教会が燦然と建ち並ぶ。パリやローマならいざ知らず、日本ではあまり知られていないブリュッセルの街にこんな素敵な名所がいっぱいあるとは・・・。一体ブリュッセルとはどんな街なんだ。
 観光バスを降りて、ブリュッセル最大の名所、グランプラスへ向かう。
 途中、小さな広場があって、そこに不気味な黒づくめの痩せた男の像が立っている。コートに身を包んだ背の高い男。
 誰かがその男の名を発見した。「これバルト−ク」・・・。確かにバルトークと書いてある。でもなぜバルトークがブリュッセルにいるのだ?日本に帰ってから調べたがその理由は分からなかった。
 さて、そのグランプラスへは10分ほどで到着。そこは四方を歴史的建造物に囲まれた、観光のバチカン広場・・・。ビクトル・ユーゴーが「世界で最も豪華な広場」と絶賛した美しい広場・・・。人も多いが、この荘厳なたたずまいには絶句。
 それからミーハーにも小便小僧を観にいって、そして仏HMとのミーティング兼夕食。いい感じに狭い路地に所狭しとレストランが並ぶ。そしてHMの担当青年に導かれとあるレストランへ。
 そこで待っていたのは仏HM USAの女副社長・エグセクティヴ・プロデューサー。最近ではUSAの力が強くなってきていて、彼女の発言権は大きいらしい。HMは、なぜか女性スタッフの力が強い。
 ああ、しかし空腹だった店主にはそんな大事な人物よりムール貝に心ときめいてしまう。音楽の話より食事に意識が偏って、ペンを執るよりついフォークを握ってしまう。
 そんな中でのミーティングの内容をお知らせしましょう。ミーティングというより楽しい食事会、という感じでしたので内容もつい簡単なことばかりですが・・・。

・東京弦楽四重奏団がHMから登場しますが。

 そうです。大いに期待してください。実は日本財団が世界に二つしかないストラディヴァリウスのクアルテット・セットを彼らに貸与したのです。

・イザベル・ファウストが好きなのですが、新録音の予定はありますか?

 今度ビエロフラーヴェクとベートーヴェンのコンチェルトを出す予定です。

・HMは最近取り上げる作品がどんどん大作化し、登場するアーティストも有名な人が増えてきました。メジャー・レーベルが低迷する現代にあって、逆にHMがメジャー化しているような印象があるのですがそれは勘違いでしょうか?それとも意識的にそうしているのでしょうか。

 意図したわけではないが、そうなっていることは事実だと思う。10年前ではできなかったことが今はできるというのもある。また、多くのメジャー・アーティストがHMに集まってくるようになったのも事実だと思う。

・メジャー・アーティストといえば、ガッティがHMで録音するようになったいきさつを教えてほしい。

 HMは引き抜きはしない。ガッティの場合もガッティがみずから売り込んできた。検討した結果彼なら大丈夫ということでOKした。そしてシンフォニーが彼の魅力を出すには手っ取り早くていいだろう、ということで先日のチャイコフスキーの第5番のリリースとなった。

・ではその他のシュタイアー、ケント・ナガノ、ヴラダーたちもそういう感じで再デビューを果たしたのか?

 それには今度新しくTELDECにいたディレクターが入ったことも大きいと思う。TELDEC絡みのアーティストが多くうちに来ることになると思うし、TELDECのスタジオを使うことも増えると思う。

 ・ほかに何か新しい話題は?

 ヴァン・クライバーン・コンクールと提携して、今年の入賞者のCDが出る。1位はコブリン。ケント・ナガノのブルックナーの6番も出ます。

 そこにHMがベルギー・オランダでディストゥリビュートしているベルギーZIG ZAG TERRITOIRES のジェネラル・マネジャーが登場し、またにぎやかになった。彼女は立ち話と簡単なあいさつで去っていったが、インマゼールが今度ベートーヴェンとブラームスのシンフォニー全集を録音するというとんでもない土産話を置いて行ってしまった。うげげ。

 そうこうしているうちにマンゼのコンサートがすぐ後に迫り、時間がなくなってきた。ワインももう1杯飲みたかったが先を急ごう。
 しかし、向こうの人はなんとも泰然自若。コンサートまであと15分というのに全然動じる気配がない。日本人はみなあせってそわそわしているのに、まったく動じない。。。。。
 でも結局コンサートは遅刻した。こら。
 しかしこれが向こうの感覚らしい。

 さて、ちょっと遅れて入ったボザール・ホール。その日は、「ヨーロッパの音楽的首都ロンドン」という名前のコンサート。

  ヘンデル:合奏曲奏曲 作品6−10
  トマス・チルコット :リュートをもったオルフェウス
  ヘンデル:可愛い鳥
  ジェミニアーニ:合奏協奏曲第12番「ラ・フォリア」
  C.P.E.バッハ:チェロ協奏曲 HWV.105
 アンドルー・マンゼ指揮、イングリッシュ・コンサート演奏。

 というちょっとマニアックな内容だが、イングリッシュ・コンサートのメンバーは芸達者且つ役者揃いで、あのマンゼをさしおいて目立つようなメンバーまでいたりする、なかなかの個性的集団。
 さらにソプラノのルーシー・クロウは容姿は可憐、よくとおる美声で、ちょっとした仕草もチャーミング。きっと日本でもそのうち注目されるはず。
 しかし最も異彩を放っていたのは最後のチェロ協奏曲でソリストを努めたアリソン・マッギリヴァリ。イングリッシュ・コンサートのメンバーなのだが、そのたっぷりとした歌い方と堂々とした貫禄はただものではない。おそらくまだ20代だと思うが、女性ならではの鋭い感性と、はしたないまでの激情ぶりが「デュ・プレ」とダブって見えた。この日から2日間、第1楽章の冒頭主題が頭から離れなかった。C.P.E.バッハ:チェロ協奏曲、間違いなくCDリリースされると思うのでお見逃しなく。
 コンサート終了後、マンゼと写真撮ったりサインもらったりして時間を過ごす。マンゼは本当に好青年(?)。やさしくまじめな芸術一筋の人。マネージメントとか金銭感情とかいかにも下手そう。
 さてさすがに疲れてホテルへ帰ろうと思うが、ホテル行きのバスが来ない。コンサートが終了してから1時間待った。
 ホテルからここまで15分。バスの運転手は45分間ホテルで何をしていたのか。それは誰も知らないし、尋ねてもいけない。・・・これがベルギーの感覚なのだ。

 そして11時近くにホテルに到着。さすがに疲れ果てて寝ようと思ったが、ホテルのロビー横には素敵なパブが。ロンドンで行けなかったような庶民派パブ。まだけっこうたくさんの人でにぎわっている。それにとにかくビールがおいしそう!!
 ということでさっそくまず1杯。ピスルナー。軽く飲める。隣にちょっと濃い目のビールが2杯目。これは甘めだがかなりきつい。つまみもないので全然進まない。しかしもう1杯。今度のは色は似ているが微妙に味が違う。しかしこんな場末の(失礼)ホテルのパブでも生ビールが5種類もあるのだ!さすがビール天国ベルギー!!何でも許しちゃう!!!店主は12時で退散したが、残ったみんなは2時過ぎまで暴れていたらしい。いやはや楽しいブリュッセルの1日が終わった。

 21日。さすがに朝目が覚めたら6時。これは嬉しい。疲れと二日酔いが心地いい。
 ホテルの近くを散歩。周りを高速道路に囲まれて遠出はできず。朝食。
 今日はベルギーの老舗レーベルTALENTとのミーティング。TALENTにはいろいろシビアなことを聞いてみたい。しかし社長はチェリビダッケを悪質にしたイタリア・マフィアのボスのような人。変なことを聞いて殺されるといけないので、ちゃんと日本からJAPANESE SAKEを土産にもってきた。
 10時。ホテルのミーティング・ルームに集合。OHPや飲み物など完璧にそろえていてびっくり。なかなかやるな、TALENT。そうしたらとなりに女性が。なんとオランダ・ベルギーの仏HMの社長。またまた女性!TALENTも仏HMがディストゥリビュートしてるのだ。あのこわもてのTALENT社長も彼女の前では小熊のようにおとなしい。ひょっとして彼のお目付け役??
 ということでミーティング開始。またまたその内容をこっそりお教えします。

・1ヶ月間TALENTの特別拡売セールをやった。1,2位はダントツでローラ・ボベスコ。彼女は日本でとても人気があります。もし彼女の録音があればぜひ出してください。

 今後ボベスコのアルバムを集中して復刻していきます。もともとTALENTは1988年にボベスコに頼まれて設立したという経緯がある。これからは彼女の録音を熱心にCD化していきたい。11月にもシリーズ第1弾としてアンコール集を出すつもりだ。いずれボベスコの全タイトルを復活させる。またアルファ・レーベルの彼女の音源も復刻させる予定がある。ジャケットもいいものに変えていきたい。。

・大ベストセラーとなったヘレヴェッヘのベートーヴェン・チクルス第1弾(4番・7番)。この録音がTALENTから出ることになった経緯は?

 いえ、たまたまそういうめぐり合わせになっただけなんです。私もびっくりしています。でも今度は5番・8番が出ますよ。

・またボベスコに限らずベルギーはイザイに始まり、すぐれたヴァイオリニストがたくさん生まれたが、そうした人たちの歴史的な貴重な録音をCD化できないか?もしそれらがCD化されたらとても話題になるだろう。

 先ほど言ったようにTALENTの歴史は浅い。残念ながらそういった歴史的録音は手に入らない。

・EUの中心であり、高い文化水準を誇るベルギーだが、なぜ世界的なオーケストラが存在しないのか?ベルギーはすぐれた音楽家・演奏家はいるが、音楽大国という印象があまりない。それはCDの分野でもいえる。RICERCAR、TALENT、ARCOBALENO、PHAEDRAといったレーベルがあるが、どれも地味な印象である。リリースされる内容も地味ならジャケットも地味。ひょっとするとベルギーはまわりをフランス、オランダ、ドイツ、イギリスという国に囲まれ、音楽の分野に関しては始めから少し遠慮がちなところがあるのではないか。(さすがにこの質問にはむっとされると思って、事前にお土産をわたす))

 いや、そのとおり。ベルギーは北と南で分裂しているので一つの国として文化を築いていこうという気概に乏しいと思う。何をするにしてもその南北のギャップが邪魔をする。CD業界でもそれはいえるだろう。なかなかベルギーからは世界を代表するようなCDメーカーは出てこないかもしれない。

 ぐはあ。
 ベルギー。なんて国だ。全然知らなかった。
 南北で違う国の言葉を喋っているというのは事前学習で知っていたが(北はオランダ語、南はフランス語)、これほど分裂意識が強いとは。
 確かに昨日も観光しているときに、「この建物はフランス語圏の人しか入れません」とか言ってたものなあ・・・。看板とかでも全部ごていねいに2ヶ国語書いてるし、アナウンスでも3ヶ国語くらいで同じことを言ってる。
 これでは確かにみんなで一致団結してどこかへ進もうと思ってもなかなか難しいかもしれない。誰かが、一時期本当に北はオランダに南はフランスに合併しようとしていた、と言っていたが、あながちホラじゃないかもしれない。だからいつのまにか「まあ、これでいいか」というような感じで現状に満足してしまって、時間が遅れてもまあいいや、的な感覚が身に付いたのかもしれない。
 しかしそんな状況では国家の精神的な崩壊につながってしまう。・・・そこでベルギーはブリュッセッルにEU本部を誘致、「ブリュッセルはヨーロッパの中心」と宣言することで国は国民のアイデンティティー、あるいは国家の威信を高めようとしたのかもしれない。昨日見た多くの立派すぎる歴史的建造物も、ひょっとしたら強烈な大国に対する見栄だったりするのかな。
 うーん・・・でもベルギー、好きです。街はきれいだし、人は優しいし、ビールはうまいし。
 ヤーコプスもインマゼールもヘレヴェッヘもクイケンも、みんなきっといつかは祖国に戻ってくる!・・かな。
 がんばれベルギー!

 ということでTALENTのミーティングのあとみんなでブリュッセル中心へ。中心街まで連れて行ってくれるバスはないので、うんせうんせと荷物を持って一度空港まで行って、そこから地下鉄で中央駅へ。そこで荷物を預ける。でもなんとなくみんな優しい。
 てぶらになったところで、昨日ディナーを食べたところあたりでみんなで昼食を取ることに。TALENTとHMの招待である。
 そのレストランへ行く途中CDショップ発見。みんなで入る。基本的に品揃えは普通。ただアンナ・ボイケンスのモーツァルトを発見。CODAなんてもう今は見ない。あるだけ買って来た。


A・ブイケンス&ルビオSQ/モーツァルト:クラリネット五重奏曲
CODA COD005 1CD¥1690 完売

 ヨーロッパを代表するクラリネット奏者の1人として日本でもお馴染みのワルター・ブイケンス。そのワルターのおそらく娘と思われるアンナ(奥さんにしては若すぎる。ありえない話じゃないけど)と、GLOBEでショスタコーヴィチ弦楽四重奏曲全集を録音したベルギーの実力派四重奏団ルビオSQの共演。
 少なくとも日本じゃ見かけたことないし、ベルギーでも在庫かぎりだったのではないかと思われる。なんとなくピンときたので10枚確保。
 しっとりと優美なアンナのクラリネットと、美音奏でるルビオSQのアンサンブルは絶品。ときおり見せるほのかな陰りも忘れていない。【先着抽選】

CODA
COD005
モーツァルト:クラリネット五重奏曲
        ディヴェルティメント KV.136,137,138
アンナ・ブイケンス(Cl)
ルビオ弦楽四重奏団
1995年録音。


 ベルギーの料理はうまい。昨日はムール貝だったので今日は羊の肉。カニコロッケも美味。
 食後、昨日行ったグランプラスへ戻り、お土産を買いあさる。小便小僧グッズやチョコレート。お土産にしたいと思うものは大体ベルギー関係だったのでこの時点で大変な大荷物になる。そのあとワッフルを食べることに。ワッフルといっても日本のワッフルは下の生地に黒砂糖がまぶしてあるだけだが、本場はその生地の上に乗るものが主役。ワッフル自体は土台でしかない。ご想像のとおり、狂ったようなトッピングがその上に乗っかる。・・・どうみても日本のヤクザというようなタワー・レコードと石丸のふたりが(ほんとはお二人ともとても優しいんです)おいしそうにそのクリームとチョコ満載のワッフルを食べている姿というのは、禁断のブリュッセル、という風情。
 さて、急いで中央駅へ戻らないと。今度はユーロスター・タリスで一路アムステルダムへ!
 中央駅から一駅の南駅まで荷物を持って移動。そしてそこでタリスに乗車。さらばベルギー!さらば愛しきブリュッセル!
 もちろんタリスは30分遅れて到着した。



第3部:アムステルダム

 そしてタリスはアムステルダムへ。所要時間2時間ちょっと。
 寝るにはもってこいなのに、となりにモデルのような金髪美人が座っていたせいなのか、なんだか寝られない。途中アントワープ、ロッテルダムを経由し、国境検閲もなくタリスはアムステルダムへ。
 ちょうど外が夕闇につつまれ始めたからか、車窓から見るアムステルダムはなんとなくくすんだイメージ。
 プラットホームに降り立つと、すごい数の人。おまけにささいなことながらホームから下りのエスカレーターが止まっている。このスーツケースをもってこの階段を降りるのは結構辛い。
 地下ではホテルまで案内してくれる現地の人が。これは嬉しい。駅の裏までうんしょうんしょと荷物を持って移動し、ホテル行きのバスに乗る。
 出発したバスから見えるのは、片や巨大な工事中の中央駅と、片や薄汚れた港。勝手に想像していた、ロマンチックで素敵なアムステルダムのイメージはどこにもない。ブリュッセルと比べるまでもなく、この街はかなり汚い。
 バスで30分ほど行くと郊外のホテルに到着。確か案内ではホテルは中心街から徒歩1分ということだったが、徒歩だと2時間はかかるだろう。と、嫌味なことを考える。おまけにホテルのまわりには何もない感じで、とても食事ができそうなところはない。
 ホテルのレストランでなんとか食事ができることになり、とりあえず荷物を部屋に。
 エレベーターから各フロアーに入るときに扉があり、鍵を使わないと入れないようになっている。それだけ防犯に気を使っているということだが、逆にいうとそれだけ治安が悪いということか・・・。
 やはりアムステルダム、なんか怖い。そういや一階のパブのおじさんもニヤニヤしながらこっちを見ていた。
 と、言いながら、夕食で出された鳥のグラタン風煮込みを食べて、3杯ビールを飲んだ頃にはすっかりアムステルダムを征服した気分。結局わいわいと1時近くまで騒いであとは爆睡。

 22日。目が覚めた。外はまだ暗い。6時。
 しかし早すぎるということはない。実は今日は完全フリーの日。なのに昨夜は馬鹿騒ぎして結局この日何をするか決めなかった。
 8時には朝食だからそれまでにどうするか決めないと。
 ということで地図とガイドをひっくり返してこの日何をするか決める。いざガイドブックを見ると結構いろいろ見てまわるところがある。集合の夕方6時までにどれくらい見て回れるか。

 朝食を食べてすぐにトラムと呼ばれる路面電車に乗って観光に出発。観光の拠点となるダム広場というところがあるらしい。昔そこにダムがあったそうだ。
 観光拠点となるダム広場。
 そこももちろん汚い。早朝で人がいないが、朝の繁華街の路地裏、といえば分かってもらえると思う。とても街一番の観光広場とは思えない、薄汚れた場所。写真を撮ろうという気も起こらないが、とりあえず2、3枚撮る。
 それから世界最初の歩行者天国となったといわれる通りや城壁の見張り台といわれるムント・タワー、朝から始まっている花市、「指環」を上演しているミュージック・シアター、のみの市をやっているワーテルロー広場、そしてただの小さな公園のレンブラント広場、と闊歩する。正直、どこもごみごみした、うらびれた街並み。しかも途中で何度も車に轢かれそうになり、自転車に乗った人に罵声を浴びせられる。自動車の運転は乱暴だし、なにせ自転車もすごい。アムステルダムは自転車優遇の街で、車道と歩道の間にきれいに舗装された自転車専用道路がある。日本から来た観光客などはその自転車専用道路が歩きやすいので、ついついそこを歩いてしまう。すると猛スピードで向かってくる自転車に乗ったおばさんが、「どけどけー!」と雄叫びを上げながらものすごい形相で迫ってくる。彼女、よけようなどという気持ちは微塵もない。
 とんでもないところに来てしまった。
 また、レンブラント広場の近くにはコーヒー・ショップがたくさんある。薄暗い、奇妙な雰囲気のカフェ。ここではマリファナが体験できるらしい。オランダではマリファナが許されているらしいので、こういうところで吸えるのだそうだ。でも入ったが最後出てこられそうにない感じ。
 結局開いたばかりのビア・ホールになだれ込む。そこで30分ほど休憩して、活力を取り戻し、その近くにあるアムステルダム最大のCDショップに向かう。
 しかし。何も獲物はなし。
 日本のCDショップのほうが数倍すごい。掘り出し物がありそうな気がするのに、なにもない。20分ほどねばったが無収穫のまま店を後にする。ちょっとショック。アムステルダム、書店はたくさんあるが、CDショップは思ったより少ないし、個性的な店も少ない。
 
 ただ、これから向かうのはちょっと期待できるところ。
 その名もベートーヴェン通り。
 その横にはシューベルト通り、ブラームス通りがある。バッハもワグナーもヘンデルもある。
 ひょっとしたらそこにはクラシック専門のCDショップが建ち並び、珍しい博物館や貴重な資料館とかがあったりするのではないか!クラシック・ファンなら誰でも行ってみたいと願う、夢のような街角・・・!!
 路面電車トラムにもすっかり馴染みになり、自由自在に乗り継いでついにその作曲家通りに到着する。
 そこにあったのはカフェ「フィデリオ」と、ミッフィーの本店のみ。
 あとは学校と一般住宅。ただの住宅地。・・・なぜベートーヴェンなのか、なぜシューベルトなのかは永遠の謎であった。
 まあ、こうなることは分かっていたけど、行ってみないとわからんもんね。
 ・・・とはいえ、ようやくアムステルダムにもきれいな街並みと山の手があることを知ってちょっと安堵。

 さあ、でもこれからが今日のメイン。ミュージアム広場にある国立博物館とゴッホ美術館。近代美術館は残念ながら改修工事中。
 しかしそのミュージアム広場というのが素敵なところ!
 クラシックの殿堂コンセルトヘボウと、それら美術館に囲まれたその広大な広場は、一面芝生に覆われ、いい感じに適当な数の人々がのんびりと遊んだり寝転がったりしている!見た瞬間に自分も仲間に入れそうな、そんな素敵な公園。
 結局そこにあるカフェテリアでビール飲みながらハンバーガーを食べて昼食。ある意味最もヨーロッパちっくな食事がこれだった。
 国立博物館ではレンブラントとフェルメールを中心に(気づかず通り過ぎて、後で教えられた)、ゴッホ美術館ではもちろんゴッホを見学。そういうところには珍しいCDがあったりするのだが、残念ながらここにはなかった。
 国立博物館はとくになんという印象はなかったのだが、ゴッホ美術館ではゴッホの絵が制作年代ごとに並べられていて、だんだん気が狂っていく様がわかる。最後のコーナーで意味不明な根っこの絵が出てきたときには思わず後ずさってしまった。天才というか狂気というか。普通じゃない。その絵を描いたときのゴッホの姿が見えるような壮絶な絵だった。

 それから街一番のブランド通りを抜けて(文字通り「抜けて」。店に入ることすらできなかった)、集合場所のライチェ広場へ。・・・今から遊覧船で運河巡りをして、夕食を食べて、飾り窓を見学するのだ。
 こうなってくるとクラシック音楽とは全然関係なのでちょっと端折るるけれど、「飾り窓見学」と言われて、始めはステンド・グラスのきれいな街並みでもあるのかと思ったら、世界有数の歓楽街のことだった。
 港から上がってきた男たちのために生まれた娼婦街らしい。なんで飾り窓というかというと、通りに面した部屋の窓はすべて透明のガラスで、その向こうで下着姿の女性がおいでおいでしている。だから飾り窓。で、気に入った女性がいれば交渉して、そこに入っていくらしい。カーテンがしてあるところは仕事中。
 通りはものすごい観光客であふれていて、しかも国から認定されているからサッパリ爽快でそれほどいかがわしい感じはしない。たださすがに入る勇気はない。ショーの小屋の前では若者や若い女性たちが並んでいて開放的なヨーロッパの文化を見た気がした。街に漂うマリファナの匂いが鼻に残る。
 まあ、そんなことはありながら、その日は案外健全に終了。

 22日。今日はコンセルトヘボウの人とミーティング。夜にはハイティンクの「エロイカ」もある。
 午前中、少し時間があるということで、昨日花市で買えなかったおみやげ、そして行かなかったレンブラント美術館に行くことに。ちょっと強行軍だが、実はレンブラント美術館にそこでしか売っていない特別なCDがあることをHMVの担当者の方が発見して見せてくれたのだ。絶対に手に入れないと!
 ということでまたもやトラムを乗り継いで中心部へ。花市でちょっと買い物しすぎて時間がなくなり、急いでレンブラント美術館に。
 その売店に・・・ありました。目指すCDが。レンブラントのエッチングを表紙にした簡単な紙パケのCD。「レンブラントの時代の音楽」。レンブラントは1606生まれ、1669死去。音楽史でいうとヴィヴァルディやバッハなどバロック全盛期のちょっと前で、シャルパンティエやブクステフーデの時代。このCDではフックス、メルーラ、マリーニ、そしてなにより店主の大好きなビーバーを一番多く収録してくれている。これは貴重なアルバムなので値段も聞かず20枚購入した。


レンブラントの時代の音楽
レンブラント美術館制作 1CD¥1990 完売

 先入観かもしれないが、これがまた優美で且つ自由闊達な素敵なアルバム。
 音楽監督のヤン・ヴィレム・デ・フリエンドは、次世代のブリュッヘンと呼ばれるほどの鬼才だが、その瑞々しい感性が当時の音楽を目の前に蘇らせてくれる。
 とにかくビーバーが多いのが素敵。それに貴重。7つの小品からなるパルティアも完全に収められたアルバムはなかったし、JUCUNDAソナタもカタログから何からいろいろ調べたがどこにも載っていない。しかもこれがすごい曲。ルネッサンスかアラビア音階風の不思議な音楽。その神秘的な雰囲気は、あのロザリオ・ソナタとまったく同じ匂いだが、もっと露骨に異国風。さらに途中信じられないほど唐突に華やかな舞曲が流れ込んだりして、もう天才作曲家ビーバーの才気爆発。・・・この時代にこんな曲書いた人ほかに知らない。

CD4U
¥1990
フックス:序曲 ニ短調、ロンド
メルーラ:シャコンヌ
マリーニ:パッサカリア
ビーバー:パルティア
      12のソナタより第5番、第6番
      JUCUNDA ソナタ
コンバッティメント・コンソート・アムステルダム
ヤン・ヴィレム・デ・フリエンド(音楽監督)


 思ったより時間がなくなり、急いで昨日行ったミュージアム通りに。今度はコンセルトヘボウの前で待ち合わせ。
 オランダの人は遅れない。時間どおりにコンセルトヘボウ自主製作の責任者がやってきた。いっしょに昼食を食べながらミーティングである。
 コンセルトヘボウのすぐそばのレストランへ。席に着くと山のような貝。すごい。この人たちはこんなものを昼から食べているのか。
 さて、ミーティング。レーベルの責任者はまだ若いが見るからにやり手の頭のよさそうな感じの人。なかなか厳しい。

・ヤンソンス就任とともに自主製作レーベルが誕生したように思うが、レーベル誕生にはヤンソンスの希望があったのか?またシャイーの時代には何故やらなかったのか?

 シャイーはご存知のようにDECCAと契約していたから自主製作盤は出せなかったし、出す必要もなかった。しかしヤンソンスはどことも専属契約を結ばないので、コンセルトヘボウで自主製作盤を出すことができた。またロンドン響の自主製作レーベルでもマーラーの6番が成功したことから、こちらでも出せる自信があったのだろう。また現在のクラシックCDのマーケットでは、以前のようにひとつのレーベルが継続的にひとりのアーティストの録音を出しつづけるということが経営的に難しくなってきた。しかし自主製作盤ならそれができる。レーベルをたちあげ、録音をすることは簡単だが、売るのは難しい。しかしわれわれにはコンサート会場という販路がある。それに幸いにもすばらしいディストゥリビューターに恵まれた。

・それで実際ヤンソンスのCDは売れたのか。

 ここにいる皆さんのおかげで。実際最初の「新世界」は14000枚という驚くべき売上を記録した。「英雄の生涯」もDVDとCDを合わせて10000枚売れた。ハイティンクも非常に順調である。

・「新世界」は日本でも驚異的なセールスだった。

 これはほんとうに衝撃的な演奏だった。特別な演奏会だったといっていい。この演奏のCDを出せることになって本当に嬉しい。実はバイエルン放送響とのCDがSONYから出ているが、それはうちほど売れていないらしい。後になってSONYが、「どうしてそっちはそんなに売れるんだ?」と言ってきたよ。SONYは演奏があってからリリースまでかなり時間があった。しかし我々はすぐにリリースした。そして何より演奏がよかったからね。

・これまでRCOは美しく均整は取れているが型破りなところがない、という印象があったが、最近のヤンソンスのCDを聴いてその印象が変わりつつある。何が変わったのか?

 CDの売上がオケの団員にも還元されるから彼らもがんばったのかもしれないな。ははは。

・ヤンソンスがRCOに来たいきさつを教えてほしい。
 
 まずはシャイーの後継者を誰にするか、というところから始まった。ヤンソンスは’80年代から客演していたので関係も長かったし、団員の希望も強かった。

・バイエルン放送響とのかけもちについてのエピソードなどがあれば。
 
 バイエルンとのかけもちはやはり本人にとっても大変だったろうと思う、しかしヤンソンスが言ったのだ、「コンセルトヘボウに頼まれてNOとは言えない」とね。ただコンセルトヘボウといっしょにいられるのは、長くても1年のうち半年。実際にレコーディングできる期間は3ヶ月くらいしかない。そういう意味での大変さもあるだろう。

・ヤンソンスの人間的なエピソードがあれば教えてほしい。

 プロムスで「新世界」のものすごい名演をやったとき、楽屋に戻ってきて「これで団員のギャラが少しは上がるだろうか」と言っていた。冗談かもしれないが、いつも団員のことを考えている。
 
・ヤンソンス、ハイティンクのほかに、アーノンクールやガッティ、チョン・ミュン・フンなどの録音が出ることはないか?

  ありえる。彼らのような優秀な指揮者が、最近のメジャー・レーベル録音では伴奏しかやっていなかったりする。だから彼らにとっても我々のような自主製作レーベルは、彼らの本領を発揮できる非常に重要な舞台となるからね。ガッティは出るかもしれないよ。ワグナーのオーケストラ作品集とか。あとは2008年くらいにはアーノンクールのボックスを出すかもしれない。来年の秋に日本公演の予定もあるし。
 そうそう、ヤンソンスはマーラーの6番を出す予定がある。EMIから出そうになったけど、お願いだから自主製作で出させてほしいと頼んだんだ。LSOよりはいい演奏だよ。(LSOに会ってきたばかりなので一同ちょっと沈黙)最終的にマーラーは全集にするつもりだ。とにかくRCOの自主製作には何の制限もない。ヤンソンスがやりたい曲をやって、出したい録音をCDにする。たいへん融通が利く。

・新譜の情報を教えてほしい。

 ヤンソンスのシベリウス2番、ショスタコーヴィチの7番、RCOの就任コンサートだったオネゲルの3番とプーランクのグロリア。
 ハイティンクではブルックナーの7番。
 そしてボックス・セットとしてコンセルトヘボウの歴史第4巻(1970−1980)も出す予定。
 ヤンソンスの今後2年間の公演予定としては、ベートーヴェンの8、9番、ブルックナーの3番、マーラーの1番、ストラヴィンスキーの「春の祭典」と「火の鳥」などが上がっているから、そのあたりの曲がCD化される可能性は十分ある。

 質問ばかりで昼食が食べられない、と冗談を言われて、質問の時間は終了。まあ確かにこっちは10人、向こうは一人だし。

 さて、このあとコンセルトヘボウの見学である。
 ちゃんと専任のガイドがいて、すみずみまで案内してくれるという。これは楽しみ。世界最高の音楽ホールの隅々まで見させてくれるというのだから。しかも今回は特別に普段では見られないところまで見学させてくれるらしい。
 ということでコンセルトヘボウの内部見学、こんな感じでした。

 なんだか楽しそうな青年がガイド役。コメディアンのよう。
 「このコンセルトヘボウができたのは1887年のこと。そしてオープンしたのは翌年1888年です。」
 ホールに入る。昔は建物の外だったところを現代的に改築、増築している。
 「いまちょうどワイルドがリハーサルをしているのでこののぞき窓から見てください。」
 ドアの横に5センチくらいの穴が開いていて、そこを覗くと壇上でピアノを弾いているアール・ワイルドが見える。練習してる。
 ホールから廊下をつたって少し進むと、かつての正面玄関に。よく写真とかで写っている正面入り口は今は正面ではない。
 「ここは昔の正面ホール。道路からバリアフリーで、段差なしでは入れますが、それはお金がなくて段差が作れなかったからです。とにかくできるだけお金を使わないで建てようということで造られました。」
 オランダ人がケチというのは本当らしい。
 「大ホールを見ていただきたいのですが、ワイルドの邪魔にならないよう静かに見てください。」
 と、ドアを開けてくれる。ワイルドが華麗に演奏している。邪魔にならないようすぐにドアを閉める。
 「昔このホールは食事しながら観覧できるカフェ兼コンサート会場でした。しかし初代首席指揮者ケスは、演奏に集中できない、という理由でテーブルを全部撤去させた。当時はまだオルガンもカーテンもなにもなかったのですが、1891年にはそれらも用意され、それによって反響が少なくなり、さらに次のメンゲルベルクの時代にはディナーなんてもってのほか、さらに音楽ホールとして進化充実していきました。試行錯誤の繰り返しだったようですが、音響には細心の注意が払われて現在にいたっています。
 ちなみに今オーケストラはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団と呼ばれていますが、ホールはロイヤルではありません。ロイヤルと呼ばれるには150年の歴史が必要で、オケは150年たったのですが、ホールはロイヤルと呼ばれるまでまだあと数十年待たないといけません。」
 一同は2階へ上がる。
 2階はまるで美術館のように壁に大きな肖像画が並び、有名な作曲家、指揮者、音楽家たちが居並ぶ。
 「それでは次の部屋へ案内します。」
 次はリサイタル・ホール。よくある小ホールである。
 「弦楽四重奏団のリサイタルが多いので、裏の控え室は4部屋あります。本番前には同じ楽団の人の顔を見たくもない、という演奏家がいますのでね。」
 確かに同じ形の部屋が4つある。
 そのリサイタル・ホールの上に、ラジオ・モニター・ルームがある。小さな隙間があって、そこから大ホールのステージが一望できる。まだワイルドが弾いている。
 さらにそのとなりの部屋からはしごで登ると、大ホールの天井裏に。まさに天井裏。最新鋭の設備・・・というわけではなく、こんなので大丈夫なの?というような木造建築。小さな穴がいくつも開いていて、そこから空気を出入りさせるらしい。マイクとかもそこから適宜つるすということ。しかし天井裏がまさかこんな薄っぺらな木の板1枚でできているとは。
 「飛び跳ねないでくださいね、底が抜けますから。」
 ほんとである。
 「それではワイルドの練習が終わったようなので、ステージに降りてみましょう。」
 あらまあ、コンセルトヘボウのステージに上がれるとは。
 コンセルトヘボウのステージには、客席の間の小さな通路を降りて行くことになる。ステージ袖に控え室がないのでそうするよりないのである。だから神宮球場のように、試合が終わったあとの選手や監督に直接罵声を浴びせることも可能である。大相撲のようにペチンと背中を叩くこともできる。誰もしないだろうけど。
 ステージの上は、それこそこれまで何百人という偉大なアーティストが立ってきた聖域。あまりにも輝かしすぎて、自分などがいる場所ではない。一刻も早く立ち去らなければならない衝動を覚えた。
 「さて、それでは控え室にご案内します。実は1986年に大改装したのですが、それまでオケの控え室がなかったのです。で、オケの団員は着替えをする場所がなくて、通路で着替えていました。」
 と、ガイドが指差した壁には、休憩時間にお酒を飲んでいるお客さんのすぐ横でパンツ一丁で着替えている団員たちの写真があった。
 「非常にセクシュアルな写真です。」
 1986年に大改装があり、それによってパート別の控え室や、喫茶室もできたということである。その喫茶室には、その頃から今までの大きなコンサートのポスターが貼られてあり、演奏家のサインも添えられていた。
 「ホロヴィッツの写真だけは誰にいくら積まれても売らないでしょう。」
 そしてガイドはもうひとつのホールへ。天上からは豪華なシャンデリアが。
 「ここは合唱などの小さなコンサートを行なうホールです。最近はレクチャーなどにも使うようになってます。ディナー・ショーにも使えます。」
 「続いて指揮者・独奏者の控え室へ行きましょう。」
 最初に見せてくれたのが、ヤンソンスの控え室。彼にはやはり常時一部屋あてがわれているらしい。そしてさすがにそこには入らせてもらえなかった。しかし小さなデスクが置いてあり、そこに1枚の写真が飾ってあるのが見えた。
 「この写真は、ヤンソンスが昨年日本に行ったときの最終日の打ち上げのときのものです。ヤンソンスはこのときの公演、そして打ち上げがとても楽しかったようで、それからずっとこの写真をここに置いているんです。」
 だそうだ。日本の主催者らしきおじさん4、5人とヤンソンスが嬉しそうに乾杯している写真。ヤンソンスはコンセルトヘボウで指揮をする前に必ずこの写真を見てから出かけているということになる。いい話。誰かあのときの主催者に教えてあげて。
 そのあと客演指揮者や独奏者たちの控え室、それからピアノ置き場などを見て、そして夜に再び来ることを約束してホールを後にした。

 ホールを出たのが4時。コンサートは8時から。遅い。それまで非常に中途半端な時間。となりの美術館も昨日見てしまったし。
 ということでまたまたカフェへ。さすがに疲れてそこでビールとサンドウィッチと、ジンの元祖「ジェネヴァ」を飲んで酔っぱらう。ただ両替をしなくてはいけなくなって、キング・インターナショナルの担当者とふたりで銀行を探しにいく。
 酔っぱらって気が大きくなったせいか、なんだかアムステルダムの喧騒が親しみ深く感じる。昨日昼食を食べたミュ−ジアム広場もとても楽しそうに見える。銀行の担当者もぶっきらぼうなのにいやじゃない。帰りに寄ったCDショップも何にも珍しいものなど置いてないのにいるだけで楽しい。もちろんもう一度カフェに戻って飲み直したら、もう10年前から行きつけだった飲み屋のように居心地がよくなってしまった。
 コンサートまで1時間半。キング・インターナショナルの別働隊と合流。別働隊はハーグに行ってハーグ・レジデンティ管と交渉、あそこの自主製作盤の取引を交渉してきたという。首尾は上々だったらしい。あそこの商品はなかなか手に入らないことで有名。
 で、みんなで腹ごしらえをすることに。さっきまで散々飲んでおいて、まだ食べるか。結構高級なレストランに入ってしまって、さらに満腹に。
 小さなステーキでちょうどいいや、と思って完食したらはっと気づくと同じステーキが皿に載せられてしまった。うへ!断るまで延々と同じステーキが出てくるんだ!ステーキの「わんこそば」と誰かが言っていたが、笑い事ではない。かなり厳しい。しかしそれでもがんばって食べる。とそこへまたステーキを載せられそうになったが、すんでのところで断る。危ない危ない。

 そしていよいよハイティンクの「エロイカ」!この日のコンサートは

  ウェ−ベルン:夏の風の中で − 大管弦楽のための牧歌
  マーラー:リュッケルトの歌  クリスティアーヌ・ストティーン(1977年オランダ生まれのメゾ。スタンディング・オベーションの大人気。CDはほとんどない)
  ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

 さっき散々歩き回ったホールだが、こうしてコンサート客として来るとまた違った感じに見える。
 席は前から2番目。音を聴くならもう少し後ろのほうがいいが、ハイティンクの指揮ぶりが間近に見える。時間があるので少しうろつくことに。
 クロークに荷物を預けにいく。タワーの担当者の人といっしょにクロークに行って、先に店主が預け終わって番号札をもらい、タワーの彼が終わるのを待つ。しかしいつまで経っても受付の人が彼に番号札を渡してくれない。「彼の番号札は?」と聞くと、「あんたの連れでしょ?だから同じ番号札よ」と言われた。
 さすがオランダ。こういうところもケチだ。そういえばのみの市でお土産を買ったときも、別のところで買ったお土産の袋に入れられた。徹底した質素倹約。国一番のホールの天上板が薄いのもわかる。考えてみれば回りを超大国に囲まれ、まるで幽閉されるように狭い領土に押し込められ、隣国に攻め込めない代わりに海を干拓し領土を広げたという涙ぐましい努力を続けてきた国である。そしてだからこそアジアに積極的に進出した。また多くの人を国に迎えるために娼婦もマリファナも認可し、さまざまな人種を受け容れた。オランダの国は外からは見えないさまざまな努力を続けてきたのだ。
 そんな質素ではあるが何でも受け容れる国家的素養が、この国の最大の特徴だろう。だからたった2回しか行っていない広場がなんとも親しみ深く感じるし、1時間しかいないカフェが行きつけのように感じるし、なによりまだ街に3日しかいないのにもう1年近くいるような気になる。
 不思議な街である。こんなところはヨーロッパではなかった。

 さて、コンサートが始まる前に、HMVの担当者の人が珍しいものを売店で発見。「コンセルトヘボウにゆかりのある指揮者たちによるマタイ受難曲」というCD付き書籍。CDの中身を見ると今まで聴いたことのないものも入っている。さっそく買占めに出動。
 「あと1冊しかない」、と売店のおばさんが言う。うー。仕方がない。その1冊はキング・インターナショナルの担当者に譲った。自主製作盤といっしょにまた仕入れられるかもしれないし。
 そしていよいよコンサート。

 ああ!これがコンセルトヘボウ・トーンか!
 まさに感動。ふわっとやわらかく、深いコクのある味わい。ベルギー・ビールかコンセルトヘボウ・トーンか。どっちかを選べといわれたらどうすればいいのだろう。
 もちろんこれは100年かかって培ったオーケストラの長い伝統が生み出す音なのだろう。しかしやはりこのホールだからこそ聴ける音色であるような気がする。少なくとも日本のホールで聴ける音ではない。
 このホール、たくさんの狂人のような音楽家が、異常な執念で念入りに念入りに調整を重ねてきたのだと思う。しかしこれはこの特異な建造物が生み出した奇跡的な音ではないか。まるで楽器なのである。ホールが。たとえば、ステージの後ろの、団員の邪魔になりそうなくらい接近したオルガン。たとえば板一枚の天井。たとえば普通のホールよりいやに高いステージ、それによって生まれる床下の空間。たとえば地盤沈下が懸念される柔らかい土壌(地下には18メートルの支柱が埋まっている)。・・・そうした計算されたり、されなかったりした事柄が複雑にそして微妙に交じり合って、この、世にも妙なる響きが生まれたような気がする。間違っても、ここは精密なコンピュータで完璧に仕組まれた音響建造物ではない。
 高純度のコンサートのあと、披露困憊。ホテルに直行して寝る。
 みんなと過ごす最後の夜だと知っていたが、からだがついてこなかった。

 そして最終日。
 この日もフリーだった。体力がなければ、近場でのんびりしようと思っていたが、キング・インターナショナルの社長さんがハーグに連れて行ってくれるというので、ついていくことに。ハーグに行く列車の車窓からは風車も見えるらしい!まったく少女趣味だが、どうしても風車が見たかった・・・。
 そしてハーグといえばハーグ・レジデンティ管弦楽団。スヴェトラーノフが最晩年何度も指揮した由緒正しいオケである。そこの自主制作盤はなかなか取れないけれど、あのオーケストラを生んだ街がどういうところなのか知りたい。
 特急電車で1時間。ハーグに着く。幸い、列車からいくつか風車小屋が見えた。
 ハーグの街は、アムステルダムとは明らかに違う、整然としていて清潔で、明らかに文化的な街だった。第一自転車も自動車も、歩行者を優先する!
 街の中心部には古い教会、公園、そして美術館が集まっていて、この街の文化水準の高さを厳かに証明している。
 残念ながらハーグの美術館には珍しいCDなどはなかったが、フェルメールやレンブラント、そしてエッシャーの不思議な世界はとても印象的だった。

 さあ、そんな美しく素敵な街ハーグとも、あっという間にお別れ。アムステルダムのホテルに戻ってチェックアウトしなければ。いよいよこのたびも終わりの時間が近づいてきた。
 ちょうど東京に台風がきているということで出発が遅れたが、飛行機は名残を惜しむ店主の気持ちを乗せてついにヨーロッパを立った。


 これまでヨーロッパの人気都市には何回か足を運んでいたが、今回ベルギーとオランダという初めての2つの国に行けたのはとても意義深かった。クラシック関係のさまざまな具体的な情報や珍しいCDも貴重な収穫だが、そうした異国の文化をいろいろな形で直接肌で感じられたことが一番の収穫だったような気がする。

 この旅を主催してくださったキング・インターナショナルさんには心から感謝します。自分で行こうと思ってもこんな企画は絶対にできないから。店主はのほほんとついて行くだけだったけれど、いろいろ大変だったと思います。ご苦労さまでした。ほんとにほんとにありがとうございました。
 そしていっしょだった各ショップのみなさん、楽しい想い出をいっしょに作ってくれてありがとう!ほんとに楽しかったです!

 さあ、この体験や感謝の気持ちを、これからのアリアCDに生かしていけるようにがんばらないと。
 なんだかクラシックと関係のない話しばっかりになったような気もしますが、最後までお付き合いいただいてありがとうございました!




アリアCD 対談

ドニャ
ラスコル
ミヒン
ラスコル
ドニャ
ラスコル
ドニャ
ラスコル
よかったですね、ヨーロッパに行けて。
それは嫌味じゃないよね。
でもコンセルトヘボウのあんな見学はなかなかできないですよね。            
それはやっぱりキング・インターナショナルの力だなあ。
今回の旅行で何が一番印象的だったですか?
なんだろう・・・。同行してくれたみんなのことかな。
これこれ。
だってほんとだもん。やっぱり人が一番面白い。