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第62号
お奨め国内盤新譜(1)


2012.3.2〜5.2の紹介新譜


AEON


MAECD1217
(国内盤)
\2940
アルディッティ四重奏団
 ハリスン・バートウィッスル(1934〜)

  1)弦楽四重奏曲「弦の木」(2007)
  2)弦楽四重奏のための九つの楽章(1991〜96)
アルディッティ四重奏団
アーヴィン・アルディッティ、
アショット・サルキシヤン (ヴァイオリン)
ラルフ・エーラーズ (ヴィオラ)
ルーカス・フェルズ (チェロ)
 アルディッティ四重奏団、2年ぶり待望の新譜はなんと「お国もの」、しかも音盤少なき重要作曲家バートウィッスル。満を持して弦楽器に向きあいはじめた大家後年の2傑作、存命中の作曲家としてはもはや重鎮クラスの充実した抒情性を、じっくりと。

 アルディッティ四重奏団——言わずと知れた現代最高の現代音楽グループのひとつ。その最新新譜が、よい音楽なら古楽から現代ものまで分け隔てなくとりあげるaeon レーベルから登場いたします。しかも嬉しいことに、ごらんのとおり演目はハリスン・バートウィッスル。英国楽壇で1960 年代くらいから活躍していながら、おもいのほか音盤のかたちで録音されている楽曲が少なく(初期のクセナキス、あるいは近年でもジェラール・グリゼーやトリスタン・ミュライユなど、存命中の重要作曲家にはそういう人が意外と多いですよね)、もはや英国楽壇の重鎮といってもよいくらいなのに、世界的には同年生まれのマクスウェル・デイヴィスや10 歳年下のマイクル・ナイマン、あるいはロイド=ウェッバー、オリヴァー・ナッセンといった1950 年前後の世代の大家たちのほうが有名なくらい。
 すでに齢80 を目前にしながらなお現役で、1995 年にドイツでジーメンス音楽賞を授けられたあたりからようやく国際的にも存在感を強めていったバートウィッスルは、それまでの20 世紀前衛音楽シーンで試みられてきたさまざまな新作法を横目に、時にはそれらを程よく取り入れながら、エリザベス朝時代の音楽、パーセル、ヴォーン・ウィリアムズやエルガーら近代の大家たち...といった古い時代の英国音楽との連続性を感じさせる独特の抒情性、そこに響いている楽音の確かさといったものを決してなおざりにしない、ユニークな作風構築を続けてきました。
 意図的にか、そうでないのか、彼はつい近年まで弓奏弦楽器をあえて使わない作品を非常に多く書いてきたのですが(顕著な例は1965 年の出世作『トラゲディア』。管楽器と打楽器のほか、弦楽器は唯一ハープだけ)、1990 年代以降ようやくこの種の楽器による音響表現と真正面から向き合いはじめ、今日にいたるまで2作の弦楽四重奏作品を完成させています。
 英国随一の、いや世界随一の現代音楽集団アルディッティSQ は、そうしたバートウィッスルの作風をきわめてわかりやすい解釈で、あざやかに再現してみせてくれます。
 現代音楽的な難渋さよりも、複雑精緻に織り上げられたポスト・バルトーク世代の音楽、といったほうが適切なような、クラシックを聴ける耳があれば誰も拒まない、そんな懐の深い響きを作れるのはやはり、バートウィッスルだからなのでしょうね。
 現代音楽ユーザーもさることながら、日本市場には意外と「時代を問わず(つまり現代でも)英国の音楽は必ずチェックする」という独特のファンがいらっしゃいますから、バートウィッスル待望の新譜もまた注目されることでしょう。触感確かな音楽は、スムースな現代音楽への入門にも適切。
 詳細解説はもちろん全訳付、Digipack のジャケットは今回も美麗そのもの。くれぐれも、お見逃しなく。

ALPHA


JS Bach: Earthly and Divine
Alpha889
(200pカラー書籍+日本語訳冊子+6CD)
\10500
『バッハを愉しむとき』
 〜200pカラー書籍+完全日本語訳+アンソロジーCD6枚組〜

●書籍『バッハを愉しむとき』
 仏・英・独3ヵ国語版(原題:Johann Sebastian Bach - La Chair et L’Esprit
 「J.S.バッハ 俗と聖と」)
  著:ジル・カンタグレル、パブロ・バレッティ、
  セリーヌ・フリッシュ、バンジャマン・
  アラール、フランソワ・ラザレヴィチ 他
●上記書籍の完全日本語訳冊子(平綴製本)
●アンソロジーCD6枚
カフェ・ツィマーマン、
アンサンブル・ピグマリオン、
エレーヌ・シュミット、
パブロ・バレッティ、
リュシル・ブーランジェ、
ブリュノ・コクセ、
ベルナール・フォクルール、
バンジャマン・アラール、
リチェルカール・コンソート、
グスタフ・レオンハルト 他
 CD屋をやっている以上、紹介させていただくアイテムは当然全て「お客様」のもの。そしてひととおり紹介をさせていただいた後に、ようやく「さて自分はどれがほしいかな」と考えるわけである。が、ときおり、メーカーからの案内を見た瞬間に「ほしい!絶対ほしい!」と思うアイテムがある。鼻がピクピクするのである。で、長年の経験からか、そういうアイテムは数年後にとんでもない価値を生み出すことが多い。いや、まず100%である。そうなることが仕事柄わかるから「どうしてもほしい!」と瞬時に思ってしまうのである。
 今回久々にそういうアイテムに出合った。


 古楽レーベルとして発足して12年。フランス語圏最先端のプロフェッショナルたちとともにバッハの素晴らしさを「いま」に発信しつづけてきたAlphaが贈る、1冊まるごとバッハの本+6CD。
 美麗貴重図版満載、もちろん完全訳付。
 フランスが最もダイナミックに古楽先進国へとシフトしつつあった1990年代の末に発足、演奏家はもちろんジャケットの選択から演目の選択、使用楽器へのこだわり、スタイリッシュな演奏内容、そして充実の解説書...と、CD アルバムというものをありとあらゆる角度から吟味しつくし、ほんとうにかけがえのないアルバム作りを続けてきたAlpha レーベル。この最高のこだわりレーベルが、昨年末に全200 ページからなるカラー写真満載の「バッハの本」を制作した。
 仏英独3ヵ国語で書かれたその内容は、書籍として読んで面白く、かつ新発見情報もさりげなく盛り込んだ、あまりに快楽的な内容。
 この本から得られる悦びをぜひ日本でもじっくり伝えてゆこうと、完全翻訳版を制作、6CD つきの原著は原著としていっさい手をつけず、日本語訳冊子を原著に添えるかたちで日本発売をすることが決定。
 6枚のCD はこれまでのAlphaでの名録音から、書籍内容にも合致したバランスよいプログラム構成を体現。このあたりにもAlpha ならではのセンスが光る、それぞれCD アルバムとしても愉しめる内容。さらに一部にZig-Zag Territoires やRamee、Ricercar などのレーベルから音源を借用し、より豊かな内容になっている。



日本語版の冒頭部分
 五感というものは、すべて、何かしらの快楽を享受できるようになっている。——ルネ・デカルト『音楽提要』(1618)

 私たちはいま、音楽を愛する皆様に、この本に綴られている文章と、付録CD に録音されている音楽と、掲載されている図版とのあいだを自由に行き来していただきながら、ヨハン・ゼバスティアン・バッハを“快楽”として体感する愉しみをご提案したいと思っております。
 これは、バッハについて勉強していただくための本ではありません。
 音楽を愛する方々に、ひとりの人間としてのバッハと、音楽家としてのバッハと、新鮮な気持ちで新たに接してみるのもわるくないのではないか——そう申し上げてみたかったのです。
 ひょっとすると私たちは、今でも世に広まったままになっている「バッハはいかめしい巨匠」というロマン派まがいの人物像を、いったん打ち崩したくて仕方がなかっただけなのかもしれませんが。
 6枚のCDには、さまざまな楽器を使った色々な演奏が集められています。それらを通じて、バッハの真実をまるで写真のように克明に解き明かそうというつもりも、またバッハの音楽はこう解釈されるべきだ!といった理想のようなものを高らかに掲げたいなどという思いも、ありません。
 そう——時にはひとつの同じ作品を、まったく異なる解釈で演奏したトラックがいくつかあったりするほどですから。
 このCD 書籍ができるまで、さまざまな音楽学者の方々、音楽家の方々、そしてそのどちらでもない方々が、それぞれに意見を出しあい、能力を惜しまず、一丸となって制作にあたっていただいたことにこの場をお借りして、謹んで御礼申し上げたく存じます。
表紙に掲げられたド・ヘームの静物画のように、ここに集められた音楽は、ひたすら愉悦あふれる晴れやかな気持ちへと私たちを誘いつづけています。
願わくは、皆様がひとりひとりが、ひたすらに悦びを享受していただけますよう——感覚を愉しませ、心をふるわせてやまないヨハン・ゼバスティアン・バッハの、天賦の才能から...!

 ジュリアン・デュボワ Alpha レーベル代表
     

ARS MUSICI



AMCD232-364
(国内盤・訳詞付)
\2940
マーラー(1860〜1911):
 1. 七つの最後の歌
  〜『リュッケルト歌曲集』初版(1910)
 2.歌曲集『“少年の魔法の角笛”より』
  (作曲者ピアノ版にもとづく校訂版)
トーマス・バウアー(バリトン)
ウタ・ヒールシャー(ピアノ)
 記念年で盛り上がった知識欲をさらに深めてくれるのが、音楽学をふまえ周到・良心的なアルバム制作を続けてきたレーベルArs Musici。
 ばっちり訳詞付でお届けするのはインマゼールやヘレヴェッヘらの共演者として知られるドイツ屈指の才人歌手、バウアー!
 このところ日本でも歌う機会を得て、そのまたとない存在感を発揮しつづけている現代ドイツ屈指の名歌手、トーマス・バウアー...近年ではインマゼールが古楽器集団アニマ・エテルナとのベートーヴェン交響曲全集録音(ZZT080402・輸入盤仕様)で「第九」のソリストとして招き、さらにその後は『冬の旅』(ZZT101102・訳詩&日本語解説付)でも共演、『レコード芸術』特選に輝いたのが記憶に新しいところ。そのほかにもヘレヴェッヘのバッハ録音で独唱をつとめていたり、近年は知る人ぞ知る古楽声楽界の大御所フリーダー・ベルニウスの録音にもクレジットされていたり...と、故郷ドイツに限られない、ヨーロッパ全体を見据えた古楽シーンでの大活躍がめだちますが、嬉しいことに来る4月、大友直人指揮東京交響楽団の公演に『子供の魔法の角笛』(公演名では「子供の不思議な角笛」)の独唱者として来日してくれるとのこと。
 その盛り上がりを期しつつ、輸入盤では出ていたこのアルバムが完全訳詩付・解説日本語訳付にて発売決定!
 というのもこのアルバムは、そうするだけの価値が充分以上にあるのです。なにしろ、収録作品はきわめて話題の多い『子供の魔法の角笛』。マーラー自身がピアノ版を作成していながら、20 世紀の末まではオーケストラ版から再構成された別人によるピアノ版の楽譜だけが正規流通していました。また『七つの最後の歌』は『リュッケルト歌曲集』の初版で、リュッケルト作詩でないこともあって後年は『角笛』の方に編入された「死んだ少年鼓手」および「少年鼓手」を含む、連作としての性質が微妙に異なる異版。こちらもマーラー自身のピアノ伴奏版が残っています。バウアーは古楽にも精通した歌手として、それらの楽譜を作曲者本人の自筆譜などとも周到に比較検討。さらに長年タッグを組んで密なリサイタル活動を続けてきたピアニストのヒールシャーも、歌曲をよく知る演奏家の、またピアニストとしての立場から、これらの楽譜に対しては一家言ある人。嬉しいことに、本盤には彼ら二人の深い作品理解をわかりやすく解き明かしてくれる、長大なインタビューが解説書に添えられているのです。

CARO MITIS



CM001-2010
(国内盤)
(SACD Hybrid)
\3360
ボッケリーニ 交響曲、協奏曲、八重奏曲
 〜1780年代、後期のさまざまな作品から〜
ルイージ・ボッケリーニ(1743〜1805):
 1) さまざまな楽器を伴う協奏交響曲 ニ長調Op.37-2/G.516(世界初録音)
 2) ノットゥルノ(八重奏曲)ト長調 Op.38-4/G.470
  〜オーボエ、ホルン、ファゴット、2挺のヴァイオリン、ヴィオラ、2面のチェロのための
 3) チェロ協奏曲 第10番 ニ長調 G.483
 4) 交響曲 ハ短調 Op.41/G.519
パヴェル・セルビン(バロック・チェロ&音楽監督)
プラトゥム・インテグルム・オーケストラ(古楽器使用)
 1780年代。モーツァルトやハイドンが大活躍していた頃、この大家も実は色々やっていました。
 「チェロの名手で室内楽作曲家」というのは、あくまで一面。ヨーロッパ各地の君主たち・音楽通たちをうならせた管弦楽曲・大規模合奏曲の数々を、俊才集団の充実解釈でどうぞ!

 イージーリスニング的クラシック入門盤によく入っている「ボッケリーニのメヌエット」の作者、実はハイドンと並び称されるほどの古典派室内楽の大家であり、自らチェロの名手としてソリスト級の名演奏をくりひろげる重要な音楽家でした。
 スリリングなチェロ協奏曲の数々(グリュッツマッハーが加筆したロマンティック・ヴァージョンも、原作どおりの古典派サウンドも、どちらにも魅力あり!)や、1曲ごとに精巧な作曲センスが光る弦楽四重奏曲・五重奏曲の数々...しかしボッケリーニという作曲家は、生前はオーケストラのための作品もかなりたくさん作曲した人でした。
 作曲家といえば貴族のお抱え、各地の宮廷に仕えて給与をもらうほかはオペラで一山あてるか、たまに楽譜出版で一儲けするか、そうやって生きてきた時代ですから、自分自身のために曲を書くなどというのはめったにないことで(インクだって五線紙だって、それなりにコストがかかったわけですし)、ボッケリーニが数多くの管弦楽曲を残し、それらが次々と楽譜出版されていったということは、然るべき需要があったことの証左にほかなりません。
 そんなボッケリーニの名声が絶頂期にあったのが1780 年代、ウィーン古典派流儀の交響曲がパリやロンドンでも大人気だった時代のこと。しかしこの時期のボッケリーニ管弦楽作品はなぜか録音が少なく、いまだに「20 世紀末の名演」が最新録音の曲も少なくありません。ましてや古楽器録音となると・・・。
 そんな渇をうるおして余りある録音が、今や俊才古楽奏者を続々輩出しているロシアの大御所古楽バンドによって制作されたのです!
 ボッケリーニ愛好家が「定番」と思うようなありきたりの曲目は皆無。世界初録音の協奏交響曲はオーボエ、ファゴット、ホルンなどさまざまなソロ楽器の美音も聴きどころ、駄作がめったにないハ短調という調性による交響曲の充実度も、チェロ協奏曲でのソロの闊達さも、そして極めて珍しい「ベートーヴェン以前の」八重奏曲のめくるめく面白さ。
 古楽器の音色をきれいにすくいとる的確なDSD 録音で、エッジの効いた古典派サウンドを愉しめる充実録音です!

CONCERTO



CNT2065
(国内盤・2枚組)
\4515
シューマン:ピアノ三重奏のための作品全集
 1. ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 op.63
 2. ピアノ三重奏曲 第2番 ヘ長調 op.80
 3. ピアノ三重奏曲 第3番 ト短調 op.110
 4. ピアノ三重奏のための幻想小曲集op.88
 5. カノン形式の六つの小品 op.56
  〜ヴァイオリン、チェロ、ピアノによる三重奏版
   (編曲:テオドール・キルヒナー 1823〜90)
トリオ・ディ・パルマ
イヴァン・ラバーリア(vn)
エンリーコ・ブロンツィ(vc)
アルベルト・ミオディーニ(p)
 イタリア、隠れた室内楽の穴場——この国の演奏家で室内楽にこだわっている人は、いつもやっぱりすばらしい!来日公演などでも活躍をみせる知性派チェリストのブロンツィら抜群の歌心に甘んじない精緻なアンサンブルは、やはり極上。聴き込みたいシューマン!

 イタリアといえば何をおいてもまず「歌」、これはもう抗いようのない事実ではあると思います。けれどもその一方で、この国の演奏家には、ものすごく熱心に室内楽に取り組みつづけている人も結構少なくありません(しかも、ソリスト級のスーパースター含め)。イタリア四重奏団、サルヴァトーレ・アッカルド、ブルーノ・カニーノ、トリオ・ディ・トリエステ。トリオ・ディ・トリエステにいたっては、故郷トリエステに室内楽の音楽学校を作ってしまったくらいですし、そういえばヴィットリオ・グイ室内楽コンクールもイタリアです。ここで結論として浮かび上がってくるのは「イタリア人でわざわざ室内楽にこだわっている人には、とびきりの室内楽名手が続々!」ということではないでしょうか。
 その法則をひしひしと感じたのが、ミラノに本拠を置くConcerto レーベルからのこの新譜——パルミジャーノチーズと生ハムで知られる・・・いや、スタンダールの『パルムの僧院』の舞台にもなった北イタリアの古都パルマを中心に、それぞれがソリストとしても広範な活躍を続けている3 人のイタリア人奏者たち。彼らは、これまでConcerto でニーノ・ロータの作品集やイタリア近代のブラームスともいうべき名匠ピッツェッティの室内楽作品集などを録音してきており、それぞれに秀逸な仕上がりを誇っているわけですが、ここへきて王道の作曲家に真正面から取り組んでくれたおかげで、彼らのポテンシャルのあり方がくっきり浮かび上がったと言えそうです。
 そう、彼らは飛び抜けたイタリア人室内楽プレイヤーの例にもれず、アンサンブルの精度にものすごく敏感。3人の呼吸の合い方は尋常ではありません。そして「歌いどころ」を見定めるそのセンス——イタリア人奏者だてらにのべつまくなし歌心を垂れ流したりとは全く無縁、全般に非常にきちょうめんといってもよいくらいの仔細さで弾き進め(そのうえ、1音たりとも無駄を感じさせない潔さ!)、歌い込むべきでないところは精緻さを前面に出して、消去法的に「ほんとうに歌うべきところ」をあぶり出し、ここぞというところでイタリア的な歌心が発揮されるときの、たとえようもない情感美...!そんな芸風で、華やかな「ロマン主義の光」から欝滅とした「ロマン主義の闇」まで変幻自在のシューマン作品を弾かれてしまったら、もう引き込まれずにはおれないわけです。
 作曲家の死後、妻クララと深い仲になったという俊才作曲家キルヒナーの絶妙編曲もあわせ、隅々までじっくり愉しめる充実の2 枚組です!

COO RECORDS


COO-027
(国内盤)
\2940
『カミーノ(道)』 オーボエ、クラリネット、ファゴットによる作品集
 〜バロック、古典派、近代...
 ヨハン・アドルフ・ハッセ(1699〜1783):
  ①コンチェルト ヘ長調〜
   シャリュモー、オーボエ、ファゴットと通奏低音 * のための
 モーツァルト(1756〜1791):
  ②ディヴェルティメント 変ホ長調 KV439b-1
 イベール(1890〜1962):③木管三重奏のための五つの小品
 ヒンデミット(1895〜1963):④八つのさまざまな小品
 チョウ・インスン(?仁善 1953〜):
  ⑤『...カミーノ...』〜オーボエ、クラリネットとファゴットのための(世界初録音)
   ***アンドレアス・キュッパース(org)
   **張景麗(perc)
トリオダンシュ シュアーヴ
李承恩(ob)
横田瑶子(cl)
池田愛(fg)
 トリオ・ダンシュ——フランス近代の新発明かに見えたオーボエ、クラリネット、ファゴットからなるこの室内楽編成は、実は後期バロックまで遡れる、可能性に満ちた演奏スタイル。古楽器奏者でもある横田揺子ら、ドイツ最前線からの名手3人が聴かせる意外な傑作選。

 フランス語で「舌」、つまり管楽器のリードのことをanche(アンシュ)といいます。トリオ・ダンシュはtriod’anche、つまりリード楽器だけで構成された三重奏編成のこと——木管五重奏からリード楽器ではないフルートとホルンを除いたトリオというわけで、この編成は木管楽器のためのレパートリー拡充に意欲を燃やしていた“管楽器の王国”ことフランスの近代作曲家たちによって、少しずつ盛り上がっていったジャンル。
 とはいえ、なにしろ楽器自体は18 世紀からクラシック作曲家たちによって使い慣らされてきたものばかり、モーツァルトの交響曲やピアノ協奏曲などでも顔を合わせる3楽器なのですから、古い音楽とも相性が悪かろうはずはないわけです。
 そうしたわけで、古楽奏法にも親しみながらドイツのシーン最前線で揉まれ続けてきた3人の俊才管楽器奏者たちによるトリオダンシュ シュアーヴもまた、この編成で演奏できる古い時代のレパートリーを探索してみたところ、ありました!バッハに宮廷楽長の称号を授けてくれた、ヨーロッパ随一の宮廷楽団を擁するザクセン選帝侯に誰よりも重用されていた天才作曲家ハッセが、クラリネットの前身ともいえるシャリュモーをオーボエとともに使い、オブリガート(参加必須)のファゴット・パートを添えた室内協奏曲の手稿譜が現存しており、これこそトリオ・ダンシュのための最古の作例とみなしうる作品だったのです!
 俊才奏者3人は絶妙の様式感でこの幻の名品を吹きこなし、緩急たおやかなアンサンブルの妙を生かしてモーツァルトの三重奏ディヴェルティメントにも向かい(中低音クラリネット(バセットホルン)三重奏のための曲ですが、楽器が変わることによってメロディラインの交錯もわかりやすくなり、聴き応えが増しさえする感じ)、王道ともいえるフランスものをへて、この種の管楽器による小編成室内楽と相性のよいヒンデミットの名品群へ。そのネオ・バロック的な面白さをへて、最後はこのアンサンブルのために書かれた現代作品も収録、過去と未来の両面にわたってトリオ・ダンシュ編成の可能性をつよく印象づける、バランスのよいアルバム構成で作られたのが、この『カミーノ(道)』と題された新譜なのです。
 「道」という表題は最後の現代作品の表題でもあり、それは中世以来キリスト教徒たちが遠路はるばる徒歩旅行で詣でたという、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステラ大聖堂への巡礼にちなんでいるとのことですが、奇しくもトリオ・ダンシュという編成が歩んできた「道」をも象徴的にあらわすものとなっているようで。個々の楽器の響きとアンサンブルの妙が生きる、味わい深いアルバムです。

FUGA LIBERA



MFUG592
(国内盤・2枚組)
\4515
ラヴェル:ピアノ独奏のための作品全集
 ①夜のガスパール ②グロテスクなセレナーデ
 ③逝ける王女のためのパヴァーヌ ④水の戯れ
 ⑤ 前奏曲 ⑥ 鏡 ⑦ クープランの墓
 ⑧HAYDN の名によるメヌエット ⑨ソナチネ
 ⑩シャブリエ風に/ボロディン風に
 ⑪高雅にして感傷的なワルツ ⑫古風なメヌエット
アリス・アデール(ピアノ)
 フランス近代、それは大御所アデール自家薬籠中のジャンル。
 ドビュッシー録音から20年、満を持してのラヴェル全集は、ベルギー随一の気鋭レーベルFuga Liberaから。

 ユニークな解釈で知られるアデール独自の真骨頂は、2枚のディスクにどう息づくのか?
 アリス・アデールのラヴェル。
 そう聞いた瞬間、そわそわせずにおれないフランス音楽ファンがどれほどいることでしょう? まだメジャーレーベル各社が新録音を続々出していた時代、彼女がフランスのErato(現Warner 傘下)に録音したドビュッシーの『映像』と『版画』からなるアルバムは、自国の音楽の録音には何かと点の辛いフランスの批評各誌を騒然とさせ、次々と最高点を与えられたものでした(『Diapason』が金賞(ディアパゾン・ドール)を授けたのはもちろん、当時まだ大手日刊新聞社ル・モンドから出ていた『Le Monde de la Musique』は「CHOC(ショック!)」賞を、『Repertoire』誌が10点満点をもってこのアルバムを迎えています)。
 その後2枚別々にリリースされた『前奏曲集』のアルバムもまったく同様の高評価続出、さらにFuga Libera レーベルに移ってからリリースされたフランク作品集(MFUG509)と最新作であるスカルラッティ作品集(MFUG574)は『レコード芸術』で準特選、同レーベルの他2作(ムソルグスキーMFUG566・フーガの技法MFUG544)は『レコード芸術』特選...と日本での評価も絶大。つまりアリス・アデールの充実した活動歴は、音盤シーンにもそのまま幸福な反映をみせてきたわけです。
 1967 年にロン・ティボー国際コンクールで華々しく入賞、数年前にやはり(全集ではないけれど2枚組の)ラヴェル作品集を録音したジョルジュ・プルーデルマッハーと同じく、ラヴェルとも知遇の深かった大家ジャック・フェヴリエの門下で育ち、その後は現代フランス屈指の大家エルサンや俊才ニューヌといった現代作曲家たちからも絶大な信頼を寄せられながら、アデールはいつしか同国最高の知性派ピアニストのひとりになっていました。
 日本では同世代のアンヌ・ケフェレックやベロフ、ロジェ、コラール...といった面々がメジャーレーベルとの連携で技量に見合った確かな評価を獲得していますが、アデールは早くから小規模レーベルでの録音を好んだため知名度がやや低いだけのこと、彼らにまったく引けを取らない、いや、そのユニークな解釈姿勢(独特のピアニスティックなスカルラッティ、とてつもなく遅い『展覧会の絵』や『フーガの技法』などを聴けば、その個性にすぐ気づかされることでしょう)はある意味、他の追従を許さない深淵と洗練とを体現していると言っても過言ではありません。
 そんなアデール、特にフランス近現代を得意としてきたアデール、ドビュッシー録音であれほどの実績をあげたアデールがいま、ラヴェルの「全集」をついに録音したのですから、これはもう間違いなく、フランス音楽録音史に残る事件といってよいでしょう。


旧譜
アリス・アデール、衝撃と感動のムソルグスキー
Mussorgsky - Piano Works
MFUG566
(2CD)
(国内盤)\4515
ムソルグスキー:『展覧会の絵』、およびその他のピアノ作品集
ムソルグスキー:
 ①涙ひとすじ
 ②情熱的な即興曲(ベルトフとリューバの追憶)
 ③夢想
 ④『ソロチンスクの定期市』より
  定期市の情景/ホパーク
 ⑤村にて
 ⑥クリミアにて(奇想曲(バイダリ)/グズフ)
 ⑦幼年時代の追憶
 ⑧幼年時代の二つの追憶(乳母とわたし/最初の罰)
 ⑨酔狂な女 ⑩お針子の女(小さなスケルツォ)
 ⑪スケルツォ 嬰ハ短調 ⑫古典様式による間奏曲
 ⑬子供の遊び——陣取り
 ⑭禿山の一夜
 (リムスキー=コルサコフ版にもとづく
  コンスタンティン・チェルノフによるピアノ独奏版)
 ⑮瞑想(アルバムの一葉)
 ⑯組曲『展覧会の絵』
アリス・アデール(ピアノ)
FUG566
(2CD)
(輸入盤)\3600
日本語解説なし
 いつか紹介しなければと思いながら時が経ってしまった。ムソルグスキーのピアノ曲がこんなにも美しく劇的だったとは。しかしそれも今から思えばピアノのアデールの存在があったからか。このアルバム、買いです。

 アデールは本盤を、健康を害して早世した作曲家が晩年の失意と絶望のうちに残した「涙ひとすじ」で始め、そこから回想をたどるように初期作品へと戻り、「禿山の一夜」のおどろおどろしくも意外をきわめるピアノ版(!)で驚かせたあと、最後に圧巻の「展覧会の絵」で締めくくる——最後まで徹頭徹尾、一音一音確かめるように弾き連ねてゆくユニークなピアニズムが、酒浸りの断片的な意識のなか、強烈なインスピレーションの閃きをみせたムソルグスキーの感性をありありと描き出すかのよう、どんどん引きずり込まれます!解説も充実の内容(国内盤のみ日本語訳付)、この大家を知るうえで外せない注目盤です!

FUGA LIBERA



MFUG589
(国内盤)
\2940
ボフスラフ・マルティヌー(1890〜1959):
 1. ヴァイオリン協奏曲第2番 H.293
 2. 交響曲 第1番 H.289
ロレンツォ・ガット(ヴァイオリン)
ヴァルター・ヴェラー指揮
ベルギー国立管弦楽団
 あまりに一面的に見過ごされたままの巨匠マルティヌー。鮮烈な解釈は、ベルギー発!
 アメリカは当時、真の意味で「新世界」だった。ヨーロッパのあらゆる国から人々が渡ってきた1940年代、マルティヌーの作風はさらなる充実へ。ウィーン・フィル出身の巨匠、絶妙のタクト。

 マルティヌー!
 このとてつもない多作な大家が妙に見過ごされているのは、同世代・同時代にとんでもない注目株があまりに多かったせいでしょうか、それともこの評価の低さは、祖国チェコの共産圏時代がもたらした不幸のひとつなのでしょうか...
 フランス五人組やプロコフィエフと同じ頃に生まれ、ストラヴィンスキーやバルトークやシェーンベルクが最前衛で華々しく活躍し、まだリヒャルト・シュトラウスも現役で名作オペラを続々世に送り出していた1920〜30 年代のパリ楽壇で頭角をあらわしたこのチェコ人作曲家は、おそらくヒンデミットやプフィッツナーやイベールやタンスマンといった同世代人たちのように、無意味に知名度を霞まされてしまった不遇な芸術家だったと言えます。
 そんな中、2004 年のレーベル発足以来丁寧な企画制作を続けているベルギーのFuga Libera レーベルでは、ウィーン・フィルの伝説的コンサートマスターとして知られたヴァルター・ヴェラーを音楽監督に擁するベルギー国立管弦楽団のパートナーシップを得て、この作曲家の音楽世界をたびたび丁寧に録音、その深い音楽世界へと誘い込んでくれています。
 チェコの関係者ではない、外国の人々がこれほどマルティヌーに入れ込んでいる、という点に注目。そう、この作曲家は第一次大戦後にパリに出てきて以来、チェコではなくフランスやアメリカやスイスを活動拠点にしてきた人物だったわけで、その作風は否みがたい祖国チェコとのつながりにも彩られていながら、同時に決してチェコだけに限定されないユニヴァーサルな魅力を宿しているのです。
 今回の新譜もまた、そのことをありありと示してやみません。.ドイツのファシズムの影響がフランスに及びはじめ、九死に一生を得る脱出劇をへてマルティヌーがアメリカへと渡った後、ニューヨークで作曲されたヴァイオリン協奏曲と交響曲第1 番は、聴き手との共感よりも芸術的新境地をめざした前衛芸術を横目に、ヨーロッパ仕込みのシンフォニックな芸術作法に憧れを抱く人たちが支えていたアメリカの新作交響楽シーンに鮮やかな花を添えた2傑作!
 ヴァイオリン協奏曲では、さきにベルギー19 世紀の国民的巨匠ヴュータンのヴァイオリン協奏曲全集(MFUG575)でも大活躍した同国屈指の俊才ロレンツォ・ガットが、ほれぼれするほど冴えわたる弓さばきで作品美をいやおうなしに引き立ててやみません。両曲とも新録音が滅多にないところ、この協奏曲録音だけでも聴く価値あります。

GRAMOLA



GRML98886
(国内盤・2枚組)
\3885
ハイドン:ヴァイオリンとピアノのためのソナタ(全8曲)
ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809):
 《CD-I》ピアノ・ソナタにもとづく二重奏ソナタ
  ①ソナタ第2番ニ長調(ソナタ Hob.XVI:24による)
  ②ソナタ第3番変ホ長調(ソナタ Hob.XVI:25による)
  ③ソナタ第4番イ長調(ソナタ Hob.XVI:26による)
  ④ソナタ第5番ト長調(ソナタ Hob.XVI: 43による)
  ⑤ソナタ第6番ハ長調(ソナタ Hob.XVI:15による)
 《CD-II》さまざまな室内楽曲にもとづく二重奏ソナタ
  ⑥ソナタ 第1番ト長調(ピアノ三重奏曲 Hob.XV:32による)
  ⑦ソナタ 第7番ヘ長調(弦楽四重奏曲 op.77-2 Hob.III:82による)
  ⑧ソナタ 第8番ト長調 (弦楽四重奏曲 op.77-1 Hob.III:81による)
エレナ・デニソヴァ(ヴァイオリン)
アレクセイ・コルニエンコ(ピアノ)
 「ハイドンは、ヴァイオリンとピアノのための二重奏を書かなかった」...はずなのに、なんと8曲もの作品がここには収められている!
 オーストリア楽壇の腕利きふたりがじっくり聴かせる二重奏の味わいは、まさにハイドンならではの滋味、まさに古典派ならではの親しみやすさ満点。

 CD アルバムを聴き愉しんでいる層からすると、楽譜出版の現状というのはあまりピンとこないものなのかもしれません。音楽学の現場も然り。ただ「交響曲の父」にして「弦楽四重奏曲の父」でもあった古典派の巨匠ハイドンが、そのほかにもピアノ・ソナタやピアノ三重奏曲などをたっぷり作曲していたにもかかわらず、どうしたものか、モーツァルトやベートーヴェンが傑作を多々生んでいる「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」(18 世紀にはピアノの方が主役扱い)、つまりヴァイオリン・ソナタのたぐいはまるで書いていない、というのは、比較的有名な部類に入る古典派トリビアではないかと。
 ところが、です。老舗のペータース出版局から刊行されている楽譜のなかに、なぜか1冊、ハイドン作曲による「ヴァイオリンとピアノのためのソナタ」という巻が・・・。しかも、そこにはこの形態によるソナタが8曲も収録されているとのこと。調べてみると原資料もちゃんとあるらしいのですが、どうやらこの曲集、もともとハイドン自身はピアノ・ソナタや弦楽四重奏曲として作曲していたものを、ハイドン自身のお墨付きがあったのかどうか、作曲家の晩年に誰かが編曲した楽譜らしいのです。原展至上主義の観点から、20 世紀の音楽学者たちはこの曲集を「ハイドンの作品」とは認めたがらなかったようなのですが、実際に聴いてみると、ピアノの動きを際立たせながらヴァイオリンが適宜華を添えるという、古典派時代の「ヴァイオリン助奏つきピアノ・ソナタ」としての二重奏スタイルが美しく映える仕上がりになっているうえ、なにぶん元の曲がウィットと歌心に富んだハイドン作品ばかりだけに、かなり惹き込まれる味わいがどの曲にも感じられます。
 モーツァルトやベートーヴェンと同じように、ハイドンのインスピレーションをこの編成で味わえるなんて。しかも、なかには晩年の彼が創意のかぎりを尽くして残した「最後の完成作」とみなしうる弦楽四重奏曲からの編曲などもあり、音盤ファンには少なからずおられるであろうハイドン愛好家・古典派愛好家の方々には「原作との比較」という愉しみ方も用意されているという次第。こうした仕掛けのひとつひとつも、弾き手が音楽大国オーストリアの「いま」を支える名教師ふたりという、かなり贅沢なキャスティングなくしてはここまで真価を発揮するには至らなかったでしょう。
 しなやかなヴィブラートを生かしたデニゾヴァの弦音も、ベーゼンドルファーの響きで古典派の音運びを的確に際立たせるコルニエンコのピアニズムも、実に好感度大。ウィーン系の室内楽が好きなクラシック・ファンの方々にも、末永く愉しんでいただきたい2枚組アルバムなのです。

GRAMOLA



GRML98932
(SACD Hybrid)
(国内盤)
\3150
ゾクゾクするほど美しい響き
 イルンベルガー&トルビアネッリ
  リストのヴァイオリン作品集
フランツ・リスト(1811〜1886):
 ①三人のロマびと S.383(1864)
 ②ピアノとヴァイオリンのための協奏的第二重奏曲 S.128(1849)
 ③悲しみのゴンドラ S.134(1882)
 ④墓碑銘 S.129〜ヴァイオリンとピアノのための(1872)
 ⑤ハンガリー狂詩曲 第12 番(ヨアヒム編/1871?)
 ⑥ピアノとヴァイオリンのための二重奏曲 S.127(1832〜35)
トーマス・アルベルトゥス・イルンベルガー(vn)
エドアルド・トルビアネッリ(p/シュトライヒャー1856年製オリジナル)
 作品の大半が、ピアノ曲か管弦楽曲か声楽曲...と思いきや、思いのほかたくさんあるのがオリジナルの室内楽曲。超絶技巧ピアノだけにとどまらない、生粋のロマン派感性が思い描いた響きを、「同郷」オーストリアの俊才の弦と、作曲当時のオリジナル歴史的ピアノで。

 超絶技巧のピアニストとしてキャリアを歩み始めたリストの作品といえば、ほとんどの人が「ピアノ曲ばかり...いや、多少は交響詩や声楽曲もあるか」くらいの認識だと思います。しかし曲を書いていたことさえ知られていないに等しいであろうジャンルが、室内楽。
 この方面でのリストの貢献はたしかにそれほど大きいものではなかったのですが、しかし丹念に作品目録を見てゆくと、必ずしもリストが室内楽に無関心だったわけではなかったことがわかります。そもそも彼自身、サロンのピアニストとして名声を博してきたわけで、当時ピアノ音楽を披露する演奏会では完全な「ピアノ・リサイタル」はまずありえず、必ず誰かしらの歌い手が歌曲やオペラの抜粋曲を歌ったり、器楽奏者が加わって大小さまざまな室内楽曲を弾いたりといった混成プログラムになっていましたから、演目に興を添えるべくリストが室内楽曲を書いていたとしても不思議はなかったわけです。
 数年前にはaeon レーベルから、編曲愛好家でもあるチェロ奏者アレクシス・デシャルムがチェロのための貴重なオリジナル作品を(いくつかの同時代の編曲などとともに)集めて素晴しいアルバムを制作しましたが(MAECD0745)、今回はヴァイオリン作品。しかも何が素晴らしいって、リスト生前の19 世紀に作られた歴史的ピアノを、この種の歴史的楽器のまごうことなきプロフェッショナルが弾いているというところ。
 Pan Classics レーベルに数々の歴史的ピアノの名盤を残してきたイタリア人奏者トルビアネッリが、超・実力派イルンベルガーを迎えての、ほとんどがオリジナルの「リストのヴァイオリン作品集」。しかもソナタ・クラスの大曲が2曲もあるのが嬉しいところ。
 ヴィブラートをほんとうに大切なところにしか使わないイルンベルガーならではの妖艶な弦の歌いまわしが、時にロマンティック、時に先進的、時に絶妙なハンガリー的熱狂にあふれた作品そのものの魅力をストレートに再現。ゾクゾクするほど美しい響きで充実した鑑賞体験をもたらしてくれます。
 いつもどおり、貴重な作品群についての情報が満載されたライナーノートも全訳付。貴重なレパートリーを「19 世紀当時の響きで」味わい尽くせる貴重盤、録音技師もPan Classics でおなじみJ・ヤーミン、銘器の持ち味の映えるエンジニアリングがたまりません。

GRAMOLA



GRML98931
(国内盤)
\2940
リストなのか、シューベルトなのか
 〜ピアノで弾く『歌曲王』の世界〜
フランツ・リスト(1811〜1886):
 ①糸を紡ぐグレートヒェン S 558-8/D 118
 ②涙の讃美 S 557/D 711
 ③シェイクスピアのセレナーデ S 558-9/D 889
 ④あなたは憩い S558-3/D 776
 ⑤セレナーデ S 560-7/D 957-4
 ⑥ます S 563-6/D 550 ⑦水車職人と小川 S565bis-2/D 795-19
 ⑧ 仕事を終えて S560-3/D 957-5
 ⑨ 万霊節の祝日の連祷 S562-1/D 343
 ⑩春への憧れ S 560-9/D 957-3⑪辻楽師 S 561-8/D 911-24
 ⑫さすらいびとS 558-11/D 489 ⑬影法師 S 560-12/D 957-13
 ⑭魔王 S 558-4/D 328※Dは原曲(シューベルト作品)の整理番号
ドラ・デリイスカ(ピアノ/ベーゼンドルファー)
 「クラシック声楽が苦手」で、シューベルト歌曲の世界に近づけないのはあまりにもったいない。それならいっそ、リストの精巧な編曲を通じてピアノ曲に姿を変えたヴァージョンで。魔王、セレナーデ、辻楽師...稀代のベーゼンドルファー使いの手で、思わぬ名曲体験を!

 シューベルトの歌曲。もうクラシック100 選的な廉価盤シリーズでも「歌曲ならとりあえず」で入ってくるくらい重要なジャンルですし、交響曲で言えばベートーヴェンかマーラーか、室内楽で言えばモーツァルトの弦楽四重奏曲か、ピアノ曲で言えばショパンかドビュッシーか...ってくらい「歌曲はシューベルト」なのはもう今更くりかえすまでもありません。過去200 年近くにわたって多くの人を魅了してきたシューベルトの歌曲ですが、「そもそもクラシックの声楽が苦手」「声楽は歌詞が知らない言葉だから敬遠気味」という人には、そのあまりに美しい音楽世界がごっそり抜けおちてしまうわけであまりにもったいない・・。
 そんなとき、シューベルトの歌曲を「歌」なしに、その旋律美や和声進行の妙そのまま、楽器だけで演奏できるようにした質の高い編曲を集めたアルバムというのは非常に貴重な存在になってきます。
 昨今の大きな成功例では、フランスのチェロ奏者アレクシス・デシャルムがaeon レーベルで制作した編曲集『チェロで弾くシューベルトの歌曲』(MAECD0868)がいまだに印象的なところですが、今回「音楽の都」ウィーンの中心部に拠点を構えるGramola レーベルから、デシャルムのアプローチとは異なる角度からの、新しい充実したシューベルト歌曲編曲アルバムが登場いたします。
 今回は、すべてピアノ独奏——アルバム原題は『白鳥の歌』所収の歌曲にちなんで「ドッペルゲンガー(影法師)」となっていますが、それは本作の主人公がシューベルトであるとともに、すべての収録曲が「ピアノの貴公子」こと超絶技巧の天才ピアニスト作曲家、フランツ・リストによる編曲で占められている、つまり主役はシューベルトであり、同時にリストであるというアルバムだから。パリの上流階級の人々のあいだでも活躍したリストは、シューベルト歌曲に深く魅了されながらも、「ドイツ語の歌詞」があるがゆえの制約を意識していたのかもしれません。
 ただでさえ充実したピアノ伴奏部を持つシューベルトの作品、そのうえ歌までピアノで弾きこなし、完成された作品像を浮かび上がらせるには当然ピアニストとしての「腕」も問われるわけですが、本盤ではブルガリア出身のウィーンの俊才ドラ・デリイスカが、その難題を軽々とクリアし、リストならではの超絶技巧をあざやかに征服しながら、シューベルト特有の胸を突く旋律美にしみじみ感じ入らせてくれます。
 選曲も絶妙、「ウィーンのピアノ」ベーゼンドルファーも、ピアニストの感性を小気味よく伝えてくれます。


ロング・ベストセラーの1枚
Schubert: Lieder for Cello and Piano
AEON
MAECD0868
(国内盤)
\2940
チェロで弾く、シューベルトの歌曲
 シューベルト:
  ①母なる大地 D788 ②解脱 D807 ③春の想い D686
  ④しずかな国へ D403a ⑤春に D882
  ⑥楽に寄すD547 ⑦死と乙女 D531 ⑧憧れ D879
  ⑨ロザムンデのロマンツェ D797
  ⑩小川のほとりの若者 D638 ⑪月に寄す D193
  ⑫タルタロスの群れII D583 ⑬ますD550 ⑭夜曲 D672
  ⑮泉のほとりの若者 D300 ⑯夜と夢 D827
  ⑰水の上で歌う D774 ⑱わが挨拶をD741
  ⑲万霊祭の祈り D343 ⑳きみこそ憩い D776
セバスティアン・ヴィシャール(ピアノ)
アレクシス・デシャルム(チェロ)
 誰もが愛するシューベルトの叙情と歌心を、うつくしいチェロの響きで、じっくりと...。まるで、彼が最初から「チェロのための小品」を書いたかのよう!この美は何とも捨てがたい。
 油断ならないフランスの異才が、リスト作品集に続いて放つ、わすれがたい艶やか名盤!誰もがよく知る夭逝の大作曲家、シューベルト——しかし日本のクラシック・ファンには「声楽が苦手」という方も少なくないので、彼の真骨頂が歌曲にありと言われていても、その何百曲もある珠玉の小宇宙のうまみを知らぬまま...というもったいないケースも多いのでは。
それではあまりに残念!というわけではないのでしょうが、そういった器楽偏重の方々にも、シューベルトがどんな美を歌曲に込めていたのか、じっくりと聴き愉しめる素敵なアルバムがフランスから届きました。
その仕掛け人は——先だっては室内楽など殆ど残さなかったリストに着目し、数少ないオリジナル作品と編曲からなる『リストと、チェロ』(MAECD0745)という異色の名盤で静かなブームを築いたフランス新世代の名手、アレクシス・デシャルム!

PAN CLASSICS



PC10222
(国内盤・訳詩付)
\2940
ローゼンミュラー 南と北のバロック音楽家
 〜金管・弦・そして歌声〜
ヨハンネス・ローゼンミュラー(1619〜1684):
 ①勇ましく戦いに臨め
  (2人の独唱、九つの楽器と通奏低音のための)
 ②3声による第4ソナタ(三つの楽器と通奏低音のための)
 ③讃美すべく立ち上がらん(二つの楽器と通奏低音による演奏)
 ④おお、富めるかた(独唱、三つの楽器と通奏低音のための)
 ⑤わたしはあなたを讃えて声をあげます
  (3人の独唱と通奏低音のための)
 ⑥主よ、御もとに身を寄せます
  (独唱、二つの楽器と通奏低音のための)
 ⑦5声による第12 ソナタ
  (五つの楽器と通奏低音のための)
 ⑧主の僕らよ、主を賛美せよ
  (3人の独唱、七つの楽器と通奏低音のための)
 ⑨ごきげんよう、天の皇后
  (サルヴェ・レジーナ 独唱、五つの楽器と通奏低音のための)
アンサンブル・イ・フェーデリ(古楽器使用)
〜ソプラノ、カウンターテナー、テノール、バス、ヴァイオリン2、
ツィンク(木管コルネット)2、トロンボーン2、チェロ2、オルガン〜
 ここ近年、古楽界ではローゼンミュラーが妙にアツい!バッハより半世紀ほど年上、ライプツィヒ大学で学んだあと、ヴィヴァルディに先駆けてヴェネツィアで大活躍。往年のガブリエリをも思わせるバロック金管の逞しい、しなやかな古楽器サウンドが痛快!

 「ドイツ・バロック、バッハ以前」と聴いて、どんな音楽が思い浮かぶでしょうか?
 峻厳なドイツ語歌唱で歌われるシュッツの宗教曲? 壮麗なブクステフーデのオルガン曲? フローベルガーのフランス風チェンバロ組曲?
 そういったムーヴメントとは別に、「音楽の本場」イタリアの音楽センスを誰よりも深く吸収した巨匠がひとりいたのです。
 ヨハンネス・ローゼンミュラー。
 のちにバッハの活躍地となった町ライプツィヒのニコライ教会で活躍し、ドイツ古来の音楽作法を使いこなす大家になるかと思いきや、陰謀か真実か不祥事の責任を負わされて、町を追われて向かった先は「水の都」ヴェネツィア。ルネサンス期以来ずっと音楽の本場でありつづけてきたこの町で、ヴィヴァルディに先立つこと数十年前、現地のイタリア人音楽家たちを追い落とす勢いで活躍を続けたとのことです。
 当時は全ドイツ語圏の最高首長たるウィーンの皇帝のお膝元でさえ、宮廷楽団の要職はことごとくイタリア人音楽家ばかりだった時代ですから、いかにローゼンミュラーというドイツ人音楽家のセンスが秀でていたか、驚かされずにはおれません。しかしイタリアでの活躍が災いしたのか、つまりドイツ語を歌詞にとる曲が少ないという判断からか、20 世紀初頭にドイツのルネサンス〜バロックの大家たちが続々再評価されていった頃にも、ローゼンミュラーはなぜか今一つ注目されなかったのですが、古楽復興が大いに進んだここ近年、やおら多くの古楽奏者がこの異才をとりあげはじめたのです。
 録音シーンでもZig-Zag Territoires でアマンディーヌ・ベイエールのアンサンブルが録音したのをはじめ(ZZT100801)いくつかのアルバムが相次ぐなか、スイスやドイツ、イタリアなどを中心に活躍する欧州俊才勢がPan Classics レーベルに録音したこのアルバムでは、2本のトロンボーンと2本のツィンク(「木管コルネット」ともいいますが、いつも金管とセットで使われる高音管楽器)が大活躍!ルネサンス期のヴェネツィアを華やがせたガブリエリの合奏曲にも通じる独特の深みと滋味は、熟達した古楽器奏者たちならではのもの。多声が複雑なからみを見せる曲も、純粋にしっとりメロディラインの美を浮かび上がらせる曲も、コレッリやレグレンツィ、ムファットやパッヘルベルといった同時代人・後輩たちと一線を画したローゼンミュラー特有の音作りの妙を、しなやかに伝えてやみません。
 欧州古楽勢のさりげない水準の高さが生きた1枚です。

PAN CLASSICS



PC10262
(国内盤・SACD Hybrid)
\3150
日本語解説書付き
ジャスティン・ブラウン&カールスルーエ・バーデン州立管
 マーラー:交響曲第9番
ジャスティン・ブラウン指揮
カールスルーエ・バーデン州立管弦楽団
 これはすごいリリース! 「第9番」の底知れぬ迫力を精妙にうきあがらせてゆく、痛快名演!
 迫力満点の打楽器から澄み切ったピアニシモまで、徹底したスコアリーディングの末に打ち立てられた解釈の、えもいわれぬダイナミズム——何度も聴きたくなること必至、超注目です!

 ピアニストもヴァイオリニストもチェリストも管楽器も歌も、続々と新しい世代が台頭してきた昨今——年齢感覚が異なる指揮者の世界にも、続々新世代の躍進がめだつようになりました。ハーディング、ドゥダメル、クルレンツィス、ネトピル、山田和樹...と若い世代でも俊才というにふさわしい人物は続々日本でも有名になりつつあるところ、皆様はジャスティン・ブラウンという英国出身のとてつもない逸材をご存知でしょうか?
 タングルウッドで晩年のバーンスタインや小澤征爾に学び、20 世紀の大作曲家ルチアーノ・ベリオのアシスタントもつとめていたうえ、ピアニストとしてもリサイタルで活躍するほどの才人。
 キャリアを大きく躍進させたのも、アメリカにおいてのこと——つい最近まで無名に等しかったアラバマ交響楽団を、たった数年で世界に通用するレヴェルまで引き上げた功績に全米の楽壇は瞠目しました。
 しかも活躍のフィールドはアメリカのオーケストラ指揮にとどまらず、オペラ指揮者として祖国である英国はもちろん、ヨーロッパ各地の重要な劇場で続々とすばらしい公演を指揮しつづけているとのこと。その意味では、本盤の演目に選んだマーラーの生前と同じく、いわばカペルマイスター型のクラシックな下積みをばっちりこなしてきた頼もしい人材といえるのでしょう。
 でありながら、オーケストラ演奏会の世界でブラウンがとりわけ得意とするレパートリーは「アメリカ近現代」。エリオット・カーターやジョージ・クラムといったアメリカの「20 世紀の巨匠」たちの傑作で痛快な名演を聴かせることができるというのは、明敏な作品解釈のセンスと、聴き手に圧倒的な印象を与えるだけのインパクトある指揮ができなくては、まず不可能でしょう。
 そしてそんな人物が、歌劇界では『ニーベルングの指輪』全幕を振れる逸材として、ワーグナーの故郷ドイツでさえ熱狂的な支持を集め始めている・・・。
 そんな指揮者がマーラーの、よりによって第9 番を指揮したとあっては、注目せずにおれるはずがありません。
 しかしもしその指揮者のことを良く知らないままこの演奏を聴いてしまうと、このとんでもなく精妙かつ痛快な解釈のダイナミズムにいきなり圧倒され、「誰だ?!」と瞠目せずにはおれなくなるに違いありません。インパクトもさることながら、先へ、先へ...と聴き進めずにはおれない底知れない魅力が、この演奏にはあります。
 カールスルーエ・バーデン州立歌劇場の常駐楽団であるバーデン州立管弦楽団は、かつてカイルベルトやノイホルトといった巨匠たちが指揮したことでも有名ですが、近年では大野和士がベルギーのモネ劇場に行く前に華々しい活躍をみせたオーケストラとして名前が挙がる機会が多かったのでは。
 隅々まで冷徹に行き届いた解釈、精密な構成感覚がつくりだすスケール感、荘厳なのにしみじみ人間愛を感じさせる、圧倒的な響きの妙。宇宙船のようなジャケにまで、演奏解釈の美質が代弁されているようにも思います。昨今パーヴォ・ヤルヴィまでひっぱり出したPan Classics、目が離せません!


既出の輸入盤
PC10262
(輸入盤
SACD Hybrid)
\2500→2290
マーラー:交響曲第9番 ジャスティン・ブラウン指揮
カールスルーエ・バーデン州立管


PAN



PC10261
(国内盤)
\2940
ショスタコーヴィチ(1906〜1976):
 1. ピアノ協奏曲第1番(ピアノ、トランペットと弦楽合奏のための)ハ短調 op.35
 ユルゲン・エレンゾーン(トランペット独奏)
 2. ピアノ協奏曲 第2番ヘ長調 op.102
 3. 2台のピアノのための小協奏曲op.94
 ゲオルギー・ヴァチナーゼ(第2 ピアノ)
アレクサンドル・トラーゼ(ピアノ)
パーヴォ・ヤルヴィ指揮
フランクフルト放送交響楽団
 来日直前、この顔ぶれで堂々新譜!
 カリスマ指揮者パーヴォ・ヤルヴィ、フランクフルト放響の緊密なタッグを印象づける痛快なリリース。
 しかもピアノ独奏は、知る人ぞ知るロシアの「あの名匠」…間違いなく大注目。

 スイスからドイツへと資本が移り、さらに活動休止したSymphonia レーベルの味わい深い古楽録音をじっくり再リリースしながら、静かなる古楽レーベルに特化したかと思われたPan Classics——いやいや、体制変更からはや1年半、痛快なリリース体制が整ってきたらしく、今後しばらくフランクフルト放送交響楽団とのコラボレーションを続けてくれるそうです。
 その口火を切るリリースが、今回のアルバム。
 昨年はライン川の反対側ですばらしいコラボレーションを続けているパリ管と来日した、今をときめく旬のカリスマ指揮者パーヴォ・ヤルヴィが、自ら首席指揮者をつとめる名門フランクフルト交響楽団とのタッグを組み、最新録音の驚くべきアルバムをリリースしてくれたのです。
 曲目は昨今なぜか続々と注目の新譜が登場しつづけている(いや、むしろ今までがなんだったのかというくらい急激にディスコグラフィが充実した)ショスタコーヴィチの超・異色協奏曲2作。なにぶん競合相手がパウル・グルダ&フェドセーエフ&モスクワ放響(GRML98928)、俊才メルニコフ&鬼才クルレンツィス&マーラー室内管(hmf)、コロペイニコフ&カム&ラハティso(Mirare)、マツーエフ&ゲルギエフ&キーロフo.(Mariinsky)...と壮絶な大物ぞろい、ピアニストか指揮者が必ずロシア20 世紀の伝統に連なる異才ばかり・・・と尻込み気味に数歩下がってこの新譜について考えてみようとしたところ、ピアニストの名前に気づかされるわけです。
 アレクサンドル・トラーゼ...
 お気づきでしょうか?かつてPhilips でゲルギエフ指揮のもとプロコフィエフの難曲揃いピアノ協奏曲の全集を完遂、さらにNHK『スーパーピアノレッスン』の講師としても登場したほか、EMI にもストラヴィンスキーやムソルグスキーのクリスピーな録音を残しているグルジア生まれの静かなる巨匠。チャイコフスキー音楽院でレフ・ナウモフやヤコフ・ザクらに師事した、まごうことなきロシア・ピアニズムの継承者。
 この顔ぶれ、さすがにディスク・ファンたちが見過ごせるはずがない——上記競合新譜をすべて買ってしまった方でさえ、これはスルーできないでしょう。

PAN CLASSICS


Andrea Zani: Concertos for Violin & Strings (1729)
PC10254
(国内盤)
\2940
ザーニ:五つのヴァイオリン協奏曲
 〜アントニオ・ストラディヴァリの同郷人が引き出した、ヴァイオリンの響き〜

アンドレア・ザーニ(1696〜1757):
 『4つの楽器による六つのシンフォニア・ダ・カメラと、コンチェルト・ダ・キエーザさまざま』op.2より
 1) 4声の協奏曲 イ短調
 2) 4声の協奏曲 ホ短調
 3) 4声の協奏曲 ト長調
 4) 4声の協奏曲 ト短調
 5) 4声の協奏曲 ハ長調 (楽譜出版:1729年)
アレッサンドロ・チッコリーニ(バロック・ヴァイオリン)
Ens.カンパーニャ・デ・ムージチ(古楽器使用)
 こういう思わぬ注目作があるから、イタリア・バロック未踏領域はほんとうに面白い。
 ストラディヴァリやグヮルネリの工房が銘器を作っていた頃、クレモナ地方で生まれた作曲家の、スリリングで抒情的なヴァイオリン芸術を「1パートひとりずつ」の正統古楽編成で。

 イタリア、音楽芸術の祖国——この半島でバロック時代に活躍していた作曲家たちのなかには、名前こそ無名ではあるものの、ヴィヴァルディやA.スカルラッティらの大家たちも顔負けの傑作を続々書いた「知られざる名匠」が少なくありません。演奏者のセンスひとつで下品な曲になってしまうこともありますが(それはヴィヴァルディその他の傑作でも同じこと)、弾き手が作品の美質をよく吟味し、心底惚れ込んで演奏しているようなときには、とてつもない名演につながったりします。
 いわばイタリアには少なからず存在する、広く知られてはいないけれど絶品のワインをつくる隠れ名醸造元のようなものでしょうか。
 ともあれ、かつて今はなきイタリアのSymphonia レーベルで制作され、長らく廃盤だったところPan Classics からみごと復活を遂げた本盤(もちろん国内盤流通初出)の主人公は、アンドレア・ザーニという、めったに知る人もいないであろう作曲家...といいつつ、明敏なバロック・ファンのなかには、このアルバムともうひとつ、クレモナに本拠をおくCremona レーベルで(ガッティやビオンディと並ぶイタリア屈指のバロック・ヴァイオリン奏者の)ルイージ・マンジョカヴァッロが録音した素晴らしいソナタ集の存在ゆえに、ザーニという作曲家の名前を強く心に刻んでいる人も少なくないに違いありません。
 タルティーニより4年遅くクレモナ地方のクレーマという古都に生まれ、マントヴァやモデナなどイタリア北部の宮廷で活躍したこのヴァイオリン芸術家、どうやらヴィヴァルディともマントヴァ宮廷で出会っているようなのですが、彼が1729 年に楽譜出版した協奏曲集に含まれる一連のヴァイオリン協奏曲は確かにヴィヴァルディ的なものを感じさせる、技巧的かつ歌心ゆたかなヴァイオリンの独奏部が美しい逸品ぞろい。しかしヴィヴァルディ的なケレンというか、あの妙なけばけばしさがほどよく削ぎ落とされていて、タルティーニの協奏曲のような洗練度も感じさせながら、小粋でスリリングな音運びはやはりザーニ特有のもの。生まれて間もない頃から、当時まさに活躍中だったストラディヴァリやグヮルネリらの作る、クレモナ地方の素晴らしいヴァイオリンを知っていたのかもしれません。
 イタリア古楽界の最前線をゆく、「歌心」と「徹底した古楽研究の精神」、そしいて「並々ならぬテクニック」のすべてを兼ね備えたソリスト級の名手たち(有名なところでは、アッコルドーネ来日公演でも名を売ったフランコ・パヴァンがさりげなくテオルボ弾いていたり)が「1パート一人ずつ」の厳格バロック的編成で、その作品美をあざやかに伝えてくれる——自然派録音でガット弦のふくよかな音のふくらみも綺麗に収められ、イタリア・バロックの造形美にしみじみ感じ入らせてくれます。


店主の愛するザーニの旧譜アルバム
MV CREMONA
MVC/001-004
¥2300
アンドレア・ザーニ(1696-1757):
 ヴァイオリン・ソナタ集「愛の思い」Op.5
アンドレア・ロニョーニ(Vn)
アンサンブル・ラウラ・ソアーヴェ
 店主が愛してやまないザーニのヴァイオリン・ソナタ集。発売されて何年も経つのに、いまだにすぐ手に届くところに置いてある。

 ヴァイオリンを愛するものにとって聖地ともいうべきイタリアの小都市クレモナ。そんなクレモナが生んだ小さなレーベル「MV CREMONA」。
 クレモナで活躍する弦楽器製作家が声を掛けて、自作のヴァイオリン、無名の17世紀のヴァイオリン、有名な名器などを使い分けながら、小さな音楽の街の小さなレーベルらしく手作りっぽい味わい深いアルバムをリリースしています。おそらくこれらのCDは彼らの個人工房で細々と売られているのでしょう。だからこそ彼らのアルバムにはなんとも家庭的で優しく、楽しげな雰囲気があふれています。音楽を演奏することの喜びに満ち溢れた素敵なアルバムたちです。
 さてそんなMV CREMONAレーベルからリリースされている1枚。よほどのクラシック・ファンでもその名を知る人はいないだろうと思われるアンドレア・ザーニのヴァイオリン・ソナタ集。
 彼はクレモナ近郊のカサルマッジョーレに生まれ、ウィーンで活躍後、故郷に戻った作曲家。彼の音楽は、美しく優雅で気品にあふれ、イタリア・バロック特有の哀愁を帯びたものです。ヴィヴァルディと交わりがあったようですが、そのヴィヴァルディと比較してもザーニの才能は少しも引けを取っていません。
 1回聴いて馴染めるというタイプの作品ではありませんが、何度も何度も繰り返して聴くうちに自分の心と波長が合っていく、まさに古いヴァイオリンの名器を思わせる音楽といえるでしょう。

SAPHIR



LVC1124
(国内盤)
\2940
モーツァルト(1756〜1791):フルートとヴィオラによる作品集
 1. 二重奏曲 ト長調 KV423
 2. 二重奏曲 変ロ長調 KV424
 3. 歌劇『魔笛』からの11 章 〜
   おいらは鳥刺し(パパゲーノ)/これは美しい絵姿(タミーノ)/
   イシスとオシリスが(ザラストロ)/わが心に地獄の復讐が(夜の女王)/
   この道があなたを(第1 幕フィナーレ)/
   ようこそまたいらっしゃいました(三人の童子)/
   愛の喜びは露と消え(パミーナ)/なんと力ある魔法の音(タミーノ)/
   これはまた素敵な音色(モノスタトス)/
   誰もが知っている恋の喜び(モノスタトス)/
   ああお嬢さんか、せめて姐さんが(パパゲーノ)(編曲:ガロワ&クスエレーブ)
パトリック・ガロワ(フルート)
ピエール=アンリ・クスエレーブ(ヴィオラ)
 原曲はヴァイオリンとヴィオラ——音色を変えてみると、モーツァルトの巧みさが鮮明に現れてきます!
 ちょっとした違いが大きな違い。
 単なる企画に終わらないのは、弾き手がふたりともとんでもない実力派だから。ガロワ幻の録音企画、これは確かに埋もれちゃいけない名演。

 20 世紀、21 世紀...とあいかわらず天才演奏家たちが続々登場するフランス楽壇に、独特の人脈を持っているディレクターが主宰するSaphir レーベルから、またしても思いがけない「幻の録音」が登場しました。
 駄盤は出さないレーベルのこと、わざわざ音源を発掘してきて(といってもそう古くはない、1988 年録音ですが)リリースするからにはそれだけの「価値」を見出してのことだろう、と思って聴きはじめたら、やっぱりそのとおり。
 この録音、「管楽器の王国フランス」の伝統の最前線を代表する名手パトリック・ガロワが、まだメジャーレーベルへの録音で一躍有名になる前に制作していた貴重な音源。
 Saphir レーベルは同時期のガロワによる(そしてやはり本盤同様クスエレーブをヴィオラに迎えての)ドビュッシー作品集(LVC1104)の再発売で、記録的なベストセラーをつくっていますが、今度はモーツァルト。
 低音楽器いっさいなし、フルートとヴィオラで奏でられる異色二重奏曲の原曲は、モーツァルトがザルツブルク宮廷楽団の大先輩であるミヒャエル・ハイドン(「交響曲の父」ヨーゼフ・ハイドンの弟)が病気になったさい、彼が大司教のために書かなくてはならなかった曲集をゴーストライターとして完成させたさい生まれた「ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲」2曲(KV423・424)。思いがけない編成をものともしない名曲ぶりは、音盤シーンにもそれなりに名演がいくつかあるので有名ではありましょうが、そのヴァイオリン・パートを「弦楽器ではない音色」、つまりフルートにしてみただけで、こんなにも両パートの動きが明確になり、これほどまでに感動が新たになるとは、いったい誰が予測したでしょう...?
 併録の『魔笛』からの驚異の編曲版でも、歌がいっさいないのに原曲がありありと脳裡に甦ります。かつてアンサンブル・ウィーン・ベルリンの巨匠二人がフルート&オーボエで同種の録音を残していますが、それと充分以上に競い合える「フランス側の好敵手的録音」といえるでしょう。



旧譜
ガロワ/ドビュッシー作品集

LVC1104
(国内盤)
\2940
ドビュッシー(1862〜1918):
 1. フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ
 2. 六つの古代墓碑銘 〜フルート、ヴィオラと
  ハープのための「復元版」(ファブリス・ピエール編)
アラン・ルヴィエ(1945〜):
 3. 蝶々は飛翔する
  〜3種のフルート、ヴィオラとハープのための
パトリック・ガロワ(fl)
ピエール=アンリ・クスエレーブ(va)
ファブリス・ピエール、
フランシス・ピエール(hrp)
 世界にあまねく知られたフランス・フルート楽派の申し子ガロワが、今やフランス室内楽界の大御所たる存在となった実力派奏者たちと紡いでゆく、ひたすら繊細なドビュッシー。
 パトリック・ガロワ——いまさら改めて紹介するまでもありません、フランス・フルート楽派の2巨頭ジャン=ピエール・ランパルとマクサンス・ラリューに師事したのち、飛ぶ鳥を落とす勢いで世界的な活躍をみせてきた、フルート界の申し子ともいうべきスーパー・プレイヤー。そんな彼の演奏で、全フルート音楽中の至宝といっても過言ではない、あのドビュッシーの傑作ソナタを聴けるとは、なんと幸いなことでしょう!
 しかも、共演陣は抜かりなくも鮮烈な技量を誇る名室内楽プレイヤー、P=H.クスエレーブがヴィオラを弾き、リリー・ラスキーヌやピエール・ジャメらと並んでフランスのハープ史に名を残した超・実力派フランシス・ピエールとその息子、今ではフランス・ハープ楽派の伝統を双肩に背負って立つ男ファブリス・ピエールが加わる、という、室内楽好き・フランス音楽好きなら「おお!」と唸らずにはおれない顔ぶれ。
 この録音はかつて「3D Records」 というフランスの小規模レーベルで制作されたのですが、世界レヴェルでの流通状態は非常に悪く、このたびSaphir 音源として新規に登場したことによってようやく国際デビューを果たしました。
 「ソナタ」における気合の入った精妙かつ細やかな解釈だけでも商品価値は十分以上にあるのはもちろんですが、併録されている『六つの古代碑銘』が注目度大。「古代碑銘?」と首をかしげられる方は、本作をピアノ曲としてご存知だからと思いますが、どうやらドビュッシーは当初この曲を2本のフルート、2台のハープとチェレスタという意外な編成のために作曲していたとのこと——しかも、作曲年代は1901 年と、ピアノ版が出版されるよりも実に10 年以上前に書き上げられていたのです。残念ながらその「原曲」の楽譜は失われてしまいましたが、名手ファブリス・ピエールはそのことを踏まえ、自分たちのリサイタルのプログラムに組み込めるよう、本作をハープ2台とフルート、ヴィオラという編成のために編み直したのでした。詩人ピエール・ルイスが「古代ギリシャの詩から翻訳した」との触れ込みで発表した『ビリティスの唄』という詩集の朗読に添えるべく作曲された、という本作成立の経緯を彷彿させるがごとく、ここでフルートとハープは「古代の笛と竪琴」そのものの独特な風合を感じさせ、ピアノで聴いていたときとは全く違う、いかにも古代然とした神秘的な響きを醸し出してくれます(作品そのものの認識も改まる、なんとユニークかつ絶妙な演奏でしょう...)。
 両作のあいだには、楽器の技巧には一家言ありのパリ音楽院の名匠アラン・ルヴィエによる、これまた繊細で美しい「蝶々の飛翔」を収録。演奏陣の驚異的な巧さゆえ、この編成の美質を十二分に味わえるトラックになっています。



SAPHIR



LVC1166
(国内盤)
\2940
ジョエル・ポンテ(チェンバロ)〜ゴールトベルク変奏曲
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750):
  鍵盤練習曲集:アリアと30 の変奏…通称『ゴールトベルク変奏曲』BWV988
ジョエル・ポンテ(チェンバロ)
使用楽器:ヨハンネス・リュッケルス1624年製作モデル(M.デュコルネによる復元楽器)
 チェンバロ=ごまかしのきかない容赦のない楽器…のはずなのに、なんという自然な抑揚!
 音量変化ではなく、音を打つ/止める、そのタイミングの妙ひとつで浮かび上がる、自然な呼吸。さすがはフランス古楽界の大ヴェテラン、この銘解釈、聴き逃すべからず...!

 「音楽の父」ことバッハの生前に楽譜印刷された鍵盤楽曲としては最後の作品にあたる『ゴールトベルク変奏曲』——いうまでもなく、名演あまたの傑作です。つい最近もZig-Zag Territoires から名手ランヌーの2枚組がリリースされたり、フランチェスコ・トリスターノがすみだトリフォニーホールで異色の名演を行ったり...と話題には事欠かない作品。
 しかし、その真の姿、演奏家の個性というセールスポイントで過剰に色づけがなされていない、バッハ自身がこの作品に託した「素」の味わいをそのまま感じさせてくれる演奏というのは、あるようでないように思います。ピアノで弾く場合はもちろんのこと、ましてやバッハ自身が演奏楽器として指定していたチェンバロで弾く場合は、なおさら。どんな場合でも、往々にして演奏家の個性が何らかのかたちで頭をもたげてくる。もちろんそれが面白いわけですが、フランスにまだ「古楽界」というものが存在しなかったような昔からチェンバロを弾き続けてきた大ヴェテラン奏者ジョエル・ポンテが、ようやく満を持して録音したこの『ゴールトベルク変奏曲』では、何よりもまずバッハの書法そのものが鮮やかに、響きの最も前面に押し出されているように感じられてなりません。
 ポンテはモダンチェンバロの方が一般的だった(というか、正確にはまだバッハをピアノで弾く人の方が圧倒的に多かった)時代からフランスでチェンバロ演奏を続けてきた人で、歴史的楽器を使い古楽奏者として活躍する一方、現代楽器のプレイヤーたちがチェンバロ奏者を必要とするような場面でも広く共演者として経験を積んできたこともあってか、その音楽性には柔軟な対応力が見られ、そのうえでなお「あくまで作品そのものに忠実に」という古楽奏者としての魂を決して失わない、そんな演奏を聴かせてくれる実力派。そうした感性は、すでに2年前リリースされたラモーの作品集(LVC1110)でもいかんなく発揮されていました。今回も名工デュコルネによるアントヴェルペン・モデルの鍵盤二段を使い分け、バッハが企図した音の動きの機微をたくみに彫り出してみせる、その息遣いの妙に「技」が光るのです。
 チェンバロはタッチいかんで音に強弱やニュアンスをつけられないかわり、音を出す瞬間や止める瞬間を微妙に調整することで、音量差に相当するような音の表情をつけることができるのは確かなのですが、ポンテの演奏におけるそういった時間軸操作はまさに達人の域...聴いているとまるでピアノでしなやかな演奏がなされているような錯覚さえ感じるほど。精妙な解釈は正攻法的でありながら、この微妙な演奏の機微ゆえに仕上がりは出色の出来栄え。ただひたすら、じっくりバッハ世界に浸らせてくれる。そう出会えるものではない、幸せな充実録音なのです。


ジョエル・ポンテ旧譜
LVC 1110
(国内盤)
\2940
ラモー:新しいクラヴサン小品集(1728/全曲)
 組曲 イ短調
  ①アルマンド ②クラント ③サラバンド
  ④手が3本 ⑤ささやかなファンファーレ
  ⑥勝ち誇る女 ⑦ガヴォットと六つの変奏
 組曲 ト長調/ト短調
  ⑧ロンドー「トリコテ」⑨無関心な女
  ⑩ムニュエ(メヌエット)⑪めんどり
  ⑫トリオレ(三連符)⑬未開地の人たち
  ⑭ラナルモニーク(異名同音)
  ⑮エジプトの女 ⑯王太子の妃
ジョエル・ポンテ
 (チェンバロ/デュコルネ製作タスカン・モデル)
 奏者ジョエル・ポンテはユゲット・ドレフュスに師事した世代、つまり、フランスでピリオド奏法の勝利が始まる前からチェンバリストをしている実力派!派手にしようと思えば「あそびどころ」はたっぷりあるラモーのこの曲集を、風格たっぷり、しかしフランス人にしかできないあの独特のアゴーギグを効かせながらストレートに仕上げた演奏は、曲の深みや和声推移の妙をしみじみ味合わせてくれる充実解釈に仕上げられているのです。
 ラモーと同時代のタスカン型の銘器も、近接めの録音で芳醇な響きをたっぷり堪能させてくれます。昨今あまり聴かないリュート・ストップ(昔、ERATO でヴェロン=ラクロワが多用してました)の混ぜ方も、また絶妙!ジャケットの「それっぽさ」もいい味出してます。

ZIG ZAG TERRITOIRES



ZZT302
(国内盤・2枚組)
\4515
キアラ・バンキーニ、待望の最新録音は、なんと・・・
 J.S.バッハ:ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ(全6曲)

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685〜1750)
 1. ソナタ ロ短調 BWV1014
 2. ソナタ イ長調 BWV1015
 3. ソナタ ホ長調 BWV1016
 4. ソナタ ハ短調 BWV1017
 5. ソナタ ヘ短調 BWV1018
 6. ソナタ ト長調 BWV1019
 7. カンタービレ BWV1019a
キアラ・バンキーニ(バロック・ヴァイオリン)
イェルク=アンドレアス・ベッティヒャー(チェンバロ)
 キアラ・バンキーニは引退なんかしていません・・・。
 2011年7月、彼女は着々と最新録音を準備していました。それも、これまで録音してこなかったバッハの超・重要作。パートナーは、バーゼル・スコラ・カントルムでの仕事仲間、現代の名匠ベッティヒャー。

 キアラ・バンキーニ。
 バロック・ヴァイオリン界の大御所中の大御所、待望の最新録音。しかもなんとバッハの超・重要曲目ではありませんか。
 古楽の牙城ともいうべきオランダやベルギーでバロック・ヴァイオリン奏者を続々輩出してきたのが、ヤープ・シュレーダーやシギスヴァルト・クイケンといった大御所たちだったとすれば、かたやキアラ・バンキーニは、ヨーロッパで最も古くからある古楽奏者養成機関で、かつてはレオンハルトやアルノンクールも学んだバーゼル・スコラ・カントルムのバロック・ヴァイオリン科を長年預けられていた名教師。門下からはエンリーコ・ガッティやアマンディーヌ・ベイエールらをはじめ、今をときめく超・人気奏者が続々巣立っています。アンサンブル415 のリーダーとして長年、ヨーロッパ古楽界の最前線で活躍を続けてきましたが、2010 年にバーゼルでの教職を俊才アマンディーヌ・ベイエールに譲り、アンサンブル415 も解散してしまったため、すわ引退か?と思っていたら...とんでもありません。Harmonia Mundi France で名盤群を残したあと、21 世紀に入ってから新たなパートナーシップで録音を続けてきたZig-Zag Territoires レーベルでこの重要レパートリーをひそかに録音していたのです。
 卓越したチェンバロ=オルガン奏者だったとともに、自ら終生ヴァイオリンを愛奏していたというバッハが、チェンバロ奏者の左手パートを低音伴奏に、右手パートをひとつの旋律楽器に見立て、ヴァイオリンとチェンバロで「ふたり3役」を演じるかたちに仕上げた6曲の『ヴァイオリンとオブリガート・チェンバロのためのソナタ』(オブリガートとは「参加必須、他の楽器で代用できない」の意)。古くはシェリング&ヴァルヒャ、ラレード&グールド、近年でも寺門&ヘンストラ、マンゼ&エガー、カフェ・ツィマーマンのバレッティ&フリッシュ...と名盤続々の超・重要ジャンルではありますが、注目株の古楽奏者がバッハの王道傑作を録音したとあっては、ファンの食指が動かないはずがありません。
 しかもパートナーたるチェンバロ奏者は、やはりバーゼル・スコラ・カントルムの教諭としてチェンバロや通奏低音など超重要の専門クラスを任されてきた超・実力派、J=A.ベッティヒャー。この専門家が18 世紀ハンブルク型の、16 フィートと4フィートの弦列まであるチェンバロ(2011 年のレコード・アカデミー賞は、この種のチェンバロを使ったソロ録音が2種類受賞しました)を録音に選んだというのは、バッハの音楽との関連も考えながらのことだったはず。
 今なお深まるバンキーニの音楽性が、この桁外れに多忙な古楽鍵盤奏者のセンスとどう対決し、邂逅してゆくのかを考えただけでもゾクゾクします。BWV1019 の異版楽章も抜かりなく併録。

ZIG ZAG TERRITOIRES


ZZT300
(国内盤・訳詞付)
\2940
ガブリエル・フォーレ(1845〜1924):
 ①ペレアスとメリザンド 作品180
  管弦楽伴奏による歌曲:
 ②メリザンドの小唄(ケクラン編)
 ③夕暮れ(オベール編)
 ④イスファファンの薔薇(作曲者編)
 ⑤月の光(作曲者編)
 ⑥失われえぬ芳香(ビュセール編)
 ⑦マンドリン(フローラン・シュミット編)
 ⑧哀歌(ラメント)(作曲者編)
 ⑨エレジー(悲歌)〜チェロと管弦楽のための
リヒャルト・ワーグナー(1813〜1883):
 ⑩ジークフリート牧歌
カリーヌ・デエー(ソプラノ)
フランソワ・サルク(チェロ)
オスヴァルド・サラベルジェ指揮
ルーアン・オート・ノルマンディ歌劇場管弦楽団
 フランス音楽、さらなる新章へ——そこでも主役は、やはり「フランスの名手たち」!
 自らも耽美なヴァイオリンを弾く俊才サラベルジェの指揮は、パート一つ一つ、演奏家ひとりひとりの個性を浮かび上がらせる室内楽肌。名歌手・俊英と織りなす、あまりに美しいフランス近代の世界。フォーレとワーグナー。なんと相性のよい二人の巨匠ではありませんか。

 オーケストラ・サウンドに耽美と抒情を求める人の心を、その繊細な音作りで魅了してやまない、かぐわしいフランス音楽の代表格ともいうべき作曲家フォーレは、他のフランス19 世紀末の作曲家たちと同じく、若い頃にはひとしきりワーグナーの斬新かつ官能的な音世界に心酔。彼の(あるいは、彼の同時代人たちであるフランス世紀末の)音楽は、こうしてワーグナーの音楽に大いに影響を受けながら育まれていったわけですが、ここに、そのことをあらためて痛感させてくれる絶妙の新譜が登場いたします。
 すでにZig-Zag Territoires レーベルから艶やかなフォーレ作品集をリリースしているフランス新世代の名歌手、すでにサンドリーヌ・ピオーやナタリー・ドゥセの後を追う存在として着実にヨーロッパのメディアに乗りつつあるカリーヌ・デエーをソリストに迎えてのフォーレとワーグナー。
 仕掛け人はフランス新世代を担う多忙な名匠、オスヴァルド・サラベルジェ!
 この指揮者、自らヴァイオリニストとしても絶妙のドビュッシーを聴かせるなど、身体のなかに「フランス人ならではのフランス音楽の血」が脈々と流れているようです。しかしそれでいて彼は、指揮するさいに大切なのは「大オーケストラ vs 小さな力しかない個人」ではなく「すべての演奏家が自分らしくあれるように」ということ、とかねてから言い続けており、今回の録音でも、やや小編成と思われるオーケストラ編成をとり、フォーレの色彩の“筆致ひとつひとつ”をていねいに読み解き、各パートの存在感をすべからく明快に浮かび上がらせる・・・。これが驚くほど耽美な曲の響きと実にうまくマッチするのです!
 フォーレ自身や門弟たちの管弦楽編曲による歌曲群も、チェロの俊才サルクを独奏に迎えての『エレジー』併録も、なんとも贅沢な選曲。プログラム進行の妙とあいまって、「フランス人ならではの、繊細な機微あふれるフランス音楽」を聴く喜びをあらためて深々と思い知らせてくれる逸品!

ZIG ZAG TERRITOIRES


ZZT080902
(国内盤)
\2940
ヤナーチェク:ピアノ作品
 1. 草蔭の小径にて 〜10 のピアノ小品
 2. ソナタ「1905 年10 月1日」
 3. 霧の中で 〜四つのピアノ小品
エレーヌ・クヴェール(ピアノ)
 欧州シーンの最前線を見据えてきたZig-Zag Territoires ならでは。チェコという国の枠を越えて通用するヤナーチェクのピアノ作品の味わいを、フランスの俊才ピアニストが絶妙のセンスで聴かせます。
 室内楽奏者としても俊才ぶりを発揮してやまないフランスのピアニスト、エレーヌ・クヴェールによるヤナーチェク作品集。
 多くの人はおそらく「チェコの作曲家」という側面でヤナーチェクについて考えようとするばかりで、「1900 年前後の近代音楽シーンで新しい音楽言語を切りひらいた大家」という発想のアルバムは意外と少ないのでは?
 しかし彼の音楽は——ちょうど、ショパンの音楽が必ずしも「極度にポーランド的」であることを前提とせず、あるいはベートーヴェンの音楽がオーストリアを、リゲティの音楽がハンガリーを離れても雄弁であり続けるのと同じように——「チェコの」という部分なくしても通用する独特の持ち味、普遍的な音楽センスをもっています。
 そのことが最も端的にあらわれているのが、作曲家自身のごく私的な心情が創作のきっかけになっていることの多い、一連のピアノ曲。
 ラフマニノフの傑作群と同じ時代に生まれたとは思えないほどシンプルな音使いが続いたかと思えば、後年のショスタコーヴィチもかくやというくらい激しい落差で激情のほうへと傾いたりする・・・その息をのむような繊細さと激しいダイナミズム。この味わい深いヤナーチェク語法を、しっとりじっくり聴かせてくれるクヴェールのピアニズムには、異国人たちが集まってさまざまな芸術的刺激を与え合ってきたパリという場所で腕を磨いた人ならではのセンスがあるのかもしれません。
 ヤナーチェクのピアノ曲といえば、これ!という3曲を集めつつ、作品そのものの面白さを端的に味あわせながら、ピアニストの個性も浮き彫りに...忘れがたい1枚です。




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