アリア・レーベル第49弾
ARIA AR 0049 1CD-R\1700
フリッチャイ指揮&ベルリン・フィル
チャイコフスキー:交響曲第5番
戦後復興期。
その時代には過去をリセットしようという情熱的で溌剌としたエネルギーが渦巻いていたという。
終戦後のベルリン・フィル。
焼け野原に生き延びたベルリンの人々にとっての、まさに希望。
そのベルリン・フィルも、かつての栄光を取り戻すべく、不屈の生命力で一歩一歩前進していた。
終戦からわずか1ヶ月で英雄ボルヒャルトにより最初のコンサートが開かれ、続いて新星チェリビダッケが登場。1947年にはフルトヴェングラーも復帰する。翌年には戦後初のイギリス演奏旅行も行われ、その復活の基盤は徐々に整いつつあった。
さて終戦後のドイツ・グラモフォン。
度重なる爆撃にもかかわらず生き残った6台のプレス機を頼りに活動再開。
原料不足に悩まされまともな生産ができぬ苦悶の日々が続くが、1948年には毎月10万枚まで復帰、ようやく活動が軌道に乗り始めた。
そんなベルリンに一人の男が降り立つ。
フェレンツ・フリッチャイ。
ハンガリーの若手指揮者。
1947年に急病のクレンペラーの代わりにアイネムの「ダントンの死」を指揮、一躍世界の注目を集めた。
そのフリッチャイが、1948年、ベルリンにやってきた。
ベルリン放送交響楽団を指揮して「新世界」、ベルリン市立歌劇場ではヴェルディの『ドン・カルロ』(これは録音が残っている。簡潔で引き締まった演奏で新しい時代を予感させる。フィッシャー=ディースカウを見出したコンサートでもある。)、さらにベルリンRIAS交響楽団、ベルリン・フィルへの客演が続く。
一連の大成功を受けて、翌年からはベルリン市立歌劇場音楽監督、ベルリンRIAS交響楽団の首席指揮者に就任。
ドイツ・グラモフォンとの専属契約も決まり、ベルリンのオーケストラとの録音が相次ぐ。
・・・まさにベルリンに舞い降りた天使。
フリッチャイは荒廃したベルリンの街に愛と感動と喜びをもたらした。
. 後にこの街の盟主となるカラヤンが戦後ベルリン・フィルに復帰するのは1953年。DGとの初録音(ベルリン・フィル)はさらに遅れて1959年。
それを考えても、戦後荒廃したベルリンの街に芸術的復興をもたらしたのは、このフリッチャイだったといっていいだろう。
今回ご紹介するのは、そのフリッチャイとベルリン・フィルのチャイコフスキー交響曲第5番。
フリッチャイのDG初録音であり、ベルリン・フィルとの初録音でもある。
このころのベルリン・フィルはもちろんフルトヴェングラーがまだまだ活躍していた時期。
フルトヴェングラーを愛する人たちは、皆一様にこのころのベルリン・フィルを「フルトヴェングラーのオーケストラ」と呼ぶ。そして他の指揮者が指揮をしても「結局フルトヴェングラーの音がする」と言う。
だが、どうだろう。・・・このチャイコフスキーの交響曲第5番。
ここで聴かれるのは、才能あふれる血気盛んな若者のこぼれるような旋律。焼け野原だったベルリンに夢と希望をもたらした愛と情熱のリズム。
これはまさにフリッチャイという青年の音。
終楽章ラスト5分。
こんなにもベルリン・フィルが狂気乱舞し、行進曲さながらに躍動する瞬間を見たことがあるか。
時代なのか、フリッチャイという男のなせる業なのか。
とにかくこんな「情熱的で溌剌とした」演奏にはなかなかお目にかかれない。
聴き終わったあと、目を輝かせながら明るく「ブラボー!」と言いたくなると思う。
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