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<グッディーズ・オリジナル>
ダイレクト・トランスファー CD−R
その2
DSD録音 1CD−R\1543

 グッディーズ・オリジナル・ダイレクト・トランスファーCD−R。予想通りのすごい反響。その生々しさはやはりただものではなかった。
 グッディーズは東京にあるクラシック専門のCDショップなのだが、ここが自社製作しているSPレコードの復刻CD-Rの評判がすこぶる良い。東京在住のお客様からときどき「グッディ−ズのCD-R扱わないんですか?いいですよ。」と言われるてきた。
 ということで「グッディーズ・オリジナル ダイレクト・トランスファー CD−Rシリーズ。」
 ご覧のように誰もが知る名盤中の名盤から、知る人ぞ知るレアな演奏家の貴重録音まで、実に多彩。お手持ちの復刻版との比較を楽しんでもよし、ようやくの再会にむねをときめかしてもよし。
 なお編集を一切行っていないため、盤が変わる間には空白が入る。これこそがSPの醍醐味か。

 これ以前の旧譜はこちらをどうぞ。その1
 最新新譜を含むアルバムはその3をどうぞ。

グッディーズより

●SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R
 SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。
 収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。

■ご注意
 編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。
 トラック間の空白部分は統一されていません。
 リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。
 一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。

<2013年12月6日紹介新譜>

33CDR-3469 G線上のアリア-巌本真理
 (1)カヴァティーナ(ラフ)
 (2)G線上のアリア(J.S.バッハ=ヴィルヘルミ編)
 (3)トロイメライ(シューマン)
 (4)愛の悲しみ(クライスラー)
 (5)ロンドンデリー・エア(民謡=クライスラー編)
 (6)タイスの瞑想曲(マスネ)
 (7)夢の後に(フォーレ)
 (8)ト調のメヌエット(ベートーヴェン)
 (9)ヴォカリーズ(ラフマニノフ)
 (10)アヴェ・マリア(シューベルト=ヴィルヘルミ編)
  日TOSHIBA RECORDS JCO 1007(Mono)
   (1958年頃録音)
巌本真理(ヴァイオリン)
鷲見五郎(ピアノ)
 
33CDR-3470 アヴェ・マリア-巌本真理
 (1)アヴェ・マリア(J.S.バッハ=グノー)
 (2)シューベルトの子守歌(シューベルト=エルマン編)
 (3)天使のセレナード(ブラガ)
 (4)印度の歌(リムスキー=コルサコフ)
 (5)ワルツ作品39(ブラームス)
 (6)インディアン・ラメント(ドヴォルザーク=クライスラー編)
 (7)愛の喜び(マルティーニ)
 (8)エレジー(マスネ)
 (9)愛の夢(リスト)
  日TOSHIBA RECORDS JCO 1046(Mono)
  (1960年頃録音)
巌本真理(ヴァイオリン)
坪田昭三(ピアノ)
 巌本真理(1926-1979)は東京生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイス・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成した活躍した。この録音は創立間もない東芝電気のレコード部門で録音されたもので、忘れ去られていたヴァイオリン小品集、モノーラル録音ながら高音質でヴァイオリン音楽ファンの必聴盤である。
 
78CDR-3471 ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ第8番ホ短調作品2-8
ドビュッシー:月の光(ローランス編)
メラルティン:エレジー
 日COLUMBIA JW635/6(01-04), JW553(05-06)
  (1939年頃東京録音)
アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)
アレクシス・アバサ(ピアノ)
 アレクサンダー・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワでヤン・グルジマリに師事した。モスクワで弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年にパリに移住、リュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもち、ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけた。1926年11月に初来日、1930年に再来日してから1953年亡くなるまで、演奏家として、優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。
 
78CDR-3472 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
ピツェティ:カント第2番
 独 GRAMMOPHON LVM72053/4(78回転長時間レコードVG盤)
  (1951年11月1日録音)
リリア・ダルボーレ(ヴァイオリン)
ゲザ・フリッド(ピアノ)
リリア・ダルボーレ(1914-?)はイタリア生まれの女性ヴァイリン奏者で、第2次大戦中から大戦後にドイツで活躍したこと以外は詳細不明。
 このブラームスは戦後の1951年、LP出現前夜にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間レコードVG盤で発売されたもの。マスターはテープ録音と思われる。これ以前にドイツのポリドールにはドヴォルザークのソナチネから第2楽章(クライスラー編曲のインディアン・ラメントとしても知られている)、ヴェラチーニのヴァイオリン・ソナタ第6番作品2-6 から第2楽章、フランクのヴァイオリン・ソナタ(1942年録音)、グルックの妖精の踊り(以上3曲は78CDR-3473に収録)、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタハ長調 K.404、シューベルトのソナチネ第1番作品137、シモネッティのマドリガルがあり、またライヴ録音のチェリビダッケ指揮でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番 K.219もあった。
 
78CDR-3473 フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品2-6より第2楽章
ドヴォルザーク:ヴァイオリンのためのソナチネ ト長調作品100より第2楽章
 独POLYDOR 68002/5 & 67681
  (1942年(01-08)、1941年(09&10)録音)
リリア・ダルボーレ(ヴァイオリン)
ヒューベルト・ギーゼン(ピアノ)
リリア・ダルボーレ(1914-?)はイタリア生まれの女性ヴァイリン奏者で、第2次大戦中から大戦後にドイツで活躍したこと以外は詳細不明。
 ここに収録した以外にドイツのポリドールにはグルックの妖精の踊り、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタハ長調 K.404、シューベルトのソナチネ第1番作品137 、シモネッティのマドリガルがあり、また戦後の1951年、LP出現前夜にドイツ・グラモフォンが開発した78回転長時間レコードVG盤で発売されたブラームスのヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3472)があった。またライヴ録音のチェリビダッケ指揮でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番 K.219も出ていた。


<2013年11月8日紹介新譜>

33CDR-3464 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
 ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
 ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
  仏 ODEON ODX-122/123A
   (1955年パリ録音)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
  
33CDR-3465 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
 パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
 ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
 パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006
  仏 ODEON ODX-123B/124
   (1955年パリ録音)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
 ヘンリク・シェリング(1918-1988)はポーランド生まれ、同国生まれの巨匠ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)の目にとまり、ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)の下に研鑽を積んだ(1929-32)。その後パリ音楽院に入り作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)、ヴァイオリンをガブリエル・ブイヨン(1896-1984)に師事し1937年に一等賞を得た。
 第2次世界大戦が勃発すると、ポーランド政府はシェリングが8カ国語を流暢に話すことに目を付け、亡命先を探していたポーランドのヴラディスワフ・シコルスキ将軍の通訳としてメキシコを訪れたのが縁で、自身も1945年にメキシコ国籍を取得し首都の音楽院で教鞭をとる。
 1952年12月にパリで師のガブリエル・ブイヨン指揮パドルー管弦楽団でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番(33CDR-3450)、続いて1953年1月にはジャック・ティボー(1880-1953)指揮パリ音楽院管弦楽団でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を録音し演奏家活動を開始した。このバッハはそれにつづく第3作目のパリ録音でこの曲の第1回録音。2回目のステレオ録音(1967)に較べて圧倒的に優れている。
 
78CDR-3466 ハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番 Hob.Vlla-1
 (カデンツァ: カール・フレッシュ)
  英 PARLOPHONE PXO 1045/7
   (1947年4月19日ロンドン録音)
シモン・ゴールドベルグ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 シモン・ゴールドベルグ(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。
 ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年にフルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934ドイツがナチス政権になった時に退団ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジア演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本のピアニスト山根美代子さんと結婚、立山で暮らしていた。
 この録音は戦後の1947年のもの、録音時ゴールトベルグは38歳だった。指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980)はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者のジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後に英国国籍を得た。
 
78CDR-3467 フォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品13
 米ヴィクトローラ 8086/8 (英 HMV DB1080/2 と同一録音)
 (1927年6月23日ロンドン録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
 ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのときティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。
 1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。
 ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日の途中、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。
 
78CDR-3468 ジョー・スタッフォード&ゴードン・マックレエ、クリスマス・ソング
 (1)
  a. あめには栄え(Cho)-
  b. 牧人羊を(JS)-
  c. 神の御子は今宵しも(GM)-
  d. ひいらぎかざろう(Cho)-
  e. 久しく待ちにし主よとく来りて(JS & GM)
   (4:39) 79-90032A (4726-2D-6)
 (2)
  f. もろびとこぞりて(Cho)-
  g. 天なる神にはみ栄えあり(GM)-
  h. ああベツレヘムよ(JS)-
  i. ゴッド・レスト・イー・メリー・ジェントルメン(Cho)-
  j. 聖しこの夜(JS & GM)
   (4:48) 79-90032A (4727-2D-7)
 (3) ホワイト・クリスマス(3:06)
    (I. Berlin)(JS) 319A (1225-3R)
 (4) 聖しこの夜(3:05)
   SILENT NIGHT(Gruber-Mohr)(JS) 319B (999-5L)
  米 CAPITOL 79-90032(Mono)(1)-(2) (1950年録音)
  米 CAPITOL 319(Mono)(3)-(4) (1946年9月19日録音)
ジョー・スタッフォード(vo)(1)-(4)
ゴードン・マックレエ(vo)(1)-(2)
リン・マーレイ・シンガーズ (3)-(4)
ポール・ウェストン楽団・合唱団 01-04
 誰もが耳にしたことがあるクリスマス・ソング集。ジョー・スタッフォードの第1期キャピトル時代(1943-1951)にSPレコードに録音されたクリスマス・ソングでCD初登場。ジョー・スタッフォード(1917-2008)はカリフォルニア州コーリンガの生まれ。
 1938年男女4人のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロシンガーに抜擢された。1942年バンドを辞してソロヴォーカリストとして歩み初め、新興のキャピトル・レコードの専属になった。ゴードン・マックレエ(1921-1986)はミュージカル映画「オクラホマ」(1955)や「回転木馬」(1956)に登場した映画俳優・シンガー。
 歌手としてキャピトル・レコードの専属となり、ジョー・スタッフォードとの二重唱「希望のささやき」Whispering Hopeが1949年にミリオンセラーを記録した。

<2013年10月11日紹介新譜>

33CDR-3459 JO+JAZZ/ ジョー・スタッフォード
 (1)ジャスト・スクイーズ・ミー
 (2)フォー・ユー
 (3)ミッドナイト・サン
 (4)ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
 (5)ザ・フォークス・フー・リヴ・オン・ザ・ヒル
 (6)アイ・ディドント・ノウ・アバウト・ユー
 (7)ホワット・キャナイ・セイ
 (8)ドリーム・オブ・ユー
 (9)イマジネーション
 (10)スポージン
 (11)デイ・ドリーム
 (12)アイヴ・ガット・ザ・ワールド・オンナ・ストリング
 米COLUMBIA CS8361(U.S)(Stereo)
  (1960年7月15日、8月1日&10日ロスアンジェルス録音)
ジョー・スタッフォード(vo)
ジョー・スタッフォード(1917-2008)はカリフォルニア州のコーリンガの生まれ。1938年男女4人編成のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロシンガーに抜擢された。
 1942年バンドを辞してソロヴォーカリストとして歩みはじめた。1950年にコロンビアの専属となり、夫君のピアニスト=アレンジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスター歌手の地位を築いた。このアルバムはデューク・エリントン楽団のメンバーとウェスト・コーストで活躍するジャズメンの混成隊によるものでコロンビアでのジョーの最後のアルバムである。エリントン楽団とドーシー楽団の曲を中心に歌うジョー会心の作品。
 
33CDR-3460 ローズマリー・クルーニー讃美歌集
 (1)千歳の岩
 (2)さびしきみそのに
 (3)日暮れて四方はくらく
 (4)イット・イズ・ノー・シークレット
 (5)静けき祈りの時はいと楽し
 (6)丘の上に十字架たつ
 (7)九十九匹の羊
 (8)村の小さな教会
 (9)主われを愛す
 (10)主よみもとに近づかん
 (11)いつくしみ深き
 (12)イエスのために生き
 (13)ソフトリー・アンド・テンダリー
 (14)見よや十字架の旗高し
  米MGM RECORDS SE3782(Stereo)(1959年録音)
ローズマリー・クルーニー(vo)
ローズマリー・クルーニー(1928-2002)はケンタッキー州メイズヴィルの生まれ。2歳下の妹ベティとクルーニー・シスターズを組み歌手デビューした。1949年ニューヨークに出てコロンビアと契約。「カモナ・マイ・ハウス」の大ヒット(1951)で人気歌手になった。
 その後コロンビアで数々のヒット・シングルを出し、アルバムでは「ブルー・ローズ」(デューク・エリントン楽団)他がある。1958年コロンビアを離れMGM、RCA、CORAL 等レーベルに録音、その後10年程の空白期の後CONCORDレーベルに復帰し多くの名作アルバムを残した。
 このアルバムはコロンビアを離れた直後のもので、クルーニーのアルバムでは最もレア。シンプルな編成をバックにしみじみと歌うクルーニーの最高傑作の歌曲アルバムである。
 
78CDR-3461 ブラームス:
 交響曲第1番ハ短調作品68
 交響曲第2番ニ長調作品73
  米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
  (1953年12月30日(第1番)&12月28日(第3番)
  ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィル
  
78CDR-3462 ブラームス:
 交響曲第3番ヘ長調作品90
 交響曲第4番ホ短調作品98
 米 COLUMBIA SL200(U.S.)(Set)
 (1953年12月21日(第3番)&1951年2月12日(第4番)
  ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィル
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。
 その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。
 ワルターはステレオでもブラームス交響曲全集を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)、交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)交響曲第36番「リンツ」&第29番(33CDR-3454)が出ている。
 
78CDR-3463 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:ヨアヒム)
 米 COLUMBIA ML4012
 (1947年4月5日ニューヨーク録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィル
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年にベルリンでデビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教鞭をとり、1940年アメリカに移住した。
 シゲティは1931年の初来日以来何度も日本を訪れた。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ヨーロッパで活躍していたが、1838年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてアメリカ逃れた。この録音は同じ顔合わせの2回目のもので、第1回の1932年録音もこのシリーズ(78CDR-3138)で出ている。
 この録音は最初78回転SPで発売されたが、1948年に登場したLPの第1回発売に組み込まれた。これはLPからの復刻。

<2013年9月13日紹介新譜>

33CDR-3454 モーツァルト:
 交響曲第36番ハ長調 K.425「リンツ」
 交響曲第29番イ長調 K.201
  米 COLUMBIA ML5375(1955年4月26&28日(36番)&1954年12月29-30日(29番)
  ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。
 ワルターはステレオでもこの2曲を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。
 このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)と交響曲第41番「ジュピーター」と第39番(33CDR-3449)が出ている。
 
33CDR-3455 ウェーバー:フルート、チェロとピアノのための三重奏曲ト短調作品63
 ルネ・ル・ロワ(フルート)
 ヤーノシュ・ショルツ(チェロ)
 エルノ・バロー(ピアノ)
メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲第3番ニ長調作品44-1
 ギレ弦楽四重奏団
  米 VOX VL6390 (1949年秋録音)
ルネ・ル・ロワ(1898-1985)はフランスのフルート奏者。幼少時からフルート奏者だった父親に手ほどきをうけ、1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。1922年にパリ器楽五重奏団(フルート、ハープ、弦楽トリオ)を結成、オーケストラ活動をせずソロや室内楽奏者として、ヨーロッパ各地、アメリカを演奏旅行した。フォンテーヌブローのアメリカ音楽院、カナダのモントリオール音楽院、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。
 チェロのヤーノシュ・ショルツ(1903-)はハンガリー出身のチェリスト。1933年アメリカに移住し市民権を得た。ロート弦楽四重奏団のチェリストと活躍した。
 ピアノのエルノ・バロー(1897-1989)もブダペスト音楽院出身。卒業後ベルリンでレオニード・クロイツァー(1884-1953)に師事、1924年にアメリカに移住、ピアニスト、教師として活躍した。ギレ弦楽四重奏団のリーダー、ダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコとギヨーム・レミに師事し、オペラ・コミックのコンサート・マスター、カルヴェ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めた後、1941年にアメリカに移住、ギレ弦楽四重奏団を組織、1944年にトスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入団、1951年にコンサート・マスターになった。
 ギレ弦楽四重奏団は結成当時からメンバーが何回か替わっていて、他のメンバーの名前は記載されていない。
 
78CDR-3456 ブラームス:ヴァイオン協奏曲ニ長調作品77
 (カデンツァ: ヴィンクラー)
 独 GRAMMOPHON 04857/52(78回転VG盤)
  (1953年5月17-21日ベルリン、ダーレム、イエス・キリスト教会録音)
ウォルフガンク・シュナイダーハン(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれ。1933年から37年までウィーン交響楽団のコンサートマスターをつとめ、1937年にウィーン・フィルハーモニーに入団、1938年、当時のコンサートマスターだったアルノルト・ロゼー(1863-1946)がロンドンへ亡命した時、第1コンサートマスターに就任した。1949年ソリストとして独立するためにウィーン・フィルを退団した。
 指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍したが、大戦中に祖国を離れ、敵国ドイツで活動したことを糾弾され、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世を去った。このレコードはSPレコード末期にドイツグラモフォンが開発した長時間収録のSP盤(VG盤)にカットされた放送局用のレコードで一般発売はされなかかった。演奏はLP(Heliodor 89519)と同じ。
 
78CDR-3457 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
 英 DECCA CA8207/10(独 POLYDOR 67062/5と同一録音)
  (1935年ベルリン録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメンに生まれ、第2次大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍したが、1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。
 このシリーズでブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(シューリヒト指揮)(78CDR-3123)とベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3127)、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3452)が出ている。
 ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツのピアニスト。ベルリン音楽大学でロベルト・カーンに作曲をカール・ハインリヒ・バルトにピアノを師事し、1917年ピアノ組曲の作曲でメンデスゾーン賞を受賞した。その後ピアニストとして活躍し、1936年ドイツ文化使節として来日したことがある。SPレコード時代から録音が多くわが国でも親しまれていた。このシリーズではベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番「皇帝」(78CDR-3320)、第4番(78CDR-3120)、第3番(78CDR-3112)、ピアノ・ソナタ「悲愴」(78CDR-3133)、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78-3153)が出ている。
 
78CDR-3458 ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
 仏 DISQUE GRAMOPHON DB5154/6(France)
 (1941年3月17日パリ録音)
ガブリエル・ブイヨン四重奏団
ガブリエル・ブイヨン(ヴァイオリン)
アベール・ロカテルリ(ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
ガブリエル・ブイヨン(1896-1984)はフランスのモンペリエ生まれ。1910年パリ音楽院に入りリュシアン・カペー(1873-1928)に師事し一等賞を得た。卒業後ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ジャック・ティボー(1880-1953)について研鑽をつみ、ソリストとして活躍する一方1943年からパリ音楽院教授をつとめた。
 門下生にヘンリク・シェリング(1918-1988)がいる。
 ブイヨン四重奏団は1940年にカペー弦楽四重奏団のメンバーを引き継いだモーリス・エヴィットが指揮者として転出した後をつぎ、1940年に結成された。ヴィオラとチェロはカペー四重奏団の最後のメンバーである。

<2013年9月6日紹介新譜>

33CDR-3449 モーツァルト:
 交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
 交響曲第39番変ホ長調 K.543
  米 COLUMBIA ML5014(1953年12月21日(39番)&
  1956年3月5日(41番)ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィル
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルンを卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をしたとき、音楽監督をつとめていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。
 その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカの逃れた。この録音はLP時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもこの2曲を録音しているが、このモノ録音が圧倒的に優れている。このシリーズで交響曲第40番&第35番「ハフナー」(33CDR-3402)で出ている。
 
33CDR-3450 J.S.バッハ:
 ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
 ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
  仏ODEON XCO809(Mono)(1952年12月録音)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ガブリエル・ブイヨン指揮
コンセール・パドルー管
ドニーズ・グアルヌ(クラヴサン)
 ヴァイオリンのヘンリク・シェリング(1918-1988)はポーランド生まれ。同郷の大ヴァイオリン奏者フーベルマン(1882-1947)のすすめでベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、その後パリ音楽院でガブリエル・ブイヨン(1896-1988)にヴァイオリンをナディア・ブーランジェ(1877-1979)に作曲を学び1937年に一等賞を得た。第2次大戦中、ポーランド亡命政府の外交員(7カ国語の読み書きができた)として活躍、ポーランド難民をメキシコ政府が受け入れてくれたことに感謝し、大戦後メキシコを活動の拠点とし国籍も取得した。
 この録音は大戦後パリで師のブイヨンの指揮で行われたもの。以降数回正規録音したバッハの協奏曲の最初のものである。
 
78CDR-3451 J.S.バッハ:
 ヴァイオリン・ソナタ第4番ハ短調 BWV 1017
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ短調 BWV 1018
 ヴァイオリン・ソナタ第6番ト長調 BWV 1019
 ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 BWV1015から第2楽章 Andante
  英COLUMBIA LFX267/73
  (1932年6月-7月ブリュッセル録音)
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)
 アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はブリュッセル音楽院出身。卒業後ヴァイオリニスト、ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)にも師事し、1920年にヴュータン賞を得た。1927年に母校の音楽院の教授に就任し、弟子にはアルテュール・グリュミオー(1921-1975)がいる。
 ピアニストのマルセル・マース(1897-1950)はこのバッハ以外にもフランク: ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)で共演している。デュボワはこのシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番K.268(78CDR-3054)が出ている。
 
78CDR-3452 ブラームス:ヴァイオン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
 英 DECCA K1705/7(ffrr録音)
 (1947年1月28日スイス、チューリッヒ放送局録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ゲオルク・ショルティ(ピアノ)
 ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院教授を1943年まで務めた。1944年にスイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。
 ゲオルク・ショルティ(1912-1997)は1930年ブダペストのリスト音楽院を卒業後、国立歌劇場の歌手たちの稽古のためのピアニスト(コレペティトール)をつとめた。1936年ザルツブルク音楽祭でトスカニーニの目にとまり、音楽祭で助手をつとめた。1938年ブダペスト歌劇場で指揮者デビュー。1947年ピアニストとして英デッカと契約をむすんだ。クーンカンプとはブラームスのヴァイオリン・ソナタ全3曲の録音がこの時期にある。
 
78CDR-3453 J.S.バッハ:「シャコンヌ」-
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より
 マスネ:タイスの瞑想曲
仏 TRI-ERGON 4001/2 (独 Christschall 146/7 と同一録音)
 (1931年頃録音)
リヒャルト・チェルウォンキ(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏(04)
 リヒャルト・チェルウォンキ(1886-1949)はポーランドに生まれ、ドイツで研鑽を積み、その後アメリカに渡り1907-08 にボストン交響楽団の副コンサートマスターをつとめ、1910年にベルリン・フィルにデビューした。
 1910-19 にはミネアポリス交響楽団のコンサートマスター、1930年代にはシカゴ・オペラのコンサートマスタ-をつとめた。録音はエジソンの蝋管&縦振動レコードと独クリストシャルに数枚あった。

<2013年7月5日紹介新譜>

33CDR-3444 モーツァルト:
 ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
  (カデンツァ: R.カザドシュ)
 ピアノ協奏曲第27番変ロ長調 K.467
  (カデンツァ: モーツァルト)
米COLUMBIA ML4791
(1948年12月20日K.467&1941年11月3日K.595録音)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮(K.467)
サー・ジョン・バルビローリ指揮(K.595)
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリの音楽一族に生まれ、パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に音楽院の一等賞、1920年にディエメール賞を得た。1921年にピアニストのガブリエル・ロートと結婚、二人は四手、2台ピアノでしばしば共演した。1935年からフォンテーヌブローのアメリカ音楽院で教鞭をとり、同年トスカニーニの指揮でアメリカにデビューした。
 1940年にアメリカに移住し、カーネギー・ホールでリサイタルを開いた。ヴァイオリニストのジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)とのデュオは評判を呼んだ。戦後にヨーロッパに戻り再びフォンテーヌブローのアメリカ音楽院で教鞭をとった。ここに収録した第27番 K.595はカザドシュのアメリカでの初録音。以降多くの録音をCOLUMBIAに残した。
 指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はパリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、1928年-32年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリンをつとめ、同時に指揮法を身につけた。1938年に母校の指揮科の教授に就任、1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり62年までつとめた。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年から43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。この録音はその時代のもの。
 
33CDR-3445 モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503
 (カデンツァ: R.カザドシュ)
米 POLYDOR-VOX PL6520
(1949年8月24日、パリ、プレイエル音楽堂録音)(仏POLYDOR 566341/7と同一録音)
 (初期LP特有のノイズあり)
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
ピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)は、マルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事、16歳で一等賞を得た。1921年にローベル・カザドシュと結婚し、デュオでの演奏会や録音も多かった。
 これはSPレコード最末期のフランスPOLYDOR録音で、LPはアメリカだけで発売された。他の録音にピアノ協奏曲第9番 K.271「ジュノム」があった。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て、パリ音楽院管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校の指揮科の教授もつとめた。SPレコードに多く聴ける。
 
78CDR-3446 モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
 (カデンツァ: J.N.フンメル)
英 DECCA AK2075/8 (ffrr録音)
(1948年9月20-21日アムステルダム・コンセルトヘボウ大ホール録音)
キャスリーン・ロング(ピアノ)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
キャスリーン・ロング(1896-1968)はロンドン郊外に生まれたイギリスのピアニスト。神童として名を馳せ8歳で公開演奏会で弾いた。1915年にロンドンのエオリアン・ホールでデビューし、1920年から1964年まで母校のロンドン王立アカデミー音楽院で教鞭をとった。
 指揮者のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901-1959)はオランダの指揮者。アムステルダム音楽院出身。1931年にウィレム・メンゲルベルク(1871-1951)の招きでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の次席指揮者となり、1938年からメンゲルベルクと共に首席指揮者、1945年からメンゲルベルクの後をついで音楽監督兼終身指揮者に就任した。1959年に心臓発作で倒れ、57歳の若さで急逝した。デッカとフィリップスに多くの名演がある。トラック(4)で聴けるカデンツアを作曲したフンメル(1778-1837)はハンガリー出身、ウィーンでモーツァルト家に 2年間住み込んでピアノを学んだ。1787年ピアニストとしてデビュー、ヨーロッパ各地を演奏旅行した。ハイドン、サリエリ、ベートーヴェンとも親交があった。作品はピアノ協奏曲を含むピアノ曲、室内楽曲、ピアノ教則本もあらわした。
 
78CDR-3447 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 英 HMV DB9676/7
 (1951年8月30日録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
ジョージ・マルコム(ハープシコード)
ヴァイオリンのジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアの女流奏者。11歳でペサロ音楽院に入り、レミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞をとった。1935年にイタリアPARLOPHONEにバッハのブランデンブルク協奏曲第5番を録音したのが初レコーディング(78CDR-3275)。
 1941年にベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲をドイツPOLYDOR に録音した(78CDR-3174)。第2次大戦後の1948年ロンドンにデビューしEMI のアーティストになった。EMIの初録音はバッハのシャコンヌ(78CDR-3019)で、他にもSPレコードではヴィターリのシャコンヌ(78CDR-3241)、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3113)、バッハのヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3052)がある。
 ハープシコードのジョージ・マルコム(1917-1997)はイギリスの奏者。オクスフォード大学とロンドンの王立音楽アカデミーで学び、ウェストミンスター寺院の音楽司祭をつとめたこともある。レコード録音も多い。
 
78CDR-3448 J.S.バッハ:
 「シャコンヌ」-無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より
 米 DECCA G-25820/1(独ODEON 0-6977/8と同一録音)
 (1935年11月22&27日録音)
ゾフィー=カルメン・グラマッテ(ヴァイオリン)
"幻のレコード" の登場。ヴァイオリンのゾフィー=カルメン・グラマッテ(1899-1974)はモスクワ生まれ、ロシア革命で祖国を離れ、パリ音楽院に入りアルフレド・ブリュンとギヨーム・レミにヴァイオリンを、ゾフィ・シュネー(1847-c.1934)にピアノを、ヴァンサン・ダンディ(1851-1931)とカミーユ・シュヴィヤール(1859-1923)に作曲を学んだ。卒業後演奏家として活動、1925年にはピアニストのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)と楽旅した記録がある。1920年に画家のヴァルター・グラマッテと結婚したが、1929年に夫と死別した。
 1934年に芸術史家でジャーナリストのフェルディナント・エックハルトと再婚、ウィーンに住み、やがて演奏家としての活動をやめ作曲に専念した。1953年二人はカナダのウィニペッグに移住した。グラマッテは1974年に旅行先のシュトットガルトで事故死。享年72歳。没後にエックハルト=グラマッテ・ファウンデーションが設立された。作曲家として多数の作品を残し、6曲のピアノ・ソナタはピアニストのマルカンドレ・アムランによって全曲録音された。現在ではヴァイオリニストとしてのレコード録音があることは忘れ去られてしまった。他に自作自演のヴァイオリン協奏曲イ短調(独ODEON 0973/6)のSPがあった。

<2013年6月7日紹介新譜>

33CDR-3439 ヴィヴァルディ:合奏協奏曲集「調和の幻想」作品3(1)
 協奏曲第1番ニ長調(4つのバイオリンとチェロのための)
 協奏曲第2番ト短調(2つのヴァイオリンとチェロのための)
 協奏曲第3番ト長調(ヴァイオリンのための)
 協奏曲第4番ホ短調(4つのヴァイオリンのための)
 協奏曲第5番イ長調(2つのヴァイオリンのための)
 協奏曲第6番イ短調(ヴァイオリンのための)
  米 VANGUARD-BACH GUILD BS-572/3a(U.S.)(Mono)
  (1956年録音)
マリオ・ロッシ指揮
ウィーン国立歌劇場室内合奏団
ソロ・ヴァイオリン: ヤン・トマソウ、
ヴィリー・ボスコフスキー、
フィリップ・マタイス、
ヴァルター・ヘンテルマイアー
ソロ・チェロ:リヒャルト・ハンラント
チェンバロ: ヘルマン・ノルトベルク
アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)は司祭の職でヴェネツィア女子孤児院の音楽学校で指導にあたり、その作品は女子の合奏団のために作曲された。
 「調和の幻想」作品3は12曲からなる合奏協奏曲集で、このタイトルに惹かれたJ.S.バッハ(1685-1750)は第2番、第3番、第9番、第12番をチェンバロ協奏曲に、第6番、第11番をオルガン協奏曲に、第10番をチェンバロと弦楽・通奏低音用に編曲した。指揮者のマリオ・ロッシ(1902-1992)はローマ生まれ、聖チェチーリア音楽院で作曲をレスピーギに、指揮法をジャコモ・セタッチョリに学んだ。
 音楽院卒業後指揮者のベルナディーノ・モリナーリの助手をつとめ、聖チェチーリア音楽院管弦楽団の副指揮者を、さらに1936年からフィレンツェ五月音楽祭の常任指揮者をつとめた。1946年からトリノ・イタリア放送交響楽団の首席指揮者をつとめる一方、イタリア各地およびヨーロッパの主要オーケストラに客演した。1953年にシェーンベルク賞、1960年にはヴィオッティ金メダルを授与された。(以下3430につづく)
 
33CDR-3440 ヴィヴァルディ:合奏協奏曲集「調和の幻想」作品3(2)
 協奏曲第7番ニ短調(4つのヴァイオリンとチェロのための)
 協奏曲第8番イ短調(2つのヴァイオリンのための)
 協奏曲第9番ニ長調(ヴァイオリンのための)
 協奏曲第10番ロ短調(4つのヴァイオリンのための)
 協奏曲第11番ニ短調(2つのヴァイオリンとチェロのための)
 協奏曲第12番ホ長調(ヴァイオリンのための)
米 VANGUARD-BACH GUILD BS-573b/4(U.S.)(Mono)
(1956年録音)
マリオ・ロッシ指揮
ウィーン国立歌劇場室内合奏団
ソロ・ヴァイオリン: ヤン・トマソウ、
ヴィリー・ボスコフスキー、
フィリップ・マタイス、
ヴァルター・ヘンテルマイアー
ソロ・チェロ: リヒャルト・ハンラント
チェンバロ: ヘルマン・ノルトベルク
ヴァイオリンのヤン・トマソウ(1914-1961)はアルゼンチン生まれ。カール・フレッシュ(1873-1944)とヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)に師事した。ワシントン・ナショナル交響楽団やボルティモア交響楽団のコンサートマスターを歴任し、トーマス・シャーマンのリトル・オーケストラ・ソサイエティのソリスト、ヨーロッパの主要オーケストラのソリストとして活躍した。録音は米ヴァンガードに多くある。ヴィリー・ボスコフスキー(1909-1991)はオーストリアのヴァイオリニスト。1933年ウィーン・フィルに入団、1939年にコンサートマスターになり、1949年第1コンサートマスターだったヴォルフガング・シュナイダーハンの退団で、第1コンサートマスターに就任し1970年までつとめた。
 一方1955年から1979年までウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの指揮者をつとめた。何度も来日している。フィリップ・マタイスは録音当時ウィーン・フィルのアシスタント・コンサートマスターだった。ヴァルター・ヘンテルマイアーとチェロのリヒャルト・ハンラントはウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団のコンサートマスターをつとめていた。
 
78CDR-3441 フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調作品15
 英 HIS MASTER7S VOICE D2106/9
 (仏DISQUE GRAMOPHON L973/5 と同一録音)
 (1933年11月29-30日パリ録音)
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
アリス・メルケル(ヴィオラ)
ガストン・マルケジーニ(チェロ)
エリアーヌ・ズリュフリュ=タンロック(ピアノ)
この名曲のおそらく世界最初の録音と思われる。ピアニストのエリアーヌ・ズリュフリュ=タンロックは1900年生まれでパリ音楽院出身。このフォーレ以外にラヴェルのピアノ三重奏曲を録音していた。他にバラキレフの「イスラメイ」、ラヴェルの「道化師の朝の歌」の録音もあった。
 ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)は1914年にパリ音楽院のヴァイオリン科で一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者をつとめた後、1929年からパリ音楽院のコンサート・マスターになり、その後ソリスト、室内楽奏者として活躍した。メルケルはこのシリーズにベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)、ラロ:スペイン交響曲(78CDR-3107)、サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3166)が出ている。
 
78CDR-3442 モーツァルト:
 フルート四重奏曲第1番ニ長調 K.285
 フルート四重奏曲第4番イ長調 K.298
英 NGS 112/3(1928年7月12日ロンドン録音)(K.285)
英 HIS MASTER'S VOICE DB3365(1937年10月8日録音)(K.298)
ルネ・ル・ロワ(フルート)
インターナショナル弦楽四重奏団のメンバー(K.285):
アンドレ・マンジョー(ヴァイオリン)
フランク・ハワード(ヴィオラ)
ハーバート・ウィザース(チェロ)
パスキエ三重奏団(K.289):
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
エティエンヌ・パスキエ(チェロ)
ルネ・ル・ロワ(1898-1985)はフランスのフルート奏者。幼少時からフルート奏者だった父親に手ほどきをうけ、1916年パリ音楽院に入り1920年に卒業した。その後もフィリップ・ゴーベールの指導を受けた。1922年にパリ器楽五重奏団(フルート、ハープ、弦楽トリオ)を結成、オーケストラ活動をせずソロや室内楽奏者として、ヨーロッパ各地、アメリカを演奏旅行した。フォンテーヌブローのアメリカ音楽院(1932-1950)、カナダのモントリオール音楽院(1943-1950)、パリ音楽院(1952-1968)の教授をつとめた。
 インターナショナル弦楽四重奏団は1919年にパリ音楽院出身のヴァイオリニスト、アンドレ・マンジョーによってロンドンで結成された。このシリーズでコルトーとのフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-3125)が出ている。パスキエ三重奏団は1927年にヴィオラ奏者のピエールによって三兄弟で組織されたフランスを代表する弦楽三重奏団。多くの録音がある。
 
78CDR-3443 J.S.バッハ:チェロとピアノのためのソナタト長調 BWV 1027
 英 NGS 133/4(1929年11月録音)
ジョン・バルビローリ(チェロ)
エセル・バートレット(ピアノ)
原曲はヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれたソナタ。後に指揮者になったジョン・バルビローリ(1899-1970)の28歳のチェロによる録音。
 バルビローリは1916年ヘンリー・ウッドの率いるクイーンズ・ホール管弦楽団にチェリストとして入団し活動を始めた。1921年にエルガーのチェロ協奏曲を演奏し、1925年には室内管弦楽団を組織して自ら指揮台に立った。1936年から43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。1943年イギリスに戻りハレ管弦楽団の音楽監督となり1958までその地位にあった。ヒューストン交響楽団の常任指揮者(1961-1967)をつとめたこともある。
 SPレコード時代はクライスラーやシュナーベルらの巨匠との録音がある。晩年EMIの看板指揮者になり名演奏を数多く残している。最近忘れられたハレ管弦楽団時代の録音も発掘されて発売されている。 

<2013年5月3日紹介新譜>

33CDR-3434 モーツァルト:
 弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」
 弦楽四重奏曲第21番ニ長調 K.575「プロシャ王第1番」
  米 CONCERT HALL SOCIETY CHS1130 (1951年録音)
ギレ弦楽四重奏団
ダニエル・ギレ(第1ヴァイオリン)
ヘンリー・シーグル(第2ヴァイオリン)
ウィリアム・シェン(ヴィオラ)
デイヴィッド・ソイヤー(チェロ)
リーダーのダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコとギヨーム・レミに師事し、オペラ・コミックのコンサート・マスター、カルヴェ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めた後、1941年にアメリカに移住、ギレ弦楽四重奏団を組織、1944年にトスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入団、1951年にコンサート・マスターになった。
 1954年にはピアニストのメナヘム・プレスラーとチェロのバーナード・グリーンハウスと共にボザール三重奏団を結成した。1969年に引退し、イシドア・コーエンがそのポジションを引き継いだ。
 ギレ弦楽四重奏団は結成当時からメンバーが何回か替わっている。このシリーズでは1947年録音のバルトーク:弦楽四重奏曲第4番(78CDR-3335)がギレ以外は別のメンバーの演奏で出ている。
 
33CDR-3435 ハイドン:
 弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5 Hob.III-63 「ひばり」
 弦楽四重奏曲第78番変ロ長調作品76-4 Hob.III-78 「日の出」
  米 COLUMBIA ML4216(Mono)(米COLUMBIA 72836/8-D(78s)と同一録音)
  (1947年5月2日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
エドガー・オルテンベルグ(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成され、1967年に解散した。1930年にリーダーがロシア生まれのヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活動し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。
 この録音はSPレコードの末期の1947年に録音され、それまで第2ヴァイオリンだったアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)が抜けて、エドガー・オルテンベルグ(1900-1996)が入った時期のもの。ヴィオラのボリス・クロイト(1897-1969)は1936年からメンバーになったロシア生まれの奏者。チェロのミッシャ・シュナイダー(1904-1985)は1930年から加わった。シュナイダーもロシア生まれ、ライプツィヒでユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーの弟である。
 
78CDR-3436 ハイドン:
 弦楽四重奏曲第75番ト長調作品76-1 Hob.III-75 「エルデディ」
ディッタースドルフ:
 弦楽四重奏曲第1番ニ長調からアレグロ
  英 HIS MASTER'S VOICE D1075/7
   (1926年1月28日、2月4日&11日録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
エミル・ハウザー(第1ヴァイオリン)
イムレ・ポガニー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリ(ヴィオラ)
ハリー・ソン(チェロ)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成され、1967年に解散した。
 これはオリジナル・メンバー(第2ヴァイオリンは2代目)による電気録音最初期のもの。1930年代にリーダーはロシア生まれのヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、他の奏者も全員ロシア出身の音楽家に代わり、20世紀半ばには世界最高の弦楽四重奏団になった。その団体の原点にあたるオリジナル・ブダペスト弦楽四重奏団は同じハンガリー出身のレナー弦楽四重奏団を追ってHMVに登場した軽やかな足取りの爽やかな演奏スタイルが、後年のロイスマン時代のものと異なる。この同時代の演奏でドヴォルザーク「アメリカ」(78CDR-3376)が出ている。
 
78CDR-3437 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95
 独 TELEFUNKEN E 2960/62
  (1938年10月17日録音)
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
カルヴェ弦楽四重奏団はジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)によって1919年に結成された。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。この録音は創立メンバーによるもの。リーダーのカルヴェ以外のメンバーは3人は1940年に離籍した。
 カルヴェは1935年にパリ音楽院教授になり、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年に米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニー指揮のNBC 交響楽団に入り1951年にコンーサート・マスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを結成した。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重奏団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。
 
78CDR-3438 モーツァルト:
 弦楽四重奏曲第22番変ロ長調 K.589「プロシャ王第2番」
  仏 BAM 83/5
  (1949年10月29日録音)
パスカル弦楽四重奏団
ジャック・デュモン(第1ヴァイオリン)
モーリス・クリュ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ロベール・サル(チェロ)
パスカル弦楽四重奏団は1941年、カルヴェ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者だったレオン・パスカル(1899-1969)によって南仏マルセイユで結成された。ドイツ占領下のヴィシー政権の影響が直接及ばない地を選んだものと想像する。フランス国立放送管弦楽団に所属してからORTF弦楽四重奏団と呼ばれた時期もある。
 第1ヴァイオリンのジャック・デュモン(1913-)はパリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し、1934年に一等賞を得た。1973年デュモンが引退して解散した。フランスの弦楽四重奏団で初めてベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲録音をした。LP時代にアメリカのコンサート・ホール・ソサイエティに大量の録音をしていた。

<2013年4月5日紹介新譜>

33CDR-3429 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D.384, 作品137-1
 米 COLUMBIA ML4133(Mono)
 (録音:1946年5月20日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ=ベートーヴェン、
 1941年11月25日&1942年4月17日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール=
 シューベルト)
 (初期LP特有のノイズあり)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)(ベートーヴェン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)(シューベルト)
ヴァイオリンのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められ、1917年から24年にはスイスのジュネーヴ音楽院で教えた。1940年にアメリカに移住した。ピアノのミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれ、99歳までコンサート・ステージに登場していた。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。
 第2次大戦中にアメリカに移住、カーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者として活躍、録音も多い。アンドール・フォルデス(1913-1992)はブダペスト生まれ、後にアメリカ国籍を得た。この録音はマスターがテープではなくディスク録音で最初はSPで発売された。これはSPレコードの復刻ではなくマスターディスクから直接トランスファーされたLP。
 
33CDR-3430 サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
ラヴェル:ツィガーヌ
 米 VOX VLP6240(Mono)(原録音: 仏POLYDOR 566245/8, 78rpm)
 (1947年12月16-17日パリ録音)
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
ルッジェーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。メニューインの師でもあったルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳でサンフランシスコでデビューした。1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)の門下に入った。1942年から1945年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。この録音は大戦後間もなくの1947年パリで行われた。リッチの初協奏曲録音として記念すべきもの。
 フランスではSPレコードでの発売だったが、アメリカではこのLPのみの発売だった。ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの指揮者。1935年から1950年まで名門ラムルー管弦楽団の首席をつとめ、SPレコードの録音も数多かった。録音当時29歳だったリッチをフルサポートして名演奏を実現したのもビゴーの力によるものと思う。音は良くないが、知られざる名演奏の発掘としてヴァイオリンの愛好家に聴いて頂きたくこのシリーズに組み込んだ。
 
78CDR-3431 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
 仏 ODEON 123839/41(日本コロムビア J8531/3と同一録音)
 (1936年東京録音)(M55128/33は日本コロムビアのMatrix番号)
シモン・ゴールドベルグ(ヴァイオリン)
リリー・クラウス(ピアノ)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)とピアノのリリー・クラウス(1903-1986)による1936年日本公演の際の日本コロムビアでのスタジオ録音。これはフランスで発売されたODEON盤のSPレコードからのダイレクト・トランスファー。ポーランド生まれのゴールドベルクは8歳の時ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、12歳でワルシャワでデビューした。1916年16歳でドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに任命され、1929年20歳の時フルトヴェングラー(1886-1954)の招きでベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターに就任した。
 1934年ドイツで政権を得たナチスによってベルリン・フィルのコンサート・マスターの地位を追われ、ニューヨークでデビュー。戦後アメリカ国籍を得て、演奏活動と後進の指導に活躍した。1990年から没年まで新日本フィルハーモニーの指揮者をつとめ、富山県の立山のホテルにて死去した。ピアノのリリー・クラウスはハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でゾルタン・コダーイ(1882-1967)やベラ・バルトーク(1881-1945)に師事した。さらにウィーンでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)の薫陶をえた。1942年シモン・ゴールドベルクとアジア楽旅の時、ジャワ島で日本軍に捕らえられ、家族共々1945年まで抑留生活を送った。戦後はイギリス国籍を取得し活発な演奏活動を行った。第1面でテイク7の原盤が使われている。
  
78CDR-3432 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調作品131
 独 TELEFUNKEN E 2590/4
 (1938年1月17 & 19日録音)
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
カルヴェ弦楽四重奏団はリーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)によって1919年に結成された。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。この録音は創立メンバーによるもの。リーダーのカルヴェ以外のメンバーは3人は1940年に離籍した。カルヴェは1935年にパリ音楽院教授になり、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。
 第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年に米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニー指揮のNBC 交響楽団に入り1951年にコンーサート・マスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを結成した。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重奏団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。
  
78CDR-3433 モーツァルト:交響曲第36番ハ長調 K.425「リンツ」
 仏 POLYDOR A6329/31
 (1950年1月30日パリ、サル・ショパン録音)
オットー・クレンペラー指揮
パリ・プロムジカ室内管弦楽団
オットー・クレンペラー(1885-1973)はドイツ生まれ、1910年からドイツ各地のオペラハウスでキャリアを積んだ。1927年-31年にはベルリンのクロール・オペラの指揮者をつとめた。ユダヤ人の彼は1937年ナチスの迫害を逃れてアメリカに移住、市民権を得てロスアンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督のポジション得た。だがカリフォルニアの土地になじめずその地位を離れた。第2次世界大戦が終わるとヨーロッパ楽壇に復帰した。この録音はヨーロッパ復帰直後のパリで行われた。プロムジカ室内管弦楽団は実体はラムルー管弦楽団。この録音はSPレコード末期のもので日本ではほとんど知られていなかったもの。
 大指揮者の颯爽とし名演奏を、晩年の演奏と比較しながら聴かれることをおすすめする。


<2013年3月8日紹介新譜>

33CDR-3424 J.S.バッハ:
 ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
 ピアノ、ヴァイオリンとフルートのための協奏曲イ短調 BWV.1044
  仏 DECCA FAT133530(Mono)
  (1952年録音)
セリニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
ジョルジュ・エネスコ指揮
パリ室内楽協会管弦楽団
エネスコ最晩年の超希少盤。ジョルジュ・エネスコ(1881ー1955)は20世紀前半に活躍したルーマニア出身の大音楽家。7歳でウィーン音楽大学に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高メダルを得た。引き続きパリ音楽院で学び1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。
 ヴァイオリニスト、ピアニスト、指揮者、作曲家として活躍し、このシリーズではヴァイオリニストとしての主要録音はすべて聴ける。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1896に14歳で一等賞を得た。彼女は1926年にエネスコに出会い以後何度も共演している。
 ヴァイオリンのクリスチャン・フェラス(1933-1982)はパリ音楽院出身、1946年に一等賞、1948年にオランダのスヘフェニンヘン国際コンクールに優勝、1949年にエネスコの指導を得て、ロン=ティボー国際コンクールで 2位に入賞した。その後ソリストとして目ざましい活躍をしたが、1982年50歳の誕生日を迎える直前に死去した。フルートのジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)は医学をめざしたが大戦のためパリ音楽院でフルート科に入りわずか5ヶ月で一等賞を得た。音楽院ではガストン・クリュネルに師事した。1947年にジュネーブ国際コンクールに優勝しソロ活動を始めた。フェラスが19歳、ランパルが30歳の時の録音。
 
33CDR-3425 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
  米 COLUMBIA ML4327(Mono)
  (1949年12月28日録音)
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
ジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれヴァイオリニストだった父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴァイオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビューし、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年にソリストとしてアメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。
 ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を1920年にディエメール賞を得た。1921年にギャビー夫人と結婚しデュオ演奏もしている。第2次大戦中にアメリカに移住した。この「クロイツェル」ソナタはティボーとコルトーの名演奏(78CDR-3015)の丁度20年後に登場したフランスの名手による録音で後年のステレオ録音に比べて圧倒的に優れている。
 
78CDR-3426 モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
 デンマーク COLUMBIA LDX7003/5
 (1948年10月31&11月1日録音)
ルイ・カユザック(クラリネット)
コッペル弦楽四重奏団
エルゼ・マリー・ブルーン(第1ヴァイオリン)
アンドレアス・シレホッド(第2ヴァイオリン)
ユリウス・コッペル(ヴァイオラ)
トルベン・アントン・スヴェンセン(チェロ)
ルイ・カユザック(1880-1960)はフランスのクラリネット奏者、作曲家。トゥールーズ音楽院でフェリッス・パジェに、パリ音楽院でシリユ・ローズ(1830-1902)に師事した。
 1901年にパリ・オペラ座管弦楽団に入り、1920年までコロンヌ管弦楽団の首席奏者をつとめた。1920年以後はソリストとして活躍した。カユザックはこのシリーズでニールセンのクラリネット協奏曲作品57(78CDR-3411)が出ている。コッペル弦楽四重奏団は1945年にユリウス・コッペル(1910-2007)と夫人のエルゼ・マリー・ブルーン(1911-2007)によって組織された。二人はデンマーク王立管弦楽団のメンバーだった。デンマーク室内楽の中核をなす団体だった。
 
78CDR-3427 ファリャ=コハンスキー編曲
スペイン民謡組曲
 (1)ムーア人の衣装 El Pano Muruno -
  子守歌 Nana J5632A (JTW178)
 (2)歌 Cancion -
  ポロ Polo J5632B (JTW179)
 (3)アストゥリア地方の歌
  Asturiana J5633A (JTW180)
 (4)ホタ Jota J5633B (JTW181)
  日COLUMBIA J5632/3
   (1939年東京録音)
アレクサンダー・モギレフスキー(ヴァイオリン)
ナディーネ・ロイヒテンベルグ(ピアノ)
アレクサンダー・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワでヤン・グルジマリに師事した。モスクワで弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年にパリに移住、リュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもち、ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけた。
 1926年11月に初来日、1930年に再来日してから1953年亡くなるまで、演奏家として、優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。ピアノのロイヒテンベルグはモギレフスキー夫人。伴奏者として活躍した。
 
78CDR-3428 ワーグナー:ヴェーゼンドンク歌曲集
シューベルト:アンセルモの墓にて 作品6-3, D.504
 英 DECCA LY6141/2 & CA8253 独 POLYDOR 57084/5 & 57028と同一録音
 (1936年4月6日=03 & 05 、1937年4月10日=01、 4月12日=04、
  4月24日=02 & 06 録音)
ティアナ・レムニッツ(ソプラノ)
ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)
ティアナ・レムニッツ(1897-1994)ドイツのソプラノ。ハイルブロン歌劇場でデビューし、その後アーヘン(1922-28)、ハノヴァー(1928-34)、ドレスデン(1928-34)などの歌劇場に出演した。1934年にベルリン国立歌劇場のメンバーに抜擢され1957年まで在籍した。その間ミュンヘン州立歌劇場やウィーン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭にも出演した。また1936年にはロンドンのコヴェントガーデンのロイヤル・オペラ、ブエノス・アイレスのテアトロ・コロンにも出た。メトロポリタン歌劇場には1938年に出演している。
 ピアノのミヒャエル・ラウハイゼン(1899-1984)はドイツのピアニスト、伴奏者としてエルナ・ベルガー(1900-1990)、エリーザベト・シュヴァルツコプフ(1915-2006)ほか幾多の名歌手の伴奏者をつとめた。1933年からドイツ語歌曲のすべてをレコードに録音することを企画し、そのため1940年にベルリンのドイツ帝国放送局の声楽・室内楽部の部長に就任。戦後これがナチス協力に問われ、数年間の活動禁止を命じられた。レムニッツはオーケストラ伴奏(ロベルト・ヘーガー指揮)の同曲がLPで出ていた(米 URANIA 7019)。

<2013年2月8日紹介新譜>

78CDR-3414 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
 仏 DECCA GAG 1955/7 (英DECCA AK1955/7と同一録音)
 (1948年6月17 & 27 日ロンドン NW6、DECCA スタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれ。5歳の時、両親と共にイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自分の名前を冠したサロン・オーケストラを作りBBC放送やレコード録音で活躍した。
 第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、66年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音し、1971年にイギリスでも発売された。このバッハは第2次世界大戦後間もなく録音されたもので、ストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" の音色とカンポーリの歌心が堪能できる。忘れられつつある名演奏家の記録として後世に伝えたい録音としてこのシリーズに組み入れた。
 
78CDR-3415 ベートーヴェン:七重奏曲作品20
 英 COLUMBIA LX109/113
  (1930年3月4日録音)
イエノ・レナー(ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
クロード・ホブデイ(コントラバス)
チャールズ・ドレイパー(クラリネット)
オーブリー・ブレイン(ホルン)
エルネスト・W・ヒンチクリッフ(バスーン)
レナー弦楽四重奏団のメンバーに3人にイギリスで活躍していた3人の名管楽器奏者にコントラバス奏者を加えたベートーヴェンの七重奏曲。レナー四重奏団は1918年にブダペスト音楽院出身の4人によって結成された。ヴァイオリンのイエノ・レナー(1894-1948)、ヴィオラのシャーンドル・ロート、チェロのイムレ・ハルトマンは同年代、1920年にウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。
 1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストに迎えられた。クラリネットのチャールズ・ドレイパー(1869-1952)はイギリスのサマーセットシャーの生まれ、ロイヤル・アカデミーやギルド・ホール音楽校の教授をつとめ、イギリスのクラリネット界の祖父と尊敬された。ホルンのオーブリー・ブレイン(1893-1955)は有名なホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1955)の父親。1911年にロイヤル・アカデミーで奨学金を受け、同年新交響楽団の首席に就任。翌1913年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年からロイヤル・アカデミーで教鞭をとった。生徒の一人が息子のデニスだった。
 
78CDR-3416 ファリャ:7つのスペイン民謡
 ムーア人の衣装
 ムルシア地方のセギディーリャ
 アストゥリア地方の歌
 ホタ
 子守歌
 歌
 ポロ
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9731/2
  (1951年9月12日ロンドン、アビー・ロードEMI第3スタジオ録音)
ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(ソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
ソプラノのビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(1923-2005)はスペインのバルセロナ出身。幼少期より声楽とギターを習い、リセウ音楽院でピアノと声楽を学んだ。1944年にバルセロナでリサイタルを開きプロ・デビュー。1947年のジュネーヴ国際音楽コンクールに優勝し脚光をあびた。1950年にはザルツブルク音楽祭とコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ、ミラノ・スカラ座にデビュー、さらにニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルを開き国際的に知られるようになった。この録音は彼女の初期の録音で、SPレコードの末期に作られた。録音当時彼女は28歳だった。
 ジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。ハートフォード州ワトフォードに生まれ、カナダのトロントで音楽教育を受けた。著名な歌手の伴奏者として、リサイタルやレコード録音で活躍し、1954年に大英勲章(OEB)を授与された。1967年2月20日に開かれたムーアの引退記念演奏会にはフィッシャー=ディスカウやシュヴァルツコプフと共にロス・アンヘレスも出演した。
 
33CDR-3417 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
 仏 COLUMBIA FC1058
 (1952年パリ録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
セレニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)は20世紀前半に活躍したルーマニア出身の大音楽家。7歳でウィーン音楽大学に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高メダルを得た。1894年にパリ音楽院に入学、ヴァイオリンをマルタン・マルシック(1848-1924)、和声と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ジュール・マスネ(1842-1914)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンにデビュー、1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1929年にアメリカ・コロンビアに録音した6枚のSPレコードはレコード史上に輝く最高傑作で、また1949年に最初期のLPに録音したJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲(33CDR-3384と33CDR-3385)はエネスコの残した金字塔である。
 ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1898年に14歳で一等賞を得た。彼女は1926年にエネスコに出会い、1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲の演奏会を何度も開いた。この「クロイツェル」ソナタはエネスコの引退後にパリで録音されたもの。エネスコは発売を許可しなかったのだろうか、録音後お蔵入りになっていた。エネスコ没後の1956年にフランス・コロンビアから10インチLPで発売された。エネスコの主要録音はこのシリーズでほとんど出ている。
 
33CDR-3418 キネ:
 ヴァイオリンとオーケストラのための協奏的スケッチ
 オーケストラのための3つの小品(1951)
  白 DECCA 133.198(Mono)
   (1952年ブリュッセル録音)
アルテュール・グリュミオー(ヴァイオリン)
フェルナン・キネ指揮
ベルギー国立管弦楽団
グリュミオーの知られざる録音。アルテュール・グリュミオー(1921-1986)はベルギーの名ヴァイオリニスト。 6歳で生地のシャルルロワ音楽院にはいり、5年の間にヴァイオリンとピアノで一等賞になり、その後ブリュッセル王立音楽院でアルフレッド・デュボワ(1898-1944)について研鑽をつんだ。さらにパリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の指導を受けた。
 1946年にイギリス・コロンビアにバッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1043をSPレコード2枚に初録音した(78CDR-3213)。グリュミオーは1953年、当時スタートしたばかりのオランダ・フィリップスに録音を始めた。フィリップスへの全録音はCD化されている。この録音はフィリップス専属になる1年前に、ベルギーの作曲家マルセル・キネ(1915-1986)の協奏的スケッチにソリストで登場したもの。マルセル・キネはブリュッセル音楽院で作曲を学び、1945年にベルギーのローマ賞を得た。その作風はパウル・ヒンデミット(1895-1963)に似ていると言われる。
 指揮者のフェルナン・キネ(1898-1971)はモンスとブリュッセルの音楽院に学び、13歳でブリュッセルのモネ劇場のチェリストとなり、1921年にカンタータ「戦争」の作曲でローマ賞を受賞した。1938年にはリエージュ音楽院の校長に就任した。リエージュで室内オーケストラを組織し、1960年にはリエージュ・フィルになった。
 
33CDR-3419 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータより
  ソナタ第1番ト短調 BWV 1001より
   Adagio
   Siciliano
  パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002より
   Allemande-Double
   Sarabande-Double
   Bouree
  ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
   Grave
   Andante
  ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
   Adagio
   Largo
  パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
   Sarabande
   Gigue
   Chaconne
  パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006
   Prelude
   Loure
   Gavotte
   Menuet
    仏 VEGA C30S208(Mono)
     (1958年11月4日録音)
ジャン・シャンペイユ(ヴァイオリン)
ジャン・シャンペイユ(1910-)はパリ音楽院でEd.NadaudとF.Touche に師事し、後にジョルジュ・エネスコについた。ラムルー管弦楽団とパリ・オペラ座管弦楽団のソロ・ヴァイオリンをつとめた。イザイ国際ヴァイオリン・コンクール(ベルギー、エリザベート女王音楽コンクール)でダヴィド・オイストラフと同時期の入賞者でもあった。
 ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)、ポール・パレー(1886-1979)、ヤッシャ・ホーレンスシュタイン(1898-1973)、ウラディミル・ゴルシュマン(1893-1972)、アルベール・ヴォルフ(1884-1970)等の指揮者と共演した。また1944年から1950年にはカルヴェ弦楽四重奏団でも活躍し、ピアニスト、ニコル・アンリオ(1925-)とのベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタの演奏でも評判をとった。ジャック・ティボー、ジョルジュ・エネスコたちのフランス・ヴァイオリン楽派の後継者である。
 
33CDR-3420 シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ短調作品 121
 米 REMINGTON RLP149-50
  (1950年録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
セレニー・シャイエ=リシェ(ピアノ)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)は20世紀前半に活躍したルーマニア出身の大音楽家。7歳でウィーン音楽大学に入学を許され、1893年12歳で最高メダルを得た。1894年にパリ音楽院に入りヴァイオリンをマルタン・マルシック(1848-1924)、和声と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ジュール・マスネ(1842-1914)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。
 1929年にアメリカ・コロンビアに録音した 6枚のSPレコードはレコード史上に輝く最高傑作で、また1949年最初期のLPに録音したJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲(33CDR-3384と33CDR-3385)はエネスコが残した金字塔である。ピアノのセリニー・シャイエ=リシェ(1884-1973)はパリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)に師事し、1898年14歳で一等賞を得た。彼女は1932年から1952年の間にベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を何度も開いた。この録音は大音楽家の遺産として後世に残したいかけがえのない演奏である。
 
78CDR-3421 モーツァルト:デヴェルティメント第17番ニ長調 K.334
 米 COLUMBIA 70034/8-D(Set MM379)英 COLUMBIA LX841/5 と同一録音
 (1939年2月16日録音)
レナー弦楽四重奏団
(レナー、
スミロヴィッツ、
ロート、
ハルトマン)
オーブリー・ブレイン(ホルン)
デニス・ブレイン(ホルン)
レナー弦楽四重奏団と名ホルン奏者ブレイン親子によるモーツァルト。レナー弦楽四重奏団は1918年にブダペスト音楽院出身の4人によって結成され、1920年にウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして 1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。
 1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストとなった。ホルンのオーブリー・ブレイン(1893-1955)は1911年に王立アカデミーで奨学金を受け、その後新交響楽団の首席に就任。1913年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から王立アデミーで教鞭をとった。デニス・ブレイン(1921-1957)はオーブリーの息子。父親の指導を受けた。デニスは1957年9月1日、エディバラからロンドンに戻る途中。自身が運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。享年36歳。
 
78CDR-3422 モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調 K.450
 (カデンツァ: モーツァルト)
 (1944年12月14日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
キャスリーン・ロング(ピアノ)
ボイド・ニール指揮
ナショナル交響楽団
キャスリーン・ロング(1896-1968)はロンドン郊外のベントフォードに生まれたイギリスのピアニスト。神童として名を馳せ8歳で公開演奏会で弾いた。1915にロンドンのエオリアン・ホールでデビューした。1920年から1964年まで母校の王立音楽カレッジで教鞭をとった。
 モーツァルト、ハイドン、ハッハなどの作品を得意とし、英DECCA にレコードを残している。指揮者のボイド・ニール(1905-1981)はイギリス生まれ。外科医師から音楽家に転向し、1932年自らの名を冠した室内オーケストラを指揮してエオリアン・ホールでデビューし、その後DECCAと契約して活躍した。
 ナショナル交響楽団は指揮者のシドニー・ビーアが創立したオーケストラで、DECCAに多くの録音があった。このシリーズではDECCAのffrr録音の第1号になったビーア指揮のチャイコフスキー:交響曲第5番(第2楽章のソロホルンがデニス・ブレイン)(1944年6月8日キングスウェイ・ホール録音)(78CDR-3158)が出ている。
 
78CDR-3423 モーツァルト:
 ピアノ・ソナタ第17番ニ長調K.576
 ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332
 ロマンス変イ長調 K.Anh.205
 英 COLUMBIA DX 1011/2(K.576)、DX 1034/5(K.332 & K.Anh.205)
  (1941年5月6日(K.576)、8 月29日(K.332)、9 月8日(K.Anh.205)録音)
アイリーン・ジョイス(ピアノ)
アイリーン・ジョイス(1908-1991)はオーストラリア生まれのイギリスのピアニスト。オーストラリア西部に楽旅したヴィルヘルム・バックハウスがジョイスの演奏を聴きライプツィヒ音楽院を薦めた。その後ロンドンの王立アカデミーに入りトバイアス・マッセイに師事した。
 1930年にロンドンのヘンリー・ウッド・プロムナードコンサートでプロ・デビューし、翌年ソロ・リサイタルも開いている。その後順調に進み1930年代から1940年代には人気が絶頂に達1947年のベルリン・フィルと共演したとき、ドイツの高名な評論家は彼女をクララ・シューマン、ゾフィー・メンテル、テレサ・カレーニョになぞらえた。
 また1950年のアメリカ公演ではアーヴィング・コロディンは彼女を世界最高の知られざる演奏家だとほめた。1950年代になって名前を知られるようになり、映画「逢いびき」のサウンドトラックでラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を弾いていたのは彼女だった。その他の映画にもにも出演した。この70年前のレコーディングは聴き手を不思議な世界に誘ってくれる。ピアノ愛好家の必聴盤。

<2013年1月11日紹介新譜>

78CDR-3409
(機械式録音)
ジャック・ティボー、1905年フォノティピア&1916年パテ録音
 ダンブロジオ:
  (1)セレナード作品4 SERENADE, OP.4
  (2)告白作品38-1 AVEU, OP.38-1
  (3)メランコリー MELANCOLIE -
 シューベルト:
  蜜蜂 OP.13-9
 サン=サーンス:
  序奏とロンド・カプリチオーソ作品28
  (4)PART 1
  (5)PART 2
 ヴィエニャフスキ:
  (6)華麗なるポロネーズ第2番イ長調作品21
 フォーレ:
  (7)子守歌作品16 BERCEUSE, OP.16
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・ダンブロジオ(ピアノ)(01-03)
フランソワ・リュールマン指揮管弦楽団((4)-(5))
ピアノ伴奏
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年に一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのときティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年のフォノティピア録音はティボーの初めてのレコードで、サラサーテ(1844-1908)やヴィルヘルミ(1845-1908)に学んだイタリアのヴァイオリニスト、ダンブロジオの作品を3曲弾いている。レーベルに記述はないがピアノはダンブロジオ自身が弾いているという説が強い。1905年はティボーがピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを成した年でもあった。1916年のパテ録音はこの社の縦振動盤(Hill & Dale)で、サン=サーンスの序奏とロンド・カプリチオーソはこの時代の録音には珍しいオーケスラ伴奏。指揮者のリュールマン(1868-1948)はベルギー生まれ。1905年からパリのオペラ・コミックの指揮者として活躍した。
accompaniment((6)-(7)) 仏 FONOTIPIA XPh770((1)), 771((2)), 768((3))(1905年録音) 仏 PATHE 5588/9((4)-(5)), 5582((6)), 5580((7))(1916年録音)
 
78CDR-3410 パリ・プロムジカ八重奏団
メンデルスゾーン:弦楽八重奏曲変ホ長調作品20
 仏POLYDOR A.6280/1
 (1948年6月11日パリ、サル・ショパン録音)
パリ・プロムジカ八重奏団
アンリ・メルケル、
ジョルジュ・アレ、
R.ヴォラン、
L.ガリ(ヴァイオリン)、
P.ラドユイ、
A. ルポー(ヴィオラ)、
アンドレ・ナヴァラ、
M. フレシュヴィユ(チェロ)
この録音は第2次世界大戦後、パリで活躍したプロ・ムジカ室内楽グループによるものでフランスの香り高き名演奏をくり広げている。
 ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)、チェロのアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)はソリストとして活躍しパリ音楽院教授をつとめていた。
 このシリーズのベートーヴェン七重奏曲作品20(78CDR-3263)にも二人は参加している。
 メルケルはベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(78CDR-3020)、ラロのスペイン交響曲(78CDR-3107)、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3166)が、ナヴァラはベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番(78CDR-3095)がこのシリーズで出ている。
 
78CDR-3411 ルイ・カユザック(クラリネット)
ニールセン:クラリネット協奏曲作品57(1910)
 デンマーク COLUMBIA LDX7000/2
 (1947年11月3-4日録音)
ルイ・カユザック(クラリネット)
ヨーン・フランドセン指揮
デンマーク王立歌劇場管弦楽団
ルイ・カユザック(1880-1960)はフランスのクラリネット奏者、作曲家。トゥールーズ音楽院でフェリックス・パジェ、パリ音楽院でシリユ・ローズに師事した。
 この録音は作曲家ニールセン臨席のもとで行われた。二箇所に登場するカデンツァは作曲家カユザックの面目躍たる演奏をくりひろげている。
 指揮者のヨーン・フランドセン(1918-1996)はコペンハーゲン王立アカデミーで学び、1946年から1980までデンマーク王立歌劇場管弦楽団の首席指揮者をつとめた。
 とくに作曲家ニールセンのスペシャリストとして知られ、1981年に「カール・ニールセン基金賞」を受賞した。
 
33CDR-3412 ロルフ・シュレーダー(ヴァイオリン)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)

 ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
 ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
  米 COLUMBIA ML4743/4A
  (1952年9月フランス、ギュンバッシュ、アルザス、パリッシュ教会録音)
ロルフ・シュレーダー(ヴァイオリン)
ロルフ・シュレーダー(1901-)のカーヴド・ボウ(彎曲弓)による録音。カーヴド・ボウはアルバート・シュヴァイツァー(1875-1965)が1903年にその著書「ヨハン・セバスティアン・バッハ」の中で提唱した2本、3本、4本の弦を同時に弾くために考案された弓で、1933年にロルフ・シュレーダーの手で組み立てられた。
 これによってバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの複数弦を楽譜通り同時に鳴らすことが可能になり、ロルフ・シュレーダーは自らその手本として録音したものがこの2枚のLP。
 シュレーダーはこのバッハのみで他のヴァイオリン曲の録音は何もなく、詳しい経歴も不詳である。なおここに収録されているパルティータ第1番ではDoubleは1曲のみで、他のDouble 3曲は演奏されていない。
 
33CDR-3413 ロルフ・シュレーダー(ヴァイオリン)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)

 パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
 ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
 パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006
  米 COLUMBIA ML4744B/5(Set SL-189)
  (1952年9月フランス、ギュンバッシュ、アルザス、パリッシュ教会録音)
ロルフ・シュレーダー(ヴァイオリン)

<2012年11月30日紹介新譜>

78CDR-3404 ロドリーゴ:アランフエス協奏曲
 西 COLUMBIA RG 16066/8
 (1947-8年頃録音)
レヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(ギター)
アタウルフォ・アルヘンタ指揮
スペイン国立管弦楽団
この名曲の世界初録音。ギターのレヒーノ・サインス・デ・ラ・マーサ(1986-1981)は作曲者ホアキン・ロドリーゴ(1901-1999)にソリストに選ばれ1940年11月6日に初演した。初演当時デ・ラ・マーサはマドリッド音楽院の教授だった。ロドリーゴは3歳で失明、パリのスコラ・カントルムで作曲家のポール・デュカスに師事した。スペインの民族的感覚をフランス風に洗練した手法で仕上げた。この曲以外にもギターとオーケストラのための協奏曲を数曲書いている。指揮のアタウルフォ・アルヘンタ(1913-1958)はマドリッド音楽院で学び、1947年にスペイン国立管弦楽団の終身首席指揮者に任命されが45歳の若さで世を去った。
 
78CDR-3405 ハイドン:協奏交響曲変ロ長調作品84 Hob.I-105
 仏ロワゾリール OL 83/5
  (1939年6月パリ録音)
ロラン・シャルミー(ヴァイオリン)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)
フェルナン・ウーブラドゥ(バスーン)
ミルティル・モレル(オーボエ)
シャルル・ミュンシュ指揮
管弦楽団
フランスの弦と木管の名手4人が活躍する豪華絢爛な協奏交響曲。ヴァイオリンのロラン・シャルミー(1908-1987)はパリ音楽院教授をつとた。チェロのアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)はパリ音楽院出身で1937年ウィーン国際コンクールで優勝後ソリストとして活躍した。バスーンのフェルナン・ウーブラドゥ(1903-1986)もパリ音楽院出身の名手。母校の教授をつとめたこともある。指揮のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1926年から32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第1ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法をも身につけた。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には音楽院の指揮科の教授に任命された。この録音はその当時のもの。
 
78CDR-3406 ベートーヴェン:
 モーツァルトの「魔笛」の「娘か女房か」の主題による
  12の変奏曲ヘ長調 作品66
 モーツァルトの「魔笛」の「恋を知る男たちは」の主題による
  7つの変奏曲変ホ長調 WoO.46
 仏 PATHE PDT 107/8
  (1946年1月15日パリ録音)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)
ジョゼフ・バンヴニューティ(ピアノ)
チェロのアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)は1920年9歳でトゥールーズ音楽院に入り4年後に一等賞を得て、さらにパリ音楽院で研鑽を積み一等賞を得た。卒業後クレトリー弦楽四重奏団に入り1935年に退団、1937年にウィーン国際コンクールで優勝、ソリストとして活動を開始した。1949年パリ音楽院教授に迎えられ、イタリアのシギアーナ音楽アカデミーの教授もつとめた。1940年代後半からソロよりもむしろ室内楽の分野で活躍した。ピアノのジョゼフ・バンヴニューティ(1908-1987)はパリ音楽院教授を1955年から67年までつとめた。ナヴァラはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3095)が出ている。
 
33CDR-3407 アルベニス:イベリア(1)
 第1集
  喚起(エボカシオン)
  港(エル・プエルト)
  セビーリャの聖体祭
 第2集
  ロンデーニャ(ロンダ地方の舞曲)
  アルメリア(タランタ舞曲のリズムによる)
  トゥリアーナ(セビーリャの町はずれ)
   仏 VEGA C 30 A 127
    (1956年パリ録音)
イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)
 
33CDR-3408 アルベニス: イベリア(2)
 第3集
  エル・アルバイシン(坂の多い町)
  エル・ポーロ
  ラバピエス(マドリードの町の名)
 第4集
  マラガ(舞曲マラゲーニャによる)
  ヘレス(ソレアレス舞曲の形式による)
  エリターニャ(セビーリャ郊外にある料亭)
   仏 VEGA C 30 A 128
    (1956年パリ録音)
イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)
イヴォンヌ・ロリオ(1924-2010)はパリ音楽院でラザール・レヴィ(1882-1964)に師事、大戦で中断後マルセル・シャンピ(1891-1980)のクラスで1943年に一等賞を得た。音楽院ではピアノの他に和声学と楽曲分析を後に結婚した作曲家のオリヴィエ・メシアン(1908-1992)に、作曲をダリユス・ミヨー(1892-1974)に師事した。ロリオは14歳でバッハの平均律クラヴィーア全曲、ベートヴェンの32のピアノ・ソナタ、ショパンの全ピアノ作品とモーツァルトの22曲のソロ・ピアノ協奏曲をレパートリーにしていた。音楽院卒業後作曲家メシアンのピアノ曲はすべてロリオによって初演された。1967年から89年の長期にわたってパリ音楽院の教授をつとめた。レコード録音も多く、12のフランス・ディスク大賞を得た。このアルベニスはその一つである。ロリオはこのシリーズでバッハの「シャコンヌ」(78CDR-3186)が出ている。ロリオが22歳の時のSP録音。

<2012年10月5日紹介新譜>

78CDR-3399 リパブリック讃歌/ジョー・スタッフォードSP録音集
 リパブリック讃歌
 千歳の岩
 日暮れて四方はくらく
 主よ、みもとに近づかん
 みちびきゆかせたまえ
 さびしきみそのに
  U.S. CAPITOL CC 9014(78rpm Album Set)
  (Rec. 1950)(1950 年録音)
ジョー・スタッフォード(vo)
ポール・ウェストン楽団
ラヴェンスクロフト四重唱団
 ジョー・スタッフォード(1917.11.12-2008.07.16)はアメリカのポップス・シンガー。1938年、男女 4人編成のヴォーカル・グループ "パイド・パイパース" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとして新興のCAPITOLに迎えられた。このSPレコード3枚組のアルバムは1950年に発売になった。
 ここでは後に結婚して夫君となったポール・ウェストンの指揮する楽団と男性四重唱のバックで歌う。どこかで聞いたことがある懐かしい歌で綴られ、心が洗われる讃美歌集。スタッフォードは、その後COLUMBIAに移籍し、数々の大ヒットを出した。それらはテネシー・ワルツ-ジョー・スタッフォードSP録音集(78CDR-3280)で聴ける。
 
78CDR-3400 ボタンとリボン/ダイナ・ショアSP録音集
 ボタンとリボン #1
 アニヴァーサリー・ソング #1
 二人でお茶を
 マイ・ロマンス
 セントルイス・ブルース
 スターダスト
 捧げるは愛のみ
 青いカナリア(3:08) #11
  (#はヒットチャートの最高位)
ダイナ・ショア(vo)(1-8)
フランク・シナトラ(vo)(3-4)
ハッピー・ヴァリー・ボーイズ(1)
モリス・ストロフ楽団(2)
アクセル・ストーダール楽団(3-4)
ソニー・バーク楽団(5)
ポール・ラヴァルとウッドウィンディ10(6)
フレディ・マーティン楽団(7)
ヴィック・シェン楽団(8)
 ダイナ・ショア(1916.02.19-1994.02,24)はアメリカのポップス・シンガー。テネシー州ウィンチェター生まれ。大学時代に地元のラジオ局に歌手として出演した。大学卒業後ニューヨークに出て歌手をを目指し、WNEW局でフランク・シナトラと出演した。BLUEBIRDレーベルにザヴィア・クガート楽団と "そよ風と私" を録音して歌手としての一歩を踏み出した。
 ここにはCOLUMBIA時代のヒットと、その前後に所属したRCA VICTORへの録音を集めた。美声でエレガントな歌い回しが、聴き手を魅了する。SPレコードの良さを最大限に発揮したヴォーカル集。
 
33CDR-3401 クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル
ハイドン:
 交響曲第94番ト長調「驚愕」
 独 ELECTROLA DB 5671/3
 (1941年10月30日ベルリン、ベートーヴェンザール録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀のなかばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近い現在のヴッパタールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後、ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。この録音は第2次世界大戦中ヒトラー統制下のベルリンで行われた。
 他にこの指揮者がベルリン・フィルを指揮した「英雄」(78CDR-3102)がこのシリーズで出ている。
 
33CDR-3402 ワルター指揮&ニューヨーク・フィル
モーツァルト:
 交響曲第40番ト短調 K.550
 交響曲第35番ニ長調 K.385「ハフナー」
米 COLUMBIA ML 4693(MONO)
(1953年2月23日(40番)、1953年1月5日(35番)
ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。
 1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。
 その後ワルターはバイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン国立歌劇場などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてウィーンからフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はアメリカ時代の初期にニューヨークで録音された。ワルターはステレオでもこの2曲を録音しているが、このモノ録音は圧倒的に優れている。
 
33CDR-3403 ジャクリーヌ・エマール(ピアノ)&レーヴェングート弦楽四重奏団
フランク:
 ピアノ五重奏曲ヘ短調
 前奏曲、コラールとフーガ
  仏 PHILIPS A 00381 L(MONO)
  (1955年5月23-25 日、アムステルダム・コンセルトヘボウ、バッハザール録音)
ジャクリーヌ・エマール(ピアノ)
レーヴェングート弦楽四重奏団
アルフレッド・レーヴェングート(第1ヴァイオリン)
モーリス・フュエリ(第2ヴァイオリン)
ロジェ・ロシュ(ヴィオラ)
ピエール・ベスー(チェロ)
ジャクリーヌ・エマール(1922-2008)はニースに生まれたフランスの女流ピアニスト。パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。レーヴェングート四重奏団は1929年アルフレッド・レーヴェングートによって結成され、1983年に解散したフランスの名弦楽四重奏団。半世紀にわたってフランス楽派を代表する四重奏団として君臨した。エマールはこのシリーズでドビュッシー名曲集(33CDR-3382)が出ている。

<2012年9月7日紹介新譜>

33CDR-3394 ミラベルの庭園にて-モーツァルト管弦楽曲集
モーツァルト:
 セレナード第13番ト長調 K.525
 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
 メヌエットヘ長調 K.599
 メヌエットハ長調 K.568
 三つのドイツ舞曲 K.605
 フリーメーソンのための葬送音楽 K.477(479a)
 歌劇「魔笛」序曲 K.620
 歌劇「フィガロの結婚」序曲 K.492
 歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲 K.588
 歌劇「劇場支配人」序曲 K.486
蘭 PHILIPS A 01237 L(MONO)
(1954年12月28日、30日ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1896年ハンブルク歌劇場で指揮をした時、音楽監督を務めていたグースタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任ーした。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。
この録音はアメリカ時代の初期に、得意のモーツァルト作品を集めてLP用に録音したもの。コロンビア交響楽団の実体はニューヨーク・フィルとされている。これから登場するモノラル時代のワルターの最初の1枚に選んだ。
33CDR-3395 モーツァルト:
 クラリネット協奏曲イ長調 K.622(第1楽章終結部に原盤ノイズ)
 フリーメーソンのための葬送音楽 K.477(479a)(原盤ノイズ)
仏 LES DISCOPHILES FRANCAIS 2
(1941年6月パリ録音)
フランソワ・エティエンヌ(クラリネット)
モーリス・エヴィット指揮
エヴィット室内管弦楽団
フランソワ・エティエンヌ(1901-1970)はフランスのトゥーロンに生まれたクラリネット奏者。生地の音楽学校で学んだ後、パリ音楽院でプロスペル・ミマール(1859-1918)に師事し1919年に一等賞を得た。1926年にオペラ座のクラリネット奏者となり1964年まで約40年間ーその地位にあった。その間パリ音楽院管弦楽団にも席を置き1933年にソロ・クラリネット奏者に任命された。この録音は1941年6月に78回転SPレコード4枚に録音されたもので最初期のLPに転写された。再録音は1952年に同じエヴィット管弦楽団と行なわれたので混同されている。指揮者のモーリス・エヴィット(1884-1971)は元カペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者。1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急逝でエヴィット四重奏団(1928-30)として引き継いだ。その後アメリカでクリーヴランド四重奏団を組織(1930-34)、フランスに戻りエヴィット四重奏団(1935-39,1946-49)を作った。一方でエヴィット室内管弦楽団を組織し活躍した。
78CDR-3396 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
 (カデンツァ: E.フィッシャー)
独 ELECTROLA DB 2118/21
(1933年11月24日ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれで主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者、教育者。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行なった。フィッシャーは協奏曲の演奏で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させた。このシリーズでハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21(78CDR-3129)が「弾き振り」で聴ける。またこのピアノ協奏曲第20番はブルーノ・ワルターの「弾き振り」でも発売されている(78CDR-3219)。
78CDR-3397 モーツァルト:
 セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)
 「グラン・パルティータ」(抜粋)
米 VICTOR 17679/81(英 HIS MASTER'S VOICE DB 4693/5 と同一録音)
(1939年9 月ベルリン録音)
エトヴィン・フィッシャー指揮
管楽合奏団
フィッシャーは協奏曲の演奏で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させたが、ここではピアノは弾かずに指揮者に専念した録音である。第2楽章のメヌエットと第5楽章ロマンスが省略された録音である。
33CDR-3398 モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番ト長調 K.378
 独 TELEFUNKEN E 2867/8
 (1938年10月26日録音)
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
カルヴェ弦楽四重奏団はリーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)によって1919年に結成された。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。この録音は創立メンバーによるもの。リーダーのカルヴェ以外のメンバーは3人は1940年に離籍した。カルヴェは1935年にパリ音楽院教授になり、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年に米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニー指揮のNBC交響楽団に入り1951年にコンーサート・マスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを結成した。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重奏団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。

<2012年8月8日紹介新譜>

33CDR-3389 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲ロ短調作品104
 米 EVEREST LPBR 6083(Mono)
 (1960年6月14日プエルト・リコ大学録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
アレクサンダー・シュナイダー指揮
1960年プエルト・リコ・カザルス・フェスティバル管弦楽団
パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレルに生まれた。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学び、1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会い1904年に公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成した。この録音は1960年、83歳のカザルスが居を構えていたカリブ海の島国プエルト・リコ(面積は四国の約半分)で行なわれたカザルス音楽祭でのライブ録音。指揮者のアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニア生まれ。ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者、シュナイダー弦楽四重奏団のリーダー、独奏者、指揮者として活躍した。1950年、隠遁生活中のカザルスを説得してプラド音楽祭を実現させた。このLPは発売直後に廃盤となったもので、多くのファンから再発売が望まれていた。
33CDR-3390 ベートーヴェン:
 ピアノ・ソナタ第32番ハ短調作品111
 ピアノ・ソナタ第30番ホ長調作品109
 ピアノ・ソナタ第31番変イ長調作品110
  仏 LES DISCOPHILES FRANCAIS DF 109 (アクセント)
  (1954年2月17日パリ、サル・エダール録音)
イヴ・ナット(ピアノ)
イヴ・ナット(1890-1956)はフランスのピアニスト。1907年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで一等賞を得てデビューした。1910年代からコンサート・ピアニストとして活躍したが、演奏家としての絶頂期の1934年にパリ音楽院教授に任命され、生涯その地位にあった。録音は音楽院教授就任以前に録音したシューマン:ピアノ協奏曲(78CDR-3352)など僅かにあるが、晩年の1952年から56年のLP時代に多い。ベートーヴェン:ピアノ・ソナタの全曲録音もある。ここに収録されたピアノ・ソナタ第32番作品111と第30番作品110は中でも最高傑作と目されているもので、初期LPのモノラルながら、録音も優れている。ナットの門下生にはユーリ・ブーコフ、イエルク・デムス、レーヌ・ジャノーリ、ジュヌヴィエーヴ・ジョワ、ジャック・ルーシェ、ジャン・ヌヴー、ロベール=ヴェイロン・ラクロワなどがいる。
78CDR-3391 ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68
 英 PARLOPHONE E10807/12
 (1927年12月15日、20日、1928年2月3日、 6月26-27日ベルリン録音)
オットー・クレンペラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
オットー・クレンペラー(1885-1973)ドイツ生まれ、1910年からドイツ各地のオペラハウスでキャリアを積んだ。1927年-31年にはベルリンのクロール・オペラの指揮者をつとめた。ユダヤ人の彼は1937年ナチスの迫害を逃れてアメリカに移住、市民権を得てロスアンジェルス・フィルハーモニーの音楽監督のポジション得た。だがカリフォルニアの土地になじめず、神経症を病み、奇行を重ねたあげくその地位を離れた。第2次世界大戦が終わるとヨーロッパ楽壇に復帰し、1954年にEMIのプロデューサー、ウォルター・レッグが組織したフィルハーモニア管弦楽団の初代首席指揮者に就任した。アメリカ時代に受けた脳腫瘍の手術の後遺症で半身不随になった彼は晩年、車椅子で指揮を続けた。この録音はクロール・オペラ時代のもので、オーケストラと指揮者のスケジュールを調整しながらの録音セッションによって録音完成までに時間をかけている。大指揮者の若い時代の演奏を、晩年の演奏と比較しながら聴かれることをおすすめする。
78CDR-3392 ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲イ短調作品53
 独 POLYDOR 68201/5S
 (1943年6月ベルリン録音)
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛したのがきっかけで、ヨーロッパ諸国で認められた。1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサートマスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動した。この録音は大戦中の1943年のものである。パウル・ファン・ケンペンは(1893-1955)はオランダの指揮者。戦中戦後を通じてドイツで活躍しレコード録音も多かった。だが戦時中祖国を離れて敵国ドイツで活動したことをオランダ人は許さず、戦後ボイコット運動が起こり不遇のうちに世を去った。
33CDR-3393 ブラームス:歌曲集
 (1)ご機嫌いかが、私の女王様作品32-9
 (2)われらはさまよった作品96-2
 (3)夜鳴きうぐいすに寄す作品46-4
 (4)墓地にて作品105-4
 (5)美しいおとめよ、私を許して- 谷間に(ドイツ民謡集より)
 (6)かわいい恋人よ、素足で来ないで(ドイツ民謡集より)
 (7)5月の夜作品43-2
 (8)日曜日作品47-3 - おお、いとしい頬作品47-4
  米 COLUMBIA 17273/4 & 71059/60D (set M453)
  (1941年3月19日ニューヨーク、コロンビア・レコードBスタジオ録音)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのペルレベルク生まれ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場にデビューし、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲も得意とした。1938年ナチスのオーストリア併合で被害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はアメリカ時代の初期のもの。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(全曲)(78CDR-3048 & 3049、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、R.シュトラウス: 歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)が出ている。

<2012年7月6日紹介新譜>

33CDR-3384 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
 ソナタ第1番ト短調 BWV 1001
 パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002
 ソナタ第2番イ短調 BWV 1003
  米 CONTINENTAL CLP-104/5A
   (1949年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)はルーマニアに生まれ、4歳でヴァイオリンを、5歳で作曲を始めた。7歳でウィーン音楽大学に入学を許され、1893年12歳で音楽院の最高メダルを得た。1894年にパリ音楽院に入学、ヴァイオリンをマルシック(1848-1924)、和声学と作曲をアンドレ・ゲダルジュ(1856-1928)、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)、ジュール・マスネ(1842-1914)に師事し、1899年にヴァイオリンで一等賞を得た。1902年にベルリンでデビュー、1903年にはロンドンを訪問した。1910年にはピアニストのエドゥアール・リスレル(1873-1929)とベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの全曲演奏会を開いた。1917年には祖国ルーマニアの首都ブカレストにエネスコの名を冠したオーケストラを作った。(以下33CDR-3385)
33CDR-3385 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
 パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
 ソナタ第3番ハ長調 BWV 1005
 パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006
  米 CONTINENTAL CLP-105B/6
   (1949年ニューヨーク録音)
ジョルジュ・エネスコ(ヴァイオリン)
エネスコは1923年に初のアメリカ楽旅をしその後生涯14回この地を訪れた。エネスコのレコード録音は1924年アメリカ・コロンビアの機械式録音(78CDR-3066)に始まる。1929年のアメリカ・コロンビアへの6枚の電気録音はレコード史上に輝く最高傑作とされている(78CDR-3018、78CDR-3035、78CDR-3088)。このJ.S バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲はJ.S.バッハの没後200年にあたる1950年にアメリカのマイナーレーベルCONTINETALから発売された。豪華な3枚組アルバム入りのセットは、エネスコ最晩年の心血を注いだ演奏で、演奏家や心あるレコード愛好家が絶賛したが数年でカタログから消えてしまい、クラシックLP最高のコレクター・アイテムになった。これまでの復刻とは一線を画し、オリジナル盤に秘められたエネスコの芸術の全貌が真の姿で蘇ったと確信する。
78CDR-3386 モーツァルト:
 ホルン、ヴァイオリン、 2つのヴィオラとチェロのための
 五重奏曲変ホ長調 K.407(386c)
  英 DECCA K.1138/9
   (1945年3月9日ロンドン NW6、デッカ・スタジオ録音)
デニス・ブレイン(ホルン)
シドニー・グリラー(ヴァイオリン)
フリップ・バートン(ヴィオラ)
マックス・ギルバート(ヴィオラ)
コリン・ハンプトン(チェロ)
夭折の天才ホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1957)とグリラー弦楽四重奏団のメンバーにヴィオラのマックス・ギルバートが加わった五重奏。デニス・ブレインは父親のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。初レコード録音は1943年、モーツァルト: ホルン協奏曲第4番 K.495(78CDR-3291)で22歳だった。デニスは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身の運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。グリラー弦楽四重奏段は1931年の結成されたイギリスの有数の四重奏団。SPレコード時代から主にデッカに多くの録音を残した。デッカのデニス・ブレインは1944年録音のチャイコフスキー:交響曲第5番第2楽章のホルンソロがシドニー・ビーア指揮ナショナル交響楽団(78CDR-3158)で聴ける。
33CDR-3387 モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ短調 K.467
 (カデンツンァ: シュナーベル)
  (1937年1月12日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団
アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教え、弟子にクリフォード・カーゾン(1907-1982)、ペーテル・フランクル(1935-)などがいる。またカール・フレッシュ(1873-1944)、パブロ・カザルス(1876-1973)、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)との室内楽演奏はベルリンの呼び物だった。その後1932年から34年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。シュナーベルはSP時代HMVにベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲、ピアノ協奏曲全曲(2回)を録音した。他に室内楽の録音も多い。シュナーベルのモーツァルトはピアノ四重奏曲 K.478、協奏曲第19番 K.459、第27番 K.595、ピアノ・ソナタ第8番 K.310、第12番 K.332、第16番 K.570がある。
78CDR-3388 シューベルト:幻想曲ハ長調「さすらい人幻想曲」作品15、D.760
 英 HIS MASTER'S VOICE C4879/81
  (1949年2月3日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
パウル・バウムガルトナー(ピアノ)
パウル・バウムガルトナー(1903-1976)はスイスのアルステッテン生まれ、ミュンヘンの高等音楽・演劇学校でヴァルター・ブラウンフェルス(1882-1954)に師事しピアノと作曲を学んだ。さらにケルン音楽アカデミーでエドゥアルト・エルドマン(1896-1958)に師事した後、そこでピアノを教えるようになった。ナチスの台頭でスイスに戻りバーゼルに居を構え、バーゼル音楽院の教授に任命された。バウムガルトナーは第1回カザルス音楽祭のピアニストとして活躍。弟子にアルフレッド・ブレンデル(1931-)、カール・エンゲル(1923-2006)や指揮者のギュンター・ヴァント(1912-2002)などがいる。1962年にセント・ガレン市の芸術栄誉賞を授与された。この録音はHMV録音だがスイスだけで発売された。

<2012年6月8日紹介新譜>

78CDR-3379 ドビュッシー:弦楽四重奏曲ト短調作品10
ハイドン:弦楽四重奏曲ニ長調作品64-5「ひばり」より第4楽章
 米 RCA VICTOR 12-0259/62(Set M-1213)
 (1947年1月22-23日録音)
パガニーニ弦楽四重奏団
アンリ・テミアンカ(第1ヴァイオリン)
ギュスタヴ・ロッセール(第2ヴァイオリン)
ロベール・クルト(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
パガニーニ弦楽四重奏団は1946年、アンリ・テミアンカ(1906-1992)によって結成された。結成の前年テミアンカは元プロアルト弦楽四重奏団のチェリスト、ロベール・マースに会った。マースは新しい四重奏団のためのスポンサーになる人物がいることを話し、またニューヨークの楽器店で売り出されていたパガニーニ(1782-1840)が所有した4本のアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)製の楽器を同じスポンサーが購入して貸与されることで四重奏団はスタートした。1946-47年のシーズンにオール・ベートーヴェンのプログラムをワシントンの国会図書館で演奏し大成功を収め、すぐにRCAヴィクター社が契約した。リーダーのテミアンカはスコットランドでポーランド・ユダヤ系の両親の元に生まれた。ヴァイオリンはロッテルダム、ベルリン、パリ、フィラデルフィアで学んだ。パリ音楽院では名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し、フィラデルフィアのカーティス音楽院ではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1935年のヴィエニアフスキ・ヴァイオリン・コンクールでは3位に入賞した。この時の1位はジネット・ヌヴー(1919-1948)、2位はダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。パガニーニ四重奏団が1966年に解散した後、スポンサーの意向で楽器は分散することなくワシントンのコーコラン・アート・ギャラリーに戻された。楽器は1992年にクリーヴランド四重奏団に貸与され、1994年から日本音楽財団の所有となり、東京クァルテットによって使用された。
78CDR-3380 モーツァルト:
 ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調 K.296
 ヴァイオリン・ソナタ第35番ト長調 K.379(373a)
 ヴァイオリン・ソナタ第41番変ホ長調 K.481
  英 PARLOPHONE SW8000/6
 (1935年11月5-6 日(K.296)、1935年5月25日&11月6日(K.379)、1936年2月(K.481)
リリー・クラウス(ピアノ)
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)とピアノのリリー・クラウス(1903-1986)によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ選集-1。ポーランド生まれのゴールドベルクは8歳の時ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、12歳でワルシャワでデビューした。1916年16歳でドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターに任命され、1929年20歳の時フルトヴェングラー(1886-1954)の招きでベルリン・フィルハーモニーのコンサートマスターに就任した。1934年ドイツで政権を得たナチスによってベルリン・フィルのコンサート・マスターの地位を追われ、ニューヨークでデビュー後、1942年からアジア楽旅を行った時日本軍により1945年までジャワ島での抑留生活を強いられた。戦後アメリカ国籍を得て、演奏活動と後進の指導に活躍、1990年から没年まで新日本フィルハーモニーの指揮者に就任し、富山県の立山のホテルにて死去した。(リリー・クラウスは78CDR-3381参照)
78CDR-3381 モーツァルト:
 ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
 ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調 K.380(374f)
 ヴァイオリン・ソナタ第33番ヘ長調 K.377(374e)
 英 PARLOPHONE SW8007/12
 (1937年4月20日(K.378)、1937年4月20-21日(K.380)、1937年4月15日(K.377)録音)
リリー・クラウス(ピアノ)
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)とピアノのリリー・クラウス(1903-1986)によるモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ選集-2。ピアノのリリー・クラウスはハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でゾルタン・コダーイ(1882-1967)やベラ・バルトーク(1881-1945)に師事した。さらにウィーンでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)の指導をえた。1942年シモン・ゴールドベルクとアジア楽旅の時、ジャワ島で日本軍に捕らえられ、家族共々1945年まで抑留生活を送った。戦後はイギリス国籍を取得し活発な演奏活動を行った。(シモン・ゴールドベルクについては3380を参照)
33CDR-3382 ドビュッシー:ピアノ名曲集
 (1)アラベスク第1番ホ長調
 (2)雨の庭
 (3)沈める寺
 (4)吟遊詩人
 (5)アナカプリの丘
 (6)ゴリウォッグのケークウォーク
 (7)月の光
 (8)喜びの島
  仏 LE CHANT DU MONDE LD-S-8169(Mono)
  (1954年パリ録音)初期LP特有のノイズあり
ジャクリーヌ・エマール(ピアノ)
ジャクリーヌ・エマール(1922-2008)はニースに生まれたフランスの女流ピアニスト。パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。メジャー・レーベルの録音はフランク:ピアノ五重奏曲(レーヴェングート四重奏団と共演)がフランス・フィリップスにあった。この録音はフランスのシャン・デュ・モンドの10インチ盤に残されたもの。有名曲揃いで楽しめる。初期LP特有のノイズがある。
33CDR-3383 ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタト短調
 英 HIS MASTER'S VOICE HLM 7178(Mono)
 (1948年3月18日アビー・ロード、EMI 第3スタジオ録音)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機の事故で1949年10月28日に30歳の生涯を終えた。彼女が残した最後のスタジオ録音である。ヌヴーはジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスに入り8カ月後に一等賞を得た。その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年にワルシャワで開催されたヴィエニアフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し180人の競争者に勝ち優勝した。第2位はソ連から参加したダヴィド・オイストラフ(1908-74)、第3位はスコットランド出身でパリ音楽院でブーシュリに師事したアンリ・テミアンカ(1906-92)だった。この録音は1948年に78回転SPレコード3面に収録されたが、SP時代には発売されなかった。1957年にLPで初めて発売された(英HIS MASTER'S VOICE ALP 1520)。ダイレクト・トランスファーでは2012年のドビュッシー生誕150年を記念してドビュッシーだけを収録した。ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタはジャック・ティボーのヴァイオリンとアルフレッド・コルトーのピアノによる1929年の録音がこのシリーズで出ている(78CDR-3044)。

<2012年5月11日紹介新譜>

78CDR-3374 ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
 仏 ODEON 170.120/24 (独 ODEON O-6775/9 と同一録音)
 (1929年11月19日ベルリン録音)
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀の半ばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近い現在のウッパータールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。この録音は電気録音初期のオデオンへの録音。同時期にポリドールにも録音していた。クナッパーツブシュはSP時代にベートーヴェンはこの第7番と第3番「英雄」の2曲のスタジオ録音がある。放送録音の多いこの指揮者の交響曲のスタジオ録音はたいへん貴重。このシリーズではベルリン・フィルを指揮した「英雄」(78CDR-3102)が出ている。「英雄」は第2次世界大戦末期の1943年にエレクトローラが録音したドイツでの戦前最後の商業録音であった。
78CDR-3375 ショパン:ワルツ(全14曲)
 仏 COLUMBIA LFX959/964(英COLUMBIA LX1341/6 と同一録音)
 (1950年7月3-12日スイス、ジュネーヴ放送第2スタジオ録音)
 (上記の日付は磁気テープから78回転マスター製作日)
ディヌ・リパッティ(ピアノ)
ディヌ・リパッティ(1917-1950)はルーマニアのブカレスト生まれ。母親はピアニスト、父親はサラサーテ(1844-1908)やカール・フレッシュ(1873-1944)に学んだヴァイオリニストで、洗礼立会人は大ヴァイオリニストのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)だった。ブカレスト音楽学校で学費免除の特待生で入学が許された。1934年のウィーン国際コンクールで2等賞になったが、この時の審査席にいたアルフレッド・コルトー(1877-1962)は結果に異議を申し立て審査員を辞職した。リパッティはパリでコルトーとイヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)に師事、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は指揮法を教えた。また作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)とイーゴル・ストラヴィンスー(1882-1971)に学んだ。リパッティは1950年12月2日スイスのジュネーヴで悪性リンパ腫のため33歳で没した。このワルツ集は死の年の夏、EMIの手配したテープ録音機を乗せたトラックがジュネーヴに赴き録音したもの。ヨーロッパではまだSPレコードが主流だったため、ロンドンのアビー・ロードのEMIスタジオでテープから78回転マスターがカットされた。LPで聴くリパッティよりはるかに輝かしいSPからのダイレクト・トランスファー。
78CDR-3376 ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲第12番ヘ長調作品96「アメリカ」
 米 VICTOROLA 9069/71(英 HMV D1124/6と同一録音)
 (1926年2月2日ロンドン録音)
  ※復刻はオリジナルの回転数のままで行なっています。
ブダペスト弦楽四重奏団
エミル・ハウザー(第1ヴァイオリン)
イムレ・ポガニー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリ(ヴィオラ)
ハリー・ソン(チェロ)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年、ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバーによって結成された。そのオリジナル・メンバー(第2ヴァイオリンだけは2代目)による電気録音最初期のもの。1930年代になってからリーダーはロシア人のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、他の奏者も全員ロシア出身の音楽家に代り、20世紀半ばに活躍した偉大なる弦楽四重奏団になった。その団体の原点にあたるオリジナル・ブダペスト弦楽四重奏団は同じハンガリー出身のレナー弦楽四重奏団を追ってHMVレーベルに登場。軽やかな足取りの爽やかな演奏スタイルが、後年のロイスマン時代とは異なる。希少な室内楽録音の登場である。
33CDR-3377 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 仏 VEGA 30MT 10.121
 (録音:1954年)
ジャニーヌ・アンドラード(ヴァイオリン)
ハンス・ユルゲン・ワルター指揮
ハンブルグ・プロムジカ交響楽団
ヴァイオリンのジャニーヌ・アンドラード(1918-?)はフランスのブザンソン生まれ。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し12歳で一等賞を得た。パリ音楽院ではは同年代のドニーズ・ソリアノ(1916-2006)、ローラ・ボベスコ(1919-2003)、ジネット・ヌヴー(1919-1949)らがブーシュリ教授の下で研鑽を積んでいた。アンドラードは作曲家でパリ音楽院の学長をつとめたクロード・デルヴァンクール(1888-1964)の「古い舞曲」を作曲者のピアノ伴奏で1943年にフランス・コロンビアにSP録音した(「ジュール・ブーシュリとその弟子たち」グリーンドア GD-2030に抜粋収録)。また1950年代にはスプラフォンに小品集を録音した(DENONからCD発売)。さらに1968年にはモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第2番K.211 と第6番K.268 をクルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とステレオ録音した(CDはBERLIN CLASSICS 0181422BC)。このブラームスと共にいずれもパリ音楽院楽派のヴァイオリンの香りの高い名演奏を繰り広げている。
33CDR-3378 ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
ヒンデミット:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ調
プロコフィエフ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタニ長調作品115
ヴァイオリンとピアノのための5つの小品作品35a
 米 COLUMBIA ML5178(初期LP特有のノイズ)
 (1953年11月12-13日、12月3日& 1954年1月12日、 4月1日、
  ニューヨーク30丁目、コロンビア・スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
カルロ・ブソッティ(ピアノ)
ヴァイオリンのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。ピアノのカルロ・ブソッティ(1922-2002)はイアリアのフィレンツェ生まれ。13歳でケルビーニ音楽院を卒業、第2次大戦中はイタリア軍に従軍、戦後はコンサート・アーティスト、レコーディグ・アーティストとしてアメリカで活躍した。LP初期にあったハイドン協会レーベルにソロ録音がある。晩年はサンフランシスコ大学で教鞭をとっていた。

<2012年4月6日紹介新譜>

78CDR-3369 ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB 9266/9302
 (1947年11月10-12、17日、1949年2月15日
  ウィーン、ムジークフェライン、大ホール録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はドイツの大指揮者。1937年ベートーヴェンの「運命」をベルリン・フィルとHMVに録音したのに続き、この「英雄」はベートーヴェンの第二弾録音にあたる。オーケストラはウィーン・フィル。大戦後間もない1947年11月に4日間かけて録音が行なわれ、1年3カ月後の1949年に修正録音を行い全曲が完成した。フルトヴェングラーは1952年11月に再度ウィーン・フィルと「英雄」を録音しているので、このSP録音はあまり知られていない。ムジークフェライン大ホールの残響はLP録音よりずっと美しい。これまでの復刻盤にはなかった低音部の動きにも耳を傾けていだきたい。
78CDR-3370 ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
 独 TELEFUNKEN SK 2210/13
 (1937年5月4日アムステルダム、コンセルトヘボウ録音)
ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任し、1921年-1930年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任している。レコード録音は機械式録音時代と電気録音初期に米ヴィクター、電気初期のコンセルトヘボウとの録音は英コロンビアと独オデオンにあり、電気録音の完成期には独テレフンケンに多数ある。またコンセルトヘボウとの放送ライブ録音はLP時代になってフィリップスから発売された。この「運命」はテレフンケン期のはじめの録音で、実に生々しい演奏が録られているが、残念なのはハム音が入っていること。復刻に際してこのハムを除去すると壮烈な演奏の感動が半減してしまうため、ここでは何も電気処理をしていない。
78CDR-3371 ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
 仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB 3051/5
 (英 HIS MASTER'S VOICE DB 3051/5 と同一録音)
 (1936年12月5日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルグ歌劇場の指揮者をしていた時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーンのムジークフェライン大ホールで録音されたもので、美しい残響を伴ったオーケストラの音色が名演奏に花を添えている。ワルターとウィーン・フィルの録音はワルター自身がピアノを弾いたモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-3219)がこのシリーズで出ている。
33CDR-3372 ショパン:
 ピアノ協奏曲第1番ホ長調作品11
 即興曲 第1番変イ長調作品29
 即興曲 第2番嬰ヘ長調作品36
 即興曲 第3番変ト長調作品51
 幻想即興曲嬰ハ短調作品66 (4:12)
英 VOX PL 7870
 (録音:1953年)(初期LP特有の雑音が出ます)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
ハンス・スワロフスキー指揮
ウィーン市立フィルハーモニア
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。99歳までコンサート・ステージに登場していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。 4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。このシリーズで第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)が出ている。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。指揮者のハンス・スワロフスキー(1899-1975)はブダペスト生まれ。ウィーンで活躍した。
78CDR-3373 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
 ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
米 COLUMBIA ML4870
 (1953年11月27日=第5番、 1953年12月1日=第6番
 ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれの名ヴァイオリニスト。ヨーロッパで名声を確立した後、1940にアメリカに移住した。この録音はLP時代になってからのもの。ピアノのミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストを務めた。このシリーズで第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)が出ている。第2次世界大戦中にアメリカに移住。ブダペスト弦楽四重奏団との共演やシゲティとの録音も多い。1961年11月13日にケネディ大統領に招待されたホワイトハウスコンサートでもチェロのカザルス、ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダーと共に出演した。1987年、95歳の時に初来日、東京のカザルス・ホールのオープニングで演奏。1993年101歳で死去した。

<2012年3月16日紹介新譜>

78CDR-3364 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第10番変ホ長調作品74「ハープ」
 英 COLUMBIA L2248/51(仏 COLUMBIA D15061/4と同一録音)
(1928年6月21-22 日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
78CDR-3365 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132
 英 COLUMBIA L2272/76(仏 COLUMBIA D15114/8と同一録音)
(1928年10月8-10日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
78CDR-3366 モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465
 日本 COLUMBIA J7786/9(仏COLUMBIA D15110/13と同一録音)
(1928年10月11日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6 月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに12曲51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでは12曲の全録音が揃った。最上のSP盤復刻として評判が高い。
33CDR-3367 シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのための幻想曲ハ長調作品159 D.934
コレッリ(レオナール編):ラ・フォリア
ドビュシー(ローラン編):月の光(「ベルガマスク組曲」より)
ラロ(シゲティ編):オバド(「イスの王」より)
チャイコフスキー(グリューンズ編):感傷的なワルツ作品51-6
 米 COLUMBIA ML4338
 (録音: 1949年11月21日(シューベルト)、1940年6月5日(コレッリ)、
 1941年11月26日(ドビュッシー)、1941年3月21日(ラロ)、
 1944年12月4日(チャイコフスキー)ニューヨーク)
ヨゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ジョゼフ・レヴィン,
アンドル・フォルデス,
ハリー・カウフマン(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。シゲティは1940年にアメリカに移住した。ピアニストのジョゼフ・レヴィン(1874-1944)はウクライナ出身のユダヤ系ロシア人。1892年モスクワ音楽院のピアノ科を同級のスクリャービンやラフマニノフを抑えて大金メダルを得て卒業した。演奏家として教師として第1次世界大戦前に名声が高かったが反ユダヤ運動にあい1919年にアメリカに移住した。ジュリアード音楽院でのピアノ教育と演奏家活動をした。夫人のロジーナ・レヴィン(1880-1976)もピアニストで教師としても高名だった。シューベルトはヨーロッパを捨てた二人の巨匠二人の記念碑的録音の初復刻。LPのB面はシゲティ「アンコール集」。この中の「ラ・フォリア」はSP盤からの復刻が78CDR-3236で出ている。この時代のアメリカ・コロンビアは16インチのアセテート盤をマスターに使用していた。LPはアセテート盤から作られたもので、SP盤からの復刻ではない。
78CDR-3368 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
米 COLUMBIA ML4007
(1941年12月12日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。ラッパ吹き込み時代のドイツ・ポリドールにもレコードがあった。ブッシュは1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍、1936年にゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚した。二人はナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住し、1939年にはブッシュ自身も弟のチェリスト、ヘルマンと共にドイツを去りアメリカに定住した。この「クロイツェル」はアメリカ・コロンビアの録音で、録音日は日米開戦(1941年12月8日)の 4日後だった。当時アメリカ・コロンビアではマスターとして16インチのアセテート盤に録音していた。このマスターから78回転盤に転写してSPレコードが作られた。LP時代になってからは同じアセテート盤マスターからLPが作られた。ということはこれはSP盤の復刻LPではなく、SPと同一のマスターから作られたLPである。この「クロイツェル」は1948年アメリカ・コロンビアのLP第1回発売のラインナップに加えられた。ブッシュとゼルキンのベートーヴェンはヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調「スプリング」(1933年HMV録音)が78CDR-3222で出ている。

<2012年2月17日紹介新譜>

33CDR-3359 J.S.バッハ:ヴァイオリンとハープシコードのためのソナタ集-1
 ソナタ第1番ロ短調 BWV 1014
 ソナタ第2番イ長調 BWV 1015
 ソナタ第3番ホ長調 BWV 1016
米 COLUMBIA ML2109/10(MONO)(1950年発売)
(1945年11月28日、1947年1月13日&27日録音)  
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ラルフ・カークパトリック(ハープシコード)
33CDR-3360 J.S.バッハ:ヴァイオリンとハープシコードのためのソナタ集-2
 ソナタ第4番ハ短調 BWV 1017
 ソナタ第5番ヘ短調 BWV 1018
 ソナタ第6番ト長調 BWV 10198
米 COLUMBIA ML2110/11(MONO)(1950年発売)
(1945年11月26日、1947年1月1月13&27日録音)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ラルフ・カークパトリック(ハープシコード)
ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナの生まれ。ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として活躍、ナチスの迫害を逃れ四重奏団の他のメンバーと共にアメリカに移住した。シュナイダーは1932年から44年、55年から67年に四重奏団に在籍し、それ以外の期間はシュナイダー四重奏団やソリストとして活動した。J.S.バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータを1949年に録音した(33CDR-3307、33CDR-3308分売)。ハープシコードのラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、ハープシコード奏者。ハーバード大学卒業後ヨーロッパ各地に留学。パリでナディア・ブーランジェとワンダ・ランドフスカに、ライプツィヒでギュンター・ラミンに師事した。シュナイダーとのデュオでは他に1950年録音のヘンデル(33CDR-3327)、モーツァルトのソナタを残している。
33CDR-3361 ベートーヴェン:
 交響曲第7番イ長調作品92
 交響曲第8番ヘ長調作品93
米 COLUMBIA MS-6082(第7番)、M2S-608(第8番)
(録音:1958年2月1、3 & 12日=第7番、1958年1月8、10、13 & 2月12日=第8番、
ハリウッド、アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。
78CDR-3362 ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲イ短調 作品132
  (HMV 盤特有のノイズあり)
英 HIS MASTER'S VOICE DB3375/80S
(1937年10月7日ロンドン、EMI 第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英 HIS MASTER'S VOICE に多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカ COLUMBIA に録音を再開した。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番作品135(78CDR-3195)とアメリカに渡ってから録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)が出ている。
78CDR-3363 シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」作品42
英 PARLOPHONE RO20090/93
(1928年11月10日ベルリン録音)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
室内楽団
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルク生まれ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビュー、1914年にはウィーン宮廷歌劇場にデビューした。彼女はリヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメツッオ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。ここではピアノ伴奏部を室内オーケストラに編曲してある。これはマイクロフォンを使用しなかった機械式録音のなごり。ピアノだけでは寂しい音だったからだ。レーマンはこの録音時40歳、彼女は1941年にブルーノ・ワルターのピアノでこの曲集を再録音した。レーマンはこのシリーズでシューベルト:「冬の旅」(全曲)(78CDR-3049 & 3049)、シューベルト:「美しき水車屋の娘」(全曲)(78CDR-3079)、 R. シュトラウス:歌曲集(78CDR-3348)が出ている。 

<2012年1月6日紹介新譜>

33CDR-3354 メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調作品56「スコットランド」
 チェコ SUPRAPHON LPV 213(MONO)
 (録音:1952年7月15日)
ルドルフ・ケンペ指揮
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団
ルドルフ・ケンペ(1910-1976)はドレスデン生まれ、オーボエを学んだ。1929年にライプツィヒ・ゲヴァントハウスのオーボエ奏者となり、当時ブルーノ・ワルター(1876-1962)が首席指揮者、シャルル・ミュンシュ(1891-1966)がコンサートマスターをつとめていた。1950年にドレスデン国立歌劇場の音楽監督に就任した。この録音はチェコ・スプラフォンの録音でドレスデン時代のケンペの指揮を貴重な録音。録音の古さを吹き飛ばす圧倒的な感激をもたらす快演。近年再評価の高いこの指揮者の原点を是非聴いていただきたい。
33CDR-3355 ベートーヴェン:
 交響曲第2番ニ長調作品36
 交響曲第4番変ロ長調作品60
 米 COLUMBIA MS-6078 (第2番), MS-6055(第4番)
  (録音:1959年1月5&9日=第2番, 1958年2月8&10日
   ハリウッド, アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。
78CDR-3356 フォーレ:レクイエム作品48
 仏 LA VOIX DE SON MAITRE W 1154/8
 (1929年3月パリ録音)
マルノリ=マルセイヤック(ソプラノ)
ルイ・マルテュリエ(バス)
ギュスタヴ・ブレ指揮
パリ・バッハ協会合唱団と管弦楽団
アレックス・セイエ(オルガン)
この曲の世界初録音。初CD化。指揮者のギュスタヴ・ブレ(1875-1969)は作曲をウィドール(1844-1937)に学び、オラトリオを残している。また "プレス" 紙に批評を書いていた。ドビュッシーのペレアスとメリザンドに糾弾の炎が上がった時この作品擁護側に立った。1904年にバッハ協会を設立した。セヴェラック(1873-1921)やフォーレ(1845-1924)との親交があった。アレックス・セイエ(1883-1968)は1910年から1969年までパリ・エトワール寺院のオルガン奏者をつとめた。この演奏は作曲者フォーレと同時代の息を吸った音楽家の時代証言とも言えるもので、原盤のノイズなどの悪条件を越えた音楽は、後世の演奏の規範になると考え復刻した。現代演奏にはない不思議な感動がある。このシリーズではリヨンのサン=ジャン大聖堂で1938年に録音されたエルネスト・ブールモーク指揮の同曲(78CDR-3304)も出ている。
78CDR-3357 ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
 米 VICTOR 18-0194/8(Set DV 25)
 (1947年12月19&21日録音)
レオポルド・ストコフスキー指揮
交響楽団
ミッチェル・ミラー(イングリシュ・ホルン)(第2楽章)
RCA VICTORのビニールプレスの78回転SP盤復刻。指揮者のレオポルド・ストコフスキー(1882-1977)はロンドン生まれ。最初教会のオルガニストだったが指揮者になり1912年フィラデルフィア管弦楽団の指揮者に就任し1940年までその地位にあった。その後数多くのオーケストラを指揮し、1965年に来日したこともある。ストコフスキーはレコード録音に積極的で、機械式録音時代の1917年にハンガリー舞曲第5番&第6番をヴィクターに初録音。1925年には電気録音による初のオーケストラ録音をした。また1932年にはベル研究所では世界初のステレオ録音の実験に参加した。この録音は第2次世界大戦後、自ら優秀なミュージシャンを集めて組織した特別オーケストラ(ストコフスキーと彼の交響楽団)によっての録音。第2楽章のイングリッシュ・ホルンはイーストマン音楽学校出身のミッチェル・ミラー(1911-2010)が起用されている。ミラーはミッチ・ミラーの名でクシックの木管奏者から、レコード会社のプロデユーサー/アーティストとして、戦後のアメリカポップス界で大活躍した人物。
78CDR-3358 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 ソ連 MK D-01930/41
 (1950年録音)
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
アレクサンドル・ガウク指揮
ソヴィエト国立放送管弦楽団
ソ連製SPレコードからの復刻。ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)はオデッサに生まれた大ヴァイオリニスト。1937年ブリュッセルのエリーザベト王妃音楽コンクールに優勝した。モスクワ音楽院で後進の指導をしていたが、ソビエトの第2次世界大戦参戦で慰問演奏を行った。その後の活躍はめざましく、20世紀後半に活躍した世界屈指のヴァイオリン奏者であった。オイストラフはベートーヴェンの協奏曲を3回録音しているが、これは第1回目の録音。鉄のカーテンの奥に閉ざされた時代のもので、SP録音ながらソ連の録音技術の高さを感じさせるもの。LP初期にアメリカのマイナーレーベル数社から同一演奏が発売されたことがあったが、このオリジナルSP盤の演奏は別物のように聴こえる。アレクサンドル・ガウク(1893-1963)は指揮者で作曲家、ソ連の音楽界を支えた人物であった。

<12月9日紹介新譜>

33CDR-3349 ベートーヴェン:
 交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
 交響曲第1番ハ長調作品21
米 COLUMBIA MS-6036 (第3番), MS-6071(第1番)
(録音: 1958年1月20, 23, 25日=第3番、1959年1月5, 6, 8, 9日
ハリウッド, アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
1959 No.1 American Legion Auditorium, Hollywood)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。
33CDR-3350 リスト: クリスマス・ツリー
 1. 古いクリスマスの歌
 2. おお聖なる夜
 3. 飼い葉桶のそばの羊飼いたち
 4. 誠実な人びとよ来れ(東方の三人の博士聖者の行進)
 5. スケルツォーソ(クリスマス・ツリーに点火する時)
 6. グロッケンシュピール
 7. 子守歌
 8. 古いプロヴァンスのクリスマスの歌
 9. 夕べの鐘
 10.昔むかし
 11.ハンガリー風
 12.ポーランド風
米 SOCIETY OF PARTICIPATING ARTISTS SPA-26(Mono)
(1952年春頃録音)
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
このピアノ組曲はリストが孫娘のダニエラのために作曲した。ダニエラはコジマとハンス・フォン・ビューローの娘で作曲年代は1874-6年頃とされている。この組曲の中に聴いたことのあるクリスマスキャロルが数曲あって心が和む。他の曲はリストのオリジナル作品。アルフレッド・ブレンデル(1931-)は北モラヴィアのヴィーゼンベルク生まれ、オーストリアのグラーツ音楽院で学んだ。1949年ブゾーニ国際コンクールで入賞後、ウィーン・デビュー。その後エトヴィン・フッシャーのマスタークラスを受講し多大な影響を受けた。この録音はブレンデルが20代の半ばにアメリカのSPAレコードに録音したもので、ほとんど知られていないもの。ここに既にブレンデルの音楽が聴ける貴重なアルバム。SPAにはもう一枚R.シュトラウスの5つの小品とピアノ・ソナタ(SPA-26)があり、33CDR-3337で出ている。
78CDR-3351 ベルリオーズ:幻想交響曲作品14
仏 COLUMBIA LFX 880/85
(1949年9月9日パリ、シャンゼリゼ劇場録音)
シャルル・ミュンシュ指揮
フランス国立放送管弦楽団
1950年フランス・ディスク大賞受賞レコード。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1928年-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた、1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。これはボストンに出向く直前にパリで録音された貴重なSPレコード。数種類あるミュンシュの「幻想交響曲」の最初の録音。
78CDR-3352 シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
仏 COLUMBIA LFX 320/23
(1933年4月25-26日パリ録音)
イヴ・ナット(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
管弦楽団
1933年フランス・ディスク大賞受賞レコード。イヴ・ナット(1890-1956)はフランスノピアニスト。1907年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで一等賞を得てデビュー、1910年代からアメリカ、ヨーロッパ、ロシアとコンサート・ピアニストとして活躍した。演奏家として絶頂期の1934年にパリ音楽院の教授に任命され、生涯その地位にあった。このシューマンはナットが音楽院教授に就任の前年のもの。ナットは1929年にリストのハンガリー狂詩曲第2番が初レコード録音だったが、これは2番目レコード録音。ナットの門下生にはユーリ・ブコフ、イエルク・デムス、ジャクリーヌ・エマール、レーヌ・ジャノリ、ジュヌヴィエヴ・ジョワ、ジャック・ルーシェ、ジャン・ヌヴー、ロベール・ヴェイロン=ラクロワなどがいる。ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)は華麗な経歴を持つフランスの指揮者。SPレコード時代に数多くの録音がある。
78CDR-3353 シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調作品137-3 D408
 ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番ト短調作品137-1 D384よりロンド
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB11103/4
(1944年5月28日パリ、ペルーズ・スタジオ録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
タッソ・ヤノプロ(ピアノ)
第2次世界大戦下のパリでの録音。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀前半に活躍したフランスの大ヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院のマルタン・マルシック(1848-1924)に師事し、1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1836-1910)に見いだされ楽員に採用された。そのとき、ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを結成し1930年頃まで活動した。ティボーは1923年と1936年に来日、1953年の3度目の来日時、乗っていたエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突し死亡した。享年72歳。この録音と同日に録音されたラヴェルとフォーレの小品2曲は78CDR-3149で出ている。

<11月25日紹介新譜>

33CDR-3344 ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125 「合唱」
 米 COLUMBIA M2S-608
 (録音: 1959年1月19, 21, 26, 29 & 31 日ハリウッド,
 アメリカン・リージョン・オーディトリアム, 第1-3 楽章&
 4月6 & 15 日ニューヨーク, セント・ジョージ・ホテル、ボールルーム, 第4楽章)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
エミリア・クンダリ(ソプラノ),
ネル・ランキン(メゾ・ソプラノ),
アルバート・ダ・コスタ(テノール),
ウィリアム・ウィルダーマン(バス)
ウェストミンスター合唱団(ウォーレン・マーティン= 合唱指揮)
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。以後ワルターはウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ・レコードが開発されたのを期に、既に引退していた巨匠ワルターを起用して録音されたもの。第1楽章から第3楽章が当時ワルターが住んでいたロサンジェルスで行われ、第4楽章はニューヨークで録音された。録音当時ワルターは82歳だった。復刻はLPレコードの持つ音を、ありのままに引き出すことを意図した。
33CDR-3345
(MONO)
セゴビア&レイ・デ・ラ・トルレ/ギター・リサイタル
 セゴビア/J.S.バッハ作品集(編曲: セゴビア)
  無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV 1012より
  ガヴォット I & II
  リュート組曲ホ短調 BWV 996より
  サラバンド
  ブーレ
  前奏曲ハ短調 BWV 999
  無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV 1009より
  クーラント
  無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV 1006より
  ガヴォット
  無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004より
  シャコンヌ
 レイ・デ・ラ・トルレ/ソル作品集
  モーツァルト「魔笛」の主題による変奏曲作品 9
  メヌエットニ長調作品11-5
  メヌエットイ長調作品11-6
  エチュードロ短調作品35-22(セゴビア20のエチュード第5番)
  「月光」
  エチュード変ロ長調作品29-1(セゴビア20のエチュード第19番)
  エチュードイ長調作品 6-6(セゴビア20のエチュード第12番)
アンドレス・セゴビア(ギター)
(1947年12月米MUSICRAFT 発売)
レイ・デ・ラ・トルレ(ギター)
(1950年米ALLEGRO 発売)
米 ROYALE 1422(1952年発売)
アンドレス・セゴビア(ギター)
レイ・デ・ラ・トルレ(ギター)
アンドレス・セゴビア(1893-1987)はスペインのギタリスト。現代クラシック・ギター奏法の父と言われている。ここに収録された録音は第2次世界大戦後の1947年、アメリカのMUSICRAFTのSPレコードに録音されされたもの。米デッカ録音に先立つこと数年で貴重な演奏。レイ・デ・ラ・トルレ(1917-1994)はキューバ生まれ。ハバナで神童として名声を上げた後、スペインのバルセロナで既に引退していた名ギタリスト、ミゲル・リョベート(1878-1938)に師事した。レイ・デ・ラ・トルレは1940年にニューヨークのタウン・ホールでアメリカ・デビュー、以降ギター界の寵児になった。この録音は1950年米ALLEGROレーベルで発売され、2年後ROYALEレーベルでセゴビアと組み合わせて再発されたもの。セゴビアの編纂したソルのエチュードの貴重な演奏が聴ける。
78CDR-3346 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
 仏 COLUMBIA LFX 679/83
 (録音:1944年6月11日パリ、アルベール・スタジオ)
マルグリット・ロン(ピアノ)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
マルグリット・ロン(1874-1966)は19歳でパリ音楽院の一等賞を得た後コンサートデビュー、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)やフィガロ紙の評論家から絶賛された。1906年母校のパリ音楽院教授に就任、1940年まで務めた。1943年ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1954)と共に、若い優秀な音楽家を発掘するコンクールをパリで創設した。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1928年-32年にはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた、1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。これは第2次大戦末期のドイツ占領下のパリで録音されたもの。ロンは当時70歳だった。ロンのSPレコードの中でも最も希少な盤の登場である。
78CDR-3347 ラヴェル:ツィガーヌ
ショパン(ロディオノフ編):ノクターン第20番嬰ハ短調遺作
 Eng. HIS MASTER'S VOICE DB 6907/8
ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
スカルラテスク:バガテル
 Eng. HIS MASTER'S VOICE DA 1871
ファリャ(クライスラー編):スペイン舞曲(はかなき人生)
ディニク(ハイフェッツ編):ホラ・スタッカート
 Eng. HIS MASTER'S VOICE DA 1865
(録音: 1946年3月26日01-04, 8月12-14 日05-08,
ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ジャン・ヌヴー(ピアノ)
ジネット・ヌヴー(1919-1949)はアメリカへの演奏旅行に向かう航空機事故で30歳の生涯を終えた。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1878-1962)のクラスに入り、8カ月後に一等賞を得た。8カ月は50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。ヌヴーはその後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとで研鑽を積んだ。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニュフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し、180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。この録音は第2次再開大戦後のSPレコード録音期末期にロンドンで録音されたもの。このシリーズでヌヴーのSP録音は最初期のものを除きほとんど出ている。
78CDR-3348 R.シュトラウス: 歌曲集
 セレナード作品17-2
 あすの朝作品27-4
 万霊節作品10-8
 献身作品10-1
米 COLUMBIA 17384/5-D(Set X-270)
(録音:1941年7月2日ハリウッド、CBS スタジオ)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
パウル・ウラノフスキー(ピアノ)
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルク生まれ。ベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビュー。1914年にウィーン宮廷歌劇場にデビューした。リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメツッオ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とた。1938年、ナチス・ドイツのオーストリア併合で迫害を逃れてアメリカに移住した。この録音はアメリカ時代の初期のもの。作曲家リヒャルト・シュトラウスと親交があったレーマンの残した貴重な録音である。レーマンはこのシリーズでシューベルトの「冬の旅」(全曲)(78CDR-3049 & 3049)、シューベルトの「美しき水車屋の娘」(全曲)(78CDR-3079)が出ている。


<10月7日紹介新譜>

33CDR-3339 ベートーヴェン:
 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
 交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
U.S. COLUMBIA MS-6012(No.6)& U.S. COLUMBIA MS-6055(No.5)
(録音:1958年1月13、15 & 17日(田園)、1月27 & 30日(運命)
ハリウッド、アメリカン・リージョン・オーディトリアム)
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。ワルターは以後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はステレオ録音が開発されたのを期に引退していたワルターを起用して録音が挙行されたもの。録音当時ワルターは82歳だった。復刻はLPから最良の音を引き出すことを試みた。
33CDR-3340 コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ作品8
 米 PERIOD SPLP 510
 (1950年録音)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)
ヤーノシュ・シュタルケル(1924-)はハンガリーのブダペスト生まれ。7歳でプダペスト音楽院に入学を許され、アドルフ・シッファーに師事した。11歳でソロ・デビュー、1945年に祖国を去りヨーロッパ各地で演奏した。1948年ハンガリー出身の指揮者アンタル・ドラティの招きでダラス交響楽団の首席チェリストに就任した。翌1949年にはフリッツ・ライナーの招きを受けて、メトロポリタン歌劇場管弦楽団の首席チェリストに就任、1953年ライナーがシカゴ交響楽団に移るのに伴って移籍し1958年まで在籍した。この録音はオーナーがハンガリー出身のレコード会社ピリオドに録音したもので、シュタルケルの名前を世界に広めた記念すべき録音。録音エンジニアは作曲家ベラ・バルトークの次男ピーター・バルトークである。シュタルケルは1958年インディアナ州ブルーミントンに居を構え、インディアナ大学の教授に就任し、ソロ活動や公開レッスン、セミナー、レクチャーをする一方、多くのレコード録音を残している。
78CDR-3341 悲しい歌/クレール・クロワザ
 (1)悲しい歌/CHANSON TRISTE(Duparc-J.Lahor)
  Fr. Columbia LF 59B (WM 37)
 (2)哀歌/LAMENTO(Duparc-Th. Gautier)
  Fr. Columbia LF 59A (WM 33)
 (3)夢の後に/APRES UN REVE(Faure-Bussine)
  Fr. Columbia LF 63A (WM 36-1)
 (4)夕べ/SOIR(Faure-Samain)
  Fr. Columbia LF 63B (WM 31-1)
 (1930年7月ロンドン録音)
  (Rec. July 1930 London)
クレール・クロワザ(メゾソプラノ)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)
クレール・クロワザ(1882-1947)はパリ生まれ。最初にオペラ歌手として名声を確立したが、後に歌曲を専門に活動する。度々ロンドンを訪れて歓迎された。またラヴェル、ルーセル、オネゲル、プーランクなど自からの演奏会にクロワザを招き伴奏を務めた作曲家もいる。1922年からパリのエコール・ノルマルで、1934年からパリ音楽院で後進の指導にあたった。門下生にはジャニーヌ・ミショー、ジャック・ジャンサン、カミーユ・モラーヌ、ジェラール・スゼー、古澤淑子らがいる。この録音はクロワザが48歳の時のもの。彼女の最高の名演とされている。
78CDR-3342 ランドフスカ/ハープシコード珠玉集
 前奏曲、フーガとアレグロ変ホ長調(J.S.バッハ)
  (1)前奏曲とフーガ(1)
  (2)フーガ(2)
  (3)アレグロ -
 幻想曲ハ短調(J.S.バッハ)
 (4)ソナタニ長調 L.418 -ソナタニ短調 L.423(D.スカルラッティ)
 (5)サラバンドニ短調(シャンボニエール)- 皇太子妃(ラモー)
 (6)神秘的なバリケード - 女道化師(F.クープラン)
 (7)グラウンドハ短調(パーセル)- ナイチンゲール(作者不詳)
 (8)調子のいい鍛冶屋(ヘンデル)
 (9)ロンドニ長調 K.485(モーツァルト)
 (10)トルコ行進曲 K.331 -メヌエットニ長調 K.355(モーツァルト)
 協奏曲ニ長調(ヴィヴァルディ=J.S.バッハ編)
 (11)アレグロ - ラルゲット(1)
 (12)ラルゲット(2)- アレグリッシモ
 米 RCA VICTOR 12-0002/7
 (録音:1946年ニューヨーク、ロータス・クラブ)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。パリのスコラ・カントルムの教授もつとめた。二列の鍵盤と七個ペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせて生涯このこの楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが1941年のドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れた。これはランドスフスカの2回目の「ゴルトベルク変奏曲」(78CDR-3288)に続くアメリカでのSPレコード録音。LPやCDでは聴けない鮮度の高い音でランドフスカの至芸を楽しむことができる。
78CDR-3343 プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調作品94a
 米 COLUMBIA 71790/92-D
 (1944年11月29日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
レオニード・ハンブロ(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。シゲティは1940年にアメリカに移住した。このヴァイオリン・ソナタ第2番は原曲がフルート・ソナタ(1941-2)として書かれた。1994年にヴァイオリン・ソナタ第2番として、オイストラフのヴァイオリン、オボーリンのピアノで初演され、楽曲はシゲティに献呈された。ピアノのレオニード・ハンブロ(1920-2006)はジュリアード音楽院出身。1946年ニュルベルグ・コンクールで入賞。クック・レコードにも録音していた。シゲティはプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3325)、J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3225)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3138)、ブームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番(78CDR-3159)他がこのシリーズで出ている。

<9月16日紹介新譜>

78CDR-3334 タルティーニ(クライスラー編):
 ヴァイオリン・ソナタ ト短調作品6-2 「悪魔のトリル」
  米 COLUMBIA 70552/3-D(Set MX 98)
  (1938年1月31日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
レオポルド・ミットマン(ピアノ)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツ(1903-1989)と出会い一緒に演奏旅行をしたこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。これはアメリカ・コロンビアに録音を始めたごく初期のもの。このシリーズでJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)、ヴィターリ:シャコンヌ(78CDR-3306)が出ている。
78CDR-3335 バルトーク:弦楽四重奏曲第4番(1928)
 米 CONCERT HALL SOCIETY Set A-8
 (1947年ニューヨーク録音)
ギレ弦楽四重奏団
ダニエル・ギレ(第1ヴァイオリン)
ジャック・ゴロデツキ(第2ヴァイオリン)
フランク・ブリーフ(ヴィオラ)
リュシアン・ラポルト(チェロ)
この曲の世界初録音。ダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコとギヨーム・レミに師事し、オペラ・コミックのコンサートマスターを務めた後1941年にアメリカに移住、ギレ弦楽四重奏団を組織、1944年にアルトゥーロ・トスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入団、1951年にコンサート・マスターとなった。1954年にはピアニストのメナヘム・プレスラーとチェロのバーナード・グリーンハウスと共にボザール三重奏団を結成した。1969年に引退し、イシドア・コーエンがそのポジションを引き継いだ。第2ヴァイオリンのジャック・ゴロデツキはブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めたこともある。チェロのリュシアン・ラポルトはパリ音楽院で一等賞を得た名手。ヴィオラのフランク・ブリーフはパリのフォンテーヌブロー音楽学校出身。4 人のメンバーはすべてパリで教育を受けた国籍の異なる音楽家である。
78CDR-3336 ベートーヴェン:大フーガ変ロ長調作品133
 米 COLUMBIA 11778/9(Set MX-221)
 (1941年10月2日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブッシュ室内合奏団
アドルフ・ブッシュ(音楽監督)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害からアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。このシリーズでブッシュはJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲(78CDR-3235)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3243)、他が出ている。
33CDR-3337 R.シュトラウス:
 5つのピアノ小品 作品3
 ピアノ・ソナタ ロ短調 作品5
 米 SOCIETY OF PARTICIPATING ARTISTS SPA-48(Mono)
 (1954年録音)
アルフレッド・ブレンデル(ピアノ)
この2曲の世界初録音。作曲家R.シュトラウスが1880-81年に作曲作品。当時15-6歳だった。アルフレッド・ブレンデル(1931-)は北モラヴィアのヴィーゼンベルク生まれ、オーストリアのグラーツ音楽院で学んだ。1949年ブゾーニ国際コンクールで入賞後ウィーンデビュー。その後エトヴィン・フィッシャーのマスタークラスを受講し多大な影響を受けた。この録音はブレンデルが20代の半ばにアメリカのSPAレコードに録音したもので、ほとんど知られていないもの。ここに既にブレンデルの音楽が聴ける貴重なアルバム。SPAにはもう一枚リストの「クリスマス・ツリー」(SPA-26)があった。
33CDR-3338 シェーンベルク:弦楽四重奏曲第3番作品30(1927)
 米 DIAL 4(Mono)
 (1950年1月24日ニューヨーク、WOR スタジオ録音)
プロ・アルト四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
アルバート・レイヒア(第2ヴァイオリン)
バーナード・ミロフスキー(ヴィオラ)
エルンスト・フリートランダー(チェロ)
リーダーのルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)は作曲家シェーンベルク(1874-1951)の指導を受け1921年に弦楽四重奏団を組織した。最初はウィーン弦楽四重奏団と名乗ったが後にコーリッシュ弦楽四重奏団(1922-1939)と改称した。1944年にコーリッシュはアメリカのウィスコンシン大学に招かれ、新たに組織されたプロアルト弦楽四重奏団のリーダーとなり1967年まで務めた。この録音はコーリッシュにとって2回目の録音にあたる。第1回のARCO録音とメンバーが入れ代わっている。DIALレーベルはLP時代に登場した現代音楽を積極的に取り上げたユニークなレーベル。1950年6月号の英GRAMOPHONE誌の"アメリカ便り" でアメリカの音楽評論家ハロルド・ショーンバーグがこのレーベルを紹介していた。

<8月5日紹介新譜>

78CDR-3329 シューベルト:
 即興曲集作品90 D.899
 即興曲集作品142 D.935
独 ELECTROLA DB3484/9 (英 HMV DB3434/9 と同一録音)
(1938年3月8-9日ロンドン、アビー・ロード EMI 第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンでリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授に任命され、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのゲオルグ・クーレンカンプ(1898-1948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-1990)、チェロのエンリーコ・マイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。
78CDR-3330 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108
 英 HIS MASTER'S VOICE C1923/5
 (1929年12月2-3日&1930年3月28日ロンドン録音)
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
ハロルド・サミュエル(ピアノ)
イゾルデ・メンゲス(1893-1976)はイギリスの女流ヴァイオリニスト。1910年17歳の時ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、1913年20歳でロンドンでデビューした。ハロルド・サミュエル(1879-1937)はロンドン生まれのイギリスのピアニスト。バッハ演奏の権威で、バッハの全クラヴィア作品を暗譜した。1898年当時ロンドンの聴衆には未知の作品だったバッハのゴルトベルク変奏曲 BWV.988を弾いてデビューした。バッハの演奏の傍らサミュエルは伴奏ピアニストとして人気があった。特に女流ヴァイオリン奏者イゾルデ・メンゲスとのデュオは有名だった。メンゲスは本シリーズでJ.S.バッハ:シャコンヌ(78CDR-3178)、シューベルト:ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番(78CDR-3206)が出ている。またサミュエルはJ.S.バッハ:パルティータ第2番ハ短調 BWV.826(78CDR-3276)が出ている。
78CDR-3331 ドビュッシー:ピアノのための練習曲集より(1915)
 第1番 5本の指のために
 第3番 4度のために
 第11番 アルペジオのために
 第4番 6度のために
 第8番 装飾音のために
 第10番 対比的な響きのために
  英 DECCA LY6094/6(仏 POLYDOR 27297/9と同一録音)
  (1933年パリ録音)
ジャクリーヌ・ブランカール(ピアノ)
ジャクリーヌ・ブランカール(1909-1979)はパリ生まれの女流ピアニスト。パリ音楽院でイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1926年に一等賞を得た。以降オーケストラや室内楽、ソリストとして活躍。1938年にシャルル・ミュンシュ指揮パリ・フィルハーモニー管弦楽団とラヴェル:左手のピアノのための協奏曲(DECCA X204/5)の世界初録音を行った。この録音は1933年ブランカールが24歳の時の彼女の初レコード録音で、ポリドールは当時イギリスではDECCA が発売していた。このシリーズでブランカールはLP録音のモーツァルト: ピアノ・ソナタ集(33CDR-3328)が出ている。
33CDR-3332 J.S.バッハ:
 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
 パルティータ第4番ニ長調 BWV.828
  独 CONCERT HALL MMS-72
 (1954年6月19日モスクワ音楽院小ホール、ライヴ録音)
ギュンター・ラミン(ハープシコード)
ギュンター・ラミン(1898-1956)はドイツの鍵盤楽器奏者、指揮者。1940年にライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(音楽監督)となり、1956年の死までその地位にあった。特に1941年に録音されたJ.S.バッハ「マタイ受難曲」の抜粋盤(独ELECTROLA DB 6516/24S)は有名。またオルガンの録音は多数あるが、ハープシコードの録音は非常に珍しい。
33CDR-3333 モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
 ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
 米 HAYDN SOCIETY HSLP 1040
 (1951年3月ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
アレクサンダー・シュナイダー指揮
ダンバートン・オークス室内管弦楽団
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)(K.218)
ラルフ・カークパトリック(18世紀ピアノ)(K.453)
ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。1932年から1944年、1955年から1967年にブダペスト四重奏団に在籍し、それ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活躍した。ラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、鍵盤楽器奏者。ハーヴァード大学卒業後ヨーロッパ各地に留学し、1933年から34年にザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとったこともある。1940年エール大学教授に就任、シュナイダーとのデュオではJ.S.バッハ、ヘンデル、モーツァルトのソナタの録音を残している。ここではカークパトリックはジョン・チャリス(John Challis)が復元した18世紀ピアノを弾いている。典雅な響きが心を打つ。ダンバートン・オークスはワシントンD.C.の地名。ストラヴィンスキーがこの名を冠した室内オーケストラのための協奏曲(1938年)に作曲した。この室内管弦楽団は1950年代に幾つかの録音を残している。シュナイダーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(33CDR-3307)と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ(33CDR-3308)、カークパトリックはJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(33CDR-3322)が稀少な初期LPからの復刻で出ている。また二人が共演したヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集(33CDR-3327)も出た。

<7月8日紹介新譜>

78CDR-3324 ドビュッシー:イベリア-管弦楽のための「映像」第2曲
ドビュッシー:英雄の子守歌
 英 DECCA AK1763/5 (ffrr録音)
 (1947年9月30日-10月2日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
英国デッカのffrr録音。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブールの生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。この録音はミュンシュとパリ音楽院管弦楽団のロンドン公演の際にスタジオ入りしたもの。オーケストラの各パートに音楽院の教授達の名人芸が聴こえる。コンデンサー・マイクロフォン独特の高域の輝きがffrrの特長である。ミュンシュ&パリ音楽院はラヴェル:ボレロ(78CDR-1164)チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-3239)、プロコフィエフ:古典交響曲(78CDR-3321)が出ている。
78CDR-3325 プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品19
 米 COLUMBIA 69899/901-D
(1935年8月23日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
レコード録音史上に輝く名演奏の一つ。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年と翌1933年に来日した。サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者で1932年ロンドン・フルハーモニー管弦楽団を作った。シゲティとビーチャムの顔合わせは、このプロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番の他に、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(78CDR-3111)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3124)がこのシリーズで出ている。
33CDR-3326 モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
 (カンデンツァ:エルンスト・フォン・ドホナーニ)
  英 Columbia L2315/8
  (1928年6月28日録音)
エルンスト・フォン・ドホナーニ(ピアノと指揮)
ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団
エルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)はオーストリア=ハンガリー帝国のポジョニュ(スロヴァキア語名ブラティスラヴァ)生まれ。ブダペスト音楽アカデミーを卒業後、1897年オイゲン・ダルベルト(1864-1932)のレッスンを受けた後ピアニストとしてデビューした。ヨアヒムの招きでベルリン高等音楽院で教鞭をとった(1905-1915)。その後祖国に戻り、ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督、音楽アカデミー院長をつとめた。第2次世界大戦後はアメリカに移住し、作曲家として活躍する一方、フロリダ州立大学で教鞭をとった。この録音は電気録音の初期のもので、自ら音楽監督を務めたブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した、いわゆる"弾き振り" によるモーツァルトの協奏曲の初めての録音。現在指揮者として活躍するクリストフ・フォン・ドホナーニ(1929-)は孫にあたる。    
33CDR-3327 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集
 ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14
 ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品1-15
 ヴァイオリン・ソナタ第3番ヘ長調作品1-12
  米 COLUMBIA ML2150/51(MONO)
  (1950年1月4日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ラルフ・カークパトリック(ハープシコード)
フランク・ミラー(チェロ)
ヴァイオリンのアレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。1932年から1944年、1955年から1967年にブダペスト四重奏団に在籍し、それ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活躍した。ハープシコードのラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、ハープシコード奏者。ハーヴァード大学卒業後ヨーロッパ各地に留学し、1933年から34年にザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとったこともある。1940年エール大学教授に就任、シュナイダーとのデュオではJ.S.バッハ、ヘンデル、モーツァルトのソナタの録音を残している。チェロのフランク・ミラー(1912-1986)はカーティス音楽学校で学び、18歳でレオポルド・ストコフスキー時代のフィラデルフィア管弦楽団に入団した。1940年から1954年まではアルトゥーロ・トスカニーニのNBC交響楽団の首席を務め、1957年にはプエルト・リコのカザルス・フェスティヴァル管弦楽団、1959年から1985年にはシカゴ交響楽団の首席を務めた。シュナイダーはJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ(33CDR-3307)と無伴奏ヴァイオリン・パルティータ(33CDR-3308)、カークパトリックはJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(33CDR-3322)が稀少な初期LPからの復刻で出ている。
33CDR-3328 モーツァルト:
 ピアノ・ソナタ第3番変ロ長調 K.281
 ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調 K.570
 ピアノ・ソナタ第5番ト長調 K.283
 ピアノ・ソナタ第15番ハ長調 K.545
 英 DECCA LXT 2666(MONO)(ffrr録音)
  (1951年10月ロンドン録音)
ジャクリーヌ・ブランカール(ピアノ)
ジャクリーヌ・ブランカール(1909-1979)はパリ生まれの女流ピアニスト。パリ音楽院でイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1926年に一等賞を得た。以後オーケストラや室内楽のソリストとして活躍。1938年にシャルル・ミュンシュ指揮パリ・フィルハーモニー管弦楽団とラヴェル:左手のピアノのための協奏曲(DECCA X204/5)の世界初録音を行った。また同曲をアンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団(DECCA LXT2565)と再録音した。1948年にアメリカにデビューし、1979年パリに没した。このピアニストの数少ない録音の1枚で、パリ音楽院派のモーツァルトが聴ける。

<6月17日紹介新譜>

78CDR-3319 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調作品26
 独 POLYDOR 67864/6
 (1942年1月ベルリン録音)
ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
カール・シューリヒト指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ハインツ・シュタンスケ(1912-)はカール・フレッシュ(1873-1944)に師事したドイツのヴァイオリニスト。1937年ウィーン・コンクールで金賞を受賞した。第2次世界大戦中もドイツで活躍、ポリドールにSP録音をのこした。大戦後はコンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディット・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルにも客演した。シュタンスケはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番(指揮:パウル・フェン・ケンペン)(78CDR-3211)、シューリヒトはブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン:クーレンカンプ)(78CDR-3123)、ベートーヴェン:交響曲第2番(スイス・ロマンド管弦楽団)(78CDR-3115)、ベートーヴェン:交響曲第4番(ベルリン市立管弦楽団)(78CDR-3127)が出ている。
78CDR-3320 ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
 独 PLYDOR 67082/86
 (1936年1月ベルリン録音)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
ペーター・ラーベ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)はドイツの名ピアニスト。機械式録音時代からステレオ録音時代まで多くの録音を残した。指揮者のペーター・ラーベ(187-1945)はナチスの国家音楽協会の総裁を務めた人物。この時代の背景が窺われる。ケンプはベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-3112)、ピアノ協奏曲第4番(78CDR-3120)、モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-3164)何れも指揮はパウル・ファン・ケンペン、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3133)が出ている。
78CDR-3321 プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調作品25「古典交響曲」
 英 DECCA AK1756/7 (ffrr録音)
(1947年10月4日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
英国デッカのffrr録音。シャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブールの生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。ミュンシュ&パリ音楽院はラヴェル:ボレロ(78CDR-1164)チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-3239)が出ている。
33CDR-3322 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988(File 1=NG)
 米 HAYDN SOCIETY RECORDS HS-9035(MONO)
  (1952年録音)
ラルフ・カークパトリック(ハープシコード)
ラルフ・カークパトリック(1911-1984)はアメリカの音楽学者、ハープシコード奏者。ハーヴァード大学を卒業後ヨーロッパ各地に留学。パリでナダィア・ブーランジェとワンダ・ランドフスカに、ロンドンでアーノルド・ドルメッチに、ベルリンでハインツ・ティーセンにライプツィヒでギュンター・ラミンに師事した。1933年から34年にザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。1940年にエール大学教授に就任、ドメニコ・スカルラッティの評伝とソナタ作品にK.番号をつけてを整理した。また演奏家としてバッハの作品に取り組み、このゴルトベルク変奏曲は2回録音した第1回目のもの。第2回目は独アルヒーフ(1959年)だった。このシリーズでゴルトベルク変奏曲はランドフスカによる1933年録音(78CDR-3073)と1945年録音(78CDR-3288)が出ている。
33CDR-3323 モーツァルト:
 クラリネット協奏曲イ長調 K.622
 ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.477
 仏 PATHE 33 DTX 112
 (1952年2月18日(K.622)& 2月13日(K.477)パリ録音)
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)(K.622)
リュシアン・テヴェ(ホルン)(K.477)
フェルナン・ウーブラドゥー指揮室内交響楽団
クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年パリ音楽院で一等賞を得た後、コロンヌ管弦楽団、さらにパリ音楽院に入り、シャルル・ミュンシュの要請でパリ・フィルハーモニー(1935-1938)でも活躍した。1940年から1950年にギャルド・レピュブリケーヌのソリスト、1948年にパリ音楽院教授に就任1978年まで務めた。ホルンのリュシアン・テヴェ(1914-2007)は1937年パリ音楽院で一等賞を得て、フランス国立放送管弦楽団(1937)、パリ音楽院管弦楽団(1938-1967)、パリ・オペラ座管弦楽団(1941-1974)で活躍した名手。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥー(1903-?)は1921年パリ音楽院のバスーン科で一等賞を得た。フランスの主要オーケストラのソリストとして活躍、1942年からパリ音楽院の器楽合奏科の教授も務めた。ドレクリューズはブラームス:クラリネット五重奏曲(33CDR-3317)、ラヴェル:序奏とアレグロ(78CDR-3264)、ベートーヴェン:七重奏曲(78CDR-3263)が出ている。

<5月6日紹介新譜>

78CDR-3314 フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
 米 VICTROLA 8179/82(英 His Master's Voice DB1347/50 と同一録音)
  (1929 年5月28日パリ、ショパン音楽堂録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。パリ音楽院でマルシックに師事、1896年に一等賞を得た。アルフレッド・コルトー(1877-1962)も20世紀フランス最高のピアニスト。パリ音楽院でディエメールとピュニョに師事した。二人は1923年にこのヴァイオリン・ソナタを機械式録音で吹き込みんだ(78CDR-3264)ことがある。1929年5月28日のこの録音はベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3015)に続いて録音された。レコード史上永遠に輝く名演奏である。復刻にはノイズの比較的少ない初期アメリカVICTOR盤を使用した。
78CDR-3315 リスト:ピアノ・ソナタロ短調
 米 VICTROLA 7325/7(英His Master's Voice DB1307/9 と同一録音)
  (1929年3月13日ロンドン、小クイーンズ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
リスト生誕200年記念発売。アルフレッド・コルトー(1877-1962)も20世紀フランス最高のピアニスト。パリ音楽院でディエメールとピュニョに師事した。コルトーは偉大な教育者でもあった。1907年から1917年までパリ音楽院の教授をつとめ、1918年にエコール・ノルマル音楽学校を設立した。門下生にはマグダ・タリアフェロ、クララ・ハスキル、ディヌ・リパッティ、ヴラド・ペルルミュテール、イヴォンヌ・ルフェビュール、サンソン・フランソワ等がいる。このリストのソナタは世界初録音。これまでSP録音本来の強靱な音が復刻されてなかったため、コルトーの偉大な演奏が見過ごされてきた。ここではノイズの比較的少ない初期アメリカVICTOR盤を使用しコルトーの真の姿が浮かび上がっている。
78CDR-3316 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調作品27-2「月光」
 仏 LVSM DB11165/6
(1947年6月4日パリ、アルベール・スタジオ録音)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(ピアノ)(ピアノ: ガヴォー)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)アメリカ生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されエリー=ミリアム・ドラボルド(1839-1923)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。1909年11歳でアメリカ人として初めて一等賞を得た。この最年少記録は今も破られていない。その後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)、ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)について研鑽を重ねた。祖国アメリカに戻りフィラデルフィアの音楽学校、さらにブエノスアイレスの音楽学校の教授を歴任後、1954年にパリ音楽院の教授に任命された。ベートーヴェン:「熱情」ソナタ(78CDR-3156)、ブラームス:パガニーニ変奏曲(78CDR-3185)、ファリャ:スペインの庭の夜(78CDR-3193)がこのシリーズで出ている。
33CDR-3317 ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115
 英 CLASSICS CLUB X47(Concert Hall Society CH-19と同一録音)
 (1956年頃録音)
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)
パスカル弦楽四重奏団
ジャック・デュモン(第1ヴァイオリン)
モーリス・クリュ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ロベール・サル(チェロ)
クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年のパリ音楽院で一等賞を得た後、コロンヌ管弦楽団、さらにパリ音楽院管弦楽団に入り、シャルル・ミュンシュの要請でパリ・フィルハーモニー(1935-38)でも活躍した。1940年から1950年にギャルド・レピュブリケーヌのソリスト、1948年にパリ音楽院教授に就任1978年まで務めた。パスカル弦楽四重奏団は1941年にマルセイユ出身のレオン・パスカルによって組織され、後にO.R.T.F.(フランス国立放送局)弦楽四重奏団となり1973年に解散した名四重奏団。ドレクリューズは同曲をステレオ時代にレーヴェングート四重奏団と再録音している。このシリーズでドレクリューズはラヴェル:序奏とアレグロ(78CDR-3264)、ベートーヴェン:七重奏曲(78CDR-3263)が出ている。
33CDR-3318 J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV.1009
 英 DECCA LX3069 (ffrr録音)
 (1950年1月20日ロンドン、デッカ・スタジオ録音)
エンリコ・マイナルディ(チェロ)
チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)はイタリア生まれ、ミラノ音楽院でチェロを、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。チェロはベルリン高等音楽院のフーゴー・ベッカーに師事し、1933年からベッカーの後を継いでチェロ科の教授になった。この頃ヴァイオリンのクーレンカンプ、ピアノのエトヴィン・フィッシャーとトリオを結成し名声をあげた。この組曲第3番は1950年1月20日に英デッカの10インチLPに録音された。デッカのSPには組曲第1番(AX-434/6)(1948年9月28日録音)と組曲第2番(AK-2155/7)(1949年9月30日録音)が残されているが、いずれも復刻盤は出ていない。これは稀少な初期LPからの復刻。

<4月22日紹介新譜>

78CDR-3309 モーツァルト:フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299
 仏 DISQUE GRAMOPHONE L876/8
 (1931年1月26日& 2月26日パリ録音)
マルセル・モイーズ(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
ピエロ・コッポラ指揮
管弦楽団
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1905年に一等賞を得た。1908年にソロ・デビュー、オペラ・コミック、ストララム管弦楽団に席を置き、1932年から1949年まで母校の教授をつとめた。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとして活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。ピエロ・コッポラ(1888-1977)はミラノ生まれ、フランスで活躍した。SPレコードの録音も多い。モイーズとラスキーヌはドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ラヴェル:序奏とアレグロ(78CDR-3284)が出ている。
78CDR-3310 フランク:前奏曲、コラールとフーガ
 仏 COLUMBIA LFX168/70
  (1930年6月6日パリ録音)
ブランシュ・セルヴァ(ピアノ)
ブランシュ・セルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞、1904年にJ.S.バッハのクアヴィーア曲集を全曲ピアノで演奏した。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動を離れた。セルヴァはJ.S.バッハ:パルティータ第1番BWV.825(78CDR-3191)、フランク:ヴァイオリン・ソナタ(ヴァイオリン:ジョアン・マッシア)(78CDR-3012)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(ヴァイオリン:ジョアン・マッシア)(78CDR-3028)が出ている。
78CDR-3311 モーツァルト:弦楽四重奏曲第16番変ホ長調K.428(421b)
 米 COLUMBIA 71431/4D
(1942年5月15日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英 HIS MASTER'S VOICE に多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番作品135(78CDR-3195)とアメリカ時代のベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、ピアノ三重奏曲「幽霊」(78CDR-3253)、シューマン:ピアノ五重奏曲作品44(ピアノ:ゼルキン)(78CDR-3305)などが出ている。
33CDR-3312 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 米 WESTMINSTER WL5273
 (1953年12月18-20日録音)
ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ハワード・ミッチェル指揮
ナショナル交響楽団
ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族と共にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとしての研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移住、1949年にニューヨークのタウンホールでデビュー、1950年にカーネギーホールで4回のリサイタルを行った。1959年来日した。演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時心臓麻痺で他界した。このブラームスはLPレコードの出現で設立された米WESTMINSTER への初録音。西条卓夫著「名曲この一枚」(文芸春秋新社)にとりあげられた。LP、CDを通して初復刻。指揮者のハワード・ミッチェル(1910-1988)はネブラスカ生まれ。1950年から1969年までワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督をつとめた。初期LPからの復刻で特有のノイズがあるが、ダイレクトトランスファーの生々しい音が特長。
33CDR-3313 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006
 米 COLUMBIA ML4935
 (1952年4月24日(第2番)、1950年5月23日(第3番)
 ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれ、ヴァイオリニストだった父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴィオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビューし、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1927年から31年までエコール・ノルマル音楽院の教授をつとめ、この間コンセール・ストララムに団員としても加わっていた。1939年にソリストとしてアメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。1950年はJ.S.バッハ(1685-1750)の没後200年にあたり、フランスカッティを起用して無伴奏ソナタとパルティータのプロジェクトで、パルティータ第3番 BWV.1006 から始めたが、第2弾のパルティータ第2番 BWV1004が2年後の録音となり、全曲完成の見込みが立たなくなった1954年にこの2曲だけ単売されたがすぐに廃盤になった。一筆書き風の輝かしいラテンバッハの名演を、是非後世に残したい気持ちを持って取り上げた。初期LPからの復刻で特有のノイズがあるが、ダイレクトトランスファーの生々しい音が特長。

<3月4日紹介新譜>

※今回からLP復刻の33CDRシリーズが加わります。従来の78CDR-部分が33CDR-に変わり、
番号の部分は3000番台を通し番号で使用いたします。
78CDR-3299 夢の後に/ニノン・ヴァラン
 (1)エレジー(Massenet)
   Fr.Odeon 238.030A(Rec. 11 May 1936)
 (2)トゼリのセレナード(Toselli)
   Fr.Odeon 238.030B(Rec. 11 May 1936) 
 (3)秋(Faure)
   Fr.Pathe PG60A(Rec. 1934)
 (4)夢の後に(Faure)
   Fr.Pathe X93081A(Rec. 1929)
 (5)グリーン(Debussy)
   Fr.Odeon 188.595A(Rec. 3 July 1928)
 (6)マンドリン-操り人形(Debussy)
   Fr.Odeon 188.595B(Rec. 3 July 1928)
 (7)至福の時(Reynaldo Hahn)
   Fr.Odeon 188.579A(Rec. 31 March 1928)
 (8)歌に翼ありせば(Reynaldo Hahn)
   Odeon 188.579B(Rec. 31 March 1928)
ニノン・ヴァラン(ソプラノ)(1-8)
ピエール・ダルク(ピアノ)
J.フォール(チェロ)(1-2)
モーリス・フォール(ピアノ)(3)
J.アンドルフィ(ピアノ)(4)
ギュスタヴ・クローエ(ピアノ)(5-6)
ピアノ伴奏(7-8)
ニノン・ヴァラン(1886-1961)はフランスのソプラノ。最初リヨン音楽院、続いてパリ音楽院学んだ。最初はオペラ歌手になる意志はなく、声楽家として舞台に立つことを考えていた。1911年ドビュッシー(1862-1918)の神秘劇「聖セバスチャンの殉教」の初演にエリゴネ役に選ばれ、1914年にはドビュッシーの「ステファヌ・マラルメの三つの詩」の初演を行った。その後オペラ出演を説得され主要なオペラの主役を40年間に渡って演じた。SPレコードにはシャルパンティエ(1860-1956)の「ルイーズ」(1935 年ビゴー指揮抜粋)やマスネ(1842-1912)の「ウェルテル」(1931年エリー・コーエン指揮全曲、ジョルジュ・ティルとの共演)がある。ヴァランはオペラ出演の傍らパリのミュージックホール「アランブラ」にも出演したこともあり、これが人気を広めた。ここに集めた9曲は初めての人にもヴァランの魅力を伝えることを意図して選曲した。SPレコードならではの声の良さが聴ける。
78CDR-3300 すみれ・野ばら/エリーザベト・シューマン
 (1)すみれ(Mozart)
   Eng.HMV DA1854A(Rec. August 1945)
 (2)野ばら-草原の歌(Schubert)
  Eng.HMV DB1844A(Rec. 7 November 1932)
 (3)子守歌-蝶々(Schubert)
   Eng.HMV DB3426A(Rec. 29 November 1937)
 (4)眠りの精(Brahms)
   Eng.HMV DA1526A(Rec. 7 September 1936)
 (5)マリアの子守歌(Reger) 
  Ger.Electrola DA1619A(Rec. 22 November 1937)
 (6)子守歌(Brahms)
   Eng.HMV DA1562A(Rec. 11 March 1937)
 (7)子守歌(R.Strauss)
   Ger.Electrola EJ197A(Rec. 24 May 1927)  
 (8)モーツァルトの子守歌(Flies)
   Eng.HMV E555A(17 February 1930)
エリーザベト・シューマン(ソプラノ)(1-8)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)(1)(4)
カール・アルヴィン(ピアノ)(2)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)(3)
ワルター・ゲール指揮管弦楽団(5)
オーケストラ伴奏(6)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)(7)
ローランス・コリングウッド指揮
管弦楽団(8)
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ。1909年にハンブルグ歌劇場でデビューした。彼女はオペラ。オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇った。ここには1927年電気録音初期から1945年までに録音された10曲を選んだ。大歌手が親しみを持って歌いかけてくるSPレコードの魅力が満喫できる。シューマンはこのシリーズでシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3273)が出ている。
78CDR-3301 天使の糧/ベニャミーノ・ジーリ
 (1)清きアイーダ(Verdi)
   Eng.HMV DB3225A(Rec. 28 May 1937)
 (2)愛らしい乙女よ-「ボエーム」より(Puccini)
   Eng.HMV DB3225B(Rec. 28 May 1937)
 (3)カタリ(つれないお前)(Cardillo)
   Eng.HMV DB6436A(Rec. 13 December 1946)
 (4)君に告げてよ(Falvo)
   Eng.HMV DB6436B(Rec. 13 December 1946)
 (5)天使の糧(Franck)
   Eng.HMV DB2914A(Rec. 2 June 1936)
 (6)フェデリコのロマンス(Cilea)
   Eng.HMV DB2914B(Rec. 2 June 1936)
 (7)忘れな草(de Curtis)
   Ger.Electrola DA1447A(25 October 1935)
 8千人の天使の合唱(シューベルトの子守歌)(Schubert=Melichar)
  Ger.Electrola DA1447B(25 October 1935)
ベニャミーノ・ジーリ(テノール)(1-8)
ワルター・ゲール指揮 管弦楽団(1-2)
マリア・カニグリア(ソプラノ)(2)
ライナルド・ツァンボーニ指揮
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団(3-4)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団と合唱団(5-6)
アロイス・メリヒャル指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団(7-8)
ベニャミーノ・ジーリ(1890-1957)はイタリアの偉大なオペラ歌手。1914年パルマで開かれた国際コンクールで優勝し、すぐにオペラ・デビューした。パルレモのマッシモ劇場、ナポリのサン・カルロ劇場、ローマのコスタンツィ劇場、ミラノのラ・スカラ、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出演した。1921年にイタリアの大テノール歌手エンリーコ・カルーゾの死去後、ジーリは第2のカルーゾとしての国際的名声が急遽上昇した。1932年に出演料についての不満からメトロポリタンを離れヨーロッパに戻った。イタリアの独裁者ムッソリーニのお気に入りの歌い手だった。これは戦後になっての人気に影響をあたえた。ジーリはオペラ以外にナポリ民謡、宗教曲、さらに映画音楽などの幅広い録音を残した。ここにはそれらの名唱を集めた。SPレコードならではの実在感のある音が聴ける。
78CDR-3302 シューベルト(モーリス・ショッサン詩):
 歌曲集「美しき水車屋の娘」作品25 D.795(フランス語歌唱版)
仏 COLUMBIA RFX42/46
(1935年4月3日(1-7), 4月5日(9-12), 4月8日(13-20)録音
ジェルメーヌ・マルティネッリ(ソプラノ)
ジャン・ドワイアン(ピアノ)(プレイエル・ピアノ)
ジェルメーヌ・マルティネッリ(1887-1964)はパリ生まれ。父親はいくつかの劇場を回っていた医師で、しばしば娘を演奏会に連れていった。1900年13歳のときサル・プレイエルで独唱会を開いた。音楽院に行かず、個人教授で研鑽をつんだ。1908年、パブロ・カザルス、ジャック・ティボー、ラウル・ピュニョが出演したあるマチネ・コンサートで歌い大反響を呼んだ。第1次大戦(1914-18)中は病院や軍の劇場を訪問して歌った。1919年になってコロンヌ管弦楽団の指揮者だったガブリエル・ピエルネ(1863-1937)の演奏会で歌い、以降パリでの名声が広まっていった。1928年にはフランス歌曲とドイツ歌曲の独唱会をひらき評判を呼んだ。いくつかの賞を受賞し、フランス放送のスターの一人になった。1941年に引退、パリ音楽院の試験審査官のメンバーと声楽科の教授を1963年までつとめた。このシューベルトの「美しい水車屋の娘」をフランス語で歌ったもの。彼女はシューマンの「女の愛と生涯」もフランス語で歌った録音がある。なめらかで美しい声はこの曲の魅力を倍加している。ピアノのジャン・ドワイヤン(1907-1982)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。この録音はおそらくドワイヤンの初録音であろう。
78CDR-3303 カントルーブ: オーヴェルニュの歌
 (フロントの見出しはオーヴェルニュの歌/マドレーヌ・グレイ)
 (1)バイレロ-高地オーヴェルニュの羊飼いの歌
 (2)三つのブレー
   1.泉の水 
   2.どこへ羊を放そうか
   3.あちらのリムザンに
 (3)二つのブレー
   1.私には恋人がいない
   2.うずら
 (4)牧場を通っておいで
 (5)子守歌 - 女房持ちはかわいそう
 (6)紡ぎ歌 - アントゥエノ
日 COLUMBIA J8124/6
(1930年2月3日(1-2), 2月5日(3-6), パリ録音)
マドレーヌ・グレイ(メゾソプラノ)
エリー・コーエン指揮管弦楽団
マドレーヌ・グレイ(1896-1976)はフランスのメゾソプラノ。パリ音楽院でコルトーにピアノをエタッシュに声楽を学んだ。コンセール・ラムルーの演奏会でデビューしたとき彼女の声楽家としての才能がフォーレとラヴェルの目にとまった。フォーレの歌曲集「まぼろし」(1919)の初演者、ラヴェルの歌曲集「二つのヘブライの歌」(1920)と「マダガスカルの土人の歌」(1926)の初演者に選ばれた。この「オーヴェルニュの歌」は作曲者のジョゼフ・カントルーブ(1879-1957)が採集した民謡に器楽伴奏をつけたもので、1926年彼女によって創唱された。この初演盤は日本コロムビアからSPレコード時代に発売され人気のアルバムであった。
78CDR-3304 フォーレ:レクイエム作品48
 米 COLUMBIA 70295/9-D (英  COLUMBIA LX773/7と同一録音)
 (1938年5月30-31、6月1日リヨン、サン=ジャン大聖堂録音)
シュザンヌ・デュポン(ソプラノ)
モーリス・ディディエール(バリトン)
エルネスト・ブールモーク指揮
リヨン合唱団とリヨン器楽合奏団
エドアール・コメット(オルガン)
リヨンのサン=ジャン大聖堂で録音されたこの名曲の記念碑的録音。英コロンビアのプロデューサー、ウォルター・レッグによる録音。SP時代の同曲はフランスHMVが1929年に録音したギュスタヴ・ブレ指揮バッハ協会合唱団と管弦楽団(仏 LA VOIX DE SON MAITRE W1154-58)があったが1936年に廃盤になっていて、この新録音が大歓迎されたとの記述がある。
78CDR-3305 シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44
 米 COLUMBIA 71442/5-D
 (1942年5月22日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴァイオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ブッシュ弦楽四重奏団は1913年にリーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によってドイツで組織され、1939年からアメリカで活動したが1952年にブッシュの死によって消滅した。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)は1922年からアドルフ・ブッシュとデュオを組んで活躍し、1935年ブッシュの娘イレーネと結婚した。ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。アメリカ時代のブッシュはこのシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、ピアノ三重奏曲「幽霊」(ピアノ= ゼルキン)(78CDR-3253)、J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲(78CDR-3235)が出ている。
78CDR-3306 ヴィターリ:シャコンヌ
J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001からアダージョ
 米 COLUMBIA 70488/9-D
 (1935年12月31日(ヴィターリ)、1936年2月21日(J.S. バッハ)
 ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
レオポルド・ミットマン(ピアノ)
ナタン・ミルスタイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのホロヴィッツ(1903-1989)と出会い一緒に演奏旅行をしたこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。このはアメリカ・コロンビアに録音を始めたごく初期のもの。同じころの録音であるJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)が出ている。
33CDR-3307 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV.1001
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調 BWV.1002
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調 BWV.1003
米 MERCURY MG-10017/8
(1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオ録音)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(1908-1993)はリトアニアのヴィルナ生まれ。ブダペスト弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として活躍、ナチスの迫害を逃れ四重奏団の他のメンバーと共にアメリカの移住した。シュナイダーは1932年から1944年、1955年から1967年に四重奏団に在籍、ぞれ以外の期間はシュナイダー弦楽四重奏団やソリストとして活動した。シュナイダーはプラドで隠遁していたパブロ・カザルスの元をしばしば訪れバッハの演奏法の指導を受け、それが縁で1950年のプラド音楽祭が実現した。この録音はシュナイダーはカザルスのバッハ理念をヴァイオリンで表現しているアルバムである。
33CDR-3308 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV.1005
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006
米 MERCURY MG-10019/20
(1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオ録音)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
1950年はJ.S.バッハ(1685-1750)の没後200年にあたり、その記念にLP登場で初の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲がシュナイダーの手で完成した。録音は1949年に行われ、録音ディレクターがミッチェル・ミラー(1911-2010)、録音エンジニアはロバート・ファイン(1922-1982)。ミッチェル・ミラーは優れたオーボエ奏者、イングリッシュホルン奏者でもあり、後年アメリカ・コロンビアのA&R部長をつとめ、数々の名アーティストを生み出した人物。また自らアーティストとしてミッチ・ミラー合唱団を組織し、初期のTV番組「ミッチと歌おう」に出演した「ヒゲのおじさん」である。ロバート・ファインはマーキュリー・オリンピアンシリーズでLP初期のハイファイ録音時代を築いた人物。

<1月7日紹介新譜>

78CDR-3294 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14    
 日 POLYDOR 90004/6(独Polydor 67179/80 & 67178 と同一録音)
 (1936年2月26日=モーツァルト、2月25日=ヘンデル、パリ録音)
カール・フレッシュ(ヴァイオリン)
フェリックス・ダイク(ピアノ)
カール・フレッシュ(1873-1944)はハンガリー出身のヴァイオリニスト。ウィーンで学んだ後、パリ音楽院でマルタン・マルシック(1847-1924)に師事し、1894年に一等賞を得た。マルシックはジャック・ティボー(1880-1953)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の師でもあった。フレッシュは演奏家とヴァイオリン教師として活躍、ブカレスト(1897-1902)、アムステルダム(1903-8)、フィラデルフィア(1924-28)、ベルリン高等音楽院(1929-34)で教えた。弟子にはイダ・ヘンデル、ジョセフ・ハッシド、シモン・ゴールドベルク、マックス・ロスタルらがいる。フレッシュは名声の高かったわりには録音が少なく、この2曲は彼の残した大曲の唯一のもので、59歳の時の録音だった。
78CDR-3295 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第36番変ホ長調 K.380(374f)
 米 VICTOR 18156/7(Set M819)
 (1940年5月1日ニューヨーク、RCA Victor 第2スタジオ録音)
アルバート・スポールディング(ヴァイオリン)
アンドレ・ブノワ(ピアノ)
アルバート・スポールディング(1888-1953)はシカゴ生まれのアメリカのヴァイオリニスト。パリとボローニャの音楽学校で学んだ後1906年にパリでデビュー。第1次世界大戦の1922年、パリ音楽院管弦楽団の初のアメリカ人独奏者に迎えられた。その1年後同音楽院のヴァイオリン科の卒業審査員に選ばれた。スポールディングはエジソンレコードに初期の円筒レコード時代から小品の録音を始め、縦振動のダイアモンドディスク、短命だったエジソンの電気録音レコードにも録音を残した。1930年代にはRCA VICTORの専属アーティストとなった。第2次世界大戦後のLP時代になってベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲をREMINGTONに録音、同レーベルにはエルネ・ドホナーニ(1877-1960)のピアノでブラームスのヴァイオリン・ソナタ3曲を残した。ピアノのアンドレ・ブノワ(1879-1953)はフランスのピアニスト。パリ音楽院でラウル・ピュニョ(1852-1914)とサン=サーンス(1835-1921)に師事した。名伴奏ピアニストとして多くの大物アーティストと共演した。
78CDR-3296 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454
 米 VICTOR 14328/30
 (1936年2月10日ニューヨーク、RCA Victor スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
エマヌエル・ベイ(ピアノ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はリトアニアのヴィルナ生まれ。サンクトペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー教授に師事、10歳の春にデビューした。1916年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期を経て引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。この録音はハイフェッツが35歳の時のものである。ピアノのエマヌエル・ベイ(1891-1968)はロシア生まれ。ハイフェッツの伴奏ピアニストとして活躍した。ハイフェッツはこのシリーズでチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3036)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3114)、シベリウス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3179)が出ている。
78CDR-3297 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第24番ハ長調 K.296
 米COLUMBIA 70628/9-D(Set X-MX-143)
(1939年4月5日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ナタン・ミルスタイン(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
ナタン・ミルスタイン(1904-92)はロシアのオデッサの生まれ、11歳でサンクトペテルブルグ音楽院に入学、名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にピアニストのウラディミル・ホロヴィッツと出会い一緒に演奏旅行を行ったこともある。1929年にアメリカ・デビュー、1942年にアメリカ市民権を得た。アメリカ移住後のSP時代、米COLUMBIAの若手アーティストとして多くの録音をしている。ピアノのアルトゥール・バルサム(1906-94)はポーランド生まれのピアニスト。ベルリン高等音楽院に学び、1930年にメンデルスゾーン賞を得た。1932年にヴァイオリンのユーディ・メニューイン(1916-99)のアメリカ・ツアーに同行した。ナチスの台頭でアメリカに移住し、ソロ、室内楽に活躍した他、イーストマン音楽学校、ボストン大学、マンハッタン音楽院で教鞭をとった。ミルスタインは本シリーズではJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3078)とラロ:スペイン交響曲(78CDR-3132)が出ている。
78CDR-3298 モーツァルト:弦楽四重奏曲第21番ニ長調 K.575「プロシャ王第1番」
 英 COLUMBIA LX337/8
(1934年6月25日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
コーリシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)
コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921に結成された。結成当初は作曲家シェーンベルクの指導の下でウィーン弦楽四重奏団と名乗っていたが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち、左手に弓を持って弾いた。このシリーズで他にモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 K.589「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(78CDR-3242)、モーツァルト:音楽の冗談 K.522(78CDR-3250)が出ている。

<12月10日紹介新譜>

78CDR-3289 ヴィヴァルディ(モリナーリ編):協奏曲「四季」作品8-1-4
 米 Cetra-Soria BB2043/8(Set No.107)
 (伊 Parlophone BB 25067/72と同一録音)
  (1941年11月-12月録音)
ベルナルディーノ・モリナーリ指揮
ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団
ヴィヴァルディの「四季」の世界初レコード。ベルナルディーノ・モリナーリはローマ生まれのイタリアの指揮者。サンタ・チェチーリア音楽院で指揮を学び1912年にローマ・アウグステオ管弦楽団(後にサンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と改名)の音楽監督に就任し、第2次世界大戦終了時までその地位にあった。モリナーリはヨーロッパやアメリカの主要オーケストラに多く客演した。彼は他のイタリアの指揮者とは異なり管弦楽曲の指揮を好み、オペラの指揮はめったにしなかったという。レスピーギの交響詩「ローマの松」の初演(1924)の指揮をした。この「四季」の編曲は1927年に出版された。1928年1月にモリナーリの指揮でアメリカ初演がセントルイス交響楽団で行われた。同年2月にはアルトゥーロ・トスカニーニがニューヨーク・フルハーモニーで「春」を指揮した。これは第2次世界大戦中の録音でイタリア以外では知られていなっかたため、「四季」の初録音はルイス・カウフマン(1905-94)のヴァイオリンによるコンサートホール盤(1948年録音)とされていたが、こちらが7年も早く録音されていた。
78CDR-3290 モーツァルト:フルート協奏曲第1番ト長調 K.313
 (カデンツァ:タファネル)
モーツァルト:フルート協奏曲第2番ニ長調 K.314
 (カデンツァ: ド・ドンジョン)
 米 Victor 12853/5 (第1番)& 12477/8 (第2番)
 (仏Gramophone L1021/3 & L.835/6と同一録音)
 (1936年2月17日=第1番 & 1930年3月28日=第2番パリ録音)
マルセル・モイーズ(フルート)
ウジェーヌ・ビゴー指揮(第1番)
ピエロ・コッポラ指揮(第2番)
管弦楽団
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1905年に一等賞を得た。1932年から49年まで母校パリ音楽院の教授をつとめた。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経てパリ音楽院管弦楽団、フランス放送管弦楽団、ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。母校の指揮科の教授もつとめた。ピエロ・コッポラ(188-1977)はミラノ生まれ、フランスで活躍した。SPレコードの録音も多い。
78CDR-3291 モーツァルト:ホルン協奏曲第4番変ホ長調 K.495
モーツァルト:ホルン協奏曲第2番変ホ長調 K.417
 英 Columbia DX1123/4(第4番)& DX1365/6( 第2番)
 (1943年6月21日録音=第4番、1947年5月21日=第2番)
デニス・ブレイン(ホルン)
サー・マルコム・サージェント指揮(第4番第1楽章)
ローレンス・ターナー指揮(第4番第2 & 3楽章)
ワルター・ジュスキンド指揮(第2番)
ハレ管弦楽団(第4番)
フィルハーモニア管弦楽団(第2番)
デニス・ブレイン(1921-1957)は夭折した伝説的なイギリスのホルン奏者。父親のオーブリー・ブレイン(1893-1955)の指導を受けた。デニス・ブレインは1957年9月1日、エディンバラからロンドンに戻る途中、自身の運転するスポーツカー(トライアンフTR2)の事故で命を落とした。享年36歳。この録音は1953年にカラヤン指揮で録音したモーツァルト:ホルン協奏曲集(4曲)以前の、若いブレインが聴ける貴重な遺産。第2番が26歳、第4番が22歳の時の録音である。ワルター・ジュスキンド(1913-80)はプラハ生まれのイギリスの指揮者。マルコム・サージェント(1895-1967)はイギリスの名指揮者。二人ともレコード録音が多い。
78CDR-3292 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番ニ長調作品102-2
 英HIS MASTER'S VOICE DB9438/40
 (1948年6月21日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音))
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのシュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。この顔合わせによるベートーヴェン: チェロ・ソナタ第3番(78CDR-3171)第4番(78CDR-3232)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3293 ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
 英COLUMBIA D15057/60
 (1928年6月15&19日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て, その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3277)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー:弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。

<11月5日紹介新譜>

78CDR-3284 ラヴェル:序奏とアレグロ(1906)
 仏 DISQUE GRAMOPHONE K8168/9
 (1938年5月19日パリ、アルベール・スタジオ録音)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
マルセル・モイーズ(フルート)
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)
カルヴェ弦楽四重奏団
小ハープ協奏曲と目されるラヴェルの傑作。ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハーピスト、ソリストとしても活躍し、1948年から1958年まで母校の教授をつとめた。フルートのマルセル・モイーズ(1899-1984)は1906年にパリ音楽院で一等賞を得て、1908にソロ・デビュー。オペラ・コミック、ストララム管弦楽団に席を置き、1932年から1949には母校の教授もつとめた。クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)は1925年にパリ音楽院で一等賞を得た後、ギャルド・レピュブリケーヌのソリストに就任。1948年退団後母校の教授をつとめた。カルヴェ四重奏団は1919年ジョゼフ・カルヴェによって組織され、1950年に解散したフランスの名門四重奏団。本シリーズではモイーズ、ラスキーヌ、ジノによるドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)が出ている。
78CDR-3285 ハイドン:チェロ協奏曲第2番ニ長調作品101 Hob. VIIb-2
 米78CDR-3285 COLUMBIA 69925/8D(英COLUMBIA LX8227/30と同一録音)
 (1935年11月25日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
サー・マルコム・サージェント指揮
管弦楽団
エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)はウクライナのコロミア生まれ。ライプツィヒの音楽院で名教授ユリウス・クレンゲル(1859-1933)に師事した。1929年ベルリン高等音楽院の教授になり斎藤秀雄(1902-1974)も教えた。ナチスを逃れて一時スイスに居を構えたが、1938年アメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で教える一方、ヴァイオリンのハイフェッツ、ピアノのルービンシュタインと "百万ドル・トリオ" を結成して活躍した。1942年に40歳の若さでニューヨークで死去した。指揮者のマルコム・サージェント(1895-1967)は指揮者、オルガニスト、作曲家。特に合唱作品の指揮に秀でていた。SP時代に協奏曲の録音を多く残した。
78CDR-3286 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 (カデンツァ:ヨアヒム)
米 BRUNSWICK 90277/81 (独 GRAMMOPHON 95243/7 と同一録音)
(1929年1月ベルリン高等音楽院録音)
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(ヴァイオリン)
マンフレート・グルリット指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨーゼフ・ヴォルフスタール(1899-1931)はウクライナのレンブルク(現在のリヴォフ)に生まれた。1912年13歳の時ベルリンの名教師カール・フレッシュ(1873-1944)につき厳格な指導を受け、3年後にデビュー。オーケストラのコンサートマスターをつとめた後、1922年に師フレッシュのアシスタントとしてベルリンで後進の指導にあたった。1928年指揮者のオットー・クレンペラー(1885-1973)の要請でベルリンのクロル・オペラのコンサートマスターに就任したが、1930年11月にインフルエンザに感染、それをこじらせたのが原因で翌1931年2月、32歳で他界した。指揮者のマンフレート・グルリット(1890-1972)はドイツ生まれ。ベルリン高等音楽院で教鞭をとると同時に国立歌劇場の客演指揮者として活躍した。1939年から日本に住みわが国の音楽界の発展に寄与した。
78CDR-3287 ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
ハイドン:
 弦楽四重奏曲第83番変ロ長調作品103 よりメヌエット・マ・ノン・トロッポ
米 COLUMBIA 71474/9D
 (1942年5月15&25日ニューヨーク録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英 HIS MASTER'S VOICE に多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。
78CDR-3288 J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988
(1945年RCA VICTOR録音)
米 RCA VICTOR 11-8939/44
(1945年3月29-30日、4月2日、6月5-6日+12日ニューヨーク、
RCA VICTORスタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)による2回目の「ゴルトベルク変奏曲」の録音。ランドフスカはポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れた。アメリカへ移住後、1942年2月21日、14年ぶりにニューヨークのタウン・ホールでゴルトベルク変奏曲を弾いた。作曲家ヴァージル・トムソン(1896-1989)の感激的なリポートがこのオリジナルSPアルバムに載っている。ランドフスカは1933年にゴルトベルク変奏曲をフランスDISQUE GRAMOPHONEに録音していた(78CDR-3073)。

<10月29日紹介新譜>

78CDR-3279 J.S.バッハ:
 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
 無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
米 VICTOR 17658/64(Set M-742)
(英 HIS MASTER'S VOICE DB8590/96と同一録音)
(1938年6月2-4日パリ, アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
米RCA VICTOR盤による復刻。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004/HMV盤、78CDR-3100/RCA盤)。第2巻はここに収録の組曲1番と6番で1938年録音(78CDR-3224/HMV盤)。第3巻は組曲4番と5番(78CDR-3070/RCA盤)で1939年4月にパリで録音された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。
78CDR-3280 テネシー・ワルツ/ジョー・スタッフォードSP録音集
 テネシー・ワルツ
 テネシー・ワルツ(1950) #7  39065(RHCO4303)
 ユー・ビロング・トゥ・ミー(1952) #1  39811(RHCO 10204)
 ジャンバラヤ(1952) #3  39838(RHCO 10260)
 シュリンプ・ボート(1951) #2  39581(RHCO 4554)
 ヘイ、グッドルッキン(1951) #9  39570(RHCO 4588 )
 ア・フール・サッチ・アズ・アイ(1952)   39930(RHCO 10374)
 霧のロンドン橋(1956) #38   B22024 H(AA 22008.2 H)
 また会う日まで(1951)   1-G(RHCO-4435)
ジョー・スタッフォード/JO STAFFORD(1-8)
フランキー・レイン/FRANKIE LAINE(5)
ネルソン・エディ/NELSON EDDY(8)
ポール・ウェストン楽団/PAUL WESTON AND HIS ORCHESTRA(1-8)
ノーマン・ルボフ合唱団/NORMAN LUBOFF CHOIR(3、4)
ジョー・スタッフォード(1917.11.12-2008.07.16)はアメリカのポップス・シンガー。1938年、男女4人編成のヴォーカルグループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとしての道を歩みはじめた。1950年にCAPITOLからコロンビアに移籍。夫君のピアニスト=アランジャーのポール・ウェストンと二人三脚でスターシンガーの地位を築いた。ここには第2次大戦後わが国でもヒットした名唱を集めた。SPレコードならではの声の温もり、力強さをダイレクト・トランスファーで聴いていただきたい。括弧内の年号は録音年と#はチャートの最高位。さらに使用した米コロンビアのオリジナルレコード番号と原盤番号を付記した。「霧のロンドン橋」はオランダ・フィリップスのSPを使用した。
78CDR-3281 ビング・クロスビー/フォスター歌曲集
 金髪のジェニー  18801-A(DLA 1968) (1940.03.22)
 ネルと私  18801-B(DLA2503) (1941.07.15)
 夢みる人  18802-A(DLA1967) (1940.03.22)
 やすらかに眠る、私の美しいアリス  18802-B(DLA2442) (1941.06.26)
 なつかしいケンタッキーの我が家よ  18803-A(DLA2261) (1940.12.09)
 草競馬  18803-B(DLA2259) (1940.12.09)
 故郷の人びと(スワニー川)  18804-A(DLA96) (1935.02.21)
 オールド・ブラック・ジョー  18804-B(DLA2445) (1941.06.16)
 ビング・クロスビー/BING CROSBY(1-8)
米 DECCA 18801/4(Album A-440)
ジョン・スコット・トロッター楽団(1、2、3、4、8)
キングズ・メンとヴィクター・ヤング楽団(5、6)
クリノライン合唱団とジョージー・ストール楽団(7)
スティーヴン・コリンズ・フォスター(1826-1864)は19世紀のアメリカのポピュラーソングの作曲家。その作品は旅回りのE.クリスティのミンストレルズのために作曲した。作曲後150年を経た今日まで歌いつづけられている名曲が多い。ビング・クロスビー(1903-1977)はアメリカの歌手、俳優。アメリカ初のマルチエンタテイナーのひとり。高校時代から演劇や音楽に関心を持ち、大学は法学部に進むがジャズバンドを友人と結成して中退。1926年に当時人気の高かったポール・ホワイトマン楽団に歌手として入団、3人の男声コーラスグループ "リズム・ボーイズ" のメンバーになる。1931年ソロ歌手として独立、ラジオの「ビング・クロスビー・ショー」で大人気を獲得した。マイクロフォンの特性を生かして滑らかに発声する歌唱法を確立して、新しいポピュラーソングに大きな影響を与えた。その後映画に進出した。「ホワイト・クリスマス」は1942年に発売され後のリメイク盤を含めて全世界で4500万枚を超える大ヒット、生涯のレコード売り上げ枚数は4億枚を越えた。この「フォスター歌曲集」は第2次世界大戦前にアメリカDECCAに録音されたもの。滑らかな歌唱がダイレクト・トランスファーで際だって聞こえる。
78CDR-3282 ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
 仏 LA VOIX DE SON MAITRE DB8691/4
 (米 VICTOR 15965/8と同一録音)
(1939年2月28日、3月1+29日ニューヨーク、NBC 8-H スタジオ録音)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)はイタリアのパルマ生まれ。最初チェロを学んだ。1886年南米への演奏旅行中に指揮者の代役をつとめ、それを機に指揮者に転向した。1898-1908年ミラノ・スカラ座音楽監督、1908-1915年ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場音楽監督、1926-1936年ニューヨーク・フィルハーモニー音楽監督を歴任した。1930-1931年バイロイト音楽祭出演、1934-1937年ザルツブルク音楽祭に出演した。1937年ムッソリーニの独裁政権に反対してアメリカに亡命、一旦引退を表明したが、NBC交響楽団が創立され復帰し、途中一年間の空白(1943年)があったが、1954年まで常任指揮者をつとめた。トスカニーニは1939年にNBC交響楽団を指揮したSP録音による「運命」。LP時代のトスカニーニには見られない覇気と白熱に満ちた圧倒的な演奏が聴かれる。
78CDR-3283 ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
 米 RCA VICTOR 18-0115/7
(1946年6月1日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
レナード・バーンスタイン(ピアノと指揮)
フィルハーモニア管弦楽団
レナード・バーンスタイン(1918-1990)はアメリカ、マサチューセッツ州ローレンスに生まれた指揮者。ハーバード大学とカーティス音楽院で学んだ。指揮をフリッツ・ライナー(1888-1963)とセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)にピアノをイザベラ・ヴェンゲローヴァ(1877-1956)に師事した。1943年アルトゥール・ロジンスキー(1892-1958)の指名でニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の副指揮者に就任、1943年病気のブルーノ・ワルター(1876-1962)の代役として指揮者デビュー大評判をとった。この録音は1946年バーンスタイン27歳の時のもの。この大音楽家の初レコード録音であろう。得意のピアノと指揮である。米RCA VICTORは主要アーティストの録音はほとんどロンドンのアビー・ロードに送り込んで録音するしきたりがあったが、バーンスタインもこの例にもれなかった。復刻にはRCA社がSPレコード時代に開発したビニール素材を使用した'RED SEAL'DELUXE盤を使用した。LP並に雑音が少ないのが特長。

<9月3日紹介新譜>

78CDR-3274 モーツァルト:ピアノ協奏曲第18番変ロ長調 K.456
(カデンツァ:モーツァルト)
仏 ODEON 123.835/8(英 PARLOPHONE R20404/7と同一録音)
(1938年3月25日ロンドン録音)
リリー・クラウス(ピアノ)
ワルター・ゲール指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
リリー・クラウス(1905-1986)ハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。1922年にはウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)とエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。1942年インドネシアのジャワで公演中、ゴールドベルクと共に日本軍によって軟禁され大戦終結まで軟禁された。戦後イギリス国籍を取得して演奏活動を再開、1967年から1983年アメリカで活躍。最終的にアメリカに定住した。このモーツァルトはこの曲の初レコードでおそらくクラウスの初協奏曲録音。指揮者のワルター・ゲール(1903-1960)はドイツ出身。シェーンベルクについて作曲を勉強した後イギリスに亡命、指揮者として活躍した。ゲールはこのシリーズでワンダ・ランドフスカによるモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番 K.537「戴冠式」(78CDR-3117)の指揮をしている。
78CDR-3275 J.S.バッハ:
 ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
スイス ODEON O-7884/6 (伊 PARLOPHONE CB20519/61と同一録音)
(1938年5月9日イタリア録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
カルロ・ゼッキ(ピアノ)
アリーゴ・タッシナーリ(フルート)
フェルナンド・プレヴィターリ指揮
トリノ・イタリア放送室内管弦楽団
ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)の初録音レコード。デ・ヴィトーは11歳でペサロ音楽院に入りレミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで一等賞をとった。フルートのアリーゴ・タッシナーリ(1889-1988)はボローニャ音楽院出身。ミラノ・スカラ座の首席フルート奏者をつとめた後ソリストとして活躍した。ピアノのカルロ・ゼッキ(1903-1984)はローマ生まれ。ピアニストとして活躍した後指揮者に転向した。指揮者のフェルナンド・プレヴィターリ(1907-1985)はイタリアのアドリア生まれ。トリノ音楽院で学び、1928年から35年にフィレンツェでヴィットリオ・グイ(1885-1975)のアシスタントを務めた。プレヴィターリは1936年から1953年の間イタリア放送局の芸術監督をつとめ、特に1951年のヴェルディ没後50年にヴェルディのオペラ全曲を指揮した。ヴァイオリンのデ・ヴィトーは1948年ロンドン・デビュー後のEMI録音はよく知られているが、この27歳の時のイタリア録音はほとんど知られていない。初々しいヴァイオリンが魅力。イタリアを代表する演奏家の若き日の演奏が聴ける貴重な録音。
78CDR-3276 J.S.バッハ:パルティータ第2番ハ短調 BWV.826
 米 COLUMBIA 68056/7-D (英 COLUMBIA DX427/8と同一録音)
 (1931年11月6日ロンドン録音)
ハロルド・サミュエル(ピアノ)
ハロルド・サミュエル(1879-1937)はロンドン生まれのイギリスのピアニスト。バッハ演奏の権威で、バッハの全クラヴィア作品を暗譜した。1898年当時ロンドンの聴衆には未知の作品だったバッハのゴルトベルク変奏曲 BWV.988を弾いてデビューした。バッハの演奏の傍らサミュエルは伴奏ピアニストとして人気があった。特に女流ヴァイオリン奏者イゾルデ・メンゲスとのデュオは有名だった。バッハ演奏の評判が上がる中で1921年にはロンドンで6日にわたるバッハ連続演奏会を開いた。同様のコンサートをニューヨークでも行った。この録音はイギリス・コロンビアの技術者アラン・ダウアー・ブルムレインが開発した新型録音機の最初期のもの。電気録音の導入当初から使用されたウェスタン・エレクトリック社の録音機使用料が高かったために、自社製のしかも従来のものを凌ぐ高性能な録音機を開発したのだった。本シリーズではフランスの女流ピアニスト、ブランシュ・セルヴァによるJ.S.バッハのパルティータ第1番 BWV.825(78CDR-3191)が出ている。これらで1920-30年代のバッハ演奏を知ることができる。
78CDR-3277 ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
 日 COLUMBIA J8055/60(仏COLUMBIA D15063/70と同一録音)
(1928年6月15日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)、シューベルト:弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」(78CDR-3270)が出ている。
78CDR-3278 ストラヴィンキー:兵士の物語(1918)(七重奏曲版)
 日 COLUMBIA J8108/10(仏 COLUMBIA LFX263/5と同一録音)
 (1932年5月6-7日パリ録音)
マルセル・ダリュー(ヴァイオリン)、
ベルナール・ブサゴル(コントラバス)
エミル・ゴドー(クラリネット)、
ギュスタヴ・デラン(バスーン)
ウジェーヌ・フォヴォー(コルネット)、
ラファエル・デルボ(トロンボーン)
ジャン=ポール・モレル(パーカッション)
指揮:イーゴリ・ストラヴィンスキー
1930年代前半にフランスで活躍していた器楽奏者達による七重奏曲版「兵士の物語」である。朗読者、悪魔、兵士、王女のセリフは入っていない。作曲者で指揮をしているイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882-1971)1918年の作品。作曲時36歳だったストラヴィンスキーは第1次世界大戦(1914-1918)とロシア革命(1917)のため、祖国ロシアを捨てスイスに居を定めていた。以下物語のあらすじである。「あらゆる疑問に解答する魔法の書とひきかえにヴァイオリンを悪魔に売ってしまった兵士は、悪魔に誘われて3日間の楽しい時を共に過ごした。ところがそれは3年間に相当していた。故郷に帰った兵士を母親も許婚も見分けることができない。魔法の書が教える金もうけも幸福をもたらさないので、兵士は本を捨てて冒険の旅に出た。ある日一人の王女が病気になっていて、それを治した男が王女と結婚できると兵士は教えられる。王宮へやってきた兵士はばったり悪魔に出くわし、二人はカードゲームをはじめる。兵士は持ち金を全部すってしまうが、悪魔が酔いつぶれているすきにヴァイオリンを取り戻し、これで王女の病を治しめでたく結婚し幸福に暮らす。しかしホームシックになった兵士は、王女を連れて故郷の入口まで来たとたんに、兵士は悪魔に連れ去られ、王女は置き去りにされた」。このシリーズでサン=サーンス:七重奏曲作品65(78CDR-3162)(1927年録音)があり編成は異なるがフランスの器楽奏者の名演が楽しめる。

<8月19日紹介新譜>

78CDR-3269 フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード作品19
 仏 COLUMBIA LFX54/5
 (1930年4月1日パリ録音)
マルグリット・ロン(ピアノ)
フィリップ・ゴーベール指揮
管弦楽団
マルグリット・ロン(1874-1966)は1891年19歳でパリ音楽院の一等賞を得た後コンサートデビュー、ガブリエル・フォーレ(1845-1924)やフィガロ紙の評論家達から絶賛された。1906年パリ音楽院の教授に就任、1940年まで務めた。1943年ヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1954)と共に、若い優秀な音楽家を発掘する国際コンクールをパリで創設した。指揮者のフィリップ・ゴーベール(1879-1941)はパリ音楽院でポール・タファネルにフルートを学び1894年に一等賞に輝き、1904年にはフーガ科で一等賞、1905年にはローマ賞二等賞を得た。1920年には母校パリ音楽院のフルート科の教授に就任した。1919年以降指揮者としても活躍、パリ音楽界の重鎮的存在だった。このシリーズでロンはショパン:ピアノ協奏曲第2番(指揮=ゴーベール)(78CDR-3092)、ラヴェル:ピアノ協奏曲(指揮=ラヴェル)(78CDR-3075)、モーツァルト:ピアノ協奏曲第23番K.488(指揮=ゴーベール)(78CDR-3023)、フォーレ:ピアノ四重奏曲第2番(ヴァイオリン=ティボー、チェロ=フルニエ)等が出ている。
78CDR-3270 シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」
 日本 COLUMBIA J7958/61(仏 COLUMBIA D15053/6と同一録音)
 (1928年6月19&21日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エヴィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴァイオラ)
カミーユ・ドローベル(チェロ)
「人類の遺産」の一つに数えられるカペー弦楽四重奏団が1928年にフランス・コロンビアに録音した一曲である。リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)は医師の誤診による腹膜炎で1928年12月18日に急逝した。享年55歳。カペーは1893年パリ音楽院で一等賞を得て、その年に弦楽四重奏団を組織した。1920年頃から毎年ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をパリで開催していた。カペーは1928年6月10日から10月15日にかけてフランス・コロンビアに51枚の録音をした。まるで自らの死を予期したようなハイペースの録音だった。このシリーズでカペーはフランク:ピアノ五重奏曲(ピアノ=シャンピ)(78CDR-3034)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-3042)、シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3056)、ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-3082)、ドビュッシー弦楽四重奏曲(78CDR-3168)、ハイドン:弦楽四重奏曲「ひばり」(78CDR-3194)が出ている。
78CDR-3271 ドビュッシー:チェロ・ソナタ(1915)
キャプレ:小さな黒ん坊の踊り-「エピファニ」より
 日 COLUMBIA J7795/6(仏 COLUMBIA LFX85/6 と同一録音)
 (1930年6月3日パリ録音)
モーリス・マレシャル(チェロ)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院でチェロをジュール・レブに、室内楽をルフェーブルに、指揮法をポール・デュカに学び1911年に一等賞を得た。マレシャルは第1次世界大戦(1914-1918)に従軍、戦後の1919年にコンセール・ラムルーにソリストとしてデビューした。以来世界中を楽旅し、日本にも何度か来訪し、日本コロムビアにも録音したこともある。ここに収録されたキャプレ:「エピファニ」の初演者でもあった。ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を得た。カザドシュ家はパリの高名な音楽一家。甥のアンリとマリユスはカペー弦楽四重奏団の初期のメンバーで、カザドシュ邸でしばしばリハーサルをしていた。1921年女流ピアニストのガブリエル・ロートと結婚、夫人はギャビー・カザドシュ(1901-1999)の名で活躍する。第2次大戦中はアメリカで過ごしニュージャージー州プリンストン大学で教鞭を執っていた。これはカザドシュの初期の録音で貴重。マレシャルはこのシリーズでラロ:チェロ協奏曲(指揮=ゴーベール)(78CDR-3135)が出ている。
78CDR-3272 モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調 K.447
 米 VICTOR 13784/5(英 HIS MASTER'S VOICE DB3973/4と同一録音)
 (1940年4月9日ロンドン、EMI アビー・ロード第1スタジオ録音)
オーブリー・ブレイン(ホルン)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
BBC交響楽団
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレインの父親。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年にはドイツの大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923から母校の王立アカデミーでホルンを教えはじめた。その生徒の一人が息子のデニス・ブレイン(1921-1957)だった。指揮者のサー・アドリアン・ボールト(1889-1983)はイギリスのチェスターの生まれ。オクスフォードのウェストミンスター・スクールとキリスト教会で学んだ後、ライプツィヒでマックス・レーガーに師事した。ニキシュの手ほどきを受けたこともある。バーミンガム市立交響楽団、BBC交響楽団、ロンドン・フィル等の指揮者を歴任し1979年に退任した。レコードはSP録音のホルスト:惑星他LPも多数ある。
78CDR-3273 シューマン:歌曲集「女の愛と生涯」作品42
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9567/9
 (1946年10月9日、1948年10月2日、1949年6月20日ロンドン、
 EMI アビー・ロード第3スタジオ録音)
エリーザベト・シューマン(ソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ歌手。1909年ハンブルグ歌劇場でデビューした。シューマンはオペラ、オペレッタ、宗教曲、リードと幅広いレートリーを誇り、1910年代の機械式録音時代からレコード録音で活躍した。この「女の愛と生涯」は最晩年の録音。1946年に始まった録音が完成したのが1949年であった。大歌手シューマンの自らの人生を省みるような、味わい深い歌唱をレコードに残した制作者の見識に敬意を抱く。ダイレクト・トランスファーの声楽曲は他にシューベルト:冬の旅(ソプラノ=ロッテ・レーマン)(78CDR-3048、3049)とシューベルト:美しき水車屋の娘(ソプラノ=ロッテ・レーマン)(78CDR-3079)が出ている。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)は伴奏者として高名だった。レコード録音は数多い。

<7月16日紹介新譜>

78CDR-3264 機械式録音盤(電気録音以前)
フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
 英 HIS MASTER'S VOICE DB785/8
 (1923年10月22日イギリス、ミドルセックス州ヘイズ HMVスタジオ
 Room No.1 録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
この曲の初レコード。ジャック・ティボー(1880)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。1897年パリ音楽院のマルシック教授のもとで一等賞を得た。ピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)は1896年にパリ音楽院のディエメール教授のもとで一等賞を得た。1905年二人はチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)を加えピアノ三重奏団の「カザルス・トリオ」を結成、以後四半世紀にわたって最高の三重奏団として君臨した。この録音はティボーとコルトーによる初顔合わせの録音である。まだ電気録音が生まれていない1923年、大きなラッパの前で演奏したもの。ティボーが43歳、コルトーが46歳だった。二人はフランクのソナタを1929年に再録音している。このシリーズでコルトーとティボーはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」(78CDR-3015)、ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3044)が出ている。カザルスが加わったトリオの演奏はベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番「大公」(78CDR-3009)、シューベルト:ピアノ三重奏曲第1番(78CDR-3131)、ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番(78CDR-3199)がある。他にティボー、コルトーのソロ、協奏曲録音は多数出ている。
78CDR-3265 機械式録音盤(電気録音以前)
モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 セレナード第7番ニ長調「ハフナー」 K.250よりメヌット
英 VOCALION A0242/4
(1925年イギリス録音)
イェリー・ダラニー(ヴァイオリン)
スタンリー・チャップル指揮
エオリアン管弦楽団
この曲の初レコ-ド。イェリー・ダラニー(1893-1966)はハンガリーのブダペスト生まれの女流ヴァイオリニスト。大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の甥の娘にあたる。ブダペスト音楽院で最初ピアノを学んだが、ヴァイオリン科のイェノ・フバイ(1858-1937)のクラスに入学が許されヴァイオリンに転向した。ヨーロッパ各地やアメリカに演奏旅行のあとロンドンに定住した。妹のアディラ・ダラニーもヴァイオリン奏者で二人のデュオの録音もある。作曲家でピアニストだったベラ・バルトーク(1881-1945)と一緒にロンドンとパリでソナタ演奏会を開いた。モーリス・ラヴェル(1875-1937)は「ツィガーヌ」を彼女に献呈し1924年にロンドンで初演。ソリストだけでなく室内楽でも活躍した。指揮者のスタンリー・チャップル(1900-1987)は1921年にロンドン交響楽団の指揮者になり、1930年にベルリン・フィルを指揮してヨーロッパでの名声を得た。1939年にボストンに行きそのままアメリカに留まり、タングルウッド音楽祭のディレクターをレナード・バーンスタイン(1918-1990)と共につとめた。
78CDR-3266 機械式録音盤(電気録音以前)
モーツァルト: ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
 英 COLUMBIA L1592/5
(1924年4月10日ロンドン録音)
アーサー・カテラル(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
管弦楽団
この曲の初録音。アーサー・カテラル(1883-1943)はイギリスのヴァイオリニスト。マンチェスター王立音楽アカデミーで学び、1902年18歳で指揮者ハンス・リヒター(1843-1916)の招きでバイロイトに赴きヴァーグナーの未亡人コジマ・ヴァーグナーが催したシーズン音楽会に登場した。1903年ハレ管弦楽団でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を演奏した。1909年ロンドンのクイーンズ・ホールのプロナード・オーケストラのコンサートマスター、1929年に創立されたBBC交響楽団のコンサートマスターに就任した。コンサート活動の傍らロンドンの王立音楽アデミーでも教えた。20世紀の最初の四半世紀にイギリスで最も活躍したヴァイオリニストで、録音した曲の多くはそれらの初レコードだった。指揮者のサー・ハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身の指揮者。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会オルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年ハレ管弦楽団の指揮者となり1993年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲され、作曲家、編曲者としても活躍した。このシリーズでカテラルはモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番 K.526(78CDR-3268)が出ている。ピアニストはハーティ。
78CDR-3267 機械式録音盤(電気録音以前)
ラロ:スペイン交響曲作品21
 米 COLUMBIA 67059/61-D
(1924年7月14日ロンドン録音)
レオ・ストロッコフ(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
管弦楽団
この曲の4楽章版による初録音。レオ・ストロッコフ(1888-1957)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト、作曲家、作詞家。機械式録音時代にイギリス・コロンビアに小品の録音が多くあった。アメリカに移住してからも活躍。この「スペイン交響曲」はこのヴァイオリニストの唯一の大曲録音。ベルギーの大ヴァイリニスト、ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)がアメリカ公演した際に共演したことがある。指揮者のサー・ハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身の指揮者。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会オルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年ハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲され、作曲家、編曲者としても活躍した。
78CDR-3268 機械式録音盤(電気録音以前)
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調 K.526
 英 COLUMBIA L1494/6
(1923年 4月27日ロンドン録音)
アーサー・カテラル(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ(ピアノ)
この曲の初録音。アーサー・カテラル(1883-1943)はイギリスのヴァイオリニスト。マンチェスター王立音楽アカデミーで学び、1902年18歳で指揮者ハンス・リヒター(1843-1916)の招きでバイロイトに赴きヴァーグナーの未亡人コジマ・ヴァーグナーが催したシーズン音楽会に登場した。1909年ロンドンのクイーンズ・ホールのプロナード・オーケストラのコンサートマスター、1929年に創立されたBBC交響楽団のコンサートマスターに就任した。コンサート活動の傍らロンドンの王立音楽アデミーでも教えた。20世紀の最初の四半世紀にイギリスで最も活躍したヴァイオリニストで、録音した曲の多くはそれらの世界初レコードだった。サー・ハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身の指揮者。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会オルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年ハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲、作曲家、編曲者としても活躍した。ここではピアニストとしてのハーティの演奏が聴ける。このシリーズでカテラルはモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3266)が出ている。指揮者はハーティである。

<6月11日紹介新譜>

78CDR-3259 ベートーヴェン:
 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
 アテネの廃墟作品113 より「トルコ行進曲」
英 COLUMBIA DCX 63/7
(1934年5月23&25日パリ録音)
ポール・パレー指揮
コロンヌ管弦楽団
ポール・パレー(1886-1979)はフランスの大指揮者、作曲家。1911年にカンタータ「ヤニッツァ」でローマ大賞を得てイタリアに留学。第1次世界大戦(1914-1918)でフランス軍に従軍したが、ドイツ軍の捕虜となり、ダルムシュタット収容所生活の間に音楽家たちと交友を築く。大戦後コンセール・ラムルー管弦楽団、コンセール・コロンヌ管弦楽団の指揮者となって活躍、とくに後者とは1932年から1940年音楽監督を務め、第2次世界大戦のパリ開放後の1944年から1956年も同じ地位を務めた。1951年にアメリカのデトロイト交響楽団に招かれその育成にあたり、米国有数のオーケストラに仕上げLPレコード録音も多い。この「田園」交響曲はコンセール・コロンヌ時代のものであまり知られていない。SPレコード時代の再生法では大指揮者の風格の片鱗すらも聴くことが出来なかったが、ダイレクト・トランスファーによって、その至芸の全貌が明らかになった。特にオーケストラの木管パートの妙技に耳を傾けてほしい。
78CDR-3260 ドメニコ・スカルラッティ:ハープシコード・ソナタ集 第1巻(20曲)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB 4960/5
 (1934年9月10-12日パリ,サル・ショパン録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二段の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせ、生涯この楽器を使用した。ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は、ナポリ派の作曲家、ハープシコーソ奏者、オルガン奏者。ヴァチカンの楽長、ポルトガル宮廷礼拝堂の楽長、スペイン王妃つきの音楽指導者として活躍し、500曲を越えるハープシコード曲を作曲した。Lはロンゴによる整理番号、Kはカークパトリックによる整理番号で、便宜のため両方を記した。ランドフスカはこの第1集の後に第2集も録音した。ランドフスカはこのシリーズでJ.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲(78CDR-3073)、フランソワ・クープラン:クラヴサン曲集(78CDR-3081)他が出ている。
78CDR-3261 J.S.バッハ:管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV. 1067
 仏 LVSM DB 3015/7
 (英 HIS MASTRER'S VOICE DB 3015/7と同一録音)
 (1935年11月1日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
マルセル・モイーズ(フルート)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内管弦楽団
マルセル・モイーズ(1889-1984)は20世紀最高のフランスのフルート奏者。パリ音楽院でポール・タファネル(1844-1941)に師事し、1906年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院の教授をつとめる一方、パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団、ストララム管弦楽団の首席フルート奏者をつとめた。1960年代にはスイス、イギリス、アメリカ、日本で後進の指導にあたった。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1939年にアメリカに定住した。この録音はヨーロッパ時代のもので、同時期にバッハのブランデンブルグ協奏曲全6曲も録音していた。モイーズはこのシリーズでドビュッシーのフルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ベートーヴェンのセレナーデ作品25(78CDR-3231)、バッハのブランデンブルグ協奏曲第4番、ピエルネの室内ソナタ(78CDR-3249)が出ている。
78CDR-3262 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 英 HIS MASTER'S VOICE DB 2729/31
 (1935年12月19日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ジョルジュ・エネスコ指揮
交響楽団
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを習いシグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。1924年6歳の時アルフレッド・ヘルツ(1871-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲を弾いてデビュー、神童として評判になった。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきをうけた。1928年12歳で初レコード録音を行った。このモーツァルトは19歳の時の録音で、オーケストラは師のエネスコが指揮をしている。、メニューインはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第42番 K.526(78CDR-3026)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番 K.376(78CDR-3037)、ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3155)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3136)が出ている。
78CDR-3263 ベートーヴェン:七重奏曲変ホ長調作品20
 (ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、
  クラリネット、バスーンとホルンのための)
仏 POLYDOR 566 270/3
(1948年4月15日パリ録音)
パリ・プロ・ムジカ室内グループ:
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)、
P.ラドユイ(ヴィオラ)、
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)、
H.モロー(コントラバス)、
ユリス・ドレクリューズ(クラリネット)、
J.ルーシェ(バスーン)、
G.クルシエル(ホルン)
この録音は第2次世界大戦後、当時パリ音楽院の教授をつとめていた器楽奏者によるパリ・プロムジカ室内グループによる。ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)、チェロのアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)、クラリネットのユリス・ドレクリューズ(1907-1995)などの名手が参加し、彼らは他にも多くの名録音を残している。1948年の録音はSPレコード末期のためレコードの数が少ない稀少盤。このシリーズでヴァイオリンのメルケルはベートーヴェンのヴァイオリオン協奏曲(78CDR-3020)、ラロのスペイン交響曲(78CDR-3107)、サン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3166)が、チェロのアンドレ・ナヴァラはベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番(78CDR-3095)が出ている。

<5月7日紹介新譜>

78CDR-3254 モーツァルト:交響曲第25番ト短調 K.183
 (1948年4月9日&12月29日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
セルジュ・チェリビダッケ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)はルーマニア生まれ。ベルリンに学び、その地で第2次世界大戦の終戦を迎えた。当時ベルリン・フィルの常任指揮者だったヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)が大戦中のナチスとの関係をとがめられ謹慎生活に入った。後継の指揮者にレオ・ボルヒャルトが選ばれたが、ボルヒャルトが急死したため、後継者さがしのコンクールが開かれ応募したチェリビダッケが審査員全員一致で優勝。ボルヒャルトの死の6日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューした。1947年のフルトヴェングラー復帰後も、ベルリン・フィルに留まっていが、1954年フルトヴェングラーの死後カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者になってから、イタリア、スウェーデンのオーケストラに客演した。1971年に南ドイツ放送交響楽団、1979年にミュンヘン・フィルの首席指揮者になった。この録音はチェリビダッケが36歳の時の英デッカ社に正規に録音したもの。第1楽章と第2楽章は1948年4月に行われた録音セッションの結果に満足せず、同年の12月の再セッションでOKを出している。同じ時期にデッカにはチャイコフスキー:交響曲第5番と胡桃割り人形組曲の2曲があった。いずれもSPレコード末期のffrr録音。
78CDR-3255 J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第4番ト長調 BWV.1049
 蘭COLUMBIA LX441/2
 (1935年10月15日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ブッシュ室内合奏団
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
マルセル・モイーズ(第1フルート)
ルイ・モイーズ(第2フルート)
マルセル・モイーズ(1889-1984)は20世紀最高のフランスのフルート奏者。パリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し、1906年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院の教授をつとめる一方、パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団、ストララム管弦楽団の首席奏者もつとめた。1960年代にはスイス、イギリス、アメリカ、日本で後進の指導にあたった。第2フルートのルイ・モイーズ(1912-2007)は息子でピアニストでもあった。父子の録音も多い。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1939年にアメリカに定住した。この録音はヨーロッパ時代のも、同時期にブランデンブルク協奏曲全6曲を録音していた。モイーズはこのシリーズでドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ベートーヴェン:セレナーデ作品25(78CDR-3231)が出ている。
78CDR-3256 ヘンデル:
 ハープシコード協奏曲変ロ長調作品4-6
 アリアと変奏曲変ロ長調
英 HIS MASTER'S VOICE DB3307/8
(1937年4月21日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ウジェーヌ・ビゴー指揮管弦楽団
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード&ピアノ奏者。彼女はピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に特注し、生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカにのがれた。パリに残したハープシコードは後にアメリカ軍によって彼女の手元に送られた。このヘンデルはランドフスカが58歳の時の録音。ハイドン:ハープシコード協奏曲ニ長調(78CDR-3053)の二日後の録音。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て1923年パリ音楽院管弦楽団、1928年にフランス放送管弦楽団、1935年ラムルー管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任。パリ音楽院の指揮科教授も務めた。「アリアと変奏曲変ホ長調」はブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24の主題の原曲である。
78CDR-3257 モーツァルト:ピアノ協奏曲第19番ヘ長調 K.459
 仏 ODEON 171.115/7
 (1930年12月10日パリ録音)
ジョルジュ・ボスコフ(ピアノ)
ギュスターヴ・クロエ指揮
パリ・フィルハーモニー管弦楽団
ジョルジュ・ボスコフ(1882-1960)はルーマニア生まれのピアニスト。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事した。このボスコフ盤はこの曲の世界初録音で、フランス・ピアニスムの伝統の繊細で軽い奏法が聴ける貴重なもの。カデンツァは縮小版ながらモーツァルトの作曲したものが弾かれていえる。ギュスターヴ・クロエ(1890-1970)はフランスの指揮者。フランス・オデオンに多くの録音を残している。
78CDR-3258 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番変ホ長調作品31-2
ブラームス:狂詩曲第2番ト短調作品79-2
 仏 BAM 41/43
 (1947年5月30日パリ録音)
 From the Library of CHRISTOPHER N. NOZAWA
レーヌ・ジャノーリ(ピアノ)
レーヌ・ジャノーリ(1915-1979)はパリ生まれ。パリ音楽師範学校エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1887-1962)に指導を受け、同時期にパリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)にもついた。さらにルツェルンでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に学び、フィッシャーと共に2台、3台クラヴィア曲の演奏に力を入れた。1946年にコルトーの推薦でエコール・ノルマルのピアノ科の主任教授、室内楽科の教授を兼任、演奏家としてカザルス、エネスコ、フルニエ、シャンドル・ヴェーグらと共演した。1956年にはパリ音楽院教授に任命され、門下にはジャン=イヴ・ティボーデ(1961-)がいる。このSP録音はジャノーリが32歳の時のもので、おそらく初レコード録音と思われる。ジャノーリはモーツァルト:ピアノ・ソナタ全集(米ウェストミンスター)、シューマン:ピアノ曲全集(仏アデ)他、LP時代に数多くの録音を残した。

<4月9日紹介新譜>

78CDR-3249 ピエルネ:室内ソナタ作品48
 英 COLUMBIA 5275/7(仏 COLUMBIA D13063/5と同一録音)
 (1928年6月11日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ガブリエル・ピエルネ(ピアノ)
マルセル・モイーズ(フルート)
M.ロペス(チェロ)
ガブリエル・ピエルネ(1863-1937)は1871年にパリ音楽院に入り、アントワーヌ=フランソワ・マルモンテル(1816-1898)にピアノを、ジュール・マスネ(1842-1912)に作曲を、セザール・フランク(1822-1890)にオルガンを学んだ。各部門で一等賞を得た後、1882年のローマ賞を受賞した。1891年からフランクの後を継いでパリの聖クロティルド教会のオルガニストになり、1903年からコロンヌ管弦楽団の指揮者となり、1910年から34年まで正指揮者をつとめた。フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴベール(1879-1941)らに師事し1905年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。モイーズはこのシリーズでドビュッシー:フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)、ベートーヴェン:セレナーデ作品25(78CDR-3231)が出ている。
78CDR-3250 モーツァルト:音楽の冗談ヘ長調 K.522(二本のホルンと弦楽四重奏のための)
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3645/6(米VICTOR 14822/3と同一録音)
 (1937年11月12日ニューヨーク、RCA スタジオ録音)
ドメニコ・カプート&ジョン・バローズ(ホルン)
コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴァイオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)
別名「村の音楽士の六重奏」。村の楽師が未熟のため、音をはずすさまなどを取り入れたモーツァルトらしいジョークにみちた面白い曲。コーリッシュ四重奏団はシェーンベルクの指導を受け、新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的で組織された。リーダーのルドルフ・コーリシュ(1896-1978)は子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち左手で弓を持って弾いた。現代音楽のスペシャリストがモーツァルトを取り上げた面白さがある。コーリッシュ四重奏団はこのシリーズでモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番K.589 「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(ピアノ=モナート、78CDR-3242)が出ている。
78CDR-3251 モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2173/6
 (1934年2月15日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
プロ・アルト弦楽四重奏団
アルフォンス・オンヌー(第1ヴァイオリン)
ローラン・アルー(第2ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォー(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
アルフレッド・ホブデイ(第2ヴィオラ)
プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカに初公演、ワシントンの国会図書館音楽ホールの開館式で演奏した。1932年にベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年にアメリカのウィスコンシン大学からの要請で各メンバーが教授に就任。1944年にコーリッシュ弦楽四重奏団が解散したとき、リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)が第1ヴァイオリンに就任した。プロ・アルト弦楽四重奏団は1930年代にイギリスHMVに数多くの録音を残し、中でもアルバム全8巻SP56枚の「ハイドン弦楽四重奏ソサイエティ」(1932年と1936年録音)はレコード録音史の快挙だった。
78CDR-3252 ベートーヴェン:セレナード ニ長調作品8
 日本コロムビア J8358/60 (英COLUMBIA LX354/6と同一録音)
 (1934年1月22日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド出身のヴァイオリニスト。ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事し16歳でドレスデン・フィルのコンサート・マスターに就任した。20歳の時フルトヴェングラーの招きでベルリン・フィルのコンサート・マスターになった。1930年にヴィオラ奏者で作曲家のパウル・ヒンデミット(1895-1963)とチェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)と弦楽三重奏団を結成した。これはこの三重奏団の残した貴重な録音。ゴールドベルクは1934年ナチスの迫害でベルリン・フィルを退団し1938年ニューヨークにデビューした。1942年演奏旅行中にジャワ島で日本軍に拘束され抑留生活を強いられたこともある。1990年に日本人ピアニスト山根美代子と結婚、富山県立山のホテルで死去した。この録音はベルリン・フィル退団直後のもの。レコード史上永遠に残したい名演奏。
78CDR-3253 ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」
 米 COLUMBIA 72748/50
 (1947年12月15日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んだ活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。この録音は第2次世界大戦後のニューヨークでの録音。ゼルキンのピアノが光っている。このシリーズで他にブッシュとゼルキンにホルンのオーブリー・ブレイン(1893-1955)を加えたブラームス:ホルン三重奏曲(78CDR-3218)が出ている。オーブリー・ブレインは有名なホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1957)の父親で師でもある。アメリカ時代のブッシュの録音はJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV.1042(78CDR-3216)、二つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-3235)が出ている。

<3月5日紹介新譜>

78CDR-3244 アーン:
 ヴァイオリン・ソナタ ハ長調
 ロマンス イ長調
仏 PATHE PDT183/4(ヴァイオリン・ソナタ)
仏 PATHE PAT54(ロマンス)
(1948年4月15日パリ,アルベール・スタジオ録音)(ヴァイオリン・ソナタ)
(1936年5月22日パリ,アルベール・スタジオ録音)(ロマンス)
(お詫び:全体にキズ及び録音の不具合により聴き難い箇所があります)
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
ドニーズ・ステルンベルグ(ピアノ)(ヴァイオリン・ソナタ)
E.ロワゾー(ピアノ)(ロマンス)
ドニーズ・ソリアノ(1916-2006)はパリ音楽院のヴァイオリン科教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事した女流ヴァイオリニスト。1932年16歳でパリ音楽院の一等賞を得た。1934年にピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)と録音したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-1135)がディスク大賞を受賞した。ソリアノはソリストとして活動すると同時に師のブーシュリ教授の片腕として後進の指導にあたり、後に結婚した。ブーシュリはレナルド・アーン(1875-1947)と親交があり、このソナタを弟子のソリアノに弾かせて作曲者を喜ばせたと、その回想録にある。ジャック・ティボー(1880-1953)はソリアノを「今は亡きジネット・ヌヴーの後継者たる唯一無二の名ヴァイオリニスト」と絶賛した(マルク・ソリアノ著「ヴァイオリンの奥義、ジュール・ブーシュリ回想録」(日本語版近刊)に収録された「ソリアノ追悼記」にある)。このシリーズでドニーズ・ソリアノの録音のほとんどが出ている。トラック5の冒頭にソリアノと思われる声が聞こえる。
78CDR-3245 アーン:
 ピアノのためのソナチネ ハ長調
 ピアノ協奏曲第1番ホ長調
仏 PATHE PAT61(ソナチネ)、PAT86/8(協奏曲)
(1936年7月8日録音)(ソナチネ)、(1937年5月10-11日録音)(協奏曲)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)(ピアノ=ガヴォー)
レナルド・アーン指揮
管弦楽団
ピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジル生まれ、両親はフランス人。1906年にパリ音楽院に入り9カ月後に一等賞を得た。タリアフェロはSPレコード時代から多くの録音をしているが、この協奏曲はまぎれもなく彼女の最高傑作。作曲者で指揮をしているレナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカス生まれ、3歳の時にパリに移住した。6歳の時に神童として、ナポレオン3世の従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノでのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦を得て10歳でパリ音楽院に入学した。長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、パリ・オペラ座の指揮者として活躍、ザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。また作曲家として声楽曲の作品が多数あるが、親交のあった音楽家のために作曲した器楽作品もある。タリアフェロとアーンの顔合わせでモーツァルト:ピアノ協奏曲第26番「戴冠式」(78CDR-3039)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3246 ショパン:
 (1)エチュード第11番イ短調作品25-11 「木枯らし」
シューマン=ドビュッシ-編:
 (2)噴水のほとりで
ショパン:
 (3)エチュード第11番イ短調作品25-11 「木枯らし」WLX516-1のメタル原盤
仏 COLUMBIA D15089
(1928年7月3-4日フランス、ランド県モン=ド=マルサン録音)
フランシス・プランテ(ピアノ)(ピアノ=エラール)
フランシス・プランテ(1839-1934)はフランスの超人かつ伝説的なピアニスト。パリ音楽院のアントワーヌ=フランソワ・マルモンテル(1816-1898)教授のクラスで一等賞を得た。この録音はプランテが89歳の時にフランス・コロンビアに録音した9枚のSPレコードの中の一枚。プランテは95歳で死去するまで、毎日未明の早朝からピアノに向かい、それが終わった後に市長の公務についたと伝えられる。この録音はモン=ド=マルサン市から依頼された慈善演奏会にスケジュールの都合がつかないので、代わりにこの録音の報酬を市に寄付するという代案を受け入れて実現したという。トラック(3)はSPレコードの金属原盤からのダイレクト・トランスファーを収録した。プランテについてはマルク・ソリアノ著「ヴァイオリンの奥義、ジュール・ブーシュリ回想録」(日本語版近刊)に愉快な逸話が載っている。プランテはフランスの画家ポール・セザンヌ(1839-1906)、詩人のシュリ=プリュドム(1839-1881)、また幕末の志士、高杉晋作(1839=天保10年-1867=慶応3年)と同年の生まれ。ベルリオーズ(1803-1869)、シューマン(1810-1856)、リスト(1811-1886)、ワーグナー(1813-1883)、ブラームス(1833-1897)達と同時代に生きた人物で、19世紀の大演奏家の音が電気録音による録音で残されたのは奇跡と言える。
78CDR-3247 マルグリット・ロンSP録音集
 ショパン:即興曲第2番嬰ヘ長調作品36
 ドビュッシー:雨の庭(版画より)
 ドビュッシー:レントよりおそく
 フォーレ:夜想曲第4番変ホ長調作品36
 フォーレ:舟歌第6番変ホ長調作品70
仏 COLUMBIA LFX 513(ショパン), LFX24(ドビュッシー),
LFX 567(フォーレ)
(1936年7月23日&1937年4月18日録音)(ショパン)
(1929年11月12日&11月6日録音)(ドビュッシー)
(1937年5月19日録音)(フォーレ)
マルグリット・ロン(ピアノ)(ピアノ=プレイエル)
マルグリット・ロン(1874-1966)はフランスのニームに生まれた。17歳でパリ音楽院の一等賞を得た後、マルモンテル(1816-1898)教授のもとでさらに研鑽をつみ、1893年にサル・プレイエルでデビューした。1906年32歳でパリ音楽院の教授に就任した。ロンの弟子にはサンソン・フランソワ(1924-1970)、イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)、リュセット・デカーヴ(1906-)、ジャン・ドワイヤン(1907-1982)、ジャック・フェヴリエ(1900-1979)、ニコール・アンリオ・シュワイツァー(1925-)らがいる。これはロンのSP時代のソロ録音の一部だが、偉大な演奏家の真の姿をとらえた録音である。ロンはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第23番 K.488(78CDR-3023)、ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調(78CDR-3075)、ショパン:ピアノ協奏曲第2番作品21(78CDR-3092)が出ている。
78CDR-3248 J.S.バッハ:ブランデンブルグ協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
英 HIS MASTER'S VOICE DB1783/4
(1932年5月16-17日パリ、サル・ショパン録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
アルフレッド・コルトー(ピアノと指揮)
ロジェ・コルテ(フルート)
パリ・エコール・ノルマル室内管弦楽団
アルフレッド・コルトー(1977-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り、1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀最高のフランスのヴァイオリニスト。1893年14歳でパリ音楽院に入りマルシック教授(1848-1924)に師事した。後にパリ音楽院教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)とは音楽院時代からの盟友で、コロンヌ管弦楽団のリーダーを交代でつとめていたこともあった(マルク・ソリアノ著「ヴァイオリンの奥義、ジュール・ブーシュリ回想録」(日本語版近刊)。ティボーとコルトーはこのシリーズで多数出ている。

<2010年2月12日紹介新譜>

78CDR-3239 チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調作品74「悲愴」
 英 DECCA AK1968/73
(1948年 5月22-23日パリ,サル・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
英国デッカのffrr録音。シャルル・ミュンシュ (1891-1968)はストラスブールの生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター (1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し、指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年にはエコール・ノルマルのヴァイオリン科教授に任命された。1938年から45年にパリ音楽院管弦楽団指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命された。1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。この録音はデッカ社の録音クルーがパリに赴いてのもの。オーケストラの各パートに音楽院の教授達の名人芸が聴こえる。コンデンサー・マイクロフォン独特の高域の輝きがffrrの特長である。ミュンシュ&パリ音楽院はラヴェル:ボレロ(78CDR-1164) が出ている。
78CDR-3240 ニールセン:ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品9
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2732/4
(1935年10月13日録音)
エミール・テルマニー(ヴァイオリン)
クリスチャン・クリスチャンセン(ピアノ)
カール・ニールセン (1865-1931)は北欧デンマークを代表する作曲家。これは1895年の作品。ヴィオリンのエミール・テルマニー(1892-1988)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1919年来デンマークのコペンハーゲンに在住し、ニールセンの娘婿となった。テルマニーの美音は一度聴くと忘れられない魅力がある。このシリーズでメンデルスーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3087) が出ている。
78CDR-3241 ヴィターリ(レスピーギ編):シャコンヌ ト短調
 英 HIS MASTER'S VOICE DB6936/7 
(1948年5月14 & 29日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ジョコンダ・デ・ヴィトー(ヴァイオリン)
アルベルト・エレーデ指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ハーバート・ドーソン(オルガン)
レスピーギ(1879-1936)によるオルガン入りの壮麗なオーケストレーション。ジョコンダ・デ・ヴィトー(1907-1994)はイタリアの女流奏者。11歳でペサロ音楽院に入り、レミ・プリンチーペ(1899-1977)に師事した。1932年にウィーン国際ヴァイリン・コンクールで一等賞をとった。1935年イタリアPARLOPHONEにJ.S.バッハのブランデンブルグ協奏曲第5番(アリーゴ・タッシナーリ/fl,カルロ・ゼッキ/pf,プレヴィターリ/cond.) と共にを録音したのが初レコーディング。1941年にはベルリンでブラームスのヴァイオリン協奏曲をドイツPOLYDORに録音(78CDR-1174) した。第2次世界大戦後の1948年ロンドンにデビューしEMIのアーティストになり、SPレコードと初期のLPに優れた録音を残した。指揮者のアルベルト・エレーデ(1909-2001)はイタリアのジェノア生まれ。ミラノで学んだ後スイスでワインガルトナー、ドレスデンでフリッツ・ブッシュのアシスタントをつとめた。戦後ロンドンのニュー・ロンドン・オペラ団の指揮者になり、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも指揮をした。1968年バイロイトで「ローエングリン」を指揮した。トスカニーニ以来バイロイトに登場した二人目のイタリア人指揮者だった。
78CDR-3242 シューマン:ピアノ四重奏曲変ホ長調作品47
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3642/4
 (米 VICTOR 14816/8 と同一録音)
(1937年11月26日録音)
ホルテンス・モナート(ピアノ)
コーリッシュ弦楽四重奏団のメンバー:
ルドルフ・コーリッシュ(ヴァイオリン)
オイゲン・レーネル(ヴィオラ)
ベナール・ハイフェッツ(チェロ)
ホルテンス・モナート(1905-1955)はアメリカ生まれの女流ピアニスト。アルトゥール・シュナーベルに師事し、トスカニーニ指揮NBC交響楽団のソリストに迎えられた最初の女性ピアニストだった。コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の音楽を演奏するためにルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に組織された。シェーンベルグの指導を受けた後、現代音楽だけでなく古典音楽にも目を向けた。ナチスに追われてアメリカに移住し活動を続けたが1942年に解散した。このシリーズにはモーツァルト:弦楽四重奏曲第22番 K.589「プロシャ王第2番(78CDR-3197)が出ている。これは聴く者の心をを幸せにしてくれる名曲の名演奏である。
78CDR-3243 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
 (カデンツァ: J.ヨアヒム)
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ第12番ト長調作品2よりアリア
 米 COLUMBIA 71749/52-D
(1945年 4月30日=モーツァルト, 5月 3日=タルティーニ, ニューヨーク)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ブッシュ室内管弦楽団
アドルフ・ブッシュ (1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン (1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。この録音は第2次世界大戦最末期の録音。ブッシュの協奏曲はJ.S.バッハ: ヴァイオリン協奏曲第2番 BWV.1042(78CDR-3216),二つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV.1043(78CDR-3235) が出ている。


<第50号紹介新譜>

78CDR-3229 J.S.バッハ=ブゾーニ編:シャコンヌ
 (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004より)
 英HIS MASTER'S VOICE DB21005/6
 (1948年10月27日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)はイタリアの大ピアニスト。1939年ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、審査員長のアルフレッド・コルトー(1877-1962)は「リストの再来」と賞賛したと伝えられる。この「シャコンヌ」はミケランジェリが第2次世界大戦後楽壇に飛躍するきっかけになった記念すべきスタジオ録音。この名ピアニストの20代の演奏がきける。ダイレクト・トランスファーで演奏の細部が浮き彫りにされている。本シリーズでは他に録音時22歳のイヴォンヌ・ロリオによるバッハ=ブゾーニ編:シャコンヌ(78CDR-3186)が出ている。
78CDR-3230 J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
 英 DECCA CA8225/6(仏POLYDOR 516 636/7 と同一録音)
 (1935年パリ録音)
イヴォンヌ・アストリュック(ヴァイリン)
ギュスタヴ・ブレー指揮
弦楽合奏団
イヴォンヌ・アストリュックは1889年に生まれたフランスの女流ヴァイオリニスト。ダリユス・ミヨー(1892-1974)の「春のコンチェルティーノ」(1934)は作曲者ミヨーの指揮、アストリュックのヴァイオリン演奏のSP録音で有名になった。ピアニストのマルセル・シャンピ(1891-1980)夫人で、仏COLUMBIAのSPにグリーグ・ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ短調作品45を夫妻で録音している。映画監督で医師のイヴ・シャンピ(1921-1982)は息子にあたる。指揮者のギュスタヴ・ブレーは1875年生まれのオルガニスト。パリ音楽院でウィドールに師事、スコラ・カントルムでダンディーに学んだ。サンシュルピス寺院のオルガニストを務め、パリ・バッハ協会の設立者でもあった。
78CDR-3231 ベートーヴェン:
 セレナーデ ニ長調作品25
 (フルート、ヴァイオリン、ヴィオラのための)
  ※第1面に周期ノイズがあります
 米 DECCA 25592/3(英 DECCA K582/3 と同一録音)
  (1931年頃録音)
マルセル・モイーズ(フルート)
マルセル・ダリュー(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し1905年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院教授をつとめ、SP時代からレコード録音も多い。ヴァイオリンのマルセル・ダリューは1895年生まれ。パリの選りすぐりの音楽家を集めて組織されたストララム管弦楽団のコンサート・マスターとして活躍した。ストラヴィンスキーが自ら指揮した「兵士の物語」のSP録音にも参加していた。ピエール・パスキエはパスキエ三兄弟で組織した弦楽三重奏団のヴィオラ奏者で彼もまたストララム管弦楽団のメンバーだった。英デッカ・レーベルの黎明期の録音である。モイーズのフルートはドビュッシー: フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(78CDR-3064)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3232 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調作品102-1
 英HIS MASTER'S VOICE DB9555/6
 (1947年6月ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(チェロ)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わりヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。ピアノのシュナーベル(1882-1951)はオーストリアの大ピアニスト。ウィーンで高名なレシェティツキーに師事した。この顔合わせによるベートーヴェン:チェロ・ソナタ第3番(78CDR-1171)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3233 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100
 英 HIS MASTER'S VOICE DB1805/6
 (1932年ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1912年20歳の時にウィーンのコンツェルトフェライン(後のウィーン交響楽団)ソロ・ヴァイオリンに抜擢され、1918年ベルリン高等音楽院の教授になった。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキンとデュオを組んで活躍した。ゼルキンは1936年ブッシュの娘イレーネと結婚したが、ナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。ブッシュも第2次世界大戦直前にアメリカに渡った。ブッシュ=ゼルキンの顔合わせでブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3204)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3222)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番K.377(78CDR-3038)、シューベルト幻想曲ハ長調(78CDR-1172)、ブッシュのソロでバッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3226)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3234 ブラームス:クラリネット五重奏曲ロ短調作品115
 米 COLUMBIA 67613/7-D (英 COLUMBIA L2228/32と同一録音)
 (1928年11月7&10日ロンドン録音)
チャールズ・ドゥレイパー(クラリネット)
レナー弦楽四重奏団
レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された、全員がブダペスト音楽院出身。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成し、2年間田舎の村に籠もって練習を積んだ。1920年ウィーンにデビュー、そこに居合わせたラヴェル(1875-1937)が聴いて彼らをパリに招いた。パリ公演は大成功を収め、その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。クラリネットのチャールズ・ドゥレイパー(1869-1952)はイギリスのサマーセットシャー生まれ。ロイヤル・アカデミーやギルドホール音楽校の教授を務め、イギリスのクラリネット界の祖父として尊敬された。ブラームスがこの曲を捧げたミュールフェルトの伝統を継ぐ奏者と言われていた。このシリーズではレナーとドゥレイパーの組み合わせでモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3045)も出ている。
78CDR-3235 J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
 米 COLUMBIA 71676/7-D
  (1945年4月26日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
フランセス・マグネス(ヴァイオリン)
ブッシュ室内合奏団
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキンと(1903-1991)デュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したがゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュも実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに定住した。この録音はブッシュのアメリカ時代のもの。第2次世界大戦末期のニューヨークで行われた。第2ヴァイオリンを弾く女流のフランセス・マグネスの経歴は不詳。LP初期のバルトークレコードやエソテリックレコードに現代音楽の録音があった。
78CDR-3236 コレッリ=レオナール編:ラ・フォリア
J.S.バッハ:ブーレ
 (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調BWV1002 より)
  米 COLUMBIA 71187/8-D
  (1940年6月5日=コレッリ &
  1941 年3月21日=J.S.バッハ、ニューヨーク録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリニスト。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音はアメリカ定住直後のニューヨーク録音。このシリーズではヨーロッパ時代に録音したシゲティの重要録音が多数出ている。
78CDR-3237 モーツァルト:ピアノ協奏曲第15番変ロ長調 K.450
 英 HIS MASTER'S VOICE DB8071/3
  (1935年10月ベルリン録音)
エリー・ナイ(ピアノ)
ウィレム・ファン・ホーフストラーテン指揮
室内管弦楽団
エリー・ナイ(1882-1968)はドイツの女流ピアニスト。初録音は1906年にウェルテ・ミニョン社のピアノロール。ウィーンでレシェティツキーやフォン・ザウアーの薫陶を得た。1911年にオランダの指揮者ウィレム・ファン・ホーフストラーテン(1884-1964)と結婚。1921年から夫君とニューヨークに暮らす。だが1927年に離婚。ドイツに戻りヒトラー政権下で演奏活動を続けた。戦後の名誉回復後も精力的な演奏活動を続けた。この録音は夫君だったホーフストラーテンとの初録音で、且つこの名曲の世界初録音でもあった。ホーフストラーテンは1923年から1925年ニューヨーク・フィルの首席指揮者を務め、1925年にオレゴン交響楽団に移った。さらに1935年から1945年にザルツブルグ・モーツァルテウムの指揮者を務めた。
78CDR-3238 J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番ホ長調 BWV1016
 米 VICTOR 11-9052/4
  (1944年12月28日ニューヨーク、RCA 第1スタジオ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
ユーディ・メニューイン(ヴァイリン)
ワンダ・ランドフスカ(1879-1959)はポーランドのワルソー生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者、ピアニスト、音楽学者。パリのプレイエル社に二列の鍵盤と七個のペダルを持つ自分のハープシコードを作らせ生涯この楽器を使用した。1940年にフランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によってアメリカに逃れた。パリに残したハープシコードはアメリカ軍によって戦後彼女の元に届けられた。ランドフスカはJ.S.バッハの演奏に特に造詣が深く、「平均律クラヴィーア曲集」、「ゴルトベルク変奏曲」の大作を録音していた。ユーディ・メニューイン(1916-1999)は神童としてデビューし、12歳でレコード初録音。ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)やアドルフ・ブッシュ(1891-1952)にも師事した。これは第2次大戦末期のアメリカ録音。



<それ以前の初紹介DSD録音新譜>

78CDR-3179 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
 米VICTOR 14016/9(英 HIS MASTER'S VOICE DB2791/4と同一録音)
 (1935年11月ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-87)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に学び、10歳の春にデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。この録音は英 HIS MASTER'S VOICE が企画したシベリウス・コレクション全6巻, SPレコード42枚の中に組み込まれ、米VICTORではヴァイオリン協奏曲のみ4枚組のアルバムで発売された。ハイフェッツは1959年にステレオで2回目のシベリウスを録音している(RCA VICTOR)。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。ハイフェッツのSP時代の録音はこのシリーズでチャイコフキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1086)とメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1114)が発売されている。復刻には最高のコンディションの米VICTOR盤を使用した。
78CDR-3180 サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調作品22
 英 DECCA AK1161/3
 (1945年7月24日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
モウラ・リンパニー(ピアノ)
ウォーウィック・ブレイスウェイト指揮
ナショナル交響楽団
ピアニストのモウラ・リンパニー(1916-2005)は英国コーンウォール州サルタッシュ生まれ。父親は軍人、母親は彼女の最初のピアノ教師になった音楽家だった。彼女はベルギーの修道院に送られ、そこで音楽才能が開花し、さらにリエージュで勉強をつづけた。その後ロンドンの王立音楽アカデミーへの奨学金を得た。さらにウィーンでパウル・ヴァインガルテンに師事し、1938年ブリュッセルで開催されたイザイ・ピアノ・コンクールでソ連のエミール・ギレリス(1916-1985)に続いて第2位に入賞した。第2次世界大戦迄に英国で最も名前の通ったピアニストになった。この録音は1945年大戦直後のもので、リンパニーにとっては初期のもの。LP時代になって、彼女はデッカ,EMI,エラートに数多くの録音を残している。ヨーロッパ、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドでは非常に名の通ったピアニストだったが、日本ではそれほどでもなかった。1979年にCBEを叙勲され、1992年にはDAMEの称号を得た。指揮者のブレイスウェイト(1896-1971)ニュージーランド生まれでイギリスで指揮し、後に祖国のニュージーランドやオーストラリアでも活躍した。これは初期のFFRR録音。聴きどころは第3楽章。透明で華麗なピアノが光り輝いている。
78CDR-3181 ショパン:24の前奏曲作品28
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2015/8
 (1933年7月5日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンに生まれ、両親はフランス人。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメ(1843-1919)のクラスに入り研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの「前奏曲」を生涯に3回録音していて、これはその第2回目の録音。第1回の録音は電気録音最初期の1926年で本シリーズの78CDR-1043で発売されている。コルトーは戦後の1952年(昭和27年)に初来日した。その時75歳だったコルトーは山口県下関市の響灘にある厚島が気に入り購入を申し出た。無人島の厚島はコルトーに贈られ「孤留島」と名づけられたが、コルトーは帰国後体調を崩し、再来日は果たせなかった。
78CDR-3182 モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 英 HIS MASTER'S VOICE DB9541/8(原録音: 伊CETRA-SORIA set101)
 (1941年12月 4-5日ローマ録音)
ピア・タッシナーリ(S),
エベ・スティニャーニ(M-S)
フェルッチョ・タリアヴィーニ(T),
イタロ・ターヨ(Bs)
ヴィクトル・デ・サバタ指揮
トリノ放送管弦楽団(E.I.A.R.)、合唱団
第2次世界大戦下のローマ録音。日米開戦の3日前の1941年(昭和16年)12月4-5日である。イタリアのレコード会社CETRAのための録音だったが、プロデューサーのダリオ・ソリアが後にEMIに発売させたもの。大戦中にはドイツPOLYDOR でも発売されていた。この名曲の世界初の全曲録音である。指揮者のヴィクトル・デ・サバタ(1892-1967)は1929年大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の後任としてスカラ座の音楽監督に就任し1953年に引退した名指揮者。ソプラノのタッシナーリ(1903-1995)はスカラ座のソプラノで戦後はアメリカで活躍した。メゾソプラノのスティニャーニ(1903-1974)はローマ歌劇場で活躍後、戦後の1948年アメリカにデビューした。テノールのタリアヴィーニ(1913-1995)は1939年にデビュー忽ち人気歌手となった。大戦後はアメリカに移住し、世界的に人気を博した。バスのターヨ(1915-1993)はイタリアとヨーロッパ各地で活躍した後、1948年メトロポリタン歌劇場にデビューした。映画にも多く出演していた。教会の大聖堂での録音と思わせる響きはSPレコード時代にしては珍しい。
78CDR-3183 ラモン・モトーヤ/フラメンコ・ギターの神様
 ソレア
 ラ・ローザ
 グラナイーナ
 タランタ
 シギリーヤス
 ファンダンゴス
 ブレリアス
 ロンデーニャ
 グァヒーラ
 タンゴ(マヨールとメノール)
 マラゲーニャ
 ファルーカ
 アレグリアス
 ミネーラ
仏BAM 101/6
(1936年パリ録音)
ラモン・モントーヤ(ギター)
LP時代日本コロムビアから発売されていた「フラメンコ・ギターの神様/ラモン・モントーヤ」(XM-30-AM)と同一演奏。これは12インチ盤6枚組のオリジナルSP盤からのダイレクト・トランスファーである。ここの第2曲(ラ・ローザ)と第11曲(マラゲーニャ)はLPには入っていなかった。ラモン・モントーヤはマドリードのジプシーの家系に生まれた。父親もギターを弾いたが、息子のラモンに教えることはなく、ラモンは町をさまよう盲目の楽士について歩いた。成長するとフラメンコ酒場のギタリストにテクニックの手ほどきをうけ、そのギタリストが亡くなるとその後釜にすわり、様々な歌い手の伴奏を務めて腕を磨いた。ラモンはクラシックギターにも深い憧憬を抱き、近代ギターの父と呼ばれたターレガの弟子のミゲル・リョベートに私淑し、多くのものを自己のフラメンコ奏法に取り入れた。この録音は1936年にパリのボワト・ア・ミュジーク社が録音したもの。それまで歌の伴奏だったギターを単独で扱った最初の録音と目されるもの。上記の理由から是非ともクラシックギターの人達にも是非聴いていただきたいアルバム。ミゲル・リョベートは本シリーズの「スペイン・ギター音楽-世界九大ギタリスト演奏」(78CDR-1163)に入っている。聴きどころは"ソレア" でギター・ソロでありながらその裏にカンテ(歌)が息づいているように聞こえる。
78CDR-3184 ベートーヴェン:
 ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品72「皇帝」
独 TELEFUNKEN SK3203/7
(1941年6月20&22日ベルリン録音)
コンラート・ハンゼン(ピアノ)
オイゲン・ヨッフム指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ劇場管弦楽団
コンラート・ハンゼン(1906-2002)はドイツのピアニスト。ベルリン高等音楽院でエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に師事し、後にフィッシャーの助手を務めるかたわらコンサートピアニストとして活躍した。SPレコードには1940年11月7日録音のチャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(メンゲルベルク指揮ベルリン・フィル)(Telefunken SK3092/5)とこのベートーヴェン:「皇帝」の2曲のみ。ドイツ帝国放送のライヴ録音のベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィル/1943年10月31日収録)がずっと後にレコード化された。ハンゼンは第2次世界大戦後教育者として活躍し、デトモルト音楽アカデミーの創設に関わり、ヘレン版のベートーヴェン全集の校訂をした。東京藝術大学や上野学園大学で教えたこともある。指揮者のオイゲン・ヨッフム(1902-1987)はドイツの名指揮者。バッハからブルックナーまでのドイツ・オーストリア音楽を得意とし、レコードも多かった。
78CDR-3185 ブラームス:
 パガニーニの主題による変奏曲作品35(全2巻)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5181/2
(1941年7月15日パリ録音)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(ピアノ)
アリーヌ・ファン・バレンツェン(1897-1981)はアメリカ生まれのフランスのピアニスト。9歳でパリ音楽院に入学が許されマルグリット・ロン(1874-1966)とE.-M・ラボルドに師事し、11歳で一等賞を得た。これは最年少者の受賞記録で現在も破られていない。その後ベルリンでエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)に、ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)について、さらに技量を磨いた。祖国アメリカに戻りフィラデルフィアの音楽学校で教え、その後ブエノスアイレスの音楽学校の教授を務める傍ら、演奏旅行を重ねた。1954年にはパリ音楽院の教授に任命された。ファン・バレンツェンは読譜の才能に優れ、難曲「パガニーニ変奏曲」を僅か5日間でものにしたという。このシリーズではベートーヴェンの「熱情」(78CDR-1156)が発売されている。
78CDR-3186 J.S.バッハ=ブゾーニ編:
 シャコンヌ
 (無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調BWV 1004)より
仏 PATHE PDT149/50
(1946年12月12日パリ録音)
イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)
イヴォンヌ・ロリオ(1924-)はパリ生まれのピアニスト、作曲家のオリヴィエ・メシアン(1908-1992)夫人。パリ音楽院でピアノをラザール・レヴィ(1882-1964)とマルセル・シャンピ(1891-1980)に、作曲をダリユス・ミヨー(1892-1974)に、アナリーゼ(楽曲分析)をオリヴィエ・メシアンに師事した。音楽院で7つの一等賞を得たという。後年メシアンの作品の紹介者として活躍するが、14歳でバッハの「平均律クラヴィーア」曲集、ベートーヴェンの32の「ピアノ・ソナタ」を暗譜で演奏したという神童だった。この「シャコンヌ」はロリオが22歳の時の録音で、彼女の初レコーディグと目される。ここでも楽譜の読みの深さを示す多くのパッセージが聴こえる。単に希少価値だけではない音楽的価値が多く含まれる新発掘レコード。  
78CDR-3187 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
英 DECCA AK1817/9
(1946年7月22-23日ロンドンNW6、デッカ・スタジオ録音)
マックス・ロスタル(ヴァイオリン)
フランツ・オズボーン(ピアノ)
ヴァイオリンのマックス・ロスタル(1905-1991)はオーストリア生まれ。ウィーンでアルノルト・ロゼー(1863-1964)に、ベルリンではカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1930-33年にベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授、1934-58年にはロンドンのギルドホール音楽学校の教授を務め、アマデウス弦楽四重奏団のメンバー育成にたずさわった。1957-82年にはケルン音楽院、1957-85年にはスイスのベルン音楽院の教授を務めた。弟子にエディット・パイネマン(1937-)やイゴール・オジム(1931-)がいる。SPレコード末期の英デッカにベートーヴェン: ヴァイオリン・ソナタ集(第1番と第3番以外)の録音をした。ピアノのフランツ・オズボーンはレオニード・クロイツァー(1884-1953)のドイツ時代の弟子の一人。英デッカのffrr録音。このシリーズにはベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第7番(78CDR-1176)が発売されている。
78CDR-3188 ベートーヴェン:
 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
蘭 HIS MASTER'S VOICE DB9154/8
(1947年1月23-25, 29日&2月3日ローマ、テアトロ・アルジェンティーナ録音)
ヴィクトル・デ・サバタ指揮
ローマ・アウグステオ交響楽団
(ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団)
イタリアの名指揮者ヴィクトル・デ・サバタ(1892-1967)は1930年アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)の後任としてミラノ・スカラ座の音楽監督に就任、1953年指揮活動に終止符を打つまでその地位にあった。サバタは若い時からオペラ以外にも指揮活動を行いSPレコードにも録音が多かった。彼のベートーヴェンはロンドン・フィルを指揮した1946年5月2-3日録音の「英雄」(英DECCA K1507/13)がある。この「田園」はイタリアのEMIに録音されたもので、稀少SP盤からの復刻。レーベルにはローマ・アウグステオ交響楽団との記載があるが、ローマ・サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団と同一団体。心が洗われる美しい演奏である。
78CDR-3194 ハイドン:弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-63「ひばり」
 英 COLUMBIA  D13070/2
 (1928年10月4日パリ録音)
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ)
史上最高の弦楽四重奏団だったフランスのカペー四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873.01.08-1928.12.18)は医師の誤診による腹膜炎で急逝した。死の年の1928年、6月10日からフランス・コロンビアに録音を開始したカペー四重奏団は10月15日までの短期間に10インチ盤7枚、12インチ盤44枚の録音を残した。カペーはパリ音楽院でジャン=ピエ-ル・モーランに師事し、1893年一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織し、またソリストとして活動を開始した。1907年パリ音楽院の室内楽科の教授に任命され、1924年にはヴァイオリン科の教授に就任した。弟子にジュリアードのイヴァン・ガラミアン(1903-1981)がいる。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-1034),ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-1042),シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-1056),ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1082)が出ている。
78CDR-3195 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
 日本 VICTOR JD476/9
 (英 HIS MASTER'S VOICE  DB2113/6 と同一録音)
  (1933年11月13日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ブッシュ弦楽四重奏団はリーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって1919年に組織された。当時ブッシュはベルリン高等音楽院の教授の地位にあった。ブッシュ四重奏団は何回かのメンバーの交代があったが1930年にこの録音のメンバーになった。チェロのヘルマン・ブッシュ(1897-1975)はアドルフの実弟。この録音はこの楽団の絶頂期のものの一つ。ベートーヴェンの最後の作品をあるべき姿で演奏した歴史的録音である。
78CDR-3196 モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」
 英 COLUMBIA L1545/8
 (1923年11月7-8日録音)
  ※機械式録音(お詫び:各所にキズによる雑音あり)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
レナー弦楽四重奏団はハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人によって1918年に結成された。4人は1884年生まれと1885年生まれの同年代である。1920年にウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストになった。この録音は契約当初断片曲・小品の録音を行なっていたこの四重奏団が取り組んだ初の全曲物で、しかもこの名曲の世界初録音。このシリーズではモーツァルトの弦楽四重奏曲 K.387(78CDR-1055),弦楽四重奏曲 K.421(78CDR-1062),弦楽四重奏曲 K.458「狩り」(78CDR-1097),弦楽五重奏曲 K.516(78CDR-1085),クラリネット五重奏曲(クラリネット:ドゥレイパー)(78CDR-1045)が出ている。
78CDR-3197 モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番変ロ長調 K.589「プロシャ王第2番」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3432/4
  (米 VICTOR 14626/8 と同一録音)
   (1937年9月22&28日アメリカ録音)
コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)
コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に組織された。当初は作曲家シェーンベルクの指導を受けウィーン弦楽四重奏団という名称だったが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち、左手に弓を持ってひいた。この録音はアメリカで行われたもので、有名なシェーンベルクの4曲からなる弦楽四重奏曲の録音(米ARCO)の後のもの。現代音楽のスペシャリストがモーツァルトやシューベルトの演奏をしたところが聴きどころ。1942年にこの四重奏団は解散した。
78CDR-3198 ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
 仏 DISQUE GRAMOPHONE W975/7
  (1929年3月22日パリ録音)
クレトリー弦楽四重奏団
ロベール・クレトリー(第1ヴァイオリン)
ルネ・コスタール(第2ヴァイオリン)
フランソワ・ブロー(ヴィオラ)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ)
クレトリー弦楽四重奏団のリーダー、ロベール・クレトリー(1891-)は、名チェリスト、ピエール・フルニエ(1906-1986)の師だったオデット・クレトリーの弟で、その縁で1924年に19歳のフルニエがチェリストの席にあった。クレトリーは作曲家ガブリエル・フォーレ(1845-1924)のピアノ三重奏曲作品120の初演(1923)にも参加した。また1925年のフォーレ追悼演奏会でフォーレの弦楽四重奏曲ホ短調作品121 を第1ヴァイオリンがジャック・ティボー(1880-1953)、第2ヴァイオリンがクレトリー、ヴィオラがモーリス・ヴィウー(1884-1951)、チェロがアンドレ・エッキング(1866-1925)で弾いた。弦楽四重奏団にはフルニエの後任として1928年にアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)が入った。フランス・コロンビアの専属だったクレトリー四重奏団がこのラヴェルを仏 HMVに録音したのは、フランス・コロンビアにはカペー四重奏団が録音したばかりだったからだ。この香り立つようなラヴェルはカペーの名演に比肩する。また18歳のナヴァラの雄弁なチェロも聴きものである。
78CDR-3199 ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長調作品73-2, Hob.XV-25
 英 HIS MASTER'S VOICE DA895/6
 (1927年6月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ)
この3人の中の最年長者パブロ・カザルス(1876-1973)の名前を冠したカザルス・トリオは1905頃から活動をはじめた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)のもとに、ジャック・ティボー(1880-1953)とカザルスが集まって自然発生的に生まれた室内楽グループでクラシック史上最高の顔合わせ。レコード録音が行われた時点まで約20年の歳月をかけて音楽を熟成させた。3人の奏でるすべての音、すべてのフレーズが聴き手に感動を与える。このシリーズではベートーヴェンの「大公トリオ」(78CDR-3009)、シューベルトの作品99(78CDR-1131)が出ている。
78CDR-3200 J.S.バッハ:
 「シャコンヌ」- 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV 1004より
 日本コロムビア G30/1
  (1949年頃録音)
巌本真理(ヴァイオリン)
巌本真理(1926-1979)は東京に生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイス・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成して活躍した。この録音は戦後間もなくの東京音楽学校教授時代のもの。SPレコードのたいへん貴重な記録である。同じ頃ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(日本コロムビア)も録音していた。
78CDR-3201 フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
 米 COLUMBIA 67928/31
  (仏 COLUMBIA LFX77/80と同一録音)
  (1930年5月8日パリ録音)
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)
※トラック1(第1面)のみ、盤質不良のためノイズ処理を行なっています。アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られている。ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)に師事したデュボワは1920年にヴュータン賞を得た。ソリストとして活躍し、ピアニストのマルセル・マースとのデュオは評判をとった。1927年にブリュッセルの王立音楽院の教授に就任し、ピアノ三重奏団や弦楽四重奏団のリーダーとしても活躍した。このシリーズではヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1054)が出ている。
78CDR-3202 ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」
 英 HIS MASTER'S VOICE DB3666/7
 (1938年11月7&8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-86)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授になり、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-11948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-90)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーは本シリーズでモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-1057)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集(78CDR-1142-1146分売)が出ている。
78CDR-3203 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調 K.378(317d)
 英 HIS MASTER'S VOICE C1247/8
 (1925年11月11日&12月10日録音)
マジョリー・ヘイワード(ヴァイオリン)
ユナ・ボーン(ピアノ)
女流奏者によるモーツァルト。マジョリー・ヘイワード(1885-1953)はイギリスの女流ヴァイオリニスト、ヴィルトゥオーゾ弦楽四重奏団のリーダー。1920年代に英HIS MASTER'S VOICEにベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番、第8番「ラズモフスキー第2番」、第9番「ラズモフスキー第3番」、や二重奏では「クロイツェル・ソナタ」の録音があった。ピアノのユナ・ボーン(1882-1974)はオーストラリアのメルボルン生まれ。第1次世界大戦(1914-1918)中には同郷の大ソプラノ歌手、ネリー・メルバのピアニストをつとめた。この名曲の世界初録音で電気録音最初期のもの。
78CDR-3204 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
 米 VICTROLA 7487/9
 (英HIS MASTER'S VOICE DB1527/9 と同一録音)
 (1931年5月4日ロンドン録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、その後アメリカに定住した。この録音はブッシュが40歳、ゼルキンが28歳の時のもの。復刻にはノイズの少ないアメリカVICTROLA盤を使用した。ブッシュ&ゼルキンの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番K.377(78CDR-3038)シューベルト:幻想曲ハ長調(78CDR-1172)が出ている。※第1面に強音での音われがややあります
78CDR-3205 ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100
 米 COLUMBIA 67180/2-D
 (1926年1月14-15日録音)
トッシャ・ザイデル(ヴァイオリン)
アーサー・レッサー(ピアノ)
トッシャ・ザイデル(1899-1962)はオデッサ生まれのロシアのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にアメリカ国籍を得た。ジンバリスト(1889-1985)、エルマン(1891-1967)、ハイフェッツ(1899-1987)、ミルスタイン(1904-1992)等と共にヴァイオリンのロシア楽派を築いた。ザイデルはロマンティックな音色と自由なルバートで評判をとった。この録音はザイデルが27歳の時のものである。現在の演奏家からは聴けないロマンティックな味わいが満ちあふれた名演奏。ピアノのアーサー・レッサー(1894-1969)はドイツ系のアメリカのピアニスト。戦後日比谷公会堂でアメリカ駐留軍士官時代に軍服姿でショパンのピアノ協奏曲を日本フィルハーモニーと演奏したこともあった。復刻には米 COLUMBIAのブルーシェラック盤を使用した。
78CDR-3206 シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調 D.408 作品137-3
  英 HIS MASTER'S VOICE D1398/9
  (1927年12月13日ロンドン録音)
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
アーサー・デ・グリーフ(ピアノ)
イゾルデ・メンゲス(1893-1976)はイギリスの女流ヴァイオリニスト。1910年17歳の時ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し3年間の滞在中アウアーの最もお気に入りの弟子となった。1913年20歳でロンドンでデビューし、1916年から1919年にかけて北米公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。このシューベルトは電気録音最初期のもの。ピアノのアーサー・デ・グリーフ(1862-1940)はベルギー生まれのピアニスト。17歳でブリュッセル王立音楽院を卒業後、ワイマールに赴きフランツ・リストに2年間師事した。デ・グリーフはSP時代のHMVに数多くの録音を残した。イゾルデ・メンゲスはバッハの「シャコンヌ」(78CDR-1178)が本シリーズで出ている。
78CDR-3207 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 蘭 PARLOPHONE PXO 1043/4
 (1947年5月6日ロンドン)
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
シモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年にフルトヴェングラーに招かれベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934年ドイツがナチ政権になった時退団、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジア演奏旅行中にインドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本のピアニスト山根美代子さんと結婚、立山で暮らしていた。この録音は戦後の1947年のもの、録音時ゴールドベルクは38歳だった。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。主に声楽家の名伴奏者として録音の数も多かった。
78CDR-3208 モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調 K.376(374d)
 DEUTSCHE GRAMMOPHON LV36035/6e
 (1952年7月9日録音)(全体に小キズによるノイズ)
ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン)
ジャン・アントニエッティ(ピアノ)
ヨハンナ・マルツィ(1924-1979)はハンガリー生まれの女流ヴァイオリニスト。1934年10歳でブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学、イェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。13歳でデビューしたが、大戦のため活動を中断。1947年ジュネーヴ国際音楽コンクーるに入賞しスイスに居をかまえた。1953年にロンドンにデビューした。この録音はロンドン・デビュー前にドイツ・グラモフォンに入れたもの。この社が開発した長時間収録の78回転SP、VG盤に収録されたもの。ピアノのジャン・アントニエッィはオランダ生まれ。マルツィとの共演の他にハンガリー弦楽四重奏団とシューベルトの「ます」を録音していた。
78CDR-3209 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
 (カデツァ:J.ヨアヒム)
 仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5142/4
 (1941年1月6日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、世界中で最も優れたモーツァルト演奏家のひとりだった。この録音が行われた当時、フランスはナチ・ドイツの占領下だったが、1941年はモーツァルト没後150年にあたりヨーロッパの各地で記念行事が行われた。この録音もその記念のためのものと思われる。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1955)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1926年-32年にはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法も身につけた。1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。この録音はその当時のものである。ティボーのモーツァルトはヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1118)とヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1080)がこのシリーズで出ている。
78CDR-3210 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 (カデンツァ:H.レオナール)
 独 POLYDOR 15205/09
 (1938年3月5&8日ベルリン高等音楽院録音)
カール・フロイント(ヴァイオリン)
ヴァルター・ダヴィッソン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
戦前の全盛期にあったベルリン・フィルによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でLP、CDを通じて初復刻と思われる。ヴァイオリンのカール・フロイント(1904-)はドイツのヴァイオリニスト。経歴の詳細は不明だが、ドイツ・ポリドールのSPにピアノ・トリオの録音がある。ドイツの女流ヴァイオリニスト、シュザンヌ・ラウテンバッハー(1932-)の師だった。指揮者のヴァルター・ダヴィッソン(1885-1973)はフランクフルト生まれ。フランクフルト音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後母校でヴァイオリンを教えた。その後指揮者として活躍し、1932年にライプツィヒ音楽院の校長に就任した。この録音が行われた1938年は大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がベルリン・フィルの正指揮者の時代だった。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏はこのシリーズでチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-1103)が出ている。
78CDR-3211 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
(カデンツァ:J.ヨアヒム)
 独 POLYDOR 67888/90
 (1942年ドレスデン録音)
ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ハインツ・シュタンスケ(1912-)はカール・フレッシュ(1873-1944)に師事したヴァイオリニスト。1937年のウィーン音楽祭で金賞を受賞した。第2次大戦中のドイツ・ポリドールにSP録音がある。シュタンスケは戦後コンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディット・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1916年からドイツ各地のオーケストラで指揮者として活動した。1934年-42年にはドレスデン・フィルの常任指揮者としてこのオーケストランをヨーロッパ有数の楽団に育てあげた。このシリーズではジョコンダ・デ・ヴィトーのヴァイオリンでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)、ヴィルヘルム・ケンプのピアノでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-1153)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-1112)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)が出ている。
78CDR-3212 シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
 独 POLYDOR 68046/49
 (1943年ベルリン録音)
アニヤ・イグナティウス(ヴァイオリン)
アルマス・ヤルネフェルト指揮
ベルリン市立管弦楽団
アニヤ・イグナティウス(1911-1995)はフィンランドの女流ヴァイオリニスト。1924年-28年までパリ音楽院、1928年-29年にチェコの巨匠シェヴチーク(1852-1934)、1929年-31年にはベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。特にシベリウスのヴァイオリン協奏曲は作曲家自身が高く評価し、この曲のスペシャリストになった。1955年-78年にヘルシンキのシベリウス・アカデミーの教授を務めた。指揮者のアルマス・ヤルネフェルト(1869-1958)はフィンランドの作曲家で指揮者。ヤルネフェルトの「子守歌」の作曲者でもある。この録音は第2次世界大戦後期のもの。
78CDR-3213 J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
 蘭 COLUMBIA DX1276/77
 (1946年3月27日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
アルテュール・グリュミオー&
ジャン・プーニエ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキンド指揮
フィルハーモニア室内管弦楽団
ボリス・オード(ハープシコード)
アルテュール・グリュミオー(1921-1986)はベルギーの名ヴァイオリニスト。3歳から祖父にヴァイオリンの手ほどきを受け、6歳で生地のシャルルロワ音楽院に入った。5年の間にヴァイオリンとピアノで一等賞になり、ブリュッセル王立音楽院でアルフレッド・デュボワ(1898-1944)についてさらに研鑽をつんだ。1939年にアンリ・ヴュータン賞とフランソワ・プリューム賞を受賞、シャルル・ミュンシュ(1891-1955)の指揮でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾きデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の指導を受けた。第2次大戦中は英米軍の兵士に慰問活動をした。戦後すぐにEMIのプロデューサー、ワルター・レッグに招かれイギリス・コロンビアに録音した。この演奏はグリュミオーの初協奏曲録音にあたる。ジャン・プーニエ(1907-1968)はインド洋のモーリシャス島にイギリス人の両親のもとに生まれ、2歳の時にイギリスに移住し王立アカデミーで学んだ。ワルター・ジュスキンド(1913-1980)はチェコ出身のイギリスの指揮者。プラハ音楽院でスークやハーバに師事した後、ベルリンでジョージ・セル(1897-1970)のアシスタントになり薫陶を得た。
78CDR-3214 モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
 (カデンツァ:E.フィッシャー)
 (1937年3月5日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)
ローランス・コリングウッド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-1886)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)についた。1930年ベルリン高等音楽院の教授に就任、また演奏家としても活躍した。このモーツァルトはフィッシャーが51歳の時の録音。弟子にレーヌ・ジャノーリ(1915-1979)、パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)、アルフレッド・ブレンデル(1931-)らがいる。指揮者のローランス・コリングウッド(1887-1982)はイギリスの指揮者。ロンドンのギルドホール音楽学校で学んだ後、オックフォード大学に進んだ。1912年ロシアのペテルブルク音楽院に留学、グラズノフ、チェレプニン等に指導を受けた。1918年イギリスに戻り指揮者として活躍、1931年から1941年サドラーズ・ウェルズ・オペラの首席指揮者、1941年から47年音楽監督を務めた。フィッシャーはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番 K.330(78CDR-3036)、モーツァルト:ピアノ・ソナタ第11番「トルコ行進曲つき」(78CDR-1096)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集全曲(78CDR-1142-1146分売)、ブラームス:ピアノ四重奏曲第1番作品25(78CDR-1160)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」(78CDR-3202)が出ている。
78CDR-3215 ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 独 ELECTROLA DB5516/21S
  (1939年6月29-30日ドレスデン録音)
マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
カール・ベーム指揮
ザクセン国立歌劇場管弦楽団
マックス・シュトループ(1900-1966)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年、当時ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサート・マスターに就任。1924年から1928年にワイマール音楽学校のヴァイオリン教授になり、一方オットー・クレンペラーの要請でベルリン国立歌劇場のコンサートマスターも務めた。1934年にはピアニストのエリー・ナイ(1882-1968)、チェリストのルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)とピアノ三重奏団を組織した。カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアのグラーツ生まれの大指揮者。グラーツ大学で法律を専攻した法学博士でもある。1917年グラーツ市立歌劇場で指揮者としてデビュー、1921年ブルーノ・ワルター(1876-1962)に招かれバイエルン国立歌劇場の指揮者になった。その後ダルムシュタット、ハンブルクの歌劇場の指揮者を歴任、1934年にフリッツ・ブッシュの後任としてザクセン国立歌劇場の音楽監督に就任、1943年にウィーン国立歌劇場に転出するまでその地位にあった。これは第2次世界大戦勃発三ヵ月前の録音である。当時ベームは45歳だった。第6面のカデンツァが聴き物。
78CDR-3216 J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV.1042
コレッリ(ブッシュ編):ソナタヘ長調作品5-10よりプレリュード
 米 COLUMBIA 119146/6-D(Set M-MM-530)
  (1941年10月3日バッハ、
   1942年 5月27日コレッリ、ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ブッシュ室内合奏団
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブュッシュと共にアメリカに定住した。この録音はブッシュがアメリカでの最初の録音にあたる。ブッシュの演奏はこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番 K.377(78CDR-3038)、シューベルト:幻想曲ハ長調(78CDR-1172)が出ている。ピアノはいずれもゼルキン。
78CDR-3217 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
 独 TELEFINKEN E3124/6
 (1940年6月15日ベルリン録音)
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)
ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのヴァイオリニスト。第2次世界大戦中はソリストとしてドイツを代表する演奏家だった。またベルリン高等音楽院のヴァイリン科教授も務めた。この録音は1940年ドイツ・テレフンケン社への録音。クーレンカンプは1944年にスイスのルツェルン音楽院の教授になり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。彼は1948年50歳を迎えて間もなく急逝した。ピアノのジークフリート・シュルツェは経歴不明。ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)と多くの録音をしていた。クーレンカンプは本シリーズでブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(シューリヒト指揮チューリッヒ・トンハレ管弦楽団、1947年録音)(78CDR-1123)が出ている。
78CDR-3218 ブラームス:ホルン三重奏曲変ホ長調作品40
 米 VICTOR 17112/5
 (英 HIS MASTER'S VOICE DB2105/8と同一録音)
 (1933年11月13日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
オーブリー・ブレイン(ホルン)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
オーブリー・ブレイン(1893-1955)は20世紀の前半に活躍したイギリスの名ホルン奏者、デニス・ブレイン(1921-1957)の父親にあたる。1911年王立アカデミーで奨学金を受け、同年、新交響楽団の首席奏者に就任。翌1912年には大指揮者アルトゥール・ニキシュ指揮ロンドン交響楽団の北米楽旅に参加した。1923年から母校の王立アカデミーでホルン教え始めた。ずっと後になるが、生徒の一人が息子のデニス・ブレインだった。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。このブラームスは3人の名人によるブラームスの濃厚なロマンティシズムが表出した名演奏。
78CDR-3219 モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466
 (カデンツァ:C.H.ライネッケ)
 米VICTOR 12151/4,
  英HIS MASTER'S VOICE DB3273/6 と同一録音
 (1937年5月7日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター(ピアノと指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。ワルターは以後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音は1937年ウィーン・フィルを指揮して自らピアノを弾いた録音。ダイレクト・トランスファーによってムジークフェライン大ホールの美しい響きがワルターのピアノとオーケストラの音色を引き立てているのがよく聴き取れる。録音時ワルターは61歳だった。
78CDR-3220 ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 (カデンツァ:J.ヨアヒム)
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番ニ短調作品108 第2楽章
 米COLUMBIA 67608/12D, 英COLUMBIA L2265/9と同一録音
 (1928年12月3&5日協奏曲、1927年7月1日ソナタ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
ハレ管弦楽団(協奏曲)
クルト・リュールザイツ(ピアノ)(ソナタ)
ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。1905年13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。ブラームスのヴァイオリン協奏曲をシゲティは生涯3回録音しているが、これはその第1回目のもので、36歳のシゲティの初の協奏曲録音だった。
78CDR-3221 ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番ヘ長調作品5-1
 米VICTOR 18288/90,
  英HIS MASTER'S VOICE DB3908/10と同一録音
 (1939年6月19&20日パリ、アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ,ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリでデビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。レコード録音は機械式録音時代の1915年から行いバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から4曲、G線上のアリアほか小品を18面録音した。ピアノのミエチスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド出身のピアニスト。99歳までステージで演奏した伝説的なピアニスト。カザルスの第1回目のベートヴェン:チェロ・ソナタ全集では第3番以外のピアニストを務めた。このシリーズでは1936年録音のカザルスとのブラームス:チェロ・ソナタ第2番(78CDR-1084)が出ている。
78CDR-3222 ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
 米VICTOR 8351/3,
  英HIS MASTER'S VOICE DB1970/2 と同一録音
 (1933年5月17日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが, ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもアメリカに渡り1939年に定住した。
78CDR-3223 ショパン:4つのバラード
 米VICTOR 16538/41,
  英HIS MASTER'S VOICE DB2023/6 と同一録音
 (1933年7月6-7日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院にルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスで研鑽を積む。1896年一等賞を得て卒業。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)とチェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とトリオを組んだ。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリに音楽学校エコール・ノルマルを設立した。コルトーはショパンの4つのバラードを2回録音していて、これは2回目の録音。
78CDR-3224 J.S.バッハ:
 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
 無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
  英HIS MASTER'S VOICE DB8590/97
  (1938年6月2-4日パリ,アルベール・スタジオ録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
レコード史上の金字塔、カザルスのJ.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲ダイレクト・トランスファー・シリーズで完成。パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー, 1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1905年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。カザルスのバッハ:無伴奏チェロ組曲全6曲は2曲ずつ録音された。第1巻は組曲2番と3番で1936年録音(78CDR-3004)。第2巻はここに収録の組曲1番と6番で1938年録音。第3巻は組曲4番と5番(78CDR-3070)で1939年4月にパリで録音された。1930年代のカザルスのSPはどれを聴いても圧倒的な感銘をうける。
78CDR-3225 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001
 日本コロムビア J7825/6(英COLUMBIA LX127/8と同一録音)
 (1931年2月3日ロンドン録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
定評のあるシゲティのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの全曲録音の原点にあたる演奏。録音時シゲティは39歳だった。ハンガリー生まれのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1905年ベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。シゲティはSPレコードにこのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番と第2番(78CDR-3041)の2曲を録音し、いずれもこの名曲の全曲初録音であった。
78CDR-3226 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
  伊DISCO GRAMMOFONO DB1422/4
  (1929年11月8日ベルリン録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
この曲の世界初録音。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1912年20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢され、1918年ベルリン高等音楽院の教授になった。その頃弦楽四重奏団を組織している。ブッシュは電気録音以前のラッパ吹き込み時代にドイツのポリドールにソロと弦楽四重奏の録音を残していた。さらに電気録音時代になってベートーヴェンの弦楽四重奏曲やソナタをHMVに録音した。このバッハのパルティータ第2番は世界初録音。録音時ブッシュは38歳だった。第2次世界大戦直前にアメリカに渡った。ダイレクト・トランスファー・シリーズではブッシュの名演奏を多数発売している。
78CDR-3227 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
 英HIS MASTER'S VOICE DB1368/70
 (1929年11月13日ロンドン、クイーンズ・ホール第3スタジオ"C"録音)
  ※第4面(トラック4)に大きなキズ音が7回入ります。ご了承下さい。
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け7歳でサンフランシスコ交響楽団との共演でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。神童メニューインが13歳でバッハの無伴奏に取り組んだ記念すべきこの曲の世界初レコード。15歳年長の師アドルフ・ブッシュがパルティータ第2番(78CDR-3226)をベルリンで録音した5日後のもの。メニューインは同曲を5年後の1934年にパリで2回目の録音(HMV DB2284/86)をしている。
78CDR-3228 J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
 英COLUMBIA LX329/30
 (1934年6月13日ウィーン録音)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
20世紀前半の巨匠フーベルマンはバッハを弾いても個性豊かなスタイルを保っていた。ヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏家ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれ。1892年10歳の時に大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリンにデビューし、1895年ブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて作曲者を唸らせた。フーベルマンは活動拠点をウィーンに置いていたが、ナチスの台頭後パレスチナに移り、ドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィルである。このダイレクト・トランスファー・シリーズには全盛期のフーベルマンの演奏が多数出ている。






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