78CDR-3194 |
ハイドン:弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5,
Hob.III-63「ひばり」
英 COLUMBIA D13070/2
(1928年10月4日パリ録音) |
カペー弦楽四重奏団
リュシアン・カペー(第1ヴァイオリン)
モーリス・エウィット(第2ヴァイオリン)
アンリ・ブノワ(ヴィオラ)
カミユ・ドゥロベール(チェロ) |
史上最高の弦楽四重奏団だったフランスのカペー四重奏団のリーダー、リュシアン・カペー(1873.01.08-1928.12.18)は医師の誤診による腹膜炎で急逝した。死の年の1928年、6月10日からフランス・コロンビアに録音を開始したカペー四重奏団は10月15日までの短期間に10インチ盤7枚、12インチ盤44枚の録音を残した。カペーはパリ音楽院でジャン=ピエ-ル・モーランに師事し、1893年一等賞を得た。その年に弦楽四重奏団を組織し、またソリストとして活動を開始した。1907年パリ音楽院の室内楽科の教授に任命され、1924年にはヴァイオリン科の教授に就任した。弟子にジュリアードのイヴァン・ガラミアン(1903-1981)がいる。このシリーズではフランク:ピアノ五重奏曲(78CDR-1034),ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番(78CDR-1042),シューマン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-1056),ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番(78CDR-1082)が出ている。 |
78CDR-3195 |
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
日本 VICTOR JD476/9
(英 HIS MASTER'S VOICE DB2113/6 と同一録音)
(1933年11月13日ロンドン, アビー・ロード第3スタジオ録音) |
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ) |
ブッシュ弦楽四重奏団はリーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって1919年に組織された。当時ブッシュはベルリン高等音楽院の教授の地位にあった。ブッシュ四重奏団は何回かのメンバーの交代があったが1930年にこの録音のメンバーになった。チェロのヘルマン・ブッシュ(1897-1975)はアドルフの実弟。この録音はこの楽団の絶頂期のものの一つ。ベートーヴェンの最後の作品をあるべき姿で演奏した歴史的録音である。 |
78CDR-3196 |
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」
英 COLUMBIA L1545/8
(1923年11月7-8日録音)
※機械式録音(お詫び:各所にキズによる雑音あり) |
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ) |
レナー弦楽四重奏団はハンガリーのブダペスト音楽院出身の4人によって1918年に結成された。4人は1884年生まれと1885年生まれの同年代である。1920年にウィーンでデビューした。デビュー前の2年間は田舎の村で共同生活をして1日12時間の練習を重ねたと伝えられる。1922年にロンドン・デビュー、同時にイギリス・コロンビアの専属アーティストになった。この録音は契約当初断片曲・小品の録音を行なっていたこの四重奏団が取り組んだ初の全曲物で、しかもこの名曲の世界初録音。このシリーズではモーツァルトの弦楽四重奏曲
K.387(78CDR-1055),弦楽四重奏曲 K.421(78CDR-1062),弦楽四重奏曲
K.458「狩り」(78CDR-1097),弦楽五重奏曲 K.516(78CDR-1085),クラリネット五重奏曲(クラリネット:ドゥレイパー)(78CDR-1045)が出ている。 |
78CDR-3197 |
モーツァルト:弦楽四重奏曲第22番変ロ長調
K.589「プロシャ王第2番」
英 HIS MASTER'S VOICE DB3432/4
(米 VICTOR 14626/8 と同一録音)
(1937年9月22&28日アメリカ録音) |
コーリッシュ弦楽四重奏団
ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
ベルナール・ハイフェッツ(チェロ) |
コーリッシュ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に組織された。当初は作曲家シェーンベルクの指導を受けウィーン弦楽四重奏団という名称だったが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため、右手でヴァイオリンを持ち、左手に弓を持ってひいた。この録音はアメリカで行われたもので、有名なシェーンベルクの4曲からなる弦楽四重奏曲の録音(米ARCO)の後のもの。現代音楽のスペシャリストがモーツァルトやシューベルトの演奏をしたところが聴きどころ。1942年にこの四重奏団は解散した。 |
78CDR-3198 |
ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
仏 DISQUE GRAMOPHONE W975/7
(1929年3月22日パリ録音) |
クレトリー弦楽四重奏団
ロベール・クレトリー(第1ヴァイオリン)
ルネ・コスタール(第2ヴァイオリン)
フランソワ・ブロー(ヴィオラ)
アンドレ・ナヴァラ(チェロ) |
クレトリー弦楽四重奏団のリーダー、ロベール・クレトリー(1891-)は、名チェリスト、ピエール・フルニエ(1906-1986)の師だったオデット・クレトリーの弟で、その縁で1924年に19歳のフルニエがチェリストの席にあった。クレトリーは作曲家ガブリエル・フォーレ(1845-1924)のピアノ三重奏曲作品120の初演(1923)にも参加した。また1925年のフォーレ追悼演奏会でフォーレの弦楽四重奏曲ホ短調作品121
を第1ヴァイオリンがジャック・ティボー(1880-1953)、第2ヴァイオリンがクレトリー、ヴィオラがモーリス・ヴィウー(1884-1951)、チェロがアンドレ・エッキング(1866-1925)で弾いた。弦楽四重奏団にはフルニエの後任として1928年にアンドレ・ナヴァラ(1911-1988)が入った。フランス・コロンビアの専属だったクレトリー四重奏団がこのラヴェルを仏
HMVに録音したのは、フランス・コロンビアにはカペー四重奏団が録音したばかりだったからだ。この香り立つようなラヴェルはカペーの名演に比肩する。また18歳のナヴァラの雄弁なチェロも聴きものである。 |
78CDR-3199 |
ハイドン:ピアノ三重奏曲第39番ト長調作品73-2,
Hob.XV-25
英 HIS MASTER'S VOICE DA895/6
(1927年6月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音) |
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス(チェロ) |
この3人の中の最年長者パブロ・カザルス(1876-1973)の名前を冠したカザルス・トリオは1905頃から活動をはじめた。アルフレッド・コルトー(1877-1962)のもとに、ジャック・ティボー(1880-1953)とカザルスが集まって自然発生的に生まれた室内楽グループでクラシック史上最高の顔合わせ。レコード録音が行われた時点まで約20年の歳月をかけて音楽を熟成させた。3人の奏でるすべての音、すべてのフレーズが聴き手に感動を与える。このシリーズではベートーヴェンの「大公トリオ」(78CDR-3009)、シューベルトの作品99(78CDR-1131)が出ている。 |
78CDR-3200 |
J.S.バッハ:
「シャコンヌ」- 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV
1004より
日本コロムビア G30/1
(1949年頃録音) |
巌本真理(ヴァイオリン) |
巌本真理(1926-1979)は東京に生まれ、6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイス・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。翌年帰国後ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成して活躍した。この録音は戦後間もなくの東京音楽学校教授時代のもの。SPレコードのたいへん貴重な記録である。同じ頃ルクー:ヴァイオリン・ソナタ(日本コロムビア)も録音していた。 |
78CDR-3201 |
フランク:ヴァイオリン・ソナタイ長調
米 COLUMBIA 67928/31
(仏 COLUMBIA LFX77/80と同一録音)
(1930年5月8日パリ録音) |
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ) |
※トラック1(第1面)のみ、盤質不良のためノイズ処理を行なっています。アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られている。ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)に師事したデュボワは1920年にヴュータン賞を得た。ソリストとして活躍し、ピアニストのマルセル・マースとのデュオは評判をとった。1927年にブリュッセルの王立音楽院の教授に就任し、ピアノ三重奏団や弦楽四重奏団のリーダーとしても活躍した。このシリーズではヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1054)が出ている。 |
78CDR-3202 |
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」
英 HIS MASTER'S VOICE DB3666/7
(1938年11月7&8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音) |
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ) |
エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのピアニスト。バーゼル音楽院で学んだ後、ベルリンに出てリスト(1811-86)の高弟マルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1930年ベルリン高等音楽院の教授になり、一方演奏家としても活躍した。1942年スイスに戻り、ソロ活動に加えヴァイオリンのクーレンカンプ(1898-11948)、後にヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-90)、チェロのマイナルディ(1897-1976)とフィッシャー・トリオを結成した。フィッシャーは本シリーズでモーツァルト:ピアノ・ソナタ第10番
K.330(78CDR-3036)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番「熱情」(78CDR-1057)、ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番作品110(78CDR-1106)、ハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調(78CDR-1129)、J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集(78CDR-1142-1146分売)が出ている。 |
78CDR-3203 |
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調
K.378(317d)
英 HIS MASTER'S VOICE C1247/8
(1925年11月11日&12月10日録音) |
マジョリー・ヘイワード(ヴァイオリン)
ユナ・ボーン(ピアノ) |
女流奏者によるモーツァルト。マジョリー・ヘイワード(1885-1953)はイギリスの女流ヴァイオリニスト、ヴィルトゥオーゾ弦楽四重奏団のリーダー。1920年代に英HIS
MASTER'S VOICEにベートーヴェンの弦楽四重奏曲第6番、第8番「ラズモフスキー第2番」、第9番「ラズモフスキー第3番」、や二重奏では「クロイツェル・ソナタ」の録音があった。ピアノのユナ・ボーン(1882-1974)はオーストラリアのメルボルン生まれ。第1次世界大戦(1914-1918)中には同郷の大ソプラノ歌手、ネリー・メルバのピアニストをつとめた。この名曲の世界初録音で電気録音最初期のもの。 |
78CDR-3204 |
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第1番ト長調作品78「雨の歌」
米 VICTROLA 7487/9
(英HIS MASTER'S VOICE DB1527/9
と同一録音)
(1931年5月4日ロンドン録音) |
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ) |
アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツのヴァイオリニスト。1922年以後ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、その後アメリカに定住した。この録音はブッシュが40歳、ゼルキンが28歳の時のもの。復刻にはノイズの少ないアメリカVICTROLA盤を使用した。ブッシュ&ゼルキンの演奏はモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第33番K.377(78CDR-3038)シューベルト:幻想曲ハ長調(78CDR-1172)が出ている。※第1面に強音での音われがややあります |
78CDR-3205 |
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品100
米 COLUMBIA 67180/2-D
(1926年1月14-15日録音) |
トッシャ・ザイデル(ヴァイオリン)
アーサー・レッサー(ピアノ) |
トッシャ・ザイデル(1899-1962)はオデッサ生まれのロシアのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。後にアメリカ国籍を得た。ジンバリスト(1889-1985)、エルマン(1891-1967)、ハイフェッツ(1899-1987)、ミルスタイン(1904-1992)等と共にヴァイオリンのロシア楽派を築いた。ザイデルはロマンティックな音色と自由なルバートで評判をとった。この録音はザイデルが27歳の時のものである。現在の演奏家からは聴けないロマンティックな味わいが満ちあふれた名演奏。ピアノのアーサー・レッサー(1894-1969)はドイツ系のアメリカのピアニスト。戦後日比谷公会堂でアメリカ駐留軍士官時代に軍服姿でショパンのピアノ協奏曲を日本フィルハーモニーと演奏したこともあった。復刻には米
COLUMBIAのブルーシェラック盤を使用した。 |
78CDR-3206 |
シューベルト:
ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調
D.408 作品137-3
英 HIS MASTER'S VOICE D1398/9
(1927年12月13日ロンドン録音) |
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
アーサー・デ・グリーフ(ピアノ) |
イゾルデ・メンゲス(1893-1976)はイギリスの女流ヴァイオリニスト。1910年17歳の時ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し3年間の滞在中アウアーの最もお気に入りの弟子となった。1913年20歳でロンドンでデビューし、1916年から1919年にかけて北米公演を行いアメリカのメジャーオーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。このシューベルトは電気録音最初期のもの。ピアノのアーサー・デ・グリーフ(1862-1940)はベルギー生まれのピアニスト。17歳でブリュッセル王立音楽院を卒業後、ワイマールに赴きフランツ・リストに2年間師事した。デ・グリーフはSP時代のHMVに数多くの録音を残した。イゾルデ・メンゲスはバッハの「シャコンヌ」(78CDR-1178)が本シリーズで出ている。 |
78CDR-3207 |
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
蘭 PARLOPHONE PXO 1043/4
(1947年5月6日ロンドン) |
シモン・ゴールドベルク(ヴァイオリン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ) |
シモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年にフルトヴェングラーに招かれベルリン・フィルのコンサート・マスターに就任した。1934年ドイツがナチ政権になった時退団、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。1942年クラウスと共にアジア演奏旅行中にインドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本のピアニスト山根美代子さんと結婚、立山で暮らしていた。この録音は戦後の1947年のもの、録音時ゴールドベルクは38歳だった。ピアノのジェラルド・ムーア(1899-1987)はイギリスのピアニスト。主に声楽家の名伴奏者として録音の数も多かった。 |
78CDR-3208 |
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調
K.376(374d)
DEUTSCHE GRAMMOPHON LV36035/6e
(1952年7月9日録音)(全体に小キズによるノイズ) |
ヨハンナ・マルツィ(ヴァイオリン)
ジャン・アントニエッティ(ピアノ) |
ヨハンナ・マルツィ(1924-1979)はハンガリー生まれの女流ヴァイオリニスト。1934年10歳でブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学、イェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。13歳でデビューしたが、大戦のため活動を中断。1947年ジュネーヴ国際音楽コンクーるに入賞しスイスに居をかまえた。1953年にロンドンにデビューした。この録音はロンドン・デビュー前にドイツ・グラモフォンに入れたもの。この社が開発した長時間収録の78回転SP、VG盤に収録されたもの。ピアノのジャン・アントニエッィはオランダ生まれ。マルツィとの共演の他にハンガリー弦楽四重奏団とシューベルトの「ます」を録音していた。 |
78CDR-3209 |
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調
K.219
(カデツァ:J.ヨアヒム)
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB5142/4
(1941年1月6日パリ、アルベール・スタジオ録音) |
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
シャルル・ミュンシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団 |
ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト、世界中で最も優れたモーツァルト演奏家のひとりだった。この録音が行われた当時、フランスはナチ・ドイツの占領下だったが、1941年はモーツァルト没後150年にあたりヨーロッパの各地で記念行事が行われた。この録音もその記念のためのものと思われる。指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1955)はストラスブール生まれ。パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学んだ。1926年-32年にはライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者をつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法も身につけた。1938年-45年にパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめ、1939年には同音楽院の指揮科の教授に任命された。この録音はその当時のものである。ティボーのモーツァルトはヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-1118)とヴァイオリン協奏曲第6番(78CDR-1080)がこのシリーズで出ている。 |
78CDR-3210 |
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:H.レオナール)
独 POLYDOR 15205/09
(1938年3月5&8日ベルリン高等音楽院録音) |
カール・フロイント(ヴァイオリン)
ヴァルター・ダヴィッソン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 |
戦前の全盛期にあったベルリン・フィルによるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でLP、CDを通じて初復刻と思われる。ヴァイオリンのカール・フロイント(1904-)はドイツのヴァイオリニスト。経歴の詳細は不明だが、ドイツ・ポリドールのSPにピアノ・トリオの録音がある。ドイツの女流ヴァイオリニスト、シュザンヌ・ラウテンバッハー(1932-)の師だった。指揮者のヴァルター・ダヴィッソン(1885-1973)はフランクフルト生まれ。フランクフルト音楽院でヴァイオリンを学び、卒業後母校でヴァイオリンを教えた。その後指揮者として活躍し、1932年にライプツィヒ音楽院の校長に就任した。この録音が行われた1938年は大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)がベルリン・フィルの正指揮者の時代だった。フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏はこのシリーズでチャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」(78CDR-1103)が出ている。 |
78CDR-3211 |
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調
K.218
(カデンツァ:J.ヨアヒム)
独 POLYDOR 67888/90
(1942年ドレスデン録音) |
ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
パウル・ファン・ケンペン指揮
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 |
ハインツ・シュタンスケ(1912-)はカール・フレッシュ(1873-1944)に師事したヴァイオリニスト。1937年のウィーン音楽祭で金賞を受賞した。第2次大戦中のドイツ・ポリドールにSP録音がある。シュタンスケは戦後コンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディット・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。指揮者のパウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダの指揮者。17歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者になり、1916年からドイツ各地のオーケストラで指揮者として活動した。1934年-42年にはドレスデン・フィルの常任指揮者としてこのオーケストランをヨーロッパ有数の楽団に育てあげた。このシリーズではジョコンダ・デ・ヴィトーのヴァイオリンでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-1174)、ヴィルヘルム・ケンプのピアノでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番(78CDR-1153)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番(78CDR-1112)、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番(78CDR-1120)が出ている。 |
78CDR-3212 |
シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47
独 POLYDOR 68046/49
(1943年ベルリン録音) |
アニヤ・イグナティウス(ヴァイオリン)
アルマス・ヤルネフェルト指揮
ベルリン市立管弦楽団 |
アニヤ・イグナティウス(1911-1995)はフィンランドの女流ヴァイオリニスト。1924年-28年までパリ音楽院、1928年-29年にチェコの巨匠シェヴチーク(1852-1934)、1929年-31年にはベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。特にシベリウスのヴァイオリン協奏曲は作曲家自身が高く評価し、この曲のスペシャリストになった。1955年-78年にヘルシンキのシベリウス・アカデミーの教授を務めた。指揮者のアルマス・ヤルネフェルト(1869-1958)はフィンランドの作曲家で指揮者。ヤルネフェルトの「子守歌」の作曲者でもある。この録音は第2次世界大戦後期のもの。 |
78CDR-3213 |
J.S.バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調
BWV.1043
蘭 COLUMBIA DX1276/77
(1946年3月27日ロンドン、アビー・ロード第1スタジオ録音) |
アルテュール・グリュミオー&
ジャン・プーニエ(ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキンド指揮
フィルハーモニア室内管弦楽団
ボリス・オード(ハープシコード) |
アルテュール・グリュミオー(1921-1986)はベルギーの名ヴァイオリニスト。3歳から祖父にヴァイオリンの手ほどきを受け、6歳で生地のシャルルロワ音楽院に入った。5年の間にヴァイオリンとピアノで一等賞になり、ブリュッセル王立音楽院でアルフレッド・デュボワ(1898-1944)についてさらに研鑽をつんだ。1939年にアンリ・ヴュータン賞とフランソワ・プリューム賞を受賞、シャルル・ミュンシュ(1891-1955)の指揮でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾きデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)の指導を受けた。第2次大戦中は英米軍の兵士に慰問活動をした。戦後すぐにEMIのプロデューサー、ワルター・レッグに招かれイギリス・コロンビアに録音した。この演奏はグリュミオーの初協奏曲録音にあたる。ジャン・プーニエ(1907-1968)はインド洋のモーリシャス島にイギリス人の両親のもとに生まれ、2歳の時にイギリスに移住し王立アカデミーで学んだ。ワルター・ジュスキンド(1913-1980)はチェコ出身のイギリスの指揮者。プラハ音楽院でスークやハーバに師事した後、ベルリンでジョージ・セル(1897-1970)のアシスタントになり薫陶を得た。 |