クラシックCD通販ショップ「アリアCD」へようこそ
トップページへ

規約などはこちら・・・

お買い物の方法  

注文方法:
 ご希望商品のチェック・ボックスをクリックし、最後に 「かごに入れる」ボタンを押してください(enterキーを押してもかまいません)。
 新店内のほかのページのお買い物がありましたら、そちらもすませ、一番最後にページ下の「
注文フォームへ」のボタンをクリックして、注文フォーム・ページへ進んでいただいて、そこで注文を確定してください。
 (チェック内容を変更したら、必ずもう一度「かごに入れる」ボタンをクリックしてください。変更内容がかごに反映されませんので)


メルマガや別サイトから直接アクセスされた方は「検索」などの窓が表示されません。どこかのタイミングで改めてこちらのページへお入りください。(別ページで開きます)

注文フォームへ



<グッディーズ・オリジナル>
ダイレクト・トランスファー CD−R
その5  最新新譜
1CD−R¥1429+税


 グッディーズ・オリジナル・ダイレクト・トランスファーCD−R。予想通りのすごい反響。その生々しさはやはりただものではなかった。
 グッディーズは東京にあるクラシック専門のCDショップなのだが、ここが自社製作しているSPレコードの復刻CD-Rの評判がすこぶる良い。東京在住のお客様からときどき「グッディ−ズのCD-R扱わないんですか?いいですよ。」と言われるてきた。
 ということで「グッディーズ・オリジナル ダイレクト・トランスファー CD−Rシリーズ。」
 ご覧のように誰もが知る名盤中の名盤から、知る人ぞ知るレアな演奏家の貴重録音まで、実に多彩。お手持ちの復刻版との比較を楽しんでもよし、ようやくの再会にむねをときめかしてもよし。
 なお編集を一切行っていないため、盤が変わる間には空白が入る。これこそがSPの醍醐味か。

 これ以前の旧譜はこちらをどうぞ。その1 その2 その3 その4


グッディーズより

●SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R
 SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。
 収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。

■ご注意
 編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。
 トラック間の空白部分は統一されていません。
 リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。
 一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。
 最近の復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機が使用されている。


<2021/3 紹介新譜>
 78CDR-3827
\1429+税
B.フリース:モーツァルトの子守歌
 機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
  1916-1936年録音
(1)エミー・デスティン(ソプラノ)
(2)アルマ・グルック(ソプラノ)
(3)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
(4)ジークリッド・オネーギン(コントラルト)
(5)マリア・クレンコ(ソプラノ)
(6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)、
 ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
(7)エルナ・ベルガー(ソプラノ) 、
 ハンス・アルトマン(ピアノ)

 ベルンハルト・フリース(1770頃ベルリン生まれ-?)は医師でアマチュア作曲家だった。この人の曲がモーツァルトの作品と間違われケッヒェル番号 K.350がつけれていたのが、ケッヒェル第6版の番号改正のとき、フリートリッヒ・ヴェルヘルム・ゴッター(1746-1797)作詞、ベルンハルト・フリース作曲ということになった。最近ヨハン・フリートリッヒ・アントン・フライシュマン(1776-1798)の作曲という研究発表があった。日本語歌詞は堀内敬三(1897-1983)のものがよく知られている。
 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

 (1)エミー・デスティン(ソプラノ)
 IRCC 5012-A(U.S.) 1916年4月21日 キャムデン録音(機械式録音)ドイツ語歌唱
 エミー・デスティン(1878-1930)はプラハ生まれ。1898年ベルリン国立歌劇場でデビュー。その後ワーグナー未亡人の招きでバイロイト音楽祭、ロンドンのコヴェントガーデン歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に出演スーパースターになった。
 デスティンの録音はSUPRAPHON から1999年にThe Complete Destinn(214曲収録)12CDsetが出ている。

 (2)アルマ・グルック(ソプラノ)
 VICTROLA 64590(U.S.) 1916年2月17日 キャムデン録音(機械式録音)英語歌唱
 アルマ・グルック(1884-1938)ルーマニアのブカレスト生まれ。早期にアメリカに移住。メトロポリタン歌劇場で成功を収めた。ロシア出身の名ヴァイオリン奏者エフレム・ジンバリスト(1889-1985)夫人となり、息子にエレム・ジンバリスト・ジュニア、孫にステファニー・ジンバリストがいる。

 (3)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)
 HMV DA577-A(U.K.) 1923 年6月4日 イギリス録音(機械式録音)
 ドイツ語歌唱フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプヅィヒ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院で学び、1905年にデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、ニューヨークのメロポリタン歌劇場に所属した。ヘンペルは1912年にの曲をベルリンで録音していた(独 GRAMMOPHON 76 042)。機械式録音時代に二度の録音は珍しい。

 (4)ジークリッド・オネーギン(コントラルト)
 BRUNSWICK 15070-B(U.S.) 1923年12月31日 アメリカ録音(機械式録音)
 ドイツ語歌唱ジークリッド・オネーギン(1889-1943)はストックホルム生まれ。15歳の時ミュンヘンで声楽を学び、1911年にシュトゥットガルト歌劇場で「カルメン」でオペラデビュー。この時の相手役ホセはエンリコ・カルーソだった。その後ロシアの貴族で音楽家のエフゲニー・オネーギンと結婚しオネーギン姓
に改めた。

 (5)マリア・クレンコ(ソプラノ)
 COLUMBIA 2046-M(U.S.) 1925年4月12日録音(電気録音)
 ドイツ語歌唱マリア・クレンコはロシア帝国のトムスク生まれ。モスクワ音楽院で声楽を学び、1914年ハリコフ歌劇場でデビュー。その後ボリショイ歌劇場でソリストをつとめた。フランスに移住してからヨーロッパ各国のオペラ劇場、さらにミューヨークのメトロポリタン歌劇場にも出演した。米 COLUMBIA に多くの録音を残した。これはクレンコの初録音。

 (6)エリーザベト・シューマン(ソプラノ)、ローランス・コリンウッド指揮 管弦楽団
 Elisabeth Schumann(soprano) Lawrence Collingwood conducting Orchestra
 HMV E555(U.K.) 1930年2月17-18日 ロンドン録音(電気録音)ドイツ語歌唱エリーザベト・シューマン(1888-1952)はドイツ生まれのソプラノ。1909年にハンブルク歌劇場でデビュー。ヨーロッパ各地のオペラ劇場に出演した。1938年アメリカに移住し1944年市民権を得た。モーヅァルト、シューマン、シューベルトの歌曲の録音を残した。

 (7)エルナ・ベルガー(ソプラノ) 、ハンス・アルトマン(ピアノ)
 Erna Berger(soprano) Hans Altmann(piano)POLYDOR 47068(Germany) 1936年6月16日 ベルリン録音 ドイツ語歌唱エルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ。第1次世界大戦後一家は南米に移住し、1923年に生地のドレスデンに戻った。1925年にドレスデン歌劇場でデビュー、その後ヨーロッパ、アメリカの歌劇場に出演した。戦後間もなく来日しビクターに録音した。

 
 78CDR-3828
\1429+税
モーツァルト:
 セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
 セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」(抜粋)
  英 HMV EJ326/7(K.525)、英 HMV DB4401/2(K.361)
  1928年8月30日(K.525)&1931年頃(K.361)ベルリン録音
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 レオ・ブレッヒ(1871-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院でピアノと作曲を修め、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者になった。1899年プラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベルトの歌劇「低地」を初演した。1906年にベルリン国立歌劇場の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。
 1937年にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長を要請された。ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年ドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密りにスエーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の楽長に就任した。戦後の1949年にドイツに帰国、シャルロッテンブルク歌劇場の音楽監督に就任した。ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー(1875-1962)と共演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知られていなかった。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

 
 78CDR-3829
\1429+税
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080(弦楽四重奏版)
 米 COLUMBIA 68257/66SD
  1934年10月21-23&25日、11月1-2&16日、
   12月4、6、14&21日ニューヨーク録音
ロート弦楽四重奏団
 (フェリ・ロート(vn)
  イェネ・アンタル(vn)
  フェレンツ・モルナール(va)
  ジャーノシュ・ショルツ(vc))

 「フーガの技法」は1740年代バッハが50歳代半ば頃作曲をはじめたが、途中で作曲者自身の視力低下のため未完のまま作曲が中断された。また演奏する楽器指定はなく、一般的な鍵盤楽器で演奏されることが多い。ここではアメリカの作曲家ロイ・ハリス(1989-1979)とメアリー・D・ハーター・ノートン(1894-1985)による弦楽四重奏版で演奏される。ロート弦楽四重奏団はオーストリア・ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、フェリ・ロート(1899-1967)によって1922年に設立された。全員ハンガリー出身者で構成され、1928年アメリカにわたり活躍、レコード録音も多い。この「フーガの技法」は代表盤。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu1 DSD録音機を使用した。

 



<2021/2 紹介新譜>
78CDR-3824
\1429+税
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源
 モーツァルトも気に入ったフランス生まれの流行り歌「きらきら星」(ああ、お母さん聞いて)

 1911年-1953年録音

 「きらきら星」は18世紀の後半にフランスで流行したシャンソン(作曲者不明)"Ah, vous dirai-je, maman" 「ああ、お母さん聞いて」が原曲。元のメロディは1740年頃生まれ、作曲者不明(ジャン・フィリップ・ラモー 1683-1764 説あり)のまま流行りだし、歌詞のない楽譜が1761年に出版された。いくつかの歌詞がつけられて、その中のひとつが「ああ、お母さん聞いて」だった。モーツァルト(1756-91)がこの曲を聞いて気に入りピアノ曲「ああ、お母さん聞いて」による12の変奏曲ハ長調 K.265を1780年頃作曲した。
 一方イギリスでは女流詩人ジェーン・テイラー(1783-1824)が1806年に "Twinkle, twinkle little star" 「きらきら星」の英語詩をつけた。それが童謡として広まり、さまざまな言語に翻訳され世界中で愛唱されている。さらにフランスの作曲家アダン(1803-1856)は喜歌劇「闘牛士」の中に「ああ、お母さん聞いて」をアリアと変奏曲として取り入れた。日本では1914年(大正 3年)に共益社書店発行の「英語唱歌教科書巻一」に近藤逸五郎(朔風)(1880-1915)訳詞で掲載された。その後多くの日本語訳詞が出ている。

 (1)フリーダ・ヘンペル(ソプラノ)デ・フリース(フルート助奏) Gramophone Monarch Record 033114(Fr)1911年2月4日ベルリン録音(機械式録音)
 フリーダ・ヘンペル(1885-1955)はライプツィヒ生まれ。ベルリンのシュテルン音楽院で学び、1905年にシュヴェリンでデビューした。ベルリン宮廷歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場、シカゴ歌劇場に所属した。

 (2)アメリータ・ガリ=クルチ(ソプラノ)クレマン・バローン(フルート助奏) VICTROLA 74734(U.S.)1921年9月8日キャムデン録音(機械式録音)フランス語歌唱
 アメリータ・ガリ=クルチ(1882-1963)はイタリア、ミラノ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。ローマのコンスタンツィ劇場でリゴレットのジルダ役で注目される。アメリカに渡り、シカゴ歌劇場、メトロポリタン歌劇場で絶賛された。
 1930年頃に喉を傷め手術を受けたが回復せず、1936年に引退した。

 (3)アンナ=マリア・グリエルメッティ(ソプラノ)  オーケストラ伴奏 COLUMBIA J5120(JP)1928年5月11日 電気録音  イタリア語歌唱
 アンナ=マリア・グリエルメッティ(1895?-1982)は1915年頃デビュー、ヨーロッパ各地で歌ったあと1927年コヴェントガーデンにゲスト出演した。イタリアCOLUMBIAに7枚の録音を残した。これは日本コロムビアから戦前発売された一枚。

 (4)アダ・サリ(ソプラノ)カール・アルヴィン指揮管弦楽団 GRAMOLA ES459(Czechoslovakia)1928年11月8日録音(電気録音)イタリア語歌唱
 アダ・サリ(1886-1968)はポーランドのオペラ歌手、女優で教育者。20世紀前半に彼女はヨーロッパの歌劇場やコンサート・ホールのステージで絶賛された。
 ウィーンやミラノで声楽を学んだ後、ローマでデビュー。ヨーロッパ各地の舞台を踏んだ後、南米杜北米で名声を高めた。その後ワルシャワに戻り教育者に専念し1968年に没した。1985年以来「アダ・サリ声楽コンクール」が開かれている。

 (5)ミリッツァ・コリュス(ソプラノ)J ・ミュラー指揮ベルリン放送 ORCH.HMV C2688(U.K.)same as ELECTROLA EH-876(Germany) 1934年3月ベルリン録音(電気録音)ドイツ語歌唱
 ミリッツァ・コリュス(1909-1980)はポーランド生まれのエストニアのコロラトゥーラ・ソプラノ。1930年代に「ベルリンのナイチンゲール」と呼ばれヨーロッパで屈指のコロラトゥーラ・ソプラノだったが、後にアメリカに移住し映画にも出演した。映画「グレート・ワルツ」で1938年度アカデミー助演女優賞を受賞した。

 (6)ルネ・ドリア(ソプラノ)タッソー・ヤノプロ(ピアノ)フルート助奏付
 PATHE PD114(France)1949 年パリ録音(電気録音)フランス語歌唱ルネ・ドリア(1921-)はフランスのペルピニャン生まれのソプラノ。1947年にパリ・オペラ座で「魔笛」の夜の女王でパリ・デビュー。これはドリアの初録音の中の一枚。LP時代になって数多くのオペラ全曲盤に出ている。
 ピアノのタッソー・ヤノプロ(1897-1970)はエジプト生まれ。フランスに帰化しピアノ伴奏者としての地位を確立した。ティボー、ヴァラン、シェリング、フルニエ、トルトリエ等の伴奏者をつとめた。

 (7)鈴木鎭一(ヴァイオリン)古畑歌子(ピアノ)(Bonus Track)
 日本コロムビア AK260  1953年頃録音レーベルに「才能教育研究会編」「鈴木鎭一ヴァイオリン指導曲集レコード」とある。鈴木鎭一(1898-1998)はヴァイオリン奏者で音楽教育者。ベルリン高等
 音楽院教授カール・クリングラー(1871-1971)の個人指導を受けた。スズキ・メソードの創始者。

 
78CDR-3825
\1429+税
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
 ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番イ短調作品37
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団

 米RCA VICTOR 12-0381/2 1947年11月8日ロンドン録音

 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はこの曲を2度録音している。これは第1回目の録音。ハイフェッツはロシア生まれ。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。ロシア革命を機にアメリカに移住し、青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。このシリーズでヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番(78CDR-3791)も出ている。指揮者のサー・マルコム・サージェント(1895-1967)はイギリスの指揮者。SPレコード時代に多くの録音を残した。1954年に来日し、NHK交響楽団を指揮している。

 
78CDR-3826
\1429+税
ハンス・ヘルマン・ディーナー(ヴァイオリン)
 J.S.バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
ハンス・ヘルマン・ディーナー(ヴァイオリン)
シャルロッテ・ハンペ(ヴァイオリン)
コレギウム・ムジクム(ノイペルト製チェンバロ)

 独 ELECTROLA EH1217/8 1938年5月20日ベルリン録音

 ハンス・ヘルマン・ディーナー(1897-1955)はドイツのヴァイオリニスト。ベルリン高等音楽院教授で、古楽器奏法の草分け的存在。シャルロッテ・ハンペ(1910-1983)はディーナーの弟子の女流奏者。ディーナーはバッハ時代の演奏スタイルを探究するためにコレギウム・ムジクムを設立した。この曲の第1楽章(ヴィヴァーチェ)の快速調演奏は耳を奪われる。ディーナーはこの録音に先立ってJ.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080を独 ELECTROLA EH1007/16のSPレコード10枚セットを出していた。こちらはシェルマンSH-1016 のCD復刻が出ている。

 

<2021/1 紹介新譜>

78CDR-3821
\1429+税
機械式録音盤(電気式録音以前)を含む復刻音源 20世紀初頭に活躍した名歌手による
 「ホーム・スイート・ホーム」(埴生の宿  はにゅうのやど)
  1905年-1928年録音

 「ホーム・スイート・ホーム」(埴生の宿)はイギリスの作曲家、サー・ヘンリー・ロウリー・ビショップ(1786-1855)が1823年に作曲した歌劇「ミラノの乙女クラリ」の中で歌われた。作詞はアメリカ人のジョン・ハワード・ペイン(1791-1852)。このメロディは作曲者がオペラに取り入れた以前に他の歌詞をつけてシチリア民謡として発表していたため民謡として知られていたが、ビショップの作曲、ペインの作詞であることが後に明らかになった。日本語版の「埴生の宿」は1889年(明治22年)に文部省「中等唱歌」に選定された。訳者は里見義(さとみただし 1824-1886)。


 (1)ネリー・メルバ(ソプラノ) HMV DB351(U.K.) 1905年9月5日ロンドン録音(機械式録音)
 ネリー・メルバ(1861-1931)はオーストラリアのリッチモンド生まれ。メルボルンで声楽を学んだ後ヨーロッパに渡った。パリで声楽を学び直した後パリやブリュッセルで成功を収め、1888年からロンドンのロイヤル・オペラで主役をつとめるようになった。1904年からイギリスのグラモフォン&タイプライター社(G&T)への録音を開始し、この録音は2年目の1905年のもの。

 (2)アルマ・グルック(ソプラノ) VICTOR 74251(U.S.) 1911年10月21日キャムデン録音(機械式録音)
 アルマ・グルック(1884-1938)はルーマニアのブカレスト生まれ。若い頃アメリカに渡り、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で成功をつかんだ。レコーディング・アーティストとしてアメリカ国内で多くの演奏会を開いた。レオポルド・アウアー(1845-1930)門下の名ヴァイオリニスト、エフレム・ジンバリスト(1889-1985)と結婚し2子をもうけた。息子のエフレム・ジンバリスト・ジュニア(1918-2014)は有名なテレビ俳優で、孫のステファニー・ジンバリスト(ジュニアの娘1956-)は世界的に人気の女優。

 (3)原信子(ソプラノ)&澤田柳吉(ピアノ) NIPPONOPHONE 2309(JP) 1913年頃録音(機械式録音)
 原信子(1893-1979)は大正から昭和にかけて活躍したオペラ歌手。青森県八戸市出身。1903年から三浦環(1884-1846)に師事。東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)に入学したが中退。その後、滞日外国人声楽家アドルフォ・サルコリ(1867-1936)に師事して声楽を修め、外遊のために退団した三浦環の後任とした帝国劇場歌劇部に入った。1918年に原信子歌劇団を結成、浅草でオペレッタを上演、田谷力三、藤原義江らと共に浅草オペラの一時代を築いた。1919年突然引退宣言、渡米してマンハッタン・オペラに出演した。その後イタリアに留学し、プッチーニやマスカーニの知遇を得た。1928年から1933年まで日本人で初めてミラノ・スカラ座に所属した。1934年に帰国してから、歌劇研究所を主宰してオペラ運動に尽力をつくした。ピアノの澤田柳吉(1886-1936)は東京生まれ、東京音楽学校ピアノを学んだ。ラッパ吹き込み時代にベートーヴェンの「月光」ソナタの録音もあった。

 (4)ハルダ・ラシャンスカ(ソプラノ) COLUMBIA 49339(U.S.) 1918年3月13日録音(機械式録音)
 ハルダ・ラシャンスカ(1893-1974)はニューヨーク生まれ。マルセラ・ゼンブリッヒ(1858-1935)に師事した。1910年にワルター・ダムロッシュ指揮のニュヨーク・フィルの演奏会でリストのローレライを歌い称賛された。この録音は1918年1月24日にエオリアンホールでの初リサイタルの直後に行われたもの。

 (5)ローザ・ポンセル(ソプラノ) COLUMBIA 49935(U.S.)  1921年頃録音(機械式録音)
 ローザ・ポンセル(1897-1981)アメリカのソプラノ。1920年代から30年代にニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍し、アメリカの生んだ最も偉大なソプラノの一人とされている。

 (6)アメリータ・ガリ=クルチ VICTOR VE1001A(JP)  1928年5月16日ニューヨーク録音(電気録音)
 アメリータ・ガリ=クルチ(1882-1963)はイタリアのミラノ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。1906年トラーニで「リゴレット」のジルダ役でオペラ・デビュー。以降20世紀初頭の最も偉大な女性声楽家の一人に数えられている。

 
78CDR-3822
\1429+税
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93 パウル・ファン・ケンペン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

 独 POLYDOR 67662/4 1941年10月4日ベルリン録音

 パウル・ファン・ケンペン(1893-1955)はオランダ生まれ。アムステルダム音楽院で指揮法とヴァイオリンを学びコンセルトヘボウ管弦楽団の第2ヴァイオリン奏者としてキャリアをスタートした。1932年にドイツ国籍を取得し、1933年に指揮者としてデビューした。1934年にはドレスデン・フィルハーモニーの音楽監督に就任し、1942年から1944年までカラヤンの後任としてアーヘン市立歌劇場の音楽監督をつとめた。大戦後は祖国オランダに活動の場を移したが、戦時中のナチス政権とのかかわりが尾を引き不幸な中アムステルダムで没した。ケンペンはこの録音の他SPレコードにベートーヴェンの交響曲第2番、第5番(ドレスデン・フィル)(Polydor)、LPレコードに第3番「英雄」、第7番(ベルリン・フィル)(PHILIPS)、チャイコフスキーの交響曲第5番、第6番「悲愴」(アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)(PHILIPS)を残した。

 
78CDR-3823
\1429+税
モーツァルト:交響曲第28番ハ長調 K.200 フリッツ・シュタイン教授指揮
ベルリン大学器楽合奏団

 独 ELECTROLA EH 1047/8 1937年5月ベルリン録音

 フリッツ・シュタイン(1879-1961)はドイツの指揮者、神学者で教会のオルガン奏者。イエナの図書館でベートーヴェンの若い頃の作品と思われる「イエナ交響曲」の楽譜を見つけ出版したが、後に間違いと判明した。彼は1919年から1933年の長期に渡りキール大学で音楽教授として教鞭をとり、ナチス政権の下ではユダヤ人関連音楽の排斥に尽力した。そのため、戦後は失職し1961年世を去った。ナチス協力者の音楽家の一人。だがこの録音は英HMVや米VICTORでも発売されていた。

 




<2020/12 紹介新譜>
78CDR-3818
\1429+税
機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
 20世紀初期に活躍した名歌手による「夏のなごりのばら」(庭の千草)
  1907-1928年録音
(1)マルセラ・ゼンブリッヒ(ソプラノ)
(2)ルイーザ・テトラツィーニ(ソプラノ)
(3)グレーテ・シュテュックゴルト(ソプラノ)
(4)アメリータ・ガリ=クルチ(ソプラノ)


 「夏のなごりのばら」(庭の千草)はアイルランドの詩人トーマス・ムーア(1779-1852)がアイルランドの民謡に詩をつけて1805年に発表した。この美しいメロディはドイツの作曲家フリートリヒ・フォン・フロトー(1812-1883)の歌劇「マルタ」のアリアにとり入れれた他、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、パガニーニ等も編曲や変奏曲に使った。日本では1884年(明治17年)に文部省唱歌に選定された。翻案は里見義(さとみただし 1824-1886)。当初のタイトルは「菊」だったが、歌詞の冒頭の「庭の千草」がいつしか曲名になり、唱歌のひとつとして広く親しまれた。

 (1)VICTOR 88102(U.S.) 1907年10月9日キャムデン録音(機械式録音)
 マルセラ・ゼンブリッヒ(1858-1935)はポーランド生まれ。幼少の頃父親からヴァイオリンとピアノを学び、10歳でレンベルグ音楽院に入った。1877年オペラ・デビューをして、ヨーロッパ各地を回り、1883にアメリカに渡りメトロポリタン歌劇場にデビューした。1907年にVICTOR社で録音を始めた。この録音は彼女の最初期ものだが、録音時彼女は49歳だった。

 (2)VICTOR 6343A(U.S.) 1911年3月15日キャムデン録音(機械式録音)
 ルイーザ・テトラツィーニ(1871-1940)は国際的に名声を得たイタリアのソプラノ。フィレンツェに生まれ3歳から歌いはじめたと伝えられる。1890年フィレンツェでマイアベーアの歌劇「アフリカの女」のイネス役でオペラ・デビュー。その後ヨーロッパと南北アメリカで大成功し、レコードも1904年から1920年にかけて数多く吹き込まれた。すべて機械式録音。引退後は後進の指導にあたった。

 (3)VOX 02117B(Germany) Matrix:1218A
 グレーテ・シュテュックゴルト(1895-1977)はロンドン生まれ。1927年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場でワーグナーの歌劇「ニュルッンベルクのマイスタージンガー」のエヴァ役でデビューし、1929年にはベルリンでパウル・ヒデミット(1895-1963)のオペラ「今日のニュース」の初演で主役をつとめた。ドイツのVOXレコードは1921年にベルリンで設立された。1924-25年頃ウェスタン・エレクトリックとは別の方式の電気録音(おそらく米ブランズウィックの開発した "ライト・レイ" 式電気録音と思われる)を始めたと伝えられるが1926年に倒産した。これはそのライト・レイ式電気録音と思われる。

 (4)VICTOR VE1001B(JP) 1928年9月5日N.Y. 録音(電気録音)
 アメリータ・ガリ=クルチ (1882-1963)はイタリアのミラノ生まれのコロラトゥーラ・ソプラノ。1906年トラーニで「リゴレット」のジルダ役でオペラ・デビュー。以降20世紀初頭の最も偉大な女声声楽家の一人に数えられている。ガリ=クルチは1917年の機械式録音でこの曲を録音していたが、これは電気録音初期の吹き込み直し盤。

 
78CDR-3819
\1429+税
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
 独COLUMBIA DWX1326/1328 1929年録音
ブルーノ・ワルター指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)は生涯に交響曲第40番K.550を3回正規録音したが、これは最初のもの。このドイツ盤オリジナルSPレコードからの復刻は、ワルター・ファンに贈る最上のプレゼント。

 
78CDR-3820
\1429+税
コレッリ(モギレフスキによる新版):
 ヴァイオリン・ソナタ第12番ニ短調「ラ・フォリア」
チャイコフスキー:
 カンツォネッタ(ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35より第2楽章)
  ピアノ伴奏 日本コロムビア JW264/5 1937年頃東京録音
アレクサンドル・モギレフスキー(ヴァイオリン)

 アレクサンドル・モギレフスキー(1885-1953)はロシア(現ウクライナ)のオデッサ生まれ。7歳でヴァイオリンを始めロストフの音楽学校で学んだ後、モスクワに出てヤン・グルジマリに師事した。モスクワでは弦楽四重奏団を組織したり、教員生活を送った後、1922年パリに移住し、ヴァイオリン奏者で名弦楽四重奏団のリーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)とも親交をもった。ロシア系の豊麗な音色に加えてフランス風の洗練された独特の音色を身につけていた。1926年11月初来日、1930年に再度来日してから1953年に亡くなるまで演奏家として、また優れた教師として日本の音楽界に多大な貢献をした。このシリーズでモギレフスキーはヴェラチーニのヴァオリン・ソナタ第8番ホ短調作品2-8、他 (78CDR-3471)が出ている。



<2020/11 紹介新譜>

78CDR-3815
\1429+税
機械式録音(電気式録音以前)の復刻音源
 〜カミン・スルー・ザ・ライ(ライ麦畑を通って/故郷の空)
     20世紀初頭に活躍した名歌手たちによる
(1)ジェラルディン・ファーラー
VICTOR 87005(U.S.)(1907年2月19日キャムデン録音)
(2)メアリー・ガーデン
COLUMBIA A1190(U.S.)(1912年5月17日録音)
(3)ネリー・メルバ
VICTOR 88449(U.S.)(1913年10月4日録音)
(4)アルマ・グルック
VICTOR 64422(U.S.)(1914年3月9日キャムデン録音)
(5)マリオン・タリー(ボーナス)
VICTOR 1146B(U.S.)(1926 年2月2日録音)(電気録音)

 「カミン・スルー・ザ・ライ」(ライ麦畑を通って)はスコットランドの詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)が詞を書き、スコットランド民謡の曲にあてられた。日本では1888年(明治21年)文部省唱歌に選定され、日本語タイトルは「故郷の空」(作詞:大和田健樹 1857-1910)になった。
78CDR-3816
\1429+税
ハイドン:交響曲第86番ニ長調 ブルーノ・ワルター指揮
ロンドン交響楽団
米 RCA VICTOR 12461/3 (英 HMV DB3647/9と同一録音)
1938年9月13日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツの併合されると迫害を避けてフランス、イギリスを経てアメリカに逃れた。この録音はイギリス滞在中に行われたもの。評論家の宇野功芳氏はこの演奏を「ロンドン交響楽団の弦にウィーンのそれのような憧れを湛えた音色とレガートを求め、ダイナミズムの角をとって和やかで情緒的な雰囲気を醸成している」(音楽之友社刊「ブルーノ・ワルター-レコードによる演奏の歩み」から引用)と評している。
78CDR-3817
\1429+税
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11 モーリツ・ローゼンタール(ピアノ)
フリーデル・ヴァイスマン指揮
交響楽団
英 Parlophone E 5307/9 & E 15184/5
1930年5月1日&11月26日ベルリン録音

 ピアノのモーリツ・ロゼンタール(1862-1946)はポーランドのリヴィウ生まれ。1872年にカール・ミクリ(1821-1897)に師事した。ミクリはショパンの弟子で助手をつとめたピアニスト。1878年フランツ・リスト(1811-1886)の門下に入り欧州各地で演奏した。一時ウィーン大学の哲学科で学んだこともある。1888年にボストンでアメリカ・デビュー。1895年にライプツィヒ、ロンドンでも大成功を収めた。1926年から28年にはフィラデルフィアのカーティス音楽院で教鞭をとり、1939年からはニューヨークで自らのピアノ学校を開いて多くの弟子が居た。指揮者のフリーデル・ヴァイスマン(1893-1984)はパーロフォン/オデオン等のレコード会社やヨーロッパの名門オーケストラのハウスコンダクターを務めた人物。上記2回の録音日には音質の違いが聞き取れる。




<2020/10 紹介新譜>
78CDR-3812
¥1429+税
「セントルイス・ルース」第3集 (1944-1958)
 セントルイス・ブルース(W.C. ハンディ)
  (1)ロイ・エルドリッジと彼のトランペット・アンサンブル
   KEYNOTE 607(U.S.) 78rpm 1944年1月24日  N.Y.録音
  (2)ジョニー・マーサー&パイド・パイパーズ(vo)/ポール・ウェストン楽団
   CAPITOL 10062(U.S.) 78rpm 1946年録音
  (3)ジャック・ティーガーデンのビッグ・エイト
   RCA  VICTOR 20-2458(U.S.) 78rpm  1947年3月14日録音
  (4)バークレイ・アレンとリズム・フォー
   CAPITOL 15107(U.S.) 78rpm 1947年録音
  (5)ダニー・ケイ(vo) & ヴィック・シェーン楽団
   DECCA 24401(U.S.) 78rpm  1947年12月10日録音
  (6)テックス・ベネキー楽団
   RCA VICTOR 20-2722(U.S.) 78rpm 1947年12月23日録音
  (7)ジーン・クルーパ・トリオ
   MERCURY 8983(U.S.) 78rpm 1952年3月19日録音
  (8)ジェームズ・ムーディ楽団
   MERCURY 16015(U.S.) 78rpm  1952年6月6日 N.Y.録音
  (9)ペレス・プラド楽団
   RCA VICTOR 20-5820(U.S.) 78rpm  1954年4月1日録音
  (10)ナット・キング・コール (vo) ネルソン・リドル楽団
   CAPITOL EAP-1-993 45rpm 1958年録音 LA録音

 2017年10月に第1集、2019年10月に第2集が出たこのシリーズの第3集で1944年から1958年録音の「セントルイス・ブルース」を10曲選んで収録した。

 
78CDR-3813
¥1429+税
シューベルト:交響曲第8番ロ短調 D.759「未完成」
 日本コロムビアJ8642/4 (英 HMV DB2937/9 と同一録音)
 1935年 5月19&21日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 ブルーノ・ワルター(1876-1962) はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911) と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてフランス、イギリスを経てアメリカに逃れた。この録音はワルターがウィーンを去る 3年前のもの。HMV 録音だが、日本では日本コロムビアが発売権を得ていた。
 復刻には「音のエジソン」MC型カートリッジ(3mil針)コルグのNu1 DSDs録音機を使用した。

 
78CDR-3814
¥1429+税
ブルッフ:スコットランド幻想曲 作品46
 米 RCA VICTOR 12-0011/3
 1947年9月12日ニューヨーク録音
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ウィリアム・スタインバーグ指揮  
RCA ヴィクター管弦楽団
スタンリー・チャルプカ(ハープ)

 ※第4面(トラック4)は盤面キズのノイズが入ります
 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987) はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939) に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中で日本に立ち寄ったと伝えられる。アメリカ移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリニストとして崇められた。ハイフェッツは生涯に2度「スコットランド幻想曲」を録音しているが、これは第1回目のもの。指揮者のウィリアム・スタインバーグ(1899-1978) はドイツ生まれのユダヤ系指揮者。1933年ナチスによりフランクフルト歌劇場から追われ、1936年にパレスチナに移住、パレスチナ交響楽団 (現イスラエル・フィル) の指揮者になった。大戦後はアメリカで活躍し、ピッツバーグ交響楽団、ボストン交響楽団の音楽監督をうとめた。
 復刻には「音のエジソン」MC型カートリッジ(3mil針)コルグのNu1 DSDs録音機を使用した。

 



<2020/9 紹介新譜>

復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3809
\1429+税
ベートーヴェン:交響曲第2番ニ長調作品36 エーリヒ・クライバー指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
独 POLYDOR 66905/8
(1929年5月録音)
トラック(1)途中キズ
トラック(6)途中ボコ・ノイズと音崩れがあります。

 エーリヒ・クライバー(1890-1956)はウィーン出身の20世紀前半を代表する指揮者の一人。指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)は息子。プラハ・カレル大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び1911年に指揮者デビュー。1923年にレオ・ブレッヒ(1871-1958)の後任としてベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935年に妻と当時5歳のカルロスらとアルゼンチンに移住した。1939年に市民権を得て、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後ヨーロッパに戻り、イギリス・デッカ社の専属になり各地の客演指揮者として活躍した。クライバーはこのシリーズでベートーヴェン:「田園」(1948年ロンドン響)(78CDR-3686)とチャイコフスキー:第4番(1949年パリ音楽院管)(78CDR-3518)が出ている。
.
78CDR-3810
\1429+税
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番ハ長調作品102-1 パブロ・カザルス(チェロ)
ミエチスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
豪 HMV DB3065/6
1936年11月28日ロンドン、EMI スタジオ録音

 パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレル生まれたチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリにデビュー、1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成、1904年にバッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1908年ラムルー管弦楽団で指揮者デビューした。レコード録音は機械式録音時代の1915年から始め、バッハの無伴奏チェロ組曲第3番から 4曲、「G線上のアリア」ほか小品を18面録音した。ピアノのミエチスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド出身。99歳までステージに立った伝説のピアニスト。カザルスの第1回目のベートーヴェン: チェロ・ソナタ全集では第3番以外のピアニストを務めた。
.
78CDR-3811
\1429+税
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番ロ短調作品58 パーシー・グレインジャー(ピアノ)
英 COLUMBIA L1695/7
1925年6月10-11日ロンドン録音
(英 COLUMBIA の "L"シリーズで発売された最初の電気録音)

 パーシー・グレインジャー(1882-1961)はオーストラリア生まれのピアニストで作曲家。1892年7月、10歳の時首都メルボルンで演奏会を開いた。1895年5月(13歳)の時に母親と共にドイツのフランクフルトに行き、ピアノと作曲を学んだ。1901年19歳のときロンドンに行き才能が開花した。1907年にはノルウェーの作曲家グリーク(1943-1909)と交友を持った。グリークの指揮グレインジャーのピアノでグリーグのピアノ協奏曲のツアーを計画したがグリーグの死で実現しなかった。1918年アメリカの市民権を得て、1932年からニューヨーク大学の音楽学部長つとめ、1938年にグレインジャー博物館が開館した。晩年エレクトリック・シンセサイザーの開発にも手をそめた。これはおそらくこの曲の世界初録音。


<2020/8 紹介新譜>

復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグノNu 1 DSD録音機を使用した。

78CDR-3806
\1429+税
※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
20世紀初頭に活躍した名歌手による「フォスター:故郷の人々(スワニー川)」

(1)ネリー・メルバ、ランドン・ロナルド(ピアノ)
英 HMV DA337(1905年9月4日録音)
ネリー・メルバ(1861-1931)はオーストラリア生まれ。ヨーロッパに渡り成功を収め、その後ニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも大成功を収めた。録音された1905年は明治38年で日露戦争の年だった。

(2)エマ・カルヴェ
米 VICTOR 88089(1907年4月22日録音)
エマ・カルヴェ(1858-1942)はフランス生まれのソプラノ歌手。1893年からニューヨークのメトロポリタン歌劇場に出ていた。

(3)アリス・ニールセン
米 COLUMBIA D17705(1910年11月22日録音)
アリス・ニールセン(1872-1943)はブロードウェイ・ミュージカルの大スター。自らのオペラ団を持っていた。

(4)アルマ・グルック、エフレム・ジンバリスト(ヴァイオリン)
米 VICTOR 87514(1914年11月15日録音)
アルマ・グルック(1884-1938)はルーマニア出身のソプラノ。ドイツで活躍した後アメリカに移住、成功をとげた。名ヴァイオリニストのエフレム・ジンバリストと結婚した。息子に俳優のエフレム・ジンバリスト・ジュニア、孫に女優のステファニー・ジンバリストがいる。これは夫君ジンバリストのヴァイオリン助奏付き(ドヴォルザークのユモレスク)。

(5)エルネスティーネ・シューマン=ハインク
米 VICTOR 6277(1918年7月29日キャムデン録音)
エルネスティーネ・シューマン=ハインク(1861-1936)はプラハ近郊の小都市リーベンの生まれ。1877年グラーツでデビュー。その後ドイツ、英国、ニューヨークの歌劇場で大活躍。1921年(大正10年)に来日し、帝国劇場でリサイタルを開いた。

(6)クララ・バット
英 COLUMBIA 7170(1917年録音)
クララ・バット(1872-1936)は英国のコントラルト歌手。1931年(昭和6年)2月に来日し、コロムビアに北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「チンコロ子犬」(J4008)を録音した。デイムの称号を持つ。

(7)ローザ・ポンセル
日本コロムビア J7002(米 COLUMBIA 499934と同一録音)(1921年頃録音)ローザ・ポンセル(1897-1981)はアメリカのソプラノ。1920年代から30年代にかけてニューヨークのメトロポリタン歌劇場を中心に活躍した。アメリカの生んだ最も偉大なソプラノの一人。


 この曲は1851年に楽譜が出版された。旅芸人一座のクリスティ・ミンストレルズが演奏するために書かれたもので、作曲者のフォスターは15ドルの著作権料を受け取って売り渡したと伝えられる。だが楽譜は大ヒットし、多くの著名歌手が歌い録音を残した。その一部をここに集めた。
.
78CDR-3807
\1429+税
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」 フェリックス・ワインガルトナー指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
英 COLUMBIA L1880/3
1927年1月28-29日、ロンドン録音

 フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリアの大指揮者。
 ライプツィヒ大学で哲学を専攻するが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。1855年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にマーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。ワインガルトナーは1924年のラッパ吹き込みを含めて生涯4回「運命」交響曲を録音したが、これは1927年の第2回目の録音。1927年はベートーヴェン没後100年記念だった。
.
78CDR-3808
\1429+税
ヴィエニャフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22
フンメル(ハイフェッツ編):ロンド変ホ長調作品11
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
アルパド・サンドール(ピアノ)(フンメル)
英 HMV DB2447/9
1938年3月18日ロンドン録音

 ヴィエニャフスキはポーランド出身のヴァイオリニスト。
 8歳でパリ音楽院に入り13歳で演奏家としたデビューした。ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中で日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年からニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の指揮者をつとめた。




<2020/7 紹介新譜>


復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用。
78CDR-3803
\1429+税
フルトヴェングラー指揮
 モーツァルト:セレナード第10番変ロ長調 K.361(370a)「グラン・パルティータ」
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の管楽器ソリスト達
英 HMV DB6707/11
1947年11月10、19、26日&12月3日
ウィーン、ムジークフェライン、ブラームスザール録音
 ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)はドイツの大指揮者。
 これはフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(HMV DB6741/7、復刻78CDR-3369)と同時期に録音された。
 それは原盤番号が「英雄」と入り組んでいるからだ。録音場所のブラームスザールはムジークフェラインの中にある室内楽用の小ホール。
 「英雄」の録音中に13人の管楽器奏者をここに移動させて録音したものと推測する。
 78CDR-3369「英雄」のカードに記載の原盤番号と比較参照されたい。
.
78CDR-3804
\1429+税
エリー・ナイ三重奏団
 ベートーヴェン:
  ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」
  ピアノ三重奏曲第3番ハ短調作品1-3よりメヌエット
エリー・ナイ三重奏団
 エリー・ナイ(ピアノ)
 マックス・シュトループ(ヴァイオリン)
 ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
英 HMV DB4587/90
(1938年ベルリン録音)

 エリー・ナイ(1882-1968)、マックス・シュトループ(1900-1966)、ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はナチス・ドイツの時代に活躍した非ユダヤ系の奏者による三重奏団。
 三重奏団は1936年頃結成された。このシリーズでエリー・ナイとルートヴィヒ・ヘルシャーによるシューベルト:アルペジョーネ・ソナタ(78CDR-3653)とマックス・シュトループのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(カール・ベーム指揮)(78CDR-3125)が出ている。
.
78CDR-3805
\1429+税
モーリス・マレシャル(チェロ)
 ルイ・ド・ケ=デルヴロワ(ド・ベロン編曲):チェロとピアノための組曲
 C.P.E.バッハ:チェロ協奏曲第3番イ長調 Wq.172 より Largo mesto
モーリス・マレシャル(チェロ)
ジャン・ドワイアン(ピアノ)
仏 COLUMBIA D15221/2
1929年頃録音

 ルイ・ド・ケ=デルヴロワは18世紀フランスのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。オルレアン公の宮廷音楽家として活躍した。
 チェロのモーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。1911年にパリ音楽院を一等賞で卒業し、第1次世界大戦(1914-1918)に従軍。戦後の1919年にコンセール・ラムルーでソリストとしてデビューした。以来世界中を楽旅し日本にも来訪した。日本コロムビアでの録音もある。
 ピアノのジャン・ドワイアン(1907-1982)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し、1922年に一等賞を得て卒業した。1941年に師のロンの後任としてパリ音楽院教授をつとめ1977年に退任した。レコード録音も多い。妹のジネット・ドワイヤン(1921-2002)もピアニストで夫君のジャン・フルニエ(1911-2003)はヴァイオリン奏者で名チェリストのピエール・フルニエ(1906-1986)の実弟。



<2020/6 紹介新譜>


復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用。
78CDR-3800
\1429+税
マーラー:交響曲第4番ト長調 ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
デジ・ハルバン(ソプラノ)(第4楽章)

英 COLUMBIA LX949/54(米COLUMBIA 11213/8D と同一録音)
1945年5月10日ニューヨーク録音

 ソプラノのデジレ・ハルバン(1912-1996)はウィーン生まれ。母親はラッパ吹き込みのSPレコードに150枚を越える録音を残した名ソプラノ、ゼルマ・クルツ(1874-1933)。父親はウィーン大学医学部教授のヨゼフ・ハルバン。
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。
 この録音は日米戦争終戦の直前の5月に行われた。
78CDR-3801
\1429+税
シューベルト:交響曲第7番ロ短調(旧第8番)D.759 「未完成」 ヨハネス・シューラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

独 IMPERIAL 014042/4
1941年6月12日ベルリン録音

 ヨハネス・シューラー(1894-1966)はドイツの指揮者。ノイマルク地方のヴェッズ(現在ポーランドのウィトニカ)の生まれ。ベルリン高等音楽院卒業後、グライヴェッツ、ケーニヒスベルク、ハノーファー市立歌劇場で修行を重ね、1932年オルテンブルク歌劇場の音楽監督になった。さらに1933年からエッセン歌劇場の指揮者となり、1936年から1949年までベルリン国立歌劇場の指揮者をつとめた。その後ハノーファー市立歌劇場の音楽監督になった。
 レコード録音が少ないので今日殆ど知られていないが、第2次世界大戦中の放送録音の復刻CDに名前を見ることができる。
 IMPERIALレコードはドイツとデンマークで販売されていたマイナー・レーベル。
78CDR-3802
\1429+税
メンデルスゾーン:
 交響曲第4番イ長調 作品90「イタリア」
 真夏の夜の夢から結婚行進曲
エットーレ・パニッツァ指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団

カナダ VICTOR 36279/82(伊 LA VOCE DEL PADRONE AW265/68 と同一録音)
(1930年12月&1931年1月録音)

 エットーレ・パニッツァ(1875-1967)はアリゼンチン生まれのイタリアの指揮者、作曲家。イタリア系移民の両親のもとブエノス・アイレスに生まれた。父親がテアトロ・コロンのチェリストで、幼少から音楽教育を受けて育った。その後、両親の祖国イタリアに渡り、ミラノのジュゼッペ・ヴェルディ音楽院でピアノ、作曲、指揮法を学んだ。卒業後1897年にローマ歌劇場で指揮者デビュー。イタリア各地の歌劇場で活動後、1907年にはロンドンのロイヤル・オペラ・ハウスにデビューし、1914年までイタリア・オペラの指揮をした。さらにニューヨークのメトロポリタン歌劇場でも名声を確立した。1908年にはミラノ・スカラ座でデビュー。トゥリオ・セラフィン(1878-1968)やアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)と並ぶ名声をはくした。1930年代にメトロポリタン歌劇場でのライヴ録音が数多く残されている。
 パニッツァの交響曲録音は大変少ないのが不思議だ。




<2020/5 紹介新譜>



復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用。
78CDR-3797 ブルーノ・ワルター指揮
 ハイドン:交響曲第96番ニ長調「奇跡」
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 米 RCA VICTOR 13856/8(英HMV DB3282/4と同一録音)
 (1937年5月5日ウィーン、ムジークフェライン録音)

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルク歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い親交を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルやベルリン・フィルも指揮した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーン・ムジークフェラインの美しい残響をを伴ったオーケストラの音色が楽しめる。
 ワルターとウィーン・フィルの演奏はこのシリーズでハイドン:「軍隊」(78CDR-3554)、モーツァルト:「ジュピター」(78CDR-3611)、ベートーヴェン:「田園」(78CDR-3371)、ブラームス:交響曲第3番(78CDR-3733)が出ている。

.
78CDR-3798 マルセル・モイーズ(フルート)
 ドップラー:ハンガリー田園幻想曲 作品26
マルセル・モイーズ(フルート)
ルイ・モイーズ(ピアノ)

日 COLUMBIA J2575/6 (英COLUMBIA DB1630/31と同一録音)
1934年 5月24日ロンドン録音

 マルセル・モイーズ(1889-1984)はフランスのフルート奏者。14歳でパリ音楽院に入りポール・タファネルのクラスで学び3年後に一等賞を得てデビュー・リイタルを開いた。その後も師のタファネルとフィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事して研鑽を積んだ。1932年から1940年までパリ音楽院教授、1946年から48年までジュネーヴ音楽院での教授をつとめた。戦後、日本でも教育を行った。

 ピアノのルイ・モイーズ(1912-2007)はマルセルの息子でパリ音楽院で父にフルートを師事した。ピアニスト、作曲家でもある。

 ドップラ(1821-1883)はフルート曲で有名なハンガリーの作曲家。18歳でブダペスト歌劇場の首席フルート奏者になり、後にウィーン音楽院の教授もつとめた。
.
78CDR-3799 機械式録音盤 (電気式録音以前) の復刻音源
 エレナ・ゲルハルトAEORIAN VOCALION全録音集
死とおとめ(シューベルト
待ちながら(グリーグ)
くるみの木−ミルテの花(シューマン)
セレナード(R.シュトラウス)
魔王(シューベルト)
野の寂しさ(ブラームス)
音楽に寄す(シューベルト)
サフォー頌歌(ブラームス)
あすの朝(R.シュトラウス)
ミューズの子(シューベルト)
甲斐なきセレナード(ブラームス)
チェチーリエ(R.シュトラウス)
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
アイヴァー・ニュートン(ピアノ)
ハロルド・クラックストン(ピアノ)

1923年 3月23日ロンドン録音 Recorded 23 March 1923, London
1924年 5月29日ロンドン録音 Recorded 29 May 1924, London

 大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961) が英国エオリアン・ヴォカリオンに録音した全曲を集めた。録音時は電気録音が始まる直前の時期。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生の時、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを特別に認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音はニキシュのピアノで1907年から始まった。

 ゲルハルトはこのシリーズで、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う(78CDR-3496)、シューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566) 、シューマン「女
の愛と生涯」(78CDR-3631)、シューベルト:リサイタル(78CDR-3642)が出ている。


尚、「音楽に寄す」〜「チェチーリエ」に入っている雑音は録音に使用された電気モーターの回転音と思われる。




<2020/4 紹介新譜>


復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用。
78CDR-3794 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番ハ長調 作品26 セルゲイ・プロコフィエフ (ピアノ)
ピエロ・コッポラ指揮
ロンドン交響楽団

英 HMV DB1725/7
1932年6月28日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音

 プロコフィエフは1891年、帝政ロシア時代のウクライナに生まれ、13歳でサンクトペテルブク音楽院に入り作曲・ピアノを学んだ。1918年ロシア革命を機にシベリア鉄道に乗り日本経由でアメリカに行き、その後西ヨーロッパで活躍し1933年に祖国に復帰した。この録音は西欧滞在時代の最後の頃にロンドンで行われた。
 作曲者自身のピアノが聴ける貴重な録音。この曲の第3楽章に作曲者が日本で聴いた「越後獅子」の旋律が出てくるのは興味深い。指揮者のピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。HMV系列の仏GRAMOPHONE社の専属指揮者をつとめ、多くの世界初録音の指揮をした。

 なお原盤番号の末尾の卍印は新たにEMI 社の技術者ブルムレインが開発したMC型カッターを使用した記号。
78CDR-3795 シューベルト:
 ピアノ・ソナタ第14番イ短調作品143 D.784
 レントラー作品18 D.145
リリー・クラウス (ピアノ)

PARLOPHONE 20388/90 (U.K.)
1937年11月23日録音

 リリー・クラウス(1905-1986)はハンガリー生まれの女流ピアニスト。17歳でブダペスト音楽院に入り、ベラ・バルトーク(1881-1945)、ゾルタン・コダーイ(1882-1967)らに師事した。
 1922年ウィーンに赴きウィーン音楽アカデミーでアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)やエドゥアルト・シュトイアーマン(1892-1964)についてさらに研鑽を積んだ。
 1930年代からモーツァルトやベートーヴェンの演奏家として名声をあげ、ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)と共演して各国で評判をとった。戦後はイギリス国籍を取得し、その後アメリカで活躍した。

78CDR-3796 ハイドン:交響曲第94番ト長調「驚愕」 ヤッシャ・ホーレンシュタイン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

日 POLYDOR 40435/7 (独POLYDOR 66914/6 と同一録音)
1929年ベルリン、シューマン・ザール録音
(原録音に電気系ノイズが全体に入っています)

 ヤッシャ・ホーレンシュタイン(1898-1973) はキエフ生まれ。13歳の時家族と共にウィーンに移り、同地で指揮者・作曲家のフランツ・シュレーカー(1878-1934)に師事した。その後ベルリンに移りヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の助手になった。
 これはこの指揮者の最初期の録音。1940年にナチスの迫害を避けてアメリカに移住し国籍を得た。LPの初期に多くの録音を米VOXに残している。

78CDR-3791 ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第4番ニ短調作品31 ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ジョン・バルビローリ指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

米 VICTOR 9813/5(英 HMV DB2444/6 と同一録音)
1935年3月ロンドン録音

 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。
 ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1939)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時にロシア革命を逃れ一家はシベリア経由でアメリカに移住した。その途中日本に立ち寄ったと伝えられる。移住後少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。
 指揮者のジョン・バルビローリ(1899-1970)はイギリス生まれ、1936年から43年にニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者をつとめた。

78CDR-3792 シューマン:女の愛と生涯 ユリア・クルプ(メゾソプラノ)
オットー・バーケ(ピアノ)
ニッチク S-9007/10(独 ODEON xB4983/90と同一録音)
1910年7月1日録音
※機械式録音(電気式録音以前)の復刻音源

 この曲集の世界初録音。
 ユリア・クルプ(1880-1970)はオランダのフローニンヘン生まれ。1896年アムステルダム音楽院に入りコルネリ・ファン・ツァンデンに師事した。クルプはリートを専門にした最初の歌手とされている。この原盤SPは第2次世界大戦中に日本蓄音機商会(日本コロムビア)から発売された。この大歌手の初録音でもある。原盤は海軍の伊号潜水艦でドイツから運ばれて来たと伝えられる。SP盤には75ページの豪華解説書(野村あらえびす、中村善吉、青木謙幸他)がついていた。

78CDR-3793 ショーソン:交響曲変ロ長調作品20 ピエロ・コッポラ指揮
パリ音楽院管弦楽団
仏 DISQUE GRAMOPHONE DB4953/6
1934年12月3&5日パリ録音

 この曲の世界初録音。
 ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲を学んだ後スカラ座で指揮者としてデビューした。1912年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者をつとめ、1914年にはロンドン、1915年から19年までスカンジナヴィアを転々とした後、パリのDISQUEGRAMOPHONE専属指揮者として活躍した。1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3109)。



<2020/3/6 紹介新譜>
78CDR-3788
\1429+税
シューマン:交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」
 仏 DISQUES GRAMOPHONE DB4936/6
 1933年11月7-8日パリ録音
ピエロ・コッポラ指揮
パリ音楽院管弦楽団

 ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲をんだ後、スカラ座で指揮者としてデビューした。1921年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者を務め、1914年にはロンドン、1915年から19年までスカンジナヴィアを転々とした後パリのDISQUES GRAMOPHONE社専属指揮者になり活躍した。1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3110)。さらにこの「ライン」もこの曲の世界初録音であった。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3789
\1429+税
シューベルト:幻想曲ハ長調  作品15 D.760「さすらい人幻想曲」
 英 HMV DB2276/8
 1934年5月22日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMI のアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。1942年にスイスに戻った。フィッシャーはこのシリーズで多数出ている。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3790
\1429+税
ブラームス:ピアノ四重奏曲第2番イ長調  作品26
 英 HMV DB1849/52
 1932年9月21日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音
ルドルフ・ゼルキン( ピアノ)
ブッシュ弦楽四重奏団のメンバー:
 アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
 カール・ドクトル(ヴィオラ)
 ヘルマン・ブッシュ(チェロ)

 ブッシュ弦楽四重奏団は1913年リーダーのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によってドイツで結成され1939年からアメリカで活動したが1952年にブッシュの死によって消滅した。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)は1922年からアドルフ・ブッシュとデュオを組んで活躍し、1935年にブッシュの娘イレーネと結婚した。ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けアメリカに移住した。
 このシリーズで1942年のアメリカ録音、シューマンピアノ五重奏曲(78CDR-3305)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。



<2020/1/22 紹介新譜>
78CDR-3785
\1429+税
ベルリオーズ:幻想交響曲 作品14 ゼルマー・マイロヴィッツ指揮
パリ交響楽団

英 COLUMBIA LX-372/7(仏PATHE PDT-10/15 と同一録音)
1934年3月14、16&21日 パリ録音

 ゼルマー・マイロヴィッツ(1875-1941)はライプツィヒ音楽院でカール・ライネッケ(1824-1910)とザーロモン・ヤダスゾーン(1831-1902)に学び、その後ベルリンでマックス・ブルッフ(1838-1920)に3年間師事した。その間に指揮者のフェリックス・モットル(1856-1911)に認められ1897年カールスルーエ歌劇場でアシスタントとして抜擢され、1900年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場に同行した。
 アメリカ滞在中にソプラノのヨハンナ・ガドスキ(1872-1932)の伴奏指揮者をつとめた。1905年にヨーロッパに戻りプラハ国立歌劇場から始まりいくもの著名なオペラ劇場で指揮棒をとった。やがてベルリンに定住しベルリン・フィルやブリュットナー歌劇場で指揮者をつとめた(1918-1923)。1933年にナチスの台頭でパリに逃れ、余生をその地で送った。1937年クルト・ヴァイルの「三文オペラ」のフランス初演の指揮をした。またラッパ吹き込み時代からレコード録音を多数手掛けた。
78CDR-3786
\1429+税
モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453 エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団

英 HMV DB 3362/64
1937年5月7日、ベルリン録音

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、J.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲(78CDR-1142/6)の世界初録音を行った。フィッシャーは協奏曲の録音で独奏と同時に指揮をする「弾き振り」の演奏法を現代に復活させた。このシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466やハイドン:ピアノ協奏曲ニ長調作品21(78CDR-3129)が「弾き振り」で聴ける。
78CDR-3787
\1429+税
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310 アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

豪 HMV ED 274/6 (英 HMV DB 3778/80と同一録音)
1939年1月27日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音

 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教えた。その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、世界初のベートーヴェンピアノ・ソナタ全集やピアノ協奏曲全集をHMVに録音した。
 その後ナチスの台頭でスイスに移り、1939年にアメリカに渡った。戦後はスイスに戻って演奏会や録音に活躍した。

復刻には「音のエジソン」 / SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。


<2019/12/27 紹介新譜>
78CDR-3779
\1429+税
ハイドン:
弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64の5「ひばり」
ハンガリー弦楽四重奏団
 ゾルタン・セーケイ(第1ヴァイオリン)
 アレクサンドル・モシュコフスキー(第2ヴァイオリン)
 デーネシュ・コロムサイ(ヴィオラ)
 ヴィルモシュ・パロタイ(チェロ)
英 HMV DB 6390/1
1946年録音

 ハンガリー弦楽四重奏団は1935年にブダペストで結成された。1940年に第2ヴァイオリンのシャーンドル・ヴェーグが退団しアレクサンドル・モシュコフスキーに代わった。
 第2次大戦中はオランダにとどまり作品の分析に没頭し、特にベートーヴェンの弦楽四重奏曲徹底的研究に多くの時間を費やした。
 この録音は大戦直後のもの。その後1950年にメンバーはアメリカ国籍を得て定住した。
78CDR-3780
\1429+税
モーツァルト
 弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」
ブダペスト弦楽四重奏団
 ヨゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
 アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
 イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
 ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
日本ビクター JD165/7(英 HMV DB1863/5と同一録音)
1932年ベルリン録音

 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー4人によって結成され1967年に解散した。
 1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザ-(在籍1917-32)からヨゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。アレクサンダー・シュナイダー(在籍1932-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自らの四重奏団を結成して活躍していた。
 ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1930-67)に代わった。この録音は新メンバーになった直後のもので、ベルリンで録音された。
78CDR-3781
\1429+税
スメタナ
 弦楽四重奏曲第1番ホ短調「わが生涯より」
ショタコーヴィッチ
 弦楽四重奏曲第1番ハ長調作品49より第3楽章
アムステルダム弦楽四重奏団
 ナップ・デ・クライン(第1ヴァイオリン)
 ディック・フォス(第2ヴァイオリン)
 パウル・ゴッドウィン(ヴィオラ)
 マウリッツ・フランク(チェロ)
英DECCA AK1789/92
1947年3月25日ロンドン、デッカ・スタジオ録音

 ナップ・デ・クライン(1909-1979)はオランダ、アムステルダム生まれのヴァイオリニスト。第2次世界大戦直後の英DECCA 社にはこれ以外にベートーヴェン:「ラズモフスキー第2番」(AK1785/8)、ハイドン: 変ホ長調作品33-2(K1793/4)、エティンガー: ユダヤの旋律(K1795)を録音した。デ・クラインはピアニストのアリス・ヘクシュと結婚。デュオを組んで活躍した。また1952年にカレル・ファン・レーウレン・ボームキャン、ヤープ・シュレーダー、パウル・ゴドウィンとオランダ弦楽四重奏団を結成し、PHILIPSやDECCAに数多くの録音を残した。またモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集(ピアノは夫人のアリス・ヘクシュ)もある。
 デ・クイラインは1979年8 月23日ラーレンで死去した。
78CDR-3782
\1429+税
シューマン:交響曲第1番変ホ長調 作品38「春」 ピエロ・コッポラ指揮
ナショナル交響楽団
仏 DECCA GAG2151/4(英 DECCA AK2151/4 と同一録音)
1946年7月11-12日 ロンドン、キングズウェイ・ホール録音
(トラック7&8終結部に原盤のオフセンターによる音揺れあり)

 ピエロ・コッポラ(1888-1971)はミラノ生まれ。生地の音楽院でピアノと作曲を学んだ後、スカラ座で指揮者としてデビューした。1912年から翌年までブリュッセルのモネ劇場の指揮者を務め、1914年にはロンドン、1915年から1919年までスカジナヴィアを転々とした後パリのDISQUE GRAMOPHONE社専属指揮者を務め、主として協奏曲の録音で活躍した。
 1930年にはサン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」の世界初録音を行った(78CDR-3110)。また大歌手フェオドール・シャリアピン(1873-1938)のアメリカ公演に乞われて随行したこともある。
78CDR-3783
\1429+税
J.S.バッハ:
 管弦楽組曲第1番ハ長調 BWV1066
 管弦楽組曲第2番ロ短調 BWV1067
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ室内合奏団
マルセル・モイーズ(フルート)(BWV1067)
英 HMV DB 3012/17
1936年10月27-28日、ロンドン、アビー・ロード EMI第2スタジオ録音

 アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。自らの弦楽四重奏団のリーダーとして活躍する一方、ピアノのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。マルセル・モイーズ(1889-1984)はフランスのフルート奏者。これは前年の1935年に英COLUMBIAに録音されたバッハのブランデンブルグ協奏曲(78CDR-3758/78CDR-3759)に続くブッシュ室内管弦楽団のバッハ・シリーズで、英HMVに録音された。
 驚くことに全曲すべてテイク 1(一回の演奏でOKを出している)で完結している。
78CDR-3784
\1429+税
J.S.バッハ
管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068
管弦楽組曲第4番ニ長調 BWV1069
ブッシュ室内合奏団
音楽監督&リーダー:アドルフ・ブッシュ
英 HMV DB 3018/22
1936年10月27-28日、ロンドン、アビー・ロード EMI第2スタジオ録音

アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。ピアノのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍し、また弦楽四重奏団のリーダーとしても活躍した。これは前年の1935年に英COLUMBIAに録音されたバッハのブランデンブルグ協奏曲(78CDR-3758/78CDR-3759)に続くブッシュ室内管弦楽団のバッハ・シリーズで、英HMVに録音された。驚くことに全曲すべてテイク 1(一回の演奏でOKを出している)で完結している。

復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。




<2019/10/17 紹介新譜>

78CDR-3770
\1429+税
J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第1番ニ短調 BWV.1052
 英 HMV DB4420/22(U.K.)
 1933年1月5日ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。同門にクラウディオ・アラウ(1903-1991)がいる。フィッシャーは1933年4月から1936年6月にかけてJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」(78CDR-1142-46で復刻)をSPレコード32枚に録音した。この大企画開始直前に録音されたこの協奏曲は言わば露払い的存在。フィッシャーは自ら指揮をしながらピアノを弾いている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3771
\1429+税
J.S.バッハ:ピアノ協奏曲第5番ヘ短調 BWV.1056
モーツァルト:コントルダンス  ニ長調 K.534「雷雨」
 米 VICTOR 18028/29(英 HMV DB4679/80と同一録音)
 1938年4月ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー(ピアノと指揮)
フィッシャー室内管弦楽団

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMI のアーティストになりJ.S.バッハの「平均律クラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行った。この録音はその完成2年後のもの。フィッシャーは協奏曲の録音でピアノを弾きながら指揮をする「弾き振り」を現代に復活した。このシリーズでフィッシャーは多数出ている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3772
\1429+税
J.S.バッハ=ブゾーニ編:前奏曲とフーガ変ホ長調 BWV.552
J.S.バッハ:
 半音階的幻想曲とフーガBWV.903
 前奏曲とフーガ第5番ニ長調 BWV.850
  英 HMV DB1991/2(BWV.552)
  英 HMV DB4403/4(BWV.903 & BWV.850)
  1933年4月25日アビー・ロード録音(BWV.552)
  1931年10月ベルリン録音(BWV.903 & BWV.850)
エトヴィン・フィッシャー(ピアノ)

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイスのバーゼル生まれ。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。ベルリン時代、オイゲン・ダルベール(1864-1932)やフェルッチョ・ブゾーニ(1886-1824)と交友があった。ここに収録したブゾーニ編「前奏曲とフーガ BWV.552」は「平均律」録音の初日に指慣らしとして演奏されたようだが(原盤番号がつながっている)、その演奏の気迫に圧倒される。同年から採用されたEMI開発の録音機(原盤番号の末尾に□)も演奏の細部を見事に捉えていると思う。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3773
\1429+税
ブラームス:
 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
  英 DECCA AK2025/8
  1947年7月8日スイス、ジュネーヴ放送局録音
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
エンリコ・マイナルディ(チェロ)
カール・シューリヒト指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

 ヴァイオリンのゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのブレーメン生まれ、第2次世界大戦中ソリストとして活躍する傍らベルリン高等音楽院を1943年までつとめた。1944年スイスのルツェルン音楽院教授となり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とのトリオでも活躍した。マイナルディはイタリア生まれ、ミラノ音楽院でチェロを、ジュゼッペ・ヴェルディ音楽院で作曲を学んだ。後にベルリン高等音楽院でフーゴー・ベッカーに師事し、1933年からベッカーの後を継いでチェロ科の教授になった。カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。
 1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめた。このシリーズでスイス・ロマンド管弦楽団を指揮した1947年録音のベートーヴェン:交響曲第2番(78CDR-3115)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3774
\1429+税
ブラームス:交響曲第3番ヘ長調作品90
 英 HMV C2016/9
 1930年1月15-21日ウィーン録音
クレメンス・クラウス指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 クレメンス・クラウス(1893-1954)はウィーン生まれのオーストリアの指揮者。ウィーン音楽院で作曲家のリヒャルト・ホイベルガーに学ぶ。ドイツ各地のオペラ劇場で研鑽を積んだ後、1929年にフランツ・シャルク(1863-1931)の後任としてウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した。この録音はその直後のもの。
 1935年エーリヒ・クライバー(1890-1956)の後任としてベルリン国立歌劇場の音楽監督に、さらに1937年にはハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)の後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任、1941年からザルツブルク音楽祭の総監督に任命された。第2次大戦後はウィーンに戻ったが、1954年メキシコで楽旅中に世を去った。享年61歳。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3775
\1429+税
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
 英 HMV DB6376/9 (米 VICTOR 12280/3 と同一録音)
 1944年12月4日デトロイト録音
クラウディオ・アラウ(ピアノ)
カール・クリューガー指揮
デトロイト交響楽団

 クラウディオ・アラウ(1903-1991)は南米チリ出身のピアニスト。1911年チリ政府の援助でドイツに留学。ベルリンのシュテルン音楽院で大作曲家でピアノの大家フランツ・リスト(1811-1886)の最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1911)に師事した。1914年ベルリン・デビュー。1925年母校シュテルン音楽院の教授に就任した。1935年からベルリンでバッハとモーツァルトのクラヴィーア曲全曲演奏会を開いた。1941年にカーネギー・ホールにデビュー。本拠をアメリカに移し、RCAにレコード録音を始めた。これはその一枚。その後米COLUMBIA(1946-1950)、英EMI(1950年代)、オランダPHILIPS(1960年代-1980年代)に数多くの録音を残した。

 指揮者のカール・クリューガー(1894-1979)はニューヨーク生まれ。法律と哲学を学ぶためにウィーンとハイデルベルク大学に留学したがその後指揮者の道を志し、アルトゥール・ニキシュ(1855-1922)と知り合い、ニキシュの推薦でウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニーの指揮者フランツ・シャルク(1863-1931)のアシスタンタントとなり経験を積んだ。帰米後はシアトル交響楽団、デトロイト交響楽団などを指揮した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3776
\1429+税
SPレコード復刻「セントルイス・ブルース」第2集(1915-1955)
 プリンス楽団 (G.ヘップバーン・ウィルソン指揮)/1915年12月18日録音(機械式録音)
 オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド & アル・バーナード (vo)/1921年 5月25日録音(機械式録音)
 ベシー・スミス &  ルイ・アームストロング/1924年1月14日録音 (機械式録音)
 ルイ・アームストロング楽団/1929年12月13日録音
 アーロン・シスターズ /1932年8月12日録音
 クリフ・エドワーズとイートン・ボーイズ/1934年10月19日録音
 ラリー・アドラー/1935年録音
 オリジナル・グレン・ミラー楽団/1940年5月15日 Chester Field Shaw ライヴ録音
 ビリー・ホリデイ/1940年10月15日録音
 ジョン・カービー楽団/1942年2月11日録音
 ダイナ・ショア/1946年11月録音
 ラルフ・サットン(ピアノ)/1949年1月22日録音
 バディ・デフランコ(クラリネット)楽団/1951年7月22日録音
 三味線豊吉とビクター・オーケストラ/1953年7月発売
 ジョー・スタッフォード(vo)、ザ・スターライターズ & ポール・ウェストン楽団/1955年録音

 2017年10月に第1集が出てから2年ぶりの第2集である。今回はこの名曲の初レコード録音盤プリンス楽団(1915年12月18日録音)からジョー・スタッフォーとポール・ウェストン楽団(1955年録音)までの40年間に録音された15曲が収録してある。

 
78CDR-3777
\1429+税
ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲ハ長調作品120
 英 HMV DB 3519/25
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)

 1937年10月30日&11月2日、ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)生まれ。1889年7歳でウィーン音楽院に入り1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンでデビュー、1933年までこの地を本拠にした。1932年からロンドンに居を構え、世界初のベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集やピアノ協奏曲全集を録音した。
 これはその中の一曲。その後ナチスの台頭でスイスに移り、1939年にアメリカに渡った。大戦後はスイスに戻り演奏会や録音に活躍した。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用カートリッジ(3mil 針)とコルグNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3778
\1429+税
リスト:パガニーニ大練習曲 S.141 R.3b
 日ニッチク JD 6056/60
 1943年東京録音
レオニード・クロイツァー(ピアノ)

 レオニード・クロイツァー(1884-1953)はドイツと日本で活躍したロシア生まれの名ピアニストで指揮者。両親はユダヤ系ドイツ人。サンクトベテルブルク音楽院でアンナ・エシポワにピアノをアレクサンドル・グラズノフに作曲を学んだ。1906年ライプツィヒに移住、アルトゥール・ニキシュに指揮法を学んだ。
 1921年から1933年までベルリン音楽大学教授。1931年初来日。1933年再来日。近衛秀麿の要請で帰国せず1937年から亡くなるまで東京音楽学校(現東京芸術大学)教授をつとめた。1942年ナチス・ドイツの欠席裁判によってドイツ国籍を剥奪され無国籍となった。1953年10月28日リサイタル中に心筋梗塞をおこし2日後に死去した。これは大戦中の貴重な日本録音。超希少SPレコードの復刻。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用カートリッジ(3mil 針)とコルグNu 1 DSD録音機を使用した。




<2019/9/19 紹介新譜>

78CDR-3767
¥1429+税
ドヴォルザーク:交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」
 独 TELEFUNKEN SK3190/4
 1941年4月アムステルダム録音
ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 この指揮者最高の名演奏。ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年24歳でアムステルダム・コセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年-30年には合併以前のニューヨーク・フィル(後にニューヨーク交響楽団と統合されてニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団となる)の首席指揮者を兼任、レコード録音は機械式録音と電気録音時代のニューヨーク録音は米VICTOR、電気録音初期のコンセルトヘボウとの録音は英COLUMBIAと独ODEON に、電気録音の完成期には独TELEFUNKENに行った。またコンセルトヘボウとの放送録音はLP時代になって蘭PHILIPS から発売された。

 この録音は第2次世界大戦中のものだが、TELEFUNKENの録音技術が当時世界最高だったことを窺わせる見事なもの。原盤SPの盤質も奇跡的に優れている。
 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3768
¥1429+税
ベートーヴェン:交響曲第8番ヘ長調作品93
 独 ELECTROLA DB5639/41
 1941年5月ミュンヘン録音
オズヴァルト・カバスタ指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

 オズヴァルト・カバスタ(1896-1946)はオーストリアの指揮者。ウィーン音楽院で学び、1930年ブルックナーの交響曲第8番を指揮してウィーン・フィルの定期演奏会にデビューした。1931年にはフランツ・シャルクの後任としてウィーン音楽院の指揮科教授になり、1937年ミュンヘンに創立されたミュンヘン・フィルの首席指揮者に任命された。この地位はナチスに入党しなければならないほど政治色の濃い要職で、カバスタは政治指導に従順だった。カバスタは戦後の1946年、ナチスに加担したことで連合国当局に指揮活動を禁止され、それを苦にして妻と共に自殺した。享年50歳。モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」(伝説のモーツァルト第3巻-飛鳥新社刊に収録)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3769
¥1429+税
ブラームス:交響曲第2番ニ長調作品73
 英 HMV C4006/9(デンマークHMV Z-7004/7と同一録音)
 1949年デンマーク録音
フリッツ・ブッシュ指揮
デンマーク国立放送交響楽団

 フリッツ・ブッシュ(1890-1951)はドイツの指揮者。ヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュやチェリストのヘルマン・ブッシュの兄。ケルン音楽院で学んだ後1909年にリガで指揮者デビュー。1912年からアーヘン市立歌劇場、1918年からシュトットガルト、1922年からドレスデン国立歌劇場の音楽監督を歴任。
 1933年ナチスを嫌ってドイツを離れ、南米や北欧を中心に活動する。1934年から死去するまでグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めたが、1937年-1940年までストックホルム・フィルの音楽監督を兼任、1937-1951年までデンマーク国立放送交響楽団の首席指揮者を務めていた。このシリーズで弟のアドルフ・ブッシュと共演したベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲(33CDR-3660)が出て
いる。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 

<2019/7/19 紹介新譜>

78CDR-3764
¥1429+税
ベルリオーズ:幻想交響曲作品14
 英 HMV DB3852/7
 1939年5月19日パリ録音
ブルーノ・ワルター指揮
パリ音楽院管弦楽団

 大指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962)は1938年ナチスのオーストリア併合による迫害を避けてフランスを経由してアメリカに逃れた。この「幻想交響曲」はワルターのヨーロッパ最後の録音で、以降LP時代になっても再録音はなかった。パリ音楽院管弦楽団は木管や金管楽器のソロに独特の輝きがありワルターがこのオーケストラと「幻想交響曲」を録音したことが納得できる。
 SP時代このレコードの日本での発売権はコロムビア・レコードにあったが、原盤が間違ってビクターに送られてきたため、ビクターが発売してしまった事件があった。日本コロムビアはEMI社とレコード製造特許の開放と引き換えにワルターとフルトヴェングラーのEMI録音の日本販売権を得ていた。

 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3765
¥1429+税
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
ハイドン:交響曲第88番ト長調 - 第4楽章
 独 ELECTROLA DB2338/42(英 HMV DB2338/42と同一録音)
 1934年9月3&4日ロンドン、アビーロード、EMI 第1スタジオ録音
セルゲイ・クーセヴィツキー指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

 セルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はロシア生まれのユダヤ系指揮者。モスクワ音楽院で学んだ後、名コントラバス奏者として活躍を始めた。1920年ロシア革命後のポリシェヴィキ政権を嫌ってパリに移住、1924年にボストン交響楽団の常任指揮者に任命されアメリカに移住し、1949年までつとめこのオーケストラを世界的地位に高めた。
 この「運命」は第1回目の録音で、ボストン交響楽団とは大戦後の1949年に録音がある(RCA VICTOR 12-0959/62)。クーセヴィツキーのベートーヴェンは復刻が殆どないため、敢えてこのシリーズに組み込んだ。

 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3766
¥1429+税
故郷の人(スワニー川) - フォスター作品集
 恋人よ窓を開け - ネッド伯父さん - 村の娘 - 夢みる人
 バンジョーをかき鳴らせ - おお、レミュエル - ネリー=ブライ -
 おお友よ私をつれて行って - ルイジアナの美人 - 草競馬
 ネリーはいい娘でした - 金髪のジェニー -
 おお、スザンナ - おいで、愛する人のまどろむところへ
 きびしい時はもうやってこない - アンジェリーナ=ベーカー -
 やさしいアニー - 老犬トレイ - ある人は
 オールド・ブラック・ジョー
 なつかしいケンタッキーのわが家よ
 主人は冷たい土の中に
 故郷の人びと(スワニー川)
  米 VICTROLA 9246/9
  1928年6月13-29日録音
ナサニエル・シルクレット指揮
ヴィクター・サロン・グループ

 ナサニエル・シルクレット(1889-1982)はアメリカの作曲家、指揮者、ピアニスト、クラリネット奏者。1920年代はじめにニューヨーク交響楽団やメトロポリタン歌劇場管弦楽団のクラリネット奏者として活躍、またスーザ吹奏楽団にも参加した。1926年にヴィクターの軽音楽部門の責任者となり多くの録音を残した。
 フォスター Stephen Collins Foster(1826-1884)はアメリカの作曲家で、アメリカのポピュラー・ソングの父と称される。このアルバムは電気録音の初期に登場し、日本でも大ヒットしたもの。戦前蓄音器のあった家庭にはほとんど備えてあったベストセラーアルバム。聞きなれたメロディーが胸にしみる。

 復刻には「音のエジソン」 http://www.otono-edison.com/ SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。


 

<2019/5/8 紹介新譜>

78CDR-3758
\1429+税
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲集-1
 協奏曲第2番ヘ長調 BWV.1047
   ジョージ・エスクデール(tp), マルセル・モイーズ(fl)
   イヴリン・ロスウェル(ob), アドルフ・ブッシュ(vn)
   アドルフ・ブッシュ指揮、ブッシュ室内合奏団
   1935年10月13日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
 協奏曲第1番ヘ長調 BWV.1046
   アドルフ・ブッシュ(vn), イヴリン・ロスウェル(ob)
   オーブリー・ブレイン(horn-1), フランシス・ブラッドレー(horn-2)
   アドルフ・ブッシュ指揮、ブッシュ室内合奏団
   1935年10月17日、ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
 協奏曲第4番ト長調 BWV.1049
   アドルフ・ブッシュ(vn), マルセル・モイーズ(fl-1), ルイ・モイーズ(fl-2)
   アドルフ・ブッシュ指揮、ブッシュ室内合奏団
   1935年10月15日録音
 シチリアーノ(ラルゴ)BWV.1031
   アドルフ・ブッシュ(vn), ルドルフ・ゼルキン(pf)
   1935年11月18日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
  COLUMBIA LX-8197/8203 automatic couplings same as LX436/442(U.K.)

 豪華なソリストを迎えたバッハの名曲。アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。ピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。
 ジョージ・エスクデール(1897-1969)は英国のトランペット奏者。SPレコードにハイドンのトランペット協奏曲(第2と第3楽章のみ)の名録音があった。
 マルセル・モイーズ(1889-1984)はフランスのフルート奏者。第2フルートのルイ・モイーズ(1912-2007)はマルセルの息子。ピアニストでもあった。
 イヴリン・ロスウェル(1911-2008)は英国のオーボエ奏者で名指揮者サー・ジョン・バルビローリ(1899-1970)夫人(1939年結婚)となった。この録音は24歳の時のもの。当時オーケストラではハープ奏者を除いてすべて男性だった時代で女性楽員は珍しかった。
 オーブリー・ブレイン(1893-1955)は名ホルン奏者デニス・ブレイン(1921-1957)の父親。第2ホルンのフランシス・ブラッドレーはオーブリー・ブレインの師アドルフ・ブルスドルフの息子。イングリッシ・ナショナル・オペラのホルン奏者をつとめ1975年に引退した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3759
\1429+税
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲集-2
 協奏曲第5番ニ長調 BWV.1050
   マルセル・モイーズ(fl), アドルフ・ブッシュ(vn), ルドルフ・ゼルキン(pf)
   アドルフ・ブッシュ指揮、ブッシュ室内合奏団
   1935年10月9&15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
 協奏曲第6番変ロ長調 BWV.1051
   アドルフ・ブッシュ指揮、ブッシュ室内合奏団
   1935年10月14-15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
 協奏曲第3番ト長調 BWV.1048
   アドルフ・ブッシュ指揮ブッシュ室内合奏団
   1935年10月10日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音
  COLUMBIA LX-8204/8210 automatic couplings same as LX443/449(U.K.)

 アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1912年20歳の時ウィーンのコンツェルトフェライン(後のウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢され、1918年にはベルリン高等音楽院教授になった。1922年からピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活動した。
 1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住、1939年実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住した。

 マルセル・モイーズはフランスのフルート奏者。パリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)に師事し1906年に一等賞を得た。1932年から1949年までパリ音楽院の教授をつとめる一方、パドルー管弦楽団、パリ音楽院管弦楽団の首席奏者もつとめた。1960年代にはスイス、イギリス、アメリカ、日本で後進の指導にあたった。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3760
\1429+税
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23
 仏 COLUMBIA LFX595/8
 1941年4月17-21日パリ録音
コスチャ・コンスタンチィノフ(ピアノ)
シャルル・ミュシュ指揮
パリ音楽院管弦楽団

 コスチャ・コンスタンチィノフ(1903-1947)はオデッサ生まれのロシア人ピアニスト、作曲家、指揮者。1947年5月30日、43歳の時航空機事故で死去した。18歳の時トルコのコンスタンチノープル、ベルリンを経てパリに定住した。数々の音楽活動後1941年にピアニストとしてこの録音でレコード・デビューした。大戦下ではパリで指揮活動を続けた。

 指揮のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はストラスブール生まれ。生地の音楽院でオルガンを学んだ後、パリ音楽院でリュシアン・カペー(1873-1928)にヴァイオリンを学び、その後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1928)に師事した。1926年ライプツィヒ音楽院の教授に就任、1925年から32年にはゲヴァントハウス管弦楽団のソロ第一ヴァイオリン奏者もつとめ、ブルーノ・ワルター(1876-1962)やヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)のもとで演奏し指揮法も身につけた。パリに戻り1935年から38年にはパリ・フィルハーモニーの指揮者、1938年から45年にはパリ音楽院管弦楽団の指揮者をつとめた。1939年には同音楽院の指揮科教授に任命されされた。大戦後の1949年にボストン交響楽団の正指揮者となり1962年までつとめた。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3761
\1429+税
モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543
 米 DECCA 25007/9(独 Odeon O-6735/7 と同一録音)
 1929年10月1日ベルリン録音
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀の半ばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近いウッパータールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。この録音は電気録音初期のもので、おそらくクナッパーツブッシュの初の交響曲録音と思われる。このシリーズで同時期の録音のベートーヴェン:交響曲第7番(78CDR-3374)、1933年録音のハイドン:交響曲第100番「軍隊」(78CDR-3751)、1941年録音のハイドン:交響曲第94番「驚愕」(78CDR-3401)、大戦中の1943年録音のベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(78CDR-3102)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」 SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3762
\1429+税
ハイドン:交響曲第92番ト長調「オックスフォード」
 米 RCA VICTOR 12974/6 (英 HMV DB3559/61と同一録音)
 1938年5月7日パリ録音
ブルーノ・ワルター指揮
パリ音楽院管弦楽団

 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ生まれの大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。1894年ハンブルグ歌劇場の指揮者だった時、音楽監督のグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーを指揮した。1938年オーストリアがナチスドイツに併合されると、迫害を避けてフランスを経由してアメリカに逃れた。この録音はその途中に立ち寄ったパリでの録音。この翌年パリでベルリオーズ:幻想交響曲(HMV DB3852/7)も録音していた。耳を澄ますとこのオーケストラの木管・金管セクションの妙技が鮮やかに聞こえ
てくる。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3763
\1429+税
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調作品92
 英 COLUMBIA L1480/84
 1923年6月1日ロンドン録音
 ※機械式録音盤(電気録音以前)の復刻音源
フェリックス・ワインガルトナー指揮
ロンドン交響楽団

 フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)はオーストリア生まれの大指揮者。ライプツィヒ大学で哲学を専攻したが、音楽への魅力に惹かれグラーツ、ライプツィヒ、ヴァイマルの各音楽院で学んだ。最初作曲家を志したが生活の安定を求め指揮者に転じた。1885年からドイツ各地の歌劇場を転々としたが、1908年にはグスタフ・マーラーの後任としてウィーン宮廷歌劇場とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した。
 1937年夫人のカルメン・テューダーと来日し夫妻で新交響楽団(現在のNHK交響楽団)と共演した。この録音は機械式録音時代のもの。ワインガルトナーの交響曲録音の最初だった。この録音についてあらえびす(1882-1963)は大正13年(1924年)7月6-7日の報知新聞に電気録音以前のベートーヴェンの九つの交響曲を総括している中で、この7番を「ベートーヴェンの交響曲中こんなによくレコードに入ったのはありません」と吹き込みの良さを誉めていた(野村あらえびす「音楽は愉し」音楽之友社)。
 その後ベートーヴェン:交響曲第8番(英 COLUMBIA L1538/41)、モーツァルト:交響曲第39番(英 COLUMBIA L1569/72)、ブラームス:交響曲第1番(英COLUMBIAL1596/1600)、ベートーヴェン:交響曲第5番(英 COLUMBIA L1640/43)が機械式録音で発売されていた。そして本シリーズの78CDR-3708ベルリオーズ幻想交響曲(1925年10-11月録音)はワインガルトナー初の電気式録音だった。いずれもロンドン交響楽団。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 

 


<2019/3/14 紹介新譜>

78CDR-3749
\1429+税
シューベルト:アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821
 仏 DISQUE GRAMOPHONE L1037/8
 1937年5月4日&9月22日録音
 (一部強音で原盤のオトミゾが削れているところがあります)
ピエール・フルニエ(チェロ)
ジャン・ユボー(ピアノ)

 アルペジオーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもつ弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれ。最初ピアノを学んだが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941年から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。

 1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えて四重奏で活動、さらに1945年にはヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動をした。1954年に初来日、その後何度も日本を訪れた。ジャン・ユボー(1917-1992)は9歳でパリ音楽院に入学を許されピアノをラザール・レヴィに師事し1930年13歳で一等賞を得た。また作曲ではローマ賞次点(1934年)を得ている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3750
\1429+税
ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
  独 ELECTROLA DB5599/5602S
  1940年秋録音
シュトループ弦楽四重奏団
マックス・シュトループ(第1ヴァイオリン)
ヘルマン・フーブル(第2ヴァイオリン)
ヘルマン・ヒルシュフェルダー(ヴィオラ)
ハンス・ミュンヒ=ホーラント(チェロ)

 マックス・シュトループ(1900-1968)はドイツのヴァイオリン奏者。1922年ザクセン国立歌劇場の音楽監督だったフリッツ・ブッシュ(1890-1951)の招きでコンサートマスターに就任。1924年から1928年ワイマール音楽学校のヴァイオリン科教授をつとめ、1928年から1934年までベルリン国立歌劇場のコンサートマスターもつとめた。大戦後の1947年からはデトモルト音楽アカデミーでヴァイオリンと室内楽の指導にあたった。
 シュトループは1936年第一次シュトループ弦楽四重奏団を組織したがその後メンバーが替わり1940年代に入ってこのメンバーになり戦後まで活動を続けた。シュトループはこのシリーズでカール・ベーム指揮のベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3215)が出ている。

 
78CDR-3751
\1429+税
ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」
 英 Parlophone R1537/40
  (独 Odeon O-11848/51 と同一録音)
 1933年4月ベルリン録音
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン大交響楽団

 ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)は20世紀の半ばに活躍したドイツの指揮者。オランダ国境に近いウッパータールに生まれた。ボン大学で哲学を修めた後ケルン音楽学校で指揮法を学んだ。これはドイツOdeonへのスタジオ録音。これはこの名曲の初の全曲録音だった。
 クナッパーツブッシュはこのシリーズでハイドン:交響曲第94番「驚愕」(78CDR-3401)、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」(78CDR-3102)、ベートーヴェン:交響曲第7番(78CDR-3374)が出ている。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3752
\1429+税
ハイドン:交響曲第104番ニ長調「ロンドン」
 英 HMV DB4615/7
 1938年4月11日ベルリン録音
エトヴィン・フィッシャー指揮
フィッシャー室内管弦楽団

 エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)はスイス生まれ。主にドイツで活躍したピアニスト、指揮者で教育者でもあった。ベルリンでリストの最後の弟子だったマルティン・クラウゼ(1853-1918)に師事した。1933年にEMIのアーティストとなり、ハッハの「平均律クイラヴィーア曲集」全曲の世界初録音を行った。

 フィッシャーは協奏曲の演奏ではピアノを弾きながら指揮をする「弾き振り」を現代に復活した。これはフィッシャーが指揮者に専念した唯一のもので大変貴重。この録音の4年後、第2次世界大戦下のウィーンでフィッシャーはハイドンのピアノ協奏曲ニ長調をウィーン・フィルと弾き振りで録音した(78CDR-3129)。
復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3753
\1429+税
ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第7番ヘ長調作品59-1「ラズモフスキー第1番」
  英 COLUMBIA L1837/41
  1926年10月29日&1927年3月2日録音
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

 レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェノ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルの成功を収めた。

 その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。これはその中の一曲。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3754
\1429+税
ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲イ長調 作品81
 英 COLUMBIA LX150/53
 1930年10月1-2日ロンドン録音
オルガ・レーザー=レーベルト(ピアノ)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

 ピアニストのオルガ・レーザー=レーベルト夫人とレナー弦楽四重奏団はピアノ五重奏曲の録音を4曲残している。1番目は1923年11月8日にラッパ吹き込みでフランク:ピアノ五重奏曲ヘ短調 - 第2楽章(英COLUMBIA L1620)、2番目が1927年3月4日に録音されたブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調作品34(英COLUMBIA L2040/4)、3番目が1930年10月1-日録音のこのドヴォルザーク、4番目が1933年3月9&13日録音のシューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調作品44(英COLUMBIA LX266/9)である。

 このピアニストの経歴は不詳だが、この名四重奏団と完全に同化した演奏は見事。また不思議なことにソロのレコーディングは残っていない。レナー弦楽四重奏団は1922年にロンドン・デビュー。すぐにイギリスCOLUMBIAの専属アーティストとなり、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲録音を1938年に完成させた。また売り上げは合計100万枚を記録した。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
33CDR-3755
\1429+税
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
 仏 LE CHANT DU MONDE LDY-8115(17cmLP)
 1950年4月11日パリ録音
ジャンヌ・ゴーティエ(ヴァイオリン)
イヴォンヌ・ルフェビュール(ピアノ)

 ジャンヌ・ゴーティエ(1898-1974)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ郊外のアニエール生まれ。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスで学び1914年に一等賞を得た。1915年から第一線で演奏活動を始めた。第2次大戦中はオーストラリアに居住し、1942年から1944年までメルボルン大学で教鞭を取った。大戦後フランスに戻り、1952年からチェロのアンドレ・レヴィ(1894-1982)、ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)とフランス三重奏団を結成。1962年から1968年までパリ音楽院教授を務めた。

 イヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)はフランスの女流ピアニスト。パリ音楽院に学び12歳で一等賞を得た。1924年エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1877-1962)の助手をつとめ、後にパリ音楽院の教授に就任した。弟子にディヌ・リパッティ(1917-1950)がいる。1965年サン・ジェルマン音楽祭を創設した。レコード録音は少ないが、フランスの大物ピアニスト。これは彼女の数少ないスタジオ録音。

 復刻にはWESTREX 10Aカートリッジ(MONO接続)とコルグのNu 1DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3756
\1429+税
ラヴェル:ピアノ三重奏曲イ短調
 米 VICTROLA 11243/5
  (仏 Disque Gramophone DB4803/5 と同一録音)
 1931年3月12-13日パリ録音
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
マドレーヌ・マルセリ=エルソン(チェロ)
エリアーヌ・ズルフル=タンロック(ピアノ)

 ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)はパリ生まれ。パリ音楽院でギヨーム・レミに師事し1914年に一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者を務めた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサート・マスターを務め、後に音楽院の教授になった。ピアノのエリアーヌ・ズルフル=タンロックは1900年生まれ。このシリーズでフォーレ:ピアノ四重奏曲(78CDR-3441)が出ている。チェロのマドレーヌ・マルセリ=エルソンはSPレコード時代小品の録音がいくつか発売されていた。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。

 
78CDR-3757
\1429+税
ラヴェル:弦楽四重奏曲ヘ長調
 英 COLUMBIA LX270/3
 1933年2月27日& 3月2日録音
イェネ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)

 レナー弦楽四重奏団は1918年にハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身。リーダーのイェネ・レナー(1894-1948)、第2ヴァイオリンのヨーゼフ・スミロヴィッツとヴィオラのシャーンドル・ロートがイェネ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのイムレ・ハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。

 4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年のハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。その後1922年にロンドン、1929年にアメリカにデビューした。1927年のベートーヴェン没後100年を記念して16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)をイギリス・コロンビアに録音した。これは作曲者ラヴェルが存命中の録音。

 復刻には「音のエジソン」SPレコード専用MC型カートリッジ(3mil針)とコルグのNu 1 DSD録音機を使用した。






ページ内の商品チェック・ボックスをクリックしたら、最後に 「かごに入れる」ボタンを押してください。
新店内のほかのページのお買い物がありましたら、そちらもすませ、最後に「注文フォームへ」ボタンを押して注文フォームで注文を確定してください。
(チェック内容を変更したら、必ずもう一度「かごに入れる」ボタンをクリックしてください。変更内容がかごに反映されませんので)


注文フォームへ


アリアCD トップページへ



Copyright(C) 2018 ARIA−CD.All rights reserved.08