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「クラシックは死なない!」特集

 「クラシックは死なない!」・・・。
 今から9年ほど前に刊行された、店主の記念すべき1冊目の書籍です。
 日ごろ接している素晴らしい名盤を一冊にまとめて紹介しようという、そういう企画の本だったのですが、ありがたくも続巻が出るころには完売いたしました。
 
 さて、先日その「クラシックは死なない!」を手にとって久しぶりに読んでみました。
 もともとその本に掲載したCDは「廃盤になるかどうかは関係ない!よいものだけを選ぶ!」というスタンスで取り上げたアルバムなので、ほとんどのものが廃盤で入手不能になっているだろう、と思って見てみたら・・・おっとどっこい!しぶとく生き残っているもの、一度は廃盤になったのにしっかり生き返っているアイテムがたくさんあったのです。

 ということで、本はすでに入手不能ですが、だからこそもう一度そこで掲載されているCDを紹介してみようと思います。
 10年経とうが20年経とうが、いいものはいい。久しぶりにこれらのCDを見てつくづく思いました。クラシックの世界では10年くらいの時間はないに等しいというのがよくわかりました。

 毎週少しずつ紹介していこうと思います。青色のコメントは現在の店主のものです。



第1回

トスカニーニ/衝撃のラスト・コンサート
Toscanini conducts Wagner
M&A
3008
¥2000→\1690
トスカニーニ・ラスト・コンサート 1954.4.4 ステレオ!
ワグナー:「ローエングリン」第1幕への前奏曲
       「ジークフリート」より「森のささやき
       「神々のたそがれ」より「ラインの旅」
       「タンホイザー」序曲とバッカナーレ
       「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC交響楽団
 音楽ファンで、この冒頭の「ローエングリン」を聴いて、無感情でいられる人がいるだろうか。
 1954年4月4日。トスカニーニ生涯最後のコンサートのライヴである。
 あのすさまじい音楽活動を送った大指揮者の最後のコンサート。出てくる一音一音にまるで何者かが宿っているかのような、そんな特別な演奏会。
 トスカニーニはこのコンサートの前日のリハーサルで記憶障害を起こし、「これが俺の最後のリハーサルか!」と茫然自失の体で会場を後にした。
 NBC交響楽団の団員はおそらくこれがトスカニーニとの最後の演奏会になるであろうと予期していただろう。そしてトスカニーニが指揮活動を止めれば自分たちのオケが自動的に消滅することも悟っていただろう。そして誰よりトスカニーニ自身がこの演奏会が自分の引退公演になると知っていたに違いない。
 そんな異常な状態での演奏会。
 音楽自体としてはもちろん傷もある。
 ・・・事故は4曲目の「タンホイザー」の序曲とバッカナーレで起きた。冒頭からアインザッツが乱れるなど、尋常でない形で始まっていることがその事故を予測させる。
 ・・・トスカニーニは数分後リハ同様記憶を喪失し、指揮台の上で立ち尽くす。オーケストラは混乱し、そこで音楽はしばらく中断したという。放送室にいたカンテッリは、最悪の状態を予測し、機械の故障と称して放送を取りやめブラームスの1番のテープを流した。しかしトスカニーニはすぐに復活し、再び演奏を開始した。
 そしてトスカニーニはまさに鉄の意志で最後まで振り終える。復活してからの音楽の何と生き生きとたくましいことか!
 そして団員に促されるように最後の「マイスタージンガー」を振る。それが彼の最後だった。ほとんど意識のなかったトスカニーニは曲が終わりきらないうちに指揮棒を下ろし、指揮台を離れようとして指揮棒を落としてしまう。
 ・・・トスカニーニも終わったあと「何がなんだかわからない、夢の中で指揮をしているような思いがした」と語った。
 正確にはその後ヴェルディ録音の一部録り直しのために指揮台に立っているが、このコンサートこそがトスカニーニの最後の勇姿だった。
 意識朦朧のトスカニーニとは裏腹に、その音楽はなんと瑞々しく生命力にあふれていることか。
 しかしその立ち上るような「生命力」が音楽を通じて伝わってくるとき、同時に言いようのない寂しさ、悲しさが湧き上がってくる。
 「クラシックは死なない!」刊行とほぼ同時に廃盤。その後IDIS、ALTUSからもリリースされたが、結局この廃盤となったM&A盤が一番音質が良かった。
 しかし廃盤から7年、ようやくM&Aが再リリース。涙の再入荷となった。
 ちなみに上記では触れていないが、演奏ストップ・シーンはうまく編集でつなぎ合わされていて、ちょっと聴いた感じでは止まったことはわからない。




ジュリーニ&ウィーン・フィル
これはオペラか
ブラームス:交響曲全集


NEWTON CLASSICS
8802063
(4CD)
\4000→¥2990

ブラームス:
 交響曲全集、
 ハイドン変奏曲、悲劇的序曲、
 ドイツ・レクイエム

カルロ・マリア・ジュリーニ指揮
ウィーン・フィル
録音 1989年5月…CD4, 1990年5月…CD3, 1991年4月…CD1.2 原盤DG
 人はときどき自分の過去の過ちを素直に認めざるを得ないことがある。

 ジュリーニが80年代後半から90年代前半に録音した交響曲全集。当時といえば毎月カラヤンやバーンスタインの新譜がまだ当然のように出ていた頃である。そしてまたジュリーニも当然のように新録音をリリースしていた時期。・・・その頃神をも恐れぬ無礼で高慢だった現・アリアCD店主は、このジュリーニのブラームスを聴いて、「この遅さは俺には理解できない。全楽章アダージョじゃないか」と公言、この全集をまったく認めなかった。

 それから10年。
 10年前のその男の予測が当たったのか、どうなのか、輸入盤国内盤ともにジュリーニのブラームス全集は姿を消した。とくに輸入盤は1曲残らず消滅した。やはり取るに足らぬ録音だったのか・・・。

 そんな中、ジュリーニのお膝元イタリア・ユニバーサルから久々にブラームス録音が復活したという知らせがきた。しかも初めての全集セットとして。
 当然店主にしてみればあえて聴く気にもならず、とくに推薦する気にもならず放っておいた・・・・のだが、持ち前の貧乏性と好奇心から、しばらくして、ついに積んであった1セットを手に取ってしまった。10年前の己の判断を再確認するためか、あるいはただの気まぐれか・・・。

 そしてスピーカーはゆるりと1番のシンフォニーを奏でた。

 そうして最初の言葉を噛み締めることになってしまったのである・・・・。
 まったく悔しいながら、これはすごい録音である。
 確かに遅い。ゆっくりとした演奏ではある。また、過激演奏ファンを喜ばせる激しく地響きを立てるような場面もない。
 ・・・しかしそのすさまじさ。
 傍若無人なまでのずうずうしさ、そして美しさ。それはまるで誰にも犯されない完璧な彫像のような。
 しかし聴いているうちにこれがジュリーニにとって交響曲ではなくオペラなのだと気づいた。
 どんな細部にも必ず歌があるのである。歌、歌、歌。そしてどの歌も絶対にいい加減に流さない。徹底的に細部まで最後まで完璧に歌わせ尽くす。ひとつひとつの楽器にまるでプリマドンナだと暗示をかけるかのようにとっぷりと歌わせる。楽曲全体をゆったりさせて細部を拡大する手法はチェリビダッケに似ているか・・・?いや、ジュリーニはおそらく難しいことは考えていない。ただ単に歌いたいのである。朗々と。たっぷりと。
 すごい。
 ウィーン・フィルに対してここまで自分の主張を通してしまった指揮者はいないだろう。ジュリーニは完璧に自分のやりたいことをやってのけた。なんともすさまじき強引さ。なのに出てくる音楽の美しさ。ブラームスの第1番を聴いて泣くことなんてきっと想像できないと思うけれど、でも実際に泣いてしまうかもしれない。でも仕方がない、全編オペラなのだから。そしてその傲慢な美しさは2番、3番、4番とさらに強烈になっていく。とくにいわゆる「美しい聴かせどころ」でのもうぐちゃぐちゃになってしまいそうなまでの強烈なロマン。これはイタリア・オペラか!

 ・・・こんなとんでもないブラームスの全集録音があったのだ。
 しかしこの録音の凄まじさ、強烈さというのは、生き急いでいたあの頃の自分には、理解できなかったかもしれない・・・。今になってわかった。

 人はときどき自分の過去の過ちを素直に認めざるを得ないことがある。しかしときにそれが嬉しくもある。
 本で紹介した伊DG盤はなかなか入りづらく結局長い間入手不能状態が続いた。そんなときにユニバーサル系の音源を中心にライセンス復刻してくれるNEWTON CLASSICSがこの全集をリリース。ようやく手軽に入手できるようになった。



2002年最高のアルバム
マリ / その魔法のような音楽
管弦楽小品集

MANDALA
EPSILON シリーズ
MNE 5040
廃盤
下記CD-Rで出直し
ボイエルデュー:「バグダードの太守」序曲
ルイジーニ:「エジプトの舞踊」(抜粋)
シャブリエ:「ブレ・ファンタスク」
スッペ:「詩人と農夫」序曲
グリンカ:「ルスランとリュドミラ」序曲
ジャン=バティスト・マリ指揮
パリ音楽院管弦楽団
1960年
ステレオ

 ひょっとしたら今年最高の1枚になるかもしれない。
 ジャン=バティスト・マリ。店主が偏愛する指揮者である。
 チェリビダッケ、ヴァント、ショルティらと同じ1912年生まれ。フランスではマルケヴィッチと同い年。いわゆる大指揮者の世代に属するマリだが、結局「巨匠」という栄誉に浴することはなかった。理由は簡単である。フランスのバレエ音楽を中心とした録音しか残さなかったからである。おそらく彼もそれでよしとする、良くも悪くも好人物だったのだろう。だからか、どの演奏を聴いてもメンバーが実に楽しそうに生気あふれた音楽を聴かせてくれる。しかしオーケストラ・トレーナーとしてはおそらく落第者だったらしく、ラムルーO.はマルケヴィッチが去ってマリが就任してから実力的には凋落の一途をたどった。
 マリはラムルーO.でみんなと楽しく時を過ごすことで満足していたのではないか。(事実メンバーはどんどん高齢化し、やがて大きな問題となっていった。マリは、年を取ったということを理由にメンバーを入れ替えたりする必要など感じなかったに違いない。)
 だからといってマリの音楽がつまらないというわけではない。・・・とんでもない!今回のアルバムも最後の2曲を除いて無名の曲ばかりなのに、こんなに楽しませてくれるなんて!無名の曲がとんでもない名曲に聴こえる。最も有名なグリンカが一番地味に聴こえるほど!
 でもとにかくすごいのは「詩人と農夫」。もう感無量。こんなにも美しい曲だったとは!冒頭しばらくして出てくるチェロの部分では感極まって思わず絶句。普通ここはオーケストラが鳴り終わってから、チェロはひっそりと奏でられる。しかし、マリはオーケストラを響かせたまま、その中からすーっと魔法のようにチェロを浮かび上がらせる。オペラ合唱が鳴り響いていて、気づくとプリマドンナの美声だけが突き抜けて出てくる、あの感じ。そして通常より明らかに強調されるハープの伴奏。こんなにも美しい音楽に出会えたのは本当に久しぶり!あんまり美しすぎてこの世のものとは思えないほど。(お酒飲んでひとりでしんみり聴いたら間違いなく泣いちゃいます・・) カラヤンやデュトワやA・ワルターで聴いてみたが(うまいけど)、こんなふうなことはしていない。マリはこういうことを随所でやっているのである。もうそれは天性の感覚というしかない。そしてそれは誰にも受け継がれることもなく、受け継がれようもなく、マリ一代で終わってしまった特別な音楽作りだった。
 もうひとつすごいと思ったのは、全然宣伝もしなかったのにこのアルバムがすごく売れたこと。そんなにもたくさんの方が、マリの音楽に興味を持っていたとは!とても驚きで、同時にとても嬉しかった。そしてその人たちはみんな今ごろこのアルバムを手にしてきっとにっこりしているんだろう・・・。

Delibes - Coppelia ジャン=バティスト・マリ指揮、パリ国立歌劇場管弦楽団による、
ドリーブのバレエ音楽「コッペリア」(EMI)のジャケット。
 その後MANDALAレーベルは消滅し、このマリの管弦楽小品集アルバムは店主にとって宝物となった。
 しかし一昨年、マニアックな指揮者ばかりを扱うCD-Rレーベル「シュライバー・ディスク」というところが復刻。ちょっとだけカップリングが違うがほとんど同じような形で復活した(SSCD-007)。それ以外にもいくつか珍しい音源が登場、ひそやかに売れていた。ちなみに音質はMANDALAレーベルよりまろやかになっていた。

シュライバー・ディスク Schreiber Disc
期間限定セール(〜4月29日)
1CD−R\1800→¥1290
SSCD-001 ウェーバー:オベロン 序曲*
       魔弾の射手 序曲
グリンカ:ルスランとリュドミラ 序曲
ビゼー:交響曲ハ長調
ジャン・バティスト・マリ指揮
 ラムルー管* パリ音楽院管
  (1960年代初期STEREO&MONO録音)
  LP (F)TEPPAZ 30518 & 30S17
SSCD-003 グルック:序曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番KV.449
ハイドン:交響曲第11番
ジャン・バティスト・マリ指揮 
パリ音楽院管
 (Pf)H.ジュジェ・エムネ
  (1960年代初期MONO録音) LP (F)TEPPAZ 30519
グルックの曲は、オリジナルLPにも「序曲」としか書かれておらず詳細不明。
SSCD-004 ベートーヴェン:レオノーレ第3番
         ロマンスOp.50
         交響曲第1番 *
ジャン・バティスト・マリ指
ラムルー管
パリ音楽院管*  (他)
(1960年代初期MONO録音) LP (F)TEPPAZ 30527
SSCD-005 チマローザ:オーボエ協奏曲*
ヴィヴァルディ:
  ヴァイオリン協奏曲ト短調 ハ長調(クライスラー編) イ長調 
  フルート協奏曲ニ長調Op.10−3 ごしきひわ
ジャン・バティスト・マリ指揮
 合奏団 (ジョルジュ・アレ、他)
(1960年代初期STEREO&MONO*録音) LP (F)TEPPAZ 30S16
SSCD-007 ウェーバー:舞踏への勧誘
ボイエルデュー:序曲 バグダットの太守
ルイジーニ:「エジプトの舞踊」(抜粋)

シャブリエ:気まぐれなブーレ
スッぺ:序曲 詩人と農夫
ジャン・バティスト・マリ指揮
 パリ音楽院管
   (1960年代初期STEREO録音) LP (F)TEPPAZ 30S6&17
MANDARA盤には「ルスラン」が入っていたが、それは「001」に入っている。






ついに復活!
ケーゲル/「美と狂気」の象徴
ビゼー:『アルルの女』

Bizet: Orchestral Works
BERLIN CLASSICS
94772BC
¥1800→¥1590
ビゼー:アルルの女
    小組曲「子供の遊び」、
    カルメン前奏曲
ヘルベルト・ケーゲル指揮
ドレスデン・フィル
1986/1987
ステレオ
 ようやく出た。
 これほどまでに再発が望まれたアルバムがあっただろうか。
 この仕事に就いてから、入手可能かどうかの問い合わせが最も多かったアルバムである。多くの多くの多くの人が探していた。ハンブルグで売っていたという噂を聞きつけて、いろいろ探してもらったがだめで、ドイツのショップに行ったときもとにかく最初に探すのはビゼーのコーナー。絶対に入手できないということがわかってからは、なんとか自力で再発できないものかと画策し、最近ではCCCのケーゲル・ボックスに挿入してもらうよう懇願したが最終的に断られ、なにか特別な秘密結社がリリースを阻んでいるのかと神を呪う気持ちだった。

 ・・・そのケーゲルの「アルル」がいよいよ復活した。
 私も聴いたことがない。だから余計に大騒ぎしている。想像は宇宙のように膨らむ。
 しかしクラシック・ファンの方なら誰もがこの演奏のすごさについての噂を耳にしたことがあるだろう。
 アルビノーニのアダージョとともに現在のケーゲル伝説を作り上げた名演中の名演。聴くものを美と狂気の世界に引きずり込むおそるべき音楽。
 「クラシック名盤&裏名盤ガイド」で堀澄浩氏はこう語る。「冷え冷えとした透明感が南仏の太陽を奪い、追い詰められた精神的不安から狂乱にいたる主人公フレデリの悲劇を心憎いほど暗示する。続くメヌエットとパストラールの弦のグリッサンドには怨念が渦巻き、アダージョはマーラーの「アダージェット」のように長い美しすぎる演奏で、怖い」。
 また今日のケーゲル人気の土台を築いた許光俊氏は「名指揮者120人のコレを聴け!」でこう書いている。「弦や木管の奏でる旋律はもはやこの世の音楽とは思えない淡々とした風情、舞曲はブルックナー9番のスケルツォみたいに抽象的であり、遅い部分はマーラーのようだ。私はこんなにゾッとするような音楽をほかに知らない。」、「アルルがこんなにうつろに、こんなに透明に、こんなに感覚的な刺激抜きで、こんなに裸型の精神のように響いたことはなかった。」、「大芸術家が死の前に達した恐るべき境地としか云いようがない」、そして最後にひとこと。「忠告めくが、ケーゲル晩年の音楽を、決して気分が落ち込んだり、失恋したりしたときに聴いてはならない。命の保証はできかねる。」

 さまざまな伝説に彩られた名盤。
 懐かしい・・・ただ、リリースされてしまうと伝説は落ち着くものだが、このアルバムに関してはその騒ぎが収まらないまま今に至っている。
 「美と狂気」の象徴たる奇跡の一枚。







名演奏家ライヴCD-Rから
≪史上最悪・最凶・極悪のブラ1≫
ヘルマン・アーベントロート指揮 & バイエルン国立管弦楽団
ブラームス:交響曲第1番


RE DISCOVER
RED 34
1CD-R\990
ブラームス:交響曲第1番 アーベントロート指揮
バイエルン国立管
1956年1月16日のモノラル録音。ライヴCD-Rですので、マニアの方以外はお近づきになりませんよう。

 以前ディスク・ルフラン(廃盤)から出てきたとき、あまりの過激演奏のため店頭での演奏を控えるほどだった。傍若無人、厚顔無恥、支離滅裂、ここまでこの作品を徹底してデフォルメしてしまった人は、日本の宇宿以外今のところいない。しかし・・・、にもかかわらずこの演奏の圧倒的なすごさ!気をてらった一発狙いのピエロではない。山賊に連れ去られたお姫様がその山賊を愛してしまうがごとく、聴いていて次第に「もうどうにでもして」と身を投げ出したくなってしまう。
 「クラシック輸入盤パーフェクト・ブック」の「買ってはいけない」のコーナーで、鈴木淳史氏が「常軌を逸したげてもの」、「あまりのやりたい放題に聴くものを爆笑の渦に巻き込むまったく不謹慎極まりない演奏」、「何人も感動することを許さない激しさ」と絶賛(?)していた。
 とにもかくにもこの終楽章を聴いて心に何の波風も立たなければ、返品お受けします。
 その後も多くのブラームス:交響曲第1番の名演が出てきたが、怪物的演奏でこれを超えるものは出てきていない。・・・というか、それは不可能だろう。






第2回

奇跡の復活
ウラディミール・フェルツマン
ショパン:夜想曲全集

Nocturnes: Feltsman
URTEXT
JBCC 048(2CD)
下記NIMBUSで出直しに
ショパン:夜想曲全集、舟歌、子守歌 ウラディミール・フェルツマン(P) 2001
ステレオ
 フェルツマンは1952年モスクワ生まれ。「ソビエト最後のヴィルトゥオーゾ・ピアニスト」と呼ばれ、19歳でロン・ティボー・コンクールで優勝。しかしその後イスラエルへの移住申請が当局にばれてソビエトでの演奏活動を停止される。そのときレーガン大統領じきじきの援助によってアメリカに亡命、世界中の大きな話題となった。そして国際的関心の中SONYと契約、衝撃的なアルバムを連発した。・・・プロコフィエフ、ラフマニノフの協奏曲、そしてリストのピアノ・ソナタである。評論家はこぞって絶賛、多くの音楽ファンがその才能を褒め称えた。宇野功芳氏も「ほとんど魔術的といっていいほどの音の生かし方や抜群のテクニック、音楽への共感」、「技術、音楽性ともに将来のピアノ界を背負って立つべき実力者」と手放しの大絶賛。それら3枚のアルバムはいずれもレコ芸では特選扱いだったことを思い出す。宇野氏の言葉ではないが、間違いなくこれからのピアノ界の大御所となるべき人だと思っていた。
 ところがその後消息を絶ち、何年かしてこっそりとメルダックから国内盤が1枚出て(それもすごいラフマニノフだった!)、輸入盤ではMUSIC MASTERSから何枚か出たがほとんど無視された。そうして現在は彼のCDは国内盤は全滅、輸入盤もSONYに1枚あるだけ。・・・てっきりもう音楽界を去ったものと思っていた。
 そんなフェルツマンが生きていた。しかもメキシコのマイナー・レーベルURTEXTで。一体この数年間、彼の身の上に何があったのだろう。・・・きっとそれは少しづつ明らかになっていくに違いない・・・・。しかしまずはその演奏を聴けば現在の彼の心情、いやそれ以上の「何か」を聴くことができるような気がする。
 というところで一足早く試聴用のアルバムを聴いた。
 ・・・抜群だった。
 どちらかというとかつてはバリバリ弾きこなす人だったが、ここでは明らかな転身を見せる。光り輝いていたヴィルトゥオーゾの若き騎士から、情緒と内面を重視する賢者へ。しかし音楽全体のイメージは「賢者」や「哲学者」なのだが、その音色の瑞々しいこと。潤いに満ち、エレガントでぜいたくな響き。そしてノクターンのややもすると少女趣味的な装飾音符のひとひらひとひらにまで、フェルツマンの細かな神経はいきわたる。即興的なセンスも忘れない。間違ってもベタベタしたロマン過剰の演奏ではないが、感情の奥深いところでの繊細な変化まで音楽は表現する。フー・ツォンやピリスといった非常にレベルの高い演奏とともに語られるべき記念碑的な録音。すごい。

 URTEXTのCDは本当に入りにくく、そのうちフェルツマン関係は入ってこなくなってしまった。そうしたらどういう関係か分からないが数年前からイギリスのNIMBUSが再リリースしてくれるようになった。
 ただNIMBUSは製品としてCD-Rを使っているため、CD-Rを毛嫌いする一般のCDショップは取り扱わないところが多い。


NIMBUS
NI 6126
(2CDs/特別価格)
\3600→¥2990
ショパン:夜想曲全集
 夜想曲第1番変ロ短調Op.9-1/第2番変ホ長調Op.9-2/
 第3番ロ長調Op.9-3/第4番ヘ長調Op.15-1/
 第5番嬰ヘ長調Op.15-2/第6番ト短調Op.15-3/
 第7番嬰ハ短調Op.27-1/第8番変ニ長調Op.27-2/
 第9番ロ長調Op.32-1/第10番変イ長調Op.32-2/
 第11番ト短調Op.37-1/第12番ト長調Op.37-2/
 第13番ハ短調Op.48-1/第14番嬰ヘ短調Op.48-2/
 第15番ヘ短調Op.55-1/第16番変ホ長調Op.55-2/
 第17番ロ長調Op.62-1/第18番ホ長調Op.62-2/
 第19番ホ短調Op.72-1/第20番嬰ハ短調/
 第21番ハ短調/
 舟歌嬰ヘ長調Op.60/
 子守歌変ニ長調Op.57
ウラディミール・フェルツマン(ピアノ)
 (※録音:2000年2月11日−13日、モスクワ音楽院ボリショイ・ホール(モスクワ)








劣悪な音の向こうに聴こえる異常な迫力
クレンペラー&ロサンゼルス・フィル
1934年の「運命」

Beethoven: Symphony No. 5
ARCHIPEL
ARPCD 0055
¥1200
(1)ベートーヴェン:交響曲第5番
 ワグナー:「ニュルンベルグのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
(2)リスト:死の舞踏
オットー・クレンペラー指揮
ロサンゼルス・フィル
(1)1934年
(2)1945年
モノラル
 このCD、日本では欠番扱いになっている。CDの内容とジャケットの記載が違っているからである。2曲目と3曲目の曲順が入れ替わっていて、ARCHIPELがジャケットの再印刷を了承しなかったため発売停止になったのである。だからおそらくショップの店頭には出ていない。
 そこをむりやり入れた。録音自体はARCHIPHON(ARC114/5 \3600)で出ていたもので(「死の舞踏」はマジック・マスターから出ていた)、そのときからそうとう劣悪な物として知られていた。で、今回少しでもよくなっていればいいなと思って聴いたが、残念ながらまったくよくなっていない。かなりの歴史的録音ファンの方でも「うっ」と身構えて、時折発生する尋常ならざるノイズに「げっ」と嗚咽し、原盤が交代するたびに変化する音質に「ぷっ」と失笑すること間違いない(ついでに途中で変な男の声まで入ったりする)。

 ・・・しかし、すごいのである。
 その劣悪な音の向こうに聴こえるクレンペラーの異常なまでの迫力。ナチスに追われて音楽後進地ロス(事実ロスのひとたちはほんのこの10数年前までオーケストラを聴いたことがなかった。1楽章終わった後で拍手も出ちゃう)にやってきたクレンペラーが本気でこのオーケストラと向かい合い、愛情と誠意と熱意を持って彼の地の聴衆と向きあっていたことを証明するまさに熱演。
 とくにラスト3分は悪質な音もあって異常な興奮状態を脳内に巻き起こすこと必至。この演奏を聴くかぎり、この1934年の時点でクレンペラーはまぎれもない大巨匠である。クレンペラーは1939年に脳の病気でこのオケを去るが、もしもしそれがなかったらロス・フィルはアメリカ最高のオケになっていたかもしれない。

 しかし、本当に音はすごいことになってます。耳に優秀なフィルターを持っている人だけ、この音楽を享受してください・・・。

 最近は普通に入ってくるようになっているらしい。ジャケットが訂正されているかどうかは未確認。






正気の沙汰じゃない
トスカニーニ最後のブエノスアイレス公演
ベートーヴェン:交響曲第9番
ARIOSO
ARI 002
下記GUILDで復活
ベートーヴェン:交響曲第9番 アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
コロン劇場管弦楽団
ヘドヴィヒ、キンダーマン、メイソン、キプニス
1941.7.24
モノラル
 とんでもないものを聴いてしまった。
 1941年7月24日。トスカニーニ最後のブエノスアイレス公演。初CD化。

 オープン・リールからの音源起こしのため聴きづらい個所もあり、第4楽章でのテープ破損によるノイズと音質・ピッチの変化はかなり痛々しい(トラック4と6に一部欠落がある)。途中でピッチが変わったり極端に音質が変わったりして、編集としては落第の1枚だが、トスカニーニの異常性を知るには格好の1枚と言っていい。
 先日のARCHIPELの「クレンペラー&ロス・フィル/「運命」」の音質のひどさと演奏のすごさには脳天ぶち切れたが、こいつも半端じゃない。ブエノスアイレスが音楽先進地だったことはわかるが、ここまで燃えるかトスカニーニ。この激烈ぶっ飛びの第9を聴かされたら、いくらトスカニーニが過激な指揮者だったとわかっていたとはいえ、これまでのこの指揮者への認識を改めなければならなくなる。
 しょっぱなからとても第9とは思えないテンションの高さ。ティンパニの強打は録音のせいかもしれないが、それにしてもその異常な推進力は正気の沙汰じゃない。そしてオーケストラも狂ったような興奮状態。アンサンブルは崩壊寸前で、勢いに任せて次のパッセージにいくといった綱渡り。こんなテンションで行ったらこれからどうなんるんだという心配をよそに、第2楽章ではさらに壮絶な地獄絵巻を展開し激しいノイズを完全に忘れさせる。
 まるで山師が純朴な村人をだまして血祭りに上げているかのよう。
 ・・・これはただのオーケストラいじめではないのか。トスカニーニ、何かいやなことがあったのか、それともとんでもなく嬉しかったのか、何かがなければこんなとんでもない演奏は生まれない。
 ・・・ただ終盤にかけて理性を取り戻したのか少しノーブルな演奏に変質していく。が、第1,2楽章の異常性は、是非是非一聴の価値あり。こんな体験なかなかできません!

 ARIOSOレーベルはその後すぐに消滅した。そして数年前まっとうなGUILDレーベルが復刻。上記ARIOSO盤はものすごく苦しい音だったが、さすがにGUILD盤はかなりまとも。というか、いたって普通の録音に聴こえるようになった。
 第2楽章でひとつ音飛びがあるが、以前のARIOSOに比べたら天地の差。なんだかとてつもなく贅沢な気持ち。
Beethoven: Symphony No. 9
GUILD HISTORICAL GHCD 2344
¥1500→¥1390
トスカニーニ〜レコーディングス1936〜1941 ——
 ベートーヴェン:
  交響曲第9番ニ短調Op.125《合唱》
   (録音:1941年7月24日、ブエノスアイレス・コロン劇場/ライヴ)/
  《レオノーレ》序曲第3番ハ長調Op.72a
   (録音:1936年4月26日、ニューヨーク/ライヴ)*
トスカニーニ(指揮)、
コロン劇場管弦楽団&合唱団、
ユディト・ヘドヴィヒ(ソプラノ)、
リディヤ・キンダーマン(アルト)、
ルネ・メゾン(テノール)、
アレクサンダー・キプニス(バス)、
ニューヨーク・フィル ハーモニック*







グロテスクで俗悪
クナッパーツブッシュ&ベルリン・フィル
ブラームス:交響曲第3番

RARE MOTH
RM 416-M
CD-R\1700
ブラームス:交響曲第3番
ヴォルフ:イタリアのセレナーデ
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ベルリン・フィル
1950/1952
モノラル
 まだカラヤンとイ・ムジチしか知らない純粋無垢なクラシック・ファンだった自分を地獄に突き落とした演奏。その後3日3晩うなされ続けた。こんなにグロテスクで俗悪で衝撃的なことが許されていいのか。ひどい、ひどすぎる。これは美しいクラシック音楽全てに対する冒涜であり反抗ではないのか。自分は聴いてはいけないものを聴いてしまった、聴かねば良かった。助けてくれ助けてくれ・・・。そうして3日間うなされ、悩みぬいた最後に行き着いた結論は、・・・・「こういうの、もっと聴きたい」だった。・・・やれやれ。        
 ということでクナ最高の名演として有名な1950年のBPOとのブラ3。以前キングの国内盤、およびCHACONNEレーベルで出ていたもの。もちろんどちらも現在入手不能で、多くのファンが待っていた録音でもある。数多くあるクナの激烈演奏の中でもそのデフォルメ度、ぶっとび度では最高の部類に属する。とにかくわずか最初10秒で脳は沸点に達する。既出盤のリマスターではなく、全く別の音源を使用しているとのことだが第2楽章始めの「フニャ」というひずみはいっしょ。だが以前より音は明瞭である。           
 1950年11月(ブラームス)、1952年9月28−29日(ヴォルフ)、どちらもベルリンでの録音。
 ライヴCD-Rですので、マニアの方以外はお近づきになりませんよう。

 その後IDISからCD盤もリリース。音質はCD−R盤に比べてちょっと奥に引っ込んだ感じはあるけれど優しくあたたかくなってる。第2楽章冒頭の「フニャ」もそのせいか聴きやすくなっている。
Hans Knappertsbusch conducts Brahms and Haydn
IDIS
6362
1CD\1800
ブラームス:交響曲第3番
ハイドン:交響曲第94番 「驚愕」
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 
ベルリン・フィル 
1950
モノラル







血みどろのカラヤン
「英雄の生涯」1969年ロシア・ライヴ

GPR 003
(2CD)
MELODIYA盤で
「英雄の生涯」は出直し
R・シュトラウス:英雄の生涯 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィル
1969.5.30
ステレオ
ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 1969.5.28
ステレオ
 GPR(GREAT PERFOMANCE IN RUSSIA)シリーズの中で唯一未入荷だったカラヤンの1枚がようやく入った・・・。

 すさまじい演奏だった・・・。
 カラヤンの「英雄の生涯」は、DGで2回、EMIで1回リリ−スされていて(いずれもBPO)、それぞれがこの曲の代表的録音に挙げられるような名演である。DGへのベルリン・フィルとの最初の録音となる’59年盤は、帝王となったカラヤンの覇気みなぎる演奏でシャープで生命力に満ちている。EMIからの’74年盤は、華麗で爽快。美しく鍛え上げられた彫刻のような演奏。そして最後のDG’85年盤は、この曲の絶対的名盤として君臨する究極の1枚。壮麗無比、人工美の極致。

 しかし今回のこのロシア・ライヴはそれら3枚を凌駕するすさまじい演奏だった。
 1969年。
 ちょうど1枚目と2枚目の中間に位置する。カラヤンとベルリン・フィルが最もバランスよく共存し、両者の力量を相互にパワーアップさせていた時代。オケにも指揮者にも力みや気負いはなく、またマンネリ的要素もない。
 そして時代はソビエトからの優秀な音楽家がどんどん西側に進出してきて、ピアノにしてもヴァイオリンにしてもオーケストラにしても、欧米の演奏家たちが戦々恐々としていた頃。
 これは、そんな時代に西側最高の音楽集団としてカラヤンとベルリン・フィルがソビエト音楽家の総本山モスクワに乗り込んでいったときのライヴなのである。

 それがただですむはずがない。

 そこには芸術以上の執念のようなものがうずまいていた。
 たとえばそのすさまじさは「英雄の戦場」で大爆発する。ここでの打楽器と金管楽器の猛威・炸裂はスタジオ盤の比ではない。筋骨たくましい青年が、隆々たる白馬にまたがって疾走するところまでは他の3枚とそう変わらない。・・・が、戦場に突進してからがすごい。最後まで返り血を浴びないスタジオ録音に比べ、こっちは全身血みどろ、汗みどろ。敵地の中心に突っ込み、敵将の首を狩って全身血まみれのまま雄叫びを上げるような演奏。・・・なんのことはない、それはそのときのカラヤンの姿でもある。そうして英雄の主題が戻ってきたときの恐ろしいまでのかっこよさ・・・。
 ・・・・いやはや、カラヤン、すごすぎる。かっこよすぎる。
 しかし、ここまでやらないと、モスクワまで来て演奏する意味がない。・・・実際、これを聴いたモスクワの聴衆は完全に度肝を抜かれたに違いない。

 その後すぐに廃盤となり何年もの間入手不能だったが、ロシアのMELODIYAが少し元気になって、この「英雄の生涯」をリリースしてくれた。ものすごいベストセラーになった。

Mozart & Strauss - Orchestral Works
MELODIYA
MELCD 1001514
(2CD)
\4200→¥3290
カラヤン・イン・モスクワVol.3 ——
 モーツァルト:ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334/
 R・シュトラウス:交響詩《英雄の生涯》Op.40
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)、
ベルリン・フィルハーモニック管弦楽団
1969年5月30日、モスクワ音楽院大ホールでのライヴ録音。




第3回


いきなりですがクナ3連発

クナッパーツブッシュ
理解不能の「アイネ・クライネ」

Mozart: Symphonies Nos. 39 and 40
AECHIPEL
ARPCD 0078
\1200
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク
        交響曲第39番
        交響曲第41番
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ウィーン・フィル
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン・フィル
1940/1929/1941
モノラル
 それぞれ1940年, 1929年, 1941年の録音。PREISER,TAHRAなどで出ていた音源と同じ。ノイズはおそろしいほどカットされている。
 「アイネ・クライネ」はクナの唯一の演奏であり、クナのモーツァルトで最も畸形的な演奏である。とくに通常の倍近いスローテンポと、訳のわからない旋律まで飛び出す第4楽章は抱腹絶倒。
 また第39番はこの年代の録音をこの音質で聴ければ十分満足。おとなしい演奏と言われるが、優雅でなくとも芯のある流麗さがたっぷり味わえる。第1楽章のヴァイオリンの流れ落ちるような響きは、この演奏で初めて味わった。
 一方20年後の「第40番」のほうが音が悪い。が、ここでも「やってないようでいろいろやってる」一工夫を楽しめる。総じてもちろん音はよくないがこの3曲を聴いてこの価格なら十分すぎる。
 「アイネ・クライネ」、久しぶりに聴いたがやっぱり変な演奏。第4楽章の異常さは、「こんなものだったかな」という想像をはるかに超えていた。


こんな演奏、嫌いである。
クナッパーツブッシュ
シューマン:交響曲第4番

LIVING STAGE
LS 4035152
廃盤
クナッパーツブッシュ後期録音 第2巻 1958-1962年
 (1)シューベルト:交響曲第8番
 (2)シューマン:交響曲第4番
   R・シュトラウス:死と変容
 (3)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
バイエルン国立管弦楽団
ウィーン・フィル
北ドイツ放送交響楽団
バドゥラ・スコダ(P)
1958-1962
モノラル
 1958年、1962年、1962年、1960年。どれも音質はいい。
 圧巻はシューマンの4番。はっきりいってこんな演奏大嫌いである。パレーのように曲のおいしいところを全部完璧に押さえながらかっこよく流していく演奏こそこの曲にふさわしい(と思ってます)。しかしクナは「あ、ここでテンポを早くするつもりだな」と思ってもそのままのーんびりやったり、「ここは歌わせてくれよ」というところを無造作にやったり、そんなところ普通歌わないよってところを妙に強調したりする・・・・。ことごとくこちらの期待を裏切りながら進めていく。「テンポと粋」がすべてともいえるこの作品で完全な自己流で突っ走る。
 あ、そうか、それがクナの「テンポと粋」か。うーむ、参った。唸り声つき。

 廃盤になって久しかったが、問題のシューマンの4番はようやく先日ALTUSからORFのオリジナル・マスターから復刻され、現在も話題になっている。



ALT 224
\2600→\2390
ウィーン・フィル ライヴ エディション〜クナッパーツブッシュ
 R.シュトラウス:交響詩『死と変容』作品24
 シューマン:交響曲第4番作品120
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1962 年12 月16 日、ムジークフェラインザール(ライヴ録音)モノラル
 「このシューマンもファンにとっては忘れ得ぬものである。第1 楽章の深い響きは余人の追随を許さないし、第2 楽章のしみじみとした味わいはクナとウィーン・フィルの永遠における固い絆を思わせる。第3 楽章は巨大そのもので、第4 楽章の仰ぎ見るような大きなスケールもクナ以外の何物でもない。」平林直哉〜ライナーノーツより 
 また当ディスクの解説はウィーンでクナッパーツブッシュを聴いた元N 響首席トランペット奏者北村源三氏のクナ体験の特別インタビュー付きです。



誰も注意しないのか・・・!
激烈クナの最高の名演、迷演
ベートーヴェン:交響曲第8番

ERMITAGE
ERM157
1CD¥690
ベートーヴェン:交響曲第8番
ブラームス:交響曲第2番
ハンス・クナッパーツブッシュ指揮
ミュンヘン・フィル
1956.10.18
モノラル
 誰も注意しないのか!こんな勝手なことをさせといて!!終わったあとの聴衆もどうしていいやら困っているではないか・・・と怒りたくなる人もいれば、驚天動地のスケールと自由自在のドライヴに感極まって涙する人もいれば、なんだか笑いが止まらなくて70分間ずっと腹を抱えて最後に病院に担ぎ込まれる人もいるかもしれない。
 激烈クナの最高の名演、迷演。
 先日リリースされたブラームスの3番(第2回ご案内)とこのベートーヴェンの8番とブラームスの2番をあわせて聴けば誰もまともな世界には戻れなくなる。とくにベートーヴェンの8番の異常な世界。この曲に30分もかけるか・・・。一体何がどうなったらこういう演奏になるのか、一度はその頭の中を覗いて見たかった。
 旧エルミタージュは現在AURAとして再出発しているが、AURA盤の方は安っぽいし、音もよくなっているとは言いがたい。

 ERMITAGEもAURAもその後共倒れ。長く廃盤になっていたがイタリアIDISが復活リリースしてくれた。ただこちらもいつ廃盤になってもおかしくない。お早めに。

Hans Knappertsbusch: The Concert in Ascona
IDIS 6485
\1800→¥1690
ベートーヴェン:交響曲第8番 ヘ長調 Op.93
ブラームス:交響曲第2番 ニ長調 Op.73
クナッパーツブッシュ指揮
ミュンヘン・フィル
ミュンヘン・フィルとの演奏旅行、スイス南部の都市アスコーナでのライヴ録音。ベートーヴェンの8番はクナの全録音中1,2を争うぶっ飛び演奏。ERMITAGEやAURAから発売されていたものと同じ。
 録音:1956年10月18日






脳髄絨毯爆撃演奏
スヴェトラーノフ/レスピーギ:ローマ三部作

 極東のちっぽけなCDショップの言うことに耳を傾けてくれるようなメーカーが存在することに心から感謝したい。
 スヴェトラーノフの逝去にあたって、本当に数多くの問い合わせがあったメロディアの「レスピーギ/ローマ三部作」。OLYMPIAに在庫があるという話しが飛び出し、多くの関係者を巻き込みながら大騒ぎをしたが、結局OLYMPIAのスヴェトラーノフ関係のアルバムは全て廃盤ということで泣く泣く引き下がるよりほかなかった。
 しかしあきらめの悪い店主はSCRIBENDUMにだめでもともとのCD化依頼をしていた。・・・・と、それが本当に実現してしまったのである。ひょうたんから駒。しかもいっしょにお願いしていたブルックナーとエロイカまでも。そしてお願いしてなかった「運命」とメロディア盤のチャイコフスキー全集まで調子に乗ってCD化するという。おいおい。

 まあ、そんな話しはどうでもいい。多くのスヴェトラーノフ・ファン、オーケストラ・ファンが待ち望んでいた、ヤフー・オークションで5万円で取引されているようなおそるべき演奏がここでこうして日の目を見たことをまずは素直に喜びたい。
 演奏についてはどれも伝説化している感があるけれど、スヴェトラーノフの演奏史で決してはずすことのできない代表的録音ばかり。リマスタリング・エンジニアにはまたも天才イアン・ジョーンズを迎え、万全を期しての復刻体勢。年末に今年最大のベストセラー・シリーズが登場した。
SCRIBENDUM
SC-021
廃盤
レスピーギ:ローマ三部作 「松」「祭」「噴水」 エフゲニー・スヴェトラーノフ(指揮)
ロシア国立交響楽団
1980
ステレオ
 今年のクラシックCD界の最大の話題はケーゲルの「アルルの女」(第1回ご案内)復活と、この録音の復活である。
 かつてスヴェトラーノフのカリンニコフの1番を入手したとき、一体どれだけの人から「次はローマ三部作をお願いします」と言われたことか。店主もそれを十分承知して多くの時間を費やしたがだめだった。それがこういう形でひょっこり実現してしまうのだからこの業界は面白い。
 さて。ヤフー・オークションで数万円の値をつけたというこの演奏とは一体どのようなものなのか・・・。10年前に入ってきたとき店主が店頭に貼り付けたキャプション・・・「ローマ三部作を初めて聴く人はこのCDを買ってはいけません。またこの作品を愛し、これまで多くの演奏家で聴いてきた人もこのCDは買わないほうがいいでしょう。でも日常に飽き足りない人、何か強力な刺激を求めている人、そういう方にはこのCDは最適です。今すぐ手にとってレジに並びましょう。そしてともにアッピア街道を踊り狂いながらわたっていきましょう。」・・・カリスマ批評家許光俊氏のコメントから。「うなる低弦、どろどろしたブラスの咆哮、スピーカーの前がお祭り状態になるのは間違いない。」、「作曲家の発想のバカバカしさをここまで露わにした演奏はほかにない 。これではなんでも誉めるので有名な諸石幸生センセもどう書くか困るんじゃないかというほどだし、志鳥栄八郎センセにいたっては「私はこういう演奏を好まない」と書くこと、間違いなしである。」、「世紀の珍盤だ。」、「謎の邪教徒秘密儀式といった雰囲気と、爆弾が次々に炸裂するような迫力」、「「祭」は北極グマ血だるま大戦争」「猟奇ファンは必聴」・・・。
 もう何も言わなくてもわかると思います。良くも悪くもスヴェトラーノフの強烈な体臭が最大限に発揮された、脳髄絨毯爆撃演奏。
SCRIBENDUM
SC-020
廃盤
ブルックナー:交響曲第8番 エフゲニー・スヴェトラーノフ(指揮)
ロシア国立交響楽団
1981
ステレオ
 日本スヴェトラーノフ教の教祖的存在であるはやしひろし氏が「 ブルックナーの8番の最高演奏は、誰が何と言おうと、汚泥をひっかけられようと、この演奏と断言する。」と、そのホームページの中で言い切り、恐れ多くも最高水準の4つ星を献上したブル8。
 思想性皆無、哲学性皆無。パワーとエネルギーで作品をねじ伏せることのできた唯一の演奏。
 地中に眠るブルックナーの遺体を掘り起こして祭壇の上に掲げて国民総出のお祭り騒ぎをしているかのよう。当然ブルックナーを神聖化し、その崇高な世界を愛する人にははてしなく嫌悪されそうな演奏。しかし「ここで盛り上げてくれ!」というところでこれほどまでたしなみも世間体も忘れて盛り上げてくれた演奏はほかにはない。深遠なる宇宙の神秘ではなく、今ここにある力の存在証明。ここまで現世的なら逆に神がかり的に思えてくる。覚悟を決めてその力の前にひれ伏そう。

 アリアCDの初期時代をともに生きたSCRIBENDUMはその後瀕死状態。現在の活動状況は不明。
 ただその後スヴェトラーノフ音源はWARNERが精力的にリリースしてくれ、上記2枚も復活した。ただWARNERも決して安泰ではないので、安穏としているとまた入手不能時代がやってくるかもしれない。

Svetlanov Edition Volume  6
WARNER
5101 12385
¥1500
レスピーギ:ローマ三部作 エフゲニー・スヴェトラーノフ(指揮)
ロシア国立交響楽団

 と言ってた矢先に、「ブルックナー8番WARNER盤」廃盤の知らせが・・・。うううう。

 ちなみにスヴェトラーノフの「ローマ三部作」は、昨年スウェーデン放送交響楽団との1999年のライヴ音源がリリースされ、またまたみんなぶっ飛んだ。

WEITBLICK
SSS0122-2
\2300→¥2090
スヴェトラーノフ&スウェーデン放送響
 レスピーギ:ローマ三部作

   ローマの噴水/ローマの祭り/ローマの松
エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮
スウェーデン放送交響楽団
録音:1999年9月10日、ベルワルド・ホール,ライヴ録音(デジタル)
 昨年、「ローマの松」について調べる機会があり、いろいろな盤を聴いていたのだが、中でもこの演奏の魅力は格別だった。オケがきっぱりとうまいのが気持ちいいし、テンポの遅い部分での深遠な響きは他の盤と一線を画す。もちろんここぞというところでは、この指揮者得意のぶちかましが炸裂するわけで、「アッピア街道」のフェルマータは旧盤よりもすごい。さっそく授業でかけてみたところ、最後は学生全員が悶絶したのだった。(沼野雄司氏)





時代に取り残された偉大な天才
エーリッヒ・ベルゲル
 ブラームス:交響曲全集

Brahms: Symphonies Nos. 1-4 (Complete)
BMC
CD067
(3CD)\5300→¥4990
エーリッヒ・ベルゲル指揮&トランシルヴァニア・フィル
 ブラームス:交響曲全集
エーリッヒ・ベルゲル指揮
トランシルヴァニア・フィル
1994
ステレオ
 ベルリン・フィルもたびたび指揮し、N響に客演したこともあるルーマニアの名匠エーリヒ・ベルゲル(1930−1998)。ほとんど録音を残さなかったベルゲルだが、その彼の代表作、ブラームス交響曲全集が久々入荷。その雄大でふくよかなロマンをたたえた演奏を聴けば、すぐにこの無名の指揮者がいかにすばらしい才能をもっていたか納得してもらえるはず。すでにこの演奏は一部で熱烈な支持を受けており、ザンデルリンク盤に次ぐ名演と絶賛する人もいる。嫌味でない重厚な低弦に支えられた圧倒的な存在感、ときに止まるのではないかと思わせるような独自のテンポ、隅々まで練れ切った余裕の描写力・・・、まさに戦前の巨匠が蘇ったかのような魅力に包まれたブラームス。
 これは時代の流れに取り残されたひとりの偉大な天才による奇跡的な録音と言っていいと思う。ベルゲルの録音の少なさが今になって惜しまれる。
 ベルゲルの出身地でもあるトランシルヴァニアのオーケストラであるトランシルヴァニア・フィルは、1955年に創立され、チェリビダッケに教育されたこともある一流のオーケストラ。ていねいで品のある美しい音色を聴かせてくれる。
 また、美しく凝った作りの装丁もこのアルバムの価値をいっそう高めている。
 ハンガリーBMCは一度切れると再入荷のメドがなかなか立たない。できればお早めに。
 1994年デジタル録音。 ハンガリー文化遺産省とハンガリー国立文化基金の支援を受けた晩年のスタジオ録音。
 BMCは現代音楽を中心としたマイナーなレーベルだが、ときおりエトヴェシュ指揮の「運命」や「春の祭典」といった名盤も作っていた。
 ベルゲルの正規録音は、あとバッハの「フーガの技法」、R・シュトラウスの「変容」、オネゲルの交響曲第2番だけと言われている。




第4回

20世紀の残した画期的全集録音
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲全集
エマーソン弦楽四重奏団

DG
463284-2 
5CD¥9600
廃盤
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲全集 エマーソン弦楽四重奏団 1994/98/99
ステレオ
 珍しくメジャー・レーベルから。・・・しかしこれは傑作である。
 今までボロディンSQで何曲か聴いてきたが、聴く前には一種の覚悟のようなものが必要だった。「さあ、聴くぞ。聴くぞ。」。・・・まるで、もし理解できなかったらシベリアにでも送られるかのような悲愴で切羽詰った聴き方を余儀なくされていた。ショスタコーヴィチが自己の苦しみをあの手この手を使って表現した、まるで怨念のような15作品である。おはらいをしてから聴いて、聴き終わってからもまたお清めが必要になるような。とくにラストの13,14,15なんてほぼ絶望的な視聴態度を要求する。あまりのおどろおどろしさに、「もうちょっと年取ってからにしよう」と敬遠していたくらいである。
 ところがエマーソンSQの連中は、亡霊を恐れぬ若者が墓場を敢然と突っ切るように、この15作品をなんのてらいもなく、ただ音楽だけを対象にして演奏してしまった。ショスタコーヴィチがどこの人でどういう背景でこれらの作品を作って、どういう意図が隠されているのか、そんなことお構いなしに、ただ楽譜に書いてあることを音楽的に再現した。
 あっぱれ。
 痛快で壮快で、随所で盛りあがって、1枚で1回は泣かせてくれて興奮させてくれる。とにかくカッコいい。
 ベートーヴェンだと「おいおい、そりゃないだろう」と批判的になりそうな現代的感性も、ショスタコーヴィチだと妙なほどバッチリはまる。第1、2、8、9番の終楽章、第3、10番の第2楽章のすごさを耳にすれば誰もこの解釈が間違いだとは思えないだろう。さらに問題のラスト3曲。そこでは、シベリアの恐怖というよりは無菌室で取り残された近未来の恐怖感を味わわせてくれる。(偶然だろうがソラリス的だったりする。)一編の映画を見るようで少しも難解という気がしない。
 くしくもエマーソンはこの全曲すべてが「シアター・ピース」であり、この演奏は聴衆の参加無しにはありえないとCDの解説書で語っている。そして全編ライヴであることが、このアルバム全体の劇的な緊張感と盛りあがりをグイグイ後押しする。さらにボロディンSQだと絶対できなかった「全曲聴きとおし」が、エマーソンSQだと、楽しく緊張しながら痛快にできてしまうのである(全曲が1から15まできちんと順番に並んで収録されているのもとても嬉しい)。今までのこの全曲に対するイメージからすると、これは奇跡的なことである。
 このセットは録音史的に見ても画期的なアルバムであるといっていい。

 2000年のレコード・アカデミー賞を取った名盤だったがその後廃盤。しかし作曲家の生誕100周年に晴れて復活。でもこの価格は安すぎるだろう。

Shostakovich - The String Quartets
475 7407
(5CD)
¥4750
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲 全曲 エマーソン弦楽四重奏団
昨年は没後30年だったショスタコーヴィチだが、今年はご存知の通り生誕100週年。それを記念して、DECCAからショスタコーヴィチ・エディションが登場。
録音:1994年、1998年、1999年アスペン音楽祭でのライヴ

 エマーソンSQはその後DGからの録音が途絶えどうなることかと思ったら、しっかりSONYに移籍。2011年にはモーツァルトをリリースしてきた。




交響曲史上最も美しい
カリンニコフ:交響曲第1番

GRAMZAPIS
GCD 00171 
¥1390
入手困難
カリンニコフ:交響曲第1番 1975年
R・コルサコフ:「貴族夫人ヴェーラ=シェローガ」、
         「プスコフの娘」序曲と間奏曲
エフゲニ・スヴェトラーノフ指揮
ソヴィエト国立交響楽団
1975
1985
1963
ステレオ
 何事も念ずれば通ずる、ということか。
 スヴェトラーノフ/カリンニコフ1番。
 スヴェトラーノフ・ファン、カリンニコフ・ファン、ロシア・ファン、シンフォニー・ファン、多くの方が探していた演奏である。ロシアものを重点的に置いているショップでは、カウンターに「スヴェトラーノフのカリンニコフの1番は現在入手不能です」という看板まで立ってある。アリアCDも今まで何回ご注文をお受けしてお断りしてきたことか。

 交響曲史上最も美しい作品としてこの4、5年で急激に人気が急上昇したカリンニコフの1番。ほとばしるような抒情美と甘美で切ない憂い、異国風の華麗さ、そして涙なしでは聴けないラストの高揚感。評論家の平林氏は「交響曲読本」で、「この交響曲が葬り去られるくらいならプロコフィエフ、R・コルサコフ、バラキレフ、グラズノフ、ミヤスコフスキの全部をなげうってもいい」、とまで絶賛している。確かにこの交響曲を聴いたか聴いていないかはその人のクラシック音楽の視聴人生に大きな差をもたらすかもしれない。
 この曲、一部では昔から人気があり、OLYMPIAのドゥダロヴァ盤は以前から売れていたが、7、8年前にスヴェトラーノフがN響で取り上げてから一気にブームとなった(そのときの演奏は9月にキングから発売予定)。その後ナクソスやシャンドス、アルテノヴァがリリース、さらに昔のトスカニーニ、ゴロヴァノフなどの歴史的録音も復活してライブラリはそれなりに充実するようになった。しかしその中に他の演奏と全く次元を異にする画期的な演奏が存在した。
 それがスヴェトラーノフ&ソヴィエト国立響の’75年録音。スヴェトラーノフにとって最もいい時期だったのか、その響きは厚く濃厚。たっぷりしたロマンでたかだかと歌い上げ、終楽章に入ってからの興奮度はちょっと文章で伝えられるものではない。レコ芸の6月号でスヴェトラーノフのすごいホームページを作っている林浩史さんの記事が紹介されていたが、その方が「胸がいっぱいになり涙が止まらなくなる」と言ったのは少しも過剰な表現ではない。後のN響との演奏も素晴らしいものだったらしいが、それすらこのアルバムを聴いた人には「全然もの足りない」とされる。とにかくそれくらい圧倒的、絶対的な演奏なのである。

 しかし。その肝心のCDが手に入らなかった。
 何回か出直しになったのだがこの4、5年の間はまったく入手不可能。ただロシア国内では出ていたらしく、かろうじて前出の林さんが自力でロシアから引っ張ってきたということがレコ芸の記事に載っていたけれど、おそらく大変な苦労だったと思われる。
 今回ご紹介したのはそんなアルバムなのである。

 ロシア音源ゆえにリリースが固定されず、上記GRAMZAPISもすぐに入手不能に。その後いろいろなレーベルから出直しになったように思うが、現在最も手に入りやすいのはこのREGIS盤。

Kalinnikov: Symphony No. 1
REGIS
RRC 1351
\950
カリンニコフ:交響曲第1番
R.コルサコフ:ロシアの主題によるシンフォニエッタOp.31、
        3つのロシアの歌による序曲Op.28、
        歌劇「貴族婦人ヴェラ・シェロガ」より序曲 1975、85年録音
エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮、
USSR交響楽団








この人だけは語りたい
カレル・アンチェル

 アンチェルの音楽は優しい。
 気品があって、そつがなく、まるで世界を達観したように明るい。マーラーの1番や、ショスタコーヴィチの5番やストラヴィンスキーの春の祭典のような曲を演奏しても、決して下品にならずに、しかも聴くものを退屈させない。
 だが、その明るさ、優しさは同じチェコの指揮者のノイマン、コシュラー、ビエロフラーヴェクといったプラハ生まれの人たちとは違う色合いである。またそれ以外のクーベリック、ターリッヒ、スメターチェクやシェイナ、ストゥプカといったチェコの大指揮者と比較しても、アンチェルだけは一種異端の匂いがする。それはハーバに現代音楽を学んだとか、フランスでシェルヘンに師事したとかそういったことも影響しているのかもしれない。
 普通にさらっと流して聴いたのでは決してわからない、音楽の機微。こうしたものをさりげなく、しかしきっちりと残していく天分。その曲を聴きこんだ人にもしっかり聴かせる音楽性と、初めての人にも優しく手を差し伸べる善良さ。そして聴いた後に充実した爽快感を感じさせる高潔さ。考えてみればチェコだけでない。音楽史に現れたあらゆる指揮者の中でアンチェルは完全に独自の世界をもち、そこで完結している。たとえば同じ高潔さでもミトロプロスとは違ったあたたかさがある。音楽の中に投影するヒューマニズムも、ワルターやバーンスタインほど大劇場的ではない。アンチェル自身は寡黙で、もちろん商売人でもなかったからいまだにチェコの大指揮者のひとりという位置付けで終わっているが、歴史の流れが変わっていればその位置付けは簡単に変更されていただろう。以前扱ったピアニストのカッチェンがおそらく20世紀最大の音楽家であると言ったのと同様に、アンチェルも奇跡的な才能をもった20世紀最大の指揮者であると断言できる。
 とはいえ、アンチェルの音楽は天賦の才能だけで片付けられるものではない。・・・そう、あの悲劇を語らずには、アンチェルの創り出した音楽を説明することはできない。

 1930年代後半、プラハ放送交響楽団の指揮者として活動していた彼は、当時ファシズム批判の現代音楽最前線の舞台だった解放劇場で作品を上演していたということで解雇され、その後ユダヤ系であったために、家族全員収容所に入れられる。
 収容所を転々とした挙句、1942年、アンチェルの両親と妻と子供は、アウシュヴィッツでドイツ兵によって虐殺される。
 そして、アンチェルは、テレジンの収容所でひとり終戦を迎えた。

 興味本位に書きたくない。
 現代の我々が想像することすらできない凄惨な悲劇。愛するものを失ってしまった悲劇と、一人だけ生き残ってしまった悲劇、そしてその悲劇を背負いながらこれから無尽蔵に生きていかなければならない悲劇。
 一体アンチェルは何を考え、何を思ったか。
 ・・・そして何を祈ったか。
 終戦後、彼はまるで音楽に殉教するかのように指揮活動に没頭する。
 それが彼の彼なりの答えだったのか。崩壊寸前だったプラハ放送交響楽団を2年で世界的なオーケストラに仕立て上げ、1950年にはクーベリックの去った後こちらも悲惨な状況にあったチェコ・フィルに就任、4、5年で世界的水準にレベルアップさせ、50年代後半には一流オケとして世界中を演奏旅行に出かける。日本への来日は1959年、そのとき偶然ウィーン・フィル初来日が重なったが、そのときのチェコ・フィルの充実したアンサンブルはウィーン・フィルをしのいでいたという。

 それから18年に及ぶ長いチェコ・フィルとの関係が続くが、その関係を断ち切ったのはまた国と国との争いだった。
 1968年、チェコで起こった自由化・民主化の運動を鎮圧させるために、ソ連はワルシャワ条約機構軍を進駐させた。・・・・チェコ事件である。そのときたまたまアメリカ演奏旅行中だったアンチェルは、かねてよりチェコ政府に対して反感を抱いていたこともあり、チェコ・フィル、プラハ音楽アカデミー教授を捨ててカナダに亡命する。そして前指揮者の退任が決まっていたトロント交響楽団に着任する。が、その後は肝臓疾患と糖尿病に苦しみ、ほとんど目立った活躍をすることなく、73年に異国の地でこの世を去る。65歳だった。

 アンチェルがとくにブームになったことはない。日本での認知度ももちろん低い。しかし彼の音楽は、あきらかに常人にはたどりつけない、何かを突き抜けた境地にある。冒頭のような派手な作品も、見た目のきらびやかさはないが、そのエネルギーはそうとう高い。まるで、舞台上の歌舞伎役者の心拍数が短距離ランナーなみであるのと同じような。ぎゅっと凝縮された充実度は、見た目が派手なだけの乱痴気演奏とはまったく格が違う。

 アンチェルが去った後、チェコ・フィルがあの輝きを取り戻すことはなかったと言われている。そんなチェコ・フィルとアンチェルの黄金期を飾るこれらの録音。これまでアンチェルを聴かなかった方。どれを聴いても、きっと音楽観が少し変わると思う。

Smetana: Ma Vlast
SUPRAPHON
SU 3661
\1700→\1290
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」(全曲) カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィル
 1963年ステレオ。
 次の「新世界」と並んでアンチェルの2大名録音とされるもの。そしてチェコ・フィルの「我が祖国」の中でも、クーベリックの’90年ライヴとともに最初にあげられるディスクである。
 ただ、勘違いしてほしくない。アンチェルは「「我が祖国」や「新世界」で有名なチェコの指揮者」ではない。「「我が祖国」と「新世界」も、他の演奏同様すごい」のである。
 ・・・とはいえ・・・、やはりすばらしい。
 この、祖国への愛情が純化されたような崇高さというのは、ほかのチェコの指揮者で感じられるものではない。美しさ、哀愁、厳しさ、激しさ、そういった、この作品に必要なものがここにはすべてある。しかし決して情に走りすぎたり、激しすぎたりはいない。ほとばしり出るものを必死で押さえながら、誰にもその表情を見られないようにしながら、アンチェルは平然と指揮をしているのである。
Dvorak: Symphony No. 9 in E minor, Op. 95 'From the New World', etc.
SUPRAPHON
SU 3662
\1700→\1290
ドヴォルザーク:
  交響曲第9番「新世界より」
  序曲「自然の王国で」
  序曲「オセロ」
カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィル
 1961年、1962年ステレオ。
 これがアンチェルの「表」代表作のもうひとつ「新世界」。直截的で、ひとつ聴き間違えると、巷にあふれるつまらない無味乾燥な演奏になってしまいそうな要素をもちながら、よく聴けば実に豊かな音楽を奏でていることがわかる。第2楽章での切なさも、そっけないようでいて心にジンと残る。そしてオーケストラがなんと積極的に音楽を作り出そうとしていることか。愛情や情熱が名演の必須条件ではないと言われるが、それではここで聴かれる、心に響いてくる歌は一体何によるのか?
Mendelssohn, Berg & Bruch: Violin Concertos
SUPRAPHON
SU 3663
\1700→\1290
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調Op.64
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番 ト短調Op.26
ベルク:ヴァイオリン協奏曲
ヨゼフ・スーク(Vn) 
カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィル
 1966年ステレオ。
 メンデルスゾーン、ブルッフ、ともにたおやかな演奏。メンデルスゾーンは早めの軽快なテンポを取り、いかにも気心知れたといった感じでスークと隅々までキリリと引き締まった演奏を展開する。一方ブルッフは全編ゆったりとした重厚テンポ。第1楽章の盛り上がり部分も力強くどしどしと駆け上っていく。好みではないがスケールの大きな演奏であり、考え方によってはかなり変わった演奏といえるが、アンチェルがやっているので奇異なイメージは微塵もない。またいまさら言うまでもないが、スークのヴァイオリンはそのアンチェルに負けない、毅然とした美しさと雄渾な響きを聴かせる。
 そしてやはり特記すべきはベルクのヴァイオリン協奏曲。可愛がっていたアルマ・マーラーの娘の死に捧げられたレクイエム・コンチェルトである。そこにアンチェルが何を思うか察してあまりある。・・・ラストで少女が天使になるところのたとえようのない美しさ・・・。こんな表現はアンチェル以外の誰にできよう。
Mussorgsky: Pictures at an Exhibition
SUPRAPHON
SU 3664
\1700→\1290
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
          交響詩「はげ山の一夜」
ボロディン:中央アジアの草原にて
R=コルサコフ:スペイン奇想曲
カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィル
 1968年、1964年、1965年ステレオ。
 「展覧会の絵」は、残念ながらすっと抜けたまま終わる感が無きにしも非ずだが、「はげ山の」ラストの美しき静謐さ、「スペイン奇想曲」のつややかでのびやかな躍動感はさすがアンチェル。
Stravinsky: Petrushka & The Rite of Spring
SUPRAPHON
SU 3665
\1700→\1290
ストラヴィンスキー:
   バレエ音楽「ペトルーシュカ」
   バレエ音楽「春の祭典」
カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィル
 1962年、1963年ステレオ。
 「名指揮者120人のこれを聴け」で路小音伝介氏がアンチェルのベストCDとしてあげた「春の祭典」。「あのシェルヘンに指揮法を習い、ドヴォルザークやスメタナよりも、よほど現代音楽の演奏に情熱を燃やしていたアンチェルの最良の遺産として、末永く聴き継がれてゆくよう望む」(路小音氏)。第2部はとくにおもしろい。路小音氏が言うように執拗なパーカッション攻撃も見事。そして途中からグっとテンポを落とし心理的にこちらを圧迫してくる。(惜しくも「いけにえの踊り」の3分あたりで電気ノイズが入る)
Mahler: Symphony No. 1
SUPRAPHON
SU 3666
\1700→\1290
マーラー:交響曲第1番ニ長調「巨人」
R・シュトラウス:交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
カレル・アンチェル指揮
チェコ・フィル
 1964年、1962年、ステレオ。
 耳からウロコの名演。木管の響きから弦のアンサンブルまで、これまで聴いたことのない新鮮さをもつ。マーラーがボヘミアの人であったことをこれほど感じさせてくれた演奏はなかった。フルートの音色が鳥のさえずりで、ヴァイオリンが川のせせらぎだったとは。そしてほかの誰も試みなかったコーダ直前のテンポのずり上げ。深刻で劇的に終わりそうな作品を、あえて幸福感で彩ろうとするかのよう。
 またアンチェルを評するときに絶対に「チェコの指揮者らしい素朴さ」というような表現だけは使いたくないが、ここでの「ティル」がヤナーチェクかマルティヌーに聴こえるのはなんとも不思議(ほんとなんです)。

 気のせいかこの数年、往年のチェコの指揮者たちの位置づけが上がってきているような気がする。
 不思議なもので、「チェコの指揮者」という言葉には特別な意味合いがある。「ドイツの」、「フランスの」、「ロシアの」・・・さまざまな表現があるが、「チェコの」という形容だけは特別で、ほかの表現と全然違うのはなぜなのだろう。







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