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第44号
店主イタリア紀行 ヴェネツィア編 第2部

3日目 10/21(火)

 3時に目が覚める。緊張感もあると思うけど、身体はそれほど疲れてないということか??
 今日も結構ハードなスケジュールなので細かな計画を立てる。
 7時半までゴチャゴチャいろいろやっていたが、ようやく空が白み始めたのでいざレッツ・ゴー!今朝は昨日行けなかった朝バーカロに行ってやる!
 今日の気温はどうなんだろう・・・。トレーナーとセーターといういでたち。寒いかな?大丈夫かな?外は曇り。

 まだそれほど混んでないリアルト橋を渡り、初日の夜と二日目の昼訪れた界隈に赴く。ここには近くの市場の人達が来るのか7時半には開店しているバーカロがあるはず。
 地図を頼りに進む。昼間の賑わいが嘘のように閑散とした通り。まあ日本の繁華街の朝、といえばわかってもらえるでしょうか。ちょっと酸っぱいようなにおいがして、ゴミ収集のリヤカーがうろうろしてる。確かにヴェネツィアの街はとてもきれい。それはウィーンなみ。朝の清掃が行き届いてるんだろう。
 あれ、7時半に開いてるはずの店がまだ閉まってる。まあ開店時間なんていい加減なもんだろうなあ。まだ時間はあるから少しぶらぶらしてみよう。

 あまり遠くまで行くと戻れなくなるので近場を探索してると大運河に出た。
 あ、朝市場!そうか、ここだったんだ。
 これがすごい!素敵!これぞヨーロッパの朝市!
 日本ではあまり見たことのない魚や野菜や果物が広い市場の屋台に所狭しと並んでいる。デコレーションもちょっと凝ってて、可愛く円形に並べられたりして見ているだけで楽しい。客はまだそんなにあふれてない。開店したばかりという感じ。近くにこんな新鮮な市場があったらいいよなあ。ちなみにヴェネツィアの本島には漁師さんはほとんどいなくて、ムラーノ島とか近くの島の漁師が毎朝運んでくるらしい。
 ちなみにこの写真撮るまで、おじさん全然こっちなんて見てなかったのに、あとで見てみるとしっかりカメラ目線になってる。さすがイタリア人。

 さーて、バーカロ開いてるかな。
 あ、開いてる。・・・わ、でももう地元のおじさんで満員だよ!ちょっとひるむ・・・。
 うーん、近くにもう1軒有名なところがあったはずだからそこに行ってみよう。
 あ、まだ開いてない。8時半開店と書いてある店が7時半に開いてるはずがない。うーん・・・よし仕方ない、どこでも開いてるところに入ろう。
 すぐ近くにわりと大き目のレストランが開いてた。深く考えてる時間もないので意を決して入る。
 ちょっと怖そうなおじさんがカウンターに立ってる。
 カウンターのショーケースの中のサンドイッチをもらって、ヴィーノ・ロッソ!赤ワインを一杯。
 おいしい。
 カウンターのおじさんも、ワインを持ってきてくれたおばさんも最初は怖そうに見えるが後で優しく笑ってくれる。
 寂しい一人旅では、この、人の笑顔というのが最大の栄養補給になる。
 改めてこれからのスケジュールをチェックしながらサンドイッチを食べていると犬が入ってきた。野良犬だが品は悪くない。というか店の人も追い出さないんだから店ご公認の犬なんだろう。そういえば昨日の昼間のバーカロにもそういう犬が来てた。ここでは犬も人間も仲良く暮らしてるのか。
 気づいたらテーブルの前方1メートルくらいのところでお座りしている。何かくれと言っている。イタリア語だからよくわからん。とりあえず身振り手振りで、「何もあげるものアリマセーン」と片言のイタリア語(というかほとんど日本語)で言うと、「あらま」という顔をして出て行った。通じたよ。
 さて、ワイン飲んでサンドイッチ食って幸せになったところで出発!
 ここは後会計。
 さっき満員だったバーカロの前を通るとやっぱり満員。なんだか人気があるんだな。明日は来てやるぞ。

 さて、これからヴァポレットという水上バスに乗るのだけど、そのチケットを買わないといけない。一日券というのを買えば、明日の朝まで乗り放題。この近くにヴァポレット乗り場があるので、そこでチケットを買って、サンマルコ広場まで向かうつもり。
 で、その乗り場に向かっていたら、ポツンポツン・・・ぎゃ、雨だ!ほんとにポツンポツンだけど、これはまずい。傘持ってない。どうしよう。強行するか。ホテルへ行って折りたたみ傘を取ってくるか。うーん。
 いや、こういうときは安全策を取ろう。傘を取りにホテルへ戻ろう。時間はある。
 あ、そうか、ここの近くの乗り場からリアルト橋まで水上バスで行って、ホテルに戻って傘を取って、そしてそこからサンマルコ広場へ行けばいいんだ。あったまい〜大ちゃん。リアルト橋の近くのヴァポレットのチケット売り場はいつもすごい混雑でチケット買うのは大変そうだから、小さい乗り場でゆっくりチケット買ったほうがいいしね。さっすが〜大ちゃん!
 えっと、ここを抜けて、ここを通って、ここを曲がれば、お、あったあったヴァポレット乗り場。
 ん?
 ありゃりゃ、チケット売り場がないよ!
 ちっちゃい乗り場だから?!ふんぎゃ。
 とほほ、仕方ない、歩いてリアルト橋まで戻るか。
 リアルト橋界隈もだんだん人気が増してきた。
 ホテルに戻って傘をむんずとつかみ、ヴァポレット乗り場に。
 お、まだそんなに混んでない。というか一人も並んでない。そうか、混んでたのは昼間だったな。あはは、よかった。
 「24hチケット、プリーズ!」、おお、ちゃんと通じた。さすが世界のヴェネツィア。売り場のおばちゃんも愛想いい。愛想いいので、ついでに「サンマルコどっち?」と聞くと「2番にもうすぐ来るよ」と教えてくれた。あ、1番と2番に分かれてる。聞いてよかった。って、右から来るのに乗ればいいというのはわかるけど。でも上下線でちゃんと乗り場を変えてくれているのは親切です。えらい。
 で、2番乗り場に行こうとして、はっと気づいた。このチケットを刻印しないといけない。ヴァポレットは改札とかがない代わりに、抜き打ちでチケット・チェックがあって、正しい刻印がなされてないと大罰金となる。そりゃまずい。危ない危ない。
 ということでガイドブックとかに載ってた、今にも壊れそうな黄色い刻印機にチケットをガチャン!と入れようとしたら・・・入らん!どうみても入らん!持ってるチケットのほうが1センチほどでかい。なんじゃ?となりに公衆電話みたいなのがあるが検札機には見えん。なんじゃもんじゃ?ひょっとして24hチケットとかは買った時点で刻印されてるとか?・・・いや、そうも見えん。
 仕方ない愛想いいおばちゃんに聞いてみよう。検札機のほうを指差して、「チケット、こくいん、ガチャン」、と馬鹿な子供みたいなことを言うと、「スワイプ」と答える。
 スワイプ?ナンジャ?
 「スワイプ?」と尋ねると「スワイプ」と答える。
 わからんのでもう一回「スワイプ?」と尋ねると「スワイプ」と答える。漫才か!でも今度はリアクション付きで、手をゆっくりバイバイするようにしている。早く帰れと行っているのか?いや、違うな。スワイプ・・・スワイプ・・・ワイパー・・・。
 あ、そうか!チケットを検札機にワイパーのようにかざすんだ!昨日のアカデミア美術館やドゥカーレ宮殿の入り口みたいに!
 で、嬉しそうに検札機のところに戻る。そして黄色い頼りない検札機と対峙する。この超アナログなおんぼろのキカイにそんなセンサー機能があるだろうか・・・どうみてもなさそうだ。あたりをきょろきょろ見渡して、誰も見てないのを確認して、その黄色い検札機にチケットをかざしてみる。
 なんともならん。
 というか、どう考えてもナントカなりそうな気配はない。郵便ポストにクレジット・カードをかざしているような感覚。たらいの木目を始動ボタンと勘違いして押している感覚。
 うーん。
 と、そこで隣にある「公衆電話」みたいな機械が眼に入った。
 お!これは!これはハイテクっぽいぞ!!まるで抱きつかんばかりにその「公衆電話」状の機械に飛びつき、そのダイヤルっぽいところにカードをワイパーする。
 ピポ。
 おー!!やった!やった!やればできる!・・・て、普通の人ならすぐわかったか。相変わらずやってくれる、大ちゃん。
 さて、そんな感じでスマートにチケットを刻印して、いよいよヴァポレット。
 さっきも言ったけれど、ヴァポレットは上下線でブースが分かれているし、わかりやすい停留所地図もあるし、デジタル表示看板もあるし、船体には路線番号も書いてあるし、もう観光客のために至れり尽くせり。これはほんとに助かる。
 ということでヴァポレットが来た。いざサンマルコへ!!
 船内は案外空いてて、中ほどの窓際に座れる。うーん、いい景色。
 ぐるりと大運河を航行して、予定通り9時に到着。サンマルコ大聖堂は本当は9時45分開館だが、昨日の感じだと9時半には開きそう。9時15分頃には並んでたほうがいいな。

 でもまだ時間があるから、サンマルコ広場の有名なカフェを見に行こう。昼間は人が多すぎて何がなんだかわからなかったし。
 えっと、有名なのがヴェルディが通ったフローリアンとワーグナーが愛したラヴェンナ。
 もちろんまだどちらも開いてない。昼間は店の前の広場いっぱいにテーブルと椅子が並んで簡易ステージでは楽団が派手に演奏しててすごいことになってるのだが、閉まっているとなんてことはない普通の喫茶店。ラヴェンナなんて外から見ると、熱田神宮や上野の一杯飲み屋みたい。でもこの2階の窓際の席がワーグナーのお気に入りだったらしい。どっちの窓際の席かわからんけど一応写真を撮っておこう。そこの窓からワーグナーが外の広場を見てたんだなあ。

 さあ、9時15分。いよいよサンマルコ大聖堂へ。今日はちゃんと一般客用の列に並びますよ。
 さすがにまだ早かったか、10人くらいが列を作るでもなくなんとなくわやわやと集まっている。でとりあえずその中に入ってわやわやしてると、少しずつ列の形態をなしてくる。人間って面白い。途中係員のお姉さんが何かみんなに言っていたが、何を言ったかよくわからん。9時半に開けます、みたいなことを言ったのかな?
 おー、なんだかわからんが20分に開けてくれた。
 ここは無料です。だからツアーでは絶対ここは落とせない。
 ぞろぞろぞろぞろ入っていく。入り口のところで、大きなかばんを持っている人は外の別の保管場所で荷物を置いて来いといわれている。それってまたふりだしからやり直しなのか?・・・ひえ、ここまで並んできてここでそれを言われるのは辛いな・・・。セカンドバッグにしててとりあえずよかった。
 ぞろぞろぞろぞろ入っていく。大きな扉を抜けて、いよいよ中へ。
 おー・・・でかい。さすがにでかい。これがヴェネツィアの象徴か・・・。昨日観たいくつかの教会と比べてもさすがにでかい。
 いまから1000年以上も前、地中海を支配し、一説によると世界を闇の力で牛耳っていたといわれるヴェネツィア共和国。その偉大な国家のためには、象徴となるべき偉大な「守護聖人」が必要だった。そこで当時のヴェネツィア人は、北アフリカに眠る聖マルコの遺体をまんまと強奪することに成功する。ムチャクチャな話しである。そしてその聖マルコを祀るために建てられたのがこのサンマルコ大聖堂。まあよく言えば国家の威信を懸けた大偉業、悪く言えば権力にモノを言わせて創り上げた驕りの象徴。

 とはいえ、この教会抜きでバロック音楽は語れない。
 というのはこの教会、オルガンが教会の左右に分かれていて、それにあわせて聖歌隊も左右に分かれたために自然発生的に二重合唱が生まれたのである。もちろん当時この教会にやってきたフランドル楽派の大家ヴィラールトの存在も大きかった。そしてその多重合唱の手法をさらに進化発展させたのがルネッサンスからバロックの狭間に生きたジョヴァンニ・ガブリエリ。今となっては当たり前だが、彼は合唱や器楽の合奏の仕方を、規模の大小・音の強弱・合唱と合奏の混合・高音低音の組み合わせ、とさまざまなヴァリエーションを組み合わせながら模索した。ルネッサンス時代の超保守的な音楽作りの根底がこの教会で覆ったのである。そしてそのガブリエリの亡きあとに孤高の巨人、モンテヴェルディが現れ、バロック音楽はここで完成される。音楽史上発生した2つの大地殻変動のうちのひとつは、このサンマルコ大聖堂を中心に発生したのである。
 サンマルコ大聖堂がどういういきさつで建てられたかは別として、この教会の音楽史的な意味合いはそうとうにでかい。

 さてそのサンマルコ大聖堂、かなり暗い。その分ステンド・グラスがいっそう荘厳に輝く。
 ぞろぞろぞろぞろとさらに進む。と、そこに宝物館の入り口が。ここは有料。しかし、実はサンマルコ大聖堂の目玉はここではない。おかしいなあ・・・この宝物館より手前に、「ガレリア」というところへの階段があるはず。ガレリアに上がるとちょっとした展示物があり、そこのバルコニーに出るとサンマルコ広場が一望できるという。何より有料だからツアー客は来ないのでゆっくりできるらしい。
 でもそのガレリアへ上る階段が見当たらない。うーん。もっと手前だったのかな。ぞろぞろぞろぞろ歩いてくる観光客の進軍をかきわけ、無謀にも逆流する。
 ガイドブックには、入り口入って右側のところに階段がある、と書いていたので、それらしいところへ行く。おお、そういえばちょっと奥まったところに何か小部屋がある。「confession」と書いてある。「confession」って、なんだっけ。とりあえず行ってみよう。・・・開かない。そうか・・・ここは45分にならないと開かないんだ。まだ5分ある。待とう。
 ぞろぞろぞろぞろ進んでいく観光客の列の脇で、ただひたすらじっと立ち尽くして時の経つのを待つ。
 あ、教会のスタッフらしい人が来た!部屋の鍵を開けて中に入っていった。開いたのかな・・・。
 と、そのあと二人の一般のおじさんが入って行った。おお、なんだかわからんが開いたみたい。じゃあ、入ってみようかな、と思ったらさっきのスタッフの人が出てきた。「OPEN?」と聞くと怪訝そうな顔をして「どうぞ」という。で、中に入った。
 小さな小部屋。明るい日差し。
 祭壇があって、さっき入っていったおじさん二人がひざまずいてお祈りしている。
 ん?ガレリア行きの階段はどこだ?無作法にその部屋の奥まで行って見てみるが、どうみてもそんな階段はない。というか、そんな雰囲気じゃない。お祈りしている二人はもう真剣そのもの。一般観光客がとりあえずお祈りしてみました、という感じじゃない。
 「CONFFESION」・・・「CONFESSION」・・・告白・・・ぎゃ、そうか、ここは懺悔室だ!!おれのような観光客が来るようなところではない・・・しかし・・・このまま出て行ったらお祈りしている人達に申し訳ない。とりあえず懺悔しよう・・・幸い懺悔することは山のようにある。
 ということで懺悔して涙目になりながらその部屋を後にする。いまさらながら罪深い男だと痛感。
 しかし・・・ガレリアはどこだ?どう見てもそんな階段ありはしない。なくなったのか??そんなばかな。
 そうだ、ひょっとしてひょっとしてさっきの宝物館の奥と言うことは・・・ないか・・・でももう行ってみるしかない。ぞろぞろぞろぞろと行列の中に混じって進んで、宝物館へ。
 入り口のカウンターで「ガレリア?」と尋ねる。すると優しいお兄さんが、「エントランス」教えてくれた。
 エントランス?エントランス・・・。
 そっか!言われてみれば、大聖堂に入ってすぐのところはエントランスで、そこからさらに大きな扉を開けて内部に入ったんだ!そのエントランスの右側にガレリアへの階段があるんだ!さっきは嬉しそうにすぐに内部に入ってしまったので気づかなかった・・・。サンキュー!お兄さん!!
 またもやぞろぞろぞろぞろ行軍してくる観光客の列に逆行して今度は入り口まで戻る。そんな馬鹿なやつはあまりいない。幸いときおり列が途切れるのでその間にだだだだっと進めた。
 さて、エントランスへ出ると、案の定、すぐ脇のところに狭くて暗くて急な階段を発見。確かにこれは見つけにくいな。ほとんどの人はその存在も知らないで通り過ぎてしまうだろう。小さくガレリアと書いてるが、好き好んでわざわざこの階段を上がろうという人はいないと思う。
 うんしょうんしょと上がってお金を払ってガレリアへ。
 すぐに礼拝堂が頭上から見える場所へ。
 これはすごい。
 下にいるときは人が多すぎるのと壮大すぎるのとで何がなんだかわからなかったが、ここからみると全体が一望できて、落ち着いてその素晴らしさを堪能できる。ステンドグラスやさまざまな屋内施設の豪華さが手に取るようにわかる。まるでヴェネツィア総督になった気分。ただ実際のヴェネツィア総督はすごく辛い職務だったらしく、みんななりたがらなかったらしい・・・。

 では奥の展示場も行ってみよう。大聖堂正面には4頭の馬像があるがそれはレプリカで、本物はこの展示場にある。ほかにも1000年近く前の写本があったりして(すんごいでかい!)楽しめた。
 さあ、ではいよいよバルコニーに出てみましょう。
 おお、確かにサンマルコ広場を睥睨できる。えいや!天下統一した気分。悪くない。できれば左の広いバルコニーより、ちょっと傾斜してスリルのある右側のほうがリアルでいい。
 もしもしサンマルコ大聖堂を訪れた方は、ぜひこのガレリアは行ってみてください。サンマルコ広場に来るのなら、やっぱり、鐘楼とドゥカーレ宮殿と、そしてこのサンマルコ大聖堂のガレリアは外せないかな、と。ミーハーですが。
 ということでサンマルコ大聖堂、終了。続きまして、このサンマルコ広場からわずか5分でいける目の前の小さな島「サン・ジョルジュ島」へ行きまーす。
 この島には教会があって、でっかい鐘楼もあって、そこに上るとサンマルコ広場の大聖堂よりもいい感じでヴェネツィアの街が眺められるという。高いとこ好きの店主としては押さえとかないといけない。
 サンマルコ広場横のザッカリアという停留所からサン・ジョルジュへ。本当にあっという間。
 ヴァポレットを降りて、普通の人なら絶対に間違えないであろう全然違う建物に入って行きそうになるが、そこは学校だった。・・・一度は間違えないと気がすまないらしい。
 そしていよいよ教会へ。中を通って、奥へ行くとエレベーターが。ぐいーんとてっぺんへ。
 うーん。ちょっと曇ってて最高というわけには行かないが、昨日の眺めとはまた違った雰囲気でヴェネツィアを鑑賞できる。足もとのサン・ジョルジュ島の景色も素敵。
 軽く10分ほど眺めて、さあ、じゃあ本島へ戻ろうか。
 今度はそこからヴァポレットを乗り換えて昨日も来たアカデミア美術館があるほうへ向かうのだ。
 で、すぐに乗り換えようと思ったのだが、どうしても昨日閉まってたヴィヴァルディゆかりのピエタ教会が心残り。いつも閉まっているのか?もう一度だけ行ってみよう。
 スキアヴィーニ河岸を抜けて、橋を渡り、ピエタ教会へ・・・頼む、開いてくれ!
 ギギギ・・・開いた!開いたよ!
 ここがあのピエタ教会か・・・。そんなに広くはないけれど、明るくて静謐で爽快な教会。心が晴れやかになる感じ。
 祭壇に向かってお祈りをして、密やかに後にする。ああ、来られてよかった!
 さて、ここからヴァポレットでアカデミア美術館のほうへ向かう。そこにはサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会という有名な教会がある。そこからず〜っと散歩して北上し、お目当てのレストランへ行こうという段取りである。

 大運河沿いにたたずむサンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会は、昨日回った教会とはなんとなく趣きが違う。建てられたのがちょっと後というのもあるが、ペスト終焉を聖母マリアに感謝して建てられたということで、温かく優しい雰囲気になったのか。
 ヴェネツィアン・バロックを代表する建物。ただこの建物の象徴とも言うべき丸いキューポラはただいま改装中。
 内部も明るくて開放的。荘厳さ厳粛さよりも喜びに満ち溢れた印象。ただ入り口のところで初めて物乞いを見る。おねだりしてきたが「ソーリー」と言ってすげなく通り過ぎると「おおおおおお」と泣き叫ばれた。辛い。
 さて、ここからはお散歩。
 いろんな本を読んだが、このあたりからアカデミア美術館北部あたりまでがヴェネツィアでも最も素敵な界隈だという。
 確かに人通りも少なく、観光的・人工的な装飾もなく、素朴で、もともとのあるがままのヴェネツィアの街の雰囲気を味わうことができる。といってもともとのヴェネツィアを知っているわけではないが、まあ、なんとなく。
 ただ建物的にはかなりさびれている。まあそこがいい。壁がぼろぼろになっていたり、柱が斜めになっていたり、建物自体が傾いていたり。この近くには所有した人が次々死んでいくということで有名なダリオ邸があるはずだが、あえて探さなかった。探すと何かにとりつかれそうで。でも写真でみたダリオ邸に負けないくらい朽ち果てた建物がたくさんある。アパートもあるがわりと空室がある。ヴェネツィアの中心からは少し離れているし、生活には不便だし、設備は老朽化しているし、その割には家賃が高かったりするのかもしれない。ヴェネツィアは新しい建物の建築が禁止されているから、住む人がそれなりに改装していないとすぐに朽ち果てていく。観光的にはいいかもしれないが生活者にとってはなかなか住みづらいところだと思う。
 さて、西の突き当りまで来て、本島の最西端まで来る。向こうにジューデッカ島が見える。その運河沿いを歩きながらザッテレと呼ばれる海岸通を抜け、おしゃれなカフェを横目に見ながら次の行き先の目印となる小運河サン・トロヴァーソ運河に行き着く。
 ヴェネツィアにはいたるところにマリア像がある。とても厚いマリア信仰を感じる。
 そこを今度は東に沿って歩き始める。すると昔ながらのゴンドラの造船所が出てくる。なんてことはない汚い山小屋風の田舎造船所だが、その風情がいい。
 さらにまっすぐ行って、適当なところで橋を渡ってUターン。さっきの造船所の裏手のところから北上し、じわじわと目的地のレストランに近づいていく。
 このあたり、おしゃれで本当に絵に描いたような「ヴェネツィア」の景色。ヴェネツィアの本当の姿を見たければ、やはりこのあたりを歩いたほうがいいというのは当たっている。
 たださすがにかなり疲れてきた。ちょっとテンポを速めて早めに昼ごはんにしよう。くたくた。
 だんだん人が増えてきた。レストランの近くのサン・バルナバ広場はもうすぐ。
 広場の近くまで来るとかなりの人ごみになってきた。地図を広げるのはちと恥ずかしいが、落ち着いて探すとレストランもすぐ見つかった。初日にホテルまでガイドしてくれた人が教えてくれた穴場的レストラン。

 もう12時5分。そうとう腹減った。足も疲れた。
 さあ、入ろう・・・と思ったら・・・ドアが開かん。
 中を見たらおばちゃんが奥に座ってテーブルで何か書き物をしている。あけてくれー、とドアをがちゃがちゃするが全然反応ない。12時でもまだ開いてないのか。でもそこにいるんだからもうすぐ開くだろう。じゃあ少し時間をつぶそう。とはいうもののあまりうろうろする体力はない・・・どっか休むところはないか・・・あ、教会がある。サン・バルナバ教会。そうか、広場と教会はセットなのだ。
 ん?10ユーロ?ダ・ヴィンチ展?うーん・・・ちょっと休憩するだけに10ユーロはちと高いな・・・仕方ないちょっと歩こう。12時15分くらいにはあくだろう・・・。
 ふらふらと所在なげに5分ほど近くをうろうろしてレストランに戻る。お、客が3人ほど入ってる。開いたんだ。
 しかしやっぱりドアが開かん!!なんでじゃー!?
 表からは入れないのかと裏とかも見るがどう見ても入れそうにない。奥のおばちゃんは相変わらず何か書き物をしている。あけてくれー、とドアをガチャガチャするが反応なし・・・あかん・・・仕方ないあと15分歩こう。
 この15分は長かった・・・。
 公園とかがあって休めればいいのだが、この近辺は中途半端に街中で人も多く、そういう場所も見つからない。結局人ごみを離れて造船所付近まで流れ、お約束どおりちょっと迷いつつもなんとか教会に戻ってきてレストランにたどり着いたらちょうど12時半。なんだか疲労困憊。へろへろぴー。必要に迫られて歩くならともかく、時間をつぶすために歩くと想像以上に体力を消耗する。まあでもこれで昼飯食ったらまた元気になるだろう。
 さあ、入ろう。
 ガチャ・・・、げ!開かん!!
 ぎゃー、もうだめだ。もう一歩も動かんぞ。入れてくれるまで一歩も動かんぞ。
 仁王のように入り口に立ち尽くす執念のオーラを感じたか、それまで微動だにしなかった奥のおばちゃんがついに立ち上がった。そしてこっちにズンズン向かって歩いてきた。なんだかすんごい怖い顔してる。ギャ。・・・しかしなんと言われようとここから動かんぞ。
 そしたらドアを開けて中に入れてくれた。動きます。

 一人だというとちっちゃい席に座るように言われる。怖いおばちゃんだ。
 席に座る。今回はちゃんと予習してきて、メニューに出てきそうな品目は汚い紙にメモしてきた。あとパスタはボンゴレしか1人前で出してくれないという情報も聞いてきた。なのでボンゴレと魚料理を一品頼もう。
 メニューが出てきた。さっきおばちゃんが奥で書いてたのはこれだったのか。しかし達筆すぎてよく読めん。
 もちろんまずはワイン。ボトルかハーフかクオーターか・・・とりあえずクオーターにしとこう。
 5分ほど待たされてようやくワイン登場。ゴクゴク。
 そして料理。魚料理は予習してきた黒鯛のグリルを。よし、これで大丈夫。
 はああああ。ワインの心地よい酔いが身体を包む。足はかなり痛いがここで休めばだいぶ治るだろう。これからまだ先は長いのだ。
 ボンゴレが登場する頃にはなんともう店は満員。おばちゃんはさっきよりさらに恐ろしい形相で1人で客を切り盛りしている。開店早々だったから入れたけど、これだけあわただしい超満員の状態ではきっとひるんで入れなかっただろうなあ・・・。

 さーてボンゴレ、おいしい〜!さすが。気づいたらワインも飲み干してしまった。
 ドタバタしてたおばちゃんが、ようやく空になった皿を見つけて近寄ってきた。「ブラボー!」と言いながら皿を取り上げ、初めてチャーミングな笑みを見せてくれた。あはは、なんか嬉しい。
 続いて黒鯛が出てきた。
 ぎゃ、うそ・・・。
 グリルって丸焼きのこと?まんま丸焼き。ちょっとレモンと塩がかかってるだけのまったくシンプルな料理・・・あはは。
 まあ日本の居酒屋だと思って食べればいいか。ナイフとフォークだけど。
 もちろんまずくはないが、おいしくてたまらんというわけではない。なんか不思議な気分で完食。自分で言うのもなんだがきれいに食べた。やはり日本男児たるもの魚はきれいに食べないとね。おばちゃんもさっき以上に大喜びで「ブラ〜ボ〜」とキスしてくれそうな勢いでお皿を下げていった。
 さーて・・・足の痛みはどうだろう。お会計を済ませて立ち上がる。
 グギ・・・。
 う・・・かなり痛い。休むと痛くなるのだ。・・・これはちとまずい。まともに歩けない。参ったな・・・。
 ホテルへ帰って一度休むか・・・なんて、まさか。ここでひるむわけにはいかない。
 まずはこの近くにヴァポレット乗り場があるからそこからリアルト橋まで行ってそこで降りて、今度は本島の最東端まで歩いていき、そこの港からサン・ミケーレ島に行くのだ。
 しかし・・・かなり疲れてる感じだな。まあ、気づかないふりしてがんばろう。
 
 さて、まず近くのヴァポレット乗り場へ行こう。ズキズキと痛む足をズリズリ引きずり、人ごみをかきわけながら運河のほうへ歩く。
 天の助けか、ヴァポレット乗り場は案外すぐに現れた。この時間はさすがに満員。運河の風に当たりながらリアルト橋へ向かう。予定では大運河をヴァポレットで航行するのは最後となる。
 まだ2時前だがちょっと寒くなってきた。雨は大丈夫っぽいけど、風はわりと寒い。これから行く場所が行く場所なだけに、リアルトに着いたらホテルで上着を取ってこよう。
 これから行く場所・・・サン・ミケーレ島。・・・お墓の島である。
 ヴァポレット到着。ホテルで上着を取ってくる。こういうときバスタブのあるホテルだとちょっとお風呂沸かしてひとっ風呂浴びて体の疲れを癒して・・・と思うけど残念ながらシャワーしかないからそれはできない。仕方ない、先を急ごう。ホテルのわずかな階段の上り下りすら足に激痛が走る。
 ここから島の最東端、アドリア海に臨むフォンダメンタ・ヌオーヴォまで歩いていかないといけない。ここからヴェネツィア・グラスで有名なムラーノ島とかヴェネツィア発祥の地のひとつトルチェッロ島などの島へ行くヴァポレットが出ているのである。
 しかしそのフォンダメンタ・ヌオーヴォ。初日の夜にいきなり行ってしまった、あの漆黒の海である。まあ今日はもちろん昼間なので怖くはないが、ここから1キロもない・・・のだが、なんとなく遠い印象がある。
 さて、昨日のお昼と同じ、東側のドイツ商館などがあるかなり人通りの多いエリアを通っていかないといけない。サンマルコ界隈に負けないくらいの人ごみ。よろけながらなんとかサン・ジョヴァンニ・クリソストーモ教会までたどりつく。といってもわずか300メートル来ただけだが。と、そこに有名な「フィア・スケッテリア・トスカーナ」というレストランが。昨日は気づかなかった。というのは、このレストランの横に忍者やスパイでも入っていかないであろうほそ〜い路地があって、その奥に大運河沿いの小さな広場があってそこが素敵だというのである。
 この足が痛いのに、好奇心には勝てない。まるで盗人小僧のようにその路地とも呼べないような狭い「溝」を潜り抜けて進む。すぐそこの喧騒が全く嘘のように誰もいなくなる。
 くねくねと曲がっていくと、・・・・おお、ほんとだ。ちっちゃな広場。大運河が目の前。そして隠れ家的なレストランがひっそりとたたずむ。ああ、もう一日あればここでご飯食べるのにな。
 さて、先を急ごう。また「溝」を引き返し、喧騒のさなかに。
 しかしここを進んでいけば・・・そう、昨日出会ったあの奇跡とも言えるキリスト像のあるサンティ・アポストリ教会がある!ちょっと酔っ払ってるけど少しだけお参りしていこう・・・。
 ああ・・・しかし残念、開いてない。
 なんとなく気持ちに驕りのようなものがあるのかもしれない・・・。
 仕方ない。あきらめて先を急ごう。ここからとにかく東へ東へ行けば必ずフォンダメンタ・ヌオーヴォにたどり着くはず。
 ぐんぐん歩く・・・・なんかすごく喉が渇いた・・・どこかで水を買おうと思うが、一旦街を抜けるとそうした売店は全く出てこない。ビアホールとかはあるけど・・・ああ、ビールが飲みたい・・・。でも今からお墓に行くのにビールというのもなあ・・・我慢しよう。

 どれくらい歩いたかな、20分くらい?・・・ようやく海の匂いが!
 すうっと海が開けた。フォンダメンタ・ヌオーヴォに着いた!
 爽やかで清浄な海。あたりまえだが夜と昼とでは印象が全く違う。お、しかも島行きのヴァポレット乗り場もすぐそこだ!彼方にはめざすサン・ミケーレが浮かぶ。うーん、こいつはついてるぜ!
 41か42という番号の着いたヴァポレットに乗ればどれでもサン・ミケーレに着く。と言っているうちにすぐに41番がやってきた。乗り込もう!
 運河の航行とは違ってさすがに爽快感が違う。途中日本人新婚夫婦を乗せたモーターボートがブオ=っと横を通り過ぎていく。ムラーノ島へ向かうのかな。ヴァポレットで足の苦痛に顔をゆがませながら柱にもたれかかっている日本人男性某一名を発見すると、新婚二人はにっこり笑った。なんだか幸せそうだった。
 さて10分ほどでお墓の島サン・ミケーレに着いた。

 思ったよりたくさんの人が降りた。
 サン・ミケーレ島。門をくぐると確かに公園のような広大な土地にひたすらお墓が。でも花や木々がきれいに植えられていて寂しいうらぶれた感じはしない。清らかで・・・まさに天国のよう。この島、人はまったく住んでないのかな?その昔ペストで亡くなった人の墓地を、本島から隔離する意味でこの島に集めたと聞いた。その分静かで厳粛で、ある意味平和な異空間が誕生した。ヴェネツィアを愛した有名人がこの島に埋葬されることを望んだというのも判るような気がする。
 さて、ここに来たのはストラヴィンスキーのお墓参り。
 昔パリのペール・ラシューズ墓地にショパンのお墓参りにいったけれど、あのときはちゃんと有名人墓地の案内マップがあって助かった。今回はいろいろ事前に調査したがストラヴィンスキーのお墓がどこにあるかは前もって調べることはできなかった。
 なのでいきなり迷うことなく管理人小屋へ。
 「マップ?ストラヴィンスキー?」とまた恥ずかしい宇宙言語を用いると、さすが向こうはなれたもの、すかざす印刷された地図を渡してくれて、あそこをこう行ってこう行けば着けるよ、といやに親切に教えてくれた。なんて優しいんだろう!
 地図を見るとなんと「ストラヴィンスキー」とデカデカと書いてある!やっぱり有名人なんだ。よく見ると横にはディアギレフが。そしてわりと近くにノーノも。そしてず〜っと離れた、お墓の最深部にはヴォルフ・フェラーリのお墓もあるよ。

 おじさんに優しくしてもらったので急に元気が出てきた。さあ、行こう、ストラヴィンスキーのお墓に。
 しかし広い。途中ちょっと迷いそうになりながらまっすぐ突き進むと、なんだかそれらしい一画に。おそらくギリシャ正教地区。きっと一番お花が飾られているのがストラヴィスキーだろう・・・。と、ビンゴ。壁際に案外慎ましやかな白い墓石が横たわっている。あ、隣には再婚した奥さんのヴェラのお墓が。奥さんのほうが後で亡くなったと思うけど、ちゃんと隣にしてもらえたんだな。向こうはなぜかきれいな石をお墓に備える習慣があるみたいで、大小さまざまな石がお墓の上に乗せられている。日本の神社の鳥居の上に石を乗っけるようなものか??
 お花もきれいに備えられてる。
 合掌。安らかにお眠りください。あなたのCDは売れてます。売り上げにけっこう敏感だったストラヴィンスキーにとってそれは重要。

 さて、10メートルほど離れたところにディアギレフのお墓が。こちらは灯篭のような形のお墓。こちらもストラヴィンスキーに負けない人気。石やいろんなものが供えられている。バレエ・シューズもあったりして、それもなんとなくわかる。見ると家の鍵と手紙が供えられている。その鍵を使って私の部屋に来てね、というお誘いか。大胆ね。
 合掌。あなたの功績もとても讃えられてます。

 さて・・・ではせっかくなので近くのノーノもお参りしましょう。そっか、ノーノ、ヴェネツィア生まれだったのね。
 ただ、このあたり、という区画をくまなく探すがどうしても見つからない。わずか50平米くらいのエリアを10分ほど探し回る。ノーノが亡くなったのはまだ最近だから結構新しいお墓のはず。
 そうしたらあった!黒い墓石にアイヴィーのようなツタがからまり、なかなか渋いお墓。ただお供え物はあまりない。人気が高いとはいえないかも・・・。
 合掌。あなたのCDは・・・。がんばって売ります。
 さて、じゃあ、どうしよう。ヴォルフ=フェラーリ。スンゴイ遠そう。サン・ミケーレの一番奥だよ・・・。足も痛いしなあ。
 ・・・でもせっかくここまで来たし、行ってみるか。ここまでまあわりと順調に来てるし。
 歩き出す。ちょっと余裕を持ってお墓を眺めながらの散策。
 向こうのお墓は、日本みたいに墓石があるお墓と、通路の壁面や通路の地面に刻まれる形での墓碑に分かれる。通路に刻まれた墓碑の上って歩いていいのかな?踏まずには進めない。でも・・・やっぱり畏れ多いのでお墓になってない50センチくらいの隙間を歩く。
 面白いのは壁面の墓碑には亡くなった人の写真が貼り付けられていること。これなら故人を直接知らない人もお参りに来ればその人がどんな人だったかなんとなくわかる。「これがあなたのひいおじいちゃまよ」というような感じでお母さんが子供に言ってあげられるし、子供も「そうなんだ・・・」ときっと親近感をもてる。なるほど悪くない。
 さて、そこからまた広大な公園墓地を潜り抜け、ようやくヴォル=フェラーリのお墓がある一画に来たはずだが・・・ノーノ同様、やはりすぐには見つからない。
 いろいろ探し回って、ふと見上げると、正面にちっちゃなステージのようなところが。そこに3つの豪華で大きなお墓が。まさか、と思って近づいてみると中でも一番目立つお墓が、なんと、ヴォルフ=フェラーリだった。すごい。屋根付きステージのお墓で、ちょっと不気味でユーモラスな胸像もあり、明らかにほかの人達と扱いが違う。ヴェネツィアにとって彼は大偉人だったのだ・・・びっくり。そういえば彼は晩年、音楽院の院長か何かをやっていたはずだがあれは故郷ヴェネツィアの音楽大学だったのか。
 合掌。あなたのCDは正直あまり注目されてませんが、私は好きです。これからもうちょっと宣伝します。

 さーて、お参りもすんだし、帰ろうかな。
 ぶらぶらと散策しながら出口を目指す。まだ夕方じゃないけどなんとなく風が寂しげな感じになってきた。
 入り口にあった管理人室が見えてきたのでその区画に入っていくと、・・・ありゃりゃ、違った。別の建物だった。あはは。
 さらに奥に進むと壁に突き当たった。ありゃりゃ。引き返す。地図を見るがここがどこの区画かわからない。迷った??
 少し進むと掃除してるおじさんが二人いるので道を聞こうと思ったが、1人は黒人でもうひとりのイタリア人にひどく怒られている。ちょっと聞けそうな雰囲気じゃない・・・。とりあえずもう少し先に進もう。なんとなくこの先が事務所っぽい。
 ありゃりゃ、全然違う。
 あはは・・・完全に迷った。時間つぶしのために歩くのもきついが、迷って歩くのも非常に体力を消耗する。一日目の夜と同じで、ズンズン歩いて行って最後に行き止まりになったときの焦燥と消耗。とはいえ、まあぶらぶらしてたらどこかに出るか。また掃除のおじさんに出会ったら聞いてみよう・・・。
 と思うのに、こういうときに限ってどんなに歩いても人っ子一人いない。風も木枯らしに変わってきた。なんだかやな感じ。早く出口を探そう。
 と、そこにさらに追い討ちをかけることが。
 ピンポンパンポ〜ン。
 場内放送が始まった。「アッテンション、アテンション〜。」何だ?何か言ってるぞ・・・。
 お、おい、おい・・・、それって・・・。
 閉場のお知らせじゃないのか!!??

 ぎえー!!

 もうすぐ閉まるんだよ、お墓の島。まずいよ、やばいよ。それまでに出口を探さないと、このまま、たった一人このお墓の島に残されたまま夜を明かさなければならなくなる!!
 ちょっと真剣に探さないといかん!!足に激痛は走るがそれどころじゃない。早足。
 と、そこに3人の家族連れが!おおお、この人達についていけば出口に出られるはず!!助かった・・・・。
 と、思うのに、この人達、いやにのんびりしてる。自分たちのお墓参りは終わった感じなんだが、こっちのお墓見ては立ち止まって談笑し、あっちのお墓を見ては立ち止まって談笑し。こっちは素人のスパイのように後ろに張り付いているのだが、どうみても歩調が合わないし、怪しい。
 というか、もうすぐ閉まるというのにこののんびりさはおかしい。この家族自体が怪しい。
 ・・・ひょ、ひょ、ひょっとして、この家族3人実は幽霊で、おれを閉場時間に間に合わせないようにゆっくり歩いているんじゃないのか!?
 ぎゃー!!
 急いで追い越して、次の区画に入っていく。ほぼ駆け足!足の痛みなんてもう感じない。
 そうしたらまた突き当たりの壁に・・・ああ、もうだめだ・・・ヴェネツィア、こんなところまで迷宮かよ・・・なんていってる場合か!!
 おい、この壁見たことあるぞ・・・ん??
 ヴォルフ=フェラーリ。
 ナ、ナニー、いつのまにかヴォルフ=フェラーリのとこに戻ってるじゃんか!!!ギャー!!胸像が不気味とかいったヴォルフ=フェラーリの呪いか!?
 いや、待てよ、これは不幸中の幸い。もう一度ここから慎重に進めばノーノのお墓まではたどりつけるはず。そうすればストラヴィンスキーの区画と管理棟を結ぶ小道も見つかるはず。
 そうだ・・・これはきっとヴォルフ=フェラーリの救いだ。
 ということで、慎重に地図を見ながらノーノの区画へ走る走る。結構速かったと思う。さすが元陸上部!さっきまで通路の墓碑は踏まないようにしてたのに、もうあたりかまわず踏んで走る(あの、言い訳するようですが、踏んじゃいけないわけではないんです・・・一応)。
 そしてノーノの区画まで戻る。お!人も何人か現れ始めた!みんな同じ方向に向かってるよ!
 その方向へ向かって進むと、ああ、神様!管理棟の屋根が見えた!!
 ああ、助かった!!助かったのだ!!皆様ありがとうございました!!これで本島に帰れます!!
 しかしまだまだそう甘くはない。

 とりあえず出入り口を涼しい顔をして通り抜け、ヴァポレット乗り場に。
 あとはヴァポレットに乗り込めば本島に戻れる・・・はず。が、これまでのヴァポレット乗り場はすべて上りと下り、あるいは行き先でブースが分かれていたのに、ここのヴァポレット乗り場のブースはひとつ。つまりどの船が本島行きの船かを見極めないといけない。もし間違えたらムラーノ島に行ってヴェネツィア・グラス工場見学することになってしまう。しかも普通なら左から来たら○○行き、右から来たら××行き、と推測できるが、ガイドブックを見ると、ここに着く船は右から来ても左から来ても、ムラーノ島へ行くのか本島へ行くのかわからないようになっている。でも大丈夫、船体にどこそこ行きと大きく書いてあるはずだから。
 それに乗り場には結構人がいて(10人くらい?)、間違いなく本島へ行く人の数のほうが多いはずだから、大人数が乗り込むほうに乗れば大丈夫という予測も立つ。さすが大ちゃんあったまい〜!
 で、ヴァポレットが来た。大人数が動き出していっせいに桟橋へ。なんだ、いきなり本島行きか。
 ところが船が横付けされて、先頭のおばちゃんが乗員のお兄ちゃんにおそらく「本島行きか?」と尋ねたら、そのお兄ちゃんがすんごいこわい口調ではき捨てるように「ふんじゃらかんじゃら!!」と怒鳴りつけて、そのおばちゃんを先頭にみんなすごすごとブースに戻ってきた。ムラーノ島行きだったらしい。ひいい、あんな怖い言い方しなくても・・・。やはり海の男は怖いのか。
 で、しばらくしたら次の船が。今度はさすがに本島行きでしょう。ぞろぞろと大人数が動き出す。今度は誰も聞くこともなく、ぞろぞろと船に乗り込んでいく。まあ、間違いなく本島行きでしょう・・・と思って自分も乗り込もうと思って船体の横を見たら、この船の路線が書いてある表示板が。
 すると次の停留所がムラーノになってる!!
 んが、これもムラーノ島行きだよ!!あわててブースに戻る・・・と、出発した船体の側面をよく見たらその表示板の下には、同じような路線表示板があって、そこには次はフォンダメンタ・ヌオーヴォとなってる・・・。なんじゃ・・・つまり上りと下り両方の路線表示板を貼ってるんだ・・・しかも本島行きの表示板は薄くてよく見えなかっただけだった・・・ああ・・・今の船でよかったんだ・・・とほほほ。
 と、とぼとぼブースに戻るとほとんど誰もいない。親子の3人連れだけが残っている。英語で話しているところを見るとアメリカ人観光客か。
 なんとなく話を聞いていると、小学生くらいの息子が、「とーちゃん、今の船でよかったんじゃないの?」と言っている。すると親父さんは、「いや、船体横に貼ってる路線図では次はムラーノ島になってたから今のは違う」と言ってる。でも息子は何やらかんやら反論しているが、親父はさらに抗弁している。
 「あ、いやよく見ると、その下に本島行きの路線図があって・・・」と言いたかったのだがうまく説明できそうにないし、親父さんも一生懸命むきになって子供に説明してるので言い出せない。
 そうこうしてるうちに次の船が見えてきた。順番からするとムラーノ島行きだが、右から来たし、なんとなく本島行きっぽい。こうなったら乗員が鬼だろうがやくざだろうが聞くしかない。でもここへきて突然本島の次の停留所の名前が出てこない!なんだったっけ??普通の停留所だと路線図があるのにここにはない!何だっけ、急げ!チーズ・フォンデューじゃないし、アール・ヌーヴォーじゃない・・・わ、わ、なんだ!やっと地図を取り出して見る。フォンダメンタ・ヌオーヴォ。そうだ、フォンダメンタ・ヌオーヴォ。しかも長い。聞いている間に気の短い乗員だと、「はあん!?」とか言って船を出してしまうかもしれない。がんばって練習しないと、フォンダメンタ・ヌオーヴォ、フォンダメンタ・ヌオーヴォ、フォンダメンタ・ヌオーヴォ・・・。
 10回くらい練習したところで船が来た!なんだ?降りてくる人がいるぞ。どうでもいいけどまだ今からこの島に来る人がいるのか??
 ま、そんなことより桟橋に降り立った乗員に聞くのだ!「フォンダメンタ・ヌオーヴォ?」・・・するとなんのことはないとっても優しいお兄ちゃんで、「イエース!プリーズ!」。なんだ、優しい人もいるのか・・・あはは、よかった・・・。
 安心して船に乗り込む。ほどなく出発。そこでようやくふとブースを見ると・・・うわ、さっきのアメリカ人親子、まだブースにいるよ!で、間違いなくまた親子で「あれはフォンダメンタ・ヌオーヴォ行きじゃないか」と論争してる!!やばい!あの親子一生ここから出られないかもしれない!もし今度サンミケーレ島に行く人がいたら、どうかあの親子にどの船に乗ればいいか教えてあげて!!

 ということで船の端っこで柱にしがみつきながら、ヴァポレットは本島へ!安堵すると急に足の激痛がさらに増してきた。さすがにサン・ミケーレであれだけ爆走すると痛みが増す。
 とりあえず本島に着く。ここからまた大運河に向かって30分ほど歩くことになる。途中で休んでもいいが、行き先は決まってるし、がんばって歩こう。次は大運河でゴンドラに乗るのだ!
 ずるずるとぼとぼと西に向かって歩く。途中、初日の夜に歩いたような場所に出くわして、こんなところまで来てたかと改めて自分の無謀さにあきれる。
 ちょっと頭朦朧状態になりながら歩き続けていると、狭い小道からちょっとした広場に・・・あ!ここは・・・あのサンティ・アポストリ教会のある広場!さっきは入れなかったけど、今度は酔いも醒めてるし入れてくれないかな、神様!!
 重い扉に体重を乗せて押すと、・・・ギギギと開いた!ああ、ありがとうございます!!
 あ、今日は4,5人の人がお参りしてる。じゃあ、やっぱり昨日のたった一人のお参りというのは珍しいことだったんだな・・・ありがたいことです。
 正面の礼拝堂でお祈りして、例の磔になったキリスト像のところへ・・・。昨日と同じいでたちでこちらを見下ろしている。
 ・・・・。無事に戻って来れられました・・・。
 そのまま10分ほど椅子に腰を下ろして過ごす。
 そしてありがとうございますとお礼を言って出発。また元気が出てきた。
 向かうはカ・ドーロ。
 ゴンドラ。ゴンドラ。ゴンドラ。
 ヴェネツィアといえばゴンドラ。観光客はとりあえずみんなゴンドラに乗ってヴェネツィアの運河を優雅に航行する。やっぱりヴェネツィアに来てゴンドラに乗らないわけには行かない。東京に来て「はとバス」に乗らないようなもの。乗ったことないけど。
 しかし・・・ゴンドラ、高いです。大体1,2万。大勢で乗るといいのだが、1人で乗るとすごく高くつく。しかもヴェネツィアでアジアの男が1人でゴンドラに乗っているというのはあまり見たことないし、自分で言うのもなんだけどあんまり見たくない。
 ではどうするか?
 実はヴェネツィアの大運河にはあまり橋がないので、その代わりにトラゲットという渡し舟がある。乗り合い渡し舟。日本でも時々ある。
 それが・・・ゴンドラなのだ。
 もちろん金の装飾とかないし、2,3分で着くし、7,8人がどどっと乗り込んで立ったまま運んでもらうというものだが・・・それでも立派なゴンドラである。
 しかも一回1,2ユーロというから格段に安い。
 なんにしたってこれでヴェネツィアのゴンドラに乗ったと将来胸を張って孫に話せる。
 しかもしかも、カ・ドーロのトラゲット乗り場から向かう対岸は今朝行ったあの市場の会場・・・つまり・・・バーカロの界隈・・・。うふふ。
 ということでヴェネツィアとしては珍しい大きな通りを歩いていくと、そこにトラゲット乗り場の看板が!よし、いいぞ。
 と、見るとすでにトラゲット、桟橋に着いてて、しかももう10人くらい乗ってる。前歩いているお姉さんは小走りで駆け寄ってる。もうすぐ出発なんだ・・・。でも足痛くてあそこまで走れそうにないし、急いで乗ってけつまずいてトラゲットひっくり返してもいかんし、まあ、次のトラゲットでいいや。
 と思いながらよろよろ桟橋に向かって歩いていると、船頭の若い兄ちゃんと遠くから目が合ってしまった。「へい!乗るのかい!もう出発するから急いで急いで!!」・・・てな感じのことを叫んでる・・・!乗客もいっせいにこっちを見て、急げ急げと言っている。うわ、じゃあ、急ごう。痛い足を引きずり、桟橋を渡って、トラゲット=ゴンドラに乗り込む。
 うわ、案外ゆれる!あぶね!
 と言ってる間に出発!!
 すいーすいーと進んでいく。ふわーふわーと進んでいく。別になんてことない、公園のボートと同じなんだが、ちょっと不思議な気分。
 しかしもうすぐ到着というときになって、持ち前の心配性が顔を出してきた。
 一番最後に乗り込んだということは、一番最初に降りるということになる。しかし・・・いくらなんだ?誰にいつどれだけ払えばいいのだ?先頭で降りた者がそこでおろおろしてたら後ろの人が「おい、早くしろよノロマ!」とか罵詈雑言を浴びせられるかもしれない。
 ここは勇気を出して先に乗り込んだ隣のお姉ちゃんに聞こう。
 「はうまっち?」
 するとおねえちゃんが、2本指を立てた。中指一本でなくてよかった。
 財布を開けてると「わかる?」というから、2ユーロを出すと、あははは、と笑いながら「20セントよ」と教えてくれた。優しいお姉ちゃんだ。ガイドブックには1,2ユーロと書いてたような気がしたけどなあ・・・まあ安い分にはいいか。
 で、さらに調子に乗って、船頭さんの足元のお金の入った袋を指差して、「あれに、いれるの、ですかー?」と聞いたら、また笑いながら「船頭さんに渡すのよ」と教えてくれた。
 返す返すも優しいお姉さんだ。
 と言ってる間に着いた。
 船はお姉さん側のほうから桟橋に着きそうなので、お姉さんが先にどうするか見ながら同じようにしようと思ったら、・・・船が着いたらお姉さん、桟橋に上がるやそのままカッポカッポカッポと歩いて行ってしまった!
 お、おい、金!金!金払わんかいー!自分で20セント言うとったやないかいー!と思わず大阪弁で突っ込んでしまう・・・というか、次おれだし・・・。
 見たら船頭さん、櫓を片付けたりするのに必死でお金を徴収しようという動きがない・・・え、あ、お・・・・あわあわしている自分を後ろからどんどんみんなが押してくる。仕方なく自分も前を歩くお姉さんと同じようにカッポカッポカッポと桟橋を歩いて行ってしまう・・・。そして深い罪を背負ったままアリアCD店主は市場のほうへ歩いて行ってしまったのであった・・・。
 ・・・そのとき握り締めた20セントはまだ手の中にある。

 ということで、さーて、市場のカンポを抜けて、もう慣れっこになったバーカロ界隈へ。しかしわずか3,4分のゴンドラ乗船で、なんだかフワフワした感じになる。船酔いしているのだ!・・・じゃあ。今度は酒酔いに・・・ひひひ。

 ただ今回は、その前にもうちょっと北上して、世界初の一般市民のための歌劇場、サン・カッシアーノ劇場跡を見に行こう。
 1637年、それまで貴族の楽しみのためだけにあったオペラがついに一般市民に開放されるときが来た。
 貴族はもちろんだが、裕福な商人や市民も多い自由で享楽的なヴェネツィアという街だからこそ為しえた快挙。さきほどサンマルコ大聖堂がバロック音楽誕生を生み出した話しをしたが、このサンカッシアーノに代表される市民劇場の誕生は、後の音楽史の大転換の明らかな前触れを示している。つまりこれまでのような貴族頼みでない、別の発生理由、ビジネスのための音楽が生まれたわけである。150年後にはフランス革命などの市民革命を経て、貴族のためだけではない、一般市民のため・お金儲けのための音楽が主流となるが、その早すぎる前兆がこのサン・カッシアーノ劇場に見ることができるのである。
 などと言いながら、陸上からたどり着いたサン・カッシアーノ劇場は、道路から見るとなんだかわからない、ただの「建物」だった。でも、その隣は、19世紀の画家ファヴォレットの館を利用したホテル・サン・カッシアーノになっていて、ワーグナーなどはそこの常連だったらしい。おそるおそる庭に入って写真だけ撮って逃げてきた。そういうときの逃げ足だけは速い。

 さて、再びバーカロ界隈に。
 昔ヴェネツィア全盛期の頃、このあたりでは夜の危ない人達がたくさん商売してたらしい。でもその雰囲気が今もある。だから惹かれるのか・・・。
 さあ、今度の目的はヴェネツィアで一番有名なバーカロと言われている、「ド・モーリ」という店。たとえ日帰りでも必ず行けという。創業はなんと1467年というから応仁の乱の年。んー、そりゃ、すごい。
 しかし当然いつも混んでて、観光客が1人で行くのはなかなか気恥ずかしいともいう・・・。しかしもうそんなこと言ってられない。なにがどうあっても絶対行ってやる。

 見つけた。ド・モーリ。
 今朝7時半に開くはずの人気店、といったアッラルコのすぐ近く。しかし店内を見てすごい人だったら怖気づきそうなので、とにかくもう立ち止まらないで、店内を見ないで、下をうつむいたまま猪突猛進、店内にぐいっと入る。
 顔を上げると・・・あら、お客さん、誰もおらんよ。
 店のお兄ちゃんがいたので「オープン?」と聞くと「イエース」。らら、ま、いっか。
 すると奥からフルトヴェングラーみたいな怖そうなおじさんが。う、この人が店主か・・・。なんちゅう威厳じゃ。「ボンジョ〜ルノ」・・・う、ここでひるんではいかん・・・「ボボボボ・ボンジョルジョルジョルノー」と顔を引きつらせながら答える。
 まずはカウンターのショーケースのチケッティ(おつまみ)を頼もう。これ、とこれ・・・。そして飲み物は・・・!!
 フラゴリーノ!!

 日本では全く見ない。果物か花か、というような素敵な甘い香りのスパークリング・ワイン。ヴェネツィアだけの幻のワイン。今まで行ったすべての店で実は探したが、どこにもなかったのだ。しかしここド・モーリにはあると事前に調べてきた。ふふふ。これを飲むためにビールも我慢したのだ。
 フルトヴェングラーに「フラゴリーノ」と言うと、お、こいつやるな、という顔をしてニヤリとしてきた。「ロッソ?ビアンコ?」と聞いてくるから、「どっちがおすすめ?」と聞くと、白はドイツのものなので何たらかんたらと言ってるので、「ロッソ」で。
 奥から冷えた瓶を取ってきて、ドクドクドクと真っ赤な鮮やかな液体をグラスに注いでくれる。
 う、うまそう・・・。
 ゴクゴクゴク。
 ああ、なんと爽やかな花の香り!そしてちょっと甘酸っぱい素敵な味。これまで飲んだ数知れないお酒の中でも間違いなく十指に入るおいしさ!!こんなおいしいお酒が日本にほとんど入ってきてないとは!!
 一気に飲んでしまったのでおかわりは・・・白ワイン!これも冷えててとっても美味しかった!
 おいしかったです、ド・モーリ!明日の朝時間があるからまた来ちゃうかも・・・。

 これで大分落ち着いたので、ホテルへ帰って夕方からのフェニーチェでのオペラに向けて準備しよう。途中お酒屋でフラゴリーノを買いに入ったが・・・なかった。うーん・・・ヴェネツィアでも珍しいのか。
 ホテルにたどり着いたときはほろ酔い気分いい気分。足の痛みもすごいが、まあ我慢できないほどではない。
 シャワーを浴びて、荷物を整理。明日にはついにヴェネツィアを去らねばならない。
 出発にはまだもう少し時間があるので、ちょっとだけ寝よう。
 1時間くらい寝たかな・・・飛び起きて、オペラ用の服装に着替える。
 チケットが劇場の窓口に届いているはずなので、それを取りに行かないといけない。
 夜は寒いと言うが、そうでもない。ジャケット1着で十分。
 さあ、迷うわけには行かないので、(2)の方式で地図を見ながら慎重に歩を進める。何度か通った道なので何となくわかるが安心は禁物。
 途中大き目の酒屋があったのでフラゴリーノがあるかどうか聞こうと思ったが、さすがに酒瓶持ってオペラハウスに入るのもどうかと思って泣く泣くあきらめる。
 ということで無事フェニーチェ劇場到着。昨日下見しててよかった。
 お、もう開いてるじゃん。

 さて、今日のオペラは「ナブッコ」!イタリア人にとっては非常にもりあがるオペラ。今回もスケジュール的にヴェネツィアで「ナブッコ」、ミラノで「フィガロ」が観られるからこういう日程にしたのである。なかなか日本では上演されない演目であるし。

 さて、窓口もすごく混んでるが、なんとかチケットも受け取り、さあ、いよいよ劇場に入るぞー!ヴェネツィアの宝石!フェニーチェ歌劇場!!!2度の火災から復活したまさしくフェニックス歌劇場。完成したばかりだが、あえて昔の風合いを残し、ずっと前からあるような雰囲気を漂わせている。
 ロビーを通り、階段を上って席へ向かう。階段を上る足が痛い。かなり痛い。
 2階の入り口で案内係のお姉さんにチケットを渡すと、3階だといわれる。
 3階で、お姉さんにチケットを見せパンフレットを買うと席まで案内してくれた。「ここです」、と言ってドアを開けてくれて中に入ると、オペラ劇場特有のボックス席。個室になっていて、そこに4つの椅子が置かれている。
 まだほかには誰も来ていない。すかさず手すりに駆け寄って舞台を見る。
 ぎゃ。
 チケットが残り少なかったので、できるだけよい席を取ったつもりだったのだが・・・。
 舞台が全然見えん!!
 客席は「馬蹄」形になっているのだが、今回の席はステージから二つ目のボックス。しかも自分は前から2列目。しかもしかもステージ寄り。そうなると舞台は右端2メートルくらいしか見えない。さらに前に人が座ったら舞台はもうほとんど見えなくなるだろう。立ち上がってやっと端っこが見える、という感じである。
 そ・・・そんな・・・。
 昔この個室を使っていた人はここを商談や秘め事に使っていたに違いない。実際ボックス席の人は、舞台の上演内容よりも向かいのボックスにいる貴婦人の衣装のほうに興味があったと何かに書いてあった。
 いずれにしてもボックス席に座って舞台が見えるのは、舞台正面に位置するわずかな区画の、しかも最前列の人だけ。
 これは、はるか極東からわざわざオペラを見に来た男にとってはかなりショック。よほどボックス席から身投げしようかと思った。
 でも身投げするのは思いとどまって、舞台(のはしっこ)と1階席、正面のボックス席、天井を見る。
 おお、これは素敵。ウィーン国立歌劇場よりもわずかにこぶりながら、その豪華さや気品は負けてない。

 外観同様、かつての焼失前の歌劇場をできるだけ忠実に再現し、真新しい施設ということを全く感じさせない。
 しかしそれにしても・・・舞台は見えん・・・。
 でもひょっとしたら1列目に誰も来なければ・・・1列目からなら、かなり身を乗り出せばなんとかステージの右30%くらいは見える。
 ・・・という思いもむなしく、すぐに1列目に貴族然としたザ・ゴージャス!な中年カップルがやってくる。身長190はあろうかという映画に出てきそうな豪華カップルである。
 もうこれで舞台はほぼ制圧された。
 ウィーンのムジークフェラインや国立歌劇場でも思ったことだが、ヨーロッパのこうした豪華カップルは、男の人は絵に描いたように優しく穏やかな紳士。そして女性のほうはこれまた絵に描いたような淑女・・・なのだが、男性のほうは日本人に対しても礼儀正しくにっこり笑ってくれるのに対し、女性のほうはまず100%無視。まったくここに存在していないかのような態度をとられる。彼氏に対して、「あなた以外の男は眼中にないのよ、ましてやアジアの男なんて」、ということなのか?・・・わからんが100%いつもそういう扱いを受ける。まあ、コンサート観に来てるんだからどうでもいいんだけど・・・、でも寂しい。
 そして影も形も見えなくなった舞台を見やるとよけい悲しくなる。

 でも2列目の奥側の隣に誰も来なければ、立ち上がって身を乗り出してカップルの頭上越しに見れば、ステージの右端20%くらいは見える。
 隣、誰か来るかな・・・。
 と、思った瞬間におばあさんが入ってきた。
 ・・・これでまずステージは100%観られない。音だけ。CD状態である。
 しかも2列目のアジア人とおばあさんを無視して豪華カップルは壮絶にいちゃいちゃし始める。
 一方となりのおばあさんは愛想がよくて、「アジア人の男」にいろいろ聞いてくる。・・・よし、こっちはおばあさんといちゃいちゃしよう。
  「どこから来たのか?」、「ジャッパ〜ン!」、「私はベジャのブハ」。
 ベジャ?ブハ?
 なんだ、おばあさん、どっかの原住民か?白人に見えるが。
 「キャピトル」、とか「知らないものなのか、残念」とか言ってる。
 その寂しげなおばあさんを見て、大ちゃんの灰色の脳細胞が活性化する。ベジャ?ブハ?欧米でそれに類するところ。国がベジャで首都がブハ。
 ベルギー&ブリュッセル!それじゃー!!!
 「おー、ブリュッセル!!アイ・ウェント・トゥ・ブリュッセル・ワンス!!」
 でも「ブリュッセル」の意味が通じないから、おばあさんはぽかんとしてる。まあ、いっか。そんでもって「ここは初めてか?」、とか「学生か?」とか「演奏家か?」とかいろいろ聞かれて盛り上がったような盛り上がらんような。で、最後は舞台が見えんから悲しいという話で落ち着いた。

 さて、舞台は見えんが公演は始まる。
 身を乗り出してカップルの谷間からオーケストラ・ピットを覗く。こうなったら恥も外聞もない。
 そしていよいよ幕が開く。
 おっと、現代系・前衛系の演出。演出はギュンター・クレーマー。奇才である。
 シャープな舞台設定で舞台装置はほとんどなし。舞台装飾が間に合わなかったのかというように、ステージはむき出し状態。
 またエルサレムのユダヤの民は、第2次世界大戦中の迫害されているユダヤ人のいでたちでたたずんでいる。薄いシルクのカーテンの向こうにいて、背後から強烈なライトで照らされていて逆光になっているなど、光と影のコントラストがすごい。
 すべてが極力シンプルにモノトーンに迫る。
 その代わりレーザー光線が客席に古代文字を浮かび上がらせるなど、随所に斬新なアイデアを見せる。
 そんな中、主役でもあり稀代の悪女でもあるアビガエッレだけは真っ赤なワンピースで登場、とんでもなく目立つ。
 
 と、そこで気づいた。
 ボックス席は通常、すべてカラオケ・ボックスのように完全密室になっているのだが、自分がいる部屋と、隣の最もステージ寄りのボックスとは、腰までの高さの塀で区切られているだけ。なので、うちのボックスの正面からでなく、立ち上がって隣のボックスの正面越しに舞台を見ると、舞台の左60%は見えるのである。ということはうちのボックス席の正面からカップルの頭越しに見れば右の20%は見えるから、立ち上がって反復横とびのようにサイド・ステップしながら見れば、いい運動になるとともに舞台の約80%は見えることになるのである!なんと、すごい!!もう開演直後からブラボー!と言いたくなった。
 で、おばあさんにもそれを教えてあげて、それからは二人でサイド・ステップしたり、立ち上がったり、前に詰め掛けたり、ときにはおばあさんに肩車してもらったり(なわけない)、かなりの連携プレーでもって前半を乗り切った。まあ、見所は決まっているのでどうしても同じ動作になるのである。
 演奏自体もきちんとツボを押さえていて悪くない。あっという間に前半は終了してしまった。

 さあて、休憩時間。
 おばあさんは元気。今からもっと良く見える空席場所がないか探しに行って、うまくもぐりこめば後半はそこで観るといって去っていった。強い。
 こっちは・・・実はもう足が動かん。人を掻き分けて1階のロビーまで行く体力と気力が残ってない。階段の上り下りどころか、普通に歩くだけでも激痛が。さらにウィーンでもそうだったが、こっちではオペラの幕間休憩は、「それこそが命」みたいにみんなが大挙して休憩所に押し寄せる。そのなかに巻き込まれたら最後、もう息もできなくなる。
 それなのに、ああ、それなのに。
 これがCD屋の性分か・・・、よろよろと足を引きずりながら部屋を出て、通路をつたい、階段を一段ずつ降り、ロビーの渋滞をかきわけ・・・売店に行ってしまう。
 カフェの大渋滞とは裏腹に売店はガラガラ。おじさんがひとりいるだけ。メモ帳とかコップとかハンカチとか財布とか・・・そして・・・あった!CD!
 見たことのない自主制作CDを発見!フェニーチェの音源シリーズ?これは買いだな。5セットほど手に取る。

フェニーチェ歌劇場ハイライトCD 3枚組¥4000
CD1 2003/2004年
 黒のドミノ(オーベール)、セヴィリアの理髪師(ロッシーニ)、ナブッコ(ヴェルディ)
 アッティラ(ヴェルディ)、真珠とり(ビゼー)、魔弾の射手(ウェーバー)
 セヴィリアの理髪師(パイジェッロ)、秘密の結婚(チマローザ)、より
ミケーレ・ペルトゥシ、ヤス・ナカジマ、ジャンピエロ・ルゲッティ、
ステファニア・ドンゼッリ、ほか
ミンコフスキ、ヴィオッティ、ラス、ハイダー、フル、M・ギュトラー指揮
CD2 2004/2005年
 椿姫(ヴェルディ)、ラオールの王(マスネ)、マホメット2世(ロッシーニ)、
 ジェロルスタン大公妃(オッフェンバック)、ニセののろま娘(モーツァルト)、
 パルジファル(ワーグナー)、ピア・デ・トロメーイ(ドニゼッティ)、より
パトリツィア・チオフィ、アナ・マリア・サンチェス、
エレナ・ツィリオ、ほか
マゼール、ヴィオッティ、
シモーネ、カレーラ、ほか指揮
CD3 2005/2006年
 ユダヤの女(アレヴィ)、ワルキューレ(ワーグナー)
 4人の田舎者(ヴォルフ=フェラーリ)、魔笛(モーツァルト)
 ルイザ・ミラー(ヴェルディ)、ルツィオ・シッラ(モーツァルト)
 ディドーネ(カヴァッリ)、オリンピアーデ(ガルッピ)、より
アレクサンドラ・ウィルソン、ジュリー・メロル、
ジュゼッペ・サバティーニ、モニカ・バセッリ、アニック・マシス、
ロミーナ・バッソ、ルース・ロジーク、ほか
F・チャスリン、テイト、セヴェリーニ、ノイホルト、ベニーニ、
ファビオ・ビオンディ、アンドレア・マルコン、トーマス・ネトペリ指揮
分売を3つ重ねたもの。5セット限定。2003/2004と2004/2005にはRIVO ALTOのレーベル・マークがあるが2005/2006にはない。ということはこの頃にRIVOA ALTOは消滅したということか?現在RIVO ALTOに問い合わせ中だが返事はない。ホームページも休止中。


 ほかには・・・実質的にフェニーチェの自主レーベルであるMONDO MUSICA・・。うーん、・・・あるにはあるが、いかにも売れ残りという感じのアイテムが4つほど・・・これは買わない。やはりMONDO MUSICA、今は活動していないのか。
 こんなところだな。では買いましょう。
 先に来てたおじさんが売店のお姉ちゃんとだべってて、なかなか終わらない。じーっと、待ってたら突然売店の明かりが薄暗くなってきた。
 え?入り口のほうを見ると、もうひとりの係員が「オペラ始まるよ」と言っている。「なにー」。おじさん、なかなか終わらない。レジの人に「オペラが終わったら買いに来る」と言ってCD渡そうとしたら、「売店、もう閉めちゃうよ」と言ってる!そんな!ぎゃー、おじさん早くどいてくれ!
 ということでおじさんをせかしてなんとか会計してもらって、階段を急ぐ。足・・・痛い。上がらない。うんしょうんしょと一段ずつ上がる。
 部屋に入ると、おばあさんの姿はない。と、隣の部屋の最前列にちゃっかり座ってる。いいところが見つからなかったのか。こっちを見てチャオと笑ってる。

 さあ、いよいよ後半が始まる。
 後半の演出もインパクトでかい。
 たとえばイタリア人の愛する第2の国家「行け我が想いよ、黄金の翼に乗って」。当然最大に盛り上がるシーンなのだが・・・なんとユダヤの民は全員寝転がっている。そしてモノクロの遺影を一つずつ抱いている。
 で、寝転がったまま歌うのだが、歌が進むに連れて一人また一人立ち上がる。そして盛り上がるでもなく静かに合唱が終わる。中拍手。そりゃこの雰囲気で拍手喝采とは行かない。ブーイングがあるかな〜?と思ったがなかった。大盛り上がりのこの曲を期待した人にはがっかりだろうが、もう見飽きたという人にはすごく面白いだろう。
 そして曲が終わると、一人ひとりが沈黙の中抱えている写真を、観客から見えるように舞台前方に供えていく。ご先祖や亡くなった家族・有名人・・・、みんな思い思いの遺影を舞台に飾っていく。写真/遺影といえばさっきのサン・ミケーレ島じゃないが、あっというまに舞台前方は長く連なる墓地になる。
 なんとも不思議な演出。
 あと面白かったのは第3幕。落ちぶれて王位を剥奪されたナブッコと、王座に着いた娘アビガエッレの確執の場面。なんとここでナブッコは精神病院の真っ白い手かせ足かせの拘束衣を着て登場する。まあナブッコは神の怒りに触れて錯乱しているという場面だからまったく変ではない。しかしこのブラックユーモア。
 実は昔からこの恐ろしい場面の音楽にどうも違和感があった。ナブッコと奴隷女との間に生まれたアビガエッレは、ナブッコのもうひとりの娘、義理の妹のフェネーナを死刑するようナブッコに迫る・・・という恐ろしい場面。
 そんな場面なのに流れる音楽は明るく楽しげでちょっと滑稽。大昔、ストーリーを知らずに聞いていた頃、この場面は恋人同士が将来を誓い合いながらキャッキャ言ってふざけてる場面だと思っていた。
 だから通常考えられる真剣深刻な演出だと、どうもちぐはぐでどこかこそばゆい感じになる。
 ところが今回のようにブラックユーモアで少しちゃかしながらやると、この明るくロマンティックな音楽がピタリはまるのである。

 また第4幕でも、ユダヤの民をナチスっぽい軍人が銃を持って取り囲むという演出は、かなり衝撃的で、緊迫感がいやでも高まる。そのなかでフェネーナが革命的絶唱を歌い、虐げられた民が立ち上がり、軍人たちをやっつけ、それを見て観念したアビガエッレが「無念!」と手元にあった毒を飲むところまでも極めてスムーズでわかりやすく、このあたりで唐突で無理な展開という印象を与える演出に出会うことがあるがそういうこともまったくない。アビガエッレを最後まで悪女のまま憎らしいまま終わらせてくれたのも共感できる。またラストでフェネーナがこんなにも強調される演出というのはあまり聞いたことがないが、アビガエッレとフェネーナという二人の女を軸にして進むと言う展開も悪くない。
 巻き戻しボタンがあればもう一度最初から観てみたい、という気にさせる極めて高度で面白い演出だった。

 実はこの演出はウィーン国立歌劇場でも上演されて、DVDにもなっている。ものすごく・・・不評だったらしい・・・。もちろんそれもわかる。生理的に受け付けない人は多いと思う。ただそのわりには今回の終演後の拍手は熱く、演出家に対するブーイングもほとんどなかった。

国内DVD
Creative Core
TDBA0119 ¥5040
ヴェルディ:歌劇「ナブッコ」全曲 レオ・ヌッチ(Br:ナブッコ)
ファビオ・ルイージマリア・グレギーナ(S:アビガイッレ)
ミロスラフ・ドヴォルスキー(T:イズマエーレ)
ジャコモ・プレスティア(Bs:ザッカリア)
マリーナ・ドマシェンコ(S:フェネーナ)、他
ウィーン国立歌劇場管弦楽団&合唱団
ファビオ・ルイージ(指揮)
演出:ギュンター・クレーマー
ライヴ:2001年6月ウィーン国立歌劇場、字幕:日本語、イタリア語
ヴェルディ初期の傑作『ナブッコ』がウィーン国立歌劇場で初めて上演された、2001年公演のライヴ。1842年のスカラ座での初演以来、159年目のウィーン初登場。
ギュンター・クレーマーによる象徴的な演出が見もの。

 今回の公演は、DVDとは指揮者も歌手ももちろん違う。
 ナブッコはアルベルト・ガザーレ。イズマエーレはロベルト・デ・ビアジオ。ザッカリアはフェルッチョ・フルラネット。アビガエッレはパオレッタ・マロク。フェネーナはアンナ・スミルノヴァ。
 指揮はレナート・パルンボ。演奏はもちろんフェニーチェ歌劇場管弦楽団。

 ということで激しく肉体と頭脳を使う「ナブッコ」が終わり、人の波にもまれながら屋外へ。
 風が涼しい。
 さあ、どっかで何か食べるか・・・?いや、もうかなり遅い。今日はすごすご帰ろう。
 足を引きずりながらとぼとぼ最短+@くらいの道を歩いていく。途中まだ開いてるレストランがあって、持ち帰り用のコーナーがあったのでサンドイッチとビールを買う。受けてくれたのは中国娘。このヴェネツィアでも中国人の躍進ぶりは凄まじく、どの有名観光地に行っても中国人が大声を上げている。10年前までほとんどいなかったというからやはりこの数年で中国は一気に変わったのだ。しかしどの中国人を見てもそのアグレッシヴさにはおそれいる。悪く言えば傍若無人だが、よくいえばパワフルでエネルギッシュ。
 で、この売店の中国娘もサンドイッチを焼いている間、何やかんやと話しかけてくる。日本では1ユーロはいくらだ?ビールはいくらだ?と矢継ぎ早に。ナプキンに缶ビールは2ユーロ、ジョッキだと4ユーロだよ、と絵を描いて見せると何かすごい受けてた。こんなかわいいアグレッシヴさなら大歓迎。
 そして部屋に戻り、シャワーを浴びてサンドイッチとビールを腹に入れて床に着く。
 足は・・・痛い。明日には治ってくれ!



4日目 10/22(水)

 さて、起きたら3時。足はまだ痛いが疲れは取れたような気がする。
 隣近所に迷惑にならないように荷物の整理を始める。今日はミラノへ新幹線で移動するので、できるかぎり荷物を小さくしたい。もう一度必要なものと不必要なものとを分ける。
 
 ヴェネツィア発11:30の列車だから、ここを10時半には出たい。ということは8時半頃にはここを出て最後のヴェネツィア観光を。あと一箇所見たいところがある。コンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段と呼ばれる円筒形の螺旋階段。コンタリーニ家の宮殿の外階段で、階段を上ると町が見渡せるという。何度も近くまで行ったのだが、ちょっと込み入ったところにあって現地までは行けなかった。

 結局7時半頃にはホテルを出て、さまよいながらコンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段へ。ああ、もうこのあたりを歩くのも最後か・・・。
 コンタリーニ・デル・ボーヴォロ階段はフェニーチェ歌劇場にも近い路地をくねくねと曲がった先にあった。
 しかし柵のようなものに覆われて中に入ることはできない。野良猫が我が物顔で遊びまわっている。なんてことはない階段だが、でもやっぱり素敵。いつかまた上れるようにしてくれるのだろうか。
 さて、本当は本島の南西方面も攻めたいところだが、そこへ行くと間違いなく10時までに戻ってこられそうにないので、さーて・・・いつものバーカロ界隈に行きますか。お約束どおり。
 リアルト橋を渡っていつもの猥雑なエリアへ。

 まずは昨日も行った老舗バーカロ、ド・モーリへ。開いてる開いてる。お客さんは2人くらい。フルトヴェングラーみたいな店主も当然いる。
 「ボンジョ〜ルノ!」。負けずに「ボンジョールノ」!昨日よりはちゃんと言えたような気がする。
 また適当にチケッティを頼んで、そしてフラゴリーノ・ビアンコ!
 ああ、おいしい・・・本当においしい。幸せ。

 そして続いてすぐ近くのア・ラルコ。このあたりでは一番人気のお店。昨日も結構人がいたが、今朝ももう5,6人はいてカウンターはいっぱい。でも酔っ払ってるし今日が最後だし突撃〜!!
 サンドイッチを頼んで、そしてヴィーノ・ロッソ!!すぐに次の人が並ぶので隅っこによけて、そこでゴクゴクバクバク。これまたどちらもおいしい。ワインを飲み終えて、おかわり!今度はヴィーノ・ビアンコ!若いハンサムな兄ちゃんが看板息子(?)のようでお客さんからも人気者。写真撮っていいかと聞くと、わざわざワインを注ぎながらカメラ目線でニコリ。大分慣れてるなあ。でも確かに感じのいい店。

 さて、もう思い残すことはありません。
 ホテルへ行き、チェックアウトすると荷物を持ってヴェネツィアの玄関口サンタルチア駅に。
 サンタルチア駅。広大な間口だが、中は案外ちっちゃい。お昼前だがそんなに人でごった返すというほどではない。さあ、いまからミラノ。でもミラノの駅は殺人的に混むというから、ちょっと気が早いようだけどここで明日の「ミラノ」−「ベルガモ」と「ミラノ」−「クレモナ」の切符を買っておこう。

 さて今度はホームで自分の乗る列車を探しましょう。出発までまだ40分もあるけど、列車はもう来てるみたい。
 お、あったあった、ES9706号。えっと、4号車 106番。うん、これで間違いない。心配性だけど、これだけは間違いないと思う。
 とはいえ初めは車両に自分ひとりですんごい不安だったが、15分もしないうちにあっというまに満席状態に。アメリカ人熟年観光団体客。
 そして定刻どおり出発。

 さようならヴェネツィア!ありがとうたくさんの思い出を!
 列車は海の上の線路をすべるように駆け抜け、・・・かくしてヴェネツィアは思い出の地となった。
 そしてさらに波乱万丈のミラノ編へと旅は続く。
 次回ミラノ編をどうぞお楽しみに・・・。



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