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第45号
店主イタリア紀行 ミラノ編

4日目 10/22(水)

 さ〜て、3日間のヴェネツィア滞在を終えて、いよいよミラノへ向かおう!!
 11時半ヴェネツィア・サンタルチア駅発。
 2時間半でヴェネツィアとミラノを結ぶエウロスター新幹線である。日本の新幹線よりちょっぴり快適。座る人がでかいから当然座席も大きいのだ。

 到着は14:05分の予定。北イタリアを200キロ横断する形になる。途中ヴィチェンツア、ヴェローナ、ブレーシャに寄りながらの旅である。明日寄るつもりのベルガモは北の別の路線、クレモナは南の別の路線。行こうかどうしようか最後まで迷ったマントヴァはその南の路線途上にある。
 電車はまずヴェネツィア本島とイタリア本土を結ぶ海上線路を通っていく。初めての人はなかなか感動的で驚きかもしれないが、われわれ日本人は瀬戸大橋を知っている。しかしヴェネツィアへの惜別の思いはやはりにわかにこみ上げてくる。ああ、楽しかったなあ、ヴェネツィア。
 電車はそんな思いを断ち切るようにいよいよイタリア本土へ上陸。
 車窓は、残念ながら期待していたような「北イタリア!!」というような田舎の美しい街並みや自然・・・というのではなく、どちらかというと中途半端なすすけた町の中を走っていく感じで、そうそう日本の観光客を楽しませてくれはしない。

 まあ、明日の細かな計画でも立てながら2時間半すごしましょう。
 と思ったら・・・途中2回ほど長時間停止があって、結局3時間半かかった。とほほ。まあイタリア、こういうことがよくあるとは聞いていたけど。ストにならなかっただけ良かったか。
 あとから考えてみたら3時間半といえば普通列車と同じくらいの所要時間・・・あはは。ま、いいか。快適だったし。
 でも1時間のロスだったために何かの見学をカットしないといけない。

 しかし・・・ミラノ・・・。
 このときの店主の心を捉えていたのは、ワクワクはやる心ではなく・・・恐怖心。
 ナポリなどの南の街ほどではないが、ヴェネツィアと比べたらその治安の悪さは折り紙付き(?)。ちょっと横道に入ったりしようものなら、昼間でも強盗にどっかに連れ込まれてしまう可能性もあるという。
 1年前のウィーンも、今回のヴェネツィアも日本以上の治安のよさに守られ、お酒も飲み放題、道も迷い放題、の〜んびり過ごさせてもらったが、今度はそうはいかない。楽しむことより、まず身の安全を確保しながら慎重にことを進めないといけない。いつもの「無茶」を若干封印し、優等生観光客として行動することを胸に誓いつつミラノに入る店主であった。

 ああ、そうしてエウロスターは灰色の街ミラノに到着。
 いや、本当に灰色なのである。
 ミラノの勝手なイメージとしては、ファッションとスカラ座の街。金持ち貴族に豪奢に飾り付けられた、華やかで洗練された街をイメージしていたが、列車が街に近づくにつれて、そのイメージは完全な間違いだったことに気づく。
 普通の都市なのである。名古屋とか大阪とか。
 ドイツだったらフランクフルトとかシュトゥットガルト。イギリスだったらロンドン。だから本当に灰色の街なのである。ただの都会。ヴェネツィアはもちろんだが、ウィーンとも基本的に違う。車窓から見える景色も、「おー、こんな素敵な建物が」・・・なんてことは全くない。確かにここには悪いやつらがいっぱいひそんでそうやな・・・、と思わせるような現代都市独特の悪いオーラが漂っている。少なくとも素敵な観光都市ではない。
 そんなことばっかり思っていたら落ち込んできた。ああ、このまままたヴェネツィアに帰りたいよー。
 しかしいやがる子供を乗せてエウロスターは無理やり終点ミラノ中央駅に到着。
 重いかばんをよいしょと抱えホームに降り立つ。

 新しい街にやってきて前途洋洋、希望に胸ときめく、というのではもちろんなく、怖い街にやってきて前途多難、不安に胸ふさがる、という感じである。
 周りの人がみんな犯罪者に見える。
 こんなことを言っては失礼だとは思うが、ヴェネツィアと比べて明らかにちょっと低所得者層の人が多い。違う人種の人が多いし、明らかに目がぎらぎらしてる。すきあらば・・・という感じがビンビンしてる。
 ああ。
 今からこの恐怖の犯罪都市の中をこの重いかばんをしょって、ホテルまで行かないといけない。大体地下鉄なんか乗れるのか?こんなんで。地下鉄の駅にたどり着く前に身ぐるみはがされて駅の噴水かどっかに放り込まれるのではないのか。
 あああ。どうしよう。
 そうだ、タクシーで行こう。
 中央駅から地下鉄で一駅だが、重い荷物もあるし地下鉄の切符の買い方もよくわからんし、駅からホテルへの行き方もわかるようでわからんし、何より怖いし。そうしようそうしよう。タクシーがいい!
 ということでおぼつかない足取りで、地下鉄方面ではなく、中央駅正面のロータリーのようなところへなんとか出た。
 で、タクシー乗り場。
 普通タクシー乗り場というと、バス乗り場みたいな看板があって、そこにタクシーが10台くらい並んで、待ち客が5,6人並んで待ってる・・・というのを想像しますよね?
 ・・でも無法都市ミラノ、そんなことがあるわけない。
 タクシーはロータリーにぐちゃぐちゃに停まってる。客を待っているのか、休憩しているのかわからん。
 客が乗ろうとしても何も答えないでそのまま行ってしまうタクシーもあれば、タクシー乗り場を猛スピードで駆け抜ける車もある。
 2,3度これは大丈夫だろう、というタクシーが来てそっちへ向かおうとしたが、重い荷物と激痛の走る足でなかなたどり着けないでいると、その間にほかの人が乗って行ってしまう。
 あっちをうろうろこっちをうろうろ。全然乗れん。もう歩いていこうか。
 そうしたらまた一台のタクシーが。
 よし、これに乗ろう・・・と思ったらまた若い女の子が先に乗ってしまった。
 でもその女の子が自動ドアを自分で閉めようとしたら、「触るな!」みたいな感じで運転手が怒鳴っている。
 ・・・むちゃくちゃ怖い・・・。
 あああ・・・どうしよう。やっぱり歩いていこうか。それともヴェネツィアに戻るという手もあるな。
 何でこんなところに来てしまったんだろう。もういやだ。
 と、そこに、さっきからずーっと停まってる車が目に入った。
 明らかに仕事する気なさそうな雰囲気。中を覗くと、兄ちゃんがゲームやってる。こら、いかんわ。
 ・・・でもこうなったらとりあえず聞いてみよう。「いまゲームやってんだよ!おととい来な!」と言われるのは目に見えるようだし、行き先を告げたら「てめえ、ばかやろ、それくらい歩いて行けってんだ」とか言われそうだが・・・が、もうどうなってもいい。
 ということで、ドアの外から覗きこんで「えくすきゅーずみー」というと、「へーい」と言って元気よく兄ちゃんが出てきた。荷物もトランクに嬉しそうに積んでくれるし、なんかいい人だぞ。
 おそるおそる地図とホテルの住所を渡す。「近すぎてごめんね」というと、笑って「全然OK」みたいに言ってくれた。いい人だよ!!
 で、それから10分、ごみごみした街を通って共和国広場のホテル・ウィンザーに到着。思ったより全然遠くて、歩かなくてよかった。
 考えてみたら地下鉄の駅の出口ってたくさんあって、出る場所を間違えるとどこにいるのかわからなくなるし、目的地にたどり着くのは大変。言い訳っぽいけど、こんな大荷物もあるし、タクシーはよかった。ついでに地下鉄の場所も聞いたら、とっても丁寧に教えてくれた。で、ついついチップをすっごくはずんでしまった。でもすごく嬉しかった。

 ホテルは近代的なビジネスホテル。チェックインも呆気にとられるくらい簡単に終わって、ロビーを抜けてエレベーターに。
 しかしボタンを押すがエレベーターが下りてこない。なんじゃ?
 ん?なんか書いてあるぞ。なんかカードを差し込め、というようなことが書いてある。ははーん、ホテルの部屋とかで、入り口のところでカードキーを差し込まないと電源が入らない、あんな感じで、不審者が入らないようにカードキーを差し込まないとエレベーターに乗れないんだ・・・なるほど。
 よーし、じゃあカードキーを差し込んでやろうじゃないの、と思ったら上から人が降りてきてドアが開いた。あはは。
 ふう、ということでようやくミラノでの部屋に到着!生きてたどり着いた!
 部屋はヴェネツィアよりも広め。
 またもや日本人が愛するバスタブはないが、シャワー・ルームも広い。けっこう快適じゃない!うんうん全然OK!
 ということで、体力と勇気を振り絞ってまた出かけるぞ!!

 重い荷物を置いたら、なんとなく心も軽くなってきた。恐怖の都市、といいつつ、なんとかこの1時間はスムーズに来てるし、この調子で行きますように!
 今からミラノ最大の観光地ドゥオーモ、そしてスカラ座博物館、ブレラ美術館、そしてCD屋、そのあと食事していよいよミラノ最大のハイライト、スカラ座での「フィガロ」!!やっほ、スカラ座でモーツァルトが観られるなんて・・・なんて幸せ!!
 ということですっかり恐怖心もなくなって、シャワーも浴びてすっかり元気に。さあ、行くぞー!!

 ちょっぴり軽い足取りでホテルを出発。地下鉄の駅もさっきのタクシーの兄ちゃんに聞いててすぐわかった。
 そして、えらいのは、地下鉄の降り口に入る前に付近の景色をよく確かめたこと。行くときはなにも考えずに地下鉄の駅に入ってしまえばいいが、帰り、同じところから出てきたときに、どっちにホテルがあるかわからなくなる可能性が高い。そこでこの出入り口の近辺の目印になるものをよく目に焼き付けて、すぐにホテルの方向に向かえるようにしておくのだ。さすが、酒を飲んでないとしっかりしてるじゃない!
 さて、では地下鉄に乗ろう。切符は2日券を買いたかったのだが、2日券は中央駅やドゥオーモなどの大きい駅でしか売ってないらしい。なので駅の売店で4枚つづりの切符を2セット買おうと思う。これで一応今回の滞在の間は間に合うはず。
 階段を下りて改札があるところへ向かい、売店を探す。
 ぎゃ!閉まってるぞ!売店!
 うそ・・・!こんな真昼間に!!
 あっちゃー!。どうしよう。
 仕方なく切符の自動販売機に向かう。
 これがよくわからない。自動券売機。
 ガイドブックにも「わりと購入が難しい」、というようなことがかかれてあったような気がする。中央駅などではこの自販機の横に兄ちゃんが立っていて、買えなくてまごまごしている観光客に親切に手を差し伸べて、2ユーロでいいところを5ユーロ入れさせておつりをくすねていくというありがたいサービスがあるほど難しい。
 実際なんだかよくわからん。
 と、そこに兄ちゃんがやってきた・・・。むむ。
 しかし中央駅にいるであろうような怪しい兄ちゃんではなく、颯爽としたこぎれいなミラノ風サラリーマン。し、仕方ない、ここは恥も外聞もなくおねだりしてみよう・・・。信頼できそうだし。
 「お兄ちゃん、切符買ってえ〜」・・・って、おれは花売りのジプシーか。
 しかし意図を察してくれた兄ちゃんは、「OK」と優しく了承してくれて、1ユーロわたすとチャチャチャと店主の分の切符を買ってくれた。うーん、さっきのタクシーの兄ちゃんといい、この兄ちゃんといい、ミラノの兄ちゃんはなかなか優しいぞ。
 そこでふと、何かのときのためにもう1枚買っておいたほうがいいのでは、と思いつき、「もう1まいいいですかー?」ともう1ユーロわたした。すぐ調子に乗る店主であった。
 さすがに一瞬いやそうな顔をされたが、すぐにチャチャチャと操作して、「あとはこのボタンを押すだけ」と言って颯爽と改札へ向かっていった。グラッチェー!!
 うーん、かっこいい。おれが女性だったら、「私もいっしょに連れてって〜」と言ってしまいそうなところである。
 ということでこちらも颯爽とボタンを押していざドゥーモへ向かいましょう・・・・と・・・・ボタンを押すが、出てこん。
 切符が出てこん!
 間違いなくそのボタンのはずだが切符は出てこない!!おい、こら!!
 ぎゃー、やっぱりさっきの兄ちゃん、中央駅にいるような詐欺といっしょで、おれの1ユーロくすねていったんだ!!ぢぐじょー!信じていたのに、あなたのことを信じていたのに!私の操と1ユーロをを返して〜!!
 しょげる店主であったが、仕方ない、もう1ユーロを入れてボタンを押した。
 うぃんうぃん・・・・がちゃん。
 切符が出てきた。・・・・あれ?
 なんかお釣りも出てきたぞ。お釣りはないはずだけど・・・??
 50セント?なんじゃ?
 あ、そっか!
 さっき2回目に兄ちゃんにわたしたのは1ユーロじゃなくて50セントだったんだ・・・だから切符出てこなかったんだ・・・あはははは。兄ちゃん、悪い人じゃなかった。あははは。みんなも気をつけよう!1ユーロと50セント!

 さて、兄ちゃんの冤罪も晴れたところで地下鉄に乗りましょう。
 自動改札機に切符を入れる。日本と違って、なんかちょっと怖いような通せんぼ扉があって、切符を入れるとそれが開く。挟まれたら痛そう。切符も手前で出てくる。どうでもいいけど。
 さて、ここはレプッブリカという駅。ライン3。3つめがドウォーモである。反対側がさっきの中央駅。上下どっちの電車に乗るかは、日本と同じ要領なので問題ない。
 ただ、地下鉄に乗り込む前に、今、自分が降りてきた地下鉄入り口が、ホームのどこにあるかを把握しておいたほうがいい。帰りにまごつかないようにするために。日本の地下鉄のように出入り口ごとに「A-3」とかいう番号はついてないのだ。
 いま、中央駅寄りの一番端っこの階段を下りてきたのだな・・・。よし。帰りはホームに降りたら、中央駅方面に向かって歩いて、一番端っこの階段を登ればいいわけだ・・・うむ、わかった。えらいなー。
 そして地下鉄が来た。
 ・・・ちょっとこわい。しかしとにかく地下鉄を乗りこなせないとミラノを動けない。
 3駅なのであっという間にドゥオーモに到着。人もどどどっと出る。さすがメイン駅。
 どっこから出ればドゥオーモに一番近いんだろう・・・とは思うものの、でかい建物らしいからどっから出ても大丈夫か。
 で、改札を出ようとしたが・・・日本と同じく出口の改札機には切符を入れる穴があるんだが・・・みんな入れてない。でも扉は開いている。
 ・・・ど、どうしよう・・・切符を入れるべきか入れないべきか・・・。
 無理に入れたら「ギュインギュイン」とかいって赤いサイレンがまわりだして、「コノヒト、キップヲイレマシタ、キップヲイレマシタ」とか放送が鳴り出して駅員やら警官やらが集まってきたらどうしよう。
 でちょっとまごまごしてたら、かなり離れたところにいた派手な服着た若い兄ちゃんがわざわざこっち向かって、「へい、切符、入れんでもええんやで〜」となんとなく大阪弁風のイタリア語でこっち向いて叫んでくれた。
 入れなくていいらしい。
 しかしミラノの街、兄ちゃんがキーワードだな。
 さて、ということでドゥオーモへ行くぞ。近くにあった階段を上る。上がったらきっとどっかにドゥオーモが見えるでしょう。
 トツトツトツ・・・と階段を上がる。そして顔を上げたら。
 ・・・そこにドゥーモが現れた。

威容。偉容。
 すごい。絶句。
 ミラノを特に観光しようとは思わんが、このドゥオーモだけは観ておいたほうがいい。確かに・・・すごい。
 さっきからドゥオーモ、ドゥオーモと、店主は何を言っているのか、という人のために説明しておくと、ミラノのヴィスコンティ家が「ローマのサン・ピエトロ寺院に次ぐ大寺院を建てたい!」というミエミエの見栄で造られた壮大なゴシック建築。
 高さは100メートルを超え、135本の尖塔が天を突き刺す。ヨーロッパの数ある寺院の中でも、確かに1,2を争う豪壮さ。しかも回りに大きな建物がないので、より大きく、孤立してそのすごさを感じる。
 ・・・しかしここで感動して気を緩めているわけには行かない。

 ここがミラノで一番危ない場所なのだ。
 ヴェネツィアのサン・マルコ大寺院のまわりもスリがいて危ないというが、ここはその比ではないという。
 実際広場には明らかに怪しい危険な匂いのする黒人やイタリア人がいたるところにいる。ほんとに100人くらいいる。数えてないけど。
 で、その人達が広場にいる観光客にミサンガを売りつけに来る。ミサンガを売るだけならいいが、ミサンガを手首につけている間に、巧妙に財布をスるというなかなかプロフェッショナルな輩もいると聞く。
 実際見ただけで怪しい。
 なので、要注意モード全開で、あまりその人達には近づかないように、そそそそとドゥオーモ正面左の入り口に進む。
 入り口では結構厳しいセキュリティ・チェックがある。一応問題なく入れてくれた。
 内部に入ると、外から見た以上に広くて壮観。壮大で鮮やかなステンドグラス。これだけ豪奢でありながら趣味がいい。敬虔さときらびやかさがうまく調和されているのだ。さすがヴィスコンティ。・・・って知らんけど。
 ・・・と、いいながらすぐにCDを探してしまう自分・・・。あ、あった。正面すぐのところにスタンドが。

カワイイお姉ちゃんがちょこんと座っている。CDは全部で5,6種類くらい。その中に日本では手に入らないものが3つほど・・・。5枚くらいずつ買ってみましょう。
 「ハウマッチ?」というとニコニコ笑いながら教えてくれるが、イタリア語の数字がよくわからんのでポカンとしてたら、もう一度ゆっくり教えてくれた。財布から一生懸命その金額を出して渡すと、「ビンゴ!」みたいな感じで受け取ってくれた。
 優しい。ミラノの人、なんか、優しい。
 買った後で、今からドゥオーモの屋上まで上がるのだから、帰りに買えばよかったと思ったが、まあ、「見つけたら、その場で買えよ、輸入盤」の標語通り、何があるかわからんからまあ買っといて正解だろう。
 それから20分ほどかけてゆっくりドゥオーモ内部を見学。参拝者といっしょにいっしょにお祈り。あまり排他的な雰囲気ではない。
 オルガンの演奏をやってて、即興っぽいかっこいい曲。しばらく近くのいすに座って聴く。
 ここ、豪壮さときらびやかさとは裏腹に、なぜか落ち着く。まあそれが教会というものだろうけど、いろいろ見てるとそうでない教会も多い。その点ドゥオーモはこんなにでかいのにとても親しい感じがする。
 さて、ではまだ痛む足を押して、いよいよ屋上へ行きましょう。どっからいくのだ?どうやら、一旦外へ出て、建物の脇から上がるらしい。
 ドゥオーモに入るのはお金は要らないけど、屋上へ上がるのはお金がいる。エレベーターだと6ユーロ、階段だと4ユーロ。エレベーターにしたかったが、がんばって階段で登ることに。何かの本に、階段で登ったらすごかった、と書いてあったのだ。


 と思ったら・・・ただの石の内部階段だった。エレベーターでいいです・・・。ヘロヘロ。
 ということでドゥオーモの屋上へ!・・・というか屋根です。
 しかしさすがに・・・高い。かなり高い。圧巻。
 ドゥオーモ前の広場も一望できるし、ミラノのくすんだ街も遠くまでよく見える。
 

そして、さらに細い通路と金属性階段をつたって、正真正銘のてっぺんへ。
 ひろ〜い屋根全体が屋上のような構造になっていて、広々としているが、柵はあるもののかなり傾斜があるのでそれなりに怖い。スリル満点。しかも気持ちいい風が吹いてすずしー。なぜかてっぺんにいる人達の半分が日本人だった。日本人は高いところがすきなのか?店主もそうですけど。
 さあ満喫しました。
 どーも、ドゥオーモ!・・・と数百万人の日本人が言っただろうなあ・・・。
 帰りはこっそりエレベーターに乗って降りてやろうかと思ったけど、「ねえ、これ、帰りはエレベーターに乗って降りてもわかんないんじゃないのー?」と後ろの新婚婦人が言っているのが聞こえて、思いっきり神様に先を見越されたような気がしてすごすごと歩いて降りる。



<CD紹介>

MOTETTE DCD50731
(2CD)¥3790
ミラノ・ドゥオーモの音楽
 CD1)合唱曲
      L・ミリアヴァッカ、S・ガロッティ、G・ラメーラ、A・ドニーニ
 CD2)オルガン曲
      M・E・ボッシ、A・ガリエラ、L・ベネデッティ、U・ロトンディ
      L・ミリアヴァッカ、R・ファイト
ミラノ・ドゥオーモ・カペラ・ムジカーレ
E・ヴィアネッリ、L・ベネデッティ、
C・リヴァ、M・P・プラッセル(Or)
ドゥオーモで販売されていたMOTETTEレーベルのアルバム。MOTETTEは日本ではなかなか手にはいらない。
作曲者は20世紀前半に活躍した人のようで、作風は多少即興的な感じはあるが伝統的。とくにA・ガリエラというひとの幻想的なオルガン曲は、ちょうどドゥオーモで演奏されていた作品ととても似ていた。
SIPARIO DISCHI
CS72C \2390
モーツァルト:オルガン作品集
 FANTASIA IN FA per un Orgelwalze K 608
 ADAGIO INC per Glasharmonika K 617(Romiti)
 ANDANTE IN FA per Orgelwalze K 616 (benedetti)
 FUGA IN SOLL MIN. per organo KV 401 (Benedetti-Romiti)
 TEMA IN DO per organo KV Anh.38 con otto variazioni (di Luigi Benedetti, 1991) (Benedetti)
 FUGA IN MI MAGG. C 27.10 (Frammenti)(Benedetti)
 ADAGIO E ALLEGROIN FA MIN.per organo K 594 (Benedetti-Romiti)
LUIGI BENEDETTI
LETIZIA ROMITI, organ
こちらも日本ではほとんど見かけないSIPARIOのCD。上記のL・ベネデッティつながりか。SIPARIOのCDはミラノのCDショップにも置いてなかった。録音場所はドゥオーモとは関係なさそう。


 さーて、次はいよいよスカラ座。衝撃の出会いでしょうか!?
 スカラ座はここから歩いてすぐのようだが、そこへ行くときに広いアーケード街を通っていく。
 で、そのアーケード街がとっても豪華だったりする。ガラスの天井にゴージャスな鉄枠、モザイクの床、芸術的なフレスコ画。・・・といっても何も知らないで通ると「ふーん」くらいのものだが、アーケード自体が100年以上前に造られた歴史的建造物だと聞かされると「ほほーん」と思ってみてしまう。実はこれこそが、ミラノを紹介するときにドゥオーモといっしょに必ず登場する「ガレリア」ってやつである。
 ガレリアの中心は半径40メートルくらい(多分)の広場になっていて、その中央から四方に広がるアーケード街を見ると確かにちょっと壮観。さらにその中央の中心にかかとをつけてぐるっとまわるといいことがあるらしい。今までたっくさんの人がやってきたらしく、そこはへこんでる。自分もやろうかどうしようか迷ったがさすがにやらんかった。
 ということでその由緒あるガレリアを抜けて、いよいよスカラ座へ!
 ガレリアの先にちっちゃな広場が。あれ、ひょっとしてここがスカラ広場?・・・ということは必然的にあれが・・・スカラ座か!?
 おおお・・・確かにそれっぽいな・・・。
 思ったよりもちっちゃいし普通っぽいが、まあこんなものだろう。
 でもここにカラスもカラヤンもトスカニーニも来てたのだ。たいていは車で横付けにしてもらって入っただろうけど、この広場を抜けてガレリア近くのカフェに行ったりしたこともあるに違いない。
 では、近くへ行ってみましょう。
 ふむ。近くへ行っても、閉まってるから何もない。なので、建物の左側へまわってさっそく博物館に行きましょう。
 切符を買って階段を上っていく。写真は撮っちゃだめらしい。
 階段には昔のポスターがたくさん貼ってある。博物館に入ると、昔使われていた楽器や楽譜、有名歌手の肖像画が展示されている。テバルディがカラスと同じくらい大きく飾られていた。指揮者ではやはりトスカニーニ。そして今回の特別企画は・・・カラヤン。やはりスカラ座にとってもカラヤンは特別な人だったのだ。会場の半分以上を使ってカラヤンの豪華な展示物が並ぶ。

 さらに進むとスカラ座の正面の客席にもちょっとだけ入れるようになっている。おお、そこから観るステージ、客席・・・これぞ夢にまで見たスカラ座!本当にまばゆいくらいに美しい。ウィーン国立歌劇場やフェニーチェとまた違う!でも今夜来るもんね〜!
 さて、ここへ来た目的は、博物館の見学・・・もあるが、当然売店!CDである!!
 あ、あった、売店・・・!
 ・・・というより、カウンターにちょっとしたアクセサリーがあるだけ・・・CDはない!え・・・でもスカラ座の自主制作的CDも出ているはずなのに。本とか写真集とかもないの??
 そ、そんな。これは悲しい。
 ほかにもっと大きい売店があるのかと思ったが、やはりそれらしいところはない。とほほ・・・そういうものなのか。

 仕方ない、ではミラノで一番大きいCDショップへ行こう!スカラ座よさらば、また3時間後!
 さて、ミラノで一番大きいCDショップといえばリコルディ。さっきのガレリアの一画。
 おお、結構大きいしおしゃれ。期待できるかも。
 地下へ降りると、日本でもよく見る外資系CDショップと同じつくり。
 しかし、やはり昔とった杵柄、CDショップに入ると血が騒ぐ。どんなに疲れていても背筋がしゃん!と伸びて、たるんだりおしゃべりしている店員がいたり、陳列が乱れていたり、スポットライトが切れていたり、接客態度の悪いキャッシャーがいると注意したくなる。
 で、店を見回りながら5分・・・あれ・・・クラシック売り場がないよ。なんで?1階にはパヴァロッティの大きなポスターとかあったからクラシックがない、ということはないはず。別の階?あはは。
 一度1階に戻って、よーく見ると、あ、やっぱり2階でした。
 階段を上がると、おお、まずまず広い。
 ・・・しかし長年の勘というか、店を一目見ただけで珍しいものはない、という直感が。
 いくつかの棚をチェック。明らかに日本の大型店の4分の1の品揃え。また、ここでしか置いてないレーベルもない。すべて日本で手に入るもの。うーん。
 基本的にイタリアというのはあまりCDが売れないのか??でもへんてこりんな地元CDとかあってもよさそうなものだけど。
 しかしCDコーナーの奥にある書籍がすごい。少なくとも日本にはこれだけのクラシックの書籍を置いてある店はない。ご存知のようにリコルディというのはイタリアの超老舗楽譜出版社。ベルリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ、プッチーニという大オペラ作曲家の楽譜も一手に引き受けていた。ただ今はBMGの傘下に入っているはず。CDも出ていたが、今はあまり活動を聞かない。まあいずれにしてもそんなこともあって、書籍に関しては強いわけである。
 ただもちろんほとんどがイタリア語。でも、うーっむ・・・すごいな。ピアニストだけでも20人くらいの人の伝記が出てる。指揮者や歌手もわんさか。読めんけど。
 それにしてもこれだけの著作が、日本語には訳されず、我々の目に触れないでいるのだ。なんという損失・・・。クラシックCDに関しては間違いなく世界一の豊富さと流通を誇る日本だが、書籍に関しては「翻訳」という壁があって、きわめてわずかしか流通されていないのである・・・。つまり日本人は博学のようでいて、世界で出版されている書物のわずか数%しか読むことはできないのである。実に惜しい。

 ということで感心しながらも少し残念な気持ちを抱いてリコルディを後にする。
 さて・・・これからどうしよう。2時間。
 実はあまり書いていないが足が痛い。相当に痛い。そして疲れがここへ来てピークに。近くのカフェで休んでもいいのだが、ここは思い切って一度ホテルへ戻り、CDなどの荷物を下ろしてちょっとだけ休んで出直すか・・・。
 少し迷ったがそうすることに。疲れがいい感じで過度の警戒心を和らげ、少しミラノの街にも慣れてきた。地下鉄の構内に戻り売店で地下鉄の切符の4枚つづりを2セット買おう。
 あったあった売店。
 わ、中国人の怖そうなお姉さん。「4回券2セット」と言うと、ニコともしないで隣にいた同じく中国人の若い青年を「フンハン!」とアゴでこきつかってる。こわい。
 切符を出してきたが1セットしかなかったのでちょっと怖かったけど「もう1セット」というと、「なんだと、このやろ」みたいな目つきをしながらまた中国人青年に「フンハン!」とさらに強い鼻息で指示。まじでこわい。
 しかし思うのは観光地にも中国人観光客は多いが、ヴェネツィアのカフェといい、このミラノの売店といい、そういうところにも中国人は入り込んでいる。日本人がそういうところで仕事をしているのは見たことがない。やはり中国人のバイタリティというのはすごい。しかもそこですぐに自分の強靭なテリトリーを築いているのがすごい。日本人にはなかなかそういうパワーはない。日本人の観光客は、たとえ大阪のパワフルおばさん集団ですら、良くも悪くもおとなしい。まあだから海外の観光地での評判はいいのだが。どこかの観光地の売店の人が言っていたが、ショーケースの上に商品を出したまま絶対にどっかに行ってはいけない。たとえ1メートルでも。ただし、日本人の場合は大丈夫。・・・だ、そうである。それは嬉しい。

 さて、ではその4枚つづりの1枚を使ってREPUBRIC駅に行こう!うまくすればホテルで1時間ほど休めるかもしれない。
 地下鉄も3回目になるともう慣れた。そんなに複雑ではない。
 そしてREPUBRIC駅に着いた。えっと、中央駅寄りの一番奥の階段を上れば、ホテルに一番近いんだったな・・・ちゃんと頭に入れておいてよかった。あはははは!ここでまごまごしてたら時間と体力の無駄だからな!
 と思って階段上がったら、全然違う出入り口!
 「あはははは」じゃない。
 や、やばいよ。全然違うところに出ちゃったよ。通りに出たが、当たり前だが全然違う風景。行きに一生懸命チェックしたのは一体なんだったのだ??がっくり。さっき行きのときに目印とした建物はどこにもない。ううう、この疲れているときにこれはあまりに無慈悲な。
 とはいえ、この周辺をぐるりと回ればどこかでたどり着くはず。あまり遠くへ行かないように別の地下鉄の出入り口を探しながら歩いていくしかない。あ、そうか、念のためミラノの地図を用意してたんだ!目の前にあるウェスティン・パラス・ホテルは・・・・ぎゃ、うちのホテルと完全に正反対の場所だ!ううう、中央駅よりの階段じゃなくて、ドゥオーモよりの階段だったんだ・・・最初のチェックがいきなり間違えてたんだ・・・はららら。
 結局歩いて歩いて30分かかってようやくホテルにたどり着く。それだけで疲労困憊。何のために帰ったのやら・・・いや、待てよ。今帰らなかったら、夜フィガロが終わって真夜中、同じように迷っていたことになる・・・もっと疲れている上にCDとかの荷物を持って、真夜中の危険な通りを同じようにホテルを探して歩き回らなければならなかったはず・・・それを考えると今迷っておいたほうがよかったという考え方もできる。うんうん。そういう意味ではついてるか。
 ホテルでの滞在時間はわずか30分。しかしシャワーを浴びて服を着替えて、ベッドの上で15分間「一瞬睡眠」。
 ふー!!
 よし、行くぞ!スカラ座。
 もう慣れたもの!すいすいと地下鉄を乗りこなし、ドゥオーモの怖いお兄さんもうまくかわし、豪華なガレリアを抜けて、またまたいとしのスカラ座へ!

 ちょっと早かったみたいだけど、チケットを窓口で受け取らないといけないし、まあいいか。
 おお、早くも会場前はすごい人だかり。えっと、窓口はどこだ?確か建物の中と言っていたからとりあえず開場するのを待とう。
 7時半。ようやくオープン!!わわわ〜っと正装したみんながいっせいになだれこむ。もちろん颯爽とね。
 あれ?もう切符のもぎりの人がいるよ。窓口なんてなさそうだよ。おれ、チケットもってないよ。ありゃりゃ。
 押し寄せる正装軍団を逆流して、なんとか屋外へ。うーん・・・。このあたりには窓口というかチケット売り場はなさそうだな・・・。正面のすぐ近くと言っていたはずだけど・・・。
 そうだ、さっき行った博物館あたりにはなんかそういうところがありそうだった。そこへとりあえず行ってみよう。
 博物館にお兄さんがいたので、「チケットの窓口どこですか〜?」と聞くと、「あっち行ってこっち」みたいに教えられたが、いやいや、いくらなんでもそんな遠くにあるとは考えられん!とはいえ、信じるしかない・・・言われたとおりスカラ座横のカフェを通り過ぎ、角を曲がりさらに2,300メートルほど行く。

 こんなところにあるわけないじゃん!人気もなくなってきた!怖いお兄さんたちに路地裏に連れ込まれそうだよ!・・・というほどではないけど、困ったな・・・と思ったら、あら、なんか人が事務所みたいなところに入っていく・・・!
 わ!窓口だ!窓口だ!
 よかった・・・たどり着いた!お兄さんの説明が正しかった。日本から持っていった情報が違ってた。
 ということでみなさま、スカラ座のチケット窓口は建物正面左わき道のかなり奥です!あきらめて帰らないでね。
 チケットの引換証を渡し、「そんなチケットは予約されてませんねー」などという最悪の不幸な事態になったりすることもなく、無事チケットを入手。
 さーて、ではもう一度会場へ向かいましょう。
 ついにスカラ座に入場!ウィーン国立歌劇場やフェニーチェも豪華だったが、またそれとは違った豪華さ。ただ照明がまぶしく、まわりのものが全部きらきらして見えてあまり観察できる心境じゃない。まるで天国に来たかのよう。実際天使がふわふわ飛んでても不思議じゃない感じ。
 預ける荷物もないので階段に向かう。
 今回は3階の正面。いい席。フェニーチェのようなことはないはず。

  会場のお姉さんに案内されてボックス席へ。あらまあ、なんと、さっき博物館を見学していたときに唯一入ることを許された客席ボックスだった!まあ。
 今回の席は舞台の正面で、最前列。立とうが座ろうが寝ようがわめこうが騒ごうが、舞台はよく見える。ブラボー!!昨日みたいに反復横とびをしなくてもすみそう。
 開演10分前、同じボックス席もすべて埋まった。隣と後ろ2席はイタリア人おばさん仲間。3列目はおそらく音大生と思われるイタリア人女学生。この間も書いたけれど、3列目は立たないと舞台は見えない。二人の女学生はすでに起立して臨戦態勢。
 さ〜〜〜て、いよいよ開演!夢にまで見たスカラ座!!
 そういえば去年の今頃、実現可能な自分の夢を書き出したとき、その一番最初に来たのが、「スカラ座でオペラを見る!」だった。

 「実現したい夢は、書き出して絵や写真を貼り付けてイメージングしておくと実現する」、という引き寄せの法則を実行したんだけどさっそくこうして実ったわけである。うーん・・・ありがとうございます、神様!
 話はそれるけど、このやり方確かに実現性が高くて、「本を出したい」とか「漫画家になりたい」とか「大学の先生になりたい」とか、むちゃなお願いもなぜか次々と実現していってる。みんなもやってみて。
 などといっている間についに上演開始。
 今回の「フィガロの結婚」、指揮はなんとジョヴァンニ・アントニーニ。古楽器アンサンブル、イル・ジャルディーノ・アルモニコのリーダーでもあるが、最近はSONYBMG(第1弾はOehms)からベートーヴェンの交響曲チクルスを出している。しかしまさかスカラ座で「フィガロ」を振っていたとは。一体この先何をやろうと思っているのか。
 一方の歌手陣はあまり有名な人たちではない。おそらくスカラ座の研修生と思われる。でもその実力はもちろんプロ級だろう。
 さ!いよいよ序曲が始まった!!
 イタリア最高のオペラハウスでモーツァルトの最高のイタリア・オペラが聴ける!
 序曲から第1幕、第2幕と怒涛の快進撃。名曲の津波の中、あれよあれよといううちに前半終了。シンプルでスタイリッシュな舞台装置で、音楽のテンポも速め。
 スザンナがいい。中国人?やはり中国人の進出は目を見張るものがある。いや、韓国人かな。バトルやコトルバシュを思わせる可憐な感じでとってもいいです。
 さて、休憩。長時間座っていて足の筋肉痛がまたピークになってきたが、しかしここでじっとしていられる性分ではない。さっきは見つからなかった売店を探しに行きましょう。

ウィーンのときも思ったが、ヨーロッパの歌劇場は、オペラの上演よりも、休憩の間の社交にその存在価値がある。オペラ上演自体は、社交のための名目なのだ。だからこの休憩時間になると、全員、間違いなく一人残らずひろ〜いひろ〜いロビーに出てワイングラス片手におしゃべりに興じるわけである。その豪華な、皮肉っぽくいえば退廃的な雰囲気こそがオペラハウスの醍醐味。
 しかし日本から来たひとりぼっちの男にその状況はとてもつらい。どこにいってもワイングラスを持った正装の西洋人である。しかも強烈なシャンデリア。畢竟、場慣れしていない極東男は激しい被差別意識にさいなまされて、行き場を失う。見上げるとそこにトスカニーニの巨大な胸像が。助けてトスカニーニ!!
 結局スカラ座のロビーはあまりの人の多さで、売店らしきものも見つけることができなかった。というか、あまりのまぶしさに負けて帰ってきたというのが正しいかもしれない。
 おそるべしスカラ座。


 自分の席に戻ると、ま、ここは落ち着ける。まだ部屋のみんなは戻ってきてないが、ゆっくりと客席とステージを見下ろす。あそこでカラスが歌ってたんだなあ。今でも「椿姫」の公演があるときはカラスがここに降りてくるといってたから案外屋根裏あたりにいつも潜んでいるのかもしれない。モーツァルトだから今日はいないか。この舞台で天才たちの数知れない奇跡的な公演が行われた・・・同時にものすごい確執もあったんだろう。今日はちょっと疲れててその怨念のようなオーラはあまり感じられない。
 さーて、休憩時間も終わり、客席もまた埋まってきて、いよいよ後半。
 後半は、前半の怒涛の名曲攻撃から一転、落ち着きモードになるということと、レチタティーボも長めになる・・・う・・・ちょっと眠気が。
 疲れが出てきた。

 そんな、この夢にまで見たスカラ座で、しかもフィガロで眠くなるなんて!信じられん!初めてオペラを観に行ったとき、あまりに興奮して前日眠れなくて公演中寝てしまったことがあったな・・・。それを思い出す・・・。
 うう、しかし今日も眠い。
 強烈に眠い。
 あったかいし、背もたれと壁にはさまれて快適だし、音楽は素敵だし。かみさま〜・・・・
 ドッスーン!!!
 いきなり3階席から1階に落ちたような衝撃で目が覚める。全身の力が抜けてガクっとなった。アー、はずかし!
 このドッスーンのおかげでなんとかあとはスムーズに観られた。最後の大団円まで、前半同様スピーディな展開でぐぐぐっと見せきった。
 観客はほとんど50代以上だと思うけどその熱狂ぶりはすごく、1階客席のほとんどの人がステージ前に押し寄せるという光景に。無名の人たちの公演だったけどなかなか迫真の公演だった。これが大歌手によるメイン公演だときっとものすごい熱気なんだろうなあ。
 ということでまだ熱気覚めやらぬステージを横目に、痛い足を引きずり引きずり会場をあとにする。

 スカラ座、今度はあのまぶしいシャンデリアに負けないようにもっと大きな男になって戻ってきてやるぞ!

 うわ、うそ、もうすぐ12時だよ。信じられん。みんな夜更かしだね。しかもタクシーに乗る人も多いけど半分以上の人は地下鉄のほうへ向かってる。ガレリア(アーケード街のね)にはおそらくスカラ座客目当てかまだまだ開いているお店がいっぱいある。いっぱいやって帰りたいところだけど、疲れたし眠いしそんなに腹減ってないし、ここで酔っ払うのは危険だし、我慢して地下鉄の駅に向かう。さようなら、スカラ座!

 そして地下鉄構内に入った。
 あれ・・・??REPUBRIC駅のあるライン3への表示がないよ。ライン1はあるし、「セントラル駅行きはこちら」という案内はあるが(それでよかったんだけど)、ライン3の表示がない!
 なんじゃ!?
 初めはスカラ座客もうろうろしいてこちらも余裕で探していたが、そのうち人気がなくなり、気づいたらかなりやばそうなお兄さんたちしか残ってない。
 だんだんあせってきた。終電は12:00ころと聞いたし!
 いつものように人に聞こうにも、さすがにあのやばそうな兄ちゃんたちには聞けない。「こっちだよ」、とかいってとんでもないところに連れて行かれそう。
 こわい・・・が・・・とりあえずこのエスカレーターを降りてみよう・・・。
 するとそこから2,3分歩いたらライン3の表示が!ふ〜!!助かった。ありがとう、神様!
 さて、地下鉄に乗ってしまえば(方向さえ間違えてなければ)もう大丈夫。電車の中はそんなに危険そうじゃないし。
 でもなんとなく腹減ったなあ・・・部屋でビールとか飲みたいし。でも売店は開いてなかったしな。
 そうしたら駅を出て階段を上がったところにサンドイッチの屋台が!これはうれしい!
 大きなサンドイッチ(を焼いたの)とビール2缶買って意気揚々とホテルへ。道は真っ暗だがそう遠くないし、それほど危ない感じはなかった。
 そんでもって部屋に着いてシャワーを浴びて、サンドイッチをほおばり、ビールをゴクゴク飲んで・・・寝た。スカラ座のちょっと敷居の高い天国のようなロビーが頭から焼き付いて離れない・・・。時計は1時を回っていた。


5日目 10/23(水)

 起きた。
 3時。でも結構寝た。起きて書き物をして、今日の準備を始める。
 今日はある意味今回の旅行の中で一番大変で、一番不安な、そして期待の1日。
 これまではずいぶん快適な旅だったが、それほど無茶はしない行程だった。しかし今日はかなり無茶な行程。旅行代理店の人に今日の日程を伝えたら、「ま、ま、まあがんばってください。なんとかなるでしょう。」と言われた。
 1日でベルガモとクレモナを回るのである。ベルガモはミラノから50キロほど離れたところに、クレモナはミラノから100キロほど離れたところにある。それぞれ別の路線上にあるので、まずベルガモに行っていったんミラノに戻り、またミラノからクレモナに行く、という行程である。東京から日光東照宮に行って、横浜中華街も行く感じか。大阪から有馬温泉に行って奈良の大仏も見る感じか。名古屋から犬山城に行って浜松のうなぎを食べに行く感じか。往復時間が長いこと、電車がそんなに通っていないことからかなりタイトなスケジュール。電車が遅れたりしたらかなりやばい強行軍である。
 ・・・しかし今回の旅行の目的は、イタリア・バロックから古典派への最大の源流となった北イタリアを肌で感じること。そのためにはすでに当時の面影のない現代の都会を回るのではなく、田舎街を散策する必要があった。そうした昔のイタリアの雰囲気を今でも持つ小さな街を実際に体感したかったのである。
 ということで用意万端にして6時に出発!
 しかし6時というとまだ真っ暗。しかも中央駅近辺はドゥオーモ以上に怖い人が多い。ここは相当気をつけていかないと。今日の目標(?)のひとつは・・・無事に生還すること。夜の9時に無事にホテルにたどりつけるか。
 地下鉄に乗って中央駅へ。人はまだまばら。そんなに危険な人もいない。悪い人は早起きしないか?
 2階の列車ホームへ。昨日も来たがでかい。このミラノの中央駅は歴史あるホームで、よく映画とかでも出てくる。でも今は大規模改修工事中。
 ちょっと早く来すぎた。まだ出発時間まで1時間もあるよ。
 出発電光掲示板にもまだベルガモ行きの電車は掲示されてない。イタリアの電車は出発直前まで何番線から出発するかわからないのだ。最悪出発の10分前とかいうこともあるので、じ〜っと掲示板を見てないと乗り遅れてしまう。でも1時間前から見てる必要もない・・・。
 けど、変にうろうろするのも怖いし、とにかくひたすらじっとハチ公のように掲示板の前でベルガモ行きの電車が掲示されるのを待つ。
 危ない連中も少しずつ増えてきた。物乞いや路上パフォーマンスの人も出てきた。
 店主もヴァイオリンと空き缶でもあれば、時間もあるし、そのへんで日銭でも稼ぐのだけど。ただ残念ながらヴァイオリンはない。それにもっと残念ながらヴァイオリン、弾けない。
 さて、出発の15分前、ようやくベルガモ行きの電車の詳細が出る!15番線!
 列車の前に列車番号、ベルガモまでの駅名、それぞれの到着時間とか書いてある。ベルガモは終点だから何も迷うことはない!大丈夫!
 ということで電車に乗って無事出発!!
 天気は残念ながら曇り。雨が降ってもおかしくない。今日は高台に上がるので晴れると良かったのだけど・・・残念。
 天気が良くないというのもあるけど、昨日の路線も今日の路線も、それほど素敵な車窓が拝めるという感じではない。
 電車は普通列車。まあ可もなく不可もなく。
 斜め前に白人カップル、斜め後ろに黒人3人親子。途中通学時間にぶち当たったらしく高校生軍団がどどどっと押し寄せる。その彼らがどどどっと降りてからしばらくして、いよいよベルガモに到着。
 あらま、思ったより都会。しかも通勤時間。駅の構内も駅前もすごい人。観光都市という風情はない。
 ちょっとイメージと違うな。
 いずれにしてもこのラッシュが終わらないとバスのチケットが買えそうな状況じゃない・・・。
 ちょっと待って人がすいてきたのでようやく落ち着いてタバコ屋で1日バス・チケットを買う。これさえあればバスも、それからフニコラーレというケーブルカーも1日乗り放題。
 さて、ここから「アルタ」という高台の街に向かうのだ。
 ベルガモは変わったところで、このあたりは普通の半・都会で観光的に見るものはあまりないのだけれど(探せばいろいろあるらしいけど)、バスで20分ほど行ったところにある高台の「アルタ」地区は、城壁に囲まれた、中世の雰囲気をそのまま残した街。まさにタイムスリップしたかのような街らしい!
 そこでドニゼッティも生まれたが、古きイタリアを肌で感じるのにこれほど好都合な場所はない。最近では空港もできて、他のヨーロッパからもたくさんの観光客が来るようになったらしい。
 ということでさっそくそのアルタに向かいましょう!バスは1番線か2番線に乗れば漏れなく着けるはず。
 アルタのふもとで降りて、そこからフニクリフニクラ・・・じゃない、フニコラーレというケーブルカーに乗って上まで行くのだ。なんか素敵。
 バスに乗ると運転手さんに「フニコラーレ?」ときいて、確認。そうだよ、と優しく教えてくれる。運転手さんの隣に座って、暗に「着いたら教えてよ」というアピール。
 10分ほど行くと大分町外れに。そのずっと先の山腹にアルタらしき城壁が見えてきた。おお。ここまではちょっとくたびれた街だったが、ようやくにぎやかなところが見えてきた。
 で、そのにぎやかなところにバスは停まる。
 ん?ここかな?フニコラーレ乗り場停留所。
 ・・・でも運転手さんは何も言わないし、違うか。
 ブーンとバスは出発。
 すぐにまたさびれたところに。
 ・・・でも・・・今の停留所、やっぱりフニコラーレ乗り場の停留所だったんじゃないのかな??
 運転手さんは何も言ってくれなかったけど、あのにぎやかしさは、松山のお城のロープウェー乗り場ととっても雰囲気が似てた・・・ということはやっぱりあそこがフニコラーレ乗り場だったんじゃないのか!?
 ぐえ!!乗り過ごした!?
 信号で停まったときに、おそるおそる運転手さんに聞く。
 「さっきのフニコラーレ?」
 そうしたら運転手さんが、ぎょっとお化けでも見るような顔をして、「うわ、おまえまだいたのか!」。
 ・・・あああ、やっぱりさっきのがフニコラーレ乗り場だったんだ。
 でも運転手さんが言うには、このバスの終点はアルタだから、最終的にはアルタには行けるから心配しなくていい」とのこと。イタリア語なのでほとんどわからないが、目がそう言っている。そうか、なるほど、じゃあこのまま乗ってればいいか。
 そうしてバスは運転手さんの言葉を裏打ちするように、城壁沿いに道を登り始める。景色がだんだん観光地っぽく変貌していく。
 ぐんぐん緑いっぱいの古い坂を上がり、バスはついに終点へ。
 ここがアルタだ!
 運転手さんはさらに親切にあっち行ってこっち行ったら中心地に行けるよ、と教えてくれた。イタリア語なのでほとんどわからないが、目がそう言っていた。
 

 さて、アルタ。運転手さんが行ったように、アルタ地区の一番奥の外側が終点。そこからちょっと道を歩いてアルタの中に入る。
 がらっと風景が変わる。
 地面は石畳。家は中世の古い建物。曇りの天気が、中世の街の雰囲気を盛り上げる。
 10分ほどその街並みを歩くと教会前の広場に出る。その奥に有名な礼拝堂や教会があるはず。
 背の高いのっぽの建物を横手に見ながら、広場の奥へ行くと、そこにちょっとした礼拝堂が。
 そして目の前にサンタ・マリア・マッジョーレ教会と横にドゥオーモがそびえている。もちろんミラノなどに比べると本当に規模は小さいのかもしれないが、街自体が小さいだけに荘厳に思える。

 ・・・と、教会の横に、数段の階段があり、その上に薄暗い入り口が見える。なんだ?何の施設だ?入っていいのか?
 門もないし、入っていけない雰囲気でもないし、いいや、行っちゃえ。
 階段を上がると、真っ暗な小部屋。別に何もない。でも奥があって、そこから通路が延びて、そこは近代的な建物につながっている。行っていけない雰囲気でもなさそうだし、行っちゃえ。
 ドアを開けると、いかにも役所的な施設。
 さらに奥へ行くと、事務所が出てきた。その事務所の前にショーケースがあって、ベルガモを紹介するようないろいろなパンフレットや書籍が並んである・・ということはひょっとして・・・ありました。CD。
 何と書いてるのかわからないけど、とにかくCDだ。地元特産の貴重な演奏かもしれない。
 で、いきなり事務所の窓口に行って、「あい・わんと・でぃす・CD」と、窓口のお姉さんに言う。
 お姉さん、忙しいのか忙しいふりをしているのか、なかなか応対してくれない。5分ほどしてやっと話ができたと思ったら途中で電話がかかってきて、また5分ほど待たされる。ようやく電話が終わってやっと話を聞いてくれるが、「調べてみる」というようなことを言ったきり、また5分ほど待たされる。なんだかうまく通じてない感じ・・・。まあこっちも下手な英語ではあるけど、向こうもなんか言ってるがわからん。
 「いや、わからないんだったらあきらめるよ、じゃあね」と言うのだが、でも「待て」、という。
 ふと見ると何かパソコンに打ち込んでる。なんだ?
 翻訳ソフト。
 エ?
 英語に訳している。
 ・・・ま、まさか・・・ひょっとして?
 そう。英語が話せないのだ。
 店主は、日本人以外の世界の人はみんな英語がしゃべれると思っていた。それは極端としても、ヨーロッパの人はみんな英語がしゃべれると思っていた。・・・しかし違うのだ。イタリアでもここまで田舎に来ると片言の英語も通じないのだ。
 とすると下手な英語しかしゃべれん日本人と、英語がしゃべれないイタリア人とで会話が通じるはずがない。
 でもまあここまでくると得意の宇宙言語とリアクションでもう一度説明する。「あのCDくださ〜い。」
 すると、ようやく、「誰かに聞くからあと15分ほど待ってほしい」、と言っているのがわかった。なので、「あと30分したら戻ってくる」、ということを身振り手振りで話して、そこを立つ。 





 さて、ではいよいよ本格的にアルタ探索。
 まずは一番の見所であるサンタ・マリア・マッジョーレ教会とコッレオーネ礼拝堂。
 どちらもほぼ無人。厳かで、でも親近感の湧く室内。あまり長居はできないのが残念だが、お祈りをして後にする。
 続いてドゥオーモを見学。

 これがまたどちらもひっそりとしていて、素朴な感性がなんともいえない。
 こんな田舎の街でもここまでしっかりした教会がきちっと存在しているというのがまたすごい。
 本当に時間に余裕があればいつまでもいたくなる感じなのである。

 そこから今度は裏手にあるドニゼッティ博物館に向かう。こうした博物館は、たいていひなびたがっかりするようなところが多くて、珍しいCDがあるということはめったにないのだが、でも何かあるかもしれない。
 残念ながらやっぱり何もなかった。
 展示物も残念ながら勉強不足でよくわからんかった。10分ほどで出てしまう。すみません。
 ドニゼッティの生家ではないが、でもどういう雰囲気の家で、どういうような雰囲気の部屋で、当時の作曲家が活動してたかはわかったような気はする。

 さあ、30分経ったので、さっきの事務所に行ってみましょう。
 窓口でさっきの女の子に「戻ってきたよ」というと、中に入れといって、事務所入り口のオートロックを開けてくれる。
 で、中に入る。
 でもどこに行けばいいのかわからん。
 窓口の子に「どこ行けばいいんですか?」と聞くと、電話しながら「あっち」と指差される。よくわからんが、「あっち」に行ってみる。
 その「あっち」の部屋の扉を開けると事務所のオフィスに出る。
 中に入ると、きょとんとした顔のイタリア人が4人ほどぽかんと口をあけて店主を見ている。・・・窓口の女の子が彼らに何の説明もしていないのは明らかだった。
 そしてその4人の前で、「私は事務所前のショーケースの中に入っているCDがほしいのデース」というのを5分ほどかけて説明する。最初はピエロでも見ている顔つきだったが、ようやく一人の人がハタとひざを打って、どこかからそのCDを持ってきてくれた。まるでほとんど連想ゲーム。
 お金を払って、念願のCDをもらい、ようやくコトを果たしてその不思議な建物を出る。
 なんだか釈然としない気持ちもあるが、まあこうしてCDが手に入ったからいいか。
 でもいったい何のCDなんだろう。作曲家や演奏家は知っている人なんだろうか。
 ん・・・・?CD−ROM??
 ゲ、こ、これは・・・ベルガモの観光用PRのCD−Rだった。ぎゃー!だまされた!!!金と時間と労力を返せ〜!!
 ・・・はぁはぁはぁ・・・。
 でもまあこれはこれで珍しいし記念になるからいいか。

 ということで、気を取り直して、街一番の高さを誇る市の塔を探す。
 どこだろう?街一番の高さというからわかりそうなものだが。
 結局わからないのでガイドセンターのところに行ってそこにいるきれいなおばさんに聞く。すっごい親切に教えてくれる。でも「市の塔に行きたい」と説明するのに3分くらいかかる。いや、何をするにもなかなか大変。
 ようやく伝わって地図で説明してもらうと、あら、なんだ、さっきいた広場ののっぽの建物だった。しかも地図に大きく書いてる。なんじゃ。
 で、そこまで行くが今度はその建物の入り口がわからん。
 2階に上がる階段があって、その上に地元っぽいおじちゃんがたむろしているので、階段を上がって「市の塔、どこですか〜」と聞くといっせいにみんなが教えてくるが、みんながいっぺんにしゃべるからよくわからん。満面の笑みを浮かべて「グラッチェ」とお礼を言いながら階段を下りるが・・・全然わかってない。あはは。
 なんだか1階がどうのこうのと言ってたが・・・。

 あ、なんかそれらしい入り口が奥にあるぞ!
 そこに行くと、おお、あったあった、塔の頂上に上がるエレベーター乗り場。何がしかのお金を払って、エレベーターに乗る。ウィーン・・・・。
 ほおほお、アルタ一帯が見渡せる眺望。高いとこマニアにはたまらん。
 そして曇り空なのが残念だったが眺めを堪能すると、次なる場所へレッツ・ゴー!
 次は・・・サン・ヴィジリオの丘!

 アルタの街から出て城壁を抜け、またもやフニコラーレに乗って到着するとそこがサン・ヴィジリオの丘というところなのである。その名のとおり丘。そこまで登るとアルタはもちろん、ベルガモ市街まで見下ろすことができるという!
 アルタの街を出て、しばらく歩き、さっき乗れなかったフニコラーレというケーブルカー(登山電車)に乗り、5分ほどかけてぐんぐん丘を上っていく。緑の急斜面の雰囲気は、日本の観光地のケーブルカー周りと同じ。
 フニコラーレを降りると、アルタの街とも違う、高級別荘地という雰囲気。広々としてゴージャスな感じが漂ってる。ここまで来るとほとんど人もいないし。ただ、残念なのはせっかくここまで来たのに曇り空であまり遠くまで景色が見渡せないこと。これが晴天だったらさぞかし美しいだろうなあ・・・。
 さて、ここからさらに徒歩で10分くらい行くと城跡がありちょっとした展望スポットになっているとのこと。さっそく行ってみよう!
 ・・・と探すこと15分・・・どこまで行ってもそれらしきところはない。そこはそこで美しいところだが、城跡らしきものはない。
 地図をもう一回見てみると、どうやらまた一番最初に踏み出した方向が間違っていたらしい。
 あはは。


 何もなかったような顔をしてもと来た道を戻って、駅の反対方向の道を歩いていくと、なんてことない、すぐにそれらしい城跡公園が。
 ちょっとした階段を登ると、おおお、頂上は素敵な広場。確かにベルガモ全体が見渡せるような按配。天気が良ければ。・・・でも今でも十分素敵な景色。
 少し一休み。
 さて、帰りの時間が気になってきた。そろそろ帰ろうかな。

 広場をぐるりと一周して、もと来た道を帰ろうとしたら・・・あやや、なんか不思議なちょっと怪しい階段が下に下りている。なんか下にお墓でもありそうな雰囲気・・。でも変なところに出て戻ってこられなくなったらもう時間がない・・・。
 ・・・けど行ってみたい・・・。
 ここで行かなかったことを日本に帰ってから後悔するくらいなら、やっぱり行ってやろう!
ということでその怪談っぽい階段を下りる・・・。
 と。
 城跡公園の入り口に着いた。あはは、近道だった。
 よし、じゃあ、フニコラーレ乗り場に急ごう。
 5分ほどでフニコラーレがやってくる。わずか30分ほどの滞在だったけど、なんだか不思議な体験。素敵なところだった。また来られるかな、サン・ヴィジリオの丘!
 

 サン・ヴィジリオの丘から下りてきたら、今度はまたアルタの道を横断闊歩。
 見慣れた中世の街並みを抜けて、行きに乗られなかった、ベルガモ市街とアルタを結ぶフニコラーレ乗り場に向かう。途中、普通の人なら絶対間違えないだろう、というような道に迷い込んだりするが、もうそれも慣れっこで、ようやくフニコラーレ乗り場に着く。
 イタリア人母子2組のにぎやかな集団も乗せて、フニコラーレはスイーっと順調に降りていくと、もうそこでベルガモ行きのバスが待ってる。駅までバスでベルガモ市街を通っていくが、さっきも言ったようにアルタを出てしまうと本当にただのすすけた街。日本の中小都市とまったく一緒。
 そして無事駅に到着。
 ミラノ行きの電車が出発するまでもう少し時間がある。
 ベルガモには有名な名物料理があるらしいが、それを食べてる時間はない。でもここで何か食べておかないと、今日のスケジュールには食事の時間は一切含まれてないのである。じゃあ、今の間になんか食べよう。なんか売ってるところは・・・あ、マックが。・・・いや、でもそれはあんまりだ。
 と、そこにトルコ系の屋台が。シシカバブとかそういうやつだ。いいじゃない。
 とくに椅子とかないから屋台のすぐ横で食べる。おいしい。ベルガモで、シシカバブに、かぶりつく。なんか語呂がいいね。
 さて食べつくして駅に戻る。手がべとべとなのでトイレで手を洗って構内へ。
 ベルガモは始発なのでもう電車が来てる。2階建て電車なのでせっかくだから2階に!本当はビールでも飲みたいところだけど、今日はチョンボは許されないので最後にミラノのホテルに着くまでは我慢すると決めたのだ。えらいでしょう??
 そして電車は定刻通りベルガモを出発。定刻でないとクレモナに行けなくなるから助かった・・・。
 ああ、ベルガモ。
 中世や近世の香りをそのまま残す不思議な街。ドニゼッティが育った、というのも重要だが、それよりもああいう街並みで昔の人たちが生活し芸術を生み出していたということが肌で感じられたというのは大きい。ベルガモは大昔はロンバルディア同盟のひとつの自治都市だったが、その後ミラノと同じヴィスコンティ家に支配された。そしてその後、遠く、あの強国ヴェネツィア共和国の支配下に置かれる。イタリアの田舎街とはいえ、街全体に落ち着いた高貴な雰囲気があるのはそのせいだろう。
 数時間のタイムトリップ、でも数百年前のイタリア地方の街の空気を味わうことはできた。うれしい。

 それから1時間・・・電車の心地よい揺れにちょっとうとうとしたころ、ミラノに到着。またもや雑踏と混沌の灰色の街。
 さあ、でもこれからまた異空間へ出発。気分を入れ替えて、クレモナである。
 クレモナ。
 いわずと知れたヴァイオリンの聖地!弦を愛する人なら一度は訪れてみたいであろう街!街には今も数多くのヴァイオリン工房があり、日本人も含め現代の名匠たちが日々名器の製作に励んでいる。今回は工房をめぐる予定はないが、いつかそういう機会があってもいいかも。
 さて、ミラノの中央駅で、おなじみの電光掲示板を見上げる。クレモナ行きの電車の掲示はまだない。そろそろ掲示されてもよさそうなものだが、いつまでたっても掲示されない。おかしいなあ・・・。
 あ、そうか!クレモナは終点じゃないから、ここの掲示板には「クレモナ行き」とは表示されないのだ!えっと、すると、クレモナの先というと何の駅だろう・・・あ・・・これだマントヴァ。
 マントヴァ。
 あのリゴレットの舞台。15,6世紀はマントヴァ公国としてそれなりの存在感を放った北イタリアの地方都市。
 芸術文化を愛した支配者ゴンサーガ家の庇護の下、多くの芸術家が活躍した。
 実はマントヴァ、今回、最後の最後まで行くかどうしようか迷ったが、訪問を断念した街である。ベルガモ同様今でも中世・近世の雰囲気を色濃く残すという。
 場所的にいうと、東から、ヴェネツィア・マントヴァ・クレモナ・ミラノとなる。だからミラノからマントヴァ行きの電車の途中にクレモナがあるわけである。ちなみに行きに通ったヴェネツィア〜ミラノ路線とはちょっと違う路線である。
 ということでマントヴァ行きの電車を探す。あ、あった、あった。
 ・・・おっと・・・15分遅れ。しかもなかなか出発ホームが決まらん!!出発の5,6分前にようやく決まって、ひいひい言いながら、危険な連中をかき分けてホームへたどり着く。ホームの一番前に、ベルガモのときと同様、クレモナまでの駅名、それぞれの到着時間とか書いてある。今回は終点じゃないから、停車駅の名前と到着時間をメモしておく。そうしておけば、もし到着時間が遅れても、クレモナに着く前にある程度心積もりができる。
 さて、時間もないし列車に乗り込もう。普通列車なのでわりと危なそうな人も多い。安全そうな旅行客っぽい人が多い車両を探して乗り込む。
 さあ、出発!
 少し天気が回復してきた。それに、窓からの眺めがベルガモ行きの電車よりも格段ヨーロッパの田舎の村って感じでいい。素敵な草原や、ひなびたいい感じの村々、果樹園、谷川・・・。
 ところがこのあたりからいくつかの問題が頭をよぎり始める。

 何回か駅に停車したんだけど、なぜか自分が乗っている車両のドアからは誰も乗ってこないし降りていく気配がない。
 初めは偶然かと思ったが、ある駅ではホームから乗ろうとしたご婦人がそのドアから乗ろうとしてあきらめてわざわざほかの入り口に回っていった。
 ひょっとしてあそこのドアは「開かずのドア」なのか!?これは確認しておかないと。降りようとしたら開かなかった、降りられなかった、では済まされない!
 そこで次の大きそうな駅で、降りるお客さんに混じってその問題のドアの前で待機してみた。
 そうしたら、駅に着いて、みんなが降りようとしたらやはりドアが開かない!「ウープフ!」と言いながら全員がドタドタと隣の車両を突っ切って、そのドアから降りていった。
 ・・・・あぶないあぶない・・・やっぱり開かないドアだったのだ。気がついてよかった・・・。
 ただ、どうもドアは「自分で開ける式」のドアみたいで、うーん・・・もし自分ひとりだったらうまく開けられるかな・・・ちょっと心配。
 
 そして電車は遅れることなく素敵な車窓を見せながらどんどん進む。・・・のだが、またひとつ問題が。
 クレモナの一つ前の駅を定刻どおり出発したので早めにドアの前に行って待機していたら、クレモナには3時23分に着くはずなのに、3時15分にどっかの駅に着いたのである。クレモナかと思ったが、なぜか駅名看板がない。ここはどこの駅?クレモナ??だって、ほかに駅はないはず・・。しかし、なんとなく「降りちゃいかん!」、という声が聞こえて、降りなかった。
 するとたまたまドアが閉まる直前に乗り込んできた青年がいたので、「クレモナ?」と聞くと「ノー、なんちゃらかんちゃら」と教えてくれた。ふー、よかった。降りなくて。
 でもそこで心配が。
 そうなってくると自分の知らない、掲示板には表示されていなかった駅が存在するということである。うーん・・・。
 今まで細かく停車駅をチェックしていたのに、掲示板に乗っていない駅なんて停まらなかったのに。
 と、思って電車の壁を見ると、新幹線とかにもよくある「電車路線図」が!
 おお!
 で、見てみると、クレモナと、クレモナの前の駅と思っていた駅の間に、なんと5つもの小さな駅がある!!
 5つ!さっきのはそのひとつだろう・・・。
 でも次の駅にたとえば3時21分に着いたとしたら、そこがクレモナかどうかわからんじゃないか!!その5つの駅に全部停まるとは限らないし!それに駅、看板ないし!!

 しかもその路線図にはもっと衝撃的な事実が・・・。
 なんとベルガモとクレモナを結ぶ路線が存在していたのである。
 じゃあ、わざわざミラノに戻って出直した意味は!!ぎゃー!!
 ま、まあ、いいか、終わったことは忘れよう・・・それより今は確実にクレモナで降りることだ。(幸か不幸かベルガモとクレモナを結ぶ路線に、ちょうどいい時間帯の電車がなかったことが精神的動揺を収めてくれたというのもある・・・)
 そうしたらそこにちょっと酔っ払い風のイタリア人のおじさんがやってきた。もうすぐ降りる、という感じだ。
 ちょっとこわいが、まあ聞いてみよう。
 「あなたはクレモナでおりるのデスカ〜!?」
 すると、「いやいや、自分はクレモナでは降りない」と言ってきた。で、「次はクレモナですか?」と聞くと、「よくわからん」というようなことを言っている。
 言ってることはちょっといい加減だが悪い人ではなさそう。よかった。
 そうしたら「あんたはアーティストか」と聞いてきた。クレモナにわざわざ来る日本人は、まあヴァイオリニストかヴァイオリン製作者ということなのだろう。
 で、「CD屋だ」というと「ほほーん」、と言って、急に歌を歌いだした。
 ひょっとしたら歌手としてスカウトしてほしいのかもしれない。
 不合格。
 でも性格は良さそうなのでやっぱり合格。いつかデビューさせたげます。 
 そうこうしているうちに、4,5人の乗客が集まってきた。中にはヴァイオリンを持った、いかにも「クレモナで降ります!」という人も!おじさんに「次はきっとクレモナだね」とささやくと「きっとそうだね」といってウィンクしてきた。
 次の駅に到着。大きい。これは間違いなくクレモナだな!おじさんも「クレモナ〜」と歌っている。
 どやどやとみんなと降りる。おじさんも降りてきた。おい!あんたクレモナでは降りんと言っとったじゃないかー!?
 けど、親切にしてくれたから、ホームに降りてから「チャオ〜グラッチェ〜」と言って別れる。ひょっとしてついてきて悪いことするつもりなのか、とほんの一瞬頭をよぎったが、まったくそんなことはなかった。ただのイタリア風寅さんだった。
 さて、クレモナ。ようやく到着。
 クレモナの街は、ベルガモより全然こじんまりとしていて、街というより町、という感じ。田舎。好感が持てる。
 ストラディヴァリウス博物館や、塔やドゥオーモなどがある観光の中心地には、駅前の大通りをまっすぐ行けば着くはず。
 ところが距離にして500メートルほどで博物館に着くはずが、なかなか着かない。おかしいなあ・・・道間違えたかなあ・・・と思いながら歩いていると、突然反対側の歩道を歩いていた3人の高校生風の男の子の一人が突然声をかけてきた。
 「ヘーイ」てな調子で。
 で、ざわわざ車道を横切ってこっちまで来た。
 なんじゃ?因縁吹っかけてきたにしてはずいぶん優しそうだ。なんか一生懸命説明している。例によって英語が通じない。で、向こうが言っていることもほとんどわからない。だが熱心に何か言っている。どうやら駅からバスに乗ったほうがいい、というようなことを言っているらしい。確かに楽器製作学校まで行くのであればバスのほうがいいと思うが、こっちは博物館に寄って塔やドゥオーモに行くので、わざわざバスに乗ることはない。・・・と説明しようと思うのだが、なかなか通じない。結局お互いに苦笑いを浮かべながら別れる。
 さて、ところがそういいながら、お目当てのストラディヴァリウス博物館が見当たらない。
 ここらじゃないかな、というところで「左に曲がれ」という看板があって左折
したのだが、そこには学校のようなところがあって自転車はいっぱい停まっているものの、博物館らしきものはない・・・。そのまま通り過ぎて次の通りまで行ってしまうが、やはり見つからない。そこでその学校のようなところまで戻ったところで、工事しているおじさんがいたので地図を見せながら、「ストラディヴァリウス博物館ドコデスカ〜」というと、3,4人のおじさんが集まってああでもない、こうでもない、と言いながら結局「あっち」のほうだろう、と教えてくれた。でもなんとなく違うんじゃないかな・・・と思いながら「あっち」のほうに向かう。やっぱり違うじゃないかな、と思ったのでおじさんたちの姿が見えなくなったところで、赤ちゃんを連れた地元の人っぽいおばあさんに聞くと・・・やっぱり・・・さきの学校のところが博物館だった。
 博物館に向かうが、さっきの工事のおじさんに見られると気まずいのでこそ泥のように忍び足で前を横切る。見つからんかった、よかったよかった。どうもイタリア人、間違いなく優しく温かい人が多いのだが、ちょっといい加減なところがある。まあ、それもいいか。
 ということでストラディヴァリウス博物館!!クレモナ市博物館の奥。まずはクレモナ市博物館。あまり期待しないで観て回ったが、美術品はなかなか素敵で、中でも今回のイタリアの絵画の中でもっとも印象的なものはここにあった。作者名をメモしたはずなのにどっか行った!一体誰のなんという絵なの。「天使と骸骨」?むちゃくちゃっこいい。
 さて、いよいよストラディヴァリウス博物館。
 

 洗練された陳列台の中に、ヴァイオリンの製作工程、そしてさまざまな珍しい楽器が展示されている。
 みなさんもご存知のように、アマティという人が現れてクレモナをヴァイオリン製作の第1の街にのしあげ、さらにストラディヴァリという人が現れてその栄光の頂点を迎えた。その後世界中に名工の街は現れたが、今でもヴァイオリン製作といえば、やはりクレモナの名が最初に出てくる。
 そうした歴史が博物館に飾られている。ただ、世界最高級のヴァイオリンそのものは、ここではなく、塔やドゥオーモと同じところにあるコムーネ宮というところに別室として展示されている。
 さて、市博物館のロビーに、売店がある。入ったときからチェックしていたがCDもある。
 日本でも手に入るMV CREMONAレーベルがメインだが、それ以外にも見たことのないCDがいくつかある。それに今は廃盤で手に入らないDYNAMICの「クレモナの栄光」の豪華版CDもある!!さっそくいくつかみつくろって購入。これから先はまだ長いので帰りに買っても・・・という気もしたが、しつこいようだがとにかくその場その場で買わないといけない、というのが輸入盤の鉄則。疲れた、とかあそこのほうが安かった、というのは1週間で忘れるが、買いそびれた記憶は一生残る。ということでCD数枚を会員の方へのおみやげに、ヴァイオリンの本、そしてかばんと絵葉書を自分用に買って帰る。
 思った以上に充実した博物館でした。



<CDご紹介>
CREMONAROOTS 040
\1490
FABIO TURCHETTI
 CAPRICCI CREMONESI
 クレモナ市立博物館で購入したCD。メルーラ(1594-1665)の名前が大きく載ってるし、「カプリッチョ・クレモネッシ」なんてかっこいいタイトルなので購入したら、メルーラのリコーダー作品を挿入しながら、ファビオ・トゥルケッティという人の即興的ジャズ・ナンバーがかかるという趣向のアルバムだった。なのでパーカッションやベースもガンガン登場します。こうしたアルバムがお好きな方に。

 うー、上記では「廃盤」と書いたし、間違いなく半年前は廃盤だったはずなのに、今年になって再流通。しかもちょうど3/15まではセール価格でこんなに安い・・。クレモナではこの3倍の価格で買ってきたんだけど・・・。
 でもいずれにしても名盤ボックス、お早めに。
DYNAMIC
CDS 373
¥2200
クレモナの遺産
 ナルディーニ:ラルゲット
 ドヴォルザーク:ロマンティックな小品Op.75-1
 シューベルト(プシホダ編):万霊節の連とう
 シベリウス:ロマンスOp.78-2
 リスト(ミルシテイン編):慰め
 シューベルト(リッチ編):粉屋と小川
 ショパン(リッチ編):夜想曲
 アクロン:ヘブライの旋律
 グラナドス(クライスラー編)スペインの踊りOp.37-5
 サラサーテ:マラゲーニャ
 リムスキー=コルサコフ(クライスラー編):インドの歌
 ドホナーニ:アンダンテ・ルバート・アッラ・ジンガレスカ
 パガニーニ:カンタービレ
 ワーグナー(ウィルヘルミ編):アルバムの一葉
 スコット(クライスラー編):蓮の花の国
 サラサーテ:ファウスト幻想曲
 ヴィエニャフスキ:ファウスト幻想曲〜庭の情景
 チャイコフスキー:感傷的なワルツ
 レオナール(1819-1890):
  ベートーヴェンのヴァイオリン
   協奏曲第2楽章へのカデンツァ(18回演奏)
ルッジェーロ・リッチ(Vn)
シオザキ・ノリコ(P)
今から40年前にリッチがリリースした「クレモナの栄光」というアルバムをご存知だろうか。アマティ、ストラディヴァリウス、グヮルネリなどクレモナの銘器15本で15の小品を弾き比べ、後半ではブルッフのコンチェルト1番の冒頭だけをそれぞれの楽器で15回録音するというまさに画期的なアルバムだった。ところがそれから40年経て、今年82歳となるリッチ翁がまたまたやった。今度は前回より3つ増えて18の銘器の弾き比べである。今回は現代最高の名匠が作り上げた銘器。ブックレットにはそれぞれの楽器の紹介と、高級スーパーの野菜売り場よろしく、マエストロたちの顔写真つき。「私がこのヴァイオリン作りました」。
 今回の同曲弾き比べはベートーヴェンのコンチェルトの第2楽章のレオナールによるカデンツァ。あなたはそれぞれの楽器の音色をどこまで判別できるか。ヴァイオリン・マニアへの挑戦状!


TELERADIO CREMONA
¥2290
バッハ:オルガン作品集 ステファノ・モラルディ、
マルコ・ルゲッティ、
ジャンマリア・セガリーニ、
エンリコ・ヴィカルディ(Or)
 クレモナのドゥオーモ(大聖堂)で買ったCD。ドゥオーモで録音されたバッハのオルガン作品集。まずそこ以外では手に入りそうにないCD。
 2000年の録音。
 トッカータとフーガBWV.565などポピュラーな作品を含む。その素朴でいなかっぽい作りがなんともレアでいい。3枚です。



 続いて観光メッカ、塔やドゥオーモ、そしてコムーネ宮に向かおう。
 そこへ向かう道は、ちょっとしたブランド・ストリートになっていて、クレモナ銀座、という感じになるのだが、これが優雅でこぎれいで上品。街の古さにうまく溶け込んでいてまったく毒々しさがない。非常に落ち着いているのである。これが世界的楽器を誇る街の自信の表れなのか?

 そしてそのこじゃれた通りを抜けたところに、歴史的建造物が集まるコムーネ広場がある。
 正面に洗礼堂、左に塔とドゥオーモ、右手にコムーネ宮。コムーネ宮の1階は大きなカフェ。観光客も多いが、なんとなく広場全体が市民の憩いの場、という感じである。
 それではまずはコムーネ宮のヴァイオリン展示室へ行きましょう。1階のカフェの横を抜けていくと、「ストラディヴァリなんたらはコチラ」という看板があってそっちのほうへ行くが、全然そんなところは見当たらない。なんだ?もう一度戻ってカフェの奥のオフィスのようなところに入って、そこにいたおばさんに「ストラディヴァリウス、ドコデスカ〜?」と聞くと、わざわざ外まで出てきて場所を教えてくれた。ちなみに看板の指している方向とは全然反対方向。
 さて、その建物の2階に上がっていくと、また市の小さな博物館っぽくなっている。入場料を払って一応それも先に見学して、いよいよヴァイオリン展示室へ。ひとつ何億とかいうとんでもないお宝名器とご対面である!

 1566年A.アマティ、1658年N.アマティ、1715年ストラディヴァリウス、1734年ガルネリである。
 部屋に入ると、受付のお姉さんがついてくる。悪さするといかんでね。で、かばんを指差して何か言っているがよくわからんので、荷物重かったらどっかに置いていいよ、と言っているのかと思って「おー、お気遣いなく、グラッチェ」とにっこり笑っていると、その女の人もにっこり笑いながら一言、「ユー・ドント・アンダスタンド」。
 あ、見学する前に荷物はここへ置け、ということだった。あはは。
 さて、気を取り直して名器とご対面。もう二度と近くでは見られないかもしれない。年代を感じさせる風格と、その一方で人の心をひきつける妖しい光沢。ああ、聴いてみたい。もし許されるならばふたを開けて取り出して一瞬でもいいから弾いてみたい。
 でももしふたが開いていても、ヴァイオリン、弾けない。
 二人の受付の美しいお姉さんに見守られながら、遠慮がちに10分ほど観察して、部屋を出る。ときおりコムーネ宮の責任者の人がこのヴァイオリンを使って実際に試奏するのを聴くこともできるらしい・・・テレビでやってた。いいなあ・・・。
 ちょっと名残惜しいが、さあ、次へ行こう。

 次はロマネスク様式の洗礼堂。とても上品で、落ち着いている。
 続いて隣のドゥオーモへ。ドゥオーモ、ドゥオーモとミラノのときから何度も言っているが、これは大聖堂のことらしい。
 ミラノのドゥオーモはもちろんものすごくでかいが、クレモナのドゥオーモも結構大きくて、広場を見渡すような感じでどっしりしている。建物の前の怪獣の像では地元の子供たちがはしゃぎ、若いお母さんたちが日本の公園よろしく楽しそうにおしゃべりしている。日常なのだろう。
 さてそのドゥオーモ。
 入り口のところには定年退職して切符売りをしている感じの紳士と、暇で遊びに来ているそのお友達数人が、これまた日常っぽく楽しげに団欒している。
 入場料を払って、ぎぎぎと重い扉を開ける。
 おおお・・・。
 素朴ながら品がよくて、とても落ち着きがあって、奥行きがある。そしていつまでもいたくなるような温かさと親近感を感じる。そして優しさと。
 なんとなく、穏やかで心優しい女神に見守られているような、そんな気にさせてくれる。

 この大聖堂や先ほどの礼拝堂に流れる落ち着いた優しい親近感は、クレモナの駅に降りてきたときから感じる安心感とほぼ同じ感覚。なんとなく、街全体にそういう雰囲気があるのである。
 そしてその、女神や神様に見守られているような温かい安心感は、神の場所と自分たちの場所とを違和感なく直結してくれる。そんなクレモナの人の心に美しく荘厳な芸術を生み出す礎が芽生えてもまったく不思議ではない。
 つまり中世の昔からこの街にはこうしたゆったりとした安心感に満ちた芸術的感性が流れていたのではないか・・・。ミラノと戦っているときも、やがてミラノの支配下になってからも。
 そしてその優しく穏やかで温かな街の雰囲気が、多くの芸術家をはぐくみ、そしてあのヴァイオリンの名工たちを産んだのではないか。
 ヴァイオリンの名工が現れてクレモナがクレモナとなったのではなく、クレモナがクレモナだったからこそ、あの名工たちが育ったのではないか。
 おそらくこの推測は間違ってない。
 クレモナはヴァイオリンの街ではなく、ヴァイオリンが生まれるはるか昔から、豊かで芸術的感性にあふれた神に見守られた街だったのだ。それがあの名器を生んだのだ。それがこの地に来て初めてわかった。

 ちょっとした疲れもあってしばらくドォーモで時間をつぶしていたが、入り口の受付のところを見ると、田舎っぽいがあまり見たことのない古いCDがある。地味で目立たないCDだが、おみやげに2,3枚買って帰ろう。荷物がずいぶん増えてきた。
 さあ、まだ時間はある。
 最後はお隣の塔(トラッツォ)。クレモナのシンボル。

 111メートルの高さで、487段の石段があるという・・・しかし階段しかない。後で聞いたが、イタリアでは一番高い塔だった。
 だからそうとう高い。しかも荷物は重い。さらに足はかなりガクガク。
 どうする?
 ・・・って、行かないわけがない。
 受付に行くと、おにいちゃんが、あと30分で閉めるけど、登って降りられるか?みたいなことを半分笑いながら言ってくる。「ガンバリマス!」と言って、一気に駆け上がる。
 ・・・最初の50段くらいは。
 そこからもうへろへろ。疲労困憊。足はがくがく、頭は朦朧。まだ400段近くあるのにすでにリタイア寸前。
 半分くらいまできたところで真剣にもう帰ろうかと思った。
 せめてこの重い荷物を受付で預かってもらえばよかった・・・ああ、もうだめだ・・・もう帰ろう・・・。
 しかし、ここでくじけたら一生後悔する。
 ほんとによろよろしながら一段ずつ上がっていく。
 400段くらいのところで石段から鉄の螺旋階段に変わる。が、これが結構怖い。
 当然だがそうとうに高いところまできている。踏み外したら、ちょっとまずいことになりそう。足はかなりふらふらだし、そうなってもおかしくない状況。
 ・・・しかし恐怖心よりももうただひたすら頂上にたどり着くことしか頭にない。もうただの取り付かれた亡者である。
 どんどん螺旋階段が細くなって、頭上にいよいよてっぺんが見えてきた。
 手すりにしがみつきながら、一段5秒くらいのペースで鉄板を踏みしめながら上がっていく。
 そしてついに登りきった・・・。

 いきなり360度の大パノラマが現れた!
 すごい。
 本当にすごい。

 今回のイタリア旅行で何が一番すごかったかと言われれば、この光景。クレモナのトラッツォからの眺め。
 はるか遠くの町まで一望でき、穏やかなクレモナの街が眼下に控える。そして、これだけの高さで回りに並ぶものがないので、街並みよりも天国のほうが近い。
 気持ちのよい風がからだをくすぐる。
 ああ、なんてすばらしいんだろう。いま、クレモナを独り占めしている。神様が優しく抱いてくれている感じ。
 あはは、よく来たなばか者、と。
 涙が出る。

 あはは、それにしても疲れた。暑いし。脱げるだけの服を脱いで、涼む。さすがにもう誰も来ないだろう。
 時間は・・・おお、まだ大丈夫。
 あと5分ほど神様の懐で休んでから、降りていこう。
 神の街クレモナにあいさつをして、階段を下りる。足がばかになったみたいにがくがくしているが、下りはさすがに楽。トントントンと数を数えながら降りていく。
 487段ということだったが、自分が数えたら、事務所の受付のところに降りたところでちょうどぴったり500段だった。どっかで数え間違えたんだろうが、なんか嬉しかった。
 受付に戻っていくと、お兄ちゃんが「おお、早かったな」とうれしそうにいっている。「えへへ」と笑うと、「どうだった?」と聞いてきたから、ただ一言「エクセレント!」というととても嬉しそうな笑顔を返してくれた。

 さあ、では名残惜しいが、クレモナを後にしないといけない。
 すぐ横のローマ広場をくぐり、近くの3,4件のヴァイオリン工房を通りから見学して、早足で駅に向かう。
 帰りはスムーズだったのでちょっと早めに駅に到着。まあ手荷物がぐちゃぐちゃなので待合室で整理してコンパクトにしましょう。

 で、ごちゃごちゃやってちょっと落ち着いてぼーっとしていると、隣にイタリア人青年が。
 なんかいやに近い。
 もうちょっと向こうに座ってもいいと思うのだが、なんだか肩が当たっている。その至近距離はやっぱりちょっと変でしょう?
 ということで、気づいていないふりをして席を立ち、ホームに出る。
 すると、しばらくするとその青年が出てきて、また1メートルくらい横に立った。おいおい。それは変だよ。
 間抜けな日本人と思ってるかもしれんが、おれ、けっこうそういうの鋭いです。
 で、10メートルほど移動する。ミラノ行きを待っている人は結構多いので、10メートルも歩けばもうさっきの青年からは離れられる。
 でも、ふと気づくと、人と人の隙間から自分のほうを見てる。
 いや・・・これはまずいね。
 ということで、今度は思いっきり2、300メートルほど離れたところへ移動。ものすごい恐怖感、ということはなかったが、今日の行程がほとんど終わってちょっと緊張感が途切れそうなときだっただけにかなりあせった。
 さて、もうすぐミラノ行き電車が来る。掲示板を何回も確かめたし、近くのお姉さんに「ミラノ?」と確認したので間違いない。これに乗り込めば、もうあとは帰るだけ。ミラノはもちろん終着駅。もう行きのような訳のわからないことになる心配はない。
 ただ、さっきの兄ちゃんがもしついてくるといけないので、近くにいる一番怖そうなおばさんを探して、そのおばちゃんの近くに座ることにする。このおばちゃんなら危ない兄ちゃんも追い返してくれそう。
 電車が来た。怖そうなおばちゃんボディガードの前に座る。
 さあ、出発。クレモナ。最後にちょっと怖かったけど、でもとても素敵な街だった。ありがとう!!来てよかった。また来られるかな!?

 電車は夜の北イタリアをするすると走っていく。クレモナでは結構混んでいた車両だが、ミラノの手前あたりからどんどん人が少なくなってきた。
 ミラノに着いたら9時。
 さて、どうするか。
 ホテルに荷物を置いて、どっかミラノの中心街に繰り出すか?
 いや、今夜はやめておこう。
 疲労もピークというのもあるが、ホテルのレストランで気兼ねなくゆっくり食事をして、我慢していたお酒をガブガブ飲みたい。ほかのところで食事をしたら、結局そこから帰ってくるまでの間気を使わなくてはいけないし。
 考えてみればイタリアへ来てから一度もまともなディナーを食べてない。
 一日目はバーカロ、二日目はサンドイッチ、三日目もサンドイッチ、4日目もサンドイッチ。今夜はまさにミラノだけに「最後の晩餐」。ホテルのレストランでミラノ名物料理を食べましょう。
 地下鉄はさすがにお手のもので、中央駅からホテルまでまるでトラブルのほうから逃げていったように何事もなく、無事ホテルの部屋に到着!おおお、今日の第一目的、無事に帰る、というのは達成。いやいや、ご苦労さん。
 シャワーを浴び、服を着替えて1階のレストランへ。
 まずは何はともあれビール!!ずっと何も飲んでない。のど渇いた・・・。ああああ・・・・おいしい。5秒で飲み干す。優しいボーイさんがすぐ飛んで来て、飲み物のお代わりを催促してくるので、今度は赤ワイン!ちなみにレストランのボーイさんもほんと優しい。ミラノの男はナイスです。
 

さて、食事。まったくミーハーながら、やっぱりミラノといえばミラノ風リゾット(リゾット・アラ・ミラネーゼ)。黄金色が重宝されたミラノ貴族を楽しませるために作られたという料理。黄色は卵ではなくサフランの色。そしてもうひとつは・・・えっと、なんだっけ・・えっとえっと・・・と探していると、ボーイさんが「ミラノ風カツレツ(コトレッタ・アラ・ミラネーゼ)でしょ?」と教えてくれた。外国人観光客にはやはり人気定番メニューなんだろうなあ。子牛のカツレツです。
 やー、出てきた。まずはミラノ風リゾット。黄金色に輝くその料理、見た目はきれいだが、特段味はないので正直飽きる。何かと一緒に食べるのが普通なんだろう・・・。
 続いてカツレツ!・・・こちらもまずくはないが、デリシャスでたまらん!!というほどではない。でもまあどちらも食べたと言う記念にはなる。もう一食食べる機会があれば、本当においしいミラノ料理というのが味わえたと思う。まあ、それはまたいつかの機会に。
 赤ワインも飲んでしまったのでお酒のメニューを見ていると、あ、グラッパがある。グラッパは北イタリアのお酒で、ブドウの搾りかすを発酵させたアルコールを蒸留して作る。度数は50くらいで結構高い。でも日本ではあまり飲めないので早速注文。
 うーん。これはおいしい。カツレツとあう。
 ああ。おいしかった。


 でもまだなんか飲みたい。最後に白ワインを頼んで、体を引き締めましょう。ゴクゴク・・・・。
 すっかり酔っ払いました。これもあとはただエレベーターに乗ればいいという安心感から。グラッツェ〜!!
 ということで最後の最後にエスプレッソを飲んで席を立つ。
 おお、案外足には来てない。大丈夫。
 しかし部屋にたどり着くなり、服を脱いだことさえ覚えてないくらい、バタンキュー!!
 うーん・・1日よく動き、そして最後によく食べて飲みました。おやすみなさい!
 


6日目 10/24(水)

 また3時に目が覚める。
 今日はいよいよ帰る日。荷物を整理しないと。不要なものを廃棄し、セントレア空港から自宅に送る荷物と事務所に送る荷物を分け、飛行機手荷物はできるだけ少なく。
 もう1回寝るつもりだったが、書き物をしていると結局7時になってしまった。まあ、いいか、じゃあこのまま出発しよう。
 結局この旅行はおなかへの負担を軽くするのと時間短縮のために1回も朝ごはんを食べなかった。食事という点では少し寂しい旅行だったが、一人旅で一人で食べる豪華料理はことのほか孤独感が募る。ウィーンのときのように気安い店があるといいが、各都市で一人でぶらりとレストランに入るというのはけっこう寂しい。

 さて、今朝はミラノ郊外にあるスフォルツァ城の見学。
 地下鉄でドゥオーモ駅まで行って、そこで乗り換えてすぐ。

 スフォルツァ城。
 今回何度も名前を聞いたミラノの盟主ヴィスコンティ家が14世紀に建て、その後ミラノの支配者となったスフォルツァ家によって再建された。その後は戦乱の中で要塞として使用されるなど、その時代時代で姿を変えてきたミラノの代表的建築物。
 ミラノは、一般にイタリアのローマに次ぐ第2の都市のようにいわれていて、現在はその通りなのだが、大昔は「イタリア」という国はなかったわけで、そのアイデンティティーを探るのは難しい。事実イタリア在住の人に聞いたが、ミラノにはフランスやオーストリアからの影響を強く感じさせる「上方」的感性があり、そのあたりがローマとは決定的に違うという。
 ミラノは古くからミラノ公国として独立を果たし、この地方の有力国家として名を馳せた。とくにヴィスコンティ、スフォルツァ両家が君臨していた時代のミラノ公国は、この地方ではヴェネツィア共和国と並ぶ強国であった。その後ハプスブルク家の支配下に置かれ、神聖ローマ帝国、ひらたくいえばオーストリアの一部となる。
 それはちょうどモーツァルトの時代。
 ミラノに職探しに行ったモーツァルトがミラノの領主(オーストリア領ロンバルディアの大公)に気に入られながら結局職をあてがわれなかったのは、モーツァルト親子のことを快く思わないハプスブルク家の女帝マリア・テレジアに横槍を入れられたから。なんのことはない、ミラノの領主はマリア・テレジアの四男坊だったのである。つまりバロックから古典派にかけてクラシック音楽を大きく革命した音楽都市ミラノとは、今我々が思っているようなイタリアの一地方ではなく、ハプスブルクの影響を強く受けた神聖ローマ帝国/オーストリアの一部だった。

 しつこいようだが、そのころのヴェネツィアやミラノやフィレンツェの音楽を、なんでもひとまとまりにして「イタリア音楽」とするのは違うと思う。当時イタリアという国はなかったのだから。
 で、今回の旅行ではそうしたミラノという地方が、バロックから古典派にかけてどういう影響をクラシック音楽に与えたかを肌で知ることが目的のひとつだったが、それはこれだけ変貌したミラノの街を歩くだけではわかるわけがない。そこでそのミラノの歴史的片鱗を感じる建物としてこのスフォルツァ城を選んだのである。
 ここにはミラノのさまざまな歴史をかいくぐってきた生きた証がある。しかもそこには音楽史博物館(古代楽器)もあるのである!

と、ちょっと難しいことを言ってみたが、まあ、行って見学するだけなんだけどね。
 スフォルツァ城。城塞に使われていたというだけあって、単なる居城というだけでない無骨で堅牢な雰囲気が漂う。そのあたりがヴェルサイユやシェーンブルンとはちょっと違う。大金持ち貴族や王侯が見栄を第一優先で建てた、というだけでない何かすさんだものを感じる。
 さて、ちょっと早く着きすぎて、まだ博物館は開いてない。
 しばらく近くの公園を散策しましょう。あんまり奥まで行くと危険らしいので、近場をゆったりお散歩。
 端正な中庭から裏の広大な庭をしばらく散策。
 博物館の開館時間が近づいたのでもう一度博物館の入り口に戻る。
 朝早いのに日本人観光客ツアーが2組もやってくる。朝の早い時間を大切にするっていうのはいかにも日本人らしいね。
 あら、でも博物館の中には入らないみたい・・・。なのでガイドの人のお話を隣でただ聞きしちゃった。横で聞いてても面白かった。

 さて、ようやく開場。博物館=スフォルツァ城の中に入れる。
 中に入ると大きなカウンターといきなり売店。おー!CDは・・・・・・ない・・・え〜!?うそ!古楽器博物館があるのに!?
 とほほほ。
 まあ、いっか。それはそれで仕方ない。
 では入りましょう、博物館。

 これが結構広くて、美術館、陶器や衣装の博物館、そして古代楽器の博物館、と城内をいくつものエリアに区分して膨大な歴史的遺物を展示している。
 美術館の最重要展示物はミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」。ほかにも戦時中のさまざまな武器など、生々しい展示が続く。
 でもそのまま観ていくと博物館の外に出てしまった。・・・おい、古楽器博物館は??
 どんなに探してもそれらしいところはない。
 仕方ないので外から入り口にもう1回戻って、「古楽器博物館はドコデスカ〜??」と尋ねると、その入り口のところから美術館への通路とは別に階段が伸びていて、そこから入るということがわかった。それはちょっと強引なつくりだなあ。というかわからなかったのはおれだけか??
 ということでちょっとデンジャラスな雰囲気の隠し通路のようなところを通りながら古楽器博物館へ。


 そこは想像をはるかに上回る規模の博物館で、ウィーンの楽器博物館より大きい。しかも各重要ポイントではヘッドフォンとかで説明が聞けるようになっていて、さらにそれぞれに各言語によるパンフレットも置いてあり、なんと日本語のパンフレットまである。全部で20箇所くらい、そうしたポイントがある。それぞれが楽器の歴史を物語る重要なエピソード。ミラノがひそかに誇る名所といっていいだろう。
 古楽器博物館で1時間ほど過ごした後、ようやく最初の入り口に戻る。
 入り口の売店でCDはなかったものの、スタッフへのお土産などを買い、そして博物館を出る。

 これでうれしはずかし、イタリアの全日程が終了したことになる。
 ホテルまで戻る途中、おみやげスタンドでお土産を買ったり、ホテルで何事もなくチェックアウトして、お迎えのタクシーでミラノのマルペンサ空港へ向かったり、そこでたくさんのお土産を買ったり、マルペンサ空港から往路同様パリのドゴール空港へ向かい、そこでセントレア空港行きの飛行機に乗り換えたり、帰りの飛行機でスペイン人と仲良くなって12時間二人でビールを飲み続けたり、名古屋に着いて無事荷物を受け取り宅配便で荷物を送ったり、空港の温泉に入ったり、ようやく家に着いて家族と再会を喜んだりしたが、それはまあ本編とは関係ない。
 とにもかくにも、イタリアでの5日間の旅を終えて、店主は無事日本へ帰ってきた。
 一体今回の旅の成果はなんだったんだろう。
 それは、旅から4ヶ月経った今でもはっきりわからない。
 でもあのヴェネツィアの万華鏡のような街、そして慈愛に満ちた教会。すすけているのに人は優しいミラノ。中世にタイムスリップしたベルガモ。神に見守られた街クレモナ。それらを、ビンビンに研ぎ澄ませた感性で駆け抜けた5日間。そこで感じたすべてのものは、あそこで生き活躍した芸術家が感じたものと間違いなく直結しているはず。
 今はまだはっきりとつかめていないけれど、これから先のあるとき、何かを聴いたり読んだりしたとき、ふあっとあの時感じた「何か」を思い出し、言葉では説明できないシンパシーを感じることができるだろう。
 
 ・・・ということで6日間にわたる長いような短いようなイタリア紀行、最後までお付き合いいただいて本当にありがとうございました!!
 また別の機会にお目にかかりましょうね!!!今度は・・・どこへ行こうかな・・・。

おしまい



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