そして3枚目。
これは少し説明しておかなければならない。
マリア・ドゥエニャスは、アリアCD店主が以前から絶讃してきたヴァイオリニストである。
デビュー盤を紹介したときには、絶賛の限りを尽くして
「数年に一度の名盤」
とまで書いた。(「いま聴く!クラシック新名盤」(青弓社) P.136)
しかし今回ここで取り上げたのは、だからではない。
何度も言うが、この「世界クラシック定点観測100」は、最初に好きな演奏家を決めて、その人の評判を探しに行く企画ではない。店主のオススメCDを紹介するところではない。
世界を100地点から眺め、
今、何が自然に浮かび上がってくるのか。
それを見る企画である。
その網に、今回は純粋に、たまたま、ドゥエニャスが引っかかってきたのである。
しかも世界の評価が面白い。
絶讃する人は、ハイフェッツの時代を思わせるような濃厚なヴィブラート、ポルタメント、歌い回しに感激し、
「黄金時代のヴァイオリンが蘇った」
というような受け止め方をする。
一方では、
ヴィブラートもポルタメントもやりすぎではないか。
と反発する評論もある。
これほど評価が割れること自体、すでにこの演奏が強烈な個性を持っている証拠なのだろう。
で、その演奏は実際どうなのかというと・・・
これはすごい。
特にラロ。
彼女の体臭を強く感じさせる演奏。
こんなに演奏家その人の人間性を感じさせるヴァイオリンは珍しい。
しかしこれではハイフェッツとは全然違うではないか。なんで「ハイフェッツに捧ぐ」なんだ??
一瞬、そう思った。
ところが調べてみると、ドゥエニャスは今回のアルバムを作るために突然ハイフェッツを持ち出したわけではなかった。
17歳の頃から、ハイフェッツとオイストラフを自分に大きな影響を与えたヴァイオリニストとして挙げている。
さらにデビュー盤の頃にも同じことを語っている。
彼女が、尊敬するハイフェッツから受け取ったものは、
「ハイフェッツのように弾くこと」
ではなかった。
一音聴いただけで「あ、この人だ」と分かる。
ハイフェッツのように、誰にも似ていない音を持つ。
そういうヴァイオリニストになりたかったのだ。
彼女自身も、
「これはマリア・ドゥエニャスだ、と分かってもらえるような音を持ちたい」
という趣旨のことを語っている。
そこで突然、すべてが腑に落ちた。
ハイフェッツになろうとしたんじゃない。
ハイフェッツがなろうとしたものと、同じものになろうとしたんだ。
誰にも似ていない演奏家。
自分だけの音を持つ演奏家。
だから《Homage to Heifetz》なのに、最後に聴こえてくるのはハイフェッツではない。
マリア・ドゥエニャスその人なのである。
むんむんとむせかえるドゥエニャスの体臭なのである。
それこそが、彼女なりの最大のハイフェッツへのオマージュなのかもしれない。
そして、これをいう場ではないことは百も承知だが・・・あえて店主個人の評価を言えば――
もちろん超特選。
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