
A100-004
\1800 |
ワルター・ハウツィヒ (ピアノ)~ピアノ・リサイタル
ヘンデル:調子のいい鍛治屋
ショパン:
「英雄」ポロネーズ
ノクターン嬰ハ短調
練習曲op.25-9
練習曲「ちょうちょ」
ワルツ「小犬」
ドビュッシー:沈める寺
ブラームス:ワルツ
シューベルト:即興曲Op.142-2
リスト:タランテラ
シューマン:トロイメライ
グラナドス:少女と夜鶯
12inch Victor LS2104 -
1956年録音MONO |
ワルター・ハウツィヒ (ピアノ) |
ワルター・ハウツィヒは1921年にウィーンで生まれ、18歳の時にナチスの難を逃れてエルサレム、さらにアメリカに渡る。そこではシュナーベルにも師事した。
1945年に帰化、1979年には文化大革命以降最初のアメリカ市民として中華人民共和国を訪れた。その精力的な活動は全世界に及び、日本でも数限りない演奏会を開いている。
そのハウツィッヒには「ピアニストは世界を巡る」という著書があり日本語訳も出ている。
そのなかで彼はこう語っている。
「たとえどんな状況であっても、もし100人の人が私の音楽を聴きたいといったら、私は演奏する。その条件下ですばらしい音楽を奏でるか奏でないかはピアニスト次第だ。もし私にそれができたら、音楽は永遠に人々の心に残る。」
ハウツィッヒが残したピアノ小品集は日本でも長く大ベストセラーになってきたが、今回ARDMOREがリリースしたのは1956年、初来日公演の翌年のもの。ハウツィッヒのCDはただでさえ珍しいのに、これはもうお宝級といっていい。

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A100-005
\1800 |
ルドルフ・シュトレンク
ウィルヘルム・ヒューブナー
ヘンデル:
合奏協奏曲Op.3 (全6曲)
合奏協奏曲ハ長調 ”アレグザンダーの饗宴”
12inch Vanguard BG506/7 -
1950年代中期録音MONO |
(ヴァイオリン)
ルドルフ・シュトレンク
ウィルヘルム・ヒューブナー
(オーボエ)カール・マイヤーホーファー
(チェンバロ)クルト・ラプフ
フェリックス・プロハスカ指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団 |

ルドルフ・シュトレンクはウィーン・フィルのメンバーであり、シュナイダーハンsq、バリリsqにも参加、1958年からはウィーン・フィルのヴィオラのトップを務め、たびたび来日している。
ウィルヘルム・ヒューブナーもまたウィーン・フィルの第2ヴァイオリンの首席だった人。楽団長でもあった。1962年からはNHK交響楽団のコンマスも務めていた。
フェリックス・プロハスカは1912年 ウィーン
生まれの指揮者。
ストラスブールやプラハ、ザルツブルクの歌劇場で指揮者を歴任した後、1946年から1955年までウィーン・フォルクスオーパーの指揮者となった。
1955年から1961年までフランクフルト・アム・マインの音楽総監督代理を務め、次いでハノーファーの音楽学校に勤め、1964年から1967年まで再びウィーンのフォルクスオーパーに復帰していた後、1965年から1974年まで再びハノーファーの歌劇場に勤めた。
バッハやモーツァルト、シューベルト、マーラーの、現在では古典となった録音を遺している。
朴訥としたどちらかよいうと鄙びた風情のある演奏だが、聴けば聴くほど味わい豊かになるのはやはりウィーンの音楽家のなせる業か。
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A100-006
\1800 |
ジャンヌ=マリー・ダルレ
サン=サーンス:ピアノ協奏曲全集 Vol.1
ピアノ協奏曲 第1番二長調Op.17
同 第2番ト短調Op.22
同 第3番変ホ長調Op.29
12inch Pathe DTX176 222 252 -
1950年代中期録音MONO |
ジャンヌ=マリー・ダルレ(ピアノ)
ルイ・フレスティエ(指揮)
フランス国立放送局管弦楽団 |
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A100-007
\1800 |
ジャンヌ=マリー・ダルレ
サン=サーンス:ピアノ協奏曲全集 Vol.2
ピアノ協奏曲 第4番ハ短調Op.44
同 第5番へ長調Op.103「エジプト風」
七重奏曲Op.65 +
12inch Pathe DTX176 222 252 -
1950年代中期録音MONO |
ジャンヌ=マリー・ダルレ(ピアノ)
ルイ・フレスティエ(指揮)
フランス国立放送局管弦楽団
ロジャー・デルモット(トランぺット) +
ガストン・ロジェロ(コントラバス) +
パスカル四重奏団 + |

ARDMORE FOURES-6からの移行。
仮にももう半世紀以上前の録音である。
いい加減、「サン=サーンスのピアノ協奏曲全集はやっぱりマリー・ダルレ」、とかいうのはやめてくれ・・・
と言いながら、久しぶりにこのARDMORE盤で全曲聴いてみた。
「サン=サーンスのピアノ協奏曲全集は、やっぱり、マリー・ダルレ。」
ああ。結局そう言ってしまった。
なんなんだ、やっぱりすごい。
昔ピアノ音楽について狂ったように詳しい評論家の谷戸基岩氏が「これを凌駕できるのはタリアフェロの5番だけ。こんなにも輝かしく洒脱にそして深く読み込んで演奏したものは空前絶後。これほどまでにパッセージがきらめき、自然に呼吸した演奏を果たして聴いたことがあるだろうか」と絶賛していたが、いやはや、タリアフェロと比較されている第5番も含めて、こんなにも聴いていて心が大空に舞い上がるような高揚感を与えてくれる演奏にはお目にかかったことがない。
たとえば第2番の第1楽章。まるでこの世の美しいもの切ないものをすべて吸い込んでしまったかのように、聴くものの呼吸は1分間止まる。
一体何なんだ。何が他の演奏家と違うのだ。
まるでミューズがちょっと地上に降りてきてピアノと戯れているかのよう。
そう、どことなく浮世離れしているのである。神がかっていて人間じゃないみたいな感じなのである。輝かしくて神々しくて、でもちょっと洒落っ気もあって。
半世紀経って君臨しても仕方がない、これは。
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