A300-031
(1CD-R)\1800 |
リトアニア国立四重奏団
ハイドン:弦楽四重奏曲ニ長調op.20-4
ト短調op.74-3「騎手」 |
リトアニア国立四重奏団
12inch Melodiya 05648 - 1960年頃モノラル録音 |
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A300-032
(1CD-R)\1800 |
ナタン・ラフリンの「スコットランド」
(1)メンデルスゾーン:交響曲第3番イ短調op.56「スコットランド」
(2)E.アンゲラー(ハイドン作曲?):「おもちゃの交響曲」よりAllegro
(3)モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジークkv.525
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(1)ナタン・ラフリン指揮
ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya D0731 - 1952年3月録音モノラル
(2)
ナタン・ラフリン指揮
モスクワ国立フィルハーモニー管弦楽団
78rpm CCCP815/2 - 1940年頃録音モノラル
(3)イオシフ・コンタ指揮
ルーマニア国立放送管弦楽団
PrivateTape ライヴ録音ステレオ拍手入
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録音データは商品に記載しています。(ARDMORE)

ナタン・ラフリンは1905年生まれ、ウクライナ出身のソビエト連邦の指揮者。
ユダヤ系の家庭に生まれる。1920年から1923年まで赤軍に所属。1923年から1927年までキエフ音楽院に在籍し、ヴァイオリンをD.F.ベルティエに、指揮法をアレクサンドル・オルロフに師事。また、トランペットも学んだ。その後はレニングラードでマクシミリアン・シテインベルクにも指揮法を師事している。
ハリコフやキエフ、モスクワ、カザン、ドネツクで指揮者として経験を積んだ後、1937年から1941年まで、また1946年から1962年までウクライナ国立交響楽団の指揮者に迎えられた。
その間の1941年から1945年にかけてはソヴィエト国立交響楽団の指揮者に就任している。1957年にショスタコーヴィチの《交響曲
第11番「1905年」》の世界初演を指揮。
1966年よりタタールスタンのカザン管弦楽団の首席指揮者に就任した。
このほかに、モスクワ放送交響楽団やレニングラード交響楽団なども指揮している。
19世紀のロマン主義音楽を得意とし、ベルリオーズの《幻想交響曲》とリストの交響詩やチャイコフスキーの管弦楽曲など、なかんずく標題音楽の解釈に長けていた。ボリス・リャトシンスキーやヴィクトル・コセンコ、ワディム・ゴモリャカ、ヘオルヒイ・マイボロダ、レフコ・コロドゥープなどのウクライナ人作曲家の作品もレパートリーに入れた。生前は、多くのソヴィエト映画に音楽監督として名を連ねるなど、ソ連の名指揮者の一人に数えられたにもかかわらず、遺憾なことに重要な録音が入手し難い現状にある。

後半はルーマニアの指揮界の御大イオシフ・コンタ(1924年
- 2006年)のモーツァルト。
イオシフ・コンタはティミショアラ音楽院等でヴァイオリンを専攻し、1948年に卒業後はブカレスト音楽院でコンスタンティン・シルヴェストリやジョルジェ・ジョルジェスクらに師事。
音楽院在学中の1952年には文芸誌『現代』の編集者としても働いた。
1954年に音楽院を卒業後は、ロンドンでトマス・ビーチャムの所で短期間学び、同年より1982年までルーマニア国立放送管弦楽団の首席指揮者となった。
その後は母校のブカレスト音楽院で教鞭をとり、晩年はイズミルの市立管弦楽団の育成にも携わった。
個性的な解釈ながら堂々としたスケールをもち、東欧の音楽家はつくづくなにか異国的だと思わせられる。
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A300-033
(1CD-R)\1800 |
元祖爆演指揮者
ユーリ・シモノフ指揮&ボリショイ劇場管
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調「合唱付」
(ロシア語による第4楽章) |
ユーリ・シモノフ指揮
ボリショイ劇場管弦楽団/合唱団
(S) タマラ・ミラシュキナ
(Ms) エレーナ・オブラスツォワ
(T) アレクセイ・マスレンニコフ
(B) エフゲニー・ネステレンコ
12inch Melodiya C10 08143 ライヴ録音ステレオ拍手入 |
録音データは商品に記載しています。(ARDMORE)
元祖爆演指揮者シモノフの、MELODIYAに残された「第9」。
ユーリ・シモノフは1941年、ロシア共和国西部サラトフ生まれ。
早くから指揮の才能を示し、生地の音楽学校在学中の1953年に、学校オーケストラでモーツァルトの交響曲第40番を指揮してデビュー。
1956年レニングラード音楽院に入学し、1965年までJ.クラマロフにヴィオラを、1968年までラビノヴィチに指揮を学んだ。
1968年-69年にはムラヴィンスキーのもとでレニングラード・フィルの副指揮者、1969年モスクワのボリショイ劇場指揮者、1970年同劇場首席指揮者となる。
特にロシアの近代、現代作品を得意とし、1972年にはシチェドリンのバレエ「アンナ・カレーニナ」の世界初演を指揮した。
しかしその名をとどろかせたのはその爆裂変態演奏。そしてその「地獄のタコ踊り」と呼ばれる独特の指揮姿。
演奏しているだけで客席が爆笑する指揮者は世界広しといえどこの男しかいない。
ただロイヤル・フィルの一部の録音を除いてCDが手に入らない。
市場に出れば間違いなく爆発的に売れるのに、残念ながら日本ではまったく流通していない。
今回の「第9」は録音年が不明だが、あの幻のRMSレーベルのベートーヴェン交響曲全集セットの中に入っていたものと同じではないか。(第9以外はモスクワ・フィルだった)
ひょっとしたらARDMORE最大のヒット作になるかも。
RMSレーベルのベートーヴェン交響曲全集
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A300-034
(1CD-R)\1800 |
三者三様
リアナ・イサカーゼ、ゲーリー・カー、ヴィクトリア・ムローヴァ
(1)メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ニ短調
(2)ドラゴネッティ:コントラバス協奏曲イ長調
(3)チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.35-第1楽章 |
(1)(ヴァイオリンと指揮) リアナ・イサカーゼ
グルジア室内管弦楽団
(ブラチスラヴァ音楽祭より)ステレオ録音拍手入
(2)(コントラバス) ゲーリー・カー
イエジー・マクシミウク指揮
ポーランド室内管弦楽団
ステレオ録音拍手入
(3)(ヴァイオリン) ヴィクトリア・ムローヴァ
パーヴェル・コーガン指揮
ソビエト国立交響楽団
チャイコフスキー・コンクール第1位記念演奏会
ライブ録音ステレオ拍手入
全てPrivateTape |
録音データは商品に記載しています。(ARDMORE)
Liana Isakadze (リアナ・イサカーゼ)は、1946年8月2日生まれのジョージアの女性ヴァイオリニスト。
モスクワ音楽院でダヴィド・オイストラフに師事。
1965年のロン=ティボー=クレスパン国際コンクールのヴァイオリン部門で優勝。1970年には、チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で第2位、第2回シベリウス国際ヴァイオリンコンクールでパヴェル・コーガンとともに第1位を受賞。
その高い演奏技術で世界各地で演奏活動を行った。
またナイトセレナーデ(ジョージア、ドイツ)、ミュージシャンジョーク(トビリシ、モスクワ)、ボルジョミの芸術祭、ウィーンとリヒテンシュタインのリアナ・イサカゼフェスティバルなど、数多くの国際的な音楽祭を創立した。
また2015年の第15回チャイコフスキー国際コンクールの審査員も務めた。
1970年にジョージア功績芸術家(Meritorious
Artist of the Georgian SSR)に選ばれ、1988年にはソ連人民芸術家を授与されている。1998年ンと2002年にジョージア名誉勲章を授与されている。

ゲーリー・カーは1941年11月20日生まれ、アメリカロサンジェルス生まれ、カナダ在住のコントラバス奏者。
コントラバス初のソリスト。
ソロ楽器としてのコントラバスの魅力と可能性を確立したヴィルトゥオーゾ。
コントラバスのソロ演奏における音響的、技術的な困難を解消し、ドラゴネッティやボッテジーニのようにコントラバスソリストとしての活動を続け、ソロ楽器としてのコントラバスの魅力を伝え続けている。

ご存知ヴィクトリア・ムローヴァは1959年生まれのロシア出身のヴァイオリニスト。
地元の音楽学校を経てモスクワ中央音楽学校に学び、モスクワ音楽院でレオニード・コーガンに師事。
1980年にヘルシンキでのシベリウス国際ヴァイオリン・コンクールで、1982年にチャイコフスキー・コンクールで優勝。
1983年にフィンランドでの演奏旅行中に、伴奏者のヴァフタング・ジョルダニアと共に亡命を図り、西側へ移住した。
チャイコフスキー・コンクール第1位記念演奏会ライブ。

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A300-035
(1CD-R)\1800 |
コンスタンティン・イワノフ、フェドセーエフ、キタエンコ、・ラザレフの師
大偉人レオ・ギンズブルクのブラームス
(1)ブラームス:交響曲第4番ホ短調op.98
(2)スメタナ:「我が祖国」-高い城 ボヘミアの森と草原より |
(1)レオ・ギンズブルグ指揮
ソビエト国立交響楽団
12inch Melodiya D04940 - 1950年代録音モノラル
(2)カレル・アンチェル指揮
モスクワ放送交響楽団
10inch Melodiya 8845 - 1950年代録音モノラル |

レオ・ギンズブルク(1901年4月12日 - 1979年11月1日)は、ソビエト連邦の指揮者、ピアニスト、音楽教師。
ロシア連邦共和国功労芸術労働者(1966年授与)。
ワルシャワのユダヤ人の家系に生まれる。
ニジニ・ノヴゴロドの音楽学校で教育を受けた後、モスクワ音楽院に入学し、1923年から1928年の間、同校で指揮法をコンスタンチン・サラジェフ、ニコライ・ゴロワノフ、ニコライ・マルコに、音楽理論をゲオルギー・カトゥアール、ゲ
オルギー・コニュス、ボレスラフ・ヤヴォルスキーらに学ぶ。
この他バウマン記念モスクワ国立工科大学に学び化学技師の学位を取得、モスクワ大学では心理学を学んでいる。
1929年から1931年にかけては、ヴァイマル共和政下のベルリンに留学し、ベルリン芸術大学で放送音響技師としての学位も習得している。
ベルリン時代には、ヘルマン・シェルヘンに学び、オットー・クレンペラー、レオ・ブレッヒらの指導も受けた。
指揮者としては、1924年に活動を始め、ニコライ・ミャスコフスキー、アラム・ハチャトゥリアン、カバレフスキー、クニッペル、ラーコフ、シェバリーンらの作品の紹介に努めている。
1932年にモスクワ放送交響楽団、1940年にソヴィエト国立交響楽団の指揮者陣に名を連ね、1944年から1945年の間は、ノヴォシビルスク・オペラ・バレエ劇場の首席指揮者、1945年から1948年にかけては、アゼルバイジャンの国立フィルハーモニー協会の首席指揮者として活動し、1950年から1954年まではモスクワ国立交響楽団の首席指揮者を務めている。
母校であるモスクワ音楽院では、指揮法の教師として1930年より亡くなるまでの間、およそ半世紀にわたり教鞭を執り続けた。
1939年に教授に昇格し、1940年から1943年、1956年から1961年の二度にわたり主任を務めている。
門弟はおよそ100人に及び、著名な者として、コンスタンティン・イワノフ、ヴェロニカ・ドゥダロワ、イズラエル・グスマン、フアト・マンスロフ、ゲンナジー・チェルカーソフ、ウラジーミル・フェドセーエフ、ドミトリー・キタエンコ、アレクサンドル・ラザレフ、アレクサンドル・アニシモフ、ラヴィル・マルティノフ、パヴェル・コーガン、アレクサンドル・ミハイロフ等がいる。
1979年にモスクワで没した。

後半はカレル・アンチェルとモスクワ放送交響楽団の珍しい録音。
Melodiya音源。
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A300-036
(1CD-R)\1800 |
1940年代のムラヴィンスキー&レニングラード・フィル
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」op.74*
バレエ「眠れる森の美女」
~終曲、パ・ダクション、パ・ド・カトル、パ・ド・シス、踊りの情景、第1幕のワルツ |
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団
12inch Melodiya 1949年* 1947年録音モノラル |
ムラヴィンスキー最初期の「悲愴」。

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