アリアCD 新店舗へようこそ

新店舗トップページへ

お買い物の方法  

ページ内の商品チェック・ボックスをクリックし、最後に 「かごに入れる」ボタンを押してください(enterキーを押してもかまいません)。
新店内のほかのページのお買い物がありましたら、そちらもすませ、最後に「注文フォームへ」ボタンを押して注文フォームで注文を確定してください。
(チェック内容を変更したら、必ずもう一度「かごに入れる」ボタンをクリックしてください。変更内容がかごに反映されませんので)

注文フォームへ



<グッディーズ・オリジナル>
ダイレクト・トランスファー CD−R
その3 新譜
1CD−R¥1429+税

 グッディーズ・オリジナル・ダイレクト・トランスファーCD−R。予想通りのすごい反響。その生々しさはやはりただものではなかった。
 グッディーズは東京にあるクラシック専門のCDショップなのだが、ここが自社製作しているSPレコードの復刻CD-Rの評判がすこぶる良い。東京在住のお客様からときどき「グッディ−ズのCD-R扱わないんですか?いいですよ。」と言われるてきた。
 ということで「グッディーズ・オリジナル ダイレクト・トランスファー CD−Rシリーズ。」
 ご覧のように誰もが知る名盤中の名盤から、知る人ぞ知るレアな演奏家の貴重録音まで、実に多彩。お手持ちの復刻版との比較を楽しんでもよし、ようやくの再会にむねをときめかしてもよし。
 なお編集を一切行っていないため、盤が変わる間には空白が入る。これこそがSPの醍醐味か。

 これ以前の旧譜はこちらをどうぞ。その1 その2

グッディーズより

●SPレコード本来の音を追求したダイレクト・トランスファー CD-R
 SPレコードの真の音は残念ながら、これまで市販された復刻CDではなかなか聴くことができません。それはSPレコードの音ミゾに刻まれた音声信号を拾い出すプロセスで、重要な情報が失われているからです。このCD-Rシリーズは復刻プロセスを最短にしてSPレコードのありのままをお届けするダイレクト・トランスファーです。LPとは比較にならない強大な音響勢力を持つSPレコードのために、専用のカスタムメイド真空管式フォノイコライザをの使用しています。またノイズ除去と共に失われる音楽情報に最も気を配り、一切のノイズリダクションを排除してあります。従来のSP復刻CDよりノイズの量は多くなりますが、ノイズの奥に演奏者の確かな息づかいが聴き取れます。プレスCDより音の鮮度の点で優位と判断し、CD-Rを採用しました。
 収録はSPレコード3枚から5枚の初発売時のアルバム単位を基本としています。また、録音時に原盤に混入したノイズが大きく再生されることもございますが、一切修正をしておりません。ケースには録音データ(オリジナル・レコード番号、マトリクス番号、テイク、録音年月日等)を記載してありますが、曲目解説はありません。ジャケット等の仕様は簡素なものです。

 2006年秋に発売を開始した当シリーズもおかげさまで約180タイトルを発売する事ができましたが、今回マスター制作にDSD録音を採用する事にいたしました。これまでより更に生々しい音質をお届けする事が出来るようになりましたのでご期待下さい。
 DSD録音の商品番号は78CDR-3000番を使用します。

 過去のアルバムもどんどんDSD録音に新装して再発売になっています。こちらをどうぞ。

■ご注意
 編集作業を一切行っておりませんので、曲はつながっていません。1トラックはSP盤片面分となります。
 トラック間の空白部分は統一されていません。
 リードアウト部分の短い盤は、終わりの部分のノイズが入る場合があります。
 一部のCDプレーヤーにおいて、ディスクの最終トラックの音楽が終了した後で無音部分が終了する際に、デジタル信号が切れることによるノイズが発生する場合がございますが、ご了承下さい。




<2017年9月22日紹介新譜>

33CDR-3679
\1429+税
ジャン・マリー・ルクレール:フルート協奏曲ハ長調
ミシェル・コレット:弦楽合奏のための協奏曲変ロ長調
ジャック・オーベール:ヴァイオリン協奏曲ニ長調
ジャック・オーベール:ヴァイオリン協奏曲変ロ長調
 仏 CONTREPOINT MC 20.135(ステレオ)
 録音:1956年パリ
ロジェ・ブールダン(フルート)
ミシェル・ブーシノー(ヴァイオリン)
ローランス・ブーレ(クラヴサン)
ベルナール・ヴァル指揮
ヴェルサイユ室内オーケストラ
 フランスの女流ヴァイオリン奏者ミシェル・ブーシノー(1929-)が聴ける希少LPの復刻。
 ブーシノーはパリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1878-1962)に師事し、1953年のロン=ティボー国際コンクールのヴァイオリン部門で入賞した。この年はコンクールの創設者のジャック・ティボー(1880-1953)が審査員をつとめた最後の年だった。
 ティボーは同年の9月に日本公演に向かう途中の航空機事故で73歳の命を落としたからだ。このコンクールの審査員のひとりだったダイヴィド・オイストラフ(1908-1974)はソ連政府を説得してブーシノーを助手にした。フルートのロジェ・ブールダン(1923-1976)はパリ音楽院のマルセル・モイーズ(1889-1984)のクラスで薫陶を得た名手。1943年からヴェルサイユ音楽院の教授に任命され生涯その地位にあった。クラヴサンのローランス・ブーレ(1925-2007)は女流奏者。ブーシノーはこのシリーズでヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番(78CDR-3029)が出ている。
 
33CDR-3680
\1429+税
J.S.バッハ:
 ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041
 ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV1043
 2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ短調 BWV1060
仏 CLUB INTENATIONAL DU DISQUE 51/2(Mono)
録音:1960年パリ
モニク・フラスカ=コロンビエール(ヴァイオリン)
(BWV1041, BWV1043, BWV1060)
リリアン・ガルニエール(ヴァイオリン)
(BWV1042, BWV1043, BWV1060)
ポール・キュンツ室内管弦楽団
 通常演奏されるヴァイオリン協奏曲3曲に、原曲はオーボエとヴァイオリンのための協奏曲の2つのヴァイオリンのための協奏曲 BWV1060(2台のハープシコードのための協奏曲 BWV1060の編曲もある)を加えたJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲全集。
 指揮者のポール・キュンツ(1930-)はフランスのミュルーズ生まれ。1947年から1950年までパリ音楽院で指揮法をウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)に学んだ。1951年に若い音楽家を集めて、自分の名前を冠した室内管弦楽団を組織し指揮者としての活動を始めた。1956年にヴァイオリニストのモニク・フラスカ・コロンビエールと結婚した。もうひとりのヴァイオリン奏者リリアン・ガルニエールはRCAに小品集(LSC2646)などを録音している。
 
78CDR-3681
\1429+税
「不世出の名ソプラノ、マギー・テイト」
 アーン:私の詩に翼があったなら
 アーン:いみじき時
 デュパルク:旅への誘い
 ドビュッシー:手紙-歌劇「ペレアスとメリザンド」より
 ドビュッシー:君は知らない, なぜ僕が遠くへ行かなければならないのか
  -歌劇「ペレアスとメリザンド」より
 ドビュッシー:私の長い髪-歌劇「ペレアスとメリザンド」より
 ショーソン:終わりなき歌
 メサジェ:軽やかに、軽やかに-オペレッタ「ムッシュ・ボーケール」より
 アーン:さようなら-音楽喜劇「モーツァルト」より
 ドビュッシー:パンの笛-「ビリティスの3つの歌」より
 ラヴェル:シェエラザード
 ベルリオーズ:君なくて-夏の夜より
 フォーレ:夢の後に
マギー・テイト
 マギー・テイト(1888-1976)はイングランド中部のウルバーハンプトン生まれ。パリでジャン・ド・レスケ(1850-1925)が創立した歌劇学校に入学した。教師の一人にレナルド・アーン(1874-1947)が居た。
 1908年にクロード・ドビュッシー(1862-1918)に認められ「ペレアスとメリザンド」のヒロイン役を歌い、初演歌手のメアリー・ガーデン(1874-1967)の後を継いだ。ここにはテイトの数々の名唱に加えてメアリー・ガーデンの歴史的演奏(ドビュッシーのピアノ伴奏による1904年録音)を加えた。
 
78CDR-3682
\1429+税
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調 K.454
 仏アンソロジー・ソノール 111/3
 録音:1942年2月23日パリ
アンリ・メルケル(ヴァイオリン)
ジャン・ユボー(ピアノ)
 ヴァイオリンのアンリ・メルケル(1897-1969)はパリ生まれ。パリ音楽院のギヨーム・レミー教授のクラスで1912年に一等賞を得た。パリ・オペラ座管弦楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団のヴァイオリン奏者をつとめた後、1929年からパリ音楽院管弦楽団のコンサートマスターになり、その後ソリスト、室内楽奏者として活躍した。
 メルケルはこのシリーズで多数出ている。ピアノのジャン・ユボー(1917-1992)はパリ音楽院でラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、1930年13歳で一等賞を得た。このメルケルとのモーツァルト:ヴァイリン・ソナタ K.454の録音は発売当時非常に高く評価された。
 
78CDR-3683
\1429+税
ラザール・レヴィ日本録音集
 クープラン:
  ゆりの花ひらく
  葦
 シューベルト:
  即興曲変イ長調作品142-2
 ラザール・レヴィ:
  ワルツ集(1)
  ワルツ集(2)
 ショパン:
  マズルカ第2番嬰ハ短調作品6-2
  マズルカ第31番変イ長調作品50-2
 シューマン:
  夕べに
  夢のもつれ "幻想小曲集" Fantasiestucke, Op.12 より
日本ビクター SD53/5 VICTOR SD-53/5(Japan)
録音:1950年10月東京・築地ビクタースタジオ
ラザール・レヴィ(ピアノ)
 この録音は第2次世界大戦後、初めて来日した外国人アーティスト、ラザール・レヴィ(1882-1964)が日本ビクターに録音した1950年録音のSP盤復刻。レヴィはパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1898年に一等賞を得た。
 1914年からパリ音楽院教授をつとめ、1953年に退任したが、その間1916年から21年と1941年から44年に、ドイツ軍のパリ占領のため地下に潜伏した。
 レヴィの弟子には、クララ・ハスキル、 モニク・アース、イヴォンヌ・ロリオ他、日本人ピアニストの安川加壽子、原智恵子、井上二葉、田中希代子、遠藤郁子、他が居る。レヴィのレコード録音はたいへん少なく、この復刻の他にモーツァルト:幻想曲ハ短調K.475(1931年録音)はモーツァルト「伝説の録音」第2巻のCD23(飛鳥新社)に収録されている。
  
33CDR-3684
\1429+税
モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219*
 交響曲第10番ト長調 K.74
 交響曲ハ長調 K.96(111b)
英 THE RECORD SOCEIETY RS 35(モノ)
録音: 1958年3月19日(協奏曲)、1956年10月15日(交響曲)
シャルル・シルルニク(ヴァイオリン)*
ダニエル・シャブリュン指揮*
パリ・チェント・ソリ管弦楽団*
ベルンハルト・パウムガルトナー指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム室内管弦楽団
 シャルル・シルルニク(1923-2003)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)のクラスで学び1939年に一等賞を得た。
 このシリーズでベートーヴェンの協奏曲(33CDR-3615)が出ている。このモーツァルトは師ブーシュリが弾いた1906年機械式録音の第3楽章がこのシリーズ(78CDR-3065)で出ているが、シルルニクは師譲りの清楚な演奏を繰り広げていて素晴らしい。
 指揮者のダニエル・シャブリュン(1925-2006)はパリ音楽院で指揮法をルイ・フレスティエール(1892-1976)に学び1954年に一等賞を得た。交響曲を指揮するベルンハルト・パウムガルトナー(1887-1971)はウィーン生まれ。1917年から1959年までモーツァルテウム音楽院の学院長を、1959年から1971年までザルツブルグ音楽祭の総裁をつとめた。
 
33CDR-3685
\1429+税
ショーソン(モーリス・ブショール詞):
 愛と海の詩 作品19
米 LONDON LL 1386(モノ)
録音: 1955年5月9-10日ロンドン、キングズウェイ・ホール
イルマ・コラッシ(メゾ・ソプラノ)
ルイ・ド・フローマン指揮
ロンドン交響楽団
 イルマ・コラッシ(1918-2012)はギリシャのアテネ生まれ。14歳でアテネ音楽院の声楽科とピアノ科で一等賞を得たのち、ローマのサンタ・チーリア音楽院でさらに研鑽を積んだ。声楽とピアノの両方で優秀な成績をおさめたが、最終的に声楽を選んだ。
 第2次大戦中にアテネに戻りアテネ音楽院で教えた。そこでマリア・カラス(本名マリア・カロゲロプーロス)(1923-1977)を指導したことがある。1949年パリに行き、ラヴェルやフランス六人組作曲家の作品を歌い有名になった。
 1970年に現役を退き、パリのスコラ・カントルム音楽院で後進の指導にあたった。ルイ・ド・フローマン(1921-1994)はパリ音楽院でウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)やアンドレ・クリュイタンス(1905-1967)に師事した。ニース放送局管弦楽団やルクセンブルク放送交響楽団の指揮者をつとめた。
 
78CDR-3686
\1429+税
ベートーヴェン:
 交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
英 DECCA AK1824/8(ffrr 録音)
録音:1948年2月24-25日&5月17日(AR 12039)ロンドン、キングズウェイ・ホール
エーリヒ・クライバー指揮
ロンドン交響楽団
 エーリヒ・クライバー(1890-1956)はウィーン出身の20世紀前半を代表する指揮者のひとり。指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)の父親。プラハ大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。プラハ音楽院で指揮法を学び、1911年に指揮者デビュー。1923年にベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。
 ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935年に妻と当時5歳のカルロスとアルゼンチンに移住した。1939年に市民権を取得し、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後はヨーロッパに戻り、英国デッカの専属となり各地に客演指揮者として活躍した。このシリーズでパリ音楽院管弦楽団を1949年に指揮したチャイコフスキー:交響
曲第4番(78CDR-3518)が出ている。
  
78CDR-3687
\1429+税
パガニーニ:
 ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6
 魔女たちの踊り
クライスラー:
 レシタティーヴォとスケルツォ・カプリス
録音:1947年12月16日(協奏曲)、12月18日(クライスラー)、1948年(魔女たちの踊り)
仏ポリドール 566.242/4
仏ポリドール 566.307
ルッジェーロ・リッチ(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
ルイ・パーシンガー(ピアノ)
 ルッジェーロ・リッチ(1918-2012)はアメリカのヴァイオリニスト。メニューインの師でもあったルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事し、16歳のときサンフランシスコでデビューした。
 1930年代にベルリンでゲオルク・クーレンカンプ(1898-1949)の門下に入った。1942年から1945年まで米軍籍で慰問演奏に携わった。
 この録音は大戦後間もなくの1947年にパリで行われた。同じ時に録音されたサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番(33CDR-4330)も出ている。
 ウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はフランスの指揮者。1935年から1950年まで名門ラムルー管弦楽団の首席をつとめた。録音当時29歳だったリッチをフルサポートしてこの名演奏を実現したのはビゴーの力によるものと思う。
 
78CDR-3688
\1429+税
エマ・ボワネ/フランス・ピアノ曲集
 フォーレ:舟歌第5番嬰ヘ短調作品66
 ピエルネ:ワルツ形式のノクターン作品40-2
 セヴェラック:日光浴
 シャブリエ:ブーレ・ファンタスク、牧歌
 ドビュッシー:
  音と香りは夕べの大気のなかに漂う(前奏曲集第1集第4曲)
EMMA BOYNET, piano
米 RCA VICTOR AM 549-1/10(Set)
録音:1938年1月19&31日
エマ・ボワネ(ピアノ)
 エマ・ボワネ(1891-1971)はパリ音楽院のピアノ科の名教授イジドール・フィリップ(1863-1958)のクラスで一等賞を得た。
 ボワネはアメリカに移住し、演奏活動の傍らニューヨークのアメリカン・カレッジ・オブ・ミュージックで教鞭を取った。ボストン交響楽団の指揮者だったセルゲイ・クーセヴィツキー(1874-1951)はボワネのモーツァルトを聴いて "まるで天使が弾いているようだ" と絶賛し、ボストン交響楽団の演奏会にソリストとして何度も招いて共演した。

<2017年5月5日紹介新譜>

33CDR-3669
\1429+税
ブルーノ・ワルター/ウィンナ・ワルツ集
 ヨハン・シュトラウス 2世
  皇帝円舞曲
  「こうもり」序曲
  ウィーン気質
  ウィーンの森の物語
  「ジプシー男爵」序曲
  美しく青きドナウに
米 COLUMBIA ML5113(Mono)
録音:1956年3月16日&22-23日ニューヨーク30丁目COLUMBIA STUDIO
ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)ドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー。後に指揮者に転向した。1869年ハンブルク歌劇場でグスタフ・マーラー(1860-1911)に出会い交友を深めた。その後ドイツ、オーストリア各地のオーケストラや歌劇場の楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると迫害を避けてアメリカに逃れた。
 これはLP時代にニューヨーク・フィルのメンバーを母体に編成されたコロンビア交響楽団を起用して録音されたもの。ドイツ、オーストリアで永年音楽生活を過ごした指揮者ならではの愛情に満ちた素晴らしいヨハン・シュトラウスのワルツ集。ワルターはこのシリーズで名演が多数出ている。
 
33CDR-3670
\1429+税
ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調作品101, Hob.VIIb-2
ボッケリーニ:チェロ協奏曲変ロ長調 G.481
 仏 PHILIPS 835 069 AY(Stereo)
 録音:1960年10月パリ
モーリス・ジャンドロン(チェロ)
パブロ・カザルス指揮
ラムルー管弦楽団
 モーリス・ジャンドロン(1920-1990)は南仏ニース生まれ。ニース音楽院を卒業後、パリ音楽院でジェラール・エキング(1879-1942)のクラスで学び1938年に一等賞を得た。大戦後の1945年12月2日にロンドンのウィグモア・ホールでベンジャミン・ブリテン(1913-1976)のピアノ伴奏でフォーレとドビュッシーのソナタを弾いてソロデビュー。さらに同月、プロコフィエフのチェロ協奏曲第1番の初演をワルター・ジュスキンド指揮ロンドン・フィルと行って名声を高めた。ジャンドロンはメニューイン兄妹とピアノ三重奏を25年に渡って行った。
 パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレル生まれ。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。第2次世界大戦後、南仏プラドに隠遁していたカザルスに、友人でヴァイオリン奏者のアレクサンダー・シュナイダーが室内音楽祭を開くことを提案してカザルスは受け入れた。
 これはカザルスが弟子のジャンドロンのために指揮棒をとった唯一のスタジオ録音。それだけカザルスがこの弟子に目をかけていたことがうかがえる。
  
78CDR-3671
\1429+税
シューベルト:ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調作品100
 英 HMV DB2676/80
 録音:1935年10月23日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ
ブッシュ・ゼルキン三重奏団
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
 アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの大ヴァイオリニスト。1922年からピアノのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とデュオを組んで活躍した。1936年ゼルキンはブッシュの娘イレーネと結婚したが、ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。その後ブッシュもドイツを去ってスイスに移住。1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代のもの。
 このシリーズでブッシュとゼルキンにホルンのオーブリー・ブレイン(1893-1955)を加えたブラームス:ホルン三重奏曲(78CDR-3018)とブッシュ兄弟がアメリカに移住後の録音であるベートーヴェン:ピアノ三重奏曲「幽霊」(78CDR-3253)が出ている。
 
78CDR-3672
\1429+税
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第4番変ロ長調作品11「街の歌」
J.S.バッハ:アダージョ ト長調
 英 COLUMBIA DX8200/2
 録音:1944年7月2日(ベートーヴェン)&1944年7月31日(J.S.バッハ)ロンドン、
 アビー・ロード EMI第3スタジオ
デニス・マシューズ(ピアノ)
レジナルド・ケル(クラリネット)
アンソニー・ピーニ(チェロ)
 デニス・マシューズ(1919-1988)は英国のピアニスト。ロンドンの王立音楽アカデミーでハロルド・クラックストン(1885-1971)に師事し1939年にデビューした。その後1946年まで兵役につき、大戦後コンサート・ピアニストとして活躍しレコード録音も多く残した。晩年はバーミングハム音楽院で教鞭をとった。
 レジナルド・ケル(1906-1981)は英国のクラリネット奏者。王立音楽アカデミーでハイドン・ドレイパーに師事し、在学中からロイヤル・フィルハーモニー協会オーケストラの首席奏者をつとめ、卒業後ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団に移籍した。戦後の1948年にアメリカに渡り、コンサートやレコーディングのほか、ベニー・グッドマン(1909-1986)やピーナッツ・ハッコー(1918-2003)らにクラシック音楽奏法を指導した。1958年に母国に帰り晩年は画家として余生を送った。
 アンソニー・ピーニ(1902-1989)は英国の五大オーケストラの首席チェロ奏者やソリスト、室内楽奏者として活躍、また王立音楽カレッジやギルドホール音楽演劇学校で教鞭をとった。この録音は第2次世界大戦末期のもの。SPレコードとしては日本では発売されなかった。
 
78CDR-3673
\1429+税
ハイドン:弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-63「ひばり」
 英 HMV EH 1248/9
 録音:1939年1月ベルリン
クェリング弦楽四重奏団
 クェリング弦楽四重奏団は全員女性奏者のユニークな団体。リーダーのリーレ・クェリング(1903-没年不詳)はドイツのクレグフェルド生まれでブラム・エルデリンクに師事した。
 エルデリンクはアドルフ・ブッシュにドイツ・ヴァイオリン奏法の基礎を教えた人物で、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の奏法を後世に伝えることに心血をそそいだ。
 クェリングは1935年に結婚し、オランダのユトレヒトに在住したと伝えられている。この「ひばり」はSP時代にビクターの「洋楽愛好家協会」盤として発売されたこがあるが、レコード材料の欠乏していた時代であったため、雑音が多く真の演奏が理解されなかった。
 この復刻には英HMV盤を使用した。
 
33CDR-3674
\1429+税
モーツァルト:
 クラリネット協奏曲イ長調 K.622
 クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
 仏 RCA 630 398(Mono)(米 RCA VICTOR LM 2073 と同一録音)
 録音: 1956年7月9日(協奏曲)&7月12日(五重奏曲)、
 アメリカ、マサチューセッツ州レノックス
ベニー・グッドマン(クラリネット)
シャルル・ミュンシュ指揮
ボストン交響楽団(協奏曲)
ボストン交響楽団五重奏団(五重奏曲)
リチャード・バーギン(第1ヴァイオリン)
アルフレッド・クリプス(第2ヴァイオリン)
ジョゼフ・デパスクァーレ(ヴィオラ)
サムエル・メイス(チェロ)
 ベニー・グッドマン(1909-1986)はシカゴ生まれ。クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年ニューヨークに移り、1932年自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年1月ニューヨークのカーネギーホールで初のジャズ・コンサートを開き全米を沸かせた。
 この録音はLP時代になってからのもので協奏曲はグッドマンにとって初録音、五重奏曲は2回目の録音である。1回目はブダペスト弦楽四重奏団と1938年に行われ78CDR-3661で出ている。
 グッドマンにクラシック音楽奏法を指導したのはイギリス生まれのレジナルド・ケル(1908-1981)でケルは1948年にアメリカに渡ったので2種の五重奏曲のクラリネット奏法がどう違うか聴き較べが興味ある。
 指揮者のシャルル・ミュンシュ(1891-1968)はフランス生まれ。1949年から1962年までボストン交響楽団の正指揮者をつとめた。
 
33CDR-3675
\1429+税
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「スプリング」
  仏PRESTIGE DE LA MUSIQUE SR-9657(Stereo)
  録音:1960年パリ
マヌーグ・パリキアン(ヴァイオリン)
マグダ・タリアフェロ(ピアノ)
 ヴァイオリンのマヌーグ・パリキアン(1920-1949)はトルコのメルシン生まれ。
 ロンドンで学び1949年にフィルハーモニア管弦楽団のコンサートマスターになり1957年までその席にあった。その後ソリストとして活躍する一方後進の指導にあたった。フィルハーモニア管弦楽団コンサートマスター時代にクレンペラー、カラヤン、ジュリーニ等の指揮者に乞われたソロ録音がある。
 ピアノのマグダ・タリアフェロ(1893-1986)はブラジルのリオ・デジャネイロ生まれ。父親はラウル・ピュニョ(1852-1914)にピアノを学んだという。
 一家は1906年にフランスへ移住。彼女は13歳でパリ音楽院に入学、アントナン・マルモンテルのクラスに入り9カ月後に一等賞を得た。音楽院を卒業後、アルフレッド・コルトー(1877-1962)についてさらに研鑽を積んだ。
 彼女はこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲「戴冠式」(78CDR-3093)、ヴァイオリンのドニーズ・ソリアノ(1916-2006)と共演したフォーレ:ヴァイオリン・ソナタ第1番(78CDR-3135)、モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第40番 K.454(78CDR-3027)他が出ている。
 
78CDR-3676
\1429+税
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第5番ニ長調作品70-1「幽霊」
 英 HMV DB2879/81
 録音:1936年3月5日パリ、アルベール・スタジオ
ヘプツィバ・メニューイン(ピアノ)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
モーリス・アイゼンバーグ(チェロ)
 ピアノのヘプツィバ・メニューイン(1920-1981)はサンフランシスコ生まれ。
 4歳でジュディス・ブロックリーについてピアノを始め、後にレフ・アに学んだ。8歳の時サンフランシスコで初リサイタルを開いた。その後バーゼルでルドルフ・ゼルキン(1903-1991)に、パリでマルセル・シャンピ(1891-1980)について研鑽を積んだ。
 兄でヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(1916-1999)と初共演したモーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ K.526(1933年録音)(78CDR-3025)がキャンディド賞を受賞しピアニストとして注目されるようになった。
 チェロのモーリス・アイゼンバーグ(1900-1972)はドイツ生まれ。1902年に両親と共にアメリカに移住した。1921年にアメリカ公演中のパブロ・カザルス(1876-1973)に出会い、ヨーロッパで学ぶことをすすめられ、ベルリンでユリウス・クレンゲル(1859-1933)やフーゴ・ベッカー(1864-1941)、パリでナディア・ブーランジェ(1887-1979)に薫陶を得た。
  
78CDR-3677
\1429+税
モーツァルト:ヴァイオリンと管弦楽のためのアダージョ ホ長調 K.261
レーガー:ヴァイオリンとピアノのための組曲イ短調作品103aからアリア
タルティーニ=クライスラー編:
 ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品1-1 からフーガ
  スイス COLUMBIA LZX7
  日ODEON U-10020(独 Odeon 6573と同一録音)
  録音: 1938年(モーツァルト)&1927年4月11日(レーガー&タルティーニ)
シュテフィ・ゲイエル(ヴァイオリン)
パウル・ザッハー指揮
コレギウム・ムジクム・チューリッヒ
ヴァルター・シュルテス(ピアノ)
 シュテフィ・ゲイエル(1888-1956)はハンガリーの女流ヴァイオリン奏者。ブダペストのリスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。ベラ・バルトーク(1881-1945)やオトマール・シェック(1886-1957)は共に彼女のためにヴァイオリン協奏曲を献呈した。初婚の相手が病死した後、1920年にスイスの作曲家ヴァルター・シュルテスと再婚しチューリッヒに居を構え音楽院で教えた。
 その時の弟子の一人がアイダ・シュトゥツキ(1921-2011)。シュトゥツキは後にアンネ=ゾフィ・ムターの師となった。シュトゥツキはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番 K.271a(33CDR-3645)が出ている。
 パウル・ザッハー(1906-1999)はスイスの指揮者で作曲家。往年の名指揮者フェリクス・ヴァインガルトナー(1863-1942)に学んだ後バーゼル室内管弦楽団を設立した。
 世界的製薬会社エフ・ホフマン・ラ・ロッシュ社のオーナー未亡人との結婚で巨大な富を得て、多くの作曲家へ作品委嘱をした。武満徹の「ユーカリプス」もザッハーの委嘱による。
 
78CDR-3678
\1429+税
信時 潔
組曲「沙羅」 清水重道(詞)
丹澤
あづまやの
北秋の
沙羅

行々子
ゆめ
占ふと

北原白秋(詞)
つなで
幻滅
をみな子よ
 ニッチク(日本コロムビア)90634/6
 録音:1943年12月1日
  (SPレコード特有のノイズがあります)
木下 保(テノール)
水谷達夫(ピアノ)
 作曲者の信時潔は幼少より讃美歌に親しみ東京音楽学校(現東京藝術大学音楽学部)に入学、チェロをハインリヒ・ヴェルクマイスター(1883-1936)に、指揮法をアグスト・ユンケルに学んだ。
 1920年ドイツに留学しゲオルク・シューマン(1866-1952)に師事した。「沙羅」は1936年の作品。テノールの木下保(1903-1982)は兵庫県富岡市出身。
 1926年に東京音楽学校を卒業。1932年から1935年までドイツとイタリアに留学した。帰国後、母校の声楽科主任教授になり、日本人作曲家の作品も多く取り上げた。「沙羅」の初演者で、信時潔のカンタータ「海道東征」(神武天皇を題材とした作品)の初演指揮者もつとめた。
 ピアノの水谷達夫(1911-1998)は東京音楽学校でレオ・シロタ(1885-1965)に師事し、卒業後長く母校で後進を指導をした。
 この録音は第2次世界大戦中の1943年(昭和18年)12月1日に行われた。日本コロムビアはニッチクと改名し、レコード材料の不足から返品レコードを再利用していた時代のものである。
 ノイズが大きいのはその所為だが、録音そのものは見事である。時代背景はレコードどころではなかったのに、よくぞこのような作品を残してくれたと頭が下がる。

<2017年3月24日紹介新譜>

33CDR-3664
\1429+税
プロコフィエフ:
 ヴァイオリン・ソナタ第1番ヘ短調作品8
 ヴァイオリン・ソナタ第2番ニ長調作品94a
米 MERCURY MG50319(Mono)
録音: 1959年12月7日(第1番)、12月8&10日(第2番)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
 ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれのヴァイオリン奏者。名教師イエノ・フバイ(1858-1937)に師事し13歳でデビューした。20世紀に活躍した最も偉大な音楽家の一人。
 この録音はシゲティが67歳の時のもの。同世代の作曲家プロコフィエフに強い共感を抱いた鬼気迫る演奏が聴ける。ピアノのアルトゥール・バルサム(1906-1994)はポーランド生まれ。ベルリン高等音楽院でアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)に師事した。ナチスの台頭でアメリカに移住し、名伴奏者であると共にソリストとして活躍した。
 このシリーズでジョセフ・フックスのヴァイオリンによるベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲(33CDR-3489/3490/3491 単売)が出ている。
 
33CDR-3665
\1429+税
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219「トルコ風」
 米 COLUMBIA ML4565(Mono)
 録音: 1951年7月13日ペルピニャン市民劇場
エリカ・モリーニ(ヴァイオリン)
パブロ・カザルス指揮
ペルピニャン祝祭管弦楽団
 エリカ・モリーニ(1904-95)はオーストリア生まれの女流ヴァイオリニスト。
 8歳でウィーン音楽院に入学を許され、オタカル・シェフチーク(1852-1934)に師事した。1916年にアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)指揮ゲヴァントハウス管弦楽団と共演してデビューした。1938年にアメリカに移住し1976年に引退するまで第一線で活躍した。彼女はハイフェッツも一目置く技巧家だったことはあまり知られていない。
 パブロ・カザルス(1876-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ペドレル生まれ。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。第2次世界大戦後、南仏プラドに隠遁していたカザルスに、友人でヴァイオリン奏者のアレクサンダー・シュナイダーが室内音楽祭を開くことを提案してカザルスは受け入れた。
 この録音は音楽祭2年目にプラドの近くの町ペルピニャンでのライヴ録音。モリーニの音楽祭登場はこの年だけだった。
 
78CDR-3666
\1429+税
バルトーク:コントラスト(ヴァイオリン、クラリネット&ピアノのための)
 米 COLUMBIA 70362/3D(Set X-178)
 録音:1940年5月13-14日ニューヨーク、World Broadcasting Studios
ベラ・バルトーク(ピアノ)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ベニー・グッドマン(クラリネット)
 作曲者バルトークとヴァイオリニトのヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれの同胞。ジャズ・クラリネットのベニー・グッドマン(1909-1986)がシゲティに会った時(1938年)二人にバルトークのピアノを加えた三人で共演できる曲が書けないだろうかと、シゲティを通してバルトークに作曲の打診して出来上がったのがこの曲。
 作品にはハンガリーとルーマニアのさまざまな民俗舞曲の要素が組み込まれ、さらにジャズの香りも盛り込まれている。3人の巨匠が繰り広げるスリリングが演奏が聞きどころ。
 グッドマンはこのシリーズでモーツァルト:クラリネット五重奏曲(78CDR-3661)、ベニー・グッドマンとペギー・リー(78CDR-35389),ベニー・グッドマン・ウィズ・チャーリー・クリスチャン(78CDR-3579)が出ている。
 
78CDR-3667
\1429+税
フォーレ:ピアノ四重奏曲第1番ハ短調 作品15

米 COLUMBIA 68524/7-D (仏COLUMBIA LFX380/383と同一録音)
録音: 1935年5月7-8日、パリ、アルベール・スタジオ録音
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
ジョゼフ・カルヴェ(ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
 ピアノのロベール・カザドシュ(1889-1972)はパリの音楽一族の生まれ。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を1920年にディエメール賞を得た。1921年にピアニストのガブリエル・ロートと結婚、二人は四手、2台ピアノでしばしば共演した。
 1935年からフォンテーヌ・ブローのアメリカ音楽院で教鞭をとった。その後アメリカに移住したが戦後フランスに戻った。ヴァイオリンのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)は1919年に弦楽四重奏団を組織し、ヴィオラのレオン・パスカルとチェロのポール・マはカルヴェ四重奏団のメンバー。
 フォーレのピアノ四重奏曲第1番はこのシリーズでシャイエ=リシェ四重奏団(78CDR-3167)とアンリ・メルケル夫妻にタンロックのピアノによる(78CDR-3441)が出ている。
 
78CDR-3668
\1429+税
ショパン:
 ワルツ第3番イ短調作品34-2
 ワルツ第6番変ニ長調作品64-1「小犬のワルツ」
 ワルツ第12番ヘ短調作品70-2
 ワルツ第2番変イ長調作品34-1「華麗なるワルツ」
 ワルツ第7番嬰ハ短調作品64-2
 ワルツ第5番変イ長調作品42
 ワルツ第1番変ホ長調作品18「華麗なる大ワルツ」
 エチュードホ短調作品25-5
 エチュードヘ短調作品25-2
 エチュードヘ長調作品25-3
フォーレ:
 ヴァルス・カプリス第3番変ト長調作品59(1)
 ヴァルス・カプリス第3番変ト長調作品59(2)
  日本コロムビア G38/40, B325, B322
  発売: 1950年(G38/40)、1953年(B325 & B322)
野邊地瓜丸(勝久)(ピアノ)
 野邊地瓜丸(1910-1966)(後に勝久に改名)は1926年16歳でフランスに留学、エコル・ノルマルでラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、アルフレッド・コルトー(1877-1963)にも多大な影響を受けた。1930年に帰国後ソリストとして活躍、ショパンやフランスの作品を得意とした。1946年26歳で東京藝術大学音楽学部の教授に就任した。
 ここに収録したショパンのワルツ集は1950年に発売されたもの。ショパンのエチュード3曲とフォーレのヴァルス・カプリスは野邊地勝久とレーベルに記されている。戦後の物資が不足していた時代のSPレコードのため音が良くないが、フランス仕込みの演奏は堂に入って素晴らしい。
 野邊地はこのシリーズでヴァイオリンの巌本真理との二重奏でルクー:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3486)が出ている。

<2017年2月3日紹介新譜>

33CDR-3654
\1429+税
ヨーゼフ・レヴィーンSP録音集
 ポロネーズ第6番変イ長調作品53「英雄」(ショパン)
 エチュードイ短調 作品25-11 「木枯らし」(ショパン)
 エチュード変ホ長調 作品10-11(ショパン)
 エチュード嬰ト短調 作品25-6(ショパン)
 エチュードロ短調 作品25-22(ショパン
 前奏曲変イ長調 作品28-17(ショパン)
 前奏曲変ロ短調 作品28-16(ショパン)
 トッカータハ長調 作品 7(シューマン)
 春の夜 作品39-11(シューマン=リスト編)
 祭り(ドビュッシー=ラヴェル編)*
 美しき青きドナウ(シュトラウス2世、シュルツ=エヴラー編)
  ロジーナ・レヴィーン (ピアノ) と連弾 *
  米 CAMDEN CAL 265 (Mono)
   (原盤レコードに起因するノイズがあります)
ヨーゼフ・レヴィーン
 ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944) はロシア生まれのユダヤ系ピアニスト。
 1892年モスクワ音楽院ピアノ科を大金メダルを得て卒業。同級生にはアレクサンダー・スクリャービン(1872-1915) やセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)がいた。1898年に音楽院の後輩ピアニスト、ロジーナ(1880-1976) と結婚。
 夫妻は1919年にアメリカに亡命し、ジュリアード音楽院で教鞭をとりながら演奏活動をした。1944年、70歳の誕生日を目前に心臓発作で世を去った。
 ここに収録した録音はLP時代の初期にCAMDENで発売されたもの。オリジナルのSPレコードは極めて数が少ないためにLPからのトランスファーに依った。
 ブゾーニ、ホロヴィッツ、ルービンシュタインが一目置いた伝説のピアニストが残した貴重な演奏集である。復刻にはWESTREX 10A カートリッジをモノラル接続で使用した。
  
33CDR-3655
\1429+税
モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 K.216
  (カデンツァ:シモン・ゴールドベルグ)
 ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
  (カデンツァ: ヨアヒム)
米 DECCA DL9609 (Mono) (英PARLOPHONE PMA1003と同一録音)
 (1951年8月13-15日、ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
シモン・ゴールドベルグ (ヴァイオリン)
ワルター・ジュスキント指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 シモン・ゴールドベルグ(1909-1993) はポーランド生まれ。ベルリンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1929年フルトヴェングラーに招かれてベルリン・フィルのコンサートマスターに就任したが1934年ナチスが政権をとると退団し、ロンドンに移住した。1936年ハンガリー出身の女流ピアニスト、リリー・クラウスと共に来日したこともある。
 1942年クラウスと共にアジアに演奏旅行中、インドネシアのジャワ島で日本軍に捕らえられ1945年まで抑留生活を強いられた。
 大戦後はオランダとアメリカで活躍、晩年日本人ピアニスト山根美代子さんと結婚、富山県の立山のホテルで暮らしていた。
 指揮者のワルター・ジュスキント(1913-1980 はチェコのプラハ生まれ、ベルリンで名指揮者ジョージ・セル(1897-1970)に薫陶を得てアシスタントを務め、後にイギリス国籍を得た。復刻にはWESTREX 10A カートリッジをモノラル接続で使用した。
 
78CDR-3656
\1429+税
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
バラー:「4つの小品のための組曲」よりアンダンテ
日本ビクター SD3029/32
 (1951年10月東京・築地日本ビクター・スタジオ録音)
アドルフ・バラー(P)
 アドルフ・バラー(1909-1994) はポーランドのガリシア(現ウクライナ)生まれ。8歳のときウィーンに行きフランツ・リストの弟子の一人に師事し、13歳でウィーン・フィルと共演した。1938年ナチスの迫害を受けアメリカに逃れ、1941年名ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン(1916-1999)に出会い伴奏者を務めた。
 この録音はメニューインが1951年、戦後初の親善使節として来日した際、東京・築地の日本ビクター・スタジオでの録音。おそらく最初期の磁気テープ録音によるSPレコードであろう。
  
78CDR-3657
\1429+税
ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第9番ハ長調作品59-3「ラズモフスキー第3番」
英 HMV DB2109/12
 (1933年11月10日&16日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
 ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代に英HMVに多くの録音をしていた。ブッシュはピアニストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAで録音を再開した。
 このシリーズでベートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番(78CDR-3638) 、第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、第12番(78CDR-3482) 、第14番(78CDR-3633) 、第15番(78CDR-3362) 、第16番(78CDR-3195) が出ている。
 
78CDR-3658
\1429+税
J.S.バッハ:
 パルティータ第1番変ロ長調 BWV.825
 半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV.903
 6つの小前奏曲 BWV.933/938
 イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971
 3つの小前奏曲 BWV.924/6 &「フゲッタ」BWV.961
  DISQUE GRAMOPHONE DB4995/6 (France)
  HMV DB4993/4 (U.K.)
  VICTOR 14233/4 (U.S.)
   (1935年〜36年パリ録音)
ワンダ・ランドフスカ(ハープシコード)
 ワンダ・ランドフスカ(1879-1959) はポーランドのワルシャワ生まれ。20世紀最高のハープシコード奏者。またピアニスト、音楽学者、教授で1900年から13年間パリのスコラ・カントルムで教鞭をとった。二列の鍵盤と七個のペダルを有する自分のハープシコードをパリのプレイエル社に作らせて生涯この楽器を使用した。1940年フランス国籍を得たが、1941年ドイツ軍のフランス侵攻によりアメリカに逃れ、晩年はコネティカット州のレイクヴィルに居住し、75歳の時ニューヨークで演奏会を開いたという記録がある。ランドフスカの録音はこのシリーズで多数出ている。
 
33CDR-3659
\1429+税
ミッシャ・エルマン・リサイタル
 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-23
 J.S.バッハ:G線上のアリア
 サンマルティーニ=ナチェス編:パッサカリア
 ヴィターリ=シャイエ編:シャコンヌ
  米 LONDON LL 1631(Mono)(英 DECCA LXT 5303 と同一録音)
   (1956年10月15-18日ロンドン NW6デッカ・スタジオ録音)
ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ジョゼフ・セイガー(ピアノ)
 ミッシャ・エルマン(1891-1967)はロシア、キエフのタルノイ生まれ。4歳でヴァイオリンを始め、オデッサの王立音楽学校に入学。その後ペテルブルグ音楽院で名教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1904年にベルリンでデビュー。1905年にはロンドン、1908年にニューヨークのカーネギー・ホールでデビュー、聴衆を沸かせた。1911年に単身アメリカに移住、その後家族を呼び寄せ1923年に市民権を得た。
 1921年に初来日、その後1937年、1955年に来日した。
 エルマンは機械式録音時代からSPレコード時代にかけて米VICTORの看板アーティストとして君臨した。これはエルマン65歳のモノLP録音である。往年の名ヴァイオリニストをハイファイ録音で捉えた貴重なもの。聴き手を引きつける名手のヴァイオリンの魅力は十分に残っている。なおここに収録のヴィタリの「シャコンヌ」はエルマンの初録音。
 
33CDR-3660
\1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 (カデンツァ:アドルフ・ブッシュ)
独 BRUEDER-BUSCH 12PAL 1902/03(モノ)
 (1942年2月9日ニューヨーク録音)
アドルフ・ブッシュ(ヴァイオリン)
フリッツ・ブッシュ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
 アドルフ・ブッシュ(1891-1952)はドイツの名ヴァイオリニスト。1912年、20歳の時ウィーンのコンツェルト・フェライン(ウィーン交響楽団)のソロ・ヴァイオリンに抜擢された。1918年ベルリン高等音楽院のヴァイオリン科教授に任命され、弦楽四重奏団も組織した。1936年にアメリカに移住、活動の拠点をこの地に置いた。
 指揮者のフリッツ・ブッシュ(1890-1951)はアドルフの実兄。北欧やイギリスで活躍した。この録音は第2次世界大戦中にニューヨークで行われた兄の指揮、弟のヴァイオリンとニューヨーク・フィルが共演した貴重なもの。他に二人の共演盤は存在しない。アドルフ・ブッシュのヴァイオリンはこのシリーズで多数出ている。
 
78CDR-3661
\1429+税
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
 米 VICTOR 1884/6, 1492(Set M-452)
  (1938年4月25日ニューヨーク、Victor Records第2スタジオ録音)
ベニー・グッドマン(クラリネット)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
 ジャズ・クラリネットの王者ベニー・グッドマン(1909-1986)が初めてクラシック音楽の録音した記念すべきレコード。ベニー・グッドマンはシカゴ生まれ。クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。1938年1月にニューヨークのカーネギーホールで初のジャズ・コンサートを開き全米を沸かせた。この録音はその3カ月後に行われたもの。ブダペスト弦楽四重奏団との共演である。
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。グッドマンは1956年7月にモーツァルトのクラリネット協奏曲をシャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団(RCA VICTOR LPM2073)と録音していた。
 
78CDR-3662
\1429+税
モーツァルト:弦楽五重奏曲第5番ニ長調 K.593
 英 COLUMBIA LX-1046/8(Mono)(米 COLUMBIA 72346/8Dと同一録音)
  (1946年12月12日&1948年1月30日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
エドガー・オルテンベルク(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ミルトン・カティムズ(第2ヴィオラ)
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。
 第2ヴァイオリンのエドガー・オルテンベルク(在籍1944-1949)はアレクサンダー・シュナイダーが抜けた時期にメンバーを務めた。
 第2ヴィオラのミルトン・カティムズ(1909-2006)はロシアとオーストリア=ハンガリー帝国出身の両親の元にブルックリンに生まれ、コロンビア大学で教育を受けた。ヴィオラはベルギー生まれのレオン・バージン(1900-1999)の指導をうけ、1943年ウィリアム・プリムローズ(1903-1962)の後任としてNBC交響楽団の首席奏者として入団し、またニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロンドン・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮した。ブダペスト弦楽四重奏団とは15年以上に渡って共演した。
  
78CDR-3663
\1429+税
J.S.バッハ:イタリア協奏曲ヘ長調 BWV.971
(強音で音割れがあります)
 独 TELEFUNKEN SKB 3320/1
  (1943年1月22日ベルリン録音)
トメオーニ:Allegro
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(ピアノ)
 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1920-1995)はイタイアの大ピアニスト。1939年ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、その時の審査員長だったアルフレッド・コルトー(1877-1962)が「リストの再来」と賞讃したと伝えられる。
 この「イタリア協奏曲」は第2次世界大戦中のベルリンでテレフンケン社が録音したもの。当時23歳だったミケランジェリの初録音と思われる。もうレコードどころではないドイツの国内事情を考慮すると極めて貴重な録音である。
 ペレグリーノ・トメオーニ(1721-1816)はイタリアの作曲家でオルガン奏者。オペラや宗教音楽の作品を書いた。ミケランジェリはこのシリーズでJ.S.バッハ=ブゾ-ニ編:シャコンヌ(1948年録音)(78CDR-3229)が出ている。

<2016年12月9日紹介新譜>

33CDR-3649
\1429+税
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
 英 WING WL1064(Mono)(米MERCURY 録音)
 (1961年11月20&22日ニューヨーク、マンハッタン・センター録音)
 (使用原盤に起因するノイズがあります)
ロジーナ・レヴィーン(ピアノ)
ジョン・バーネット指揮
ナショナル・オーケストラ・アソシエーション同窓会のメンバー達
 ジュリアード音楽院のピアノ科の名教師ロジーナ・レヴィーン(1880-1976)の81歳の録音。
 キエフの宝石商の娘として生まれた彼女はモスクワ音楽院に学び1898年に大金メダルを得て卒業。その後まもなく5歳年長のピアニスト、ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944)と結婚した。夫妻は1919年にアメリカに亡命した。
 1944年に夫のヨーゼフが死去すると、ジュリアードの経営陣は満場一致で夫人のロジーナを夫の後任教授に推薦し、その後32年に渡って数々の俊英を育成した。
 中でも1958年に冷戦時代のソ連で開催されたチャイコフスキー・コンクールにアメリカ人として初めて優勝したヴァン・クライバーン(1934-2013)や日本人ピアニストの中村紘子(1944-2016)、作曲家のジョン・ウィリアムズ(1932-)、指揮者のジェイムズ・レヴァイン(1942-)等は門下生だった。
 指揮者のジョン・バーネットは1917年ニューヨーク生まれ。1937-41年にナショナル・オーケストラ・アソシエーションの指揮者を務めたことがある。81歳になったロジーナ・レヴィーンをソリストに指揮者も含めて元ナショナル・オーケストラ・アソシエーションのメンバーだった人達が集まっての記念録音。格調高く威厳のあるピアノが素晴らしい。
 
33CDR-3650
\1429+税
シベリウス:交響曲第2番ニ長調作品43
 米 CAPITOL P8107(Mono)(独TELEFUNKEN SK3322/6 の復刻)
 (1942年10月17日録音)
 (使用原盤に起因するノイズが多くあります)
トール・マン指揮
ストックホルム・コンサート協会管弦楽団
 スウェーデンの指揮者トール・マン(1894-1974)が残した数少ない名演奏の一つ。マンはエーテボリ交響楽団の首席指揮者を1925年から39年まで務め、その後スウェーデン放送交響楽団の首席指揮者を1959年まで務めた。
 この録音は第2次世界大戦中にドイツのテレフンケン社に録音されたもの。戦後LP時代になってテレフンケンと契約があった米CAPITOLから歴史的名演奏として復刻された。交響曲愛好家には必聴の演奏。
  
78CDR-3651
\1429+税
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
 英 HMV C3802/4
 (1948年4月4&12日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 今年92歳の現役ヴァイオリニスト、イダ・ヘンデル(1924年生まれ)は1935年ワルシャワで開催されたヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでジネット・ヌヴー(18歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)についで第3位に入賞、そのとき11歳だった。
 ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドからイギリスに移住1940年に市民権を得た。その年に英DECCA と契約し契約期間中に約50枚の録音を残した。これはDECCAとの契約を終了してEMIに移籍後の録音。
 ラファエル・クーベリック(1914-1996)は世界的ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれたチェコ出身の指揮者。1937年にチェコ・フィルを指揮してスメタナ「わが祖国」抜粋(HMV C1979/81)でEMIにデビューした。
  
78CDR-3652
\1429+税
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲ホ短調作品64
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調K.378 より第2楽章
 英 HMV DB8586/10
 (録音:1938年5月2日パリ=メンデルスゾーン&1938年ロンドン=モーツァルト)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ジョルジュ・エネスコ指揮
コロンヌ管弦楽団
ヤルタ・メニューイン(ピアノ)(モーツァルト)
 ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事し、1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮のサンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビューした。
 その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に手ほどきを受けた。1928年12歳の時初レコード録音を行った。
 指揮のジョルジュ・エネスコはルーマニア出身。ヴァイオリニスト、ピアニスト、作曲家、指揮者、教育者として活躍した全能音楽家。この録音では弟子のメニューインを全面的にサポートしている。
 ピアニストのヤルタ・メニューイン(1922-)はユーディの義妹。パリ音楽院でマルセル・シャンピ(1891-1980)に、ジュリアード音楽院ではカール・フリードバーグに師事した。
 
78CDR-3653
\1429+税
シューベルト:アルペジョーネ・ソナタイ短調 D.821
 日VICTOR JH22/3 (独ELECTROLA EH920/1 と同一録音)
 (1935年5月2日録音)
ルートヴィヒ・ヘルシャー(チェロ)
エリー・ナイ(ピアノ)
 アルペジョーネは1823年にウィーンのシュタウファーが開発した6弦のフレットをもった弦楽器。この曲は今日ではチェロで弾かれる。ルートヴィヒ・ヘルシャー(1907-1996)はドイツのチェリスト。 6歳でチェロを始め、ライプツィヒでユリウス・クレンゲル(1859-1933)、ベルリンでフーゴ・ベッカーに師事し1930年にメンデルスゾーン賞を受賞し、1936年フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの演奏会でソリストとしてデビュー。その後ピアノのエリー・ナイ(1882-1968)とヴァイオリンのマックス・シュトループ(1900-1966)とピアノ三重奏団を組んだ。エリー・ナイはウィーンでレシェティツキやエミール・フォン・ザウアーの薫陶得て、第2次世界大戦中もドイツで活躍した。

<2016年11月11日紹介新譜>

33CDR-3644
\1429+税
モーツァルト:
 ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467
 (カデンツァ:ロベール・カザドシュ)
米 COLUMBIA MS 6182(Stereo)
(1960年5月6&11日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
ロジーナ・レヴィーン(ピアノ)
ジャン・モレル指揮
ジュリアード管弦楽団
 ジュリアード音楽院のピアノ科の名教師ロジーナ・レヴィーン(1880-1976)の80歳記念録音。キエフの宝石商の娘として生まれた彼女はモスクワ音楽院に学び1898年に大金メダルを得て卒業。その後まもなく 5歳年長のピアニスト、ヨーゼフ・レヴィーン(1874-1944)と結婚した。夫妻は1919年にアメリカに亡命した。
 1944年に夫のヨーゼフが死去すると、ジュリアードの経営陣は満場一致で夫人のロジーナを夫の後任教授に推薦し、その後32年に渡って数々の俊英を育成した。
 中でも1958年に冷戦時代のソ連で開催されたチャイコフスキー・コンクールにアメリカ人として初めて優勝したヴァン・クライバーン(1934-2013)や日本人ピアニストの中村紘子(1944-2016)、作曲家のジョン・ウィリアムズ(1932-)、指揮者のジェイムズ・レヴァイン(1942-)等は門下生だった。ジャン・モレル(1903-1975)はフランス生まれ。ニューヨーク・シティ・オペラ(1946-1951)、メトロポリタン歌劇場(1956-1971)の指揮者を務めた。
 ジュリアード音楽院でも後進の指導にあたり、ヘルベルト・ブロムシュテット(1927-)、ジェイムズ・レヴァイン(1942-)、レナード・スラットキン(1944-)は門下生だった。
 
33CDR-3645
\1429+税
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第7番ニ長調 K.271a
 米 PERIOD SPLP 548(U.S.)(Mono)
 (1951年11月シュトゥットガルト録音)
アイダ・シュトゥツキ(ヴァイオリン)
グスタフ・ルント指揮
シュトゥットガルト・トンスタジオ管弦楽団
 アイダ・シュトゥツキ(1921-2011)はエジプト、カイロ生まれでスイスのヴァイオリン奏者。アンネ=ゾフィ・ムター(1963-)の師として知られている。10歳でヴァイオリンを始め最初はヴィンタートゥール/チューリッヒ市立オーケストラのコンサート・マスター、エルンスト・ヴォルタースに、続いてハンガリー生まれのヴァイオリン教師シュテフィ・ガイヤー(1888-1956)に、さらにルツェルンで名教授カール・フレッシュ(1873-1944)に師事した。1940年にジュネーヴ国際音楽コンクールで入賞し、1945年から1950年までピアニストのクララ・ハスキル(1895-1960)とデュオを組んだ。
 1948年からヴィンタートゥール音楽院で教鞭をとり、1992年にはチューリッヒ高等芸術院でマスタークラスを開いた。1975年にはヴィンタートゥールの「カール・ハインリッヒ・エルンスト芸術基金賞」を受賞した。この録音は1951年シュトゥツキが30歳の時アメリカのPERIODレーベルにスタジオ録音されたもの。ヴァイオリン協奏曲第7番はアメリカのDoremi社の復刻CDにも収録されていない貴重な音源である。
 
78CDR-3646
\1429+税
モーツァルト:クラリネット五重奏曲イ長調 K.581
 米 COLUMBIA 68909/12-D
 (1937年9月29日ニューヨーク、コロンビア・スタジオ録音)
シメオン・ベリソン(クラリネット)
ロート弦楽四重奏団
フェリ・ロート(第1ヴァイオリン)
イェネ・アンタル(第2ヴァイオリン)
フェレンツ・モルナール(ヴィオラ)
ヤーノシュ・ショルツ(チェロ)
 ロート弦楽四重奏団はオーストリア=ハンガリー帝国出身のヴァイオリニスト、フェリ・ロート(1899-1967)によって1922年に設立された。ロートはブダペスト王立音楽アカデミーの出身で1919年からブダペスト歌劇場のコンサート・マスター、1921年にはベルリン・フォルクスオーパーのコンサート・マスターをつとめた。
 1928年にアメリカに渡り、室内楽奏者として活躍した。1929年から1939年の11年間はこの四重奏団の黄金期で全員ハンガリー出身者で構成され、レコード録音の数も多い。代表的なものにJ.S.バッハのフーガの技法がある。クラリネットのシメオン・ベリソン(1881-1953)はモスクワ生まれ。1921年にアメリカ国籍を得た。ベリソンはニューヨーク・フィルの第1クラリネット奏者として活躍する傍ら、クラリネット奏者のグループを結成し、メンバーが当初 8名だったのが1948年には75名になっていた。
 ベリソンは他にモーツァルトのコンサート・ロンド、ベートーヴェンのドン・ジョバンニ変奏曲の録音があった。
 
78CDR-3647
\1429+税
モーツァルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515
 米 COLUMBIA 71692/5-D(Mono)
 (1945年2月6日& 4月23日ニューヨーク、コロンビア・スタシオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
エドガー・オルテンベルク(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ミルトン・カティムズ(第2ヴィオラ)
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった 4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。第2ヴァイオリンのエドガー・オルテンベルク(在籍1944-1949)はアレクサンダー・シュナイダーが抜けた時期にメンバーを務めた。
 第2ヴィオラのミルトン・カティムズ(1909-2006)はロシアとオーストリア=ハンガリ-帝国出身の両親の元にブルックリンに生まれ、コロンビア大学で教育を受けた。ヴィオラはベルギー生まれのレオン・バージン(1900-1999)の指導をうけ、1943年ウィリアム・プリムローズ(1903-1962)の後任としてNBC交響楽団の首席奏者として入団し、またニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロンドン・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮した。ブダペスト弦楽四重奏団とは15年以上に渡って共演した。
 
78CDR-3648
\1429+税
モーツァルト:弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516
 カナダ COLUMBIA C15888/91(Mono)
(1941年12月2日ニューヨーク、リーダークランツ・ホール録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ミルトン・カティムズ(第2ヴィオラ)
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場のメンバーだった4人によって結成され、1967年に解散した。1932年にリーダーがヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になりアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。これは第2ヴァイオリンがアレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45 、1966-67)時代の録音。第2ヴィオラのミルトン・カティムズ(1909-2006)はロシアとオーストリア=ハンガリ-帝国出身の両親の元にブルックリンに生まれ、コロンビア大学で教育を受けた。
 ヴィオラはベルギー生まれのレオン・バージン(1900-1999)の指導をうけ、1943年ウィリアム・プリムローズ(1903-1962)の後任としてNBC交響楽団の首席奏者として入団し、またニューヨーク・フィル、フィラデルフィア管弦楽団、ボストン交響楽団、ロンドン・フィル、クリーヴランド管弦楽団を指揮した。ブダペスト弦楽四重奏団とは15年以上に渡って共演した。これは1941年(昭和16年)日米開戦の 6日前の録音である。

<2016年10月21日紹介新譜>

33CDR-3634
\1429+税
モーツァルト:
 弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515
米 COLUMBIA ML5192(Mono)
(1957年1月10日ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ワルター・トランプラー(ヴィオラ)
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団の4人のメンバーでスタートしたが、1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザーがロシア出身のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)に代わり、その後メンバーはロシアとポーランド出身者になり、ハンガリー出身者は居なくなった。この団体はアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨したが、1974年にリーダーのロイスマンの死去で惜しくも解散した。
 このアルバムはモノLP時代に残されたモーツアルト弦楽五重奏全曲録音の中の一枚。第2ヴィオラのウィリアム・プリムローズ(1915-1997)はドイツ生まれ。1939年アメリカに移住し室内楽奏者として活躍した名手。
  
33CDR-3635
\1429+税
ブラームス:
 ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1
 ヴィオラ・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2
米 WESTMINSTER W-9503(Mono)(WESTMINSTER XWN 18114 と同一録音)
(1955年6月ニューヨーク、エソテリック・スタジオ録音)
パウル・ドクトル(ヴィオラ)
ナディア・ライゼンバーグ(ピアノ)
 パウル・ドクトル(1919-1989)はオーストリア生まれのアメリカのヴィオラ奏者。父親はブッシュ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者だったカール・ドクトル(1885-1949)。父親の手ほどきでヴァイオリンを始め、1938年にウィーン音楽アカデミー卒業。その後ヴィオラに転向した。1942年に開かれたジュネーヴ国際コンクールのヴィオラ部門で第一位。ルツェルン管弦楽団のソロ・ヴィオラ奏者をつとめたが1947年にアメリカに移住し、1948年春にワシントン国会図書館でアメリカ・デビュー。ソロ活動の傍らニューヨークのマネス音楽学校の教授を務めた。
 ピアノのナディア・ライゼンバーグ(1904-1983)はリトアニアのヴィリニュス生まれ。サンクトペテルブルグで学んだ後、ロシア革命を避けてアメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で名ピアニスト、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1957)に師事した。ライゼンバーグの録音はたいへん少なく、ピアノ録音愛好家が血眼になって探している。これもその一枚。
 
78CDR-3636
\1429+税
ロッテ・レーマン、ドイツ歌曲集
 モーツァルト:クローエに寄す
 モーツァルト:ひめごと
 シューベルト:いらだち
 シューベルト:夕映えの中で
 シューマン:トランプ占いの女
 シューマン:森のささやき
 ブラームス:死は冷たい夜
 ブラームス:テレーゼ
 ブラームス:わたしの恋は緑にもえ
 ヴォルフ:アナクレオンの墓
 ヴォルフ:私の髪のかげに
英 HMV DA1466/70
(1935年10月17日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
(HMV盤特有のノイズあり)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
エルノ・バロー(ピアノ)
 ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルクに生まれベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場に登場し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。
 レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。レーマンは1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合による迫害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代のもの。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(78CDR-3048 & 3049)、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、リヒャルト・シュトラウス歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)、ブラームス歌曲集(78CDR-3393)が出ている。
 
78CDR-3637
\1429+税
モーツァルト:
 ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番変ロ長調 K.424
グラズノフ:瞑想曲作品32
 米 RCA VICTOR 18198/200
 (録音:1941年5月22日& 8月29日ニューヨーク=モーツァルト、
  1934年3月ロンドン=グラズノフ)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)
アルパド・サンドル(ピアノ)
 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。
 ヴィオラのウィリアム・プリムローズ(1903-1982)はイギリスのグラスゴー生まれ。ロンドンのギルドホール音楽学校に学んだ。1937年渡米、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮のNBC 交響楽団のソロ・ヴィオラ奏者として活躍し、1939年にソリストになり、世界的なヴィオラ奏者として活躍した。
 
78CDR-3638
\1429+税
ベートーヴェン
 弦楽四重奏曲第1番ヘ長調  作品18-1
英 HMV DB2102/4
(1933年11月11日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
 ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英HMVに多くの録音をしている。
 ブッシュはまたピアニアストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番作品59-1「ラズモフフキー第1番」(78CDR-3287)、第12番作品127(78CDR-3482)、第14番作品131(78CDR-3633)、第15番作品132 (78CDR-3362)、第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。
  
33CDR-3639
\1429+税
カウント・ベイシー&カンザス・シティ・セヴン
 オー・レイディ・ビー・グッド
 シークレッツ
 アイ・ウォント・ア・リトル・ガール
 シュー・シャイン・ボーイ
 カウンツ・プレイス
 セネター・ホワイト・ヘッド
 トーリー・ホー・ミスター・ベイシー
 ホワッチャ・トーキン?
米 IMPULSE! STEREO A-15(ステレオ)
(1962年3月21日、3月22日録音)
カウント・ベイシー(piano)(organ)
サド・ジョーンズ(trumpet)
フランク・ウェス(flute)
エリック・ディクソン(tenor sax and flute)
フランク・フォスター(tenor sax)
フレディ・グリーン(guitar)
エド・ジョーンズ(bass)
ソニー・ペイン(drums)
 カウント・ベイシー(1904-1984)はニュージャージー州レッドバンク生まれ。母親の手ほどきでピアノをはじめ1924年にブルース歌手の伴奏とソロでプロ活動を開始した。ある時仕事で訪れたミズーリ州カンザス・シティで多くのジャズミュージシャンと出会った。これは1960年代初頭にステレオ録音されたベイシーの代表盤。復刻にはWESTREX10AカートリッジとコルグのNutube(新型直熱3極管)によるフォノイコライザーを使用した。超高分解能のサウンドが楽しめる。
  
33CDR-3640
\1429+税
ブルースエット/カーティス・フラー
 ファイヴ・スポット・アフター・ダーク
 アンディサイデッド
 ブルースエット
 マイナー・ヴァンプ
 ラヴ・ユア・マジック・スペル・イズ・エヴリホエア
 12インチ 米 SAVOY ST-13006(ステレオ) SAVOY ST-13006(U.S.)(Stereo)
(1959年5月21日ニュージャージ州ハッケンサック、
ルディ・ヴァンゲルダー・スタジオ録音)
カーティス・フラー(trombone)
ベニー・ゴルソン(tenor sax)
トミー・フラナガン(piano)
ジミー・ギャリソン(bass)
アル・ヘアウッド(drums)
 ジャズ愛好家でなくても、きっと何処かで耳にしたことがある懐かしいメロディ「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」が収録されたLPの高音質復刻。
 「ファイヴ・スポット」はニューヨークのハーレムで営業するジャズクラブの名前。夕暮れの物憂い響きが心地いい。カーティス・フラー(1934- )はミシガン州デトロイト出身のトロンボーン奏者。デトロイトの学校時代にポール・チェンバース(1935- )、ドナルド・バード(1932- )と知り合った。このアルバムの共演者のベニー・ゴルソン(1929- )はペンシルヴェニア州フィラデルフィア生まれ。ワシントンのハワード大学卒業後多くのジャズミュージシャンに出会い影響を受けた。ニュージャージー州ハッケンサックのヴァンゲルダー・スタジオ録音。復刻にはWESTREX10AカートリッジとコルグのNutube(新型直熱3極管)によるフォノイコライザーを使用した。
  
78CDR-3641
\1429+税
ジョー・スタッフォードSP録音集
 ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム
 虹の彼方に
 わが心のジョージア
 イエスタデイズ
 懐かしのヴァージニア
 サムタイムズ・アイム・ハッピー
 アローン・トゥゲザー
 ザ・ボーイ・ネクスト・ドア
米 CAPITOL B-D23(78rpm Album Set)
(Rec. 1944&1945)
ジョー・スタッフォード(vo)
ポール・ウェストン楽団
 ジョー・スタッフォード(1917-2008)アメリカのポップス・シンガー。1938年男女4人編成のヴォーカル・グループ "パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとして新興のCAPITOLに迎えられた。
 このSPレコード4枚組のアルバムは1946年に発売されたCAPTOLでは2作目のアルバム。ここでは後に結婚した夫君となったポール・ウェストンの指揮する楽団と共演している。スタッフォードはその後COLUMBIAに移籍し、数々の大ヒットを出した。このシリーズで多数出ている。
  
78CDR-3642
\1429+税
エレナ・ゲルハルト・シューベルト・リサイタル
 漁夫の歌
 漁夫の娘
 ひめごと
 別れ
 眠りの歌
 ミューズの息子
 ばらの花冠
 春に
 ロザムンデのロマンス
 万霊節の連祷
英 HMV D-1459/62
(録音:1928年5月11日、1928年5月9日、1928年11月9日、1928年2月16日)
(HMV 盤特有のノイズあり)
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
ポーラ・ヘグナー(ピアノ)
マジョリー・ヘイウォード(ヴァイオリン)
 ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が機械式録音時代に英エオリアン・ヴォカリオンに録音した22曲と1928年に英HMVに録音した12インチSPレコード3枚の「シューベルト歌曲集」の復刻である。ゲルハルトの録音は1907年、大指揮者アルトゥール・ニキシュのピアノ伴奏による10インチ盤7枚と12インチ盤1枚から始まった。以降機械式録音時代、電気録音時代に多数残したレコードすべてリートでオペラは1枚もない。ゲルハルトはこのシリーズでシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3631)、「ブラームス、シューベルト、ヴォルフ歌曲集」(78CDR-3496)、シューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566)が出ている。
  
78CDR-3643
\1429+税
シューマン:詩人の恋  作品48(ハイネ詩)
 米 COLUMBIA M486(Set)(Mono)
 (1941年8月13日ハリウッド、CBSスタジオ録音)
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
ブルーノ・ワルター(ピアノ)
 ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルクに生まれベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場に登場し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。
 レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。レーマンは1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合による迫害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノを大指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962)が弾いている。ワルターもまた1938年ナチス・ドイツの迫害を逃れ、アメリカに移住した人物だった。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(78CDR-3048 & 3049)、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、リヒャルト・シュトラウス歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)、ブラームス歌曲集(78CDR-3393)が出ている。


<2016年8月18日紹介新譜>

33CDR-3624
\1429+税
ルクー:ヴァイオリン・ソナタト長調
ディーリアス:セレナーデ(ハッサンより)
ヘンデル:祈り
ニン:グラナディーナ(スペイン組曲より)
ベートーヴェン(ブルメステル編):メヌエット
リムスキー=コルサコフ:くまん蜂の飛行
 米 RCA VICTOR LM2014(Mono)
  (1954年12月2日&1953年6月30日
  ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
マルセル・ガゼル(ピアノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
 ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事し、1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビューした。
 その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年に初レコード録音を行った。そのとき12歳だった。
 メニューインはルクーのソナタを1938年に妹のヘフツィバのピアノでSPに録音していたが、これは第2次世界大戦後の初期LP時代に再録音されたもの。
 当時RCAでは重要な録音はロンドンのアビー・ロード・スタジオで録音した。これはその一枚。
 
33CDR-3625
\1429+税
メンデルスゾーン:
 (1)最初のすみれ
 (2)恋人の手紙
 (3)ゆりかごのそばで
 (4)月
 (5)春の歌
フランツ:
 (6)私の大きな苦しみから
 (7)小鳥よどこへ急ぐ
 (8)静かな確信
 (9)願い
 (10)恋人はここにいる
 (11)母よ安らぎの歌を歌って
 (12)おやすみ
 (13)献呈
ヴォルフ:
 (14)花のあいさつ
 (15)いざ、さすらえマリア
 (16)私がユーフラテス川を舟で渡ったとき
 (17)セレナード
 (18)世をのがれて
 (19)現象
 (20)アナクレオンの墓
 (21)つきることない愛
  英 ALLEGRO ALL746(Mono)
   (1950年2月6&27日、4月3日(メンデルスゾーン&フランツ)、
    1950年12月7-8&18日(ヴォルフ)、ニューヨーク録音)
エリーザベ・シューマン(ソプラノ)
ジョージ・シック(ピアノ)(メンデルスゾーン & フランツ)
ジョージ・リーヴス(ピアノ)(ヴォルフ)
 エリーザベト・シューマン(1885-1952)はドイツの名ソプラノ歌手。1909年ハンブルク歌劇場でデビューした。
 シューマンはオペラ、オペレッタ、宗教曲、リートと幅広いレパートリーを誇り、1910年代の機械式録音時代からレコード録音で活躍した。
 この録音はシューマンが65歳のもの。マンハッタンの75丁目東に住んでいたシューマン邸で録音されたもの。当時シューマンはEMIとの録音契約が続いていたが、ALLEGRO社はEMIと交渉し、この録音を実現させた。大歌手の人生最後の滋味深い歌唱がテープ録音で残された貴重な文化遺産である。
 ピアノのジョージ・シック(1908-1985)プラハ生まれ。1940年にアメリカに移住し、ピアニスト、指揮者、ヴォーカル・コーチとして活躍した。もう一人のピアニスト、ジョージ・リーヴスは英国生まれ、クレール・クロワザ(1882-1947)のSP録音(78CDR-3341)の伴奏者でもあった。
 シューマンはこのシリーズで「すみれ・野ばら」(78CDR-3300)とシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3273)が出ている。
  
78CDR-3626
\1429+税
ジネット・ヌヴー初録音集
 アパッショナータ-4つの小品より(スーク)
 ノクターン第20番嬰ハ短調遺作(ショパン:ロディオノフ編)
 精霊の踊り-オルフェオとエウリディーチェより(グルック)
 シチリアーノ(パラディス:ドゥシュキン編)
  (1938年ベルリン録音)
ジネット・ヌヴー(ヴァイオリン)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(ピアノ)
 ヌヴー19歳の初録音SP盤3枚の内の2枚で、もう一枚は78CDR-3148で出ている。
 ジネット・ヌヴー(1919-1949)はジョルジュ・エネスコ(1881-1955)にヴァイオリンの手ほどきを受けた後、11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り8カ月後に一等賞を得た。
 この8カ月という短期間はヌヴー受賞の50年前にヴィエニャフスキ(1835-1880)が打ち立てた記録と同じだった。
 ヌヴーはその後ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)のもとでさらに研鑽を積んだ。1935年にワルシャワで開かれたヴィエニャフスキ・ヴァイオリン・コンクールに16歳で参加し180人の競争者に勝ち抜き優勝した。その時の第2位はソ連から参加した27歳のダヴィド・オイストラフ(1908-1974)だった。
 ヌヴーは1949年アメリカに向かう航空機事故で30歳の生涯を閉じた。
  
78CDR-3627
\1429+税
ベートーヴェン:
 チェロ・ソナタ第3番イ長調作品69
 メヌエット  ト長調
 米 VICTROLA 7568/70(英HMV DB1417/9と同一録音)
 (1930年3月6-7日イギリス、ミドルセックス州ヘイズ、HMV スタジオA 録音)
パブロ・カザルス(チェロ)
オットー・シュルホフ(ピアノ)
 パブロ・カザルス(1878-1973)はスペインのカタルーニャ地方の町エル・ベドレルに生まれた偉大なチェロ奏者。バルセロナ音楽院でチェロ、ピアノ、楽理、作曲を学んだ。1890年バルセロナでバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った。1899年23歳でパリ・デビュー、1904年バッハの無伴奏チェロ組曲を初めて公開演奏した。1902年ピアノのコルトー、ヴァイオリンのティボーとトリオを結成。1908年コンセール・ラムルー管弦楽団で指揮デビューした。
 レコード録音は機械式録音時代の1915年から始めバッハの無伴奏チェロ組曲第3番から4曲、G線上のアリアほか小品を18面録音した。
 ピアノのオットー・シュルホフ(1889-1958)はオーストリア出身。ウィーン音楽院の教授をつとめたほか、パブロ・カザルスとの演奏活動を行った。カザルスはこのシリーズでベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)ほか多数出ている。
 
78CDR-3628
\1429+税
タルティーニ:
 ヴァイオリン・ソナタト短調作品6-2 「悪魔のトリル」
  独 GRAMMOPHON 57099/100
  (1938年8月28日ベルリン録音)
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリン)
オットー・グレーフ(ピアノ)
 ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれた。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ「新しいパガニーニ」と称賛されたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。
 1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。
 アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサート・マスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった。大戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動をした。
 このアルバムの第4面でプシホダ自身の豪華絢爛なカデンツァが聴けるのが大きな特長。このシリーズにある「ヴァーシャ・プシホダの芸術」(78CDR-3574)と共にこのヴァイオリニストの名人芸を堪能していただきたい。
 
33CDR-3629
\1429+税
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626
 米COLUMBIA ML5012(Mono)
 (1956年3月10日&12日、ニューヨーク、カーネギー・ホール録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
イルムガルト・ゼーフリート(ソプラノ)
ジェニー・トゥーレル(アルト)
レオポルド・シモノー(テノール)
ウィリアム・ウォーフィールド(バス)
ウェストミンスター合唱団
(合唱指揮: ジョン・フィンリー・ウィリアムソン)
 モーツァルト生誕200 年記念録音。ワルターが残した唯一のモーツァルト:レクイエム。ソプラノのイルムガルト・ゼーフリート(1919-1988)はドイツ生まれ。
 ウィーン国立歌劇場でデビューし、ザウリツブルグ音楽祭、ロンドンのコヴェント・ガーデン歌劇場で活躍、ヴァイオリニストのヴォルフガンク・シュナイダーハン(1915-2002)夫人だった。アルトのジェニー・トゥーレル(1900-1973)はロシア生まれ。ロシア革命後パリに移住し、レナルド・アーン(1875-1947)とアンナ・エル・トゥアに師事した。1946年アメリカの市民権得てこの地で活躍、ジュリアード音楽学校でも教鞭をとった。
 レオポルド・シモノー(1918-2006)はカナダのケベック州生まれ。1949年パリのオペラ・コミークにデビューした。モーツァルトを得意とした。夫人はソプラノのピエレット・アラリー。ウィリアム・ウォーフィールド(1920-)は米国アラバマ州出身の黒人歌手。ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合により、迫害を避けてアメリカに逃れた。
 
33CDR-3630
\1429+税
シベリウス:弦楽四重奏曲ニ短調作品56「親愛の声」
グリーグ:弦楽四重奏曲ト短調作品27
 米 COLUMBIA ML5202(Mono)
  (1955年9月8-9&12日ワシントン、国会図書館クーリッジ・オーディトリアム録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団の4人のメンバーでスタートしたが、1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザーがロシア出身のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)に代わり、その後メンバーはロシアとポーランド出身者になり、ハンガリー出身者はいなくなった。この団体はアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨したが、1974年にリーダーのロイスマンの死去で惜しくも解散した。このアルバムは北欧の作曲家の作品を集めたもので、両曲共この楽団がSP時代にHMVに録音していた。現在ではあまり聴くことがない聴き応えのある作品である。
 
78CDR-3631
\1429+税
シューマン:女の愛と生涯
 英 HMV GS37/9 (プライヴェート録音)
 (1948年1月14日ロンドン、アビー・ロードEMI第3スタジオ録音)
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
 ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)最後の録音。自費で録音したプライヴェート盤で自身の知人やファンに配られたもの、一般発売はされなかった。
 録音時ゲルハルトは65歳。ゲルハルトの録音は1907年、大指揮者アルトゥール・ニキシュのピアノ伴奏による10インチ盤7枚と12インチ盤1枚から始まった。以降機械式録音時代、電気録音時代に残したレコードはすべてリートでオペラは一枚もない。ゲルハルトは1939年に祖国ドイツを棄てイギリス国籍を得て移住したが、HMVはナチスドイツ国籍だった彼女の正規録音を嫌い、プライヴェート録音扱いにした。
 プライヴェート盤はこの「女の愛と生涯」以前にも1939年録音の10インチ盤6枚組の「ブラームス、シューベルト、ヴォルフ歌曲集」(78CDR-3496)が出ている。このシリーズでシューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566)もある。
 
78CDR-3632
\1429+税
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト短調作品6-2 「悪魔のトリル」
タルティーニ(ブリッジウォーター編):プレスト変ロ長調(3:32)
 英DECCA AK2366/7
  (1949年5月12日ロンドンNW6, DECCAスタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)
 アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。5歳の時両親とイギリスに移住し、1923年ロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名を冠したサロン・オーケストラをつくりBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、1966年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音した。
 カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。
  
78CDR-3633
\1429+税
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第14番嬰ハ短調 作品131
 英 HMV DB2810/14
  (1936年3月2日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
 ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英HMVに多くの録音をしている。ブッシュはまたピアニアストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオ録音でも活躍した。
 ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番作品59-1「ラズモフフキー第1番」(78CDR-3287)、第12番作品127(78CDR-3482)、第15番作品132 (78CDR-3362)、第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。


<2016年6月10日紹介新譜>

33CDR-3619
\1429+税
ラロ:スペイン交響曲作品21
 英 DECCA LXT2801(Mono)
  (1953年3月3-4日ロンドン、キングスウェイ・ホール録音)
アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
エドゥアルト・ファン・ベイヌム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。5歳の時両親とイギリスに移住し、1923年ロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。
 ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名を冠したサロン・オーケストラをつくりBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。
 指揮者のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901-1959)はオランダ生まれ。1929年にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団にデビュー、1931年メンゲルベルグの招きで次席指揮者に、1938年からはメンゲルベルクと共に首席指揮者として活躍した。
 1945年メンゲルベルクの後をついでコンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督となった。また1949年から51年にかけてロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者もつとめた。1959年コンセルトヘボウ管弦楽団とのリハーサル中に心臓発作で急逝した。享年57歳。
 
78CDR-3620
\1429+税
シューマン:
 謝肉祭 作品9
 交響的練習曲 作品13
  英 HMV ALP1142(Mono)
  (1953年5月7-8日ロンドン、アビー・ロード第3スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
 アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンでフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。
 コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年パリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。
 この録音は1953年、LP時代にコルトーが残した貴重な演奏で録音時コルトーは75歳だった。コルトーはこの録音の前年の1952年、 9月から11月に日本に滞在し公演を行った。その時立ち寄った山口県の川棚村のホテルの窓から見た無人島の厚島に是非住みたいと言って、島の名を「孤留島」(コルトー)とすることも討議されが、帰国後体調を崩し再来日は叶わなかった。
 
78CDR-3621
\1429+税
ドビュッシー:
 フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ(1916)
  米 RCA VICTOR 13810/11(仏 V.S.M. L1066/7 と同一録音)
   (1938年11月7日パリ録音)
マルセル・モイーズ(フルート)
リリー・ラスキーヌ(ハープ)
アリス・メルケル(ヴィオラ)
 フルートのマルセル・モイーズ(1889-1984)はパリ音楽院でポール・タファネル(1844-1908)、アドルフ・エンヌバン、フィリップ・ゴーベール(1879-1941)らに師事し、1906年に一等賞を得て1908年にソロ・デビューした。1913年から32年にオペラ・コミック、1922年から33年にはストララム管弦楽団に席を置いた。1932年から49年にパリ音楽院の教授もつとめた。
 ハープのリリー・ラスキーヌ(1893-1988)は12歳の時パリ音楽院で一等賞を得た。コンセール・ラムルーのハープ奏者であったが、ソリストとしても活躍した。1948年から58年にかけてパリ音楽院の教授をつとめた。アリス・メルケルはヴァイオリニストのアンリ・メルケル夫人。モイーズとラスキーヌは1928年にフランス・オデオンにこの曲を録音していた(78CDR-3064)が、この10年後の再録音と是非聴き比べをおすすめしたい。
 
78CDR-3622
\1429+税
ベートーヴェン:
 弦楽四重奏曲第8番ホ短調作品59-2「ラズモフスキー第2番」
  米 RCA VICTOR 16856/9 英 HMV DB2907/10と同一録音
  (1935年4月24日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
  (レコードのキズに起因するパチノイズがあります)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー 4人によって結成され、1967年に解散した。
 1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。
 アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自からの四重奏団を結成して活躍していた。ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。
 チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。
 この録音はヴィオラがオリジナル・メンバーのイシュトヴァン・イポリーが弾いている。イポリーは4 人の中で唯一のハンガリー人で、他はロシア人。
 
78CDR-3623
\1429+税
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調 作品130
 独 ELECTROLA DB2239/43(英 HMV DB2239/43と同一録音)
  (1933年8月10日&1934年4月4-5日
   ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(第1ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(第2ヴァイオリン)
イシュトヴァン・イポリー(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
 ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団のメンバー 4人によって結成され、1967年に解散した。
 1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザー(在籍1917-32)からヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)になり、アメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨した。
 アレクサンダー・シュナイダー(在籍1933-45、1955-67)は第2ヴァイオリン奏者で一時期ソリストと自からの四重奏団を結成して活躍していた。
 ヴィオラのイシュトヴァン・イポリー(在籍1917-36)はボリス・クロイト(在籍1936-67)に代わった。
 チェロのオリジナル・メンバーであるハリー・ソン(在籍1917-30)はミッシャ・シュナイダー(在籍1936-67)に代わった。
 この録音はヴィオラがオリジナル・メンバーのイシュトヴァン・イポリーが弾いている。イポリーは4 人の中で唯一のハンガリー人で、他はロシア人。

<2016年5月20日紹介新譜>

33CDR-3614
\1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
 独 TELEFUNKEN TW 30011(Mono)
  (1953年5月15日ハンブルク録音)
クリスチャン・フェラス(ヴァイオリン)
ピエール・バルビゼ(ピアノ)
 クリスチャン・フェラス(1933-1982)は49歳の若さで世を去ったフランスの名ヴァイオリニスト。父親の手ほどきで7歳からヴァイオリンを始め、1941年にニース音楽院に入学、1943年に一等賞を得た後、1944年にパリ音楽院に入りヴァイオリンをルネ・ベネデッティ(1901-1975)に、室内楽をジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)に師事し1946年に一等賞を得た。1948年オランダのスケフェニンヘンで開かれた国際ヴァイオリン・コンクールで優勝、その後ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)について更なる研鑽を積んだ。
 1949年のロン=ティボー国際コンクールでは1位なしの2位入賞だったが、ここでピアニストのピエール・バルビゼ(1922-1990)と出会い以降ずっとデュオを組んだ。
 やがてフェラスはDECCA、EMI、DEUTCHE GRAMMOPHONに大量の録音を残していくが、この独TELEFUNKEN録音は20歳の時のもので、みずみずしい音色と高い音楽性で既に大家の風格を備えている。この時ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第3番も録音していた。
 
33CDR-3615
\1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 (カデンツァ:クライスラー)
英 WORLD RECORD CLUB T310(Mono)
(仏 DUCRETET-THOMSON CC506 と同一録音)
 (1962年3月2日パリ、サル・ワグラム録音)
シャルル・シルルニク(ヴァイオリン)
ピエール・デルヴォー指揮
コンセール・コロンヌ管弦楽団
 シャルル・シルルニク(1923-2003)はパリ生まれのフランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院ではジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)のクラスで学び1939年に一等賞を得た。師ブーシュリゆずりの清楚で気品のある奏法はこのベートーヴェンを高貴に仕上げている。
 指揮のピエール・デルヴォー(1917-1992)はフランスの名指揮者。1958年から死去する1992年まで名門コンセール・コロンヌの首席指揮者をつとめ、1986年までエコール・ノルマル音楽院の教授でもあった。わが国の女流指揮者松尾葉子の師でもあった。レジオンドヌールを授与された。
 
78CDR-3616
\1429+税
ドビュッシー:
 ヴァイオリン・ソナタト短調(第1&第2楽章のみ)(未発売録音)
シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第3番ト短調作品137-3 D408
シューベルト(クライスラー編):
 ロザムンデからのバレエ音楽
  英 DECCA AR10622/3(ドビュッシー)(白レーベル・テストプレス盤)
  英 DECCA K1704/5(シューベルト)
  (1946年9月=ドビュッシー、1941年4月2日=シューベルト、
   ロンドンNW6 デッカ・スタジオ録音)
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
アデラ・コトフスカ(ピアノ)
 15歳で英DECCAに初録音したイダ・ヘンデル(1924年12月15日生まれ)はポーランド生まれのヴァイオリニスト。1935年ワルシャワで開かれたヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでジネット・ヌヴー(18歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)についで第3位に入賞、そのとき11歳だった。
 ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドを離れロンドンに移住し1940年に市民権を得た。その年に英DECCAと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにもかかわらず50枚近い録音を行ってDECCA社の看板ヴァイオリニストになった。このドビュッシーは戦後の1946年9月に録音されたもので、全曲録音されたどうか不明。
 ヘンデルは生涯ドビュッシーは録音していないので、資料的に重要と考え発売することにした。
 
78CDR-3617
\1429+税
シューベルト:
 3つの軍隊行進曲作品51 D733
 行進曲ト短調作品40-2 D819-2
モーツァルト:
 2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)
  英HMV DB3527/8(シューベルト)
  英DB3033/5(モーツァルト)
  (1937年10月24 & 29=シューベルト/ 1936年10月28日=モーツァルト、
   ロンドン、アビー・ロード EMIスタジオ録音)
(HMV 盤特有のノイズがあります)
アルトゥール・シュナーベル&
カール・ウルリヒ・シュナーベル(ピアノ・デュオ)
サー・エイドリアン・ボールト指揮
ロンドン交響楽団(モーツァルト)
 20世紀を代表する大ピアニスト、アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)と長男のカール・ウルリヒ・シュナーベル(1909-2001)の共演盤。父親のアルトゥールはウィーン音楽院で名教授テオードール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901年ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。
 カール・ウルリヒはベルリン生まれ。ベルリン高等音楽院でレオニード・クロイツァー(1884-1952)とパウル・ユオン(1872-1940)に師事した。後年ニューヨークのマンハッタン音楽院でピーター・ゼルキン(1947-)やマレイ・ペライア(1947-)を指導したことでも知られている。サー・エイドリアン・ボールト(1889-1983)はイギリスの指揮者。1930年にBBC交響楽団の初代指揮者に就任した。
 
78CDR-3618
\1429+税
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
独 TELEFUNKEN E 3108/11
 (1940年6月4-5日ベルリン録音)
 (トラック4の途中にコツコツ・ノイズがあります)
ゲオルク・クーレンカンプ(ヴァイオリン)
ジークフリート・シュルツェ(ピアノ)
 ゲオルク・クーレンカンプ(1898-1948)はドイツのヴァイオリニスト。第2次世界大戦中はドイツを代表する演奏家だった。またベルリン高等音楽院のヴァイオリン科教授も務めた。クーレンカンプは1944年にスイスのルツェルン音楽院教授になり、ピアノのエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、チェロのエンリコ・マイナルディ(1897-1976)とトリオでも活躍した。
 ピアノのジークフリート・シュルツェは経歴不明。ポーランド出身の大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)と多くの録音をしていた。クーレンカンプの「クロイツェル・ソナタ」はピアノのケンプと入れた1935年録音がこのシリーズで出ている(78CDR-3547)。またこの「クロイツェル」と同時期にTELEFUNKENに録音した「スプリング・ソナタ」(78CDR-3217)もこれと対になる名演奏。

<2016年4月15日紹介新譜>

33CDR-3609
\1429+税 
サン=サーンス:
 ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
 パガニーニ(クライスラー編曲):
 ヴァイオリン協奏曲第1番(単一楽章のための)
米 LONDON LL1624(Mono)(英DECCA LXT5298 と同一録音)
(1956年10月22-23日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
アルフレート・カンポーリ(ヴァイオリン)
ピエリーノ・ガンバ指揮
ロンドン交響楽団
 アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれのヴァイオリニスト。
 5歳の時、両親とイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツアーをする一方、自らの名前を冠したサロン・オーケストラを作りBBCラジオやレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。指揮者のピエリーノ・ガンバ(1936-)はローマ生まれ。11歳で指揮者としてデビューした神童。
 LP初期に英デッカに録音をしていた。その後欧米各地のオーケストラを指揮して活躍し、現在ニューヨークで後進の指導にあたっている。カンポーリはこのシリーズで「クライスラー作品集」(33CDR-3563)、「カンポーリ・アンコール !」(33CDR-3577)、J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番(78CDR-3414)が出ている。復刻にはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にて使用した。
 
33CDR-3610
\1429+税 
モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
  (カデンツァ:ヨアヒム)
 ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
  (カデンツァ:ヨアヒム)
米 LONDON LL1271(Mono)(英DECCA LXT5078 と同一録音)
(チリ、パチ・ノイズあり)
(1955年5月3-5日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
ミッシャ・エルマン(ヴァイオリン)
ヨーゼフ・クリプス指揮
新ロンドン交響楽団
 ミッシャ・エルマン(1891-1967)はウクライナ出身のヴァイオリニスト。ペテルブルク音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し、1904年にベルリンにデビューした。1908年、17歳でカーネギー・ホールでアメリカ・デビュー。機械式吹き込み、電気録音のSP時代のアメリカ・ヴィクターの看板ヴァイオリニストとなり、日本でも絶大な人気を博した。
 1950年代になって英DECCAに録音を再開した。これはその中の一枚。指揮者のヨーゼフ・クリプス(1902-1974)はウィーン生まれ。1921年名指揮者フェリックス・ワインガルトナー(1863-1942)の助手兼合唱指揮者としてウィーン・フォルクスオーパーに入り、1933にはウィーン国立歌劇場の指揮者に就任した。戦後はロンドン交響楽団、コヴェント・ガーデン王立歌劇場などの指揮者をつとめた。英DECCAに録音が多かった。
 復刻にはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にて使用した。
 
78CDR-3611
\1429+税 
モーツァルト:
 交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
米 VICTOR 12471/4S(HMV DB3428/31と同一録音)
(1938年1月11日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、その後指揮者に転向した。
 1894年ケルン市立歌劇場でデビュー、1896年ハンブルク歌劇場へ移った。そこで音楽監督だったグスタフ・マーラー(1880-1911)と出会い交友を深めた。
 ワルターは以降ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団等のの楽長、音楽監督を歴任し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団も指揮した。
 1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はウィーンを去る直前のもの。
 このシリーズでワルターは数多く出ているが、中でも自身でピアノを弾きながらウィーン・フィルを指揮をしたモーツァルト:ピアノ協奏曲第20番K.466(78CDR-3219)は超名演。
 
78CDR-3612
\1429+税 
シューベルト:
 弦楽四重奏曲第13番イ短調作品29 D.804「ロザムンデ」
 弦楽四重奏曲第12番ハ短調 D.703「断章」
日本コロムビア J8413/6(英COLUMBIA LX-286/9 と同一録音)
(1934年1月8-9日ロンドン、アビー・ロードEMI第2スタジオ録音)
コーリッシュ弦楽四重奏団
 ルドルフ・コーリッシュ(第1ヴァイオリン)
 フェリックス・クーナー(第2ヴァイオリン)
 オイゲン・レーナー(ヴィオラ)
 ベルナール・ハイフェッツ(チェロ)
 コーリッシ弦楽四重奏団は新ウィーン楽派の弦楽四重奏曲を演奏する目的でルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)によって1921年に結成された。
 結成当時は作曲家シェーンベルクの指導のもとでウィーン弦楽四重奏団と名乗っていたが、後にコーリッシュ弦楽四重奏団に改称し、現代音楽だけではなく古典レパートリーの演奏にも取り組んだ。コーリッシュは子供の頃左手に怪我をしたため右手でヴァイリンを持ち、左手弓を持って弾いた。
  このシリーズでモーツァルト:弦楽四重奏第21番「プロシャ王第1番」(78CDR-3298)、第22番「プロシャ王第2番」(78CDR-3197)、音楽の冗談 K.522(78CDR-3250)、シューマン:ピアノ四重奏曲作品47(78CDR-3242)が出ている。
 
78CDR-3613
\1429+税 
モーツァルト:
 ピアノ・ソナタ第11番イ長調 K.331(300i)「トルコ行進曲つき」
独 POLYDOR 67596/8
(1940年9月23日ベルリン録音)
エリー・ナイ(ピアノ)
 エリー・ナイ(1882-1968)はドイツの女流ピアニスト。初録音は1906年にウェルテ・ミニョン社のピアノ・ロール。ウィーンでレシェティツキーやフォン・ザウアーの薫陶を得た。1911年にオランダの指揮者ウィレム・ファン・ホーフストラーテン(1884-1964)と結婚。1921年から夫君とニューヨークに暮らす。だが1927年に離婚。ドイツに戻りヒトラー政権下で演奏活動を続けた。
 戦後の名誉回復後も演奏活動を続けたが、一流レコード会社には録音できずマイナーレーベルに録音していた。ナイはこのシリーズにモーツァルト:ピアノ協奏曲第15番 K.450(ホーフストラーテン指揮)(78CDR-3237)が出ている。


<2016年4月1日紹介新譜>

33CDR-3604
\1429+税 
モーツァルト:
 モテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」K.165(158a)
 オッフェルトリウム「神に祝福あれ」K.117(66a)
 ヴェスペレ「証聖者の荘厳な晩祷」K.339 ALP1496B
  英 HMV ALP 1496
  (1956年1月31日-2月2日ベルリン、ヴィンテルガルテン録音)
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
マルガ・ヘフゲン(コントラルト)
ホルスト・ヴィルヘルム(テノール)
フェルディナント・フランツ(バス)
カール・フォルスター指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルリン聖ヘドヴィッヒ聖堂合唱団
 ソプラノのエルナ・ベルガー(1900-1990)はドレスデン生まれ、17歳でドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。一時家族と共に南米パラグアイに移住したが、1923年ドレスデンに戻り、1925年にバイロイトに出演した。その後各地の一流オペラハウスに出演、世界的に名前が知られるようになった。
 1955年に現役引退後は大学で後継の指導にあたった。コントラルトのマルガ・ヘフゲン(1921-)は1952年にベルリン・デビューした。
 バスのフェルディナント・フランツ(1906-1959)はドイツのカッセル生まれた。ヨーロッパ各地のオペラで活躍した。指揮者のカール・フォルスター(1904-1963)はドイツの合唱指揮者で教会音楽の専門家。ベルリン聖ヘドヴィッヒ聖堂の楽長を1934年から務めた。
 
33CDR-3605
\1429+税 
シューマン:女の愛と生涯 FRUENLIEBE UND LEBEN, OP.42
ベートーヴェン:ゲラートの詩による6 つの歌 作品48
 独 GRAMMOPHON LPEM 19068(Mono)
 (1951年2月17日ベルリン録音)
エリーザベト・ヘンゲン(アルト)
フェルディナント・ライトナー(ピアノ)(シューマン)
ミヒャエル・ラウハイゼン(ピアノ)(ベートーヴェン)
 エリーザベト・ヘンゲン(1906-1997)はドイツ生まれ、1933年ヴッパタール歌劇場でデビュー。デュッセルドルフ歌劇場(1935-1939)、ドレスデン歌劇場(1940-1943)を経てウィーン国立歌劇場に登場した。
 ヘンゲンは1951年に開催されたバイロイト音楽祭でフルトヴェングラー指揮のベートーヴェン「第九」交響曲に出演していた。「女の愛と生涯」でピアニストを務めるフェルディナント・ライトナー(1912-1996)はベルリン生まれ。後に指揮者として活躍するがピアニストとしてスタートした。
 ドイツ・グラモフォンに300 タイトル以上の録音を残した。「ゲラートの詩による6 つの歌」のピアニスト、ミヒャエル・ラウハイゼン(1889-1984)はドイツ生まれ。歌曲伴奏者として名声を上げた。
 1933年からドイツ語歌曲のすべてをレコードに録音することを企画し、そのため1940年からベルリン帝国放送局の声楽・室内楽部長に就任。戦後このことがナチス協力に問われ、数年間の活動禁止を命じられた。ラウハイゼンはこのシリーズでワーグナー: ヴェーゼンドンク歌曲集ほか(ティアナ・レムニッツ Sop)が出ている(78CDR-3428)。
 
78CDR-3606
\1429+税 
シューマン:ピアノ協奏曲イ短調作品54
 米 VICTOR 8317/20(英 HMV DB2181/4 と同一録音)
 (1934年3月12日ロンドン、アビー・ロード EMI第1スタジオ録音)
アルフレッド・コルトー(ピアノ
サー・ランドン・ロナルド指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 アルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。スイスのニヨンでフランス人の両親のもとに生まれた。1892年パリ音楽院のルイ・ディエール(1843-1919)のクラスに入り1893年に一等賞を得た。1902年にヴァイオリンのジャック・ティボー(1880-1953)、チェロのパブロ・カザルス(1876-1973)とピアノ・トリオを結成した。コルトーは1917年にパリ音楽院教授に任命され、1919年にパリのエコール・ノルマル(音楽師範学校)を設立した。
 指揮者のサー・ランドン・ロナルド(1873-1938)はロンドン生まれ。レコード黎明期からロンドンのコヴェントガーデン・オペラに出演した大歌手たちにレコード録音をすすめた功労者。ピアニスト出身で1909年ロイヤル・アルバート・ホール管弦楽団の指揮者にになり多くの録音を残した。電気録音になってからはコルトーやクライスラー(1875-1962)の協奏曲の指揮者をつとめた。
 コルトーとロナルドの顔合わせでフランク: 交響的変奏曲(78CDR-3130)がこのシリーズで出ている。
 
78CDR-3607
\1429+税 
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 (カデンツァ: Auer/Heifetz)
  米 VICTOR 15531/5S
 (1939年4月11日ボストン録音)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
セルゲイ・クーセヴィツキ指揮
ボストン交響楽団
 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。
 セルゲイ・クーセヴィツキ(1874-1951)はロシア生まれの指揮者。ロシア革命後パリに移住、1924年から1949年の24年にわたってボストン交響楽団常任指揮者をつとめ、このオーケストラを世界的水準に育てあげた。アメリカVICTORに数多くの録音を残したが、復刻盤の数は少ない。今後このシリーズで順次紹介する予定。
 
78CDR-3608
\1429+税 
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
 英 HMV DB9032/5
  (1946年6月5 & 7日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
イッサイ・ドブローウェン指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニク生まれ、1899年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から97年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。その後イギリス、イタリアに、1939年にはアメリカに移住した。
 この録音は大戦後のもので、シュナーベルのベートーヴェン協奏曲の第2回目の中のもの。1930年代の第1回のものと較べて、音質が圧倒的に優っている。
 指揮者のイッサイ・ドブローウェン(1891-1953)はロシア帝国に生まれ、1921年ソビエトを離れノルウェーに定住しオスロ・フィルハーモニーの指揮者になった。フィルハーモニア管弦楽団を指揮してシュナーベルと共演したベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番(78CDR-3601)がこのシリーズで出ている。
 またウィーン・フィルハーモニーを指揮してブロニスワフ・フーベルマンと共演したJ.S.バッハの協奏曲第1番(78CDR-3228)と第2番(78CDR-3595)も出ている。


<2016年2月12日紹介新譜>

33CDR-3599
\1429+税 
フランク:ヴァイオリン・ソナタ イ長調
ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ
 米 REMINGTON R-199-148(Mono)
 (1953年録音)
オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
ユージン・リスト(ピアノ)
 オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。1932年13歳でウィーンでデビュー。1937年アメリカに移住した。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊してステージに立った。レナルディが最も評判をとったのがカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの「24の奇想曲」だった。だが将来を嘱望されたこのヴァイオリニストは1953年12月にニューメキシコでのコンサート後に自動車事故で33歳の命を落とした。
 ピアノのユージン・リスト(1918-1985)はフィラデルフィア生まれ。16歳の時ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団とショスタコーヴィチのピアノ協奏曲のアメリカ初演を行った。
 レナルディはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲(シャルル・ミュンシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団)(78CDR-3141)とJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリ・ソナタ第1番と第3番(33CDR-3598)が出ている。
 
33CDR-3600
\1429+税 
ショーソン:ピアノ, ヴァイオリンと弦楽四重奏のための協奏曲作品21
 米 COLUMBIA ML4998(Mono)
 (1954年12月1日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ロベール・カザドシュ(ピアノ)
ギレ弦楽四重奏団
ダニエル・ギレ(第1ヴァイオリン)
バーナード・ロビンス(第2ヴァイオリン)
エマヌエル・ヴァルディ(ヴィオラ)
ビーナー・ハイフェッツ(チェロ)
 ヴァイオリンのジノ・フランチェスカッティ(1902-1991)はマルセイユ生まれ。 5歳でリサイタルを開き、10歳で公開演奏会を開いた。1924年にパリ・デビューし、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。
 1939年アメリカにデビューしそのままニューヨークに定住した。ピアノのロベール・カザドシュ(1899-1972)はパリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し、1913年に一等賞を得た。第2次世界大戦中にアメリカニ移住した。
 弦楽四重奏団のリーダー、ダニエル・ギレ(1899-1990)はロシア生まれ。パリ音楽院でジョルジュ・エネスコに師事し、卒業後カルヴェ弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者を務めた後1941年にアメリカに移住、1951年にトスカニーニ指揮のNBC 交響楽団のコンサート・マスターになった。その後ボザール三重奏団や自己の弦楽四重奏団を結成して活躍した。
 
78CDR-3601
\1429+税 
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調作品19
(カデンツァ:A.シュナーベル)
 英 HMV DB9099/102
 (1946年6月6日ロンドン、EMI第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
イッサイ・ドブローウェン指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニク生まれ、1899年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から97年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。
 1901ベルリンでデビューし、1933年までこの地を本拠にした。その後イギリス、イタリアに、1939年にはアメリカに移住した。この録音は大戦後のもので、シュナーベルのベートーヴェン協奏曲の第2回目の中のもの。
 1930年代の第1回のものと較べて、音質が圧倒的に優っている。指揮者のイッサイ・ドブローウェン(1891-1953)はロシア帝国に生まれ、1921年ソビエトを離れノルウェーに定住しオスロ・フィルハーモニーの指揮者になった。EMIから録音用の指揮者として起用され、このフィルハーモニア管弦楽団のほか、戦前にはウィーン・フィルハーモニーを指揮して、ブロニスワフ・フーベルマンと共演したJ.S.バッハの協奏曲第1番(78CDR-3228)と第2番(78CDR-3595)がこのシリーズで出ている。
 
78CDR-3602
\1429+税 
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
(カデンツァ:Auer/Heifetz、Joachim/Heifetz、Joachim/Auer/Heifetz)
 米 VICTOR 17451/5
 (1940年3月11日ニューヨーク録音) 
 (オーケストラの強音で音割れするところがあります)
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
アルトゥーロ・トスカニーニ指揮
NBC 交響楽団
 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。
 1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。
 アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)はイタリアのパルマ生まれの指揮者。1937年NBC交響楽団の創立時に首席指揮者に迎えられた。この録音は二人の巨匠が顔を合わせた放送録音の貴重な音源。
 SPレコードの盤面の切り替わり時が唐突にカットされているが、NBC放送局の8Hスタジオの残響の少ない音が特徴。これまでの復刻盤では人工的な残響を加えているので演奏の本質が伝わって来なかった。
 
78CDR-3603
\1429+税 
ベートーヴェン:交響曲第9番ニ長調作品125「合唱」
 日POLYDOR 60073/9(独POLYDOR 66657/63と同一録音)
 (1928年ベルリン録音)
 (初期SPレコードのためノイズが多くあります)
オスカー・フリート指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
ブルーノ・キッテル合唱団
ロッテ・レオナルト(ソプラノ)
イェニー・ゾネンベルク(コントラルト)
オイゲン・トランスキー(テノール)
ヴィルヘルム・グットマン(バス)
 オスカー・フリート(1871-1941)はベルリン生まれのドイツの指揮者。最初ホルン奏者だったが、フランクフルトで作曲家のフンパーディンクに作曲の薫陶を得、さらにベルリンでシャルヴェンカに師事した。
 1924年8月、独POLYDORにベルリン国立歌劇場管弦楽団を指揮してマーラー:交響曲第2番「復活」を録音した。
 SPレコード11枚組のこの曲のラッパ吹き込みによる世界初録音だった。この「第九」は電気吹き込みの初期の1928年に録音されたもの。ドイツ語歌唱による初の電気録音だった。
 以前は電気録音による世界初録音の「第九」とされてきたが、海外盤のワインガルトナー指揮ロンドン響とアルバート・コーツ指揮の共に1926年録音の「第九」が先行していた。
 フリートはユダヤ人で、自身社会主義者でもあったため、ナチスの迫害をさけ、それまで度々訪れていたソビエトに亡命し(1934年)その地で没した。この「第九」は今から約90年前のものだがけっして古さを感じさせない感動的な演奏である。

<2016年1月8日紹介新譜>

78CDR-3594
 \1429+税
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第11番ヘ長調作品95「セリオーソ」
 英 COLUMBIA LX8727/8
 (1949年2月22、24日&3月7日ウィーン録音)
シュナイダーハン弦楽四重奏団
ヴォルフガング・シュナイダーハン(第1ヴァイオリン)
オットー・シュトラッサー(第2ヴァイオリン)
エルンスト・モラヴェッツ(ヴィオラ)
リヒャルト・クロチャック(チェロ)
 ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915-2002)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。ウィーン音楽院でオタカール・シェヴチーク(1852-1934)に、ついでユリウス・ヴィンクラーに師事した。
 1937年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団に入団、1938年にアルノルト・ロゼー(1863-1946)の後任としてコンサート・マスターに就任した。
 1937年にウィーン・フィルハーモニーの楽員と共に自らの名前を冠した弦楽四重奏団を組織し、1951年にソリストとして独立するまで活躍した。
 この四重奏団はシュナイダーハンからワルター・バリリ(1921-)に引き継がれバリリ四重奏団として活躍した。
 
78CDR-3595
\1429+税
J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調 BWV1042
 米COLUMBIA 68376/8-D(英COLUMBIA LX407/9と同一録音)
 (1934年6月13日ウィーン録音)
 (オーケストラ・パートに音割れあり)
ブロニスワフ・フーベルマン(ヴァイオリン)
イッサイ・ドブローウェン指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)はポーランド生まれ。ヴァイオリンを自在に操り、聴き手を自らの世界に引き込んでいく魔術的な演奏は1895年にブラームスのヴァイオリン協奏曲を作曲家の前で弾いて作曲者を唸らせた。
 フーベルマンは1892年10歳の時に大ヴァイリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)の指揮でベルリンにデビューした。活動拠点をウィーンに置いていたが、ナチスの台頭後パレスチナに移り、ドイツを追われたユダヤ系の音楽家のためにオーケストラを組織した。それが現在のイスラエル・フィル。
 フーベルマンはこのシリーズでJ.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3228)、ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3128)と「クロイツェル・ソナタ」(78CDR-3006)、ラロ:スペイン交響曲(78CDR-3040)、チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(78CDR-3077)、モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3番(78CDR-3021)、他が出ている。
 
78CDR-3596
\1429+税
シベリウス:
 交響曲第2番ニ長調作品43
 カレリア組曲作品11-間奏曲
米COLUMBIA 67833/7-D(英COLUMBIA LX50/4 と同一録音)
(1930年5月27-8日録音)
ロベルト・カヤヌス指揮
管弦楽団
 ロベルト・カヤヌス(1856-1933)はフィンランドの作曲家で指揮者。同国の作曲家シベリウス(1865-1957)の先輩にあたり、英国コロンビアに入れたシベリウスの交響曲第1番と第2番はこれら曲の世界初録音だった。これはその中の一曲。
 カヤヌスは1930年代になって英HMVが企画した「シベリウス協会」全6巻(SPレコード105枚組)の第1巻と第2巻で交響曲第3番、第5番と第7番に加え、交響詩「ポヒヨラの娘」と「タピオラ」をロンドン交響楽団を指揮して録音(SP14枚)したが、以降の巻はカヤヌスの死去によって他の指揮者に代わった。この「シベリウス協会」を推進した中心人物はロベルト・カヤヌスに他ならなかったと思う。
 シベリウスの交響曲第2番という名曲の原点にあたる演奏を本シリーズに加えた。
 
33CDR-3597
\1429+税
オネゲル:チェロ・ソナタ
ドビュッシー:チェロ・ソナタ
コダーイ:無伴奏チェロ・ソナタ
 仏 VEGA C30 A310(Mono)
 (1961年5月パリ録音)
 (全体にノイズあり)
ギ・ファロ(チェロ)
モニーク・ファロ(ピアノ)
 ギ・ファロ(1927-)はフランスのチェロ奏者。ナンシーに生まれ。 9歳でスイスのローザンヌ音楽院に入り、14歳の時妹のモニークと共にジュネーヴのコンクールのソナタ部門で一等賞を得た。1946年パリ音楽院に入りポール・バズレール(1886-1958)教授のクラスで一等賞を得た。バズレールはピエール・フルニエ(1906-1986)の師としても知られている。
 1970年左腕の故障で演奏活動中止を余儀なくされたが、その後世界中でピアニストのリタ・ロッサと共に演奏活動をしながら、スイスのジュネーヴとローザンヌの音楽院で後進の指導にあたった。
 これはギ・ファロが全盛期に残した数少ない録音の一枚で、20世紀のチェロ・ソナタの名作3曲が一枚に収録された貴重な名盤の復刻。
 
33CDR-3598
\1429+税
J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調 BWV1001
 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
米 LONDON LPS423(No.1)(Mono)
英 DECCA LM4536(No.3)(Mono)
(1950年5月25-26日=No.3 、
1951年6月6-7日=No.1 ロンドン NW6デッカ・スタジオ録音)
オシー・レナルディ(ヴァイオリン)
 オシー・レナルディ(1920-1953)はウィーン生まれのヴァイオリニスト。1932年13歳の時にウィーンでデビュー。1937年にアメリカに移住した。1941年米国陸軍に入隊、2年後に除隊しステージに立った。レナルディが最も評判をとったのがカーネギー・ホールの演奏会で弾いたパガニーニの「奇想曲」だった。
 レナルディは英デッカにブラームスのヴァイオリン協奏曲をシャルル・ミュンシュ指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と1948年に録音した(78CDR-3141)。
 レナルディは将来を嘱望されたアーティストだったが1953年自動車事故で世を去った。享年33歳。

<2015年12月30日紹介新譜>

78CDR-3589
\1429+税
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番変ホ長調作品73「皇帝」
 英 HMV DB1685/9
 (1932年3月24日、ロンドン、アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
サー・マルコム・サージェント指揮
ロンドン交響楽団
 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はシレジアのリプニクに生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1913)に師事した。1901年ベルリンでデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後ロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。この録音はシュナーベルの初協奏曲録音で、開発間もないEMIのMC型レコード録音機によるもの。オーケストラの音にきつさがあるのはこのセイ。原盤番号の後の卍記号はその録音機を使用した印で、その後卍は□に変更された。シュナーベルはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番 K.467(78CDR-3387)、シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番D.959(78CDR-3550)、フルニエと共演したベートーヴェン:チェロ・ソナタ第5番 (78CDR-3292)が出ている。
 
78CDR-3590
\1429+税
シューベルト:交響曲第8番ロ短調「未完成」
 独 ELECTROLA DB 5588/90
 (1940年4月ベルリン録音)
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの指揮者。グラーツ大学で法学博士の学位を得た。個人教授で音楽を学んだ後、1917年グラーツ市立歌劇場でデビュー。
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)の知己を得て、1921年からバイエルン国立歌劇場、1927年ダルムシュタット市立歌劇場、1931年からハンブルク国立歌劇場、1934年からドレスデン国立歌劇場の指揮者を歴任、1943年にはウィーン国立歌劇場総監督に就任した。
 この録音はウィーンではなく、ベルリンで行われたもので、おそらくベームとウィーン・フィルとの初録音ではないかと思う。当時46歳だったベームの若き日の記録として残したい名演奏。大戦中の録音のためベーム・ファンでもあまり知られていなかったもの。
 
78CDR-3591
\1429+税
セヴラック:
 祭りの農家を目指して
 リビアのキリスト像の前のラバひきたち
 日向で水浴びする女たち
日 COLUMBIA J 8099/8101(仏COLUMBIA D15140/43と同一録音)
(1929年1月7-11日録音)
ブランシュ・セルヴァ (ピアノ)
 ブランシュ・セヴルヴァ(1884-1942)はパリ音楽院でピアノを学び1895年に11歳で一等賞を得た。13歳でコンサート・デビューした後スコラ・カントルム音楽院でヴァンサン・ダンディ(1851-1931)に作曲を学び、1902年から同校で教鞭をとるようになった。
 1904年にJ.S.バッハのクラヴィーア曲全曲をピアノで演奏しパリ音楽界を驚かせた。セルヴァは1930年11月のコンサート中に卒中に襲われステージ活動から離れた。セルヴァはこのシリーズでJ.S.バッハ:パルティータ第1番 BWV.825(78CDR-3191)、フランク:前奏曲、コラールとフーガ(78CDR-3310)、カタロニア出身の女流ヴァイオリニスト、ジョアン・マッシアと共演したフランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3012)、ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番「春」(78CDR-3028)が出ている。
 
33CDR-3592
\1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
 独 OPERA 1147(Mono)
(1964年録音)
アルフレッド・レーヴェングート(ヴァイオリン)
フランソワーズ・ドロー(ピアノ)
 アルフレッド・レーヴェングート(1911-1983)はフランスのヴァイオリニスト。16歳でパリ音楽院に入りヴァイオリン、室内楽、ソルフェージュを学んだ。1929年18歳で弦楽四重奏団を組織しそのリーダーとなり、1983年レーヴェングートの死で解散した。
 ヴァイオリンの師はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンだったアンドレ・トゥーレ(1903-1909在籍)で、カペーの考案した運弓法を見事に体得している。レーヴェングートのソロ録音はこの「クロイツェル・ソナタ」以外にはないと思われる。
 ピアノのフランソワーズ・ドロー(1910-2011)はパリ音楽院でマルグリット・ロン(1874-1966)に師事した。レーヴェングートのピアニストとして長年活躍した。
 
33CDR-3593
\1429+税
カミーユ・モラーヌ〜フォーレ歌曲集
 漁夫の歌 (T.ゴーティエ詞)
 夢のあとに (R.ビュッシーヌ詞)
 この世で (A.シュリー=プリュドム詞)
 ネル (C.M. ルコント・ドリール詞
 秋 (A.シルヴェストル詞)
 ある日の詩 (C.グランジャン詞)
 めぐりあい
 いつの日も
 さらば
 ゆりかご (A.シュリー=プリュドム詞)
 ひめごと (A.シルヴェストル詞)
 イスパハンのばら (C.M.ルコント・ドリール詞)
 夜明け (A.シルヴェストル詞)
 贈り物 (V.de リール=アダン)
 涙 (J.リシュパン詞)
 墓地にて (J.リシュパン詞)
 ばら (C.M.ルコント・ドリール詞)
 消え去らぬ香り L(C.M.ルコント・ドリール詞)
 アルページュ (A.サメン詞)
 牢獄 P(P.ヴェルレーヌ詞)
 夕べ (A.サメン詞)
 もっとも心地よい道 (A.シルヴェストル詞)
 九月の森の中で(C.マンデス詞)
仏 Le Club Francais de Disques 191(Mono)
(1959年4月7日録音) (Recorded 7 April 1959)
(全体にLP特有のノイズあり)
カミーユ・モラーヌ(歌)
ピエール・マイヤール= ヴェルジェ(ピアノ)
 カミーユ・モラーヌ(1911-2010)はフランスのバリトン・レジェ(バリトンとテノールの中間の声域)。生地ルーアンの音楽学校で学んだ後、パリ音楽院でクレール・クロワザ (1882-1946)に師事した。
 1940年オペラ・コミックでデビュー。ペレアス役でフルネ指揮(ジャニーヌ・ミショー:メリザンド)、アンセルメ指揮(エルナ・スポーレンベルク:メリザンド)、アンゲンルブレシュト指揮(スザンヌ・ダンコ:メリザンド)の三種の録音を残している。このフォーレ歌曲集はフランスの「レコード・クラブ」に録音されたもので、同時期にエラート社に入れたモラーヌのフォーレ歌曲集と曲目が重複していない。ピエール・マイヤール=ヴェルジェ(1910-1968)はフランスの作曲家でピアニスト。
 パリ音楽院でポール・デュカ(1863-1935)に師事し、1939年にカンタータ "La farce du Mari fondu" でローマ賞を得た。カミーユ・モラーヌの伴奏他いくつかの録音を残している。

<2015年11月6日紹介新譜>

78CDR-3584
\1429+税
サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番ロ短調作品61
 (1928年2月13、20-21日録音)
  仏 COLUMBIA D15209/12
ミケル・カンデラ(ヴァイオリン)
フィリップ・ゴーベール指揮
パリ音楽院管弦楽団
 ミケル・カンデラ(1877-1957)はパリ音楽院管弦楽団やオペラ座のヴァイオリニストを長くつとめた人物で、よく息子のミゲル・カンデラ(1914-?)と混同される。
 息子は1926年11月にパリ音楽院のジュール・ブーシュリ教授(1877-1962)のクラスに入り、翌1927年に一等賞を得た。ということは、この録音が行われた時わずか14歳だったから、この録音は父親のミケルが弾いたとするのが妥当と思う。
 これはこの名曲の世界初録音だった。
 指揮者のフィリップ・ゴーベール(1879-1941)はポール・タファネル(1844-1908)の父親にフルートの手ほどきを受け、引き続きタファネル自身から指導を受けた。1894年パリ音楽院のフルート科で一等賞を得て、パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座の首席フルート奏者を務めた後、パリ・オペラ座の指揮者・音楽監督としても活躍した。弟子にフルート奏者のマルセル・モイーズ(1899-1984)等がいる。
 
78CDR-3585
\1429+税
ベル・エポックの寵児、レナルド・アーンの想い出
 村の占い師の歌
 もしお前が望むなら、かわいい人よ
 哀れな農夫
 我が歌に翼ありせば
 恍惚の時
 置き去りにされた女
 リデ
 悲しい風景
 最高の贈り物
 牢獄より
  Odeon 188.635(KI 2172-2)(Recorded 25 January 1929)
レナルド・アーン(バリトン)
ニノン・ヴァラン(ソプラノ)
ギ・フェラン(テノール)
ロジェ・ブルダン(バリトン)
レナルド・アーン(ピアノ)
 レナルド・アーン(1875-1947)はベネズエラのカラカス生まれ。3歳の時に両親と共にパリに移住した。6歳の時に神童として、ナポレオン3世に従妹マティルドのサロンにデビュー、ボーイソプラノのピアノの弾き語りでサロンの寵児となり、作曲家ジュール・マスネ(1842-1912)の推薦を得て10歳でパリ音楽院に入学した。
 長じて美声と数カ国語をあやつる巧みな話術、豊かな教養で各界の名士、貴婦人たちと交友を築き、またパリ・オペラ座の指揮者として活躍、ザルツブルク音楽祭でもモーツァルト指揮者として名声をあげた。
 また作曲家として声楽曲の作品が多数あるが、親交のあった音楽家のために作曲した器楽作品もある。
 ここではアーンの弾き語りと当時の名歌手たちが歌う自作品にピアノ伴奏をした貴重な音源を集めた。ニノン・ヴァラン(1886-1961)はオペラ、オペレッタ、フランス歌曲で評判だった。78CDR-3299で聴ける。
 ギ・フェラン(?-1963)は1920年代から俳優とオペラで活躍した。ロジェ・ブルダン(1900-1973)はフランス国内中心に活躍したバリトン。
 
78CDR-3586
\1429+税
J.S.バッハ:「シャコンヌ」〜
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004 より
  独 ODEON O-8764/5
  (1941年11月25日& 28日録音)
ゲルハルト・タシュナー(ヴァイオリン)
 ゲルハルト・タシュナー(1922-1976)はチェコ生まれのヴァイオリニスト。ブダペストでイエノ・フバイ(1858-1937)に、ウィーンでブロニスワフ・フーベルマン(1882-1942)に師事した。
 ヒトラー政権下のドイツでユダヤ系ヴァイオリニストが払底した中で、フルトヴェングラーが率いるベルリン・フィルのコンサートマスターのオーディションに「シャコンヌ」を弾いて採用され、1941年から1945年までその地位にあった。
 この録音は丁度その時期にあたり日米開戦直前のもの。録音当時タシュナーは19歳だった。
 
33CDR-3587
\1429+税
モーツァルト:
 2台のピアノのための協奏曲変ホ長調 K.365(316a)
 2台のピアノのための協奏曲ヘ長調 K.242
  米 WESTMINSTER WL5095(Mono)
  (1951年6月ウィーン、コンツェルトハウス録音)
レーヌ・ジャノーリ(ピアノ)
パウル・バドゥラ=スコダ(ピアノ)
ヘルマン・シェルヘン指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
 レーヌ・ジャノーリ(1915-1979)はパリ生まれ。エコール・ノルマルでアルフレッド・コルトー(1887-1962)に、パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。
 さらにルツェルンでエトヴィン・フィッシャー(1886-1960)に学び、フィッシャーと共に2台、3台のピアノ演奏を数多く行った。
 パウル・バドゥラ=スコダ(1927-)はウィーン生まれ。ウィーン音楽院に学び1947年オーストリア音楽コンクールに優勝し、エトヴィン・フィッシャーの薫陶を得た。
 ヘルマン・シェルヘン(1891-1966)はベルリン生まれ、現代音楽の推進者と知られた指揮者。LP時代に登場したレコード会社WESTMINSTER と契約し、ウィーンで数多くの録音を残した。
 レーヌ・ジャノーリはこのシリーズでベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第18番(78CDR-3258)が出ている。
 
33CDR-3588
\1429+税
モーリン・オハラ/アイルランド愛唱歌集
 ケリーの雌牛
 ギヴ・ヒム・トゥ・ミー
 あの金満男が死んだ
 ウィ・ヒュイー
 ジョニー, あなたをほとんど知らないのよ
 一人の老婦人がいた
 ダニー・ボーイ
 一人の老人がいた
 彼は祭りの中を通っていった
 結婚相手は誰かしら
 あの夜を覚えているかい、愛しい人よ
 あの男達よりあの女達が悪いのはほんとう
 こんどの市の日
 ノラ・リー - いちど一人の少年を愛した
 日曜日に嫁にいくの
 エリンに帰れ
 モーリン・オハラ(ヴォーカル)
  米 COLUMBIA CS 8550(Stereo)
  (1961年録音)
モーリン・オハラ(ヴォーカル)
 2015年10月24日に95歳で逝去した名女優モーリン・オハラ(1920-2015)はアイルランドのダブリン出身。第2次世界大戦中から戦後にかけて活躍した。
 このアルバムは彼女がアメリカ・コロンビアに録音したヴォーカル・アンバム。母親がオペラ歌手だった彼女は、幼少の頃から声楽の指導を受て以来、女優として活躍中もずっと声楽のトレーニングを続けていた。
 ダイナ・ショアのTVショーに出演したのが歌い手としてのデビューだったとアルバムの中で述べている。それをきっかけにペリー・コモ・ショー、ボブ・ホープ・ショー、ゲイリー・ムーア・ショー等にシンガーとして出演し、1960年にはブロードウェイのミュージカル「クリスティーヌ」に華々しくデビューして批評家や聴衆から喝采をあびた。
 これは米コロンビアのオリジナルキャスト・アルバム(OL5520/OS2016)で発売された。
 このアルバムに収録されたアイルランドの歌は、「ダニー・ボーイ」「ノラ・リー」(ラヴ・ミー・テンダーの原曲)の他は日本ではあまり知られていないが、彼女の圧倒的な歌唱を是非知って頂きたくこのシリーズに組み込んだ。
 このLP復刻には世界的に希少なWESTERN ELECTRIC製 MODEL 10Aカートリッジを使用した。


<2015年10月9日紹介新譜>

78CDR-3579
\1429+税
ベニー・グッドマン六重奏団-フィーチャリング・チャーリー・クリスチャン
 (1)ローズ・ルーム
 (2)エア・メイル・スペシャル
 (3)フライング・ホーム
 (4)いい娘を見つけた
 (5)プア・バタフライ
 (6)グランド・スラム
 (7)ワン・ワン・ブルーズ
 (8)アズ・ロング・アズ・アイ・リヴ
 米 COLUMBIA C-102 Set
  (1939-1942年録音)
ベニー・グッドマン
チャーリー・クリスチャン
アーサー・バーンスタイン
フレッチャー・ヘンダーソン
カウント・ベイシー
ライオネル・ハンプトン、他
 ベニー・グッドマン(1909-1986)はシカゴ生まれ、クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928年にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。
 1938年にカーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを開きキング・オブ・スイングと呼ばれた。これは米COLUMBIAに録音した30曲以上の六重奏団による演奏の中からグッドマン自身の選曲による名演奏集で、25歳で世を去った天才ギタリストのチャーリー・クリスチャン(1925-1942)が在籍した時代の名演が収録されている。
 SPレコード特有の迫力のある演奏が楽しめる。ベニー・グッドマンはこのシリーズで他にペギー・リーとの共演(78CDR-3538)が出ている。
 
78CDR-3580
\1429+税
ベートーヴェン:
 交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
英 DECCA AK2253/6(ffrr Recording)
(1949年6月10-12日パリ、ラ・メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
カール・シューリヒト指揮
パリ音楽院管弦楽団
 カール・シューリヒト(1880-1967)はドイツの指揮者。1912年から1944年までヴィスバーデン歌劇場の音楽監督をつとめると同時にベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮した。
 シューリヒトのベートーヴェン交響曲第1番から第9番はLP時代のパリ音楽院管弦楽団を指揮したEMI録音がよく知られているが、この録音は大戦後間もなく英デッカに録音されたもの。颯爽と直進する若々しさが横溢している名演奏。復刻LPにはない鮮やかなサウンドが素晴らしい。
 シューリヒトのベートーヴェン交響曲はこのシリーズでスイス・ロマンド管弦楽団との第2番(78CDR-3115)とベルリン市立管弦楽団を振った第4番(78CDR-3127)が出ている。
 
78CDR-3581
\1429+税
モーツァルト:
 ピアノ四重奏曲第1番ト短調 K.478
 ピアノ・ソナタ第16番変ロ長調 K.570
 ロンドイ短調 K.511
  英 HMV 2155/8 (ピアノ四重奏曲)
  英 HMV 6839/40(ソナタ)
  英 HMV 6298 (ロンド)
   (1934年1月31日=ピアノ四重奏曲)/1948年6月16日=(ソナタ)/
    1946年6月4日=(ロンド)ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
プロ・アルテ四重奏団のメンバー(ピアノ四重奏曲)
アルフォンス・オンヌー(ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。
 1901年ベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その後1933年にロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。シュナーベルのモーツァルトはこのシリーズでピアノ協奏曲第21番K.467(78CDR-3387)が出ている。
 
33CDR-3582
\1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 仏 ODEON XOC804(Mono)
 (1953年1月12日パリ録音)
ヘンリク・シェリング(ヴァイオリン)
ジャック・ティボー指揮
パリ音楽院管弦楽団
 ヘンリク・シェリング(1818-1988)はポーランド生まれ。同郷の大ヴァイオリン奏者フーベルマン(1882-1947)のすすめでベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)について研鑽を積み、その後パリ音楽院でジュール・ブーシュリ(1877-1962)とガブリエル・ブイヨン(1896-1986)に師事し1937年に一等賞を得た。
 第2次世界大戦の勃発でポーランド政府はシェリングが8カ国語を流暢に話すことに目をつけ、亡命先を探していたヴラディスワフ・シコルスキ将軍の通訳としてメキシコを訪れたのが縁で、自身も1945年にメキシコ国籍を取得し首都の音楽院で教鞭をとる。1952年12月にブイヨン指揮パドルー管弦楽団でJ.S.バッハのヴァイオリン協奏曲第1番と第2番(33CDR-3540)を録音した。
 このジャック・ティボー(1880-1953)指揮のベートーヴェンは翌月の1953年1月の録音で、ティボーはこの年の9月に日本に向かう航空機の墜落事故で命を落とした。
 
33CDR-3583
\1429+税
すみれ、野ばら-エルナ・ベルガー・リサイタル
 (1)すみれ (モーツァルト/ゲーテ詞)
 (2)寂しい森の中で (モーツァルト/ド・ラ・モット詞)
 (3)いましめ (モーツァルト)
 (4)魔術師 (モーツァルト/ヴァイセ詞)
 (5)夕べの思い (モーツァルト/カンペ詞)
 (6)野ばら (シューベルト/ゲーテ詞)
RCA VICTOR LM133(U.S.)(Mono) 米 RCA VICTOR LM133(モノ)
(Recorded 1951, New York) (1951年ニューヨーク録音)
 ※初期LP特有のノイズあり
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
ジョージ・シック(ピアノ)
 エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツのコロラトゥーラ・ソプラノ。ドレスデンに生まれ、5歳の頃には「魔弾の射手」(ウェーバー)のアリアを歌いこなしたという。17歳の時にエリーザベト・レートベルクのすすめで、ドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。
 第1次世界大戦(1914-1918)後に家族は南米のパラグアイに移住したが、父親が死亡し、ウルグアイのモンテビデオで働きながらピアノと声楽をつづけた。1923年ドレスデンに戻り、銀行員をしながら声楽の勉強をして、1925年にはバイロイトに出演している。その後ベルリン市立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデン歌劇場、メトロポリタン歌劇場に出演、1955年に引退を表明、1960年から1971年ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。SP時代から録音も多く、特に1937年「魔笛」の世界初の全曲録音(トーマス・ビーチャム指揮)の夜の女王役で世界的に知られるようになった。
 このシリーズでシューマン「女の愛と生涯」他(33CDR-3478)が出ている。


<2015年9月4日紹介新譜>

78CDR-3574
\1429+税
ヴァーシャ・プシホダの芸術
 パガニーニ(プシホダ編):「ネル・コル・ピウ」の主題による変奏曲
 サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン作品20
 パガニーニ:魔女たちの踊り作品8
 ヴィエニアフスキ:ヴァイオリン協奏曲第2番ニ短調作品22
  独 POLYDOR 35091(1938年3月録音)
  独 POLYDOR 66222(1926年録音)
  独 POLYDOR 66481(1926年録音)
  独 POLYDOR 68998/9(1925年録音)
ヴァーシャ・プシホダ(ヴァイオリオン)
オットー・グレーフ(ピアノ)
シャルル・セルネ(ピアノ)
管弦楽伴奏
 ヴァーシャ・プシホダ(1900-1960)はチェコのヴォズナニーに生まれたヴァイオリニスト。11歳でプラハ音楽院に入った。ミラノの演奏会に居合わせた大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)を驚嘆させ、「新しいパガニーニ」と称賛されたのがきっかけでヨーロッパ諸国で認められた。
 1921年にアメリカ・デビュー、1927年にはロンドン公演をした。プシホダは1930年にヴァイオリニストのアルマ・ロゼー(1906-1944)と結婚したが1935年に別れた。
 アルマ・ロゼーはウィーン・フィルのコンサートマスターを長年つとめたアルノルト・ロゼー(1863-1946)の娘。プシホダは第2次世界大戦中はザルツブルクのモーツァルテウムで教鞭をとった、大戦後はウィーンを拠点に教鞭と演奏活動をした。
 このアルバムは電気録音完成期(1938年)のものと、電気録音最初期の "ライトレイ方式" 録音(1926年)、機械式録音(1925年)を集めた。ここに録音の変遷史を聴くことができる。
 
78CDR-3575
1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
 英 HMV DB1463/4 (米 VICTOR 8163/4と同一録音)
 (1928年3月22日アメリカ、ニュージャージー州キャムデン録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン)
セルゲイ・ラフマニノフ(ピアノ)
 大ヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(1875-1962)が大ピアニストのセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)と顔を合わせた歴史的録音。クライスラーとラフマノノフは第1次世界大戦後、同じマネージャーだったことからこの録音が実現したと言われる。
 これは電気録音初期のもので録音時クライスラーは53歳、ラフマニノフは55歳だった。二人の巨匠が顔を合わせて時間をかけて音楽を作りあげてたことがマトリクス(原盤)番号の末尾にあるテイク番号が示している。第1楽章ではテイク数が8で、これは8回の録音後にOKテイクが出来たことを示している。第3楽章もテイク数が7と非常に多い。
 4面の録音を完成するためになんと24枚の原盤を使ったという記録的録音だった。このクライスラーの演奏を後の1936年の再録音(78CDR-3014)と是非聴き比べていただきたい。
 
78CDR-3576
\1429+税
チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35
 英 DECCA K1444/7
 (1945年4月26日、1946年2月6日ロンドン、キングズウェイ・ホール録音)
イダ・ヘンデル(ヴァイオリン)
ベイジル・キャメロン指揮
ナショナル交響楽団
 イダ・ヘンデル19歳の時の録音。
 イダ・ヘンデル(1924-)はポーランド生まれ。1935年ワルシャワ音楽院で金メダルとフーベルマン賞を得た。同年開かれたヴィエニアフスキ国際コンクールでジネット・ヌヴー(16歳)、ダヴィド・オイストラフ(27歳)に次いで第3位に入賞、そのとき11歳だった。
 ヘンデル一家は1939年に祖国ポーランドを離れロンドンに移住し、1940年に市民権を得た。その年に英デッカと契約し初録音を行った。第2次世界大戦中であったにもかかわらず50枚近い録音をしてデッカ社の看板アーティストになった。
 これは彼女がデッカへの初協奏曲録音である。ベイジル・キャメロン(1884-1975)はイギリスの指揮者。サンフラシスコ交響楽団やシアトル交響楽団の指揮者をつとめた後、プロムスでサー・ヘンリー・ウッド(1869-1944)のもとで活躍、1957年にCBEに叙勲された。
  
33CDR-3577
\1429+税
カンポーリ/アンコール
 歌の翼に(メンデルスゾーン=アクロン編)
 火花のワルツ(ドリゴ=アウアー編)
 気まぐれな女(エルガー)
 ケーンブレークから(ガードナー)
 深い河(ハイフェッツ編)
 吟遊詩人(ドビュッシー)
 故郷の人々(フォスター=クライスラー編)
 詩曲(フィビヒ)
 小さな星(ポンセ)
 思い出(ドルドラ)
 アレグロ(フィオッコ)
 蜜蜂(シューベルト)
 タンゴ(アルベニス)
 真夜中の鐘(ホイベルガー)
  米 LONDON LL1461(Mono)
  (1956年1月18日ロンドン、NW6 デッカ・スタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)
 アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれ。5歳の時両親と共にイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ソプラノのネリー・メルバ(1861-1931)やコントラルトのクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツァーする一方、自らの名前を冠したサロン・オーケストラを組織しBBC放送やレコード録音で活躍した。第2次世界大戦後はクラシックの演奏家にかえりざき、英デッカの看板アーティストになった。
 1960年と1966年に日本公演を行い、1966年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音した。
 カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。このシリーズで「カンポーリ/クライスラーに捧げる」(33CDR-3563)とJ.S.バッハの無伴奏パルティータ第2番BWV1004(78CDR-3414)が出ている。
 
33CDR-3578
\1429+税
ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」
 英 HMV DLP 1154(Mono)
 (1956年6月6-7日録音)
ジーナ・バッカウアー(ピアノ)
 ジーナ・バッカウアー(1913-1978)はギリシャのアテネ生まれ。アテネ音楽院で学ぶかたわらパリのエコール・ノルマル音楽校でアルフレッド・コルトー(1877-1962)にも師事した。
 さらにラフマニノフ(1873-1943)の最後の弟子のひとりでもあった。1935年にアテネでミトロプーロスの指揮でデビュー、第2次世界大戦中はエジプトに赴き、外人部隊の兵士に通算600回以上の慰問コンサートを開いた。
 戦後の1947年にロンドン・デビュー、1950年にはカーネギーホールに登場した。力強い男性的なタッチは師コルトーの面影を感じさせる。
 このシリーズでモーツァルトのピアノ協奏曲第24番K.491(33CDR-3568)が出ている。

<2015年8月7日紹介新譜>

78CDR-3569
\1429+税
J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番 BWV1004より「シャコンヌ」
独 POLYDOR 69891/2
(1942年録音)
ハインツ・シュタンスケ(ヴァイオリン)
 ハインツ・シュタンスケ(1914-1996)はベルリン生まれのドイツのヴァイオリニスト。8歳でデビュー、カール・フレッシュ(1873-1944)に師事し、1937年のウィーン・コンクールで金賞を受賞した。
 第2次世界大戦中にドイツのポリドールに録音をしていた。大戦後はコンサート活動と同時に後進の指導にあたり、女流ヴァイオリニスト、エディト・パイネマン(1939-)は弟子の一人だった。シュタンスケはこのシリーズでモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 K.218(78CDR-3211)と特に名録音と評判のブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番(78CDR-3319)が出ている。
 
78CDR-3570
\1429+税
ファリャ:7つのスペイン民謡
グラナドス:昔風のスペインの歌曲集(トナディーリャス)
 英 PARLOPHONE PO153/5(U.K.)(ファリャ)
 英 PARLOPHONE PO161/2(U.K.)(グラナドス)
(1930年3月10日、ファリャ/
1932年11月1日、グラナドス、バルセロナ録音)
コンチータ・スペルビア(歌)
フランク・マーシャル(ピアノ)(ファリャ)
フェルナンド・ペリケ(ピアノ)(グラナドス)
 コンチータ・スペルビア(1895-1936)はスペインのバルセロナ生まれのメゾ・ソプラノ歌手。12歳で生地のリセウ音楽院に入り、15歳でアルゼンチンの首都ブエノスアイレスのコロン劇場でデビューした。1912年出身地のバルセロナでビゼーの「カルメン」歌った。
 第1次世界大戦中にアメリカデビュー。大戦終了後ローマに招かれ、そこでは19世紀後半から慣例的にコロラチューラ・ソプラノによって歌われていたロッシーニのオペラのヒロイン役を、ロッシーニのオリジナル通りメゾソプラノ・レッジェーロの音域で歌ったことで一躍注目された。1930年からはロンドンでも活躍した。1939年出産のためロンドン市内の病院に入院したが、新生児を死産後、自らも死亡した。スペルビアはSPレコードに200面以上の録音を残した。
 
78CDR-3571
\1429+税
ハイドン:
 弦楽四重奏曲第67番ニ長調作品64-5, Hob.III-62「ひばり」
独 TELEFUNKEN A 2243/5
(1937年5月4日ベルリン録音)
カルヴェ弦楽四重奏団
ジョゼフ・カルヴェ(第1ヴァイオリン)
ダニエル・ギレヴィッチ(第2ヴァイオリン)
レオン・パスカル(ヴィオラ)
ポール・マ(チェロ)
 リーダーのジョゼフ・カルヴェ(1897-1984)はパリ音楽院でギョーム・レミに師事、1919年に一等賞を得た。1928年にナディア・ブーランジェの発意でベートーヴェンの弦楽四重奏曲の全曲演奏会をフランスで開いた。リーダーのカルヴェは1935年にパリ音楽院の教授に任命され、四重奏団の活動と同時に後進の指導にあたった。第2ヴァイオリンのダニエル・ギレヴィッチは1941年米国に移住したダニエル・ギレ(1899-1990)で、トスカニーニ指揮のNBC交響楽団に入り1951年にコンサートマスターになった。またギレ弦楽四重奏団を結成、1954年にはボザール・トリオを作った。ヴィオラのレオン・パスカルは1941年にパスカル弦楽四重団を結成しフランスを代表する弦楽四重奏団として名声を博した。
 
33CDR-3572
\1429+税
サン=サーンス:
 ピアノ協奏曲第2番ト長調作品22
 ピアノ協奏曲第4番ハ長調作品44
仏 PATHE DTX 176(Mono)
(1955年4月28-29日パリ、メゾン・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
ジャンヌ=マリ・ダレ(ピアノ)
ルイ・フレスティエ指揮
フランス国立放送管弦楽団
 ジャンヌ=マリー・ダレ(1905-1999)はフランスの女流ピアニスト。10歳でパリ音楽院に入りマルグリット・ロン(1874-1966)とイジドール・フィリップ(1863-1958)に師事し、1919年に一等賞を得て翌年パリでデビューした。1923年にはポール・パレー(1886-1979)指揮のラムルー管弦楽団とオーケストラ初共演、1958年にパリ音楽院教授に任命された。
 このシリーズの78CDR-3189でダレの弾くサン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番のSP録音(ポール・パレー指揮コロンヌ管弦楽団)が出ているので、聴きくらべをおすすめする。
 指揮者のルイ・フレスティエ(1892-1976)はフランスの指揮者。パリ音楽院に学び、和声学、対位法で一等賞を得た後1925年にローマ賞を受賞した。フランス各地のオーケストラの指揮者をつとめた後パリ音楽院の指揮科教授に任命され1945年から1962年にその地位にあった。
 
33CDR-3573
\1429+税
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「春」
仏 MUSIQUE et CULTURE MC 3003(Stereo)
(1964年頃パリ録音)
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)
 この録音は北ランスのストラスブールに本拠を置くMUSIQUE et CULTURE レーベルに録音されたもの。ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。
 オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校パリ音楽院で教鞭をとり、さらに日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)は1932年12歳でパリ音楽院入学、1945にジャクリーヌ・ロバン(1917-2007)とピアノ・デュオを組み1990年まで45年に渡り活動した。1946年に作曲家アンリ・デュティーユ(1916-2013)と結婚して生涯良き伴侶だった。

<2015年7月10日紹介新譜>

78CDR-3564
\1429+税
シューベルト:八重奏曲ヘ長調作品166 D.803
 英 DECCA AK2060/65(U.K.)ffrr Recording
 (1948年7月ウィーン録音)
ウィーン八重奏団
ヴィリ・ボスコフスキー
フィリップ・マタイス
ギュンター・ブライテンバッハ
ニコラウス・ヒュブナー
ヨハン・クルンプ
アルフレッド・ボスコフスキー
ヨーゼフ・ヴェレバ
ルドルフ・ハンツル
 ウィーン八重奏団はウィーン・フィルのコンサート・マスターを1936年から1979までつとめたヴィリ・ボスコフスキー(1909-1991)がリーダーだったボスコフスキー弦楽四重奏団にコントラバス、管楽器奏者が加わって結成された。
 この録音はSPレコード時代のこのグループ第1回のもの。ウィーンの香りが漂う高貴な名演奏がffrr録音によって見事にとらえられている。ウィーン八重奏団は1958年にステレオで同じ曲を再録音している。両者の比較試聴は楽しい。
  
78CDR-3565
\1429+税
ベートーヴェン:交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
 米 COLUMBIA 11536/41-D MM-499(Set)
 (1941年1月20日ニューヨーク録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。1938年、当時ウィーン・フィルの指揮者をつとめていたワルターはナチス・ドイツのオーストリアのオーストリア併合によるユダヤ人迫害を避けてアメリカに逃れた。
 この「英雄」はアメリカに渡ったワルターの初めての録音にあたる。1941年(昭和16年)日米開戦の年に日本コロムビアに供給された最後のアメリカ原盤によって日本国内でも発売された。ワルターは同じニューヨーク・フィルとLP初期の1949年に再録音している。さらに1958年にはステレオでコロンビア交響楽団と録音した。これは33CDR-3349で聴ける。
  
78CDR-3566
\1429+税
エレナ・ゲルハルト/
 シューベルト:歌曲集「冬の旅」作品89 D.911(抜粋)
 おやすみ
 菩提樹
 あふれる涙
 春の夢
 郵便馬車
 からす
 道しるべ
 辻音楽師
英 HMV D1262/4, E460
(1927年3月9、11 & 24日イギリス録音)
(HMV盤特有のノイズがあります)
エレナ・ゲルハルト(メゾ・ソプラノ)
ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
 ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が電気録音初期の1927年に録音した「冬の旅」からの録音である。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを特別に認めた。
 1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。レコード録音は、ニキシュのピアノで1907年からはじまった。以降機械式録音時代、電気録音時代と多数ある。その中の最高傑作がこの「冬の旅」からの8曲。録音時彼女は44歳だった。
 ゲルハルトは正規録音の他に1939年に6枚組のアルバム「ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う」(78CDR-3496)を、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と生涯」(12インチ盤3枚組)をプライヴェート盤として制作し、自身の知人やファンに配り一般販売はされなかった。
 
33CDR-3567
\1429+税
モーツァルト:
 ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調 K.218
  (カデンツァ:ヨアヒム)
 ヴァイオリン協奏曲第6番変ホ長調 K.268
英 VOX PL7220(Mono)
(1951年夏シュトゥットガルト録音)
ラインホルト・バルヒェット(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ゼーゲルケン指揮(K.218)
ロルフ・ラインハルト指揮(K.268)
シュトゥットガルト・プロムジカ管弦楽団
 ラインホルト・バルヒェット(1920-1962)はシュトゥットガルト生まれのドイツのヴァイオリニスト。ヴュルツブルク音楽院で学び、1943年リンツ・ブルックナー管弦楽団に入団したが、大戦後は故郷に戻りカール・ミュンヒンガーが主宰するシュトゥットガルト室内管弦楽団コンサート・マスターに就任、1952年までその地位にあった。
 この録音はその時代のもの。またDECCAにヴィヴァルディの「四季」(モノ・ヴァージョン)を録音していた。1962年にドイツ・バッハ・ゾリステンのメンバーとして来日したが、帰国直後自動車事故によってシュトゥットガルトで急逝した。享年42歳。ロルフ・ラインハルト(1927-2006)はピアニストで指揮者。初期のVOXにヴィヴァルディの協奏曲集などを録音していた。
 
33CDR-3568
\1429+税
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491
 (カデンツァ:マシューズ)
蘭 HMV GHLP 1001(英 HMV DLP1124と同一録音)
(1955年8月19-20日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ジーナ・バッカウアー(ピアノ)
アレック・シャーマン指揮
ロンドン管弦楽団
 ジーナ・バッカウアー(1913-1976)はギリシャのアテネ生まれ。アテネ音楽院で学ぶかたわらパリのエコール・ノルマル音楽校でアルフレッド・コルトー(1877-1962)にも師事した。さらにラフマニノフ(1873-1943)の最後の弟子のひとりでもあった。1935年にアテネでミトロプーロスの指揮でデビュー、第2次大戦中はエジプトに赴き、外人部隊の兵士に通算600回以上の慰問コンサートを開いた。
 戦後の1947年ロンドンにデビュー、1950年にはカーネギー・ホールに登場した。同年指揮者のアレック・シャーマン(1907-2008)と結婚した。シャーマンはリトル・オーケストラ・オブ・ロンドンという名称の室内オーケストラを組織し、HMVやCOLUMBIAに録音していた。バッカウアーは米マーキュリーにステレオでベートーヴェンのピアノ協奏曲他を録音していた。強い男性的なタッチは師コルトーの面影を感じさせる。
 コルトーのモーツァルト録音は残っていないが、バッカウアーの演奏からそれが聴き取れる。


<2015年6月26日紹介新譜>

33CDR-3559
\1429+税
シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのための作品全集 - 1
 幻想曲ハ長調作品159 D.934
 華麗なロンド ロ短調作品70 D.895
 ソナチネ第3番ト短調作品137-3 D.408
仏 ERATO STE 50136(ステレオ)
(1962年11月パリ、スタジオ・オシュ録音)
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)
 
33CDR-3560
\1429+税
シューベルト:
 ヴァイオリンとピアノのための作品全集 - 2
 ソナチネ第2番イ短調作品137 D.385
 ソナタ イ長調「デュオ」作品162 D.574
 ソナチネ第1番ニ長調作品137-1 D.384
仏 ERATO STE 50137(Stereo)
(1962年10月パリ、スタジオ・オシュ録音)
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(ピアノ)
 ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時ロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。これはステレオ時代になってフランスのエラート社に行われた録音。
 オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校パリ音楽院で教鞭をとり、さらに日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。ピアノのジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)は1932年12歳でパリ音楽院入学、1945にジャクリーヌ・ロバン(1917-2007)とピアノ・デュオを組み1990年まで45年に渡り活動した。1946年に作曲家アンリ・デュティーユ(1916-2013)と結婚して生涯良き伴侶だった。
 
33CDR-3561
\1429+税
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲ニ長調 K.218
 (カデンツァ:ヘルマン)
米 REMINGTON R-199-125(Mono)
(1952年9月26日ウィーン録音)
ジェラール・プーレ(ヴァイオリン)
ガストン・プーレ指揮
オーストリア交響楽団
 ジェラール・プーレ(1938-)は1949年11歳でパリ音楽院に入学、アンドレ・アスランに師事し、2年後の1951年に一等賞を得た。この録音はその翌年の14歳の時のもの。18歳の時に、イタリアのジェノヴァで開催されたパガニーニ国際コンクールで優勝した。指揮は父親のガストン・プーレ(1892-1974)。
 ガストン・プーレは1904年にパリ音楽院に入り、ルフォール教授とジャン・ユレのもとで研鑽を積み1910年に一等賞を得た。1917年にドビュッシーのヴァイオリン・ソナタを作曲家自身のピアノで初演した。その後華々しい活躍でフランスのもっとも重要な音楽家として尊敬された。
 
33CDR-3562
\1429+税
ヒンデミット:
 クラリネット協奏曲
 組曲「気高い幻想」
英 COLUMBIA 33CX 1533(Mono)
(1956年11月22日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ルイ・カユザック(クラリネット)
パウル・ヒンデミット指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 ルイ・カユザック(1880-1960)はフランスのクラリネット奏者、作曲家。トゥールーズ音楽院フェリッス・パジェに、パリ音楽院でシリユ・ローズ(1830-1902)に師事した。1901年にパリ・オペラ座管弦楽団に入り、1920年までコロンヌ管弦楽団の首席奏者をつとめた。1920年以後はソリストとして活躍した。
 この録音時カユザックは76歳だった。自己の作品を指揮するパウル・ヒンデミット(1895-1963)は20世紀ドイツを代表する作曲家。1920年に結成したアマール弦楽四重奏団ではヴィオラを担当、自身の作曲した「弦楽四重奏曲第2番」の初演を行っている。
 ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク、チェロのエマヌエル・フォイアマンと三重奏団を組み自身の「弦楽三重奏曲第2番」(78CDR-3523)ほかベートーヴェン:セレナード作品8(78CDR-3252)の録音を残した。ヒンデミットは生涯に600曲以上の作品を残した。
    
33CDR-3563
\1429+税
「カンポーリ/クライスラーに捧げる」
 プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ
 愛の悲しみ
 愛の喜び
 道化役者
 美しきロスマリン
 ウィーン奇想曲
 中国の太鼓
 パデレフスキのメヌエット ト長調
 カプリス変ホ長調
 カプリス イ短調
 ベートーヴェンの主題によるロンディーノ
 狩り
 ジプシーの女
 スペイン舞曲
 コレッリの主題による変奏曲
英 DECCA LXT5012(Mono)
(1954年10月4-5日ロンドンNW6 、デッカ・スタジオ録音)
アルフレード・カンポーリ(ヴァイオリン)
エリック・グリットン(ピアノ)
 アルフレード・カンポーリ(1906-1991)はイタリア生まれ。5歳の時、両親と共にイギリスに移住し、1923年にロンドンのウィグモア・ホールでデビューした。ネリー・メルバ(1861-1931)やクララ・バット(1872-1936)などの大物歌手とツァーをする一方、自分の名前を冠したサロン・オーケストラを作りBBC放送やレコード録音で活躍した。
 第2次世界大戦後はクラシックの演奏家に返り咲き、英デッカの看板アーティストになった。1960年と1966年に日本公演を行い、66年にはキングレコードの第1スタジオで作曲家でピアニストの和田則彦氏と日本歌曲からの編曲2曲を含む11曲のヴァイオリン名曲集を録音し、1971年にイギリスでも発売された。カンポーリはストラディヴァリウスの名器 "ドラゴネッティ" を所有していた。
 このシリーズで他にJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004(78CDR-3414)が出ている。


<2015年5月29日紹介新譜>

78CDR-3554
\1429+税
ハイドン:交響曲第100番ト長調「軍隊」
 英 HMV DB8445/7
 (1938年1月10日ウィーン、ムジークフェライン大ホール録音)
ブルーノ・ワルター指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)はドイツ出身の大指揮者。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。
 1894年ハンブルク歌劇場の指揮者をしていた時、音楽監督だったグスタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ベルリン市立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などの楽長、音楽監督を歴任、またウィーン・フィルハーモニーやベルリン・フィルハーモニーも指揮した。
 1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されると、迫害を避けてアメリカに逃れた。この録音はウィーンのムジークフェライン大ホールで録音されたもので、美しい残響を伴ったオーケストラの音色が名演奏に花を添えている。
 
78CDR-3555
\1429+税
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 (カデンツァ:ヨアヒム)
 英 COLUMBIA LX983/987(U.K.)(米 COLUMBIA 12281/5Dと同一録音)
  (1945年2月23日フィラデルフィア録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
 シゲティによるこの曲の2回目の録音。第1回録音は1928年のハミルトン・ハーティ指揮だった(78CDR-3220)。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリーのブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1850-1937)に師事した。
 1905年、13歳でベルリン・デビュー、大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められた。1917年から24年にスイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。この録音は第2次大戦末期のもの。指揮者は同郷のユージン・オーマンディ(1899-1985)。オーマンディもまたフバイの弟子でヴァイオリニスト出身だった。
 
78CDR-3556
\1429+税
モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調 K.219
 (カデンツァ:ヨアヒム)
  独 ELECTROLA DB4578/81
  (1938年6月25&28日録音)
ヤン・ダーメン(ヴァイオリン)
カール・ベーム指揮
ザクセン国立管弦楽団
 ヴァイオリンのヤン・ダーメン(1898-1957)はオランダのヴァイオリニスト。オランダのブレダに生まれ、ハーグ王立音楽院を卒業後、ベルリンで名教師カール・フレッシュ(1873-1944)について研鑽を積んだ。1920年から22年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスター、1924年からはザクセン国立管弦楽団(シュターツカペレ・ドレスデン)のコンサートマスターだった。
 1949年からは指揮者エドゥアルト・ファン・バイヌムのもとでアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のコンサートマスターを務めた。カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの大指揮者。1934年からドレスデン国立歌劇場総監督をつとめた。この録音はその時代のもの。
  
33CDR-3557
\1429+税
ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
  仏 LUMEN LD 3.416(Mono)
   (1957年パリ録音)
ポール・マカノヴィツキー(ヴァイオリン)
ノエル・リー(ピアノ)
アンドレ・シャルラン(録音技師)
 ヴァイオリンのマカノヴィツキー(1920-1998)はストックホルムでロシア人の両親のもとに生まれた。4歳でパリのロシア音楽院で名教授イヴァン・ガラミアン(1902-1981)に師事し1929年にガヴォー音楽堂でデビューした。ガラミアンはリュシアン・カペー(1873-1928)の弟子で、1927年から37年にロシア音楽院で教鞭をとっていた。
 マカノヴィツキーはジャック・ティボー(1880-1953)にもついた。1966年にジュリアード音楽院で教えはじめ、フィラデルフィアのカーティス音楽院やミシガン大学でも教鞭をとった。1954年にピアニストのノエル・リー(1924-)に出会いデュオを組んだ。
 リーは中国の南京生まれ、アメリカ、インディアナ州のラファイエットで育った。第2次世界大戦後フランスに渡り、パリでナディア・ブーランジェの教えを受けた。
 1955年からレコード録音を開始、現在まで185点のアルバムがある。マカノヴィツキーとのベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタは全曲録音があり、これはその中の一枚。
 
33CDR-3558
\1429+税
ジョー・スタッフォード/スコットランドの歌
 (ロバート・バーンズ詩/アルトン・リンカー曲)
 わたしの心はハイランドにある
 ジョン・アンダーソン私の好きな人
 アフトン川 FLOW GENTLY, SWEET AFTON
 ドゥーンの川岸
 モーリズ・ミーク、モーリズ・スウィート
 故郷の空(ライ麦畑を通ってきて)
 真っ赤な真っ赤なバラ
 緑にのびゆく灯心草
 アニー・ローリー ANNIE LAURIE
 私のジーン
 遠くのいとしい若者
 蛍の光(遙かな遠い昔)
  米 COLUMBIA CL 1043(Mono)
  (1953年3月17日(a)&7月10日(b), 1956年5月3日(c)録音)
ジョー・スタッフォード(ヴォーカル)
ポール・ウェストン楽団
 スコットランドの国民詩人ロバート・バーンズ(1759-1796)の詩を歌った心あたたまるアルバム。
 バーンズはモーツァルト(1756-1791)とほぼ同年代に生き37歳で世を去った。一方モーツァルトは35歳で死去し、二人とも没後200年以上経った現在でも多くのファンをもっている。
 古くから歌いつがれている「故郷の空」「アニー・ローリー」「蛍の光」の3曲以外は  アルトン・リンカー(1907-1982)が作曲した。リンカーはハイスクール時代にビング・クロスビー(1903-1977)とバンドを結成した。ヴォーカリストのジョー・スタッフォード(1917-2008)は格調の高い歌唱で知られている。
 夫君はバンドリーダーで作曲家、アレンジャーのポール・ウェストン(1912-1996)。このアルバムの3曲でミッチ・ミラー(1911-2010)のオーボエが聴ける。
 ジョー・スタッフォードとポール・ウェストンはこのシリーズで「テネシー・ワルツ」(78CDR-3280)、「リパブリック讃歌」(78CDR-3399)、「JO+JAZZ」(33CDR-3459)、「クリスマス・ソング集」(78CDR-3468)、「ハッピー・ホリデイ」(33CDR-3524)が出ている。

<2015年4月10日紹介新譜>

33CDR-3549
\1429+税
ショパン:24の前奏曲作品28
 英 COLUMBIA 9568/71
  (1928年5月5日パリ録音)
ロベール・ロルタ(ピアノ)
 ロベール・ロルタ(1885-1938)はフランスのピアニスト。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)に師事し1901年に一等賞を得た。
 同門のピアニストにエドゥアール・リスレル(1873-1929)、アルフレッド・コルトー(1877-1952)、ロベール・カザドシュ(1899-1972)などがいる。ロルタはショパンとフォーレの作品を得意とし、特にショパンは1912年にエコセーズ、ロンド、遺作のマズルカとポロネーズ数曲を除く全作品を6回のリサイタルで演奏した記録がある。ロルタの録音は1928年にこの「24の前奏曲」、「ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調」と1931年の「前奏曲作品10&25」を残したのみで忘れられた存在。そのSPレコードは稀少盤になっている。コルトーのショパンと聴きくらべると違ったフランスの香りが楽しめる。
 
78CDR-3550
\1429+税
シューベルト:ピアノ・ソナタ第20番イ長調 D.959
 英 HMV DB8322/6
  (1937年1月14-15日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
アルトゥール・シュナーベル(ピアノ)
 アルトゥール・シュナーベル(1882-1951)はポーランドのリプニク(旧オーストリア領)に生まれた。1889年7歳でウィーン音楽院に入り、1891年から1897年に名教授テオドール・レシェティツキ(1830-1915)に師事した。1901年にベルリンにデビュー、1933年までこの地を本拠にした。その間演奏活動の傍らベルリン高等音楽院で教え、弟子にクリフォード・カーゾン(1907-1982)、ペーテル・フランクル(1935-)などがいる。またカール・フレッシュ(1873-1944)、パブロ・カザルス(1876-1973)、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)、パウル・ヒンデミット(1895-1963)、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)との室内楽演奏はベルリンの呼び物だった。
 その後1932年から34年にはロンドンに居を構え、1939年にアメリカに移住した。大戦後はスイスに住んで演奏会や録音に活躍した。シュナーベルはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第21番ハ長調 K.467(78CDR-3387)が出ている。
 
78CDR-3551
\1429+税
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第8番イ短調 K.310(300d)
 英 COLUMBIA LX8788/9
 (1950年7月9日スイス、ジュネーヴ放送局第2スタジオ録音)
ディヌ・リパッティ(ピアノ)
 ディヌ・リパッティ(1917-1950)はルーマニアのブカレスト生まれ。母親はピアニスト、父親はサラサーテ(1844-1908)やカール・フレッシュ(1873-1944)に学んだヴァイオリニストで、洗礼立会人は大ヴァイオリニストのジョルジュ・エネスコ(1881-1955)だった。ブカレスト音楽学校で学費免除の特待生で入学が許された。1934年のウィーン国際コンクールで2等賞になったが、この時、審査席にいたアルフレッド・コルトー(1877-1962)は結果に異議を申し立て審査員を辞職した。
 その後リパッティはパリでコルトーとイヴォンヌ・ルフェビュール(1898-1986)に師事、シャルル・ミュンシュ(1891-1968)は指揮法を教えた。また作曲をナディア・ブーランジェ(1887-1979)とイーゴル・ストラヴィンスキー(1882-1971)に学んだ。リパッティは1950年12月2日ジュネーヴで悪性リンパ腫のため33歳で没した。このシリーズでショパン:ワルツ集(全14曲)(78CDR-3375)が出ている。
 
78CDR-3552
\1429+税
クリスチャン・バッハ(アンリ・カザドシュ編曲):チェロ協奏曲ハ短調
ヴィヴァルディ(マレシャル編):チェロ協奏曲ニ長調作品 3-9
ショパン(ポッパー編):ノクターン変ホ長調作品 9-2
リスト(マレシャル編):愛の夢
 仏 COLUMBIA LFX774/5、LFX62、LFX319
 (録音:1948年1月27日=クリスチャン・バッハ、
 1929年6月28日=ヴィヴァルディ、
 1933年5月=ショパン&リスト)
モーリス・マレシャル(チェロ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団(協奏曲)
モーリス・フォール(ピアノ)
 ヨハン・クリスチャン・バッハ(1735-1782)はヨハン・セバスチャン・バッハ(1685-1750)の末弟。若い時代のモーツァルト(1756-1791)に多くの影響を与えた。このチェロ協奏曲は後に編曲者のアンリ・カザドシュ(1879-1947)による贋作であることが判明した。
 ピアニスト、ロベール・カザドシュ(1899-1972)はアンリ・カザドシュの甥にあたる。モーリス・マレシャル(1892-1964)はフランスの名チェリスト。パリ音楽院に学び1911年に一等賞を得た。1919年にコンセール・ラムルーにソリストとしてデビュー、以来世界中を楽旅し、日本にも来訪した。指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。パリの名オーケストラの指揮者をつとめて活躍した。
 
33CDR-3553
\1429+税
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ集作品1
 ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 ヴァイオリン・ソナタ第5番イ長調作品1-14
 ヴァイオリン・ソナタ第3番ヘ長調作品1-12
 ヴァイオリン・ソナタ第6番ホ長調作品1-15
 ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調作品1-3
 ヴァイオリン・ソナタ第2番ト短調作品1-10
  米 WESTMINSTER XWN18872/4
   (1958年10月&1959年2月録音)
ジュリアン・オレフスキー(ヴァイオリン)
ファルナンド・バレンティ(ハープシコード)
マーティン・オーマンディ(チェロ)
 ヴァイオリンのジュリアン・オレフスキー(1926-1985)はドイツ生まれ。1935年に家族と共にアルゼンチンのブエノスアイレスに移住、ヴァイオリニストとしての研鑽を積んだ。1947年にアメリカに移り、1949年にニューヨークのタウンホールでデビュー、1950年にカーネギーホールで4回のリサイタルを行った。1959年に来日したこともある。
 演奏家として活躍すると同時にマサチューセッツ大学で後進の指導にあたった。59歳の時に心臓麻痺で他界した。フェルナンド・バレンティは1950年にプラドのカザルスフェスティヴァルに出演したハープシコード奏者。マーティン・オーマンディはブダペスト王立アカデミー出身のチェロ奏者。録音当時ニューヨーク・フィルのメンバーだった。
 このアルバムはヘンデルの作品1の15曲のソナタ集からヴァイオリンのために書かれた6曲を収録したもの。オレフスキーはこのシリーズでブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調(33CDR-3312)が出ている。


<2015年3月6日紹介新譜>

33CDR-3544
\1429+税
ブルッフ:
 ヴァイオリン協奏曲第1番ト短調作品26
 コル・ニドライ(ヘブライの旋律)作品47
  米 REMINGTON R-199-127
  (1952年11月11-12日ウィーン録音)
  (第3楽章58秒から1分3秒に音がかすれる部分があります)
ミシェル・オークレール(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・ロイブナー指揮
オーストリア交響楽団
 ミシェル・オークレール(1924-2005)はフランスの女流ヴァイオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1887-1962)に師事し一等賞を得て卒業。1943年19歳の時にロン=ティボー国際コンクールで優勝し、ティボーの指揮でハイドン:ヴァイオリン協奏曲第1番ハ長調でレコード・デビューした(78CDR-3011)。1950年代初頭に新興レコード会社米REMINGTONに数枚のLP録音を残した。
 ステレオ時代にはエラートやフィリップスに珠玉の名録音がある。オークレールは1960年代の半ばに左手の故障で現役を引退したが母校のパリ音楽院で教鞭をとり、また日本の桐朋学園の招聘でマスタークラス(1977年)を開いた。
 指揮者のヴィルヘルム・ロイブナー(1909-1971)はウィーン生まれ。1957年-1959年にNHK交響楽団の常任指揮者をつとめた。オーストリア交響楽団の実体はウィーン・トンキュンストラー・オーケストラである。
 
33CDR-3545
\1429+税
ベートーヴェン:
 ピアノ・ソナタ第29番変ロ長調作品106 「ハンマークラヴィーア」
  英 VOX PL6750
   (1950年7月5-6日録音)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
 ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれ、99歳までコンサート・ステージで活躍していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師テオドール・レシェティツキ(1830-1915)の指導を受けた。
 1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。
 このシリーズではカザルスとのベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3034)、ショパン:ピアノ協奏曲第1番(33CDR-3372)、ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲(33CDR-3535)が出ている。
 
33CDR-3546
\1429+税
J.S.バッハ:
 無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007
 無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調 BWV1008
 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
  独BARENREITER-MUSICAPHON BM 30 L 1057/8A
  (1960年9月=BWV1007 & BWV1008、
   1961年6月=BWV1009ハンブルグ録音)
アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ)
 
33CDR-3547
\1429+税
J.S.バッハ:
 無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調 BWV1010
 無伴奏チェロ組曲第5番ハ短調 BWV1011
 無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調 BWV1012
  独BARENREITER-MUSICAPHON BM 30 L 1058B/9
  (1961年6月=BWV1010、
   1960年9月=BWV1011 & BWV1012ハンブルグ録音)
アウグスト・ヴェンツィンガー(チェロ)
 アウグスト・ヴェンツィンガー(1905-1996)はスイス出身のチェロ、ヴィオラ・ダ・ガンパ奏者、指揮者。バーゼルに生まれ、生地の音楽院で音楽理論をベルリンで大チェリスト、エマヌエル・フォイアマン(1902-1942)の個人レッスンを受けた。
 1929年から1934年までブレーメンのオーケストラの首席をつとめた。また1925年からヴィオラ・ダ・ガンパの研究を始め、1930年にフルート奏者のグスタフ・シェックと古楽器の演奏団体を結成、また1933年にはカペル・カンマームジークという名の古楽器集団を立ち上げたが、政治的な圧力で解散、スイスに帰りバーゼル・スコラ・カントルムのヴィオラ・ダ・ガンパ教授をつとめた。指揮者としても活躍し、1958年から1966年までハノーファーで定期的にバロック・オペラの上演を手掛けていた。
 このバッハの無伴奏チェロ組曲全6曲は、自身が校訂して出版(ベーレンライター版)に合わせて録音されたもので、楽譜は現在でも流布しているが、この録音はまったく忘れ去られていたもので初CD化である。
 
78CDR-3548
\1429+税
ダイナとデート/ダイナ・ショア
 あなたはしっかり私のもの
 デキシー
 愛さないではいられない
 ケリー・ダンス
 スリル・イズ・ゴーン
 アフター・アイ・セイ・アイム・ソーリー
 ゼアル・ビー・サム・チェンジズ・メイド
 ゼイ・ディドント・ビリーブ・ミー
  米 COLUMBIA C125(Set) 1946年録音
ダイナ・ショア DINAH SHORE(vo)
モーリス・ストロフ楽団と合唱団
Orchestra and Chorus under the direction of MORRIS STOLOFF
 ダイナ・ショア(1916-1994)はアメリカのポップス・シンガー。テネシー州ウィンチェスターの生まれ。大学時代に地元のラジオ局に歌手として出演していた。
 大学卒業後ニューヨークに出てプロの歌手を目指し、WNEW局にフランク・シナトラと出演したこともある。BLUEBIRDレーベルにザヴィア・クガート楽団と「そよ風と私」を録音して歌手としての第1歩を踏み出した。
 これは1946年にCOLUMBIAから発売された4枚組のアルバム・セット。美声でエレガントな歌い回しが聴き手を魅了する。このシリーズでボタンとリボン-ダイナ・ショアSP録音集(78CDR-3400)が出ている。


<2015年2月6日紹介新譜>

33CDR-3539
\1429+税
ローラ・ボベスコ-ヴァイオリンの黄金時代(ステレオ録音)
 ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 ルクレール:ヴァイオリン・ソナタニ長調作品9-3
 ヴェラチーニ:ヴァイオリン・ソナタホ短調作品2-8
 タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト短調作品1-10「捨てられたディドーネ」
 ベルギーALPHA CL4008(Stereo)
 (1965年録音)
ローラ・ボベスコ(ヴァイオリン)
ジャック・ジャンティ(ピアノ)
 ローラ・ボベスコ(1921-2003)はルーマニア出身の女流ヴィオリン奏者。パリ音楽院で名教授ジュール・ブーシュリ(1877-1962)のクラスに入り、1934年13歳で一等賞を得、同年ポール・パレー指揮コンロンヌ管弦楽団でデビューした。1937年ブリュッセルのイザイ国際コンクールで入賞し、以降ソリストとして活躍する一方ブリュッセル音楽院の教授もつとめた。
 レコード録音は21歳の1942年にラロ:スペイン交響曲(78CDR-3139)が最初。この録音はステレオ時代になってからものでボベスコの名を日本に広めたレコードだった。ピアノのジャック・ジャンティはパリ音楽院出身。1948年にボベスコと結婚(後に離婚)、伴奏者として活躍した。1981年9月にボベスコとジャンティは日本のフィリップスにLP5枚を録音し、世界の注目を集めた。
 
33CDR-3540
\1429+税
モーツァルト:
 フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299
 ディヴェルティメント第11番ニ長調 K.251
  仏 DISCOPHILES FRANCAIS DF134
  (1954年11月録音)
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)(1)-(3)
ドーラ・ワグネル(ハープ)(1)-(3)
カール・リテンパルト指揮
ザール室内管弦楽団
 ジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)はフランスのマルセイユ生まれ、音楽院教授だった父親にフルートの手ほどき受けた。医学ををめざしたが大戦のため1943年にパリ音楽院のフルート科に入りわずか5カ月で一等賞を得た。音楽院ではガストン・クリュネルに師事した。1946年にヴィシー・オペラ管弦楽団のメンバーになり、1947年にジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を開始した。
 1956年からパリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者となり、1962年退団後はフランス最高のフルート奏者として活躍した。このフルートとハープのための協奏曲はランパルにとって記念すべきこの曲の初録音で、それまで存在があまり知られていなかったもの。
 指揮者のカール・リステンパルト(1900-1967)はドイツのキール生まれ。1954年から1967年の間に手兵のザール室内管弦楽団と169枚のLP録音をした。この盤はその最初期の一枚。
 
78CDR-3541
\1429+税
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414
 米COLUMBIA 71495/7(英COLUMBIA LX894/6と同一録音)
 (1940年1月12日、3月26日、5月10日ロンドン、
  アビー・ロードEMI第1スタジオ録音)
ルイス・ケントナー(ピアノ)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 ルイス・ケントナー(1905-1987)はシレジアのカルウィン(現チェコ共和国カルヴィーナ)にハンガリー国籍の両親のもとに生まれた。1911-1922年にブダペスト音楽アカデミーでピアノをアントン・セーケイ、室内楽をレオ・ワイネル、作曲をゾルタン・コダーイに学んだ。15歳でコンサー・ピアニストとして活躍を始め、1935年にイギリス国籍を得た。1933年にバルトークのピアノ協奏曲第2番を作曲者の要請でオッー・クレンペラーの指揮のもとで初演。ピアノ協奏曲第3番をエイドリアン・ボールトの指揮でヨーロッパ初演をロンドンで行った。
 また義兄にあたるユーディ・メニューイン(1916-1999)とウォルトン(1902-1983)のヴァイオリン・ソナタを1949年9月30日にチューリッヒで初演した。指揮者のサー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)は英国で最も尊敬された指揮者。1932年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織し、1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を作った。
 ビーチャムの指揮するモーツァルトはSP時代最も権威あものとして欧米では受け入れられた。
 
78CDR-3542
\1429+税
ショパン:ピアノ協奏曲第1番ホ短調作品11
 独 POLYDOR 66753/6
  (1928年ベルリン高等音楽院録音)
アレクサンダー・ブライロフスキー(ピアノ)
ユリウス・プリューヴァー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 アレクサンダー・ブライロフスキー(1896-1976)はウクライナのキエフ生まれ、8歳でピアノをはじめ18歳でキエフ音楽院に入り、1911年ゴールド・メダルを得て卒業。その後ウィーンでテオドール・レシェティツキ(1830-1915)についてさらに研鑽を積んだ。
 さらにチューリッヒでフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)に、最後にフランスでフランシス・プランテ(1839-1934)についた。1926年にフランスの市民権を得た。ブライロフスキーはショパンの全160のピアノ作品を6回のコンサートで演奏する歴史上初の快挙をうちたて、その一部では作曲者ショパンの所持したピアノを演奏した。
 この協奏曲録音はブライロフスキーの初録音の一つ(他にリスト:ピアノ協奏曲第1番がある)で、輝かしい豪快な指さばきは師のブゾーニやプランテを思わせるもので、後年の録音とは一線を画す見事なもの。ユリウス・プリューヴァー(1874-1943)はドイツの指揮者。ドイツ・ポリドールにシューベルト:交響曲第8番「未完成」ほかシュトラウス:ワルツ集などがあった。
  
78CDR-3543
\1429+税
ドビュッシー:
 ヴァイオリン・ソナタト短調
 月の光(ローレンス編)
  米 COLUMBIA 71592/3(Set X-MX-242)
   (1941年11月26日録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
アンドール・フォルデス(ピアノ)
 ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽アカデミーでイェノ・フバイ(1858-1937)に師事し、13歳でデビューした。1907年から1913年に英国に住み、ピアニストのマイラ・ヘス(1890-1965)やフェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)らとのソナタ演奏から大きな音楽的影響を受け、その後ヨーロッパ大陸に戻り、1917年から1924年スイスのジュネーヴ音楽院で教えた。第2次世界大戦前の1932年と翌1933年に来日した。
 アンドール・フォルデス(1913-1992)はハンガリー出身のピアニスト。フランツ・リスト音楽院でエルンスト・フォン・ドホナーニ(1877-1960)の薫陶をうけ1933年にリスト国際音楽コンクールでリスト賞を得たが、第2次世界大戦の影響でアメリカに亡命した。

<2015年1月30日紹介新譜>

33CDR-3534
\1429+税
モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調 K.364
 英 BRUNSWICK AXTL1018(Mono)(DG LPE 17 124 と同一録音)
  (1951年12月5日録音)
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
リリアン・フックス(ヴィオラ)
ジンブラー・シンフォニエッタ
 ヴァイオリンのジョセフ・フックス(1899-1997)はニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院の前進であるニューヨーク・インスティテュート・オブ・ミュージカル・アートでルーマニア出身のヴァイオリニストで弦楽四重奏団のリーダー、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に師事した。
 フックスはクリーヴランド管弦楽団のコンサート・マスターを1926-1940年までつとめ、その後ソリストとして活躍、1953-54年にはプラドのカザルス音楽祭にも参加した。1946年にジュリアード音楽院のヴァイオリン科教授に就任、没年まで50年以上その地位にあった。ヴィオラのリリアン・フックス(1901-1995)は実妹。最初ピアノを、後にヴァイオリンを学び1926年にニューヨーク・デビューしたが、師のクナイゼルの勧めでヴィオラに転向し、生涯ソリスト、名教師として活躍した。
 ジョセフとリリアン兄妹によるモーツァルトの協奏交響曲 K.364の正規録音は3種類あり、これはその最初のもの。このシリーズでジョセフ・フックスによるベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲(33CDR-3489/91)が出ている。
  
33CDR-3535
\1429+税
ベートーヴェン:ディアベリ変奏曲作品120
 英 VOX PL7730
 (1952年5月13日録音)
ミエツィスワフ・ホルショフスキ(ピアノ)
 ミエツィスワフ・ホルショフスキ(1892-1993)はポーランド生まれのピアニスト。99歳までコンサート・ステージで活躍していた。母親はショパンの直弟子カール・ミクリ(1819-1897)に学んだピアニスト。4歳の頃から神童といわれ、1899年にウィーンに移り住み、名教師レシェティツキの指導を受けた。
 1930年代にカザルスがHMVに録音したベートーヴェン:チェロ・ソナタ集(第3番は除く)のピアニストをつとめた。第2次世界大戦中にアメリカに移住、フィラデルフィアのカーティス音楽院で後進の指導にあたる一方、室内楽奏者としての録音が多い。このシリーズでカザルスとのベートーヴェン:チェロ・ソナタ第1番(78CDR-3221)、第2番(78CDR-3084)とショパン:ピアノ協奏曲第1番作品11(33CDR-3372)が出ている。
  
78CDR-3536
\1429+税
モーツァルト:
 セレナード第11番変ホ長調 K.375 (8本の管楽器のための)
  仏 DISCOPHILE FRANCAIS 45/8A
  (1946年2月20-22日パリ録音)
モーリス・エヴィット指揮
管楽アンサンブル
 
78CDR-3537
\1429+税
モーツァルト:
 セレナード第12番ハ短調 K.388「夜曲」(8本の管楽器のための)
  仏 DISCOPHILE FRANCAIS 48B/50
  (1946年2月20-22日パリ録音)
モーリス・エヴィット指揮
管楽アンサンブル
 指揮者のモーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。パリ音楽院の室内楽科を卒業後1904年にトゥーレ四重奏団に入り、さらにサイレ四重奏団、ドルソン四重奏団のメンバーを経て、1909にカペー弦楽四重奏団に第2ヴァイオリン奏者として入団、1914-1919年の5年間を除き1928年まで在籍した。
 1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急死でエヴィット四重奏団(1828-30)の名前で引き継いだ。その後アメリカに渡りクリーヴランド四重奏団を結成した(1930-34)。フランスに戻り新エヴィット四重奏団(1935-39、1946-49)を作った。
 エヴィットは1934年にフォンテーヌブローのアメリカ音楽院の室内楽科教授に就任、1942-55年にはパリ音楽院の室内楽科の教授もつとめた。1939年にエヴィット室内管弦楽団をつくりコンサートやレコーディングで活躍した。このシリーズでJ.S.バッハ:管弦楽組曲全曲(33CDR-3509/10)が出ている。
 
78CDR-3538
\1429+税
ベニー・グッドマン&ペギー・リー
 (1)サニー・サイド
 (2)いつかどこかで
 (3)今宵の君は
 (4)ウィンター・ウェザー
 (5)サムバディ・ノーバディ・ラヴズ
 (6)マイ・リトル・カズン
 (7)ノット・マイン
 (8)レッツ・ドゥ・イット
  米 COLUMBIA C170(Set) 1941-42年録音
ペギー・リー (vo)(1)-(8)
アート・ロンドン(vo)(4)
ベニー・グッドマン六重奏団(1)-(3)
ベニー・グッドマン楽団(4)-(8)
 ペギー・リー(1920-2002)の初録音はこのベニー・グッドマン(1909-1986)との共演だった。21-22歳の時である。ペギー・リーはノースダコタ州の出身。1941年にベニー・グッドマン楽団に歌手として入団し、2年間つとめた。1944年に新興のキャピトル・レコードに移り、1952-56年にはデッカで活躍したが、またキャピトルに戻った。
 ベニー・グッドマンはシカゴ生まれ、クラリネットを習得し11歳でデビュー。1923年にコルネット奏者のビックス・バイダーベックと共演、1925年にベン・ポラック楽団に入った。1928にニューヨークに移り、1932年に自身の楽団を結成し、NBC放送にレギュラー出演し一躍スターになった。
 1938年にカーネギー・ホールで初のジャズ・コンサートを開きキング・オブ・スイングと呼ばれた。ビッグバンドの他に、小編成のトリオ、カルテット、セクスッテットでも活動した。またクラシックのクラリネット奏者としても録音を残している。

<2014年12月19日紹介新譜>

33CDR-3529
\1429+税
モーツァルト:前奏曲アダージョとフーガ(K.404a)
 (1)アダージョ第1番ニ短調
 (2)フーガ第1番ニ短調
  (J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 853の弦楽三重奏のための編曲)
 (3)アダージョ第2番ト短調
 (4)フーガ第2番ト短調
  (J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 883の弦楽三重奏のための編曲)
 (5)アダージョ第3番ヘ長調
 (6)フーガ第3番ヘ長調
  (J.S.バッハ:平均律クラヴィア BWV 882の弦楽三重奏のための編曲)
 (7)アダージョ第6番ヘ短調
 (8)フーガ第6番ヘ短調
  (W.F.バッハ:フーガ第8番の弦楽三重奏のための編曲)
  米 HAYDN SOCIETY HSL-108 (XTV21762-1A)(Mono)
  (1951年パリ録音)
パスキエ弦楽三重奏団
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
エティエンヌ・パスキエ(チェロ)
 パスキエ弦楽三重奏団は1927年パスキエ三兄弟によって結成された。長兄ピエール・パスキエ(1902-1986)はパリ音楽院でヴィオラをモーリス・ヴュー(1884-1951)に師事し一等賞を得た。次兄ジャン・パスキエ(1903-)と末弟エティエンヌ・パスキエ(1905-1997)による三重奏団のために、数多くのフランスの作曲家が作品を書いた。
 このバッハの作品によるアダージョとフーガはJ.S.バッハ、W.F.バッハの作品の編曲。パスキエ三重奏団はこのシリーズでモーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調 K.563(78CDR-3487)とヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲 K.423 & K.424(78CDR-3512)が出ている。
 
33CDR-3530
\1429+税
モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453
 米 VOX PL6720
 (1950年10月16日パリ録音)
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
プロ・ムジカ管弦楽団
 ピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)はマルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事、16歳で一等賞を得た。1921年にピアニスト、ロベール・カザドシュ(1977-1972)と結婚しデュオでの演奏会やレコード録音も多かった。
 指揮者のウジェーヌ・ビゴー(1888-1965)はパリ音楽院出身。シャンゼリゼ劇場の指揮者を経て、パリ音楽院管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、オペラ・コミックの指揮者を歴任、母校パリ音楽院の指揮科の教授もつとめた。ギャビー・カザドシュとウジェーヌ・ビゴーはこのシリーズでモーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503(33CDR-3445)が出ている。
 
78CDR-3531
\1429+税
未発表テイクによる
モーツァルト:ヴァイリン協奏曲第3番ト長調 K.216
 (カデンツァ:エネスコ)
 (1)第1楽章(Part 1)
 (2)第1楽章(Part 2)
 (3)第2楽章(Part 1)
 (4)第2楽章(Part 2)-
 第3楽章(Part 1)
 (5)第3楽章(Part 2)
ボーナストラック(未発表テイク)(UNPUBLISHED TAKES)
 (6)第2楽章(Part 2)-第3楽章(Part 1)
 (7)第3楽章(Part 2)
  仏 PATHE PAT127/9
  (1937年6 月3-4 日パリ録音)
ドニーズ・ソリアノ(ヴァイオリン)
ジュール・ブーシュリ指揮管弦楽団
 78CDR-3031で発売されたこの曲の未発売原盤発見! トラック(1)以外はすべて未発売原盤によった。さらにトラック(6)と(7)は別の未発売テイクを収録した。
 この原盤は片面の白レーベル、テストプレス盤で録音後演奏者に聴かせてどのテイクを発売するかを決めてもらう目的で製作されたレコード。録音後77年を経て発見されたのは奇跡と言える。是非78CDR-3031と聴き比べでいだきたい。
 
78CDR-3532
\1429+税
モーツァルト:ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 K.449
 (カデンツァ:モーツァルト)
  米 RCA VICTOR 15912/4 (英HMV DB3690/2と同一録音)
  (1938年10月11日ロンドン、アビー・ロードEMI 第1スタジオ録音)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
アドルフ・ブッシュ指揮
ブッシュ・チェンバー・プレイヤーズ
 ルドルフ・ゼルキン(1903-1991)はボヘミア出身のピアニスト。幼少の頃ウィーンに移りピアノと作曲を学んだ。
 1920年、17歳でヴァイオリニストのアドルフ・ブッシュ(1891-1952)のピアニストに なり、ヨーロッパ各地で演奏活動を行った。この縁でブッシュの娘イレーネと結婚した。
 1939年ゼルキンはナチスのユダヤ人迫害を避けてアメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代の最後のもの。このシリーズでブッシュ=ゼルキンのデュオは多数出ている。
 
78CDR-3533
\1429+税
モーツァルト:
 セレナード第13番ト長調 K.525「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
 弦楽四重奏曲第23番ヘ長調 K.590「プロシャ王第3番」
  英 COLUMBIA L1729/30(K.525)(1926年2月19日 & 1927年3月3日録音)
  英 COLUMBIA LX808/10(K.590)(1939年2月8日録音)
レナー弦楽四重奏団
イェノ・レナー(第1ヴァイオリン)
ヨーゼフ・スミロヴィッツ(第2ヴァイオリン)
シャーンドル・ロート(ヴィオラ)
イムレ・ハルトマン(チェロ)
 レナー弦楽四重奏団は1918年ハンガリーのブダペストで結成された。メンバー全員がブダペスト音楽院出身で、レナー(1894-1948)、スミロヴィッツ、ロートがイェノ・フバイ(1858-1937)の弟子、チェロのハルトマンがダヴィド・ポッパー(1843-1913)に師事した。
 4人はブダペスト・オペラの楽員だったが、1918年に起こったハンガリー革命を機に弦楽四重奏団を結成した。2年に渡って田舎の村にこもって練習を積んだ後、1920年にウィーンでデビューした。そこに居合わせた作曲家のラヴェル(1875-1937)が演奏に感動し、彼らをパリに招いた。公演はセンセーショナルな成功を収めた。
 その後1922年にロンドン、1929年にはアメリカにデビューした。レコードは機械式録音時代の1922年に、イギリス・コロンビアに録音したのが最初。1927年のベートーヴェン没後100年では、16曲の弦楽四重奏曲中11曲(SPレコード40枚)を録音した。
 なおTrack 3(K.525 第2楽章 Part 2-第3楽章)は1926年2月19日録音(80回転)の原盤が破損したため1927年3月3日録音(78回転)の原盤にさしかえられた。ピッチと音質の偏差が聴き取れるが、ご容赦願いたい。

<2014年12月12日紹介新譜>

33CDR-3524
\1429+税
ジョー・スタッフォード/ハッピー・ホリデイ(クリスマス・アルバム)
 ハッピー・ホリデイ
 ウィンター・ウェザー
 クリスマス・ソング
 雪よ降れ降れ!
 おもちゃの国
 おもちゃの行進
 ジングル・ベル
 ウィンター・ワンダーランド
 クリスマス前夜のこと
 アイ・ワンダー・アズ・アイ・ワンダー
 ベツレヘムの小さな町
 聖しこの夜
 ハッピー・ホリデイ
  米 COLUMBIA CL691(Mono)
  (1955年録音)(Recorded 1955)
ジョー・スタッフォード(vo)
スターライターズ(cho)
ティモシー・ウェストン(vo)
ポール・ウェストン楽団
 ジョー・スタッフォード(1917-2008)がアメリカ・コロンビアに録音したクリスマス・アルバム。曲はクリスマスのベル(鐘)でつながれているメドレー構成のためA,B面以外のトラックは入れていない。豪華な編成の編曲をバックに歌うジョーの声は輝きに満ちていて、聴く者の心を豊かにしてくれる。ウェストン家の長男ティム(当時3歳)の声も聞ける。ジョー・スタッフォード・ファンは必携盤。このシリーズで他にテネシー・ワルツ(78CDR-3280)、リパブリック讃歌(78CDR-3399)、JO+JAZZ(33CDR-3459)、ジョースタッフォード&ゴードン・マックレエ/ クリスマス・ソング(78CDR-3468)が出ている。
   
33CDR-3525
\1429+税
(1)J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲ト短調(arr. Schreck)
 (原曲: クラヴィーア協奏曲第5番ヘ短調 BWV.1056)
  ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
  ジョージ・セル指揮コロンビア交響楽団
  (1954年1月15日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
(2)ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
  ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
  カルロ・ブソッティ(ピアノ)
   (1954年2月23日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
(3)タルティーニ:ヴァイオリン協奏曲ニ短調 D.45(カデンツァ:シゲティ)
  ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
  ジョージ・セル指揮コロンビア交響楽団
   (1954年1月13日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
(4)タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタト長調
  ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
  カルロ・ブソッティ(ピアノ)
   (1954年2月22日ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
 シゲティのモノLPからの復刻。ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ、ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。1940年からアメリカに居を移し活躍、晩年はスイスで後進の指導にあたった。ジョージ・セル(1897-1970)はハンガリー出身。チェコ・フィル(1930-36)、メトロポリタン歌劇場(1942-46)、クリーヴランド管弦楽団(1946-70)の指揮者をつとめた。
 カルロ・ブソッティ(1922-2002)はイタリアのフィレンツェ生まれ。大戦後アメリカで活躍した。シゲティのヘンデルは1937年のSP録音(ピアノ:マガロフ)はよく知られているが、このLP録音は早期に廃盤になったためほとんど知られていなかった。
 
78CDR-3526
\1429+税
シューマン:詩人の恋 作品48(ハイネ詞)
 仏 DISQUE GRAMOPHONE DB4987/9
 (1935年6月17-18日パリ録音)
シャルル・パンゼラ(バリトン)
アルフレッド・コルトー(ピアノ)
 シャルル・パンゼラ(1896-1976)はスイスのジュネーヴ生まれのバリトンで、1919年オペラ・コミックでマスネの歌劇「ウェルテル」のアルベール役でデビューした。
 マスネの「マノン」のレスコー役、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」役はあたり役として評判を呼んだ。パンゼラは芸術歌曲の分野でも、才能を発揮しフランス歌曲だけではなく、ドイツ歌曲をも得意とした。
 ピアノのアルフレッド・コルトー(1877-1962)は20世紀最高のフランスのピアニスト。1892年パリ音楽院のルイ・ディエメール(1843-1919)のクラスに入り1896年一等賞を得て卒業した。1917年にパリ音楽院教授、1919年にパリにエコール・ノルマル音楽学校を設立した。この「詩人の恋」は戦前からわが国でも評判をとった名盤で、「ダイレクト・トランスファー」の本領を発揮した高音質で聴ける。
  
78CDR-3527
\1429+税
フォーレ:
 優しい歌 作品61(ポール・ヴェルレーヌ詞)
 幻想の地平線 作品113 (ジャン・ド・ラ・ミルモン詞)
  米 RCA VICTOR 16303/7 (英 HMV DB5020/2 & DB5009 と同一録音)
  (1935年9月30日-10 月1日=優しい歌、
  1936年11月17日=幻想の地平線、パリ、アルベール・スタジオ録音)
シャルル・パンゼラ(バリトン)
マドレーヌ・パンゼラ=バイヨー(ピアノ)
 シャルル・パンゼラ(1896-1976)はスイスのジュネーヴ生まれのバリトンで、1919年オペラ・コミックでマスネの歌劇「ウェルテル」のアルベール役でデビューした。パリ音楽院在学中に当時音楽院長だったガブリエル・フォーレとピアニストのマドレーヌ・バイヨーと出会い、フォーレは1921年8月に作曲した「幻想の地平線」を贈られ、翌年の初演で大成功を収めた。
 バイヨーは生涯パンゼラの伴奏者をつとめただけではなく、結婚してパンゼラ夫人となった。パンゼラは生涯「幻想の地平線」3度録音した。これはその最後のものである。
 
78CDR-3528
\1429+税
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第16番ヘ長調作品135
J.S.バッハ(クレム&ヴァイマール編):コーラル ト長調
 英 HMV C7714/7
 (1946年9月18日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
レーヴェングート弦楽四重奏団
アルフレッド・レーヴェングート(第1ヴァイオリン)
モーリス・フューリ(第2ヴァイオリン)
ロジェ・ロシュ(ヴィオラ)
ピエール・バッスー(チェロ)
 レーヴェングート弦楽四重奏団は1929年に結成された。リーダーのアルフレッド・レヴェングート(1911年生まれ)はパリ音楽院でカペー弦楽四重奏団に在籍したことがあるアンドレ・トゥーレに師事した。その後室内楽をジャン・ロジェ=デュカス(1973-1954)について完成度を高めた。
 この録音は第2次世界大戦直後の録音で、フランスの香り高い名演をくりひろげている。

<2014年10月3日紹介新譜>

33CDR-3519
\1429+税
テイク・ファイヴ/デイヴ・ブルーベック・クァルテット
 (1)テイク・ファイヴ
 (2)スリー・トゥ・ゲット・レディ
 (3)キャシーズ・ワルツ
 (4)トルコ風ブルー・ロンド
 (5)ストレンジ・メドウ・ラーク
 日本コロムビア45PX-3
 (米COLUMBIA CS8192から5曲抜粋)
  1959年6月25日、7月1日&8月18日録音
デイヴ・ブルーベック・クァルテット
デイヴ・ブルーベック(piano)
ポール・デスモンド(alto sax)
ユージン・ライト(bass)
ジョー・モレロ(drums)
 ジャズの名アルバム「タイム・アウト」(米COLUMBIA CS8192)が1967年7月に日本コロムビアから発売された30cm45回転LP45PX-3-Cからの復刻である。
 オリジナルLPから5曲を選び45回転盤にしたことでマスターテープの音を100%音ミゾに収めたと評判だったが、販売権が日本コロムビアからCBSソニーに移行したために幻のオーディオ・ファイル盤になってしまった。
 日本コロムビアの原盤カットはウェストレックス3Dカッターが使用された。復刻にあたっては白レーベルのテストプレス盤とウェストレックスModel10Aカートリッジを使用した。
 
33CDR-3520
\1429+税
ワルツ・フォー・デビイ/ビル・エヴァンス・トリオ(モノ録音)
 (1)マイ・フーリッシュ・ハート
 (2)ワルツ・フォー・デビイ
 (3)デトゥーア・アヘッド
 (4)マイ・ロマンス
 (5)サム・アザー・タイム
 (6)マイルストーンズ
 1961年6月25日ニューヨーク、ヴィレッジ・ヴァンガード、
 ライヴ録音
ビル・エヴァンス/BILL EVANS(piano)
スコット・ラファロ/SCOTT LaFARO(bass)
ポール・モチアン/PAUL MOTIAN(drums)
米 RIVERSIDE RM399(Mono)
ジャズの名録音 "ワルツ・フォー・デビイ" のオリジナルMonoLPからの復刻。音の密度の点からステレオ盤よりモノ盤が優れていることは、聴いた人でなければ判らないが、ここに聴くスコット・ラファロのベースの音はそのことを証明している。
 ラファロはこの録音の11日後に交通事故で他界した。享年35歳だった。復刻にあたってはウェストレックス10Aカートリッジをモノ接続にしている。
 
78CDR-3521
\1429+税
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
 独 ELECTROLA DB3328/32S
 (英 HMV DB3328/32S と同一録音)
 (1937年10月8日、11月3日ベルリン、
  ベートーヴェンザール録音)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)の英HMVへの初めての録音。
 録音はベルリンのベートーヴェンザールから電話線でエレクトローラの原盤カットルームに中継され、そこで原盤が作成された。原盤番号の末尾のTの文字はそれを表している。
 しかしこのTの文字はドイツ以外で発売されたレコードからは削られていた。ドイツ録音はエレクトローラ原盤で聴くと音の厚みや深い奥行き感があるから不思議である。
 フルトヴェングラーとベルリン・フィルのチャイコフスキーの「悲愴」(78CDR-3103)もこのシリーズで出ている。これも独エレクトローラ盤からの復刻である。
 
78CDR-3522
\1429+税
モーツァルト:弦楽四重奏曲第19番ハ長調 K.465「不協和音」
 仏DISQUES GRAMOPHONE DB11120/2
 (1946年5月28-29日、パリ、アルベール・スタジオ録音)
レーヴェングート弦楽四重奏団
アルフレッド・レーヴェングート(第1ヴァイオリン)
モーリス・フューリ(第2ヴァイオリン)
ロジェ・ロシュ(ヴィオラ)
ピエール・バッスー(チェロ)
 レーヴェングート弦楽四重奏団は1929年に結成された。リーダーのアルフレッド・レーヴェングート(1911年生まれ)はパリ音楽院でカペー弦楽四重奏団に在籍したことがあるアンドレ・トゥーレに師事した。その後室内楽をジャン・ロジェ=デュカス(1973-1954)について完成度を高めた。
 この録音は第2次世界大戦直後の録音で、フランスの香り高い名演をくりひろげている。希少SPレコードからの復刻。
 
78CDR-3523
\1429+税
ヒンデミット:弦楽三重奏曲第2番(1933)
 英 COLUMBIA LX311/3
 (1934年1月21日ロンドン、
  アビー・ロードEMI第3スタジオ録音)
シモン・ゴールトベルク(ヴァイオリン)
パウル・ヒンデミット(ヴィオラ)
エマヌエル・フォイアマン(チェロ)
 ヴァイオリンのシモン・ゴールドベルク(1909-1993)はポーランド出身。ベルリンでカール・フレッシュ(1873-1944)に師事し16歳でドレスデン・フィルのコンサート・マスターに就任した。20歳の時フルトヴェングラーの招きでベルリン・フィルのコンサート・マスターになった。1930年にヴィオラ奏者で作曲家のパウル・ヒンデミット(1895-1963)とチェロのエマヌエル・フォイアマン(1902-1942)と弦楽三重奏団を結成した。
 これは既にこのシリーズで出ているベートーヴェン:セレナード作品8(78CDR-3252)と共にこの三重奏団が残した貴重な録音である。

<2014年9月19日紹介新譜>

33CDR-3514
\1429+税
ジャック・ゲステム/ラウル・ゴラ-ヴァイオリン小品集
 (1)ショパン:別れの曲
 (2)ドヴォルザーク:ユモレスク
 (3)ブラームス:子守歌
 (4)ボッケリーニ:メヌエット
 (5)ヘンデル:ラルゴ
 (6)シューベルト:アヴェ・マリア
 (7)マルティーニ:愛の喜び
 (8)シューマン:トロイメライ
 (9)メンデルスゾーン:春の歌
 (10)イラディエル:ラ・パロマ
 (11)ブラームス:ハンガリー舞曲第5番
 (12)ルービンシテイン:ヘ調のメロディ
 (13)リムスキー・コルサコフ:インドの歌
 (14)モーツァルト:メヌエット
 (15)グノー:アヴェ・マリア
 (16)シューベルト:セレナード
 (17)グリーグ:ソルヴェイグの歌
 (18)ショパン / ノクターン第2番
 (19)リュリ:メヌエット
 (20)ブラームス:ワルツ
  仏PHILIPS P76161R & P76172(Mono)
  (Recorded 1958, Paris)
ジャック・ゲステム, violin
ラウル・ゴラ, piano
 ジャック・ゲステムはフランスのヴァイオリニスト。リヨンの音楽院で学んだ後、パリ音楽院で研鑽を積んだ。1970年から1980年にパレナン弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた。
 フランスのPHILIPSに25cmLP3枚のヴァイオリン小品集 "REVERIES"(夢)を録音したほか、ADES社にミヨーの七重奏曲やストラヴィンスキーの弦楽四重奏のための三つの小品を録音していた。
 
33CDR-3515
\1429+税
シューベルト:
 幻想曲ハ長調作品159 D.934
 ヴァイオリン・ソナタイ長調作品162 「デュオ」
 米 MERCURY MG50120(Mono)
 (1956年7月30-31日、ニューヨーク、ファイン・スタジオ録音)
ラファエル・ドルイアン(ヴァイオリン)
ジョン・シムス(ピアノ)
 ラファエル・ドルイアン(1922-2002)はロシア生まれのヴァイオリン奏者。幼少の頃両親はキューバのハバナの移り住んだ。ハバナ・フィルハーモニーの指揮者でヴァイオリニストだったアマデオ・ロルダン(1900-1939)に最初の手ほどきを受け、後にフィラデルフィアのカーティス音楽学校でエフレム・ジンバリスト(1889-1985)のもとで研鑽を積んだ。
 1947年ダラス交響楽団の音楽監督だったアンタル・ドラティ(1906-1988)からコンサートマスターに指名され、1949年にドラティがミネソタ交響楽団に移った時一緒にコンサートマスターとして移籍した。1960年にジョージ・セル(1897-1970)に乞われクリーヴランド管弦楽団のコンサートマスターになり、セルの指揮でモーツァルトの交響協奏曲 K.364やセルのピアノでモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集の録音を残した。
 ピアノのジョン・シムスはカーティス音楽院出身。デイヴィッド・サパートン(1889-1970)とミエツィスワフ・ホルショフスキー(1892-1993)に師事した。
 
78CDR-3516
\1429+税
J.S.バッハ:
 フルートと通奏低音のためのソナタ第5番ホ短調 BWV 1034
 ルクレール:フルート・ソナタホ短調
 ルイ・クープラン(ラクロワ校訂):ファンタジー
  仏 BAM 52/3 (バッハ)
   (1948年4月12日パリ録音)
  仏 BAM 91/2 (ルクレール & ルイ・クープラン)
   (1950年2月7日パリ録音)
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(ハープシコード)
ジャン・ユショー(チェロ)(バッハ)
 フルートのジャン=ピエール・ランパル(1922-2000)はフランスのフルート奏者。
 マルセイユに生まれ父親に手ほどきをうけた。18歳で医科大学に進んだが、第2次世界大戦のさなかの1943年にパリ音楽院に入り、ガストン・クリュネルに師事しわずか5ヶ月で一等賞を得た。1946年ヴィシー歌劇場のメンバーになり、1947年ジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を始めた。1956年にパリ・オペラ座の首席奏者となり1962退団後は世界最高のフルート奏者として君臨した。
 ロベール・ヴェイロン=ラクロワ(1922-1991)はフランスのハープシコード奏者。パリ音楽院でイヴ・ナット(1890-1956)に師事した。ランパルとは40年間にわたって演奏活動をした。1967年から1988年まで母校で教鞭をとった。
 
78CDR-3517
\1429+税
ヴァーレン:ヴァイオリン協奏曲作品37
 ノルウェー HMV DB11908/9
 (1949年録音)
カミラ・ウィックス(ヴァイオリン)
エイフィン・フィエルスタート指揮
オスロ・フィルハーモニー管弦楽団
 カミラ・ウィックス(1928-)はカリフォルニア州ロング・ビーチに生まれた。父親はノルウェー生まれの優れたヴァイオリニスト、教師で、母親は作曲家クサヴィエル・シャルヴェンンカに学んだピアニストだった。
 神童ぶりを発揮し7歳でモーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番をロング・ビーチ市民公会堂で弾いてソロデビューした。その後ジュリアード音楽学校でルイ・パーシンガー(1887-1966)に師事した。卒業後有名指揮者と共演して名声をあげ、ヨーロッパ公演を行い特にスカンジナヴィア諸国で名前が知られるようになった。
 フィンランドの作曲家シベリウスが彼女を称賛し1952年にヴァイオリン協奏曲をCAPITOLレーベルに録音した。ウィックスは北欧の作曲家の作品擁護者で、ここではノルウェーの作曲家ヴァーレン(1887-1952)の作品を取り上げている。
 指揮者のエイフィン・フィエルスタート(1903-1983)はオスロ生まれ、地元の音楽院とライプツィヒでヴァイオリンを専攻し、ベルリンでクレメンス・クラウス(1893-1954)に指揮法を学んだ。グリーグの「ペール・ギュント」組曲がデッカから出ていた。
 
78CDR-3518
\1429+税
チャイコフスキー:交響曲第4番ヘ短調作品36
 英 DECCA AK2272/6 (ffrr録音)
 (1949年6月4-6日パリ、サル・ド・ラ・ミュチュアリテ録音)
エーリヒ・クライバー指揮
パリ音楽院管弦楽団
 エーリヒ・クライバー(1890-1956)はウィーン出身の20世紀前半を代表する指揮者の一人。指揮者のカルロス・クライバー(1930-2004)は息子。プラハ大学で歴史と哲学を学んだが、一方で指揮者への道を目指すようになった。
 プラハ音楽院で指揮法を学び、1911年に指揮者デビュー。1923年にベルリン国立歌劇場の音楽監督に就任した。
 ナチスの台頭でベルリンの職を辞し、1935年に妻と当時5歳のカルロスらとアルゼンチンに移住した。1939年に市民権を取得し、ブエノスアイレスのテアトロ・コロンの首席指揮者に就任した。大戦後ヨーロッパに戻り、イギリス・デッカの専属となり各地の客演指揮者として活躍した。
 この録音はパリ音楽院管弦楽団を指揮したもので、フランスのオーケストラをこれほどみごとに統率しているのは類例がない。ffrr録音も冴えていてSP録音ならではの輝かしいサウンドが聴ける。大指揮者の隠れた名演である。

<2014年8月15日紹介新譜>

78CDR-3504
\1429+税
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
 (カデンツァ:クライスラー)
  英 HMV DB9444S/8
 (1949年8月29-31日、ルツェルン、クンストハウス録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮
ルツェルン祝祭管弦楽団
 大指揮者ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)は1945年のドイツ敗戦後、戦時中のナチス協力を疑われ、1947年4月まで演奏活動が禁止されたが、1947年8月にルツェルン音楽祭に登場した。以降亡くなる1954年まで毎年来演した。
 ソリストのユーディ・メニューイン(1916-1999)はフルトヴェングラーのナチス協力疑惑を晴らす証言で、大指揮者の弁護にあたった。この演奏はLPでも発売されていたためSPレコードの存在がほとんど知られていなかったが、今回の復刻でSPレコードならではの感動的な音楽が蘇った。
 このシリーズで同じ顔合わせのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲(1947年録音)が出ている(78CDR-3136)。
 
78CDR-3505
\1429+税
ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61
 (カデンツァ:クライスラー)
  13140/44-D(Set:MM985)
 (1950年11月5日
  フィラデルフィア、アカデミー・オブ・ミュージック録音)
ジノ・フランチェスカッティ(ヴァイオリン)
ユージン・オーマンディ指揮
フィラデルフィア管弦楽団
米 COLUMBIA
 ジノ・フランチェスカッィ(1902-1991)はフランスの名ヴァイオリニスト。マルセイユに生まれ、ヴァイオリニストの父親とその門下生だった母親の手ほどきを受けて研鑽を積み、5歳でリサイタルを開き10歳でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を公開演奏した。一時法律家を志したが父親の早逝でヴァイオリニストになる決意をし、1924年にパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番でパリ・デビュー、その後ジャック・ティボー(1880-1953)の薫陶を得た。1939年アメリカにデビュー、そのままニューヨークに定住した。
 指揮者のユージン・オーマンディ(1899-1985)はブダペスト生まれ。ブダペスト音楽院で名ヴァイオリニスト、イェネ・フバイ(1858-1937)に師事した。ヴァイオリニストとして活動を始めたが、その後指揮者に転向し、1938年レオポルド・ストコフスキー(1882-1977)の後任としてフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任した。この録音はLP時代に行われたため、SPレコードの存在がほとんど知られていなかった。クライスラー=ブレッヒのこの曲(78CDR-3090)に比肩する名演で、LPでは聴けなかった輝かしいヴァイオリンは見事。
 
78CDR-3506
\1429+税
クライスラー未発表録音集
 (1)ラヴェル:ハバネラ形式の小曲
   (1929年12月16日録音)
 (2)クライスラー:ハバネラ
   (1928年11月30日録音)
 (3)チャイコフスキー:
  カンツォネッタ-
  ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35より
  (1924年1月24日録音)
 (4)ドヴォルザーク:ユモレスク
   (1914年3月31日録音)
フリッツ・クライスラー(ヴァイオリン) (1)-(3)、(ピアノ) (4)
カール・ラムソン(ピアノ) (1)-(3)
米 VICTOR テストプレス(白レーベル)
 フリッツ・クライスラー(1875-1962)がRCA VICTORに録音した未発売演奏を集めたもの。
 録音年代はさまざまで(1)と(2)は電気録音、(3)と(4)はラッパ吹き込み。珍しいのは(4)の「ユモレスク」でクライスラーがピアノを弾いている。
 クライスラー・ファンは必聴盤。
 
33CDR-3507
\1429+税
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
 ソナタ第1番ト短調 BWV1001
 パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
 ソナタ第2番イ短調 BWV1003
 米 CAPITOL PCR-8370
 (1954年3月26 & 31日、
  ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
 
33CDR-3508
\1429+税
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
 パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
 ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
 パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
 米 CAPITOL PCR-8370
 (1954年3月26 & 31日、
  ニューヨーク46丁目、キャピトル・スタジオA録音)
ナタン・ミルシテイン(ヴァイオリン)
 ナタン・ミルシテイン(1904-1992)はロシアのオデッサに生まれ、11歳でサンクトペテルブルク音楽院に入学、名教師レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事した。1929年にアメリカにデビュー、1942にアメリカの市民権を得た。
 ミルシテインは1935年、アメリカ・コロンビアのSPレコードに「無伴奏パルティータ第2番」(78CDR-3080)を録音していた、LP時代になってからのソナタとパルティータ全6曲の第一回目の録音である。このシリーズでは全6曲のLP録音は1948年のジョルジュ・エネスコ(33CDR-3384/5)、1949年録音のアレクサンダー・シュナイダー(33CDR-3307/8)、1952年録音の彎曲弓を使ったロルフ・シュレーダー(33CDR-3412/3)、1955年録音のヘンリク・シェリングの第一回録音(33CDR-3464/5)、1955-6年録音のヨーゼフ・シゲティ(33CDR-3484/5)が出ていてる。聴き較べに興味をそそられる。
33CDR-3509
\1429+税
J.S.バッハ:管弦楽組曲(1)
 組曲第1番ハ長調 BWV 1066
 組曲第2番ロ短調 BWV 1067
仏DISCOPHILES FRANCAIS DF 22
(1952年パリ録音))
ジャン=ピエール・ランパル(フルート)
エヴィット管弦楽団
 フルートのジャン=ピエール・ラナパル(1922-2000)はフランスのフルート奏者。マルセイユに生まれ父親に手ほどきをうけた。18歳で医科大学に進んだが、第2次世界大戦のさなかの1943年にパリ音楽院に入り、ガストン・クリュネルに師事しわずか5ヶ月で一等賞を得た。
 1946年ヴィシー歌劇場のメンバーになり、1947年ジュネーヴ国際コンクールで優勝しソロ活動を始めた。1956年にパリ・オペラ座の首席奏者となり1962退団後は世界最高のフルート奏者として君臨した。モーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。(以下33CDR-3510)
 
33CDR-3510
\1429+税
J.S.バッハ:管弦楽組曲(2)
 組曲第3番ニ長調 BWV 1068
 組曲第4番ニ長調 BWV 1069
仏DISCOPHILES FRANCAIS DF 23
(1952年録音))
エヴィット管弦楽団
 モーリス・エヴィット(1884-1971)はカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリンをつとめた人。パリ音楽院の室内楽科を卒業後1904年にトゥーレ四重奏団に入り、さらにサイレ四重奏団、ドルソン四重奏団のメンバーを経て、1909年にカペー弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者として入団、1914年から1919年の5年間を除き1928年まで在籍した。
 1928年リーダーのリュシアン・カペー(1873-1928)の急死でエヴィット四重奏団(1928-30)の名前で引き継いだ。その後アメリカに渡りクリーヴランド四重奏団を結成した(1930-34)。フランスに戻り新エヴィット四重奏団(1935-39、1946-49)を作った。エヴィットは1934年にフォンテーヌブローのアメリカ音楽院の室内楽科教授に就任、1942年から55年にはパリ音楽院の室内楽科の教授もつとめた。
 1939年にエヴィット室内管弦楽団をつくりコンサートやレコーディングで活躍した。
 
33CDR-3511
\1429+税
シューベルト(カサド編):
 アルペジョーネ・ソナタイ短調(オーケストラ伴奏版)
 英 COLUMBIA LX-1/3
  (1929年3月5日ロンドン録音)
ガスパール・カサド(チェロ)
サー・ハミルトン・ハーティ指揮
管弦楽団
 ガスパール・カサド(1897-1966)は20世紀前半に活躍したチェロ奏者。スペインのバルセロナにに生まれ、7歳でチェロを始め、9歳で公開演奏会で弾いた。
 その時聴衆の中にパブロ・カザルス(1876-1953)がいた縁で、カザルスの指導を受けるようになった。
 演奏家としての活動は第1次世界大戦中にはじまった。1959年に日本人ピアニスト原智恵子(1914-2001)と結婚し話題になった。
 このシューベルトのアルペジオーネ・ソナタをカサドがオーケストラ版に編曲したユニークな作品。原楽譜は智恵子夫人により玉川大学教育博物館の寄贈された。
 指揮者のハミルトン・ハーティ(1879-1941)はアイルランド出身。教会のオルガン奏者だった父親の指導を受け12歳で教会のオルガニストになった。1901年ロンドンに出て大アーティスト達のピアノ伴奏者をつとめ、1920年にハレ管弦楽団の指揮者となり1933年までつとめた。ハーティは1925年に叙勲され、作曲家、編曲者としても活躍した。
 
78CDR-3512
\1429+税
モーツァルト:
 ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第1番ト長調 K.423
 ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番変ロ長調 K.424
 仏 DISCOPHILES FRANCAIS 21/4
  (1942年4月21日パリ録音)
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
 パスキエ弦楽三重奏団の三兄弟の中のピエール・パスキエ(1902-1986)とジャン・パスキエ(1903-)のデュオによるモーツァルト。1927年に兄弟で弦楽三重奏団を結成した長兄のピエールはパリ音楽院でヴィオラをモーリス・ヴュー(1884-1951)に師事し一等賞を得た。
 パスキエ弦楽三重奏団によるモーツァルト:デヴェルティメント変ホ長調 K.563がこのシリーズ(78CDR-3487)で出ている。
 
78CDR-3513
\1429+税
J.S.バッハ:
 ヴァイオリン・ソナタ第1番ロ短調 BWV1014
 ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調 BWV1015
 英 HMV DB9607/8 (第1番)
 英 HMV DB9638/9 (第2番)
  (1951年1月22日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
ルイ・ケントナー(ピアノ)
 ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始めた。ジグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1872-1966)に師事した。1926年10歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビュー、神童として評判を呼んだ。その後パリでジュルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年には12歳で初レコード録音を行った。メニューインのJ.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第3番(ワンダ・ランドフスカ:ハープシコード)(78CDR-3238)がこのシリーズで出ている。


<2014年6月13日紹介新譜>

78CDR-3499
\1429+税
モーツァルト:交響曲第34番ハ長調 K.338
 日VICTOR JD157/8 (独 ELECTROLA EJ607/8と同一録音)
 (1930年9月30日ベルリン録音)
レオ・ブレッヒ指揮
ベルリン国立歌劇場管弦楽団
 レオ・ブレッヒ(1971-1958)はドイツのユダヤ系指揮者。ベルリン高等音楽院でピアノと作曲を修めた後、1893年にアーヘン市立歌劇場の指揮者の地位についた。1899年にプラハ・ドイツ歌劇場に転出、オイゲン・ダルベールの歌劇「低地」を初演した。
 1906年にベルリン宮廷歌劇場(現ベルリン国立歌劇場)の指揮者に任命され、1913年に総監督に昇進、以降シャルロッテンブルク歌劇場(現ベルリン・ドイツ・オペラ)、ベルリン・フォルクスオーパー、ウィーン・フォルクスオーパーの指揮者を歴任。その後ベルリン国立歌劇場に復帰し、1937年までに2846回の公演を指揮した。
 1937にラトヴィアのリガ国立歌劇場の音楽監督に転出、1940年にラトヴィアがソビエト連邦に占拠されると、モスクワやレニングラードに客演して大成功を収め、モスクワ音楽院の院長の地位を要請された。
 ブレッヒはこれを断りリガに戻ったが、1941年にドイツ軍がリガに侵攻したとき、親しかったナチスの文芸部員の仲介で秘密裡にスウェーデンに亡命、かねてから要請されていたストックホルム王立歌劇場の楽長に就任した。戦後の1949年ドイツに帰国、シャルロッテンブルク歌劇場の音楽総監督に就任した。
 ブレッヒは1926-7年にフリッツ・クライスラー(1875-1962)と競演したベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の録音で名前が知られているが、その波瀾の生涯はほとんど知られていなかった。
 
78CDR-3500
\1429+税
モーツァルト:交響曲第38番ニ長調 K.504「プラハ」
 英 DECCA AK1812/4(ffrr 録音)
 (1947年7月4日ジュネーヴ放送局スタジオ録音)
エルネスト・アンセルメ指揮
スイス・ロマンド管弦楽団
 エルネスト・アンセルメ(1883-1969)はスイスのヴヴェイ生まれ。数学者を志したが、1910年指揮者としてデビュー、1915年にジュネーヴ交響楽団の指揮者になり、1923年までディアギレフが率いるロシア・バレエ団の指揮者を務めた。
 1918年にジュネーヴにスイス・ロマンド管弦楽団を設立、1967年まで首席指揮者の地位にあった。アンセルメは近代フランス音楽、ロシア音楽の解釈者として名声をあげ、特にドビュッシーやストラヴィンスキーの作品を得意とした。
 アンセルメはイギリス・デッカのアーティストとして有名だが、デッカ創立以前にオデオン社のSPレコードにモーツァルトの交響曲第40番と第41番「ジュピター」(オーケストラはいずれもスイス・ロマンド管弦楽団)を録音していた。
 デッカ時代にアンセルメが録音したモーツァルトは、この交響曲第38番「プラハ」のSP録音だけだった。明晰で透き通るようなモーツァルトは他の指揮者では聴けない貴重な演奏である。
 
78CDR-3501
\1429+税
モーツァルト:交響曲第39番変ホ長調 K.543
 英 HMV DB2258/60
 (1934年5月21-22日 ロンドン録音)
ブルーノ・ワルター指揮
BBC交響楽団
 ブルーノ・ワルター(1876-1962)は生涯に交響曲第39番 K.543を3回正規録音したが、これは最初のもの。ドイツ出身の大指揮者ワルターはベルリンのシュテルン音楽院を卒業後ピアニストとしてデビュー、後に指揮者に転向した。
 1896年ハンブルク歌劇場で、当時音楽監督だったグースタフ・マーラー(1860-1911)と出会い交友を深めた。その後ウィーン国立歌劇場、バイエルン国立歌劇場、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長、音楽監督を歴任した。1938年オーストリアがナチス・ドイツに併合されと迫害を避けてフランス、スイスを経てアメリカに逃れた。この録音はワルターがウィーン・フィルとレコード・デビューする(1934年10月)する直前イギリスのBBC交響楽団を指揮したもの。同時にブラームス交響曲第4番も録音された。
 SPレコードだが演奏は連続して途切れなく、2台の録音機を交互に回して収録されたことがわかる。上記のブラームスも同様である。おそらくBBC交響楽団の公開演奏会を収録したものと思われる。
 SPレコード一面ごとに演奏をストップする事がないため指揮者は何のプレッシャーもなく演奏に没頭している様が窺える名演奏。ここではSPレコードの各面は収録通りで編集していない。
 
78CDR-3502
\1429+税
モーツァルト:交響曲第40番ト短調 K.550
 米COLUMBIA 69103/5-D
 (英 COLUMBIA LX656/8 と同一録音)
  (1937年2月4日、9月2日&7日ロンドン録音)
サー・トーマス・ビーチャム指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
 サー・トーマス・ビーチャム(1879-1961)はイギリスの指揮者。裕福な家庭に生まれ音楽はほとんど独学だった。1910年家族の財産を背景にコヴェント・ガーデンのメネージメント権を得て、ワーグナーの「ニュルンベルクの名歌手」、R.シュトラウスの「エレクトラ」と「サロメ」の英国初演を自らの指揮で行った。
 1932年にロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を組織、また戦後の1947年にはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団を組織した。ビーチャムの指揮するモーツァルトはSPレコード時代最も権威のあるものとして欧米では受け入れられた。
 このシリーズでも多くの協奏曲を指揮しているが、交響曲は初登場。録音はビーチャムがモーツァルトの「魔笛」をベルリンで指揮した時期にあたる。
 
78CDR-3503
\1429+税
モーツァルト:
 交響曲第41番ハ長調 K.551「ジュピター」
 歌劇「劇場支配人」序曲 K.486
  英 HMV C3884/7
   (1947年3月15日ウィーン録音)
カール・ベーム指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 カール・ベーム(1894-1981)はオーストリアの指揮者。生地のグラーツ大学で法律博士の学位を得る一方、フランツ・シャルクの紹介でブラームスの親友だったオイゼビウス・メンディチェフスキに個人教授で音楽を学んだ。1917年グラーツ市立歌劇場でデビュー、1920年に主任指揮者になった。
 1921年ブルーノ・ワルターの招きでバイエルン国立歌劇場に迎えられた。1927年ダルムシュタット市立歌劇場音楽監督、1931年にハンブルク国立歌劇場音楽監督、1934にドレスデン国立歌劇場総監督に就任。さらに大戦中の1943年ウィーン国立歌劇場の総監督に就任した。
 1945年ドイツ・オーストリアの敗戦により連合軍から演奏活動禁止命令を受けたが、1947年に解除された。その解除直後にHMVがウィーン・フィルを起用して録音したのが、この「ジュピター」交響曲。


<2014年5月16日紹介新譜>

33CDR-3494
\1429+税
パガニーニ:ヴァイオリン協奏曲第1番ニ長調作品6
 米 REMINGTON RLP-149-20
 (1950年9月26-28日、ウィーン録音)
イヴリー・ギトリス(ヴァイオリン)
クルト・ヴェス指揮
オーストリア交響楽団
 ギトリス28歳のデビュー録音! イヴリー・ギトリス(1922- )はイスラエルのハイファに生まれた。両親はユダヤ系ロシア人。5歳からヴァイオリンを始め、10歳で最初のコンサートを開いた。大ヴァイオリニスト、ブロニスワフ・フーベルマン(1882-1947)がギトリスの演奏を聴いてパリ音楽院に入学をすすめた。音楽院では教授のジュール・ブーシュリ(1877-1962)とマルセル・シャイエ(1881-1936)に師事して13歳で一等賞を得た。卒業後ジョルジュ・エネスコやジャック・ティボーにも指導をうけた。
 1939年、第2次大戦の勃発でイギリスに渡り、軍需工場で勤務していたが、後に軍の慰問部隊でヴァイオリンを弾いた。1951年にパリでソロ・デビューした。これは米レミントン社最初期の10インチLPに録音されたギトリスの初ソロ・アルバム。
 指揮者のクルト・ヴェス(1914-1987)はオーストリアの指揮者。1946年-1951年までウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の首席指揮者を、1951年-1954年までNHK交響楽団の首席指揮者をつとめた。
 この録音のオーストリア交響楽団の実体はウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団だと思われる。ギトリスは90歳を越した現在でも精力的に活動を続け、定期的に来日公演をしている。その記念すべき初録音がこのシリーズに加わる意義は大きい。
 
33CDR-3495
\1429+税
ドビュッシー:
 ビリティスの三つの歌(P.ルイス詩)
 (1)パンの笛
 (2)髪
 (3)ナイアードの墓
 忘れられた小歌(ヴェルレーヌ詩)より
 (4)やるせない夢ごこち
 (5)巷に雨の降るごとく
 (6)木陰にて
  仏デュクレテ・トムソン LLP 8718(17cm LP)
   (1952年パリ録音)
古澤淑子(ソプラノ)
アンドレ・コラール(ピアノ)
 ソプラノの古澤淑子は1916年満州の大連に生まれた。ソプラノの荻野綾子に師事して本格的声楽を習い、1937年にパリに留学した。パリでは大歌手でパリ音楽院教授だったクレール・クロワザ(1882-1946)ついて研鑽を積んだ。
 彼女は大戦勃発で帰国勧告をうけたが、パリに留まった。1944年ついに敵国人としてフランスを強制退去を命じられドイツを経てスイスに移り終戦を迎えた。
 戦後はスイス、フランスで活躍し1952年に帰国した。帰国後はフランス歌曲を紹介する「フランス歌曲研究会」主宰した他、後進の指導にも力をそそいだ。
 1975年に再びパリに移住し晩年をその地で過ごした。
 この録音は1952年の帰国直前にパリで録音された。17cmLPという短時間収録だが、SP時代に活躍したクロワザやジャーヌ・バトリ(1877-1970)の名唱と比肩する優れたフランスの香り高い歌唱がきける。
 フランスのレコード会社がフランス歌曲の録音に日本人の古澤淑子を起用したことは、いかに彼女が高い芸術境地に達していたかの証である。一部使用原盤に起因する音のヒズミと雑音がある。
  
78CDR-3496
\1429+税
エレナ・ゲルハルト、ブラームス、シューベルト、ヴォルフを歌う
 ブラームス:ジプシーの歌
 ブラームス(ハイネ詩):死は冷たい夜
 ブラームス(ボヘミア民謡詞):恋人をたずねて
 ブラームス(ケラー詩):テレーゼ
 シューベルト(ハイネ詩):街 -「白鳥の歌」より
 シューベルト(シラー詩):バッカス讃歌
 シューベルト(ザイドル詩):子守歌
 シューベルト(スコット詩):エレンの歌(その2)
 ヴォルフ(ハイゼ詩):月は嘆きながら神様に
 恋人の死を見たいなら - イタリア歌曲集第17番
  英 HMV GR16/21(プライヴェート録音盤)
  (1939年10-11 月ロンドン、
   アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
 ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が第2次世界大戦勃発期に、自費で録音したプライヴェート盤の復刻。
 録音当時ゲルハルトは祖国ドイツを捨ててイギリス国籍を得た直後だった。ゲルハルトは1902年ライプツィヒ音楽院の学生で、学長に就任したアルトゥール・ニキシュ(1855-1922)が彼女がライプツィヒの公衆の前で歌うことを認めた。1903年音楽院を卒業すると多くの演奏会契約が待っていた。
 レコード録音は1907年、ニキシュのピアノで10インチ盤x7枚、12インチ盤x1枚からはじまった。以降レコード録音は機械式録音時代、電気録音時代と多数ある。そのすべてがリートでオペラは歌っていない。ゲルハルトの正規録音は1932年のフーゴ・ヴォルフ協会第1巻の12インチ盤x9枚(19曲)が最後になった。
 それから7年後の1939年にこの10インチ盤x6枚組のアルバムを、さらに大戦後の1947-1948年にシューマン「女の愛と生涯」(12インチ盤3枚組)を同様のプライヴェート盤として制作し、自身の知人やファンに配り、販売はされなかった。
 HMVの白レーベルでアルバムの表紙裏には自筆署名のシールが貼られていた。ピアノのジェラルド・ムーアの起用もあって、56歳のゲルハルトは素晴らしい歌唱を披露している。HMV盤特有のノイズと共に原盤のキズがあるが、声もピアノもゲルハルトの録音中最高。
 
78CDR-3497
※機械式録音盤(電気式以前)の復刻音源
\1429+税
ヘンデル:ヴァイオリン・ソナタ第4番ニ長調作品1-13
 英 HMV E279/30
 (1921年11月21日&1922年1月11日イギリス録音)
イゾルデ・メンゲス(ヴァイオリン)
ピアノ伴奏
 この曲の世界初録音。イゾルデ・メンゲス(1892-1976)は20世紀の前半に活躍したイギリスのヴァイオリン奏者。1910年17歳で名ヴァイオリン教授レオポルド・アウアー(1845-1930)に師事するためにロシアのザンクトペテルブルグに向かった。
 アウアーの元には3年間逗留し教授の最もお気に入りの弟子になった。1913年20歳でロンドンにデビューした。その時のプログラムはチャイコフスキーの協奏曲、ラロのスペイン交響曲に加えて、ベートーヴェンとブラームスのヴァイオリン協奏曲の縮小版だった。
 1916年から1919年には北米公演を行いアメリカのメジャー・オーケストラのほとんどと共演し名声を高めた。
 レコード録音は機械式録音時代に、世界最初の録音になるベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲、バッハの「シャコンヌ」、電気録音初期のベートーヴェン:「クロイツェル・ソナタ」、ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ第2番及び第3番がHMVにあった。
 
78CDR-3498
\1429+税
ハイドン:チェロ協奏曲ニ長調作品101 Hob. VIIb-2
 (カデンツァ: フルニエ)
 蘭 HMV DB9743/5
  (1951年5月26日、
   ロンドン、アビー・ロード、EMI第1スタジオ録音)
ピエール・フルニエ(チェロ)
ラファエル・クーベリック指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 ピエール・フルニエ(1906-1986)はパリ生まれのチェリスト。最初ピアノを習ったが9歳のとき小児麻痺による右足障害のためチェロに転向した。1923年パリ音楽院で一等賞を得て楽壇にデビュー、ヴァイオリンのガブリエル・ブイヨン、ピアノのヴラド・ペルルミュテールとのトリオで注目された。1937年エコール・ノルマル教授、1941から1949年までパリ音楽院教授をつとめた。
 1942年にヴァイオリンのシゲティ、ピアノのシュナーベルとのピアノ・トリオ、ヴィオラのプリムローズを加えてピアノ四重奏で活動、さらに1945年にはカザルスの抜けたカザルス・トリオに加わり、ヴァイオリンのティボー、ピアノのコルトーと演奏活動した。1954年に初来日。その後何度も日本を訪れた。指揮者のラファエル・クーベリック(1914-1996)はチェコの大ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(1880-1940)の長男として生まれた。
 1942年チェコ・フィルの首席指揮者になったが、1948年イギリスに亡命した。1951年シカゴ交響楽団の音楽監督に就任した。
 HMV盤特有のノイズと原盤のキズがあるが、フルニエの典雅な芸術は他に代えがたい。

<2014年4月18日紹介新譜>

33CDR-3489 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調作品12-1
 ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調作品12-2
 ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調作品12-3
 ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調作品23
  米 DECCA DX150(Set)
(1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
 
33CDR-3490 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調作品24「スプリング」
 ヴァイオリン・ソナタ第6番イ長調作品30-1
 ヴァイオリン・ソナタ第7番ハ短調作品30-2
  米 DECCA DX150(Set)
  (1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
 
33CDR-3491 ベートーヴェン:
 ヴァイオリン・ソナタ第8番ト長調作品30-3
 ヴァイオリン・ソナタ第9番イ長調作品47「クロイツェル」
 ヴァイオリン・ソナタ第10番ト長調作品96
  米 DECCA DX150(Set)
  (1952年4月-6月ニューヨーク、ピシアン・テンプル録音)
ジョセフ・フックス(ヴァイオリン)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
 ジョセフ・フックス(1899-1997)はニューヨーク生まれ、ジュリアード音楽院の前進であるニューヨーク・インスティテュート・オブ・ミュージカル・アートでルーマニア出身のヴァイオリニストで弦楽四重奏団のリーダー、フランツ・クナイゼル(1865-1926)に師事した。
 フックスはクリーヴランド管弦楽団のコンサート・マスターを1926-1940年までつとめ、その後ソリストとして活躍、1953-54年にはプラドのカザルス音楽祭にも参加した。1946年にジュリアード音楽院のヴァイオリン科教授に就任、没年まで50年以上その地位にあった。ピアニストのアルテュール・バルサム(1906-1994)はポーランド生まれ。ベルリン高等音楽院でアルトゥール・シュナーベル(1882-1951)に師事し、1930年にメンデルスゾーン賞を得た。
 1932年にヴァイオリンのユーディ・メニューインとアメリカ公演を行い、ナチの台頭でアメリカに移住した。
 バルサムは名伴奏者であると共にソリストとしても活躍。モーツァルトのピアノ曲全集、ハイドンのピアノ曲全集などを残した。後年はイーストマン音楽院、ボストン大学、マンハッタン音楽院で指導にあたり、エマヌエル・アックス、マレイ・ペライア等を輩出した。
 
33CDR-3492 J.S.バッハ:
 2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 BWV.1043
  日COLUMBIA J7435/6
   (1928年7月バイロイト祝祭劇場録音)
アルマ・ローゼン=ヴィテク(ヴァイオリン)
アントン・ヴィテク(ヴァイオリン)
バイロイト祝祭劇場弦楽オーケストラ
 アントン・ヴィテク(1872-1933)はオーストリアのザーツ生まれ。プラハ音楽院でアントニン・ベネヴィッツ(1833-1926)に師事した。ベネヴィッツの弟子にはフランツ・レハール(1870-1948)やヨセフ・スーク(1874-1935)等がいる。ヴィテクは1884年から1909年までベルリン・フィルのコンサート・マスターを務め、1903年には夫人でピアニストのアヴィータ・ヴィテク、後にボストン交響楽団の首席チェロ奏者になったジョセフ・マルキンとピアノ三重奏団を結成した。
 ウィテクはその後ボストンに移住し、1910年10月に当時の首席指揮者だったマックス・フィドラー(1859-1939)の下でコンサート・マスターに就任した。1918年にオーケストラを退団し、ソリスト、教師として活躍した。
 この録音は後妻のアルマ・ローゼンとの共演である。1928年バイロイト祝祭劇場にて楽劇「トリスタンとイゾルデ」(カール・エルメンドルフ指揮)の際に英コロンビアの録音スタッフによって録音されたもの。
 
78CDR-3493 ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタト短調
ラッベ:アリア-シャッス-ミニュエット
 日COLUMBIA JW26/7
 (ベルギーCOLUMBIA DFX198/9 と同一録音)
 (1934年9月25日ベルギー録音)
アルフレッド・デュボワ(ヴァイオリン)
マルセル・マース(ピアノ)
 アルフレッド・デュボワ(1898-1948)はアルテュール・グリュミオー(1921-1975)の師として知られている。ブリュッセル音楽院出身のデュボワは卒業後ウジェーヌ・イザイ(1858-1931)にも師事し、1920年にヴュータン賞を得た。1927年に母校のブリュッセル音楽院教授に就任し、一方ソリストとしても活躍した。ピアニスト、マルセル・マースとのデュオは評判をとった。このシリーズでデュオではフランク:ヴァイオリン・ソナタ(78CDR-3201)、バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第4番、第5番、第6番(78CDR-3451)が、協奏曲ではヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番(78CDR-3013)とモーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第6番 K.268(78CDR-3054)が出ている。
 この第4面に収録されたラッベ(1727-1803)はフランスの作曲家でヴァイオリニスト。正確にはJoseph-Barnabe Saint-Sevin dit L'Abbe le Fils と言い、忘れられた音楽家。

<2014年3月7日紹介新譜>

33CDR-3484 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(1)
 ソナタ第1番ト短調 BWV1001
 パルティータ第1番ロ短調 BWV1002
 ソナタ第2番イ短調 BWV1003
  米 VANGUARD BACH GUILD BG-627/8A
   (1955年10月17-18日BWV1001、
    10月6-7日BWV1002、
    1956年3月1日BWV1003
    ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
  
33CDR-3485 J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ(2)
 パルティータ第2番ニ短調 BWV1004
 ソナタ第3番ハ長調 BWV1005
 パルティータ第3番ホ長調 BWV1006
  米 VANGUARD BACH GUILD BG628B/9
  (1955年10月18-20日BWV1004、
   1956年2月9日&3月1日BWV1005、
   1956年3月2日BWV1006、
   ニューヨーク、30丁目コロンビア・スタジオ録音)
ヨーゼフ・シゲティ(ヴァイオリン)
 レコード史上に輝くシゲティのJ.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータの全曲録音。
 ヨーゼフ・シゲティ(1892-1973)はハンガリー生まれ。ブダペスト音楽院でイェノ・フバイ(1858-1937)に師事した。
 1905年にベルリンで大ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒム(1831-1907)に認められ、1917年から24年スイスのジュネーヴ音楽院で教え、1940年にアメリカに移住した。
 この全曲録音以前のSPレコード時代に、シゲティは無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番ト短調(78CDR-3225)と無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調(78CDR-3041)があった。
 
78CDR-3486 ルクー:ヴァイオリン・ソナタ  ト長調
 日COLUMBIA G33/6
  (1949年頃録音)
巌本真理(ヴァイオリン)
野邊地瓜丸(ピアノ)
 巌本真理(1926-1979)は東京生まれ。6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビュー・リサイタルを開いた。
 1946年から 5年間東京音楽学校教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコ(1881-1955)に師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。帰国後ソロ奏者として活躍する一方、1964年に巌本真理弦楽四重奏団を結成し活躍した。
 ピアノの野邊地瓜丸(1910-1966)(1954年に勝久に改名)は1925年15歳でパリに留学、エコル・ノルマルでラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、アルフレッド・コルトー(1877-1963)にも多大な影響を受けた。帰国後ソリストとして活躍、ショパンやフランスの作品を得意とした。
 1950年代に巌本真理とのリサイタルを多く開いた。
 この録音は大戦後間もなくの録音で、同時期に巌本真理はJ.S.バッハの「シャコンヌ」(78CDR-3200)も録音していた。戦後の物資が不足していた時代のSPレコードで、雑音が著しく多いが、この二人の名演は雑音を打ち破って聴き手を感動させる。
  
78CDR-3487 モーツァルト:ディヴェルティメント変ホ長調 K.563
 仏 PATHE PAT33/4, PAT40/42
 (1935年6月26-27日パリ録音)
パスキエ弦楽三重奏団
ジャン・パスキエ(ヴァイオリン)
ピエール・パスキエ(ヴィオラ)
エティエンヌ・パスキエ(チェロ)
 1927年パスキエ三兄弟によって結成された弦楽三重奏団。数多くのフランスの作曲家がこの三重奏団のために作品を書いた。
 代表作はジャン・フランセ: 弦楽三重奏曲(1934)、ボフスラフ・マルティヌー:弦楽三重奏曲(1935)、アンドレ・ジョリヴェ:弦楽三重奏曲(1938)、ダリユス・ミヨー:弦楽三重奏曲(1947)、フローラン・シュミット:弦楽三重奏曲(1944)、ガブリエル・ピエルネ:弦楽三重奏曲「ジャン=ピエール=エティエンヌ」がある。
 またマルグリット・ロンやジャン=ピエール・ランパル等の著名なソリストと多く共演した。1974年に解散したが、1970年にピエールの二人の息子ブルーノとレジ、チェロのロラン・ピドゥによって新パスキエ三重奏団が出来た。
 この録音はSP時代に日本コロムビアから発売されていて、名演と評価が高かった。
 
78CDR-3488 ドビュッシー:忘れられた小歌(ヴェルレーヌ詩)
 やるせない夢ごこち
 巷に雨の降るごとく
 木陰にて
 木馬
 緑
 憂鬱
  日本コロムビア B177/9(1950年録音)
  COLUMBIA B177/9(Japan)(Recorded 1950)
浅野千鶴子(ソプラノ)
野邊地瓜丸(ピアノ)
 浅野千鶴子(1904-1991)は東京音楽学校で永井郁子に師事し、ネトケ=レーヴェ、長坂好子の指導も受けた。1927年在学中に師の永井郁子と二重唱で「庭の千草」をニッポノフォン(日本コロムビアの前身)に録音した。
 1930年にデビュー、1937年から4年間イタリアに留学した。イタリア歌曲を得意としたが、それ以上にフランス歌曲を得意とし、東京音楽学校で教えるかたわらその普及に努めた。
 ピアニスト野邊地瓜丸(1910-1966)(1954年に勝久に改名)は1925年15歳でパリに留学、エコル・ノルマルでラザール・レヴィ(1882-1964)に師事し、アルフレッド・コルトー(1877-1963)にも多大な影響を受けた。帰国後ソリストとして活躍、ショパンやフランスの作品を得意とした。
 この当時フランス歌曲を原語で録音したことは画期的なことだった。だが当時の日本のックラシック・ファンはジャーヌ・バトリ(1877-1970)やクレール・クロワザ(1882-1946)、ニノン・ヴァラン(1886-1961)のSPレコードでフランス歌曲に親しんでいた証拠と言える。
 このシリーズにあるクロワザ(78CDR-3341)、ヴァラン(78CDR-3299)と聴きくらべてほしい。浅野千鶴子と野邊地瓜丸がいかに優れたフランス音楽の演奏者だったかがわかる。

<2014年2月7日紹介新譜>

33CDR-3479 ベートーヴェンのロマンス - 巌本真理
 (1)ロマンスヘ長調作品50(ベートーヴェン)
 (2)ロマンスト長調作品40(ベートーヴェン)
 (3)思い出(ドルドラ)
 (4)ラールゴ(ヘンデル)
(1960年頃録音/Recorded circa 1960)
巌本真理(ヴァイオリン)
上田 仁指揮
東京交響楽団 (1)-(2)
鷲見五郎(ピアノ)(3)(エレクトーン)(4)
 貴重な巌本真理のステレオ録音集。巌本真理(1926-1979)は東京生まれ。6歳からヴァイオリンを始め、優れた教師であった小野アンナ(1898-1979)に師事した。1937年12歳の時、第6回日本音楽コンクールで第1位。1939年にデビューリサイタルを開いた。1946年から5年間東京音楽学校(現東京芸術大学音楽学部)の教授を務めた後1951年に渡米、ジュリアード音楽院でルイ・パーシンガー(1887-1967)、ジョルジュ・エネスコに師事し、ニューヨークのタウンホールでリサイタルを開いた。1952年に帰国後、ソロ奏者として精力的に活躍する一方、1964年から巌本真理弦楽四重奏団を結成して活躍した。この録音は日本国内で始まったステレオ録音の最初期のもので、ほんとんど忘れられてしまっていたものを掘り出した。「G線上のアリア-巌本真理」(33CDR-3469)と「アヴェ・マリア-巌本真理」(33CDR-3470)がこのシリーズで出ている。
    
33CDR-3480 ストラヴィンスキー:兵士の物語(C. F. ラミューズ詞)
 米 VOX PL7960(仏 PATHE 33 DTX 124 と同一録音)
 (1952年6月30日-7月1日パリ、シャンゼリゼ劇場録音)
ミシェル・オークレール(兵士)
マルセル・エラン(悪魔)
ジャン・マルシャ(語り手)
フェルナン・ウーブラドゥ指揮
器楽合奏団
ピエール・ルフェーヴル(クラリネット)、
ポール・オンニュ(ファゴット)、
ロジェ・デルモット(コルネット)、
マルセル・ガリエグ(トロンボーン)、
ルネ・アニコ(太鼓)、
ジョルジュ・アレ(ヴァイオリン)
 1953年フランス・ディスク大賞受賞盤。朗読入りの初レコードとして登場したこの盤は、3人の人気俳優を起用している。
 兵士役のミシェル・オークレール(1922-1988)はジャン・コクトーの映画「美女と野獣」で兄役、「海の牙」「情婦マノン」で知られた名優。悪魔役のマルセル・エラン(1879-1953)は映画「悪魔が夜来る」で悪魔役を演じた。この録音当時73歳で、翌年没した。語り手のジャン・マルシャ(1902-1966)もフランス演劇界の重鎮で、映画でもドランノワの「ボンカラル」や「曳船」で知られていた。指揮者のフェルナン・ウーブラドゥ(1903-1986)はパリ音楽院に1916年から1923年の間に在籍、ソルフェージュ、ピアノ、指揮法、バスーンを学び、1922年にバスーンで一等賞を得た。パリ音楽院管弦楽団、パリ・オペラ座管弦楽団の首席奏者を務めた後1939年にフェルナン・ウーブラドゥ室内管弦楽団を設立した。モーツァルトのバスーン協奏曲K.191のSP録音もあった。1932年録音のストラヴィンスキー指揮による「兵士の物語」(七重奏曲版)もこのシリーズ(78CDR-3278)で出ている。聴き較べも楽しい。
 
78CDR-3481 「ラ・フォリア」&「悪魔のトリル」- メニューイン・リサイタル
 コレッリ:ラ・フォリア
 タルティーニ(クライスラー編):ヴァイオリン・ソナタ「悪魔のトリル」
 クライスラー:レチタティーヴォとスケルツォ- カプリース作品6
  英 HIS MASTER'S VOICE DB1786/7
  (1930年12月11日録音、1932年5月20日録音、1932年7月17日録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
フーベルト・ギーセン(ピアノ)
アルトゥール・バルサム(ピアノ)
 ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ、サンフランシスコに移り3歳からヴァイオリンを始め、シグムンド・アンカー、ルイ・パーシンガー(1877-1966)に師事した。1926年6歳の時アルフレッド・ヘルツ(1872-1942)指揮サンフランシスコ交響楽団とラロのスペイン交響曲でデビュー、神童として評判を呼んだ。
 その後パリでジュルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)の手ほどきを受けた。1928年には12歳で初レコード録音を行った。ここに収録された演奏は14歳から16歳の録音で初々しい演奏が特長。「ラ・フォリア」は師のエネスコの演奏(78CDR-3088)と是非聴き較べをされたい。メニューインの天才ぶりが聴きとれる。
 
78CDR-3482 ベートーヴェン:弦楽四重奏曲変ホ長調作品127
 米 VICTOR 15092/6(U.S.)(英 HMV BD3044/8 と同一録音)
 (1936年10月16日-17日&11月2日ロンドン録音)
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ)
 ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織された。当時ブッシュはベルリン高等音楽院教授の地位にあった。ブッシュ四重奏団は何回かのメンバー交代があったが、1930年にこのメンバーになり、1939年にアメリカに移住した後も同じメンバーで活躍した。ブッシュ弦楽四重奏団のベートーヴェン四重奏曲はこのシリーズで第7番「ラズモフスキー第1番」(78CDR-3287)、第15番(78CDR-3362)、第16番(78CDR-3195)が出ている。
 
78CDR-3483 ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調作品67「運命」
 独 POLYDOR 69638/41
 (1923年春ベルリン録音)
ブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー指揮
ベルリン新交響楽団
※機械式録音盤(電気式録音以前)の復刻音源
 電気を使用しない機械式録音時代最後期の録音。
 指揮者のブルーノ・ザイトラー=ヴィンクラー(1880-1960)はベルリン生まれ、ピアノの神童と言われた。1907年にポリドールに入社、録音プロデューサーに加えて作曲、編曲、オーケストラ指揮、ピアノ伴奏のすべてをこなした多才な音楽家。この「運命」交響曲や交響曲第9番「合唱」を機械式録音時代にプロデューサー自らが指揮をしてレコードを残した。1935年にエレクトーラ社に移り、指揮者、ピアニスト、プロデュサーとして多くの名演を残している。
 その中で1937年に録音されたモーツァルト:歌劇「魔笛」の世界初録音では指揮者のトーマス・ビーチャムを補佐し、ビーチャムがイギリス本国に帰国中に指揮棒をとって一部録音したと伝えられる。
 またこのシリーズにあるジネット・ヌヴーの1938年録音の小品集(78CDR-3148)ではピアニストも務めている。この今から約90年前のドイツでのベートーヴェン演奏の響きに耳を傾けていただきたい。

<2014年1月31日紹介新譜>

78CDR-3474 ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
 独 TELEFUNKEN SK 2424/8
 (1937年12月22-23日アムステルダム、コンセルトヘボウ録音)
ウィレム・メンゲルベルグ指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
 ウィレム・メンゲルベルグ(1871-1951)はオランダの大指揮者。1895年、24歳でアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者に就任した。さらに1921年〜30年にはニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の首席指揮者を兼任、レコード録音は機械式録音時代と電気録音初期は米ヴィクター、電気初期のコンセルトヘボウとの録音は英コロンビアと独オデオンに、電気録音の完成期には独テレフンケンに行った。またコンセルトヘボウとのライヴ放送録音はLP時代になってフィリップスから発売された。
 この「田園」はテレフンケンへの録音で、生々しい演奏が録られているが残念なことにはハム音が入っていること。ハム音を除去すると演奏の迫力が半減してしまうため、ここでは電気処理をしていない。メンゲルベルグの「運命」(78CDR-3370)もこのシリーズで出ている。
 
78CDR-3475 J.S.バッハ:
 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番ニ短調 BWV 1004
 英 HIS MASTER'S VOICE DB2287/90
 (1934年5月23日パリ、アルベール・スタジオ録音)
ユーディ・メニューイン(ヴァイオリン)
 ユーディ・メニューイン(1916-1999)はニューヨーク生まれ。4歳からヴァイオリンの手ほどきを受け、7歳でサンフランシスコ交響楽団との共演でデビューした。その後パリでジョルジュ・エネスコ(1881-1955)、ベルリンでアドルフ・ブッシュ(1891-1952)に師事した。これはメニューインが18歳のパリ録音で、師のエネスコの指導が反映している見事な演奏。
 後年の演奏には見られない輝きと、18歳とは思えない深い思慮が感じられる。このシリーズでは他に13歳の時の録音である「無伴奏ソナタ第3番ハ長調 BWV1005」(78CDR-3227)が出ている。
 
78CDR-3476 モーツアルト:弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515
 英 HIS MASTER'S VOICE DB7808/11(DB2383/6 と同一録音)
 (1934年11月3日ロンドン、アビー・ロードEMI 第3スタジオ録音)
プロ・アルト弦楽四重奏団
アルフォンス・オンヌー(第1ヴァイオリン)
ローラン・アルー(第2ヴァイオリン)
ジェルマン・プレヴォ(ヴィオラ)
ロベール・マース(チェロ)
アルフレッド・ホブデイ(第2ヴィオラ)
 プロ・アルト弦楽四重奏団は1912年アルフォンス・オンヌーをリーダーにベルギーのブリュッセルで結成された。1926年アメリカに初公演、ワシントンの国会図書館ホールの開館式で演奏した。1932年にベルギーの宮廷四重奏団の称号を得た。1941年にアメリカのウィスコンシン大学からの要請で各メンバーが教授に就任。1944年にコーリッシュ弦楽四重奏団が解散したとき、リーダーだったルドルフ・コーリッシュ(1896-1978)がプロ・アルトの第1ヴァイオリンに就任した。プロ・アルト弦楽四重奏団はこのシリーズでモーツァルト弦楽五重奏曲第4番ト短調 K.516(78CDR-3251)が出ている。
 
33CDR-3477 ショーソン:詩曲作品25
 米 VOX PL6450(Mono)
 (1947年12月、1947年10月29日パリ、サル・プレイエル録音)
ジャック・ティボー(ヴァイオリン)
ウジェーヌ・ビゴー指揮
ラムルー管弦楽団
フォーレ:ピアノと管弦楽のためのバラード作品19
ギャビー・カザドシュ(ピアノ)
マニュエル・ロザンタール指揮
ラムルー管弦楽団
 ジャック・ティボー(1880-1953)は20世紀フランス最高のヴァイオリニスト。ボルドー出身で1893年からパリ音楽院でマルタン・マルシック(1848-1924)教授に師事し1896年16歳で一等賞を得た。生活のためにカフェのコンセール・ルージュで弾いていたところを指揮者のエドゥアール・コロンヌ(1838-1910)に見いだされて楽員に採用された。
 その時ティボーの親友で後にパリ音楽院の教授になったジュール・ブーシュリ(1877-1962)もコロンヌの楽員になった。1905年にピアノのコルトー、チェロのカザルスとトリオを結成、1930年頃まで活躍した。ティボーは1953年3 度目の来日のときエール・フランス機がアルプスの支峰スメ山に激突して死亡した。享年72歳。
 フォーレを弾くピアノのギャビー・カザドシュ(1901-1999)はマルセイユ生まれ、旧姓ガブリエル・ロート。パリ音楽院でルイ・ディエメール(1843-1919)とマルグリット・ロン(1874-1966)に師事し16歳で一等賞を得た。1921年にロベール・カザドシュと結婚しデュオでも活躍した。この録音はSPレコード末期のもので、SPは盤質が粗悪なため、初期のLPから復刻した。ティボーの「詩曲」はエネスコの「詩曲」(78CDR-3018)と比較して劣るように言われてきたが、今回の復刻で初めて真価が問われるであろう。
 
33CDR-3478 シューマン:女の愛と生涯
メンデルスゾーン:歌曲集
 「歌の翼に」「誰も知るまじ」「月」「新しき恋」
 「そのかみ、かの人の眼差しより」「眠られぬ眼は輝きて」
 「魔女の歌」「好きな場所」「挨拶」
 ANGEL RECORDS HA-5098(Japan)(Matrix: 2XRA417/8)(Mono)
  (Recorded September 18-21, 1956, Berlin-Zehlendorf)
エルナ・ベルガー(ソプラノ)
エルンスト=ギュンター・シェルァー(ピアノ)
 エルナ・ベルガー(1900-1990)はドイツのコロラトゥーラ・ソプラノ。ドレスデンに生まれ、5歳の頃には「魔弾の射手」(ウェーバー)のアリアを歌いこなしたという。17歳の時にエリーザベト・レートベルクのすすめで、ドレスデン王立歌劇場の合唱団に入った。第1次世界大戦(1914-18)後に家族は南米パラグアイに移住したが、父親が死亡し、ウルグアイのモンテビデオで働きながらピアノと声楽をつづけた。1923年にドレスデンに戻り、銀行員をしながら声楽の勉強をして、1925年にドレスデン国立歌劇場で「魔笛」(モーツァルト)の童子役でデビューした。1929年から1933年にはバイロイト音楽祭に出演している。
 その後ベルリン市立歌劇場、ベルリン国立歌劇場、ザルツブルク音楽祭、コヴェント・ガーデン歌劇場、メトロポリタン歌劇場に出演、1955年に引退表明、1960年から1971年ハンブルク音楽大学で教鞭をとった。録音の数も多く、特に1937年の「魔笛」の世界初の全曲録音(トーマス・ビーチャム指揮)の夜の女王役で世界的に知られるようになった。1952年に来日し日本ビクターに録音を行った。





ページ内の商品チェック・ボックスをクリックしたら、最後に 「かごに入れる」ボタンを押してください。
新店内のほかのページのお買い物がありましたら、そちらもすませ、最後に「注文フォームへ」ボタンを押して注文フォームで注文を確定してください。
(チェック内容を変更したら、必ずもう一度「かごに入れる」ボタンをクリックしてください。変更内容がかごに反映されませんので)


注文フォームへ


アリアCD 新店舗トップページへ



Copyright(C) 2011-2015 ARIA−CD.All rights reserved.