33CDR-3634
\1429+税 |
モーツァルト:
弦楽五重奏曲第3番ハ長調 K.515
米 COLUMBIA ML5192(Mono)
(1957年1月10日ニューヨーク30丁目コロンビア・スタジオ録音) |
ブダペスト弦楽四重奏団
ヨーゼフ・ロイスマン(ヴァイオリン)
アレクサンダー・シュナイダー(ヴァイオリン)
ボリス・クロイト(ヴィオラ)
ミッシャ・シュナイダー(チェロ)
ワルター・トランプラー(ヴィオラ) |
ブダペスト弦楽四重奏団は1917年ブダペスト歌劇場管弦楽団の4人のメンバーでスタートしたが、1932年に初代のリーダーだったエミール・ハウザーがロシア出身のヨーゼフ・ロイスマン(1900-1974)に代わり、その後メンバーはロシアとポーランド出身者になり、ハンガリー出身者は居なくなった。この団体はアメリカをベースに活躍し20世紀中期最高の四重奏団として君臨したが、1974年にリーダーのロイスマンの死去で惜しくも解散した。
このアルバムはモノLP時代に残されたモーツアルト弦楽五重奏全曲録音の中の一枚。第2ヴィオラのウィリアム・プリムローズ(1915-1997)はドイツ生まれ。1939年アメリカに移住し室内楽奏者として活躍した名手。 |
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33CDR-3635
\1429+税 |
ブラームス:
ヴィオラ・ソナタ第1番ヘ短調作品120-1
ヴィオラ・ソナタ第2番変ホ長調作品120-2
米 WESTMINSTER W-9503(Mono)(WESTMINSTER XWN
18114 と同一録音)
(1955年6月ニューヨーク、エソテリック・スタジオ録音) |
パウル・ドクトル(ヴィオラ)
ナディア・ライゼンバーグ(ピアノ) |
パウル・ドクトル(1919-1989)はオーストリア生まれのアメリカのヴィオラ奏者。父親はブッシュ弦楽四重奏団のヴィオラ奏者だったカール・ドクトル(1885-1949)。父親の手ほどきでヴァイオリンを始め、1938年にウィーン音楽アカデミー卒業。その後ヴィオラに転向した。1942年に開かれたジュネーヴ国際コンクールのヴィオラ部門で第一位。ルツェルン管弦楽団のソロ・ヴィオラ奏者をつとめたが1947年にアメリカに移住し、1948年春にワシントン国会図書館でアメリカ・デビュー。ソロ活動の傍らニューヨークのマネス音楽学校の教授を務めた。
ピアノのナディア・ライゼンバーグ(1904-1983)はリトアニアのヴィリニュス生まれ。サンクトペテルブルグで学んだ後、ロシア革命を避けてアメリカに移住した。フィラデルフィアのカーティス音楽院で名ピアニスト、ヨーゼフ・ホフマン(1876-1957)に師事した。ライゼンバーグの録音はたいへん少なく、ピアノ録音愛好家が血眼になって探している。これもその一枚。 |
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78CDR-3636
\1429+税 |
ロッテ・レーマン、ドイツ歌曲集
モーツァルト:クローエに寄す
モーツァルト:ひめごと
シューベルト:いらだち
シューベルト:夕映えの中で
シューマン:トランプ占いの女
シューマン:森のささやき
ブラームス:死は冷たい夜
ブラームス:テレーゼ
ブラームス:わたしの恋は緑にもえ
ヴォルフ:アナクレオンの墓
ヴォルフ:私の髪のかげに
英 HMV DA1466/70
(1935年10月17日ロンドン、アビー・ロード EMI第3スタジオ録音)
(HMV盤特有のノイズあり) |
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
エルノ・バロー(ピアノ) |
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルクに生まれベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場に登場し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。
レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。レーマンは1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合による迫害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はヨーロッパ時代のもの。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(78CDR-3048
& 3049)、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、リヒャルト・シュトラウス歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)、ブラームス歌曲集(78CDR-3393)が出ている。 |
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78CDR-3637
\1429+税 |
モーツァルト:
ヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲第2番変ロ長調
K.424
グラズノフ:瞑想曲作品32
米 RCA VICTOR 18198/200
(録音:1941年5月22日& 8月29日ニューヨーク=モーツァルト、
1934年3月ロンドン=グラズノフ) |
ヤッシャ・ハイフェッツ(ヴァイオリン)
ウィリアム・プリムローズ(ヴィオラ)
アルパド・サンドル(ピアノ) |
ヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)はロシア生まれのアメリカのヴァイオリニスト。ペテルブルグ音楽院でレオポルド・アウアー(1845-1930)に師事し10歳でデビューした。1917年16歳の時に革命を逃れ一家はアメリカに移住し、少年ハイフェッツは一流演奏家として待遇された。その後青年期、壮年期から引退するまで世界最高のヴァイオリン奏者として崇められた。
ヴィオラのウィリアム・プリムローズ(1903-1982)はイギリスのグラスゴー生まれ。ロンドンのギルドホール音楽学校に学んだ。1937年渡米、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮のNBC
交響楽団のソロ・ヴィオラ奏者として活躍し、1939年にソリストになり、世界的なヴィオラ奏者として活躍した。 |
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78CDR-3638
\1429+税 |
ベートーヴェン
弦楽四重奏曲第1番ヘ長調 作品18-1
英 HMV DB2102/4
(1933年11月11日ロンドン、アビー・ロードEMI
第3スタジオ録音) |
ブッシュ弦楽四重奏団
アドルフ・ブッシュ(第1ヴァイオリン)
ゲスタ・アンドレアソン(第2ヴァイオリン)
カール・ドクトル(ヴィオラ)
ヘルマン・ブッシュ(チェロ) |
ブッシュ弦楽四重奏団は1919年にアドルフ・ブッシュ(1891-1952)によって組織され、1930年代には英HMVに多くの録音をしている。
ブッシュはまたピアニアストのルドルフ・ゼルキン(1903-1991)とのデュオでも活躍した。ブッシュは1939年に実弟でチェリストのヘルマン・ブッシュと共にアメリカに移住、その後四重奏団の二人のメンバーもアメリカに渡り、1941年からアメリカCOLUMBIAに録音を再開した。このシリーズではベートーヴェン弦楽四重奏曲第7番作品59-1「ラズモフフキー第1番」(78CDR-3287)、第12番作品127(78CDR-3482)、第14番作品131(78CDR-3633)、第15番作品132
(78CDR-3362)、第16番作品135(78CDR-3195)が出ている。 |
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33CDR-3639
\1429+税 |
カウント・ベイシー&カンザス・シティ・セヴン
オー・レイディ・ビー・グッド
シークレッツ
アイ・ウォント・ア・リトル・ガール
シュー・シャイン・ボーイ
カウンツ・プレイス
セネター・ホワイト・ヘッド
トーリー・ホー・ミスター・ベイシー
ホワッチャ・トーキン?
米 IMPULSE! STEREO A-15(ステレオ)
(1962年3月21日、3月22日録音) |
カウント・ベイシー(piano)(organ)
サド・ジョーンズ(trumpet)
フランク・ウェス(flute)
エリック・ディクソン(tenor sax and flute)
フランク・フォスター(tenor sax)
フレディ・グリーン(guitar)
エド・ジョーンズ(bass)
ソニー・ペイン(drums) |
カウント・ベイシー(1904-1984)はニュージャージー州レッドバンク生まれ。母親の手ほどきでピアノをはじめ1924年にブルース歌手の伴奏とソロでプロ活動を開始した。ある時仕事で訪れたミズーリ州カンザス・シティで多くのジャズミュージシャンと出会った。これは1960年代初頭にステレオ録音されたベイシーの代表盤。復刻にはWESTREX10AカートリッジとコルグのNutube(新型直熱3極管)によるフォノイコライザーを使用した。超高分解能のサウンドが楽しめる。 |
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33CDR-3640
\1429+税 |
ブルースエット/カーティス・フラー
ファイヴ・スポット・アフター・ダーク
アンディサイデッド
ブルースエット
マイナー・ヴァンプ
ラヴ・ユア・マジック・スペル・イズ・エヴリホエア
12インチ 米 SAVOY ST-13006(ステレオ) SAVOY
ST-13006(U.S.)(Stereo)
(1959年5月21日ニュージャージ州ハッケンサック、
ルディ・ヴァンゲルダー・スタジオ録音) |
カーティス・フラー(trombone)
ベニー・ゴルソン(tenor sax)
トミー・フラナガン(piano)
ジミー・ギャリソン(bass)
アル・ヘアウッド(drums) |
ジャズ愛好家でなくても、きっと何処かで耳にしたことがある懐かしいメロディ「ファイヴ・スポット・アフター・ダーク」が収録されたLPの高音質復刻。
「ファイヴ・スポット」はニューヨークのハーレムで営業するジャズクラブの名前。夕暮れの物憂い響きが心地いい。カーティス・フラー(1934-
)はミシガン州デトロイト出身のトロンボーン奏者。デトロイトの学校時代にポール・チェンバース(1935-
)、ドナルド・バード(1932- )と知り合った。このアルバムの共演者のベニー・ゴルソン(1929-
)はペンシルヴェニア州フィラデルフィア生まれ。ワシントンのハワード大学卒業後多くのジャズミュージシャンに出会い影響を受けた。ニュージャージー州ハッケンサックのヴァンゲルダー・スタジオ録音。復刻にはWESTREX10AカートリッジとコルグのNutube(新型直熱3極管)によるフォノイコライザーを使用した。 |
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78CDR-3641
\1429+税 |
ジョー・スタッフォードSP録音集
ウォーキン・マイ・ベイビー・バック・ホーム
虹の彼方に
わが心のジョージア
イエスタデイズ
懐かしのヴァージニア
サムタイムズ・アイム・ハッピー
アローン・トゥゲザー
ザ・ボーイ・ネクスト・ドア
米 CAPITOL B-D23(78rpm Album Set)
(Rec. 1944&1945) |
ジョー・スタッフォード(vo)
ポール・ウェストン楽団 |
ジョー・スタッフォード(1917-2008)アメリカのポップス・シンガー。1938年男女4人編成のヴォーカル・グループ
"パイド・パイパーズ" の一員としてトミー・ドーシー楽団に加わり、その後ソロ・シンガーに抜擢された。1942年にバンドを辞して独立、ヴォーカリストとして新興のCAPITOLに迎えられた。
このSPレコード4枚組のアルバムは1946年に発売されたCAPTOLでは2作目のアルバム。ここでは後に結婚した夫君となったポール・ウェストンの指揮する楽団と共演している。スタッフォードはその後COLUMBIAに移籍し、数々の大ヒットを出した。このシリーズで多数出ている。 |
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78CDR-3642
\1429+税 |
エレナ・ゲルハルト・シューベルト・リサイタル
漁夫の歌
漁夫の娘
ひめごと
別れ
眠りの歌
ミューズの息子
ばらの花冠
春に
ロザムンデのロマンス
万霊節の連祷
英 HMV D-1459/62
(録音:1928年5月11日、1928年5月9日、1928年11月9日、1928年2月16日)
(HMV 盤特有のノイズあり) |
エレナ・ゲルハルト(メゾソプラノ)
ケンラート・ファン・ボス(ピアノ)
ポーラ・ヘグナー(ピアノ)
マジョリー・ヘイウォード(ヴァイオリン) |
ドイツが生んだ大リート歌手エレナ・ゲルハルト(1883-1961)が機械式録音時代に英エオリアン・ヴォカリオンに録音した22曲と1928年に英HMVに録音した12インチSPレコード3枚の「シューベルト歌曲集」の復刻である。ゲルハルトの録音は1907年、大指揮者アルトゥール・ニキシュのピアノ伴奏による10インチ盤7枚と12インチ盤1枚から始まった。以降機械式録音時代、電気録音時代に多数残したレコードすべてリートでオペラは1枚もない。ゲルハルトはこのシリーズでシューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3631)、「ブラームス、シューベルト、ヴォルフ歌曲集」(78CDR-3496)、シューベルト「冬の旅」(抜粋)(78CDR-3566)が出ている。 |
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78CDR-3643
\1429+税 |
シューマン:詩人の恋 作品48(ハイネ詩)
米 COLUMBIA M486(Set)(Mono)
(1941年8月13日ハリウッド、CBSスタジオ録音) |
ロッテ・レーマン(ソプラノ)
ブルーノ・ワルター(ピアノ) |
ロッテ・レーマン(1888-1976)はドイツのソプラノ。ペルレベルクに生まれベルリンで勉強した後、1910年にハンブルク歌劇場でワーグナーの「ローエングリン」でデビューした。1914年にはウィーン宮廷歌劇場に登場し、リヒャルト・シュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」、「影のない女」、「インテルメッツォ」、「アラベラ」のウィーン初演に出演した。また「ばらの騎士」のマルシャリン役での録音もある。
レーマンはオペラ歌手としてだけではなく歌曲を得意とした。レーマンは1938年ナチス・ドイツのオーストリア併合による迫害を逃れ、アメリカに移住した。この録音はアメリカ時代のもの。ピアノを大指揮者ブルーノ・ワルター(1876-1962)が弾いている。ワルターもまた1938年ナチス・ドイツの迫害を逃れ、アメリカに移住した人物だった。レーマンはこのシリーズでシューベルト「冬の旅」(78CDR-3048
& 3049)、シューベルト「美しき水車屋の娘」(78CDR-3079)、リヒャルト・シュトラウス歌曲集(78CDR-3348)、シューマン「女の愛と生涯」(78CDR-3363)、ブラームス歌曲集(78CDR-3393)が出ている。 |